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核の言説史 公開中 
私たちは、原爆と原発という二つの巨大な存在を前にして戦後がはじまり、今に至る世界を生きている。哲学、物理学、評論はもとより、文学、芸術、映画、コミック、楽曲、芝居など、さまざまな表現において「核」の歴史は刻まれている。この厚みを解き明かすことによって、これから私たちが「核」とどうかかわって生きてゆくのかを探るべく、言説史をまとめている。

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【新訂版】
1945年  1946年  


核の言説データベース~原爆と原発と


はてなブログにて、1記事1文献でデータベースを作成中。
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2014-08-30 21:27:00

原爆の火と「忘れがたき炎」(U2)

テーマ:原発・原爆・放射線・3.11
聴いた曲
焔 The Unforgettable Fire
U2 (アイルランド)
楽曲・アルバムのタイトル
1994年10月

ひとこと感想
聴けば聴くほど、いろいろと考えさせられる歌詞。ただ、本当のところはよく分からない。ただ、エピソードから類推すると、やはり、原爆被害の光景が曲から浮かび上がってくる。

***

U2の4枚目のアルバム The Unforgettable Fireの4曲目。

Wikipediaによれば、このタイトルは、シカゴにある「平和博物館」で見た、被爆者たちが描いた絵画に衝撃を受けたことから、同じ題名をつけた曲をつくり、アルバムのタイトルにもしたという。

この博物館は、芸術家のマーク・ロゴビンが1974年に原案を思いつき、多くの人の協力で
1981年に設立。

たとえば、スティービー・ワンダーやオノ・ヨーコ、ピート・シガーなど、ミュージシャン、アーティストが参加している。

キング牧師の写真、ジョーン・バイエズの詩、ジョン・レノンのギターなどを収めていた。

1982年7月にはロゴビンは広島を
訪れ、「被爆者が描いた「原爆の絵」の原画50点を選ぶ。8月6日から約4カ月間展示へ 」(ヒロシマ平和メディアセンターより)。

「原爆の絵」は、正確には
「市民が描いた原爆の絵」であり、1974,75年に収集されたものである。

「50枚」がどの作品なのかは定かではないが、「平和データベース」で「炎」で検索してみると、300点以上もの作品が抽出される。

ボノたちが観たのは、この作品群であろうと推測される。

「アンフォーゲッタブル・ファイアー」を邦題は一文字で「焔」としているが、私は「忘れがたき炎」とした。

この「平和博物館」は、長期にわたって運営に苦しみ、運営責任者を変えたり、移転などを試みるが、抜本的な解決にならず、残念なことに現在では、閉鎖されている。

***

歌詞は、ちょっと私には難しすぎて、うまく理解できないが、どことなく悲しげで、切ない。

ただ、何らかの「別れ」をうたっていることは、確かだ。

これを恋愛の一光景(別れの場面)として聞くこともできるかもしれない。

しかし、ひとたびこの曲が、「ヒロシマ」「ナガサキ」とかかわりあうことを知ると、その「意味合い」が一変しそうである。

とりわけ、以下のところが、印象深い。

ウォークオンバイ、ウォークオンスルー、ウォークティルユーラン、アンド、ドントルックバック、フォー ヒアアイアム(こう書いても、著作権法にふれるのだろうか?)

「ユー」が誰なのかは、よく分からないが、少なくとも「自分」にとって大切な人で、その人が最初は自分のそば
(=バイ)歩き、それから、自分から離れて(スルー)、そしてさらに、自分はここにとどまるが、振り向かずに相手を走らせる、といったプロセスは、とても生々しい光景を思い描いてしまう。

また、全体に「哀切」感がただようのは、以下のような語彙が最初から並ぶからである。

凍てついた
冷えた水が
流れる
金銀に光る街灯
夜の帳に現れる
炭のように黒い眼差し

これが、2番になると、逆に派手な光景が対置される。これは「ヒロシマ」「ナガサキ」から離れて、自分の置かれている状況を語っているのかもしれない

カーニバル
車輪が跳ね、極彩色が駆け回る
酒に溺れ
皮膚を突き刺す
赤ワイン
側にいるのに
カラカラと、干からびた土地にいるようだ

一緒に歩いてきたが
私を置いて歩いてくれ
あまりにも酷くて
愛にしがみつくこともできない

こうした、二つの「光景」を並べながら、以下では、いずれにもつながるような内容になっているようであるが、私には、さらに、「3.11」の情景が浮かびあがってきて、しかたがない。

そばにいてくれ
今は
嘘でもいいから
今夜そばに
もう望むべくもないが
分かってほしい
どうか、連れていってほしい
あのまちへ
ふるさとへ、もう一度

山なみが崩れ落ち、海の藻屑となろうとも、
涙は見せない
泣いてなんかいない

そばにいてくれ
今は
嘘でもいいから
きっとずっと
変わらない愛がある
もしそう信じているなら
すべて大丈夫さ

・・・と進み、最後が、ドントプッシュトゥーファー、ドントプッシュトゥーファー、トゥナイト、トゥナイト、となる。

いろいろと理解の仕方がありそうであるが、私は、このように、アンフォーゲッタブル・ファイアーを聴いた。


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2014-08-29 22:42:00

原発を支える技術的理性への批判――「3.11」後の技術と人間(杉田聡)、を読む

テーマ:原発・原爆・放射線・3.11
読んだ本
「3.11」後の技術と人間 技術的理性への問い
杉田聡
世界思想社
2014年3月

ひとこと感想

原発を特別なものとして考えず、自動車と同様に、功利的で利己的な「技術的理性」によって支えられた技術ととらえ、これに対して人格主義的な非技術的理性を育てることを訴える。

杉田聡(SUGITA Satoshi, 1953-  )は、埼玉生まれの哲学研究者。帯広畜産大学教授。

***

東電が悪い、政府が悪い、御用学者が悪い、とあれこれ言われても結局のところ「責任」や「原因」がつきつめられないまま、「事故」だから仕方がないとでも言いたげに、忘却されようとする風潮がある。

杉田はこうした流れに抗い、問題の核心を突きとめようとする。

その核心に置かれたのが、「技術的理性」という概念である。

この「技術的理性」という概念は、ホルクハイマーの「道具的理性」とは異なる文脈で使用している、と杉田は断り書きを入れている。

着想はむしろ、カントの「技術的=実践的理性」から得た、と述べている(9ページ)。

それはさておき、危険な技術は何も原発だけではなく、自動車がもっとも顕著な日常化した危険技術だと著者はみなし、自動車を受け入れている社会がそうした「技術的理性」に支えられている以上、原発も受け入れられてきたのだ、と考えている。

逆に言えば、自動車も含めて「技術的理性」に対してどのような「新たな理性」を提示してゆけるか(すなわち、対抗してゆけるか)が、とても大事なところだということになる。


ところで、なぜ自動車か。

「それは、市民が日常的に手にしうる技術のうち、ほとんど唯一と言ってよいほど、利用者の住まいの外部で用いられ、しかも他者にきわめて大きな負荷を与える技術だからである。」(7ページ)

なお、ここで言われている「技術理性」は、「科学技術」のみならず、「政治技術」を含むことに注意しよう。

組み立てられた可視的な「モノ」と、その「モノ」が社会のなかでどういったふるまいをしているのかといった両面を含めて「技術」と呼んでいるのである。

本書では、この技術的理性の特質が、7点、挙げられる(1章)。

これらが、「3.11」原発事故にどう関係しているのかを説明し(2章)、最後に、技術的理性を超える可能性が探られる(3章)。

***

技術的理性の7つの特質

1)目的と適合性

技術的理性は、目的に対する手段の発見に関心をもつ。手段の「善さ」は問われず、効率性などの理由で選ばれる。

「原発は電力獲得にとって最も効率的な手段であるとして、それがもたらしうる帰結の是非を問わない。」(19ページ)

つまり原発は、電力獲得が「目的」であるはずだが、実際には原発が「最も効率的」とはなっていない。

むしろ別の目的があり、たとえば己の権力の獲得のためであったり、最も儲かるからであったり、最先端の技術であるという理由からであったりするが、杉田はそのうち、特に「権力獲得」が最大の目的となっていると考える。

この「権力獲得」のために1)電力資本の経営者と技術者、2)官僚、3)政治家、4)科学者、5)メディア関係者、の
「権力ペンタゴン」が形成されているということになる。

2)自然の支配

技術的理性は、生きものや環境を含めた「自然」を、「有用性」の見地からとらえ、技術を通して支配・制御することができると過信する。全能感。

しかし現実には、地震や津波の発生についても予防できないし、原発も事故が起こると容易に制御ができないことを、まざまざと見せつけられた。

とりわけ「核分裂」の制御を十分に果たすには、まだ、あまりにも私たちは知識も経験も浅いはずなのだが、それでいながら、一度使えると思ったものは、そのリスクを後回しにして、ともかく使ってみるというきわめて楽観的な態度がここには見られる。

しかも、こうした原発が、よりによって地震や津波が多い国にあるということ自体、私たちの間違った「全能感」ではないだろうか。

3)人間の支配

技術的理性は、「人間」に対しても「自然」と同じようにとらえ、「人間」に対しては「政治技術」(杉田はこれを「ポリテクニック」という造語をあてている)によって支配・統治できるという前提をもつ。

とりわけ、官僚制と資本という二つの技術が活用され、その両面から、本来の意味での人間(つまり、あるということ、意思をもつということ)に対して無関心となる傾向にある。

ここでの事例は直接「人間の支配」とは結びつかないかもしれないが、原発事故に対して、人間ができることは、もっとあったのではないか、ということである。

もちろん、原発事故は数が少なく、先例や経験の蓄積がきわめて少ない。

だが逆に言えば、少ないからこそ、私たちはチェルノブイリやスリーマイル、さらに言えば、東海村臨界事故などから、多くを学ばねばならないのである。

しかも、もう少し小規模な事故であれば、幾度となく起こってきたにもかかわらずそうした経験が生かされていないように見える(つまり、少なくとも外部には伝わりにくく、秘密主義に陥りやすい)のは、原発技術の安全性を一方でアピールしてきてしまったからではなかったのか。

事故は起こらない、安全だ、ということをマスメディアや直接的な広報(というより宣伝、プロパガンダ)を通じて訴えてきたことが、悪循環を生みだしているようである。

また、「人間の支配」という意味では、原発を稼働させ、事故を起こし、安定させ、廃炉にする過程において、あまりにも過酷な労働が行われている、ということも指摘しておかねばならない。

4)技術信仰・技術万能主義

科学者や技術者、言うなれば「専門家」が技術に対して絶対的な信頼を置いているだけでなく、一般市民もまた、原発による電気を利用しているかぎりは、同じような意識を共有している。

ただし、「真」の意味での技術主義は、失敗やトラブル、事故などがひとたび起これば、その原因を徹底的に追求し、少なくとも技術的には二度と起こらないような対策を行ってゆくところであるが、なぜか原発は、事故を隠蔽することが、ある種の本質となっている。

杉田も驚いているように、原発においては、技術的理性さえも、通用していない、という可能性も考えてみなくてはならない。

また、原発事故が通常の事故と、致命的に異なるのは、通常の事故の大半が、起こってしまったあとは、収束させるのが容易であるのに比して、原発事故が、むしろ、収束そのものが困難をきわめるということである。

「停める、冷やす、閉じ込める」という三原則は、確かに誰にでも理解できるが、理解できても、そのときの原発の状態が正確に把握できなければ対応もままならないというのは、すなわち、私たちは、原発をまったく制御できていないということである。

このことに、もっと真摯に向き合わねばならない。

5)価値中立性への妄信

技術的理性は、ある「技術」に何か問題が起これば、それは「技術」の欠陥のためであって、それにかかわった「人間」に責任はない、という考えを生みだしている。

技術自体に価値観や政治性が内包されているという見解をもとうとしない傾向にある結果、権威主義、集権・半民主主義、秘密主義が幅を利かす。


ここで、恐ろしいことが起こる。

私たち(市民)の生命が軽視されることである。

しかもここには、いくつかの層に分かれており、一見何のことかわかりにくくさせている。

大雑把に言えばう4つのごまかしがある。

現場で働く作業員のことを、はじめから考慮しているようには思えないこと、そして、原発をあえて人口が集中していないところに立地すること、第三に、立地した地域の周辺さえも事故が起これば影響があるのに、まったく考慮に入れられていないこと、さらに、世界中に放射能を撒き散らしても、明確な責任が問われないと思い込んでいること、である。

6)数量的世界と計算可能性

技術的理性は、世界を数量的表現で理解することで、数量化できないものを見ようとしなくなる。

そして、科学的データに不当に固執し、それ以外の可能性などを除外し「想定外」という一言で片づけてしまう。

たとえば、津波への対応は「5.7メートル」でいい、と決めつけたのは何故だったのか。

これまでのデータに基づいて決めた、という言葉は、一見、きちんと考えた末のもののように聞こえるが、貞観地震や慶長三陸津波、明治三陸津波、昭和三陸津波が、科学的に数値化できないという理由で「データ」から外されている。

また、リスク評価を確率論的に行うことも、安全神話を支えるのに役立っただけで、たとえ「万が一」にでも起こったときに、どういう対応をすればよいのか、といった対策が軽視され、「何もしない」「何も考えない」ことを推奨することにしかならなかった。

7)行為の射程・帰結への無関心

技術的理性は、技術的改良や発明の影響の拡大に対して、ほとんど関心を寄せない。

唖然とするのは、10万年も先まで統御しなければならないようなものを生みだすことに、無頓着であることだ。

私たちは常にどういう判断を下すかといえば、自分が責任をもてるかどうかではないだろうか。

語弊があるかもしれないが、自分で責任をとれるならば、ある程度のことは、無茶をしても許容されることもある。

しかし私たちは、20世紀に入ってから、そういった「責任」を問うことをやめてしまっているように、私には思える。



以上、杉田によって挙げられた7点の特質は、素晴らしくよくまとまったものであり、技術的理性がどういうものであるのかが、よく理解できる。


***

それでは、こうした技術的理性をよいものとして生きているこの時代から脱却するには(または、次の可能性をつくりだすには)、どういったことが必要であろうか。

これを杉田は「技術に関する規範理論」(147ページ)と呼び、第一に行為の倫理性の問題、第二に、法・制度の問題とする。

技術に対する「規範」について、言いかえれば「正義」(正しさ)について、杉田は、どういう提示をしているのか、そのまま引用する。

技術(の成果)の使用は、もしそれが他者の人権を侵害する現実の可能性がある場合には、個人によるものであれ集団によるものであれ、他者の合意をえないかぎり、かつ人権侵害を防止する手立てがとられないかぎり、合理化されない/正しくない。」(149ページ)

杉田はここでは「人間」の問題に限定しているため「人権」という言葉を使っているが、「生きもの」全体に対する顧慮ももちろん前提となっていることを書き添えておく。

「人権侵害」のなかでも、特に、「生命に対する危害」がもっとも問題にされなければならない、と杉田は考える。

もっと言えば、
「生命に対する危害」とは、自らに対する危害ではなく、「他者」に対して加えられる危害、である。

この「他者」のなかに、子どもや、未来に生きる人たち、が含まれている。

また、杉田はこの「
他者の人権を侵害する」という部分を「他者の健康を害する」と読み替えてもいる。

これは、言うなれば「死者」の数ばかりを気にする論客に対して、死に至らずとも、「健康」を害することを問題視すべきだということか。

さらに、
他者の人権を侵害する」は、「他者の固有の権利を侵害する」とも、言い換えられる。

これは「人権」というものが、誰に対しても共通の権利であるの対し、それ以外にモ顧慮しなければならない「権利」があるからである。

たとえば、子どもが野外や公園で遊ぶ権利。これは、今までそれほど重視される機会はなかったが、3.11以後、重大な「権利」であると認識されるに至ったものである。

続いて、「
現実の可能性」と言っているのは、実際に起こったことだけではなく、起こりうることにも適用しようとしているからであるが、これをどうやって決められるのか、難しい問題を含んでいるように思われる。

たとえば杉田は、次のように述べる。

「技術(の成果)の使用は、もしそれが他者に危害を及ぼさないような手立てがとられたとしても、危害をさけるための不当な心労・負担・出費を他者に強いる場合には、合理化されない/正しくない。」(155ページ)

「不当に」という例として、関東圏の電力を供給する東電の原発が福島県にある場合、福島県民に与えてきた不安と心労を挙げている。

***

上記の記述が、「~するな」という、ある種の制限、制約を訴えているが、さらに、積極的に「~すべき」「~であるべき」という原理をも杉田は提示する。

つまり、科学技術は「人類の幸福を実現する」ことが最終目的であるので、次のように述べられる。

「技術(の成果)の使用は、一部の人に重大な不幸(人権侵害)を決してもたらさずに、人類の幸福を実現するかぎりにおいて合理化できる/正しい。」(161ページ)

ここでは、まず、「最大多数の最大幸福」という功利主義的な考えが批判されている。

「総和」だけでは片付かない、ということだ。

個々の人々がおかれている状況を注視する場合、たとえ「総和」が大きくなろうとも、あまりにもひどい状態にある人がいるのであれば、それは「善い」とは言えない。

とりわけ「総和」は一般的に「日本人」とか「人類」といったカテゴリーで語られるが、そこには常に「社会的弱者」が軽視される傾向にある。

つまり、「人類」という言葉を使うよりは、「社会的弱者」にとって「善い」ものであるべきだ、というのが、積極的な原理となる。

こうした注釈は、理解できる。ただし、次の説明はどうであろうか。

これまで「技術の使用」について述べてきたのだが、ここで、「技術の開発」についてもふれている。

「技術(の成果)の開発は、一部の人に重大な不幸(人権侵害)を決してもたらさずに、人類の幸福を実現する蓋然性が高い場合にのみ合理化できる/正しい。」(165ページ)

要するに杉田は、人類にとって「善」ではない技術は開発すべきではない、と主張しているのである。

まさしく意見が分かれるのは、この点であろう。

原発は世のため人のためとなる、と考えている人がいる一方で、原発は世のためにも人のためにもならない、と考えている人がいる。

いずれかが正しい、と、誰がジャッジできるだろうか。

私に言えるのは、もっと消極的なことである。

「害」となりうる可能性は、できうるかぎり検討し、慎重に対応してゆくべき、ということであって、「合理化できない」「正しくない」という評価づけには、多くの困難を伴いそうである。

***

続いて、技術的理性の変革可能性、について論じられる。

それは、きわめて簡潔である。

非技術主義的な行為を繰り返し行ってゆけば、おのずと、技術的理性は変わりうる、というものだ。

以下、抽象的であるが、冒頭に記された技術的理性の7つの特質と対置されつつ、挙げられている。

1)責任をとること、他者に応答すること

当然ここで言われている「他者」は、社会的弱者、であり、声なき声を聞く、ということになる。

2)自然を共存・相互行為の相手として考えること

ここではハーバーマスの考えが参照されているが、シュヴァイツアーの言う「生命への畏敬」とも近いものであろう。

3)人間を目的とみなし、対話による相互了解を行うこと

ここでは「インフォームド・コンセント」という言葉が用いられているが、これは一人の人間が医療処置を受けるにあたって、医師が納得できる説明を行う義務、として現在一般化している。

杉田は、ここで太陽光発電について、次のように説明している。

「太陽光発電は、原発とまったく逆に、地域的にもまた権力の点でも、分権的な社会関係と調和的であり、かつそれを可能にする発電法である。」(185ページ)

確かに原発と比べれば、そう言いたくもなるが、はたして太陽光発電は、それほど全面的に肯定的にとらえられるのだろうか、もう少しその根拠を本書は説明すべきように思われる。

本書では、原発についても、太陽光発電についても、「技術」としての内実が十分に検討されていないので、これ以上の検討ができないのである。

4)技術による失敗や限界を前提とすること

(ここでは、もう一点、技術への財政配分に関する議論が展開されている。)

5)技術の政治性を極小化、無化すること

現行の技術を正当化せずに、異なる技術の採用を実行するか、もしくは、現行の技術のシステムやデザインを変革する。

6)数値化できない価値を重視すること

とりわけ、人権、もっと言えば社会的弱者へのまなざしが強調され、暮らしを変えることが目指される。

7)遠隔的で不特定の他者に対しても常に配慮すること

これは、私が今まで「遠-他者」として検討してきたものと重なるが、そういう他者に負の影響を与えないようにするのは、そう簡単な話ではない。

「理念」としては、理解できるが、一つひとつの事柄に対する丁寧な検証がもう少しほしいところである。

***

いくつか注文はあるものの、私たちは「核」ならびに「原発」を問うことにあまりに集中しすぎたということを、本書は反省させてくれる。

「原発」を「技術」として冷静にとらえ、自動車などの「技術」と共通した「技術的理性」に支えられてきたという「視点」は、かなり大切なものであると、私は思う。


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2014-08-28 22:51:00

盲導犬の虐待に胸を痛める――心理学者ウィリアム・シュテルンについてのメモ

テーマ:哲学・思想
以下は、あまりにも悲しいニュースをみて、思ったことを、きわめて間接的に考察したものである。

盲導犬を虐待するような者は、決して、許されない。

それ以上のことを言うと、憎しみと悲しみで、どうにかなってしまうので、差し控える。

・・・ほんとうに、辛い。

***

2014年8月29日付記
標題の「胸を痛める」は、通常なら「心を痛める」または「胸が痛い」と言うべきところですが、あまりに動揺していて、こうした言い回しになりました。
ご了承ください。


***

まず、ウィリアム・シュテルンという人物について、説明させてほしい。

ウィリアム・シュテルン
(William Stern、1871.04.29-1938.03.27)は、IQという概念を提唱したことで知られる心理学者である。

ただし、この名前、日本語版ウィキペディアをみると、次のように記述されている。

「正式名Luis William Stern(ルイス・ウィリアム・シュテルン)のファーストネーム"Luis"は初期に"L."と記す以外にはほとんど使わず、親戚からもらった名かもしれないセカンドネーム"William"を個人名として使ったが、ドイツにおいても通常のドイツ語名"Wilhelm"ではなく英語名"William"である。」

この内容に関する典拠かどうか定かではないが、
以下の書籍がウィキペディアの記事における「典拠」として挙げられている。

 大山正・梅本堯夫(編) 心理学史への招待 第11章 個人差と個性の研究 11.3.1 シュテルンの差異心理学と人格主義心理学 Box 11.6 ウィリアム・シュテルン, p171, サイエンス社, 1994

他方、英語版Wikipediaでは、"born Wilhelm Louis Stern"とあり、典拠として、
James T. Lamiell, Beyond Individual and Group Differences: Human Individuality, Scientific Psychology, and William Stern's Critical Personalism, SAGE Publications, 2003.07.が挙げられている。

ちなみにドイツ語版Wikipediaでも、"
geboren als Wilhelm Louis Stern”とある。

つまり、独英版においては、もともとの名前が「ヴィルヘルム(またはウィルヘルム)」であったとされている。

一方、唯一邦訳されたものとして、以下のものがあり、ここでは「
ヰルヤム・シュテルン」とある。

 人格学概論 ヰルヤム・シュテルン 渡辺徹訳 中興館 1931年

この本の原著タイトルは不明だが、少なくとも本書が刊行された1931年には、
ヰルヤムすなわち、「ウィリアム」とされていたことが伺える。

ただし、
ウィキペディアにおけるこの訳者、渡辺徹についての記述には、こうある。

「1912年にドイツの心理学者ヴィルヘルム・シュテルンの人格学を日本に紹介した」(参照: 末永俊郎編『講座心理学 1 歴史と動向』東京大学出版会 1971)

さらに、シュヴァイツアーの「文化と倫理」(Kulture und Ethik, 1923)のなかで、シュテルンが登場するが、ここでも「ヴィルヘルム」となっている。

しかも文献にも、こうある。

 Wilhelm Stern, Grundlegung der Ethik als positiver Wissenschaft, 1897.

これらの情報をまとめてみる。

少なくとも1987年、1912年の時点では「ウィルヘルム」を使っていたが、その後、1920年代前後のどこかのタイミングで「ウィリアム」に変わった、と考えられる。

つまり、日本語版のウィキペディアの記述は完全には正しいとは言えず、一部誤謬が混ざっているということである。

***

それはさておき、ウィリアム(以下では彼のことを「ウィリアム」と表記する)は、一般的に「心理学」者として知られている。

妻クララ(旧姓・ジョセフィー)も心理学者であり、この二人のあいだには、ヒルデ、ギュンター(後にアンダースを名乗る)、エヴァ、という三人の子どもがいるが、この子どもたちを題材に
(=実験材料として)、児童心理学、発達心理学の書籍を何冊か出している。

また、同時代を生きたフロイトやユングとも何度かやりとりがあるが、最終的には、対立的関係となった。

今の学問的な位置づけから言えば、ウィリアムは、いわゆる認知心理学とか児童心理学とか、そういった領域の先駆者の一人としてとらえられるが、その息子の一人、ギュンターの思想をみると、あまりそういった印象をもてない。

むしろ、シュテルン親子は、人間のありようについて、できうるかぎり、微細にとらえようとしたのではないか、と考えられるのである。

それゆえ、ウィリアムは、単なる(というと語弊があるが)、心理学者という枠にとどまらず、哲学者であった、と言うことができる。

***

その証拠に、前述した、シュヴァイツアーの本におけるウィリアムの紹介は、心理学者としてではなく、哲学者として言及している。

 Albert Schweitzer, Kultur und Ethik, Kulturphilosophie Zeiter Teil, 1923.
 文化と倫理(文化哲学 第二部 シュヴァイツアー著作集 第七巻、氷上英廣訳
 白水社 1957年2月

シュヴァイツアーはウィリアムについて、あまり注目されていないが、「倫理の発生学的成立」(251ページ)に関する研究を行っている研究者、ととらえている。

「道徳的なものの本質は、生命へのあらゆる有害な干渉に抵抗することによって、生命を維持しようとする本能である。」(251ページ)

こう書くと、ある個体は、自分の生命を維持することに第一の目的がある以上、利他的ではなく利己的にふるまう、ということになる。

一切の他の「生命」は
「有害な干渉」とみなされるのではないか、と思ってしまう。

ところが、そうではなく、「利己的」であるからこそ、自らの生命を維持したいからこそ、「他者」すなわち他なる生きものの助けを必要とするのである。

これをウィリアムは「協同性」とみなしている。

「他者」とは、必ずしも「敵対」するものではなく、共通の利害をもつこともある。

すなわちここには、俗流的な進化論的思考である「弱肉強食」という概念よりも、一歩ふみこんだ「他者」概念を提起していると考えられる。

個体は、自らの命を維持してゆくために、どうしても、他者の手を借りざるをえない、というものである。

それゆえこれは、ヘーゲルが常に「他者」を「自己」の否定とみなしたような発想とも少し異なる視点を提示している、とも言える。

ヘーゲルの「主と奴との弁証法」は基本的にエゴイズムに端を発する。

相手は、敵対するか、否定することが大前提である。

ちなみにシュヴァイツアーは「共通の利害」について、「自然の暴威」を挙げているが、そればかりではないだろう。

「共同の危難」を前にした場合、それまで敵対していた者どうしも、互いに助け合うことになると考えられており、これが、ヘーゲルのような思考と決定的に異なるところである。

「すべての倫理は、共同経験された生存の脅威の観念によって決定された生の肯定である。」(252ページ)

進化論が協同性を論じるときは、単に同種の生きものの結びつきだけに注目し、結果的に「畜群本能」を説明するばかりである。

だがウィリアムが述べているのは、「同種」ではなく、「あらゆる生きもの」がある種の連帯性をもちうる、ということである。

それゆえ、「倫理」をヘーゲルが「人倫」と述べたような形で、「人間」に固有のもの、とみなすことは、ウィリアムにはない。

「倫理は単に人間のみに固有のものではない。」(252ページ)

その根底は「自己保存の本能」からはじまったことであるとしても、私たち、すなわち、あらゆる生きものは、他者(同じ種にかげらず、他の生きものもすべて含む)のために何かをする、ということを本質とする。

言いかえれば、本当に必要とならないかぎり、「他者(しつこく書くが他の生命を含む)に危害を加えてはならない」というのが、あらゆる生きものの「掟」なのである。

同時代の多くの哲学者が、「人間」にとっての「倫理」を考察したにとどまっていたなかで、ウィリアムは、「生きもの」としての「倫理」にまで考えを進めていた点が、大きく異なる。

ウィリアムが積極的な意味で、こうしたことを述べているのに対して、消極的(受動的)な意味で論じたのがショーペンハウアーだったと、シュヴァイツアーはみなしている。

***

ところでシュヴァイツアーにとっては、二つの倫理の併存が、基本である。

1)自己完成
2)献身

1)については、カント、フィヒテ、ニーチェが能動的な自己完成の倫理を展開した、とみなしている。

古くは、ゾロアスター、ユダヤの預言者、楊子などの中国の思想家などもこの系譜に連なる。

また、インド哲学とショーペンハウアーは「受動性」を前提とした自己完成の倫理もまた、評価する。

***

はっきりとシュヴァイツアーは、「動物実験」について、次のように述べている。

「動物に手術あるいは薬物を試み、あるいは病毒を接種して、その得た結果によって人間に救いをもたらそうとする人々は、かれらの残酷行為が価値ある目的を追求するということで、全般的に安心することは決して許されない。人類のためにかかる犠牲を一動物に課するという必然性が果たしてあるかどうかを、個々のケースについて、考慮した上でなければならぬ。」(323ページ)

もちろん、盲導犬に対する虐待は、この動物実験」以上に、その人間の単なるエゴに基づいているだけに、まったく情状酌量の余地はない。

ほんとうに、悲しむべきことだ。


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2014-08-27 21:43:00

現代における平和の問題(A・シュヴァイツアー)を読む

テーマ:原発・原爆・放射線・3.11
読んだ講演録
現代における平和の問題
ノーベル平和賞にさいして講演 1954年11月4日、オスロ―にて
アルベルト・シュヴァイツアー
手塚富雄訳

所収
シュヴァイツアー著作集 第6巻
白水社
1957年7月

Das Problem des Friedens in der heutigen Welt
Albert Schweitzer
1955

ひとこと感想
順番がひっくり返ったが、2日前に書いたシュヴァイツアーの三つの理念のうち、最初の「平和」に焦点をあてた講演。とても真っ当な考えでほっとする。それにしてもなぜ、シュヴァイツアーの評価がこれほどまでに低いのだろう。

***

エリザベス・アンスコム、トーマス・ネーゲル、ジョン・ロールズといった英米の20世紀哲学者たちは、原爆投下が道徳的に「悪」であるという議論を行っている。

その前提として、彼らは、その無差別な大量殺戮を挙げている。

もう少し正確に言えば、非戦闘員を多く含む地域への攻撃は、道徳的に「悪」である、ということになる。

すなわち、ヒロシマ、ナガサキのみならず、それ以前の各地に対して行われた焼夷弾による空爆も、同じ次元で非難される。

それに対してシュヴァイツアーは、異なる見方をしている。

まず、この「非戦闘員」への攻撃についてであるが、アンスコムらの議論では、特にその「起源」が述べられず、ある種の永遠性、普遍性をもった道徳原理とみなされている。

私たちはこの「原理」「原則」すなわち、非戦闘員に攻撃を加えてはならない、負傷者は手当てをしなければならない、手当てをする人たちを攻撃してはならない、捕虜を人道的に扱う、といった考え方が、どこに由来するのかを確かめておかねばならない。

それは、1864年のジュネーヴ条約にさかのぼる。

赤十字の尽力により、国際的な取り決めがつくられた。

まず最初は、怪我人や病人には手当てをすること、捕虜は人道的に扱うこと、そして「非戦闘員」(civilian persons)にも十分の配慮が行われること、これらについてのConventionである。

この流れはその後も改良が重ねられ、現在も世界中で受け入れられている(一部の国では、コンベンション、プロトコルの一部を受け入れていない場合もある)。

これに対してシュヴァイツアーは、次のように評価している。

「それらによって重大な進歩が達成され、それにつづいた諸戦争において何十万の人々が益をうけることになったのであります。」(185ページ)

しかし、ここには保留点もあることを、シュヴァイツアーは見逃さない。

「近代の殺戮破壊の手段の発達と共に無際限に増大した戦争の禍とくらべますなら、それも僅かなものにすぎず、そもそも、人道化などという言葉が使えたものではなかったのであります。」(同)

シュヴァイツアーはそれまでの戦争が決して全面肯定できるわけではないが、プラス面として評価できる面もなくはなかった、と考える。

ところが第一次世界大戦以降は、あまりにも被害が大きすぎた。

こうした協定は決して悪いものではないが、全体的に起こっている出来事からみると、協定自体の意味が失われている。

原子爆弾によって都市の全域が住民と共に無に帰し、焼夷弾によって人間が燃えるたいまつとなってしまう」(189ページ)

明らかに、ドレスデンへの英国と米国の空爆、米国の日本各地への焼夷弾空襲、広島と長崎への原爆投下などを彼は想定している。

原爆については、次のようにも書かれている。

もともとの「知識」としては、最大の「進歩」としてとらえられている。

「最後にさらに進んだ発見として現れたのは、原子の核分裂の際に放射される巨大な力とその利用についての知識であります。」
(188-189ページ)

それに対して、戦後に行われてゆく「核実験」にシュヴァイツアーは関心を向ける。

「しかし、まもなく明らかとなったのでありますが、この方式によって完成された爆弾の破壊力は測り難い程度にすすみ、すでに大きい規模にまで発展しつつあるその実験そのものが、人類を破局に導きその存続を危うくするかも知れないのであります。」(190ページ)

こうした彼の論理でゆけば、原発もまた、「万が一」事故が被った時の致命的な影響の仕方は、十分「核実験」と同じ水準をもつと考えられる。こうも言っているからだ。

「いまや初めて、われわれの存在を脅かす恐怖がわれわれの前にその全貌をあらわしました。」(190ページ)

すなわち、「
われわれの存在を脅かす恐怖」をもたらす「技術」に対する、批判的な目が、ここには現れている。

そして、問題なのは、「私たち」がこうした「技術」に対して「非人間」となっているということだ、と指摘されている。

「非人間」とは、原爆投下や焼夷弾投下に対して、「傍観」という態度をとったことである。

戦争を終わらせた、真珠湾攻撃の報復、戦後体制におけるソ連への牽制として必要、などなど、いろいろな説明がなされる。

その「言い訳」は、結局は「戦争」だから、というものだったが、シュヴァイツアーはそれがはたして、正しかったのか、と問うている。

これに対して、今、「人間」はどうあらねばならないか。

「この意欲と期待の目標となることはただ一つ、われわれが新しい精神によって、より高い理性――われわれをしてわれわれが用いうる力の厭うべき濫用を捨てさせる理性――を獲得することであります。」(190ページ)

われわれが用いうる力の厭うべき濫用を捨てさせる」という、とても抽象的な言い回しではあるが、イリイチが提示した「上限を見極めて線を引く」というオルタナティブ論と似通ったものであるように受けとめてみた。

そして、ここで言う「より高い理性」の一歩手前にある、こうした事態を「傍観」できる理性こそ、ホルクハイマーが「道具的理性」と呼んだものであろう。

***

ところで、私たちにはよくわからないが、シュヴァイツアーの歴史感覚からすると、第一次世界大戦は、「最後の戦争」という意識が当時強かったという。

「戦争のない時代の到来のために闘うのだという確信をいだいて、当時多くの勇敢な兵士が戦場に向かったのであります。」(186ページ)

前述したように、無数の人が命を落としたのは、「最後」という意識があってのことであり、その先には、もう「戦争」がない、という「理想」のもとに闘われたというイメージのようである。

そして第二次世界大戦は、そのままずるずると進んだ感がある。

もしかすると、当時の多くの人たちは、もう戦争はやめよう、という気持ちになったのかもしれないが、歴史的には、その後も、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラン・イラク戦争など、幾多の戦争が起こってきたのか、数え上げることもできないほどである。

確かに、核兵器の実戦使用はされていないが、およそ「人道的」とは思えないことが繰り返し起こっている。

これは逆に、核兵器の使用(もちろん化学兵器の使用も)さえなければ、あとは何をやってもよい、という事態になっているのではないかという不安を抱く。

少なくとも、平和憲法をもち、直接的な武力行使を行ってこなかった国で生活している者としては(そして、たとえ、米国の庇護のもとにいたとしても)、シュヴァイツアーと近い視線で、世界の情勢をみることができるはずだと思うのだが、実際は、次第に異なる様相をもちはじめている。

***

後半ではシュヴァイツアーは、戦争に対する倫理的検討を行い平和を追求した思想家、哲学者たちをふりかえる。

まず、エラスムスの「平和の嘆き」(1517年)が挙げられる。

ここでは「平和」が「語り手」として登場して、人びとに平和のあり方を説教しているようである。

続いては、ご存じ、カント「永久平和論」(1795)ほか。

シュヴァイツアーはカントをよく読んだ人間だが、ここでは厳しい意見が出ている。

カントは平和というものを倫理的必然とはみなさなかったとする。

国際連盟に対して倫理的根拠を持ち出すことなく、あくまでもこれから長い時間をかけて完成されてゆくであろう「法」が実行される場とみなしていた。

こうした、仲裁機能をもたせた国際機関というカントの発想は、17世紀のフランス、アンリ4世の大臣だったシェリーに起源がある。

また、18世紀には、カステル・ド・サン=ピエール「キリスト教君主間における永遠平和案」が登場するが、この考えをカントは、ルソーの「新エロイーズ」にある要約を読んで知っていただろうとシュヴァイツアーは推測する。

さらに、戦争の被害を受ける「諸国民」が戦争を望んでいるはずがなく、戦争は常に為政者が仕掛けるものだ、という前提がカントにあるが「つねに変わりやすく、熱狂に動かされて正しい理性からはずれ、必要な責任感を十分にもたない」(197ページ)ということも多々ありうる、とシュヴァイツアーはとらえている。

カントよりもシュヴァイツアーは現実主義的なのである

特に注意を呼びかけているのは、ナショナリズムである。

「素朴な民族主義が、彼らの所有する唯一の理想となるという危険」(197ページ)「によって、いくたの地域で、これまで保たれていた平和が危機にさらされました」(198ページ)。

***

実際に、国際連盟も国際連合も、平和そのものを実現する機関とはならなかった、とシュヴァイツアーは結論づけている。

ただし、国際連盟が、戦争により国籍を失った人たちへの代用旅券の発行をおこなったり、国際連合においても避難者や追放者へのケアを行ったりと、大きな役割を果たした点については、高く評価する。

すなわち、シュヴァイツアーは、カントとは異なり、また、国際連盟や国際連合のような法的機関によるのではなく、倫理的精神によって平和をうちたてねばならない、と考えるのである。

「精神」によって人類は中世の迷妄から脱出し、それが再び力を失い「科学技術崇拝」に陥ったのであって、再び「精神」を取り戻せば、「再び奇蹟」(194ページ)が起こるかもしれない、と期待されている。

そしてこの「倫理」の根拠には、「同情」があるのだが、当然、どのような民族であっても、すべての人類はみな平等であるということに基づいている。

いや、さらにもう一歩、シュヴァイツアーは踏み込んでいる。

「ただ人間に対してだけでなく、生きとし生けるあらゆる生物に向けられる」(195ページ)

これが「生命への畏敬」というシュヴァイツアーの考えである。

大前提に「非-利己主義」があるように思える。

もっと言えば「献身の倫理」である。

*ここからは、「人間の思想の発展と倫理の問題」(LE PROBLÈME DE L'ÉTHIQUE DANS L'ÉVOLUTION DE LA PENSÉE HUMAINE, 1952.10、国松孝二訳より引用)

「献身の倫理はこれを徹底的につきつめて行くと、もはや私たちが人間だけを対象にすることを許さないのであって、私たちによって運命を左右させる一切の生きものに対しても、同じような態度をとることを要求する。」(167-168ページ)

こうした考えは、すでに人間中心主義にはいないし、ある教義や主義主張を繰り返しているようなたぐいのものでもない。

シュヴァイツアーの「経験知」のようなものであろう。

「無垢のままの感受性を持っている人間ならば、あらゆる生きものにあわれみを持つのを、きわめて自然のことだと思うだろう。だのに、なぜ哲学は、そうした生きものに対する私たちの態度が哲学の説く倫理の重要な部分をなしているということをみとめるのに、いつまでもためらっているのであろうか?」(168ページ)

こうして、はっきりと、「生きもの」すべてに対する平等観を提示する西洋の思想家も珍しい。

もちろん、それは思想や哲学の問題であるのみならず、私たちの日常や生活の問題であり、また、だからこそ一筋縄ではゆかず、さまざまな葛藤が現れるのは明らかである。

しかし少なくとも大事なのは、「人間」だけが偉いといったようなことを「自明」のこととしないことであり、少しでも改善することが、私たちができることであるだろう。

すなわち、「人間中心主義」も「ナショナリズム」も、結局のところ、エゴイズムに行き着くのである。

***

さて、こうしたシュヴァイツアーの考え方には、とりあえず、二つの課題がある。

第一に、科学技術に対して私たちは、本当に、何らかの「制限」ができるのか、という問題である。核兵器や原発のみならず、科学技術はひとたび実現されると、人間による歯止めが利かないのではないか、と懸念される。これは、応用倫理のみならず、科学技術社会論(STS)においても、今後検討されるべき主題である。

第二に、法によってではなく倫理において戦争がなくなるという考えは、ただの理想でしかないのではないか、という危惧である。シュヴァイツアーは科学技術だけでなく、人類の英知や精神も「進歩」するものだと考えているが、私にはそうした見解をとることは難しい。努力が無駄だとは言わないが、そうした意識にのみ頼りきれるとは思えない。



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2014-08-26 19:22:00

喪に服す

テーマ:世界
とても、大切な人を喪った。

私が子どもの頃、私の母を支えてくれた人。

私にとって、・・・ いや、うまく言葉が出ない。

今日は。

ただ、本人には、伝えることのできなかった、感謝の気持ちを、この、インターネットという海原に、静かに、沈めておきたい。


いままで、ずっとお世話になりっぱなしで、ほんとうに、ごめんなさい。

恩返しを、いつか、したかったんです。

でも、間に合いませんでした。

・・・こういうのは、辛いです。

せめて、一言だけ、耳を傾けていただけませんでしょうか。


ただ、ただ、感謝しています。

ありがとうございました。

どうぞ、心安らかに、おやすみください。





2014-08-25 21:21:32

シュヴァイツアーの三つの理念

テーマ:原発・原爆・放射線・3.11
読んだ論考
文化の頽廃と再建
アルベルト・シュヴァイツアー
国松孝二訳

シュバイツアー著作集 第6巻
白水社

Verfall und Wiederaufbau der Kultur: Kulturphilosophie, erster Teil
Albert Schwitzer
1923

ひとこと感想
少し前まではあたりまえのようなことを訴えていたように感じたが、今やそうした「倫理」を一貫性のあるものとして打ち出した、稀有な人物に思える。思ったほどに説教くさくなく、ある意味ではキリスト教の考えを逸脱しているかもしれない。

***

私なりに、21世紀の今、シュヴァイツアーの思想から何が得られるのか、考えてみた。

大きくまとめると、以下の三つの考えをもっている、と言える。

・平和への願い
・平等への願い
・生命への畏敬

平和に対しては、倫理として、人間どうしが殺傷しあうことをやめよう、と訴えている。この考えを拡張させると、人類全体に「恐怖」を与え続ける「核実験」や「原発」もまた、受け入れられないものとなる。

次に、平等に対しては、人種などに起因する差別意識をなくそう、と訴えている。この考えを拡張させると、性別やその他の属性などに起因する差別や、社会的立場を利用した嫌がらせなどもまた、受け入れられないものとなる。

さらに第三の生命への畏敬であるが、これは上記の二点が、最終的には「人類」や「人間」といった枠組みにとどまらず、「生きとし生けるもの」すべてに適用されるべきだというものである。動物愛護に反した行動や食肉、さらには実験用モルモットに至るまで、受け入れられない方向性をもつ。

もちろんこれらは、いずれも「未-実現」のものばかりであるが、少なくとも彼が訴えたときから100年近くたった今でも、「理念」として、私たちも掲げ続けるべきではないか、とあらためて思うのであった。

何よりも、これら三つのテーマは、私が長年のあいだ抱き続けてきた(内在的な)「課題」でもあり、それらをすべて包含して語り続けてきたシュヴァイツアーに、あらためて、「最良の知識人」としての像をみるのである。

いや、逆なのかもしれない。

いろいろなことがありすぎて、私たちはしばしば混乱してきたが、原点に帰れば、彼の言うことが、「典型的」もしくは「常識的」「良識的」「標準的」な、理想主義者の考えなのであった。

ある種、当たり前すぎて面白みがない、という人もいるかもしれないが、これを「当たり前」に受け入れてくれる人は、それで、まったくかまわないのだ。

ところが、私はむしろ、こうした考えに全面的に対立する考え(そして人)が、思った以上に世にある(いる)という驚きである。

まず、「平和」について驚くのは、隣国に対して好戦的な発言をする人間、「戦争しかない」と叫ぶ人間が、それなりにいる、ということだ。

しかもそれが「平和」にいることがまるで「悪」であるかのようにとらえられたりする。

個人レベルの場合、たとえ自分や家族など近親者に何か危害が加えられたとしても、そこで、同じことを仕返す人は、あまりいない。

法に訴え、法によって裁かれることを望むはずだ。

もちろんこれは「防衛」という次元とは異なる話であり、「戦争」として考えてほしい。

また、差別の問題については、もっと深刻であり、国連の
人種差別撤廃委員会の対日審査会合で出ているように、近年、ヘイトスピーチなどの暴力行為がさもあたりまえのように行われている。

国連で言われていることが至極まっとうであると思うのだが、なんとなくそれを黙認する空気もあったりするのは、なぜなのだろうか。

これについては、あとで、ナショナリズムの問題として、もう少しふれる。

第三の、あらゆる生命への畏敬であるが、これも、さも当然と思っていたら、平然と自分の子どもや家族、さらには他の人間、そしてさらには犬や猫にまで、暴力をふるったり殺傷してもかまわない、と思っている人が、それなりにいる。

たとえば、野良猫に対して不凍液を混ぜたごはんをあげて殺傷しても法にはふれない、と嘯く人たちがいる(「埠頭駅」「定食」「猫」などで検索してみてください)。

地域猫やTNR活動をしている人たちのことを「愛誤」と揶揄し、憎しみをこめて攻撃をする人たちがいる。

その人たちなりの「理屈」や「言い分」があり、それを全面否定するつもりはないが、手段や考え方、表現の仕方などをみていると、少なくとも社会的に許容されがたいものだと、私は思うのだが、その人たちはそう思っていない。

私たちはよく「社会」や「世界」というが、自分がわかる「社会」や「世界」というのは、実はそのうちの、ほんの一部にすぎない。

しかも、基本的に人は、自分が気に入らないもの、嫌なもの、否定的にとらえているものから、なるべく遠ざかって生きようとするから、自分のまわりには、必然的に自分と近いものが多くなる。

そうすると、その「外側」にさまざまな価値観や考え方があったとしても、なるべく見ないふりをして、やりすごそうとする。

わざわざ自分の嫌なものに囲まれたがる人など、そう多くいるとは思えない。

やや話が逸れるかもしれないが、たとえば、夜に何台かのバイクで10代と思われる少年たちが大きな音をたてて走り回っていることがあるが、私たちはそれがたとえ迷惑だと感じても、通り過ぎるだけであれば、「うるさいな!」と苛立っても、それ以上に何か考えたり行動することはない。

やりすごすだろう。

そういうものだ。

しかしこれが、毎日続き、しかも長い時間近くで騒音をたてられたら、黙っていられなくなる。

ネットの情報は、それに近い。

言い方は悪いが、世の中はままならず、いろいろとかかわりたくないことも多い。

だが、避けて通れなくなると、何らかの対応をすることになる。

マスメディアは、戦時中の翼賛体制を除けば、これまで、基本的にはこうしたシュヴァイツアー的倫理を共有し、これを「社会的良心」と考え、そうした共通のフィルターによって報道されてきた。

ところが今では、平然と、極論を「自説」として叫ぶところが増えた。そしてそれはこれまでのメディアだけではなく、むしろネットにおいて余計に、これまで起こらなかったことが、起こるようになった。

「私たち」というくくりが「自分」とそれに近い考えをもっている人で構成されていると思っていたのが、実は、かなり多様であり、時には対立する場合も少なからずある、ということに気づかされるのである。

言ってみれば、自分とはまったくかけ離れた考えをもっている人たちの集まっている集会に、間違って参加してしまったとき、私たちはかなり、つらい思いをするであろう。

ネットで起こる出来事は、そうしたものに近い。

検索した結果表示されるものが、必ずしも自分と同じ「世界」にいない場合がある。

しかも、それが、不快であったり、恐怖を催したり、目をそむけたくなったり、することもある。

そういう場合、できるだけ何事もなかったかのように、その場を去ろうとするが、場合によっては、うまくゆかないこともある。

相手を非難したり攻撃するようなことを書きむようなことを、しないとは、かぎらない。

***

少し、整理しよう。

これらシュヴァイツアー的倫理に対立する世間の言動に共通するのは、何か。

それは、ある種の「非寛容」であり、「排他性」であり、「利己主義」かつ、他者との共存意識の希薄さである。

たとえ、自分たちが「正しい」と心の底で思っていても、それを口に出すということが、これまであまりなかったということなのだろうか。

インターネットによって、私たちは、見たくも、聞きたくもない、そういう言動にもかかわってしまうために、心がくるしいのだろうか。

だが、もしそうだとしても、少なくともその人たちの「本音」は、こうしたシュヴァイツアー的精神とは反目するにもかかわらず、はっきりと、自信を持って「正しい」と考えられている。

この落差は、一体何なのであろうか。

***

さて、シュヴァイツアー自身に語らせよう。

すでに「平和」や「畏敬」については、当ブログで書いたので、今回は、平等への障壁となると考えられるものとしての「ナショナリズム」に絞ってみる。

***

シュヴァイツアーはなにも「ナショナリズム」全般を非難しているのではない。

「ナショナリズムとは何であるか? それは卑しい熱狂的な愛国主義のことであって、高貴で健全な愛国主義とくらべると、正常な確信に対する妄想のようなものである。」(249ページ)

まず、前提として、「国民国家」が正当なものととらえられたのは、それほど古い話ではない、ということを確認しておかねばならない。

シュヴァイツアーはフィヒテをもちだす。すなわち、19世紀初頭を起点とするのである。

フィヒテの「ドイツ国民に告ぐ」は、決してナショナリズム発揚の思想ではない。

諸個人の文化(人間的成長)が高まるようにするうえで、国民国家というまとまり方が便利で都合がよい、とするものである。

「愛国主義の礼賛それ自体は野蛮と見なされるべきであり、それが必然的に無意味な戦争をひきおこす」(250ページ)

しかし実際のところシュヴァイツアーの目から見ても、こうした「理想」は破綻した。

二つの世界大戦、そしてその後の冷戦という名の厳しい均衡。長年にわたって、マイナスに作用し、結果的に国民国家は、文化を彫琢するというよりも疲弊させ破壊され、結果的には「没落」していった。

「ナショナリズムの性格は、利己的であると同時熱狂的であって、その説く現実政治は、個々の領土経済上の利害問題を過度に重大視した上に、これをドグマ化し、観念化し、国民の情熱によって裏打ちしようとするのである。」(251-252ページ)

こういうシュヴァイツアーの発言を読むと、まるで彼が21世紀の日本をみているかのように思えるのは、私だけだろうか。





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2014-08-24 15:00:00

舌を出したまま、我が家のトラノスケ

テーマ:猫・犬・動物・植物


我が家の虎之助。

実は、今、舌がほとんど出たままである。

話せば長いのだが、思い切り省略して説明すると、上前歯がぐらついて痛みを伴うため抜いたあと、咬み合わせが変わってしまい、下の前歯が外側に出るようになってしまい、そうこうしているうちに、今度は、舌が出るようになったのである。

正直、ちょっと変な顔である。

しかも、少し前には、体調を崩し、全盛期には6.5キロもあった体重が、4.8キロまで落ちるくらい、食べる力も失っていた。


しかし病院に行っても、特に血液検査をしても顕著な異常は見られず、見た目でも、口腔内の状態は悪くなっていない。




そこで、これまで、ご飯について、あれこれと試行錯誤をした。

最初は、いつも食べていたものと違うメーカーのものを食べさせてみた。少し関心を抱くが、劇的に改善した、という感じではない。

次に、高齢猫用で、スープ状のもの、とろみつきのもの、にチャレンジしてみた。

これは、かなりうまくいった。

少なくとも液体はすっと入っていっている。

ただ、固形物が入っていかない。

なぜだろう、と思い、固形物を器から少しつまみ、手のひらに置いてみた。

すると、これも、うまくいった。

若干こぼれることもあるが、時間をかければ、食べることができる。

どうやら、食べる意欲はありながら、うまく舌が口のなかに固形物を運べなくなっているようなのである。



さらにもう一つの発見。

実は、この液体状のごはんも、途中から今ひとつ、食べられなくなってゆく。

どうも、下を向いた状態で舌を動かしてごはんを摂取しようとすると、唾液がどんどん出てきて、それが口のなかや外側に出て、結果的にごはんが口のなかに入ってゆかなくなっているようなのである。

もう少し、話を戻すと、ごはんが食べられなくなる前の症状が、目から涙が出て止まらない、ということと、くしゃみを頻繁にする、ということがあった。

唾液もそうであるが、どうもこのあたりの水分のコントロールがうまくできていない、ということのように思えてきた。

この、ごはんをうまく食べられないというのも、この「水分コントロール」と関係している、とすれば、腑に落ちる。

通常の食べ方のように、器が下にあり、頭を下げて食べようとすると、唾液が邪魔をする。

手のひらにのせて、頭がそのままの高さであれば、唾液は邪魔をしない。

これだ、と思い、少々面倒ではあるが、ここのところ、ごはんは手であげることになったのだった。



はたして、これでいいのかどうかは、私には、分からない。

ただ、病院で確認したところ、そういう食べさせ方で食べてくれるのであれば、そのまま続けても良い、という意見だったので、いちおう、安心している。


虎之助、約14歳。

すっかり高齢猫の仲間入り。


***

これまでの虎之助の記事(ダイジェスト)

我が家の猫、虎之助のこと
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11628828021.html

耳が聞こえない高齢猫、トラ、犬歯を抜く
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11770764346.html

我が家の猫、虎之助の「おかえりなさい」の一声
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11530507986.html

梯子を登る我が家のネコ、虎之助
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11523218837.html

なぜか急に立ち上がった我が家のネコ
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11292753785.html

喋る、ネコ
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11013679239.html



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2014-08-23 08:40:00

【まとめ】哲学者ギュンター・アンダース 「核」の時代における世界と人間の思想

テーマ:哲学・思想
ギュンター・アンダースについて

ギュンター・アンダース(
Günther Anders,
1902-1992)は、ドイツ語圏で生まれ、後にフランス、米国に亡命したユダヤ系哲学者。本名はギュンター・シュテルン。父は心理学者・哲学者。母方のいとこにはベンヤミンがいる。フッサールのもとで哲学を学び、ハイデガーは兄弟子にあたる。マルクーゼも同窓。アレントと結婚するも後に離婚。デーブリーン、ルカーチ、ブレヒト、ハートフィールド、ブロッホ、グロッスらと交流。核の脅威、大量殺戮を内包する技術時代の哲学的人間学を探求。

以下、これまで書いた彼に関する記事をまとめておく。

▼生涯・邦訳文献一覧

 ギュンター・アンダースと「核」の哲学
 http://ameblo.jp/ohjing/entry-11330427498.html



▼時代おくれの人間(上・下)第二次産業革命時代における人間の魂
Die Antiquiertheit des Menschen. Bd.1 Über die Seele im Zeitalter der zweiten industriellen Revolution,1956,. &, Bd.2 Über die Zerstörung des Lebens im Zeitalter der dritten industriellen Revolution ,1980

 核と向かい合う思索、アンダースの「時代おくれの人間」を読む
 http://ameblo.jp/ohjing/entry-11231912853.html


▼橋の上の男 広島と長崎の日記
Der Mann auf der Brücke, 1959.

 ヒロシマと哲学者(ギュンター・アンダース)
 http://ameblo.jp/ohjing/entry-11795460010.html

 
▼ヒロシマわが罪と罰 原爆パイロットの苦悩の手紙
Der Mann auf der Brücke. Tagebuch aus Hiroshima und Nagasaki, 1959

 「原爆パイロット」と「ヒロシマの罪と罰」
 http://ameblo.jp/ohjing/entry-11879999298.html


▼われらはみな、アイヒマンの息子 クラウス・アイヒマンへの公開書簡
Wir Eichmannsohne, Offener Brief an Klaus Eichmann, 1964

 われらはみな、アイヒマンの息子(アンダース)を読む
 http://ameblo.jp/ohjing/entry-11228051323.html


▼寓話・塔からの眺め
Der Blick vom Turm, 1968

 3.11の無数の映像を思い出す
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▼異端の思想
Ketzereien, 1982

 原発、ヒロシマ、アウシュヴィッツ
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 なぜ無差別大量殺戮は恐ろしいのか
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 「ない」ことの恐怖、「ある」ことの恐怖
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 ハンナ・アーレントとの「苦い」思い出を語るギュンター・アンダース
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 ベンヤミンの「アウラ」への批判
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▼警告ポスター
Das Tagebuch und der moderne Autor, 1986

 アンネの日記、と、ギュンター・アンダースの「日記」論
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▼世界なき人間 文学・美術論集 
Mensch ohne Welt, Schriften zur Kunst und Literatur, 1984, 2d ed. 1993

 世界内存在の虚構を問う
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2014-08-22 22:15:00

世界内存在の虚構を問う――世界なき人間(G・アンダース)、を読む

テーマ:哲学・思想
読んだ本
世界なき人間 文学・美術論集
ギュンター・アンダース
青木隆嘉訳
法政大学出版局
1998年10月

Mensch Ohne Welt: Schriften zur Kunst und Literatur
Günther Anders
1993

ひとこと感想
フッサールに辟易し、ハイデガーに失望し、アレントと別れ、ヒトラーを憎み、原爆・原発に絶望した20世紀最大のペシミスト、それがギュンター・アンダースだ。本書は、そんな彼による、カフカやブレヒトなど作家を主題とした評論集。もちろん、一筋縄ではない。タイトルはハイデガーの「世界存在」を揶揄したもの。「世界なき存在」とでも言おうか。

****

「起こるかもしれない世界の終末に関する「仕事」は、1945年8月6日のヒロシマの日に直ちに始めたものであって、むろんそれをすぐ「テキスト」にすることはできなかったが、実は私自身の根源的主題の転回という一つの「転回」であった。」(1ページ)

ギュンターのそれまでの仕事は、「世界なき人間」をテーマにしていたのであるが、それが、ヒロシマ以降、「人間なき世界」(おそらく生命もない世界)となったと、冒頭で述べている。

そして本書は、言わば、「ヒロシマ」以前の「世界」に対する論、ということになる。

世界なき人間」とは、言わば、マルクスの「疎外論」を存在論へと拡張したものである。

ハイデガーの「世界内存在」は、現存在たる人間ならばすべての人がおのずとそうであるとされたものであるが、ギュンターは、こうした考えは労働者にはあてはまらない、と考える。

「「世界なき人間」とは、自分のものではない一つの世界の内部に生きることを強いられている人間のこと」(2ページ)なのだ。

ここで強調されているのは「強いられている」ということである。

これは言いかえれば、「外部にとどまる存在」もしくは「世界に入ることを許されていない存在」(4ページ)とされる。

矛盾するようだが、「世界」とは、要するに、そういうものなのだ(別に甘受したいわけではない)。

これが、第一の意味。第二に、「世界なき存在」とは、とりわけ、「失業者たち」を指している。

本書の冒頭には、ギュンターが書いた「失業者の歌」が掲げられている。

自らもしばしば失業者だったギュンターは、失業者を「機械とともに現代の重要な存在とみなし、「時代おくれの人間」のシンボルであり代表者だと考えている。(5ページ)

表向きにはほとんど「マルクス主義」的な言葉を使わないギュンターであるが、ルカーチとも親しかったこともあり、決して理解がないのではない。

むしろ、党派性やイデオロギーにとらわれるのではなく、自らを「失業者」と重ねて論じることに比重を置いているのである。

また、第三に、人間の本質と世界との関係についてギュンターは述べる。

人間だけが「特定の世界や特定の生き方に固定されず」(5ページ)におり、常に何かを獲得し、何かを作り出さねばならない、という意味で「世界なき存在」である。

ここには、本人は否定するかもしれないが、フッサールやハイデガー、アレントと共通した人間認識があるように思われる。

さらに第四として、現代社会において、「多くの世界どころか多すぎる世界に同時に参加しているために、特定の世界をもたず、その結果、世界をもっていない」(6ページ)という事態を指す。

今ならさしずめ、複数主義であったり、多様性論であったりするのかもしれないが、そうした方向性にも、ある種の危機感があることを示唆している。

***

さて、以下では本書の構成と、ここに登場する人びとに対するギュンターの接点と論点を大雑把に整理しておこう。


0)序論

 「世界なき人間」の説明ととりあげた人物との接点の説明が行われている。単なる「作者」論でも、「作品」論でもない。大雑把に言えば、1920年代のベルリン、1930年代のパリ、1940年代のニューヨークといった彼が生きた場所で吹いていた「文化」の風を私たちは感じることになる。


1)デーブリーン論

アルフレート・デーブリーン(1878-11957)は、ドイツの作家。私たちにはあまりなじみがないが、ギュンターは、代表作「ベルリン・アレクサンダー広場」を読んで衝撃を受ける。

「居場所のない者」(44ページ)の物語。ベルリンで下層の暮らしをする独りの人物に焦点があてられる。

「暮らしをする」と書いたが、そう書くためには確固たる「主体」や「世界」や「意味」が成立している(もしくはそう思い込む)必要があるが、ここには、それがなく、むしろ、それが成立しないなかで、もがいているさまが描かれている。そういう小説である。

「この小説で語られるのは生活ではなく、一連の破局であり世界そのものである。」(45ページ)

アンダースはこの物語に、フッサールの生活世界論やハイデガーの世界内存在論への批判をみる。

「彼は、生活というものは自分の生活ではなく人々が作り上げるものにすぎず、出くわすたびに彼を袋小路に追い詰めていく世界の総体にほかならない。」(46ページ)

こうした物語で語られている言葉もまた、単純ではない。それは「言葉」ではなく「言葉の言葉」(55ページ)であるとギュンターは言う。

作者は、「主体なき受動的な生について語っていたのである」(57ページ)

ギュンターは、この小説と、彼の知っている哲学との違いを、強く意識する。

「哲学は種や個体への世界の個別化や自己分割についていつも一般的に語るだけで、個体を一般的なものの実例とか例証としかみなさず、個体を原理的に捉えそこなっている。小説は世界観とは無関係に、現実に個体のなかに入り込むとともに、個体となって全体性を放棄し忘却し、自分をないがしろにしている世界そのもののなかに入り込む。」(65ページ)

ギュンターは1930年にベルリンに移住した際、批評文を書き、デーブリーンに電話をかけ、会いにゆき、その文章を読ませる。その際デーブリーンは、「完全に正しい」と述べたという。

そのあと二人は、1933年に亡命先のパリで出会うが、意見がかみ合わず、しばらく縁が遠ざかる。

最後に出会った場所は、米国、H・マルクーゼが亡くなったあとの家に訪れたときのことで、デーブリーンはマルクーゼ夫人に甲斐甲斐しく朝食を用意していた姿をギュンターは目撃する。

本書には、以下の2本の論考が含まれている。

「荒廃せる人間 デーブリーン「ベルリン・アレクサンダー広場」における世界と言葉の喪失について」(1931年)

「最後の長編小説 デーブリーン「破滅に先立つ傲慢なるバビロン的彷徨」の読み方」(1935年)

「荒廃せる人間」は1965年にブロッホの生誕80年記念論文集に寄稿された。


2)カフカ論

フランツ・カフカ(1883-1924)は、チェコ生まれのドイツの作家。ギュンターは1913年に発表された「火夫」以降、1920年代、彼の死後に発表された「審判」「城」『アメリカ」などを読んでいたが、その頃はまだカフカは、ほとんど知られていない。

とりわけ「城」に描かれている、「世界に到達できないこと」(26ページ)に強い関心を示した。

1933年、パリに亡命するギュンターは、「カフカ的に生きることを強いられる者」(28ページ)となった。

厳しい状況にいたギュンターは、「カフカを読まないし、カフカについて書くこともない」(同)のだが、なにせ、金がない。

G・マルセルの仲介で得た仕事として、1934年、パリのドイツ文化研究所で講演をすることになり、依頼者との相談のうえ、カフカについて発表することになる。

このときの聴衆でカフカを知っていたのは、アレントとベンヤミンくらいだったろう、とギュンターは述懐する。

ただし、この講演は、決してポジティブなものではなく、むしろこれから起こるかもしれないカフカ・ブームへ釘を刺すものだった。

しばらくこのときのメモは放置されるが、10年ほどしてニューヨークの雑誌からカフカ論を発表された。この論考をエルンスト・ブロッホが読み、知己を得る。

また、戦後、しばらくしてドイツで刊行され、「かなりの反響」(31ページ)がある。どうやらドイツにおいてギュンターはカフカ論によって、それなりの「世界内存在」となったようだ。

本稿に対しては、G・ルカーチが1950年代に好意的な感想を述べたという。

デーブ―リーンの小説に対しては、全面的な共感が述べられているが、カフカに対してはかなり辛辣である。

しかしそれは、カフカの小説の性質と深く関係しているようだ。

「物が生き物として登場する寓話を作らねばならない。そういう結論を出したのがカフカである。」(99ページ)

「物」というのは、つまり、どんなことが起ころうと、驚いたり、たじろいだり、動揺したりすることがない、ということである。

「カフカが驚くべき物語を語る平然たる態度、彼の無邪気さほど、われわれを唖然とさせるものはない。」(100ページ)

と、ギュンターも読んだ当時は、思った。

だが、1945年を経て、世界の方が変わる。

「物」を媒介に、私たちの生活は、あたりまえに、驚愕すべきことと驚愕されないことが何ら違和感なく併存(併用)できるものとなったのだ。

「工業機械を使う大量虐殺者と家庭のよき父親とが同一人物なのである。」(101ページ)

この「工業機械を使う大量虐殺者」は、「絶滅収容所」に関与していた人物、たおてばアイヒマンをおそらく指しているが、もちろん、原爆投下に関与した人物を含めてもよいだろう。

こうした事態を「平然」と書くことこそ、読者に「恐怖」を与える。

また、デーブリーンと同じように、カフカにおいても、「私」も「世界」もはっきりとした「存在」ではない、とギュンターは指摘する。

「カフカが描くのは、個人が「それとともに存在する」世界という「存在者」ではなくて、無所属であること、つまり非存在であるという事実であり、非存在である者が世界に受け入られようとする絶望的な努力なのである。」(107ページ)

しかしカフカの致命的な失敗は、こうしてつくりあげられた「寓話」をどこかで「現実」と見間違えたことだ、とギュンターはとらえている。

「彼と一緒に眼鏡を覗いた人々は、その歪んだ像を道の世界だと思った。彼もそう思った。彼もそう思ってしまったのだ。ここに彼の罪がある。彼はきわめて反語的な自分の冒険をやりこなせなかったのである。」(188-9ページ)

ここに収められているのは

「カフカ――是か非か(判定資料)」(1946年)

であるが、これは「カフカ」(1951年)として刊行された書籍の再録となっている。


3)ブレヒト論

ベルトルト・ブレヒト(1898-1956)は、ドイツの劇作家。1931年にギュンターはフランクフルト放送にて「思想家としてのベルト・ブレヒト」という講演を行っている。その時点で数年来のつきあいがある。ブレヒトは妻がユダヤ人で自身も反体制派だったため1933年にはドイツを離れ各地を放浪、1941年に米国に亡命した際に、ギュンターと再会する。

ギュンターは、カフカとブレヒトの近似性を認めつつも、むしろ決定的な差異を強調する。

「ブレヒトは観客を判断力のあるものにし、偏見を偏見として見抜くことができるようにしようとしている。」(204ページ)

ギュンターはチェスが苦手なようで、ブレヒトにことどとく負けている。

そのあとに二人は「義務」や「当為」がなぜ我慢ならないのかを論じあう。

なぜか、大半は「説教くさい」という理由で道徳的考えを嫌うブレヒトが、ゲッペルスの「嘘」に腹を立てたり、芝居のなかで「友情」、そして日常生活においては「礼儀正しさ」だけが「~べきもの」として登場する点に、アンダースは矛盾を感じながらも、そこにブレヒトの「よさ」をみる。

「彼に冷ややかな態度を取らせたのは思いやりだった。愛情に欠けているような態度を取らせたものは人間愛だったのである。」(208ページ)

また、常にブレヒトは「実践」を重視し、「役に立つか立たないか」を判断材料にしていた。

ブレヒトにおいても、アウシュヴィッツやヒロシマは衝撃的だった、とギュンターは回想する。

その影響で、1943年に初演された「ガリレイの生涯」は1945年を経て、結末など、内容が変えられた。

その結果、科学が「民族虐殺や人類の破滅に貢献することもおこりうる」(222ページ)ことをベースに置き、「彼は科学の「純粋さ」が道徳への無感覚の偽名ではないかを常に調べねばならないと教えている」(222ページ)。

このようにして、本書では、「対話と思い出(1941年の日記)」、「ガリレイの生涯」(1966年9月)、「コイナー氏の物語」(1979年)の三つの論考が収められている。


4)ハートフィールド論

ジョン・ハートフィールド(1891-1961)はドイツの写真家。フォトモンタージュという手法を使い、ヒトラーを非難し続けた。名前が英語読みになっているのは、体制に対する揶揄の気持ちから。

ギュンターはハートフィールドとも、ベルリンで、個人的な付き合いがあったという。

「ハートフィールドが「偽造する」のは、つまり現実を変形させて異常な仕方で現実を構成するのは、現実を正しく表現するためなのです。・・・現実であるにもかかわらず肉眼には見えない世界を見えるようにしているのであります。」(246ページ)

本書にある論考は、「フォトモンタージュについて ハートフィールド展開会講演(ニューヨーク、1938年)」というサブタイトルにあるとおり、1938年に亡命先での講演がもととなっている。

なお、ハートフィールドは、動物好きで、特に猫がお気に入りだった。

 白猫とハートフィールド


5)ブロッホ論

エルンスト・ブロッホ(1885-1977)は、ドイツの哲学者。ギュンターも言うように、一体何を言っているのかよく分からないが、何となくよさそうな感じがする記述が特徴である。

当時のギュンターの妻エリザベートが編集をしていた新聞の文化欄にブロッホの「ウェルギリウスの死」に対して辛辣な書評を書くが、ブロッホはギュンター夫妻をプリンストンに招待し、その後も親交を続ける。

彼の思想にはまったく同意していないが、人柄の上品さに、ギュンターは強く感銘を受けている。

ここでは、「「ウェルギリウスの死」――その病状診断」の一編が収録されている。


6)グロッス論

ジョージ・グロッス(1893-1959)は、ドイツのグラフィックアーティスト。
人物を的確にとらえる病舎、大胆な彩色が特徴。彼もまたベルリンで出会っている。

非常に興味深いのだが、もう少しじっくりとグロッスの作品をみてから、あらためて書いてみたい。ここでは、残念ながら省略させていただく。

「ゲオルク・グロッス」と「「この人をみよ」序文」の二つの論考が収められている。

***

なお、本書には、ギュンターの描いた、いくつかのスケッチが挿入されている。

いずれも、「失業者やボヘミアン、難民や浮浪者といった世界なき人々を描いている」(37ページ)が、そうした主題としてのかかわりだけでなく、芸術論を語る人間ならば、スケッチくらいできなくてはならない、という考えからである。

ギュンターは、フッサールの講義のあいだ、退屈になると、フッサールの顔を書いたという。

おそらくもうこの世にはないのかもしれないが、ぜひともその作品は見たいものである。

なお、本書に掲載されているのは、1924~27年に書かれたものということだ。

それらは、ギュンターの文体とは正反対で、割と大胆に線を省略しつつ、ややユーモラスな表情を見せているところが興味深い。



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2014-08-21 22:03:00

オバマの核なき世界への訴え――核のアメリカ トルーマンからオバマまで(吉田文彦)を読む

テーマ:原発・原爆・放射線・3.11
読んだ本
核のアメリカ トルーマンからオバマまで
吉田文彦
岩波書店
2009年7月

ひとこと感想
2009年にオバマが核兵器廃絶への道を訴えた。しかしそれまでの60年以上の歴史において、歴代大統領は、核兵器とどのように向かいあってきたのだろうか。その問いに答えてくれるのが本書である。しかし本当の意味での「核のアメリカ」は、リフトンらの「アメリカの中のヒロシマ」のような仕事であるように思われる。


吉田文彦(YOSHIDA Fumhiko, 1955-   )は、京都生まれのジャーナリスト。朝日新聞社論説委員。

***

戦後から現在までの米国の大統領は、以下の12人である。

1)トルーマン 任期 1945-1953
2)アイゼンハワー 任期 1953-1961
3)ケネディ 任期 1961-1963
4)ジョンソン 任期 1963-1969
5)ニクソン 任期 1969-1974
6)フォード 任期 1974-1977
7)カーター 任期 1977-1981
8)レーガン 任期 1981-1989
9)ブッシュ 任期 1989-1993
10)クリントン 任期 1993-2001
11)ブッシュ 任期 2001-2009
12)オバマ 任期 2009-

今ではすっかり忘れされた感のある、オバマの「核なき世界」演説。

本書はこの演説を起点とし、これまでの米大統領における核に対してどのようなスタンスをとってきたのかをふりかえっている。

私が気になったのは、本書では、アイゼンハワーが最初ではなく、トルーマンが最初に登場していることである。

これは本書が、「核のアメリカ」と言いながら、核開発前史を含まず、それは、あえて言えば、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下(前)を含まず、あくまでも「戦後」を起点とし、その後の国際関係論における米国の政治的(外交的)動きを追いかけているからである。

本書の特徴は、ここにすべてが、示されている。

***

もっとも興味深いのは、トルーマンの核政策に対するまとめ方である。

原爆投下のみならず、その後も核実験を行っていることから、トルーマンがきわめて好戦的な人間であったかのようにとらえられることがあるが、実際には、彼は小心者で、このようなおそろしいものは、兵器とも言えないと考えていたとも言われている。

反面、否応なくソ連を中心とした「勢力」との対立がはっきりとしはじめ、軍事的な側面で核兵器がきわめて効果の高いものであるという認識も、もっていた。

しかしそのなかで、トルーマンはまだ「核独占」をしているあいだに、もっと核兵器への依存を高めることも可能だったが、そうはしなかった(と、吉田は積極的に評価しているように読める)。

その理由の第一としてあげられるのは、当面は(1951年くらいまでは)米国の核独占が続くだろう、と考えられたからだ、というものである。

また、第二に、米国ですら、核爆弾を保持していたとはいえ、その数は今考えればそれほど多くなく、しかもただちに実戦に使用できる状態には至っておらず、「本格的な核戦略を形成するほどに核保有をしていなかった」(11ページ)からである。

第三に、対ソ戦略においては、軍事面のみならず、イデオロギー面での対策に力を入れたということである。

第四に、たとえ米国といえども戦争による疲弊があり、財政再建など問題が山積みになっていたからである。

さらに第五には、米軍の規模を平時の適正数に戻すことが優先されたとしている。

こうしたジレンマのなかで選びとられたのが、原子力の平和利用であった。

具体的な一歩としては、国連を通じた国際管理であり、国連原子力委員会を英ソの同意を得て実現する。

しかし、アチソン・リリエンソール案、バルーク案を提出されても、ソ連の反対があり、国際管理は構想のまま宙に浮く。

その後1948年にソ連による西ベルリン封鎖が起こり、一気に緊張が高まる。

いつでも核攻撃ができるような態勢にはいるとともに、あくまでも使用の最終決断は大統領になることが確認された。

封鎖自体は1949年に解除されるが、以後米国側はソ連の動向に厳しく目を光らせることになり、これまでの脅威観とは一変し、実戦使用可能な原爆が用意される。

そこには、ソ連が核実験を行ったということ、国際管理構想が頓挫したことも絡んでいる。

そしてさらに、水爆の開発の可能性(それはソ連においても)が1950年以降探られ、1952年にはロスアラモスの研究者の大半は水爆開発にかかわった。

国家安全保障の見地からは、ソ連が今後原爆開発を進め、かつ、先制攻撃のおそれがある、という仮説に基づきながら、米国としての対応が探られた。

理想論で言えば、平時の原爆保有を国際的にやめることがもっとも望ましく、続いて戦時中に秘密裏に開発されることを防止できるような態勢づくりも求められた。

一方、英国もまた、ソ連への脅威に直接的に関わる可能性があることから、核兵器開発の必要性が問われ、1952年に核実験を開始する。

***

トルーマンのあとのアイゼンハワーは、どうであったか。

彼が大統領になってまもなく、ソ連ではスターリンが死亡した(1953年3月)。

12月には「平和のための原子力」構想について国連総会で演説を行った。

これは実際に国連にIAEAを設立させるに至る。

また、1954年には水爆実験を行い、その影響は予想以上に広がり、第五福竜丸事故なども起こった。

このため、反核運動が国際的に盛り上がることになる。

その流れとも連動するという意味では、核実験が次第に大気中から地下へと移り始めたことも、こうした運動に対する機制であるばかりか、仮想敵国に実験の実態をつかめなくするという戦略的意味も兼ね備えていた。

彼の基本的姿勢は、米国からの先制攻撃はありえないが、ソ連が奇襲をかけてきたら総力をあげて報復を行うというものである。

また、国家安全保障の考え方に、軍事面のみならず経済面を重視した。これをアホのような命名であるが「ニュールック戦略」と呼んだ。

他方でこれまでのベトナム戦争による疲弊も、課題としてあった。

そのため、大型ではなく小型の核兵器を、欧州に大量に配備するという戦略をとることになる。

それに対してソ連および東欧側は、核ではなく、強大な通常戦力で均衡をはかった。

未だに私にはよくわからないのだが、核抑止論は、自分が核をもっていることで相手の攻撃意欲を削ぎ、大規模な核戦争を阻止することが目的だというが、これは逆も成り立ち、相手にとっては、自分たちが抑止する側だと主張することが可能である。

すなわち、いずれも、不可避的に核兵器を増強することに至り、たとえ使用することがなかろうと、その配備や開発を進めるほか、方法がないのである。

しかも実際にソ連側も核開発が進んでいるばかりでなく、1957年には、スプートニクの打ち上げ成功により、弾道ミサイル(ICBM)により全米への攻撃を可能にした。

これによって米ソの軍事バランスは、むしろソ連に傾き、不均衡になる。

しかしアイゼンハワーは、極端な核の増強をせず、これまでの考えを維持した。

それは、実際にはソ連がICBMを配備するまで時間を要したことなども影響した。

***

続いては、ケネディが登場する。

基本的にはケネディは核軍縮路線を歩もうとしていたということだけ述べておくが、ここではキューバ危機までの核政策は省略する。

なんといってもケネディ政権において大きかったのは、キューバ危機だからである。

キューバ危機は、単に米ソが相互に攻撃を行うのではなく、同盟国とも関連づいているため、結果的に、「核戦争」が起こると、「全面戦争」に至る、ということが想定されたということである。

そして、それは、未曾有の破壊、死滅が待っており、いわゆる「世界の終焉」を想像させるものだった。

今ではまったく想像できないことであるが、当時は、ソ連にもある種の未来への希望があった。

また米国は逆にそうした「共産主義」の拡大が、自分たちや未来を抑圧するものだととらえ、反発し、排除していった。

すなわち、両陣営とも、相手が目ざわりだったのである。

しかしそうしたなかでもケネディは核実験に関しては禁止の方向を模索し続けた。

国際政治的には、とりあえず米ソ対立の構図をまず描くことになるが、より厳密に言えば、ここに、中国やフランスなど、核をこれからもちはじめおうとする国もまた、米ソの頭を悩ませることになる。

つまり、世界は「核」をもつことで「力」を誇示できるのである。

ただしケネディは暗殺され、短命政権に終わる。

・・・と順番に読みながら要所をピックアップしてみたが、あまり、おもしろくない。途中をスキップして、最後の章にあるまとめにまで突き進んでしまうことにする。

***

吉田は米国の60年以上にわたす核政策を整理し、その12の動因というものを提示する。

(1)危機体験

ここで例示されているのは、1949年にソ連が核実験に成功したとき
(トルーマン)、1962年にキューバ危機が起こったとき(ケネディ、ジョンソン)、9.11が起こったとき(ブッシュ)、である。

(2)核実験による核拡散

ここで例示されているのは、1964年の中国の核実験
(ジョンソン)、1974年のインドの核実験(フォード、カーター)、である。

(3)技術の革新

1950年代の弾道ミサイルの開発、地下核実験の発明、核弾頭の小型化、複数個別誘導弾、SDI、など。

(4)地政学的配慮

例外としてイスラエルが挙げられる。イスラエルは1950年代から核開発を進め、核弾頭を200発ほど保有していると言われるが、米国は黙認し続けてきた。

また、朝鮮半島は、米ソ中の対立により、核の拡散が起こってきたし、インドとパキスタンにおいても、米国の不拡散政策が損なわれている。

(5)政権交代

民主党と共和党、いずれかが政権奪取すると、それまでとは大きく異なる政策を打ち出すことが多く、核政策もその影響を受けてきた。

(6)政治指導者の信条

政党や政権交代如何にかかわらず大統領自身が強く核政策や国家安全保障問題に信念を持っている場合、当然、その影響を強く受けることになる。

ここで高く評価されているのが、前述のトルーマンのほかに、レーガンであるとことが興味深い。

「レーガンはMACへの拒否意識が強く、「拒否的抑止」を政治哲学的に重んじる大統領であった。」(214ページ)

(7)専門家の影響力

代表例として、ニッツ(ケネディ、カーター、レーガン)とテラー(レーガン、ブッシュ)が挙げられている。

(8)連邦会議に趨勢

たとえば、レーガンが要求したSDIの予算はつねに連邦議会が減額した。また、ブッシュが計画した地下貫通型の小型核弾頭の研究開発は、共和党主導の連邦議会であったにもかかわらず受け入られなかった。

(9)連邦政府の財政事情

朝鮮戦争やベトナム戦争など、常に戦争を続けてきた米国にとっては、国防費があたりまえに増えるなかで、少しでも削減せざるをえなくなり、そのために核戦力への依存を高めることもあった。

(10)同盟国の反応

欧州やアジア諸国との同盟関係を構築し、拡大抑止を展開した。

(11)国際レジームへの配慮

1996年のCTBT合意など。

(12)国内外の世論

1954年のビキニ実験のあとの市民運動で一時的ではあるが実験の停止があったり、1960~70年代の反核世論が高まり、SALTIを推進する要因となったり、いくつかの事例が挙げられる。

***

21世紀においても基本的に国家安全保障の基本は核兵器が担い、その役割はなおも続くと考えられていたが、これをオバマが見事にひっくり返したことは、高く評価される。

2009年4月に「核のない世界」を目指す演説を行ったものの、その後、なかなか進展しているようにも見えないのが、この、国家安全保障の問題であり、核の問題である。

以上のように、本書では、歴代大統領の「政策」という次元から、米国が核とどう向き合ってきたのかを細かに説明しているのである。



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