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核の言説史 公開中 
私たちは、原爆と原発という二つの巨大な存在を前にして戦後がはじまり、今に至る世界を生きている。哲学、物理学、評論はもとより、文学、芸術、映画、コミック、楽曲、芝居など、さまざまな表現において「核」の歴史は刻まれている。この厚みを解き明かすことによって、これから私たちが「核」とどうかかわって生きてゆくのかを探るべく、言説史をまとめている。

 前史

1945~1949年  1950~1954年  1955~1959年  1960~1964年  1965~1969年  1970~1974年  1975~1979年  1980~1984年  1985~1989年  1990~1994年  1995~1999年  2000~2004年   
2005~2009年  2010~2011年02月    

2011年3月~7月  2011年8月~12月  2012年1月~2月

【新訂版】
1945年  1946年  


核の言説データベース~原爆と原発と


はてなブログにて、1記事1文献でデータベースを作成中。
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2014-04-24 22:12:00

福島第一原発観光地化計画(東浩紀ほか)、を読む

テーマ:原発
読んだ本
福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2
東浩紀 編
ゲンロン
2013年11月


英文タイトル
Tourizing Fukushima: The Fukuichi Kanko Project
AZUMA Hiroki(ed)


ひとこと感想
私のように、事故を前にして、歴史(記憶)をあらためて再検証することに没頭している人間にとって、こうした、未来に目を向けた仕事は、ただただ、すばらしいと思う。もちろん賛否両論は必ずある。しかし、「記憶の風化」を憂慮し、かつ「地元」の「利益」を考えたとき、こうした「観光地化」という考えは避けて 通れない。「提言」として、「議論」の発端として、本書はとても大きな意味をもつ。

***

巻頭に、本書の内容にかかわる、きわめて簡潔なコンセプトの提示がなされている。

2013年
・被災地では自主的なツアーがはじまっている
・観光地化についてチェルノブイリの先例に学ぶべきである
・ガイドを制度化し、食の安全を確保すべきである
・デジタルメディアを活用し、記憶を継承すべきである

2013-2020年
・2020年には東京にオリンピックが来る
・観光客に原発事故の実態を広く知らせるべきである
・東京・品川に災害博物館をつくるべきである
・Jヴィレッジ跡地で復興博を開き、災害教育を強化すべきである

2020-2036年
・2036年にはJヴィレッジ周辺の線量は十分に下がっている
・Jヴィレッジ跡地を再開発し、ビジターセンターをつくる
・観光客はビジターセンターから廃炉作業の見学に向かう
・ビジターセンターは地域経済と東北観光の核となる

それぞれ4項目あるうち、最初は「事実」(予想)を述べている。その後にある3つは2020年までは、「~べきである」としてまとめられている。2020-2036年だけが「~である」という言い方になっている。

これは、何を意味しているのか?

***

東浩紀は、次のように述べている。

「フクシマを見ることを、カッコいいことに変える。できるだけ多くの人々に、フクシマを「見たい」と思わせる。ぼくたちは、そのようなイメージの転換こそが、 事故の教訓を後世に伝えるために、そして被災地の復興を加速するために必要不可欠だと考えているのです。」(14ページ)

彼らが何よりもおそれているのは「風化」であり、それを食い止めるためには、少しでも多くの人を招き入れることであり、そのための魅力を提示することが必要だと考え、「観光地化」を提言するのである。

つくづく、人とは、「忘却」する生きものである、と思う。

それは、幾多の原子力関連、震災関連の文献と接するなかで、痛切に思う。

***

久田将義が「観光地化」計画に批判的なのは、最終的には、東らがこの計画を勝手に「東京」でつくり、地元の人びとや作業に携わっている人びとと「思い」を共有するような手続きをふんでいないことにある。

「地元民や作業員に理解が得られるのか。その努力を放棄しているように見える。」(23ページ)

これは本書の致命的な欠陥であるが、しかし東が言うように、いかに「外部」がこの事態に積極的にかかわれるかが、最重要課題である以上、こうした問題は副次的にとらえてもよいように思う。

***

本書は、現時点での観光地化へのステップとして、次の三つをまず実現させるべきだとする。

・ガイドの有償化
・ツアー参加者による被災地の物産の消費
・記憶共同体の再生

最初の二つは意味が分かるが、最後のがよく分からない。これについては後にあらためてふれる。

それ以前に、現実的な課題がすでにいくつかあるようだ。

・除染が効果をもたらしていないのではないかという疑いがある
・線量の高いところがあるので、注意しなければならない
・交通事故が増えている
・現地はみてほしいが、なかなか案内に手が回らない

興味深かったのは、取材人向けの東電のツアーの「完成度」である。

広報担当者はてきぱきと適切に質問に回答し、防護服の着脱などへのフォローを担当者が行ってくれ、線量計や水、食事まで見事に構成されており、一般の希望者にも開放されることを本書では望んでいる。

しかし、この「完成度」というものは、はたして、それで本当に良いのかどうか、私にはよく分からない。

***

案内役の役割については、以下のように分けられている。

・誘導
・説明
・解釈
・交渉

前半の二つは従来通りであるが、後者は、新たに提起されているものである。

「解釈」とは、単なる「説明」ではなく、掘り下げたり、全体的な見通しをもっていたりする「説明」のことである。

「交 渉」とは、地元の人たちとのパイプ役ということである。実際の対話というよりも、地元が望んでいることを伝えてゆくという姿勢である。具体的には被災者や 現場の作業員の写真を撮ってよいかどうかといった判断や交渉を案内役が果たしたほうが、円滑に関係がとれるというようなことである。

こうした「案内役」の意義については、まったく異論がない。

***

しかし、次の、地元のものを食べるということについては、少し注釈が必要ではないだろうか。

本当はここには、二つの意味がある、と私は理解する。

一つは、地元のものを食べることによって、経済的な循環が動き出すという点であり、一般的にはこちらばかりが強調される。

しかし重要なのは、もう一つ、「地元の人といっしょに食卓を囲む」という経験ではなかろうか。

これは、イリイチが言うところの「コンビビアリティ」であり、「共に生きる」ということの基盤が「共に食べる」ことにあるということを表している。

そのときに、一体何を食べるのか、どこで採れたものを食べるのか、考えることになるが、むしろ大事なのは、「饗宴」ということである。

***

また、農作物については、当然、検査の結果を気にすることになる。

静岡や神奈川のお茶が規制値をこえたといったような、これまでの経緯のなかで報道されたものは、とりわけ神経質になっていることだろう。

しかしチェルノブイリ事故と比べると、国内においては、以下のような点において特徴がある、とまとめることができる。

・事故から1カ月後には出荷制限が始まった
・2013年にはかなり精密な検査体制が整った
・キャベツやキュウリなど、移行係数の低い作物は土壌汚染の影響を受けにくい

「風評被害」に惑わされないということは、言い換えれば、上記のことが理解されたうえで、かつ、検査体制がしっかりとしているという「信用」がもっとも重要である。

***

デジタルアーカイブについては、いろいろと課題も多い。

あまりにも膨大に情報がありすぎることと、いろいろな技術を遣うことができるのが、何よりも、事を難しくさせている。

被災された人たちの証言をもとにしたアーカイブは、ある意味では「プライバシー」の問題が絡む。

情報の3D化も、不可避であるけれども、何でも3D化されればそれでよいのか、もう少し検討が必要である。

バーチャルリアリティも、おもしろいものではあるけれども、一体何を残し、何を伝えたいのか、その原点を明確にしなければ、ただの「無価値」な情報を集積するばかりになるおそれもある。

しかし、そうした問題点があると同時に、むしろもっと大切な意義として、むしろ原発事故で避難した人たち、津波で住んでいた場所の形跡を失った人たちが、それまでの暮らしを想い起すことに役立てる、ということがある。

また、離散した「地域」がネット上でコミュニティを維持することも可能かもしれない。

こうした点について、今後さらに重要性が増すことは間違いない。

ただしこれについても、ネットを活用することができる年齢層というものが存在することが、事を難しくする。

つまり、一番見てもらいたい人たちが、見ない可能性が高いのである。

多くの高齢者の人たちは、おそらくネット上のバーチャル・コミュニティを好まない。

だが、こうした取り組みは、本来、高齢者の声に静かに耳を傾けるということが、原初的に最優先されているはずだ。

それゆえ、はたしてこの試みが一体誰のためのものか、ということを考えると、かなり捻れているように思われる。

***

本書のなかで、開沼が次のように書いている。

「本プロジェクトを否定的に語る層の少なからぬ部分が、ソーシャルメディア等で日々、「脱原発、放射能危険を強く主張し続けたがる人」であった。」(54ページ)

彼の「主張し続けたがる人」という言い方に、すでに彼の考え(=バイアス)が入りこんでいる。

ここは「主張し続ける人」でよい。

なぜ、彼がそういう人たちをネガティブにとらえるか、私には理解できない。

「「福島は危険で、不幸でなければならない」という彼らにとっての「規範」から外れる言葉はなんでも批判しながら、時に根拠のない被災地に対する差別的言辞・デマを流し続けるような人々。」(54ページ)

そういう強迫観念的に「放射能」と向かいあっている人たちもいることは、確かである。

だが、この問題はそう単純ではないはずだ。

こういう人たちには、こういう人たちの「思い」があるのであって、それを一刀両断にまとめてしまうというのは、酷というものだ。

問題は、そこではない。

問題は、放射能の漏出に対して、私たちの社会が、きちんと対応出来なかったということなのだ。

開沼の「福島」を基点とした「フクシマ」論はすぐれた仕事であるが、自分の立ち位置以外にも、いろいろな人が存在しているということを忘れないでいてほしいと願う。

まるで本書は開沼がかかわっていることで、地元の意向がすべて開沼の発言に集約されているかのような構造を、不可避的にもっているのも、少し気になる。

***

以上が、本書のうちの1/3の前半部分である。

このあと、「2013-2020」「2020-2036」の構想が語られる。

ここについては、私はコメントできる立場にない。

現在このプロジェクトがどうなっているのか、後に調べて、あらためて論じたいところである。

「被災地に拠点をつくる」と、東らは考えており、その時期が2014年の3月が目標だと、津田が発言している(80ページ)ので、その様子を確認してから、コメントをしたいと思う。



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2014-04-23 21:36:00

三陸海岸大津波(吉村昭)、を読む

テーマ:原発
読んだ本
三陸海岸大津波
吉村昭
文春文庫
2004年3月
(2011年5月25日第11刷)

初出
海の壁――三陸海岸大津波 (
原題)
中央公論社
1970年7月

注 本来、本書は、ジャンルとして「原発」や「原子力」関連ではないが、「3.11」関連として、ここではとりあげたい。


ひとこと感想
過去に幾度となく
三陸海岸を襲った大津波に人びとはどう受け止めてきたのかが概観できる本。歴史の教訓、ということを考えた。また、周期など、自然災害の予測困難さがあらためて身にしみた。しかし本書を読んでもっとも痛切に感じたのは、結局、被害の記憶は忘却されるということであった。

久慈近辺の道路の標識


***

地震や津波、火山の爆発などによる自然災害については、しばしば「周期」が語られる。

実際、富士山などは、これまでの周期で言えば、そろそろ爆発してもおかしくないということで、警戒を強めている。

それでは、津波は、「3.11」の前に、警戒されていなかったのか?

本書は、これまで三陸海岸で起こった津波の被害の軌跡をたどる。

とりわけ、1896年、1933年、1960年の津波について、生の証言を中心に描かれている。

つまり、近年の津波は、39年、27年、の間隔で襲ってきたのである。

およそ30~40年くらいに一度はやってくるのではないか、そういう不安を抱くが、次にやってきたのは、2011年であり、ここでは、51年も間隔があいた。

意表を衝いて、訪れたのである。

***

陸奥、陸中、陸前の太平洋側は、津波の起こりやすい地域としてまとめられる際に「三陸」という言葉が使われる。

私は先日、八戸から久慈までの海岸沿いの道を通っただけであり、それ以上のことは実際に見ていないが、この岩が鋭く海岸沿いにまとわりついているこの地には、自然と人間とのあいだで、厳しい戦いがあったことが、容易に想像できる。

たとえば、盛岡などの内陸部がのどかな平野的な世界であるとすれば、久慈や宮古、釜石、気仙沼、石巻などは、厳しく海と接してきたのである。

***

本書に書かれている詳細にはふれられないが、大枠、まず、「三陸」における津波の歴史をここでは整理しておきたい。

まず、明治以降の大きな津波を年代順に並べてみよう。

1896年(明治29) 明治三陸地震
 このときは、津波がある前に、イワシやカツオなどの魚が異常に大漁となり、いつもと違う徴候があった。しかし、決して大きな地震があったわけではない。弱震程度の揺れが何度かあっただけである。しかしマグニチュードは大きく、その後少しして、「どーん」と大きな音が海から聞こえるが、人びとは雷鳴か、号砲と思いこむ。アッというまに人や家屋は波にのまれ、結果、2万6千人以上の人が亡くなる。流出家屋は約1万戸。「三陸」という表現はこの津波を期に広まったというのは、何とも皮肉である。
 
1933年(昭和8) 
  明治三陸地震から39年の間隔で起こる。3000名近い死者。流出家屋は約5千戸。いずれも震源地は釜石東方約200キロである。こちらの場合の前兆は、井戸水が減るという現象があtっという。また、やはり号砲のような音が響いた。しかし言い伝えとして、冬と晴れの日には津波は来ないというものがあり、避難をしていない人たちもいた。

1960年(昭和35)
 チリの大地震の影響による津波。ハワイでは津波の被害が出ていたにもかかわらず、気象庁は太平洋沿岸までは影響がないと考え、津波警報を出さなかった。また、地震も感じられなかったため、人びとも警戒していなかった。いや、警戒のしようがなかった。また津波の動向もこれまでとは異なり、引潮になったあと、静かに水かさが増していった。「水面がもくもくと盛り上がって寄せてきた」「のっこ、のっことやって来た」(159ページ)。これは、比較的3.11の津波と近い。100名ほどの死者。流出家屋は約1500戸。

2011年(平成23) 東日本大震災
 これまでの3回の大きな津波による被害は次第に減少してきたことがあり、吉村は、防災環境や意識が整ってきたのではないかと述べているが、「3.11」によってこの仮説は大きく覆された。これまで2回の大津波で大変な犠牲を出した田老においては、町をあげて防災意識を高め、かつ、「万里の長城」と言われるような防潮堤を築いていた。しかしそれにもかかわらず防潮堤は500メートルほどが倒壊する。結果、市街部分は壊滅。4,434人のうち200人近い死者(行方不明者を含む)が出る。ただし、これまでの被害と比べると、防災教育も防潮堤もそれなりには役立ったという見方もできる。

***

もっと遡り、1000年以上前からの津波の記録をたどる。

869年(貞観11) 死者数千名 これがもっとも古い記録ということになる。「三代実録」で言及されている。

1585年(天正13)
 間隔=26年

1611年(慶長16) 
 死者1,783名(5,000名という説も)「駿有政事録」で言及されている。間隔=26年

1616年(元和2) 
 間隔=5年

1651年(慶安4)
 間隔=35年 南米での地震の影響。

1676年(延宝4) 
 間隔=25年 
多数死亡。「弘賢筆記泰平年表」で言及されている。

1677年(延宝5)
 間隔=1年

1687年(貞享4)
 間隔=10年 
南米での地震の影響。

1689年(元禄2)
 間隔=2年

1696年(元禄9)
 間隔=7年

1720-1730年頃(享保)
 間隔=30年くらい

1751年(宝暦元)
 間隔=25年くらい 
南米での地震の影響。

1781-1789年(天明)
 間隔=30年くらい 
南米での地震の影響。

1835年(天保6)
 間隔=54年

1856年(安政3)
 間隔=21年

1868年(明治元)
 間隔=12年 
南米での地震の影響。

1894年(明治27)
 間隔=26年

このように、はっきりとした周期がここにあるわけではない。

ただ、20~30年くらいの周期が多く、一方では、短いときは、1年後にも起こることもあるが、他方では、起こらないときは50年以上も間隔が空いている、といった分析は可能である。

***

国外における津波被害は、以下の4つの出来事がよく知られている。

1755年 リスボン大地震によって大津波が起こる
1812年 マルセイユに津波
1883年 クラカトウ島(ジャワ島近辺)に津波、36,000人が死亡
1958年 アラスカに津波

基本的に大地震が起こると津波も起こりうるため、地震の周期とある程度連動し、かつ、それ以外の津波もある、と考えられる。

こちらは、60~70年周期のように見える。

***

たとえば岩手県の下閉伊郡田老町は、流出家屋が559戸のうち、500戸、すなわちおよそ9割が家を失っている。

これだけ悲惨な被害を繰り返してきたにもかかわらず、それでもなお、その地に住もうとするのは、そこが「ふるさと」だからなのだろうか。

「小さな町ではあるが環境に恵まれ豊かな生活が約束されている。風光も美しく、祖先の築いた土地をたとえどのような理由があろうとも、はなれることなどできようはずもなかったのだ。」(173ページ)と吉村は書いている。

代々がその土地に住んでいる人たちの意識とは、かなり強烈に、土地への帰属があるのだろうか。

そうした「思い」を否定するつもりはまったくないが、これほど頻繁に津波被害のあるところに住み続ける、ということは、きわめて危険な選択をしているということになる。

当然海岸に近い場所で暮らしている人たちは、漁業と深いかかわりあいがあり、そうしたなりわいと自宅の場所とは不可分なのかもしれない。

だが、車を所有している人が多いなか、今や、海岸の近くで暮らさなければならない理由はそれほど決定的ではないように思われる。

リスクを承知のうえでそこで暮らす、ということなのだろうか。

私には津波の恐ろしさもさることながら、そうした人間の「伝統」や「習慣」へのこだわりも同じ程度に怯えさせるだけのものがある。

***

それにしても、おそろしい話がある。

吉村が三陸海岸を旅していたとき、地震が起こったという。

海岸を見渡すと、村人はとくに異様な動きがなく、平静に仕事をしている。

「私は安心して再びふとんにもぐりこんだ。三陸沿岸の人々は、津波に鋭敏な神経をもっている。、もし海に異常があれば、その人々は事前にそれを察知するにちがいない。」(177ページ)

ここまで読んできて、私はがっかりした。

吉村は、何も歴史から学んでいないのだろうか。

どうしてこのような楽観的なまとめ方をして本書を終えるのか、不思議でならない。

もし吉村が今も生存中であったのなら、「3.11」のありさまをみて、どう思ったことだろうか。


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2014-04-22 23:30:00

「あまちゃん」に逢いにゆく(久慈へ)

テーマ:原発
八戸から、久慈へ向かった。


やや大きめの祠



左下の安倍首相のポスターが気になる


津波がやってきた区域を指し示す掲示板


八木というところを通過

「ここから津波浸水区間」と読める


左手前方に祠が


それとはまた別の祠を発見



久慈に近づく

こういった看板にも「海女ちゃん」キャラが


目立つ建物は、久慈アンバーホール


久慈アンバーホールに接近

久慈の警察署

指名手配のちらしと海女、琥珀のちらしが同居

駅前に到着。しおさいのめもりー。

JRももちろん走っている。

カラフルな車両。


これが三陸鉄道の駅。

横からみた久慈駅。

駅の待合室にはあまちゃんグッズが盛りだくさん(ここにあるのは色紙)。


荒川良々と杉本哲太は名誉駅長。


駅前にあった記念写真用ボード(プライバシーのため顔にはぼかしを入れています。



海岸に向かう途中にあった廃墟的な祠。


非常に厳しい海岸。


絶景ではあるが、片道に近い道路はなかなかこわい。


駅とあまちゃんの活躍する海岸とのあいだは、かなりの距離があることを知る。

車でもこの道はかなり怖い。バスはきっともっとこわい。


これがつりがね洞。

この海岸が、あまちゃんの舞台の一つ。


左側の上部には祠が。


一方山側をみると、かなり険しい傾斜。

港にある祠。

おそらく新しくつくられたと思われる。


接岸部にたまっていたしじみ。


ほかに海藻類もたくさん引っかかっている。

記念碑。

横から見た図。


日常の風景。穏やかに見える。


ここは多分ロケで使われたところ。


別の祠。


新しくつくられたもの。

船が出てゆく。演歌を流しながら。

灯台。


短い時間ではあったが久慈に行けた。


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「復興」と「警鐘」の共犯関係~「大震災 復興への警鐘」(内橋克人、鎌田慧)を読む

テーマ:原発
読んだ本
大震災 復興への警鐘
内橋克人、鎌田慧
岩波 同時代ライブラリー
1995年4月

(1995年2月19日対談収録)

ひとこと感想
「復興」は難しいテーマだ。「復元」ではないし「回復」でもなく、「刷新」でも「更新」でもない。亡き人があり、心身ともに傷を負った人があり、それでいながら前向きに「明日」を生み出さなければならないなか、さまざまな矛盾や葛藤が生まれる。本書は、その課題の一部を阪神淡路大震災のあとに提示しようとしたものである。

KUJI 20140421

***

1995年1月17日の早朝に起こった大地震に対して、1カ月後のまだ慌ただしいなか(著者の内橋は被災している)、この対談は行われている。

タイトルどおり「復興」のやり方への「批判」なのであるが、あれから20年近くがたった今から読み返してみると、こうした本の存在も、ここで批判されている当の「復興」の「ネガ」の部分のように思えてしまう。

遡れば、原爆投下されたあとの広島や長崎の「復興」とその批判の構図は、その後半世紀以上たっても大きく変わることはなかった。

これは、「復興」の困難さを表しており、単純に政府が悪い、自治体の首長が悪い、という問題ではないように思うが、残念ながら本書は、そうしたまなざしでしか「復興」をとらえることができていないように、読めた。

いや本書だけの問題ではない。

「復興」を議論する言説はいずれにおいても、原発問題と同様に、推進と反対とが交わることなく勝手に主張しあう
ばかりである。

それゆえ本書でとりあげられている「話題」も、そうした批判の対象が列挙されている。

もう一人の著者である鎌田はその全体像を「復興ファシズム」という言葉で呼ぶ。

「復興ファシズム」とは、緊急事態において、どさくさにまぎれてその土地の道路や区画などを強引につくりかえてゆくことを指す。

住民のことへの配慮がなく、「生活」を壊す、と二人は批判する。

そしてこの「復興ファシズム」に対して、本来あるべき「復興」とは「公共性」を重視したものでなければならない、とする。

この際、槍玉にあがっているのは、「政治」家だけではない。

マスコミや、
堺屋太一、江藤淳などの知識人がその片棒を担いでいると非難されている。

江藤淳の名前は、なぜか三度も登場する。

よほど気に入らないのは分かるが、内容的には、言及するのは一度で十分であり、もう少し編集に気を遣ってもらいたいところである。

こういうとき、むしろ江藤淳への気に入らなさが、本書を成立させているように読めてしまう。

「救済が先で糾弾は後だという美談仕立てのなかで、これまでの長い歴史的な構造があって、それが今回の災害を大きくしたのだという糾弾の視点、目線がほとんど感じられない。」(内橋、80ページ)

このように、彼らにとっては、問題点は「糾弾」されるべきものとして、考えられている。

つまり、問題は、彼らの「外部」にあると考えられている。

しかし、彼らが正しく指摘している「長い歴史的な構造」の問題は、むしろ私たちの「内部」にもあるはずであり、決して「糾弾」するだけでは済まされない。

「糾弾」にばかり力点が置かれる言説は、結局のところ、文句を言うことへのカタルシスを超え出ることを困難にさせているように思えて仕方がない。

どうして著者たちは、真剣に怒れば怒るほど、怒ること以上のことができなくなってしまう自分に気づかないのだろうか。

もちろん一方では、「コープこうべ」をはじめとした全国の生協による支援を高く評価する箇所もある。

「それにしても、確かに、今回は民間ボランティアの働きが大きかった。同時に生活協同組合ですね、被災者にとって真の助けになったのは。」(内橋、47ページ)

が、それであればもっと彼らの活動に焦点をあて、その詳細を描き出したほうが、ずっとよかったのではないだろうか。

要するに、本書は、全体構成としては、以下のような比率になっているのである(あくまでも漠然としたイメージであて厳密な分析ではない)。

・行政や政府への批判 30%
・知識人、マスコミへの批判 30%
・過去の震災の対応の仕方や欧米の都市計画の例 30%

・被災地での評価される活動 5%
・その他 5%

***

阪神・淡路大震災は、「都市型」であり、近代の都市計画のありかたの問題点が露出したと言われる。

とりわけ建物の倒壊などで命を落とした人が多く、建築物の耐震性が大きく問題となった。

一方、東日本大震災は、
阪神・淡路大震災と異なり、「地方型」であり、また、津波の被害、さらには、原発事故の被害を併発したことにより、「近代の都市計画」といった枠組みだけではまったくとらえることができない。

にもかかわらず、あちこちで聞かれる「復興」の話は、相変わらず同じような論調になってしまうのは、なぜなのだろうか。

「都市計画」的な問題に関する議論はもちろん重要であるが、それ以上のことには議論を向けない姿勢には、あまり賛同はできない。

大きく変わったと考えられるのは、ボランティア的な活動の広がりと、ITやネットを活用した情報の共有化の広がりである。

この点についてはまたあらためてしっかりと考えてみたい。

***

本書が書かれてからその後、こうした「都市計画」的な課題でさえ十分にはクリアしないままに、2011年には新たに、原発事故のあとの「復興」という、
これまでの災害後の「復興」とはまったく異なる、きわめて特殊な事態に私たちに直面している。

汚染された土地は、立入りさえできなくなり、人びとは別の場所でしばらく暮さねばならなくなった。

避難したのは人間だけで、多くの動物たち(ペット、家畜)が取り残された。

地震や津波の傷跡も、多くは放置された。

ボランティアもその地に入ることが困難になった。

あらゆる「計画」を行うことが困難になったのだ。


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2014-04-20 17:52:00

六ヶ所村、ふるさとを吹く風(菊川慶子)、を読む

テーマ:原発
読んだ本
六ヶ所村、ふるさとを吹く風
菊川慶子
影書房
2010年9月

ひとこと感想
六ヶ所村が歩んできた道のりと、菊川慶子の人生とが、ともに語られる。優しく、誠実で、理知的な方である。彼女の遺伝子は数多くの人にもたらされているが、まだ本当の意味で彼女の「ふるさと」を想う気持ちを「後継」できる人は現れていない。

***

菊川慶子(KIKUKAWA Keiko, 1948-  )は、六ヶ所村生まれ、花とハーブの里主宰。東京で働いていたが、チェルノブイリ事故の影響を受け、1990年帰郷し、再処理工場の建設・稼働に反対し続ける。鎌仲ひとみ「六ヶ所村ラプソディー」に主要登場人物。

***

六ヶ所村の歴史がまず、語られる。

Rokkasho, 2014.04.20

大きな転換は、1969年の新全総で「むつ小川原開発」が推進されはじめたときで、このなかに「原子力コンビナート」構想も含まれていた(後に一度「原子力」の文字は消される)。

このとき、住民は必ずしもこうした「開発」に賛成ではなかった。

土地は早速に大手不動産業者の買い占めが行われた。

しかし、その後ドルショック、オイルショックが続き、当初の計画は縮小される。

そこに代替案のようにやってきたのが、「むつ小川原核燃料サイクル基地建設構想」(1984年)だった。

その後、工場は1993年に建設着工され、2001年以降さまざまな試験を行い、少しずつステップを進んでいるわけだが、その後、現在に至っても試運転にとどまっている。

しかし同時に、使用済核燃料などがすでに数多く集められている。

言うなれば、全国各地の原発の後始末がここで行われようとしているのであり、それはさらに言い換えれば、この国に住む私たち一人ひとりの「廃棄物」が六ヶ所村に集まっている、ということなのである。

そんななかで、菊川は、常に不安を持ち続けながら無農薬野菜をつくり続けている。

Rokkasho, 2014.04.20

菊川は六ヶ所村のなかでも、豊原(TOYOHARA)という11戸の集落に住んでいる。

この地名は、元々は樺太の豊原(現在のユジノサハリンスク)から来ており、菊川の両親は樺太で生まれている。

菊川の両親は体が弱く、下北の厳しい環境のなかでかなり苦労をし、結果的に用地買収によって、少し暮らしが楽になる。

両親と祖父とのあいだでは喧嘩が絶えず、彼女は中二になって店の手伝いということで三沢の親戚の世話になる。

卒業後、集団就職で東京へ。

川崎のクリーニング店で働き、その後、転々と仕事を変える。

その後、結婚、出産、離婚、そして、再婚、新たに二人の子ども。

その後は生活も安定し、夏休みや冬休みには子どもを連れて帰省するが、そのたびごとに、村や人びとの暮らしが変わっていることに驚く。

1970年前後から、「開発」がはじまるのである。

他方、菊川の暮らしも安定し、次第に自然の豊かな場所で畑をもって暮らしたいと考えるようになり、岐阜に良い場所をみつけ、引っ越そうとする。

そのとき、チェルノブイリ事故が起こる。

思い悩んだ末に帰郷を決意、家族たちとともに、1990年3月に引っ越す。

六ヶ所村は1985年には再処理工場の受け入れを決め、また、下北半島各地で「原子力」関連施設が増えてゆく。

反対派の運動も次第に力を増してゆくが、1989年の村長選、1991年の知事選の結果を経て、その後は息をひそめる。

菊川はちょうどこの二つの選挙のあいだに帰ってきたことになる。

それまで積極的に市民運動に参加したことなどなかった彼女であるが、引っ越して半年ほどで反対派の集会に赴く。

最初は情報誌づくりからはじめた。

1990年12月から「うつぎ」という題名でミニコミ誌をつくる。

月刊だったのが1998年からは季刊になり、むしろ村外の購読希望者が増えてゆく。

本書では過去の記事が抜粋されている。記事をたどりながら、当時をふりかえっている。

1993年より
花とハーブの里を開園し、ソフトな反核燃運動として、チューリップ祭りを開催する。

Rokkasho, 2014.04.20

反対運動をゆるやかに伝えるうえで大きな力となった一方で、経営的には赤字続きであった。

1995年には、村外から訪れる運動支援者たちの宿泊施設(団結小屋)として、両親の家の牛舎を改良して「牛小舎」(USHIGOYA)も同年に開設している。

Rokkasho, 2014.04.20

Rokkasho, 2014.04.20

運動は1995年頃から次第に「疲弊」がみえはじめる。

2000年には「うつぎ」は100号となり、そこで一区切りと考え、「花とハーブの里通信」と題名を変え、内容も六ヶ所村での暮らしを伝えるものとし、不定期刊となる。

彼女の父と母、そして弟が亡くなる。また、子どもが自立してゆく。

それでも菊川は、この運動を続ける。

しかし、今それも曲がり角に来ている。

宿泊施設と飲食施設は、2008年に合同会社化し、運営はかなり安定してきているが、一方では2011年5月をもってチューリップ祭りをやめている。

Rokkasho, 20140420


とりわけ、「3.11」を経て、少しずつ大きく変わりはじめた部分と、まったく変わらない部分とがはっきりとしてくるなか、菊川は、後継問題に悩んでいる。

当然「後継」というのは単純な話ではなく、「六ヶ所への思い」を後継する人たちのことであろう。

六ヶ所村は、数日前にようやく、畑の雪がなくなり、新たな植物たちの動きがあらわれはじめたのだが・・・

Rokkasho, 2014.04.20

彼女の遺伝子は数多くの人にもたらされてきているが、本当の意味で彼女の「ふるさと」を想う気持ちを「後継」できるのは、六ヶ所村に「住む」人たちしかいない。こうしたジレンマに今、菊川は悩まされている。

Rokkasho, 2014.04.20

花とハーブの里の敷地はとても広い。奥には「はなの森」と名付けられた場所があり、8年前に植樹され、少しずつ大きくなっている。

菊川はこの「はなの森」を、散骨をする場所と決めている。




六ヶ所村 ふるさとを吹く風/影書房
¥1,836
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クロベエという名の猫。尻尾だけガラス越しに見えたのだが姿は現わさず、鳴き声だけが聞こえた。


2014-04-19 19:15:00

六ヶ所村ラプソディー ドキュメンタリー現在進行形(鎌仲ひとみ)、を読む(前半)

テーマ:原発
読んだ本
六ヶ所村ラプソディー ドキュメンタリー現在進行形
鎌仲ひとみ
影書房
2008年11月

ひとこと感想
映画作品「
六ヶ所村ラプソディー」の舞台裏ならびに、その後、が描かれている。映像とは異なり、自身の考えや葛藤を言葉にしている。一連の鎌仲の仕事は、俗に言う「攻撃的」作品ではなく、「反対や「賛成」そして「運動」の意味を問い直し、かつ、新たな「ムーブメント」を引き起こす力を強く感じる。

***

本書は、鎌仲の文章を中心としつつ、さらに、ノーマ・フィールドとの対談、それから4名の関係者のコラムから構成されている。

題名のとおり、映画「
六ヶ所村ラプソディー」を2006年に発表するまでの経緯から、その後、2年ほどのあいだの動きを追いかけたものである。

鎌仲が六ヶ所村に入ったのは、2004年の春。すでに再処理工場は完成し、ウラン試験を行おうとしていたところだった。

彼女はすでに「ヒバクシャ」という映画を仕上げており、がんの宣告を受けつつも、次のステップに進もうと、六ヶ所村を撮ろうと決めた。

「私は一人の"よそもの"として、六ヶ所村に起きていること、そこに生きる人々の生き様を視よう、聞こう、それが矛盾であってもそのままに描く映画にしようと決めた。」(25ページ)

そして出会ったのが菊川慶子だった。

菊川は、すでに鎌仲と出会うより14年前から、静かなる反対運動を続けてきた人物である。

「静かなる」と形容したのは、彼女の「闘い」は、「花とハーブの里」というチューリップ畑を続けることにあったからだ。

「日本原燃がもたらすお金に頼らない生き方を実践することそのものが、菊川さんの反対運動であり、それはあくまでも生活に根ざした感性に裏打ちされている。」(27ページ)

言うが易しではないが、実際にこうした生き方を選び、十年以上ものあいだ続けることは、想像以上の苦労があったに違いない。

***

もちろん当作品は、菊川以外にも、多くの人々が登場する。

賛成の声、反対の声、中立の声、それを否定する声、悩む声。

鎌仲は、「公平‐フェア」にさまざまな「声」を聞こうと努める。

ところが、この試みが災いし、最初のカメラマンからは非難を受けてしまう。

それでも鎌仲はこのスタンスを変えずに進めようとし、新たなカメラマンとともにいろいろな人(いろいろな立場の人)と出会ってゆく。

そうなのだ、本作品は、そこで何が起こっているのか、といった「事象」に焦点があてられているのではなく、そこで暮らしている人が何を考え、何を感じているのかを、時間をかけて追いかけているでのある。

しかも「推進派」の人たちへの取材が、困難をきわめる。

世間で「六ヶ所村」が話題になるとき、それは「反対派」の声ばかりがとりあげられる。

というよりも、反対を叫んでいたり、デモをしていたり、要するに「絵」になるような「事象」をメディアは撮りはするものの、そこに生きる人びとの暮らしや考えのディテールや「あいまいなもの」を追いかけようとはしない。

鎌仲はすでにそうして色分けされたかのようなところに入ったために、大変苦労をする。

それでも、単純な対立構図を追認することなく、「人」をとらえようと続ける。

「一人一人の顔や名前が見えてくれば、そこには様々な意見の違いや温度の違いがあるはずだ。私はそこのところを大事にしたいと思っていた。単に色分けすることはメディアの暴力とも言えるかもしれない。」(32ページ)

実際に、次第にいわゆる「推進派」の人たちの話も聞けるようになるなかで、この「推進派」というラベルがかえって彼らの生き方や考え方を曲解する原因となっていたことに気づく。

「ほとんどの人々は推進というよりは"サバイバル"だった。」(36ページ)

しかし、次第に「推進派」の人たちの声も拾えるようになると今度は、「反対派」の人たちからの批判をも受けてしまう。

なかなか、こうした立ち位置は、難しいのだ。

その後、ようやく映画としてまとめあげてゆこうする際にも、鎌仲の苦悩は続く。

反対か賛成か、いずれかの視点からしか見ていないような作品にはしたくない。

そして、なおかつ、個人的な見解としては「反対」である、ということも明らかにしたい。

この二つを両立させること。それは、非常に難しいやり方を模索しなければならないことになる。

「単に反対したり批判するのための作品を作ったとしても意味がないと確信していた。なぜなら私自身がそのようなスタンスに共感できないからだ。誰かの意見をおしつけられるのもいやだ。自分で考える、観る人を思考へと自然に促すスタイルが必要だった。」(51ページ)

もちろん鎌仲にも、はっきりとした「答え」があるわけではない。

だが、だからといって安直な意見や立場を主張して終わってはならない。満足してはいけない。

そうではなく、この複雑な事態をしっかりと理解しようとつとめ、さらには、自分もそのなかにかかわっているということを伝えてゆきたいのである。

「問題のありどころを誰かの責任にするのではなく、それに加担している私たち自身の責任を自覚することが大切なのだ。」(52ページ)

***

映画が公開されて、しばらくの間は、ほとんど反響がなかったという。

それはやはり、ある「立場」に立たないからであろう。

明確な立場から大きな声でものを言うものをその立場の人は受け入れるが、あいまいなものは、なかなか見向きもしてくれない。

ただ、鎌仲にとって幸運だったのは、坂本龍一が「STOP ROKKASHO」運動を行っており、彼女の作品に共感を寄せ、協力したことであろう。

といっても実際に観た人からは、賛成派からも反対派からも
作品の内容自体は好意的に受け止められなかった。

だが、それこそが鎌仲の目指していたものだった。

世間一般で言われる「映画好き」が好むものではないということを自覚しはじめ、なかなか作品が世に伝わらないジレンマを抱いていた鎌仲だが、自らがしっかりと作品を一人ひとりに伝えてゆこうと気持ちを入れ替え、自主上映に活路を見出す。

その後、二年半各地を回り、450回以上の上映を行ったという。

エネルギッシュである。

年齢的には若い世代が観にきてくれた、というから、おそらく20~30代が多かったということであろう。

観客数は多いときもあれば少ないときもあったが、来場者が観想を書いてくれる比率はとても高く、この作品を観た者が自ら考え何かを書こうとしたことが伺える。

その後、ネットで記事やコミュニティなどが増えてゆき、ついには、六ヶ所村、現地を訪ねる若者が現れるようになる。

まさしく映画「作品」が基幹となって、「六ヶ所村」を考え行動するネットワークが生み出されてゆくのだった。

鎌仲の映画は、本当の意味で「メディア」として機能しはじめた。

(後半は、また後日)

六ヶ所村ラプソディー―ドキュメンタリー現在進行形/影書房
¥1,575
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2014-04-18 23:30:00

六ヶ所村ラプソディー、観る

テーマ:原発
観たDVD
六ヶ所村ラプソディー
鎌仲ひとみ:監督
グループ現代:制作
2006年

ひとこと感想
タイトル通り、六ヶ所村の2004年頃の様子を描き、村民の多くの人の「声」を集めている。彼らが、賛成であれ反対であれ、今日を、そして明日を生き抜こうとしていることに違いはないということを教えてくれる。
ある考えを強化するためではなく、自ら考えるための作品である。

***

六ヶ所村の施設については、これまで2つのブログ記事を書いている。

核燃料サイクル施設の社会学 青森県六ケ所村、を読む

http://ameblo.jp/ohjing/entry-11479488624.html

美味しんぼ、六ヶ所村の核再処理工場を語る
http://ameblo.jp/ohjing/entry-10898684562.html


映像で観るのは、今回がはじめてである。

***

場面選択としては、7章に分かれている。

1 動き出す再処理工場
2 菊川さんの意志
3 核燃と共に生きる人々
4 農家の抵抗
5 エネルギーと環境のジレンマ
6 交差する過去と未来
7 中立は賛成と同じ

特典として、以下の2点が収められている。
1 「六ヶ所村ラプソディー 予告編」
2 「6ラプ日記」no.1~no.4

***

予告編の冒頭の音楽には、スティングの「Nuclear Waste」が使われている(この曲については、いずれあらためて記事を書きたい)。

かなりアグレッシブな映画なのか、と思っていたが、むしろその逆であった。

その後は、淡々と、それぞれの人びとの生の声。

そう、この作品は複数の「声」を集めたものなのだ。

***

監督の鎌仲は、DVDの表4でこう書いている。

「映画には賛成・反対、双方の村人が出て、語ってくれる。」

「原発」に対して、「賛成」か「反対」か、これまでも、そして今でも、厳しいやりとりが続いている。

いずれも自陣を擁護し他方を攻撃する。

マスコミはもちろん、多くの著書や研究も、そうした前提をとることが多く、かつ、その受け取り手である視聴者、読者もまた、そうした前提をもとに受容している。

「私たち」にとって、「原発」とは一体、何であるのか、それが私の問いであるため、どうしても、「賛成」や「反対」の声を聞かざるをえないが、いずれも、他方の声は聞こうともしない。

そんななか、本作は、実にていねいに双方の「声」を聞きとっている。


たとえば、菊川慶子。いや、たとえばではない。本作の基調の「声」とも言える。

彼女は「花とハーブの里」を主宰する。16年前よりこの地で核燃反対運動を続けているが、静かに、チューリップを育て続け、核燃に依存しない暮らしを体現する。言い換えれば、多くの住民は核燃内もしくはその関連で働いているのである。

彼女と一緒にちらしを配っているミュージシャンの山内雅一。土地の買収をめぐる応酬に巻き込まれた人の話を聞いて行動をはじめる。

60歳代の頃、体を張って漁港を守ろうとした坂井留吉は、すでに80歳。当時は仲間も反対側にいたのだが、次第に仲間は妥協しはじめるものの彼は今でも当初の意志を貫いて生きている。妻のタツエもその意志に寄り添っている。柔らかく語っているが、無念さや悲しみも静かに伝わってくる。

ここから、いわゆる「推進派」が登場する。が、単純に「推進」しているわけではない。「暮らし」があるなかで、苦悩の末の選択を、その都度行ってきた、その結果である。 

漁師をやめて再処理工場で働く上野幸治は、三人の子どもを育てている。両親の助けを借りているとはいえ、生計をたてるために、核燃は、決して否定的になれない存在である。


六ヶ所村でもっとも大きなクリーニング店を経営する小笠原聡は、工場の衣類を引き受けているが、もっとその内部に組み込みたいと考えている。

また、村でもっとも大きな建設会社である岡山建設の会長である
岡山勝廣は、原燃側の説明などを聞いて信頼し、良きパートナーとして共に生きてゆこうと強く考えている。未来の子どもに残すべきものとして真剣に「原子力」ちつきあってゆこうと考えている。

続いて、農業を営んでいる人たちの声である。

近隣で無農薬農業を行っている哘清悦は、農業と原子力は両立しないと考える。しかし同時に、原子力受け入れによる交付金を使ってトマトの選別機を購入する。しかし当然プライドがあり、あくまでもおいしいトマトをつくることにこだわった結果であるとする。荒木茂信
も同じようにトマトをつくっている仲間である。食の安全への強いこだわりがある。

ここで、避難訓練の映像がさしはさまれる。
ヨウ素溶液が並べられていたり、かなり貴重である。なんと、再処理工場で火災が起こったという想定であるが、プルトニウムが放出、やませでかなり遠いところまで飛散したという、SPEEDIのようなデータをみながら訓練が続けている。

また、今やすっかり有名人になった斑目春樹が登場する。
科学者が取材を受けてくれないなかで、率先して発言した「良い人」である。また、原子力は安全なはずがない、とか、最終処分場の問題を「金」と言い切っている。相変わらず、良い味を出している。

このあと、小出裕章も登場する。言っている内容は、今も当時も変わらず一貫しており、原発の危険性を訴え続けている。彼の横に飾ってあるピカソの「ゲルニカ」に絵ハガキが気になる。

農薬を一切使わずに米作りを行い、産直というやり方で全国各地の家庭に届けていた
苫米地ヤス子は、再処理工場や放射能の心配をそのまま正直に伝えていったところ、顧客をどんどん失っていってしまう。正直者が損をしている。

ここで、英国のセラフィールドの再処理施設
の事故の話になり、現地でのインタビューがさしはさまれる。六ヶ所村との対比ということなのかもしれないが、少し戸惑う。

・・・といったように、ていねいに一人ひとりの姿が映し出される。

煽情的なシーンがなく、淡々と画面が切り替わる。

人は、怒声や涙や血や激しい動きに引きずられる生きものである。

だが、だからこそ、大切な問題を考えるとき、そうした「効果」を使わずに冷静に映像を見せる鎌仲のやり方は、実はもっともラディカルではないだろうか。

なぜならば、印象的なシーンを心に焼きつけるのではなく、一人ひとりの生き方を私たちの心に刻みつけようとしているのだから。

こうした「小さな日常」の数々は、決して、本当は「小さく」はなく、一つひとつが大切な、かけがえのないものである。



六ヶ所村ラプソディー [DVD]/グループ現代
¥5,184
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2014-04-17 22:01:00

叙事詩 アメリカに落ちた爆弾、を読む

テーマ:原発
読んだ本
叙事詩 アメリカに落ちた爆弾
ハーマン・ハゲドーン
入江直祐訳
法政大学出版局
1950年12月

The Bomb that fell on America
Hermann Hagedorn

Blandford Press (UK)
1946.01

ひとこと感想
大政翼賛会的な言説が多かった当時の欧米にあって、本書はかなり異色の作品である。
「叙事詩」という形態をとり、しかも、神との対話など、地域的特性(宗教的要素)が色濃く出ているため、多少読みにくいところもないではないが、総じて「良心的」であり、そうした声が米国にもあったことを知ることも大事である。

著者のハゲドーン(1882-1964)は、米国の詩人、小説家。Th・ルーズベルトの伝記作家。同姓同名のドイツの作家がいるのでご注意。

***

原爆、それが落ちたのは、アメリカにだ――

この題名、おそらく当時の米国の人たちの気分を害したのではないだろうか。

戦争が終わり、兵士たちが祖国に帰り、それを迎え入れているときに、こんな言葉を突きつけられたら、誰でも、不快になるはずだ。

だが、著者はあえてこの言葉を問題提起として投げかける。

その根本的な意識は、バタイユやサルトルらとほぼ近い位置にあると思われる。

しかも彼らがフランスからそうした発言をしたのとは異なり、著者は、米国のただなかで、本書を発表している(最初は英国だが、その後米国でも刊行された)。

そして、もしかすると、米国においても「公式見解」とは別の「声」として、原爆投下した国の市民として、原爆投下への恐怖、後悔、不安、戦慄でやりきれなかったのかもしれない、という一縷の可能性を本書から感じたのであった。

***

本書は、叙事詩で、3部構成になっている。

第1部では、日本に落とされた原爆への衝撃が、米国民にも響いたと語り、そのあと、ロスアラモスにおける最初の核実験の秒読みをしつつ、その間に、さまざまな想いをよぎらせる。

第2部では、神を対話の相手として想定しつつ、これから自分たちがどうしてゆけばよいのかを模索する。

第3部では、原爆の脅威に打ち克つものとして「魂」の重要性を強調する。

これが本書の大枠の構成である。

なお、
第1部、第2部までで一度脱稿され、4年後に第3部が書かれたという。

***

本書には著者による「日本語版への序文」(1950年5月)が1ページ収められている。

そこには、「あの惨事が起こった直後、反動的気分に包まれ、屈辱と恥辱と憂心とに包まれて書いた」(iiiページ)とある。

***

冒頭は、こうはじまる。

「爆弾が広島に落ちた。
 忘れはすまい。(4ページ)

ここではあえて「原爆」とは書かれていない。

ただ「爆弾」と書かれている。

しかし一方で、「雲は、…ゆっくり人を殺す魔性の放射線をふりそそいだ。」(5ページ)と、原爆のもつ「恐ろしさ」の一端をはっきりと描く。

「今までに、こんな死にざまがあっただろうか。 
 溶けたのだ、気化したのだ。」(7ページ)

爆心地付近の地表面の温度は数千度に達したと言われており、液化、気化、という言葉でそのむごたらしさを言いたくなる気持ちは分からないではないが、実際には、そんなことはない。

もちろん「詩的」表現なので、悲惨さを訴えるために、こうした言葉を用いているのであろうけれども、科学的ではなく、人体は、炭化することはあっても「気化」することはない。

「ヒロシマに落ちた原爆はアメリカにも落ちたのだ。
 街に、軍需工場に、港に、落ちたのではない。
 教会を抹殺し、大建築を気化し、人間を原子に還元したのではない。
 しかし、落ちた、落ちたのだ。
 炸裂して、この国土を震撼させた。」(11-12ページ)

「米国にも原爆が落ちた」というときに「も」というのが、重要である。

「敵国」を攻撃するために使用された「原爆」は、「自国」さえも攻撃するほどの、破壊力があった、ということを訴えているのであろう。

「アメリカに原爆が落ちたとき、それは国民に落ちたのだ。」(13ページ)

しかも、原爆投下については、トルーマンやグローヴズ、オッペンハイマー、スティムソン、バーンズなど、その「責任」を追求する研究は数多くあるが、ハゲドーンは、「国民に落ちた」と、暗に、米国民一人ひとりの「罪」を問おうとしている。

「それは人々の身体を溶かしはしなかったが、
 しかし、えらい人、つまらぬ人、あらゆる人々の何かいちばん大切なものを溶かし去った。
 人間と過去・未来とのつながりが溶け去ったのだ。」(14ページ)

最初の比喩である「溶解、気化」が誤解であったとしても、詩人の言葉としては、ここに喚起され、その言葉から、歴史のつながりが立ち切れたことを「溶け去った」と表現する。

「この恐ろしいものを人類にけしかけたのは、一体誰だ。
 われわれも知り、天地も知る。
 それはアメリカだ。」(18ページ)

理想に燃える若い国アメリカ合衆国は、常に世界に貢献する存在としての自負心がある。

しかし、それでは原爆とは一体どういった「理想」を表していたのか、それをよく考えなおすべきだ、と著者は言いたいのであろう。

自身を叱責し、悔み、もっと真剣にこの事態と向き合うべきだ、と。

「アメリカよ、君は、君の力をどう使うつもりなのか」(57ページ)

著者は決して「他人事」として、ここで「君」と言っているのではない。

自ら悔いた者として、他の米国人たちに、「君は?」と訴えているのである。

「昔からの道標は倒れ朽ち、
昔からの言葉は意味を失った。

少しでも意味のある言葉といっては、ただ、
生と死という言葉だけだ。」(62-63ページ)

この言葉は、「アトミックエイジ」の「生存」を「バイオパワー」という概念で検討したフーコーの思索と接近したものと考えられる(詳細はこちらへ → 放射能という出来事に対する思考の可能性、フーコーにおけるポスト・アウシュヴィッツの倫理)。

すなわち、私たちは、「死の中に廃棄される」か、もしくは、「生かされられる」か、といった生存様式にあるのである。

「私たちはヒロシマの生き残りのようなものです。
私たちの胸の上に死体は横たわり、私たちの魂に真黒な雨が降りこんできます。
信じられぬほどの熱い焔に隔てられて、昨日と明日は遠のいてしまいました。」(63ページ)

敵だった国の「悲劇」に、黄色人種が多く住む小さな島の「出来事」に、ハゲドーンは、ここまで深く思い入れているのは、ある意味では奇跡的である。

そのあとに語られる言葉も、多くは、彼らの信仰する「神」との対話が繰り広げられ、そうした手法は、私にはあまりなじめるものではないとはいえ、著者の真摯な問いかけには、とても心打たれた。

戦争とは、勝利した者が「正義」であり、たとえ「加害者」であっても、「被害者」としてふるまう運命にある。

だが、本書の著者、ハゲドーンは、そうした「固定観念」にとらわれることなく、「原爆」のすさまじい威力に対して、冷静に、真剣に向き合い、こうした稀少な、気高い作品を著した。

だが、
その後の歴史の流れをみるにつれ、残念ながら多くの人びとにはハゲドーンの叫びは伝わらなかったように思われる。

アメリカに落ちた爆弾―叙事詩/法政大学出版局
¥1,260
Amazon.co.jp
2014-04-16 21:02:00

サイエンスコミック 核融合・原子力発電、を読む(意外と面白かった)

テーマ:原発
読んだ本
サイエンスコミック2 核融合・原子力発電
大林辰蔵 総監修
庄司多津男 責任編集
熊谷さとし 漫画
クロスロード
1985年12月

ひとこと感想
意外とよくできた本だった。
チェルノブイリ事故が起こる前に書かれているにもかかわらず、利点と問題点とがとてもフェアに書かれており、しかも、原子力発電のみならず核融合を主題としている点も興味深かった。中学生向けとなっているが、内容は十分普通の新書くらいはある。読んでよかった。

***

本書は、まもる君のお父さんが核融合の研究をしており、まもる君が研究所を訪ねるためにまず下調べの勉強をし、そしてお父さんと研究所をいっしょに見て回る、といった設定になっている。まもる君はさらに原子力発電所も訪ねてゆく。ガイド役は、「かっくん(核くん」というヘンテコなキャラクター。

以下、順番に章ごとに話題を追いかける。

***

プロローグ 太陽を地上に

1957年に英国のローソンが太陽で起きている核融合反応を地上で実現するための条件を決定することで、核融合の研究への道が開かれる。

といっても、今なおこの研究には賛否両論である。

***

1 核融合のしくみ

プラズマのしくみについて説明される。

物質の三つの状態である固体、液体、気体と対比させ、プラズマが「分子や原子の多くが、それらをつくっている電子とイオンや、さらに原子核にこわれて激しく飛び回っている状態」(13ページ)と説明する。

そしてプラズマ同士がおこす核融合のエネルギーの代表格として太陽をとりあげる。

太陽と同じことを地上で行おうとする場合、水素からヘリウムをつくるのが難しい。

そこで重水素と三重水素を融合させてヘリウムにすると、1つ余った中性子が飛び出すとともに、大きなエネルギーが発生する。

もし1グラムの質量があれば、「約2150トンの石油が燃えたときと同じ熱になる」(23ページ)のである。

ところでこの重水素は海水中から採集することができるが、三重水素は自然界には存在しない。

そこで、リチウムに中性子をぶつけてつくりだすが、リチウムもそれほど多くは存在していないため、さらにいくつかの方法が試されている。

1)重水素 + 重水素 → ヘリウム3 + 中性子
2)重水素 + 重水素 → 三重水素 + 陽子
3)重水素 + ヘリウム3 → ヘリウム4 + 陽子

ただし、まだ問題はある。プラズマを起こすのは簡単で、「蛍光灯やネオンのように、電圧をかけて電気放電をおこすと、気体が電子とイオンに分かれて、次から次へとプラズマ化する」(25ページ)が、このプラズマを高温(1億度)にして一定時間閉じこめておくことが、極めて困難である。

***

2 科学者の夢

しかし、「閉じ込め」る場合、温度があがると動きが激しくなるのだが、そのうち壁にぶつかると温度が下がってしまい、プラズマは元の原子の状態に戻ってしまう。

そこで、プラズマのなかに磁力線をつくり、プラズマを壁にぶつからないように誘導するのである。

これまで、磁場で閉じ込める方法として、いくつか考案されてきた。

最初のものは、ミラー型と言い、コイルを二つ用意し電流を流しそのなかにプラズマを閉じ込めようとした。

ただしこれでは充分な閉じ込めになっておらず、両側から逃げられてしまう。

次に構想されたのはステラレーター型といって、磁場をねじらせつつドーナツ状の円環をつくるものだった。

***

ここで、話は水爆に移る。

水爆は、原爆を起爆剤にして
1億度の高温をつくりだし、リチウム水素化合物をプラズマ化させ重水素と三重水素をとりだすものである。1952年に米国が、1953年にはソ連が実験に成功、そして、1954年には第五福竜丸事件が起こる。

また、放射線の説明をはさまれている。

放射線については、「うけた種類や慮、時間によって」(37ページ)影響が異なり、「あびる量の基準を決めることは、なかなか難しい」(38ページ)と説明しつつ、原爆や水爆が、そうした「基準は守れない」(39ページ)。

***

3 核融合炉への道

ステラレーター型が失敗に終わったあと、1968年、ソ連のアーチモビッチは、ドーナツに小さなドーナツをたくさんつけ、その両側にトランスをつけたトカマク型により、かなりの時間(といっても100分の1秒だが)プラズマを閉じ込めることに成功した。

しかし他にも、「バンビートータス型、ミラー型、レーザー型など、検討されているが、今のところまだ長短があり、模索中といったところのようである。

***

4 未来のエネルギー

こうした「~型」が目指しているのは、あくまでも、核融合反応をおこすために必要なプラズマ状態をつくりだすことにあるのであって、核融合炉をつくりだすのは、まだまだ将来の話(21世紀後半を一つの目標にしている)である。

ここでは、技術的な課題の解決だけではなく、採算性がとれなければならない、としている。

さらに、現在のやり方では炉が激しく放射能汚染されてしまうため、重水素同士の反応をもとにしたものがつくられなければならないのである。

それに対して原子力、すなわち核分裂を利用した原発については、次のように述べている。

「原子力もいろいろと問題をかかえているけど実現しているし、これから先は原子力エネルギーはますますふえざるをえないだろうね」(59ページ)

***

5 エネルギーってなんだろう?

人間がエネルギー、とくに「原子力」を利用する場合、「自分たちの文化や産業を優先して環境や自然をおろそかにし」「自分で自分の首をしめて」(70ページ)しまうことがあるかもしれない、と厳しく書かれている。

核を扱う場合、このいましめをよくきもに銘じておかないと、いつこの地球が人の住めない星になってしまうかわからないんだ」(70ページ)

上記のセリフは、実は、まもる君がお父さんの知人の原子力発電所の所長のものである。

煙草を吸っているのに灰皿が置かれていない絵が、少々笑いをもたらすものの、内容はいたって真面目で、こうしたことが「原発」側からはっきりと言われること自体が、貴重である。

しかし、原子力の選択に関しては、少々荒い記述となっている。

1960年に石油ブームが起こるものの、その後中東戦争により価格や供給が不安定になるなかで、原子力が選択された、と説明されている。

「過去、原子爆弾による被害を受けている日本としては、原子力発電に対して、大きな不安と拒絶反応がありました。」(78ページ)

戦後ただちに、すなわち、原爆投下の被害を受けてすぐ後から、私たちは、原子力への「崇拝」ははじまっていたことについては、本書はふれないのだった。

***

6 核分裂のしくみ

ここではウラン原子の核分裂について、わかりやすく説明されている。

***

7 原子炉のいろいろ

国内の標準型である軽水炉を、BWRとPWRそれぞれとりあげ、さらに、最初に英国から東海村に導入されたマグノックス炉、現在開発中のHTTR(高温ガス炉)、また、さりげなく「ふげん」(転換炉)が登場している。

こうした原子炉の種類の説明のあとに、原子炉と原爆との違いや放射線の問題が説明されている。

原子炉では核爆発が起こる心配はないが、「困ったことに核分裂からはエネルギーの他にやっかいな放射線が出てくる」(99ページ)

こうした点もしっかりと書いているだけではなく、「そこの研究が今一つ」と、対応が十分ではないことが指摘されている。

また、FBR(高速増殖炉)も説明があり、フランスのスーパーフェニックス、常陽、もんじゅも話題にのぼる。

まもる君は「へえ期待できそう!」(102ページ)と声をあげてこの章は終わる。

***

8 原子炉の安全性

「もんじゅ」と「ふげん」が、「人類の智恵と慈悲の心でコントロールしていこうという願いが込められている」(105ページ)として、菩薩の名前からとられたという説明をしつつ、「一歩まちがえば恐ろしい武器になって人類を滅ぼしかねないエネルギー」ということも強調されている。

ここでは原子炉の安全性として、ドップラー効果とボイド効果がとりあげられている。

かつての米国における実験を引用し、「どんな最悪な条件にしても爆発は起こらなかった」(108ページ)と述べ、また、地震に対しては「強固な地盤の上に建てられている」(109ページ)から完璧だ、と言おうとしているのかと思いきや、違うのである。

まもる君が「へえっ すごいじゃない」と言うと、「ま・・・そこのところはね」(109ページ)という、つれない返事なのである。

何が問題かというと、やはり「放射線」であり、「一応安全なように五つもの壁に守られてはいるけど」(110ページ)「なにぶんにも人間のやることだからね」(111ページ)と厳しい。

その実例として、TMI(スリーマイル)をとりあげ「このとき実際に流れ出た放射線は1.5ミリレムだった。でも、どんなに少ないといっても流れ出たことは事実だからね」(111ページ)と述べる。

国内の例では、敦賀原発の廃棄物処理家屋から廃液が漏出し放射線が検出された事件を示す。

「問題は事故を恐れてばかりいても解決はしないさ。つねに正しい知識と情報そして原因をはっきりつかんで同じことをくり返さないようにすることだよね」(112ページ)ときわめて現実的である。

モニタリングも細かく行われ、定期検査も実施されているが、「なによりもそれを動かす人、点検する人たちの技術向上も安全対策の一つだ」(115ページ)とする。

やはりこの章の最期も、まもる君は「これだけ安全対策ができていればばっちりだね」と締めくくろうとするが、「でも人間のやることだからね絶対とはいえないね!」(115ページ)と厳しい横やりが入る。


***

9 放射線と放射性廃棄物

放射線が発見され、「
この核分裂のエネルギーを人を殺す兵器に使ってしまった」(117ページ)ために、放射線は有害なものとばかり見られがちであるが、工業、医学、農業など、さまざまな分野で利用されていると述べる。

そして最後に、
増え続ける放射性廃棄物の処理(保管)の問題。

「困ったね、家の中にトイレがなくて、ウンコをバケツにためているようなものだね」(127ページ)

また、廃炉についても、「むずかしい問題」とする。

***

最後の数ページでは、次のようなまとめがなされる。

・原子力は安全に対しては、とても努力をしている。これは、逆に言えば、とても危険なものだから安全に努力をしているとも言える。

・エネルギーが豊かな生活を支えているが、石油もウランもかぎりがあり、「今わたしたちは燃料が豊富でもっときれいなエネルギーをさがしている」(131ページ)が、エネルギーの使いすぎを考える必要もある。

***

つまり、たとえ無尽蔵に使えるようなエネルギーがあったとしても、地上のエネルギー消費の増加は地表の温度上昇を引き起こし、極地の氷を溶かし、海面の高さが100メートル上昇する可能性があるので、「持続可能な開発」という言葉は、ある意味では「ごまかし」なのである。

原子力に賛成か反対か、といった「技術的かつ政治的な選択」だけではなく、私たちの「生存環境」の根幹をどうしてゆくのか、といった議論もなされなければならないのである。


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かつて、オレンジページの広告に「原子力」があった頃――「ちかごろ気になるエネルギー」を読む

テーマ:原発

読んだ記事広告

ちかごろ気になるエネルギー8 
わが家でも、原子力でできた電気をつかっているのだろうかと。
通商産業省 資源エネルギー庁
オレンジページ
1992年11月17日号

***


今から20年ほど前の「オレンジページ」が見つかり、ページを開くと、そこに「原子力」関連の広告があった。

上掲したコピーの上には、今では考えられないような文章が。

「子供に「ゲンパツって何?」と聞かれた。
 原子力発電所だとは言えるけど、
 そこから先はわからない
 あららと困って、ふと考えた。」

要するに、子どもから原発のことを聞かれたら、あなた(子供の母親)は、どう答えますか、と読者に尋ねて、「日本で使われている電気の1/4を担っている」というメッセージを提供している、と思われる。

この文章の「そこから先はわからない」という問題提起が、私には今一つよく「わからない」。

火力発電だって、水力発電だって、みな、それほど詳しいことは「よくわからない」とも言えるのに、なぜ、私たちは、原子力の「なぜ」を、こういう形で適当にやり過ごしてきたのだろう。

いや、それ以前に、子どもが「ゲンパツ」について親に尋ねる、というシチュエーションもしっくりこない。

なぜ、わざわざ子どもがゲンパツについて親に聞くのか???

おそらく「ゲンパツ」という言葉が出てくるのは、わざわざ「カタカナ」で書かれているので、本や新聞、雑誌ではなく、「テレビ」から聞こえてきた、というよいうようなシチュエーションだと思われる。

そう考えると、コンテクストは、おおよそ決まってくる。

「トラブル発生」「事故」「アクシデント」「反対運動」「定期検査」「増設」「放射能」「チェルノブイリ」「汚染」とったような言葉とともに語られていたのではなかろうか。

つまり、1992年の頃には、ネガティブなイメージを植え付ける言葉と「ゲンパツ」が結びついていたはずだ。

だから、もっと基本的なことを理解してほしい、ポジティブな目でもみてほしい、それが、この広告の狙いとなるであろう。


下段の細かい説明文をみてみよう。

見出しとなっているのは、三つある。

・原子力は、私たちが使う電気の約1/4をつくっています。
・身近なエネルギーのひとつとしてしっかりととらえたい、原子力。
・エネルギーのこと、もっと知りたいあなたにエネメイト・クラブさしあげます。


最初に「原子力」の説明がある。

「ゲンパツ」の説明をする際に、はじめに述べる「べき」ところに該当する。

「原子力は、その名のとおり、原子(あらゆる物質を形づくっているミクロのつぶ)の力。」

これが、「原子」の説明である。

これで十分とは思えないが、実際に説明しようとすると、なかなか難しいのである。

「物質」という言葉は、固体をイメージしてしまうが、液体や気体を子どもは「物質」として理解できるのだろうか。

むしろ「世の中にあるものすべては、原子という細かなつぶからできています」といったような言い方のほうがよいのでは、と個人的には思う。

続いて、原子「力」の説明が入る。

「原子の中にある核が分裂するときに発生する大きなエネルギーのことです。」

こんな説明で理解できる母親はいないし、ましてや子どもも「?」だらけになってしまうことだろう。

原子という「ミクロのつぶ」のなかには、さらに小さなつぶがくっついた「核」という部分とそのまわりをぐるぐるとまわっている「電子」があります、とった説明をすると、次に「電子」の説明もしなければならないので、面倒にならないように、「核」だけの話に絞りこんでいるのであろうけれでも、なんとも杜撰な説明である。

「核」の「分裂」は、こんな一文で片づけられないほど、大きな「発見」だったわけであり、むしろ、こうした説明文自体が、原子力の発見の偉大さを矮小化してみせているような気がしてならない。

この広告を企画した人たちこそ、ゲンシリョクやゲンパツをバカにしていたのではナイデスカ? そう思いたくなる。

これまでは、「原子」どうしの組み合わせ(化学反応)を利用して、いろいろなことを実現してきた人類が、「原子」の中にある「核」というかたまりに力を加えて分裂させるということもできることに気づき、しかも、この分裂の際にとても大きなエネルギーが放出される、という説明は、「あららと困る」ところであるとしても、この広告のような簡単な説明で良いはずがなかろう。

どうせ何を言っても科学のことは分かるまい、といった広告主たちの真意が透けて見えてしまう。

そして、この先にはもう、科学的な説明ではなく、社会的な意味へと移ってしまうのだ。

・国内における原子力発電は1966年から開始された
・オイルショックの後、石油に替わるエネルギーとして期待が高まる
・安定供給や増大する需要に対応できるなどの理由で選ばれた

そして、最大の利点として見出しを改めて説明しているのが、以下の内容である。

・地球温暖化を促進するCO2を発生しない
・一度輸入した燃料をリサイクル使用できる

当然、「良いこと」ばかりではない、と言われることを想定して、ネガティブな点も述べている。

・燃料であるウランには放射能があり、細心の注意が必要

ただし書きとして、「放射能を閉じ込めて管理する技術は確立されており、日本の原子力発電所は安全運転世界一を続けています」とある。

少なくともこの「安全運転世界一」は2011年3月11日以降、謳うことはできなくなっており、想定上、万が一であったとしても、ひとたびチェルノブイリ級の事故が起これば、とりかえしのつかない事態を引き起こすことは間違いない、というはっきりとした「事実」がここに加わり、私たちのエネルギー選択の視点は、この広告が出されたときとはずいぶん変わったということを実感する。

また、前述の「リサイクル使用」についても、かなり厳しい状況にあり、今後続けてゆくことはあまり現実的ではなくなっている以上、これを「メリット」として打ち出すこともできなくなっている。

それとも逆に、最近、開き直ったかのように述べられている「原発推進」側の主張のように、

・それでも原発はエネルギーの要である
・国家の安全保障上、役にたつ

の二点に絞ることになるのかもしれない。

ところで、三番目の見出しにあった「エネメイト・クラブ」であるが、これは一体何か。

実はこの広告、これがもっとも主眼となっているようなのである。

「みなさんの代表"エネメイト"の活動を中心に編集、いっしょにエネルギーを考える小冊子です」

え?と思う。

「エネルギー」のことを考えるのであれば、原子力のみならず、さまざまな可能性もみるべきであり、なぜ原子力だけにこれほど執着するのか、その理由が明確にされていない。

もし「原子力」に限定されるなら、「アトム・クラブ」とか「ニュークリア・クラブ」とか「ゲンパツ・クラブ」のほうがふさわしく「エネルギー」という総称を使うべきではないだろう。

そう、そうなのだ。

この広告は、こうした「原子力」のことをこの広告だけで理解してもらおうという気持ちが最初から、ないのだ。

これだけではよく分からないだろうから、是非仲間になりませんか、と「エネ・メイト」会員になるよう、お勧めする、募集の告知なのである。

この広告への感想やエネルギーに対する意見がある人は郵送するよう書かれており、「毎月抽選で合計100名様にプレゼントをお送りします」とある。

「プレゼント」が何であるのはまったく書いていないが、100名くらいの感想や意見を送ってもらおう、という趣旨なのである。

カラーページ見開き2ページであり、毎月掲載しているようであるから、年間契約で数100万円の広告費ではないかと推測される。

1回契約なら、100万は下らないだろうけれども、年間契約なので、おおおよそではあるが、800万円くらいの値段がついていると思われる。

今さら言うのも何であるが、こうした広告に、一体どういう「意義」があったのか、疑念が残る。



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