読んだ本
原発事故と「食」――市場・コミュニケーション・差別

五十嵐泰正

中公新書
2018年2月
 

 

ひとこと感想

ようやく腑に落ちる原発事故後の「食」に対する公正な見解にふれることができた。「3.11」以降私たちは、「放射能」という目に見えない恐怖に対して、何とか自分(たち)を守ろうと「危険」「安全」という両極端のいずれかに身を寄せて「安心」を得ようとした。だがそうした言動の社会的連鎖が、結果的に、深刻な社会的分断と科学や専門家、知識人、ジャーナリストなどに対する不信感を引き起こし、取り返しがつかないところまで突き進み、それが今もなお、尾を引いているが、本書は、そうした一人ひとりの「苦しみ」を立場や主義を超えて、あまねく多くの人々に届く言葉と思想を紡ぎ出している。

***

 

テーマは「食」に絞られている。だがこれは、ポスト3.11社会を生きる私たちにとって、抜き差しならない本質的な問いと連なっている。そもそも著者のこの問題へのアプローチの出発点も非常にローカルなものである。五十嵐は千葉県柏市に住んでおり、当時「ホットスポット」とみなされたことで「地元野菜」が受けた扱いに直接ふれる機会があった。しかもそれは、単に、特定の利害関係者、例えば、生産者、消費者、流通、飲食業者、いずれかのみの立場を支持したり代弁することが目的ではなく、むしろ、そうした諸関係のなかで発生している不毛な対立を解消して、「ほんとうの問題」をつきとめるために、現場にかかわっていたと言えるだろう。

「ほんとうの問題」――それは、何であろうか。正しい知識がある、ない、とか、権力者にだまされている、金持ちは嘘つきだ、とか、そういう次元の話ではない。非常事態的な感覚のなかにいると、まず自分(たち)が最優先され、他者への配慮が一気になくなる。それが許されるのは、あくまでも、どうしようもないなかで自分(たち)を守るため、という理由からである。著者も書いているが、こうした極端な心情は、時と場合によってはやむを得ない部分がある。しかし、それから何年もの月日が流れ、その間、ある程度の落ち着きを取り戻し、冷静に我が身を振り返り、かつ、他者の言動にも耳を傾けることができる状態にある今に至ってもなお、当時と同じようなふるまいをするとすれば、それは、厳しく批判されねばならない。

私もまた、一つの利己的な「自分(たち)」の側面を持っている。原発を使う社会に対しては、根本的に否定的であり、事故の引き起こした「被害」の深刻さに目をつぶるつもりも毛頭ないし、この問題をあやふやにしてきた言説(とその生産・流通装置)についても、不信感が今なお拭えない。だが、それだからと言って、社会で共に生きている人たちにそうした考えを押し付けたいわけでも、分かってほしいわけでもない。むしろ、問題は、考えるべきことは、私と異なる考えを持っている人たちと共に生きるには、どうしたら良いか、ということである。この違い、分かってもらえるだろうか。いわゆる「多様性」もしくは「共生」の問題に行き着くと思うのである。

 

いや、今や「多様性」や「共生」さえも、イデオロギー化してしまっている場合があるかもしれない。「多様性」というのは非常にあいまいであり、何でも許していたら大事なものが壊れてしまう、という考えの人もいることだろう。もっとも分かりやすい例を挙げれば、この世は男と女しかおらず、それ以外のこと(すなわち、性的マイノリティにかかわること)を言うのは、伝統や秩序を揺るがす「悪」であるとみなす人もいる。残念なことに、こうした言い分の人とかかわっていると、「多様性」や「共生」は数多くある見解のうちの一つとみなされ、持論との対立構造のなかに組み込まれてしまう。

そして、こうした対立構造が生まれてしまうと、本来、社会の最低限の共有理念として彫琢したはずの「多様性」や「共生」が、今度は、単なる一つのイデオロギーへと追いやられてしまう。そうなると、より一層対立する側を説得しようとして、より自分たちの考えの正当性を強調し、相手が間違っているという説明になっていく。こうした泥沼のコミュニケーションにはまってしまうと、もう、「ほんとうの問題」は見えないし、「多様性」や「共生」を訴えていた人たちでさえ、自分たちの立ち位置を見失っていく。

 

「価値観が多様化した現代において巨大なリスクが発生したとき、社会はいかなる着地点を見出し、リスク判断の違う人たちの間でどのように現実的な解を見出していくべきか」(viページ)

 

実はこの問題は、「巨大なリスク」が発生しなくとも、常日頃、私たちの暮らしで生じていることだろう。その代表的事例は、私の立場からすると、「地域猫」をめぐる意見の対立である(が、これは別のところで論じているので、ここではふれない)。他にも、ヘイトスピーチをめぐる対立や、もっと日常的に、ある決めつけや信念のもとで、自分と異なる価値観にかかわるものを否定的に向き合う。しかも、根底からそれが自明であるかのように、多くの人が同じように思っているはずだという前提のもとに、相手を攻撃する場合もある。いずれにせよ、きわめて深刻なテーマを本書が扱っていることは間違いない。

 

個別具体的な事例それぞれの特殊性を脇に置いておき、最も抽象的な次元でいえば、本書は「異なる他者への寛容性」を社会における重要な「モラル」とみなしている。その意味で私もまた、大いに同意するし、これを聞けば、多くの人は、とりあえずその通り、と同意しそうである。だが実際には、身の回りでも、「どのような意見であっても間違いと決めつけない」「最後まで、きちんと話を聞く」といった「共生」のためのコミュニケーション原則さえ、大半の場合、守られていないし、自分もまた、このことに十分な配慮がない場合があることを否定できない。その意味では、「多様性」や「共生」への道は、今なお、少しずつ歩みはじめているものであって、何ら完成されているわけでも、蓄積があるわけでもないことも、気を付けなければならない。これからも今も、私たちはこの原則に常に立ち返らねばならないのである。

 

そればかりではない。本書の言う「異なる他者への寛容性」とは、実は非常に取扱いが難しい。即ちこれは「歓待論」の問題でもあったのだが、これについても別稿で論じているので、ここではこれ以上ふれない。ただ言えるのは、結局は、私たちは「同質性」を好み、「異質性」を忌避する傾向を、元来持っているであろう、ということである。そのことを否定することはできないのではないだろうか。だが、だからといって「同質性」だけで完結させることは困難であるし、実際「異質性」によって「同質性」は生まれるものであり、両者は、最終的には相互性の産物であるということである。それゆえ、強いて言えば、いずれかの見解を強調する人がいるとしても、いずれかのみを受け入れるような社会(や議論の場)にしてはならず、常に相互に開かれていなければならない。即ち、常に「開かれ」を求める人は「閉じる」ことを、「閉じ」を求める人は「開かれ」をそれぞれ、尊重しなければならないのである。その上での議論ができることが求められている。

 

また、もう1点だけ、追記しておきたいことがある。これらは、本書に書かれている内容とはまったく直接はかかわりがない。だが、本書との関係で、言っておきたいことがある。それは、こうした社会的な対立が生じた際に、必ずしも、「共生」や「多様性」が実現できるわけではない、ということである。本当に心苦しいのだが、放射線の許容量問題で、最もはっきりしなかったのは、専門家が多くの人にうまく伝えられないほどに、原発技術は未熟であり、そうした未熟さを見せないようにしてきたということである。少しくらい浴びたほうが健康に良い、というのは、さまざまなことを知ったうえではじめて意味が理解できるのであって、単純に鵜呑みできる言葉ではない。言語表現の問題やリスクコミュニケーションの問題など、対応が迂闊すぎたことを、真摯に反省すべきである。そのために混乱が生じたにもかかわらず、今なお、多くの科学者や専門家、ジャーナリストたちが、この部分に無頓着であることが嘆かわしい。

また、立場を変えて言えば、「共生」や「多様性」が実現できるわけではない、ということは、ある種の敗北であるが、ある場合にはやむを得ない場合もあるのではないか、ということを、現場レベル、実践レベルにおいては、語らざるを得ない。繰り返すが、「共生」や「多様性」を「否定」されてしまうと、その人たちとの「共生」はきわめて困難である。多くの場合、それほど強く打ち出してこないとは思うのだが、少なくとも、インターネット上にあふれる「つぶやき」を見る限りでは、無視できないくらい大量の「ヘイトスピーチ」「反共生」「反多様性」の言説が存在している。できれば、一つひとつ、丁寧に議論を尽くして相手が納得できるような関係性を構築したいものである。だが、それはきれいごとにすぎず、極めて困難なことであろう。

だからと言って、すべてをあきらめたいわけではないのだが、最終的に、相手がまったく聞く耳を持たず、むしろ以前よりも攻撃的になってきたりしたら、一体、私たちはどうしたら良いのだろうか。

 

結局は、そういう言説や、そういう人たちを、自分から遠ざけるか、相手を自分の近くにかかわらないよう、物理的もしくは、制度的もしくは、社会的な距離をつくる手立てを講じることもあるのではないか。いや、大半はそうして問題を片付けようとするのではないか。


……と書いてしまうと、どうも旗色が悪い。当初目指していた「共生」や「多様性」の理念は現実に押しつぶされ、色褪せ、価値下落し、無意味化してしまうのかもしれない。おそらく敗北である。ここから立ち直る術を私はまだ、知らない。
 

***

 

本書はN島さんからお借りして読みました。この場を借りて御礼申し上げます。素晴らしい本を貸してくださり、本当にありがとうございました。


 

 

 

 

 

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外猫のコロコロちゃんを室内に迎え入れたものの、病院に連れていくことがなかなかできませんでした。

一度、洗濯ネットに入れようとチャレンジしたのですが、大失敗。

 

 

大暴れ。スプレー。叫び声。

 

ふだんののんびりとしたコロコロちゃんではありません。野生に帰る、といった感じ。

その後、コロコロちゃんはかなり警戒してしまいました。とてもすぐに連れて行けそうにもなくなってしまいました。


そこで1ヶ月くらい、このことを忘れさせるために、間をあけました。

 



そろそろいけるかな、と思いつつも、あまり意識させずに、さりげなく、ネットをかぶせました。そこまでは成功。


ところが。


コロコロちゃんはネットに入ってもあきらめることなく、猛然と暴れました。まさに野獣のごとし、です。小さいですが、トラのような獰猛さを感じさせる勢いです。

怖くなりましたが、ここで手を離したら、コロコロちゃんも怪我をしてしまいかねず、こちらも全身全霊をかけてコロコロちゃんを押さえつけ、無理やりキャリーバッグに入れて、なんとか、タクシーで病院に連れていきました。私の手が少し血に滲んでいましたが、大事には至りませんでした。



さすがにこうなると身動きできませんので、少し観念したと思いきや、車内でスプレー行為をしたのか、きついにおいがしました。


本気で怒っている・・・・・・


病院に着きました。診療など、できる状態ではないので、そのまま病院に預けて、その日のうちに手術をしていただきました。


無事に、手術は成功。


翌日の夕方、妻と二人で引き取りに行きました。



ケージのなかに入っているコロコロちゃんは、とにかく不機嫌。うなっていますし、ときどきケージに体当たりしています。


まさか、人間嫌いになってしまったか・・・・・・と不安になりました。


ケージに入れたままタクシーで自宅に戻り、しばらく落ち着くまで玄関に置き、少したってから扉を開けて、自分から出られるようにしたところ、ゆっくりと外に出てきました。


ちょっとだけ不審な思いがあったようですが、少したつと落ち着きました。一安心です。コロン、コロン、と転がり始めました。




ほっとしました。


それからも、トイレ習慣はなかなか身につかず、深夜にいきなりベッドの足元が冷たいと思ったらおしっこされて、そのあと洗濯機を何度もまわすはめになること数回。


睡眠不足でつらい日々。


でも、コロコロちゃんは元どおりに、ぺたぺたとくっついてくるし、コロンコロンと転がって愛想を振りまきます。

 

しかしまだまだ、深刻な問題があったのです(続く)。


 

 

 

 



外猫を室内飼いにする。意外とスムーズに行くこともあれば、難儀する場合だってあります。

 

 

コロコロちゃんは、比較的スムーズだった、と言えるかもしれませんが、それなりにいろいろありました。

まず、先住猫の〈故)ゆいた君がいたため、すぐには室内には入れられなかったこと。

 

 

ゆいた君はほんの小さいとき、やはり外猫だったので、ウイルス系の病を抱えていました。

 

そのため、他の猫との同居には気を遣いました。

 

その猫への感染もそうですが、それ以上に、ゆいた君にストレスにならないように、と思って、様子をみていたのです。


その間、コロコロちゃんは、外に寝所をつくり、湯たんぽを入れて冬のあいだはすごしてもらいました。


ときどき、窓ごしに、ゆいたくんとコロコロちゃんの二人は対面していたのですが、実は、ゆいた君のほうが攻撃的で、姿をみると威嚇をしていたのです。


先住猫がそういう感じであれば、こちらとしては、ニューカマーを迎えるのはとても躊躇してしまいます。


もうしばらく様子をみてみなければ、・・・・・・と思っていた矢先。


ゆいた君は、持病が発症、ほんの短い期間で悪化し、あまりにも早く虹の橋を渡っていってしまいました。



悲しみにくれてしまいがちであった私と妻も、コロコロちゃんが元気よくけなげに、愛想をふりまくため、とても救われました。

 



1ヶ月ほどたって、コロコロちゃんを室内に迎え入れる準備をはじめました。


とりあえず、玄関や台所まで入ってくるようになり、そこでご飯をあげました。


時間にして数分から数十分ですが、やはり食べ終わると、お腹をだしてゴロン、ゴロンと転がります。



そうした期間を経て、あるときから1日、室内に入れてみました。



やはり外が気になるようで、窓のほうに足繁く通います。


夜は思いっきり、遠吠えのように、泣き叫びます。


トイレは、ソファやベッドなど、あちこちでしまくります。


いろいろと工夫したものの、なかなかトイレも覚えてくれませんでした。
 


少し期間が経って、ついに去勢を病院でしてもらうことにしました(これも賛否両論ありますが、私たちはそういう選択をしました)。


連れて行くために洗濯ネットに入れようとしたら、・・・・・・ふだんは人懐こいはずなのに、野生に戻り、唸りをあげ、必死の思いで足掻き、私の手は傷だらけになりました。病院行きは中止です。


一度そういう失敗をしてしまって以来、コロコロちゃんはとても警戒心が強くなりました。


自然なやりとりは今までどおり、ゴロン、ゴロンと転がっているのですが、何か私が手に取ろうとすると、凄まじい勢いで逃げ出すようになったのです。

 

 

 

1ヶ月くらい、このことを忘れさせるために、間をあけました。
 

(続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このたび

昨年より、近所猫としてつきあってきた猫ちゃんを、完全室内飼猫としてお迎えしました。

 

 

その名も「コロコロ」ちゃん。名は体をあらわす、ではなく、体は名をあらわしています。

 

 

外にいたときも、すぐにゴロン、ゴロンと転がっていましたが、室内に入っても、同じように常にコロコロしています。
 

 

とはいえ、ここまでくるには、それなりにいろいろありました。

 

(続く)

 

 

 

 

 

(約1週間前)

 

私たち夫婦の「宝もの」愛猫ゆいたくんが、息をひきとった

原因は、FIP(猫のウイルス性腹膜炎)

 

コロナウイルスの変異したもの

 

2年と9ヶ月くらい、生きた

保護猫として我が家にやってきたのは、生まれて2ヶ月くらいだから、実質、2年半ほど、一緒に暮らしたことになる

(生まれて2ヶ月少し)

大半は元気だったが、この2ヶ月はかなり急激に体調を落としていった

体重は、最初が1キロ台で、最大で5.25キロのときがあったが、大体4キロ台前半、この2ヶ月は2.9キロまで落ちた

はじめに気づいたのは、お腹のふくらみである

食べすぎではなく、FIPのウェットタイプの症状だった

 

これはインターフェロンなどの投与によって、なんとか改善はできた

 

しかしその後、食欲不振が続き、嘔吐、下痢が起こり、身体の消耗が次第に激しくなっていった

 

それでも数日前までは歩けた

のに

 

・・・最期は、意識が混濁し、呼吸が小刻みになったあと、断続的に痙攣を起こし、果てた


 

 

ゆいたくん

 

耳が大きく、ダヤンと少し似ていた

 

賢い子で、私が帰宅すると、必ず、迎えに出た

ご飯のとき、人間の食べ物にはほとんど興味を示さないのに、一緒に食卓の椅子に乗って、食べ終わると一緒に寝室にやってきた

ゆいた、と呼ぶと、遠くからでも必ずやってきた

 

かくれんぼをすると、勇んで見つけては、飛び込んできた

シーツ交換が大好きで、ベッドにあがって、シーツに身を潜めた

性格は猪突猛進型でワイルドだが、なき方は短く「にゃ」でキューティだった


ふだんはクールだが、明け方になると、私たちに甘えてきた

ゆいたくんは、本当に良い子だった


(1年後)

結果としては、短い一生だったが、一緒にいた時間は幸せだった

ありがとう



でも、本当は、もっと一緒にいたかった・・・

 

 


ネコに名をつけるということ~ゆいた~
2014-12-23 21:04:00
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11968057775.html

病院へ、はじめて行く、ゆいた(ネコ、生後約3ヶ月)
2014-12-27 21:42:00
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11969813713.html

仔猫から、食べ物をもらう――ゆいた(生後約4カ月)の生態記録
2015-01-27 22:01:00

http://ameblo.jp/ohjing/entry-11982413263.html

 

動画
https://www.youtube.com/watch?v=VHtZMKdyp4k

仔猫が我が家にやってきて、もうすぐ50日(ゆいた のこと)
2015-02-08 22:00:00
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11987417679.html

歯磨きをするネコ、ゆいた(推定約6カ月、オス)
2015-03-28 21:57:00
http://ameblo.jp/ohjing/entry-12007212241.html

我が家の猫の近況~ゆいた(2014年10月生まれ)
2015-05-10 22:08:00
http://ameblo.jp/ohjing/entry-12025067687.html

我が家の仔猫、生後10ヶ月にして5キロ目前
2015-07-20 21:24:00
http://ameblo.jp/ohjing/entry-12052691537.html

猫の去勢手術、ゆいた(10ヶ月)、ついに。
2015-07-26 21:24:00
http://ameblo.jp/ohjing/entry-12054866999.html

去勢から1週間、その後の「ゆいた」(生後約10ヶ月の猫)
2015-08-02 22:04:00

http://ameblo.jp/ohjing/entry-12057464068.html

 

 

 

 

 

 

 

前回、宮城県の被災地について、少し書いたが、福島県の場合、原発事故による避難区域となった地域とその周辺、とりわけ浪江町は、今なお(2017年2月の時点で)復興には程遠いという印象を強く持った。もちろん福島県内全体的では、宮城県と同じように復旧が進んでいることは疑いない。だが、被災地といっても原発事故の影響の強い帰還困難区域にあっては、大きく様相を異にする。すっかり線量は低くなっていたとしても、そして、除染や解体、そして新築といった土建業の作業ならびに輸送においては賑やかに行われているとしても、その土地の生活の根が絶たれたままとなっている。

福島県(特に原発事故の影響を受けたところ)においては、放射線量という数値の変化を基準として復興への足がかりを作らざるをえなかったのであるが、逆説的に、こうした数値の回復だけでは元住民の意識は大きくは変わらず、土建業と行政や警察などの業務者を除けば、あえてこの言葉を使うが「ゴーストタウン」のままのところが少なくなかった。

国道6号線という幹線道路も通行が可能であり、鉄道と代行バスも動いているという意味では、原発事故地をはさんだ南北のラインの復旧は進んでいるが、、結局は「箱モノ行政」の延長線上のことがまず行われているのみで、元の生活空間に戻せるという意味での復興は、その契機が十分に作れていないのが現状である。

 

 

私は、2017年2月某日の夜に福島県南相馬市にある原ノ町駅まで仙台駅からJRで南下し、ビジネスホテル高見に宿泊、翌日に福島県の浜通りを縦断する常磐線のなかでもJR代行バスの走る区間を移動した。具体的には、原ノ町駅から竜田駅の間であり、その間、バスは小高と浪江にも停車(ただし浪江は駅前ではなく町役場前)した。以下、各地域に分けて、所感を述べる。

 

 

原ノ町駅
朝6時少し前にホテルを出発し、徒歩で、原ノ町駅まで行く。およそ20分。まだ朝が早いせいもあり、人影は少ない。国道6号線沿いはコンビニやファストフード、郊外レストラン、そして、眼鏡やスーツなどの郊外店が断続的に並んでいる。車であれば、選択するうえでちょうど良い間隔なのかもしれないが、徒歩の人間には、次の店まで少し離れているように感じる。

 


6時55分にJRの代行バスに乗る。駅で切符を買ってからバスに乗り込む。運転手と、女性の補助の2人体制。女性が、これからの停車駅やトイレなどの説明を行う。あくまでも簡単だが、浪江駅とは言わずに浪江町役場前と言い、そこから竜田駅のあいだを「帰還困難区域」と呼んでいた。乗客は少なく、自分を入れても10人に満たない。

 

 

バスが動き出す。出発して数分後には、停車はしないが、磐城太田駅を通過する(6号線を通るので、駅は近くにはない)。

 

 

原ノ町は南相馬市に含まれ、現在では「原町区」にあたる。ここの2017年1月現在の旧避難指示解除準備区域の居住率は96.31%である。ところが続く、小高駅のある小高区の同居住率は27.85%である(駅には若干の人が行き来しているが、駅近辺であっても、住民の数はきわめて少ない)。

 

 

小高駅
国道6号線のところまで、小高駅近く、交差点、津波浸水のマークがあった。バスは小高駅(のバス停留所)に立ち寄る。乗降者は誰もいないが、係員が停留所におり、一言二言会話を交わしたかと思うと、まもなく出発する。近隣の家は、人気がほとんどない。シーツで覆っているところ、車のあるところ、新築しているところ、解体をしているところ、いろいろであり、何らかの「動き」があることはわかる。

 

 

浪江までの道のりは、やや山林に入る。朝日が入らず、暗い。また、田圃が広がるが、多くは休耕地のように見える。道路はトラックを中心にそれなりに走行しており、そういう意味では、人の気配はある。突如、フレコンの集積場が2か所、窓から見える。2つめは規模が大きい。数多くの除染作業が行われたことを伝えている。

 

ナミエボウルの建物を通過、黄色い看板がとても目立つ。もちろん今は閉鎖されている。

 

 

浪江駅
この時期はまだ、浪江町は全面的に避難区域となっており、基本的に人がいなかった。被災前人口の約4割を占める沿岸部は津波被災地でもあり、その復旧工事が行われている。この地域については、4月に避難指示解除されたので、すでに様子が異なりはじめていることだろう。また、あらためて、訪れてみたい。実際、バスのなかのシンチレーションカウンターの数値は、0.1マイクロシーベルト毎時あたりで、かなり低い数値となっていた。

 

役場や警察、そして、土木や運送にかかわる人たちが活動を行っている。ほかにも商売を再開した人たちも徐々に増えている。しかし、まちなかはひっそりとしており、生活の匂いが希薄である。

 

 

 

そんな浪江町役場前に到着、自分1人だけが降りる。役場の隣は、よく知られた仮設店舗がある。

 

 

生活用品を売っていたり、喫茶店があったり、食堂があったりする。少し時間が早いが、B級グルメで知られる浪江やきそばをいただいた。役場の職員らしき人と土木作業を行っている人たちが客としてあとから入ってきた。

 

 

役場に入ってみると、住民が帰還するための窓口がたくさんつくられているが、ここにも「住民」はいない。

 

 

少し駅前に向かって歩いてみる。数々の商業店舗はいずれも「廃墟」化が進んでいる。さらにその先の駅のある地点まで進もうとするが、工事中のため、駅までは立ち入ることができなかった。

 

 

(正確に記すと、浪江駅に降りたのは、竜田駅まで行って、それから帰路においてである。記述上、経路を省略している)

 

竜田駅まで
浪江からこの先、帰還困難区域の看板が続く。浪江を越えると、シンチレーションカウンターの数値が上昇する。今、0.28マイクロシーベルトになったかと思えば、0.33、056、0.63、…とめまぐるしく変化し、ついには3.5まで上がる。バスのなかでこの数値ということであれば、車外であれば平時の100倍ほどの数値となっている可能性もあると推測される。

 

 

双葉町に近づく。双葉体育館をすぎると、線量は落ち着き、0.2から0.3くらいになる。原子力運送の看板を過ぎるとまた、2.46あたりまで上がる。

 

 

6号線は通過することはできるが、そこから枝道には入れない、というのがこの時期の状況である。枝道は封鎖され、検問が各所に置かれている。

ここで、ちょうど福島第一原発からほぼ西にあたるところを通過する。すると、線量は9マイクロシーベルトにまで上がる。通常の数値の100倍以上である。バスの中でこの高い数値では、とても外を長時間歩くのはためらわれる。

 


その後、1マイクロシーベルトあたりに落ち着く。これでもかなり数値であることを次第に忘れそうになる。もうすぐ富岡町。そのあたりで、また線量が上昇しはじめる。2マイクロシーベルトを超えるところもある。双葉警察署前は線量が低く、0.47くらい。除染した結果なのかもしれない。

8時、竜田にかなり近づいて、一時期少し上がった線量も再び、04くらいに落ち着く。


福島第二に近い道を通過。広野火力が見える。「売地」の看板が目立つ。

樽葉に入ると、0.16くらいに、さらに下がってゆく。

 

 

竜田駅
東京方面からみると常磐線でいわきの方から北上することによって、竜田駅までは行くことができる。そのため、竜田駅はもう少しにぎわいのある場所だと思っていたのだが、予想は裏切られる。まだ9時前後だということもあるが、駅前に開いている店は何もない。あるのは、客を待つタクシーと、駅の自販機だけである。竜田駅から海岸に近い方面に歩いてみたが、こちらは津波被害の復旧が進められており、各所が工事中で、ダンプカーに怯えながら歩く格好になる。

 

 

線量はこのあたりは低いにもかかわらず、一軒の家のガレージには「ホットスポット」という看板が掲げられていた。もちろん人は住んでいない。

 


竜田駅のある楢葉町はすでに2015年9月に避難指示は解除されている。しかし8,000人くらい登録されている住民のうち帰還しているのは、その1割程度、781人(2017年2月3日現在)である。

 

 

浪江駅から小高駅まで歩いてみる
帰路は浪江まではバスで行き、浪江町役場前から徒歩で6号線を北上し小高駅まで行ってみた。およそ10kmあるが2時間弱で目的地までたどりついた。

 


もちろん、道路を歩いている者は私以外いない。また、道路から見える範囲に、車に乗っている人以外、見かける率はきわめて低く、2時間弱のあいだで、わずか数名にすぎなかった。一方、ダンプやトラックの数は異様に多く、歩行していて身の危険を感じるほどであった。



徒歩でなければ発見できなかったこととして、低木の街路樹に短冊のようなものが付けられており、そこに、未来の南相馬市について、小中学生や関係者が書いたものが等間隔に、延々と並んでいた。そこを歩く者がほとんどいない今は、この「復興の願い」は誰も受けとめることができない。

 

 

また、除染が各地で行われており、一度行われたところにはピンクの蛍光色のテープがその区画に貼られている。また、目下除染中の場合には、「除染中」と書かれた同じく蛍光色の旗がはためいており、遠くからでもよくわかるようになっている。線量計をみると、この区域の線量はすでに十分に低い。

 

 

途中、小さなアクセントが生じた。身の危険を案じてくれたのか、4キロほど歩いたところでパトロールカーに乗った警官が話しかけてきた。彼ら2名は広島県警より応援に来ており、盗難や不審なことがないか警備にあたっているという。この時期になってもこのあたりを歩いている人はめったにいないため、念のために声をかけたのだそうだ。この地区はまだまだ一が戻るには時間がかかりそうではないか、と私見を述べられていた。

 

 

竜田駅のある楢葉町や原ノ町駅のある南相馬市は、除染、解体、新築といった土木工事にかかわる人たちとその生活を支える商売に従事している人たちで、ある程度の活況があった。しかし、今、避難区域解除を目指す浪江町もそうだが、「住民」と「生活」が戻るには、まだまだ相当の時間を要するか、場合によっては「消滅」もしくは「空洞化」のおそれもあると考えられる。しかもこれは、すでに、現在の放射線量が下がったから安心して戻る、といった類の単純な行動や意志ではないということが、非常に大きな問題であるように思われる。もちろん、行政の側からなしうることを考えれば、どうしても生活インフラ(社会資本)の整備ということになることは、ある程度やむをえない。しかし、それだけで「まち」が再生するのかどうか、それは、非常に難しい。今後も被災地、とりわけ原発事故の影響を受けた帰還困難区域の様子を見守っていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年2月に、宮城県南部から福島県北部にかけて、JRに乗って各駅の近辺の状況を見て回った。そのときの様子を以下、簡単に記しておく。

およそ6年間の時間が過ぎて、津波被害による各駅周辺の復興は、まだまだ遅々たる歩みではあるものの、それぞれのやり方で着実に進められている。

 

仙石線、石巻線を通ってみて実感したのは、景観としては、堤防の高さ、ならびに、その建造の進捗というものが、各地域の比較の尺度とならざるをえなくなっていることであった。宮城県では特に、仙台市から南方、山本町に至る部分については堤防の建造が順調に進んでいるが、北部についてはまだまだこれからである。一方で、そのなかでも女川町のように堤防に依存しない復興計画を提示している地域もある。複雑な地形をもち、歴史や風土、文化も異なる各地域において、単純に同じ尺度で復興状況を把握することは、あまり意味を持たず、むしろ、それぞれの独自性がどこにあるのかを見極めていくことが今後も必要であると痛感した。

 

 

1 宮城県の被災地と防潮堤
 

仙台駅~福田町駅
仙台市は、仙台駅および中心市街地はかなり海岸から離れているため、大きな影響はなかったとはいえ海岸から内陸にかけて広範にわたって平野が広がっていることもあり、津波の被害は、浸水範囲内の人口が約3万人、死者691名・行方不明者180名を数え、宮城県内でも被害の大きな地域の一つである。

仙石線は仙台市を東に進む。仙台駅から陸前原ノ町駅までは地下を走り、その後地上に出て高架となる。
 

梅田川を渡って小鶴新田駅あたりまでは仙台への新規の通勤・通学圏であり、乗客の乗り降りが多い。海岸側は遠方まで浸水した地域が広がっているが、路線上からはかなり離れており、状況を伺うことはできない。
 

福田町駅~陸前浜田駅
福田町駅から七北田川駅を渡って、陸前高砂駅へとさらに東進する。このあたりは古くからの住宅街である。内陸に入っていることもあり、物的被害は比較的軽微である。

ここから線路は北東に進む。中野栄駅からは駅付近が浸水区域となる。もちろん現在の駅は完全に復旧されている。中野栄駅を過ぎると砂押川を渡って多賀城駅だが、こちらも浸水区域に含まれているが、同様に駅は何事もなかったかのようである。多賀城市は遡ると貞観(869年)に津波被害があっただけで明治も昭和も被害がなかったが、今回は、名前の由来がそこにありそうな砂押川から水が登ってきて市の海側では大きな被害(津波4m、死者220名)があった。

ここから線路は北に向かい、浸水していない下馬駅に至る。さらに西塩釜駅に入ると再び津波のよる浸水エリアに入る。海岸に近い本塩釜駅は大半の商店街の1階部分が浸水したところである。東塩釜駅もほぼ同様で、駅近辺に浸水があった。右手の海岸沿いには新しい白い防潮堤が延々と続きはじめる。

ここから線路は再び北上し、海岸から離れたところを通る。そのため、被害の多い場所からは遠ざかる。続く、陸前浜田駅は海岸に近いが、大きな被害はなかった。
 

観光地としての松島
更に北上すると松島海岸駅に至る。松島市は最大5m以上の津波があり、浸水深も2メートル以上となり、その後の沈下も60センチメートルほどあった場所さえある。にもかかわらず人的被害は少なかった。また、景観の美しさも大半は損なわれずに済み、実際、この日も平日であったにもかかわらず多くの外国人観光客で賑わっていた。他方で、海岸沿いには新たに1メートル程度の防潮堤がつくられていた。
続いて、高城町駅、手樽駅もかなり海岸に近い駅であるが、このあたりの被害は比較的軽微であった。さらに本当に海岸線に近い駅、陸前富山駅、陸前大塚駅が続く。同時に、防潮堤も延々と続く。

 

東松島市
ここから先は、震災後に高台に線路が移転しているところを通る。東名駅、野蒜駅、そして成瀬川を渡って、陸前小野駅までがそうである。

 

野蒜駅は海岸から500m以上離れているが、津波の高さは10m、この地区の犠牲者は300人以上にのぼる。当時、走行していた電車は緊急停止し乗客が避難した後、水に飲まれ、車両はねじ曲がって押し流された。駅も新たにつくられた。
 

仙石線移設計画の概要
(http://www.kajima.co.jp/tech/c_great_east_japan_earthquake/deconstruction/deconstruction04/index.htmlより)


このあたりには災害後に建てられた公営住宅が並んでいる。このあたりからは東松島市で、鹿妻も含めて、内路を進み、石巻駅に至る。
 

石巻と石ノ森章太郎
石巻市では過去の津波被害がなかったこともあり、防潮堤は低くつくられており、6-7mの津波が襲った結果、死者・行方不明者数は3,972名にのぼった。

駅から石ノ森漫画館よりも南方にある門脇町、さらに南の南浜町に被害が集中した。石ノ森の生誕地は石巻よりも危殆にある登米市であるが、少年の頃に石巻の中瀬地区にあった映画館に足繁く通った縁から、ここに記念館を建てるとともに、キャラクターを全面的に使用することを認めた。そのため、駅に降りると、アニメキャラクターがあちこちに使用されている。ちらしも英語版、中国語版も用意されており、インバウンド効果も期待されているようであるが、この日は(私も含めて)1人の中年男性の姿はあったものの、特に外国人旅行者は目立たなかった。

 

石巻線
ここから先は石巻線に乗換、旧北上川を越える。陸前稲井駅、渡波駅、万石浦駅、沢田駅、浦宿駅、女川駅と続く。石巻線は「3.11」後、全線不通となった。このうち、小牛田駅から前谷地駅については、2011年4月に運転再開、前谷地駅から石巻駅については、2011年5月に運転再開。2012年3月には石巻駅から渡波駅まで運転再開、2013年3月、渡波駅から浦宿駅間が運転再開している。

 

女川
女川駅は「3.11」で駅舎が流され、4年経って2015年3月に再開した。温泉を併設しており、奇妙な空間となっている。裏手は小高くなっているが、途中まで、津波の傷跡があったことが伺える。そして、そこから海岸まではゆるやかな下りで、津波で大半が流されたあと、再開発が行われている。駅からすぐのところは仮設ではなく、しっかりとしたショッピングモールのようになっており、住民のためのふれあいホールのような施設もある。しかも建物の外側には軽やかなジャズがBGMで流れる一方、施設内の食堂等に入ると演歌がこぶしをあげているといったサウンドスケープ的にはあまり配慮がなされていない点が気になった。また、この施設のさらに海岸線に近いところはまだ工事中であり、ダンプなどの大型車が次々と走っており、煙が舞い、決して快適な観光空間ではなかった。しかしこれも復旧時の宿命である。以前はさまざまな建物があり、住居もあったようであるが、このあたり一帯は商用空間として完全に位置づけを変えている。

 

女川は過去に日本を襲った津波の被害はそれほど大きくなかった(例えば明治や昭和の多津波はいずれも死者1名のみ)にもかかわらず(というか、そうした歴史もあったこともあり)、「3.11」では非常に大きな被害を受けた。死者・行方不明者数は873人で人口の8.7%と、自治体のなかでもっとも高い比率となっている。ここは他の自治体とは大きく異なり、防潮堤をつくらないことを決め(ただし、海面から4メートルの防波堤や、商用空間と水産空間とのあいだに、4メートルの高さで国道を通す)、「3.11」で女川に押し寄せた津波の高さ18メートル以上のところを居住空間とする一方で、役場、学校、商用施設などを中間地帯に配置し、さらに海岸に近い低地は水産加工工場や漁業関連施設が置かれる。正直に言えば施設や商業空間の「箱モノ」としての作り方は特に工夫が見られるとは言い難い。だが、駅から海岸に広がる緩やかな下り坂は、空間としては情緒あるものとなっていると言える。少なくとも高い防潮堤によって海へのルートが遮られていないという点については、単なる美的観点のみならず、「まち」としての津波被害に対する強い決意や意志を感じずにはおれない。いくら高い防潮堤をつくったとしても50年に1度くらいは防ぎようがない被害がこれまでの歴史では起こりえたことを受け止めつつも、起こったときは、人命を尊重するものの、商業・工業などの経済関連の施設については半ばあきらめるという態度は、女川が今後歴史を刻む中で次第に大きな価値を生み出してゆくように思われる。

名取から以北
(今回は省略)

 

 

 

読んだ本

物語を旅するひとびと コンテンツ・ツーリズムとは何か

増淵敏之

彩流社
2010.04

1957年北海道生まれ。札幌旭丘高校卒業。東京大学大学院総合文化研究科修了。テレビ、ラジオ番組、音楽コンテンツ制作等に従事した後、研究活動を開始。法政大学大学院政策創造研究科教授。北海道マンガ研究会代表。

 

ひとこと感想
コンテンツツーリズムは、アニメや漫画作品に登場する舞台や光景、お店、神社仏閣などをその愛読者が現地に赴いてその物語を追体験する行動様式を代表例とするが、本書では、テレビドラマや小説、楽曲を多くとりあげているところに特徴がある。

いろいろな切り口があるなかで、重要なのは、「目的」である。本作では海外からの観光客の呼び込みよりも、「地域内でのアイデンティティ共有のシステム構築」(200ページ)を大前提として考えている。

 

このことはもちろん、大切なことだ。

 

だが、するとどうしても「ツーリズム」という概念が足かせになってくるように思う。すなわち、単に人の出入りや出会いというだけではなく、その地域や都市の活性化、再生、復興といった視点があくまでも基本であることを見失わないようにしなければならず、そのなかで「ツーリズム」がどういった意味をもつのかを考察することは、本格的な地域創生論を展開することになるからだ。

 

もちろん、観光客が増え、経済活動が活発になることは、その大事な指標となるものであるが、それが長期的に継続され(サステイナブル)、地域にとっての意味(いわゆる「内発的発展」)が実現されてはじめて、コンテンツツーリズムは意味あるものとなるとすれば、どういったコミュニティが理想であるのか、どういったコミュニティを志向するのか、といった議論がどうしても必要になってくるだろう。
 

 

 

目次      
第1章 コンテンツ・ツーリズムとは何か?

第2章 コンテンツ・ツーリズムの歴史
第3章 『北の国から』の魅力

第4章 大河ドラマの魅力

第5章 韓流ドラマ『冬のソナタ』の魅力

第6章 「水木しげるロード」ができた理由

第7章 『らき☆すた』の魅力

第8章 司馬遼太郎と藤沢周平

第9章 コンテンツがつくるイメージ

第10章 ご当地ソングのツーリズム

第11章 吉田修一を歩く
     

「聖地巡礼」―映画やドラマのロケ地、マンガやアニメの原作地には観光客が集まる。コンテンツを通して醸成された地域固有の“物語性”“テーマ性”を観光資源として活用すること。それがコンテンツ・ツーリズムの根幹なのだ。新たな「観光資源」の創出。

 

 

 

 

浪江やきそばと、由利本荘(秋田)のハムフライ

読んだ本
世界はゴ冗談
筒井康隆
新潮社
2015.04

 

***


ペニスに命中

初出 新潮

2014年1月号

 

「さっきから何度も何度も『廃炉にせよ』『廃炉にせよ』とスローガンめいたことをわめき続けておる」(26ページ)

 

不在

新潮

2012年3月号

 

「災害時の事故以来、病院のベッドで寝たきりになっていた・・・」(73ページ)

 

教授の戦利品
アニメ的リアリズム
小説に関する夢十一夜
三字熟語の奇
世界はゴ冗談

 

奔馬菌

新潮

2014年6月号

 

「そもそも日本という国は今、福島の原発事故によって大きな胃の病に冒されている。…いかに真剣に原発事故のことを考えようとしたところで、ともすれば荒唐無稽なファンタジイに逃避してしまうのが落ちであろう。…この事故はあと何十年も何百年も、それどころか何万年も何十万年も尾を引いて後世に及ぶ。」(172-173ページ)

 

メタパラの七・五人

新潮 112
2015年3月号
 

附・ウクライナ幻想

文學界

2014年11月号

 

「しかし今思えば、ぼくはどうやらチェルノブイリのすぐ近くまで来ていたようだ。チェルノブイリはこのときまだ着工されたばかりで・・・」(231ページ)

 

 

世界はゴ冗談 世界はゴ冗談
 
Amazon

 

 

石巻駅

読んだ本

アニメ・マンガで地域振興 まちのファンを生むコンテンツツーリズム開発法
山村高淑
東京法令出版
2011.04
 

東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。北海道大学観光学高等研究センター准教授。第7回文化遺産保護に関する欧州委員会会議国際学術委員、観光庁「アニメコンテンツを活用したインバウンド振興等に関する意見交換会」座長、埼玉県アニメツーリズム検討委員会座長等を歴任。

 

本書によれば「コンテンツ」とは「その地域に付与されている物語性」(1ページ)である。

 

そして「アニメツーリズム」とは「アニメやマンガ等がコンテンツを付与し、こうした作品と地域がコンテンツを共有することによって生み出される観光のこと」(6ページ)としている。特に埼玉県が精力的に進めており、早いものでは「2009年6月に埼玉県産業労働観光課地域資源。フィルムコミッション担当が事務となって組織された「埼玉県アニメツーリズム検討委員会」」(6ページ)がある。

 

なお「ツーリズム」は本書では、「観光」が「光を観たり、見せたり」に対して、「新たな、より広い意義と価値を、人の移動と交流に込めたいという意図」(6ページ)で用いるとしている。

長期的な成功事例として鳥取県境港市の「水木しげるロード」をとりあげている。

 

端的に、神社や寺、遺跡といったようなものをめぐることよりも、自分たちになじみのある作品の背景や舞台がある場所に訪れる、というほうがより楽しみがあるに違いない。

 

かつては役場や商工会、商店街の人たちなどがそうした世代ではなかったものの、そろそろ抵抗感なくサブカルとかかわっているから、こうした取り組みが可能となっているのであろう。

 

そしてこうした取り組みを行うことを「デザイン」と呼ぶとすれば、以下のことが実際的な行いということになる。

 

「様々な主体が、自己実現を目指したり、持っている資源をより豊かにしたりすることができる仕組みを作っていくこと」(60ページ)

 

具体的には、主体とは、大きく3つに分かれ、地域、製作者、ファン(旅行者)である。

 

この三者にはそれぞれ別のニーズと課題がある。地域はその土地の固有性を生かしつつも、新たな客を招き入れる努力をしなければならないし、製作者はこれまでのマスメディアだけを使うのではなく、多角的なビジネス展開をしなければならない。また、ファンはインターネットの情報に飽き足らず、直接的な体験を求め始めている。

 

もし実際に、行政や民間などがアニメツーリズムを実施していくにあたっては、以下のようなステップをふむことが望ましいようだ。

 

1 ファンの動向をつかむ

2 ファンと良好な関係を築く

3 製作者と連携する

4 地域・組織内の調整を行う

5 グッズ製作やイベントの企画を行う

 

「コンテンツ」とは上記のように「物語性」という言い方がなされている。逆にこれまでの「ツーリズム」が「モノ」(文化遺産、景観)に焦点をあてていたが、これを「コト」へと拡張しようという動きがコンテンツツーリズムである、という言い方もできる。

 

しかし本書ではここにとどめずに、次のように定義を行っている。

 

「コンテンツは、人と人の間、あるいは人とある対象の間で共有され、感情的な繋がり(emotional linkage)を生む」(172ページ)

 

「「感情的な繋がり」を創り出すことこそがツーリズムの本義である」(172ページ)

 

ここから「コンテンツツーリズム」の定義をつくりだしている。

 

「地域やある場所がメディアになり、そこに付与されたコンテンツ(物語性)を、人々が現地で五感を通して感じること。そして人と人の間、人とある対象の間でコンテンツを共有することで、感情的繋がりを創り出すこと」(172-173ページ)

 

 

 


第1部 理論編―アニメ・マンガでまちおこしができるのか?
アニメ関連まちおこしの現状

21世紀の観光コンテンツを考える―観光をめぐる新たな潮流

観光まちづくりとしてのアニメツーリズム―その考え方と戦略

 

第2部 実践編―アニメツーリズムのはじめ方

ファンの動向をつかむ―関係性構築の第一歩はファンの動向把握から

ファンと良好な関係を築く―ファンの心理を知る

製作者との連携―製作者とのコンタクト、共同作業の開始

地域・組織内の調整―「民」の力を大きく活かそう

グッズ製作・イベント企画―グッズは「よりしろ」、イベントは「まつり」

 

第3部 展望編―作品ファンからまちのファンへ

改めてコンテンツツーリズム、アニメツーリズムとは

「コンテンツのファン」から「地域のファン」にする方法

著作権との付き合い方



内容      
アニメ・マンガでまちおこしができるのか。なぜ今アニメツーリズムなのかといった理論と、事例から学ぶ実践の両面をカバー。ファンや商店主、アニメ会社、自治体担当者、商工会など関係者の生の声を多数掲載。