そのたびごとにただ一つ、世界のはじまり~瀧本往人のブログ

いのちと世界のかけがえのなさに向けて、語り続けます。(タイトルは、ジャック・デリダ『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉』より。)

核の言説史 公開中 
私たちは、原爆と原発という二つの巨大な存在を前にして戦後がはじまり、今に至る世界を生きている。哲学、物理学、評論はもとより、文学、芸術、映画、コミック、楽曲、芝居など、さまざまな表現において「核」の歴史は刻まれている。この厚みを解き明かすことによって、これから私たちが「核」とどうかかわって生きてゆくのかを探るべく、言説史をまとめている。

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核の言説データベース~原爆と原発と


はてなブログにて、1記事1文献でデータベースを作成中。
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読んだ本
放射線 科学が開けたパンドラの箱
クラウディオ・チュニス
酒井一夫訳
丸善出版
2014年8月

Radioactivity: A Very Sort Introduction
Claudio Tuniz
2012

ひとこと感想

放射線や放射能の発見の経緯と、実際の活用のされ方を概観している。負の側面にも一応ふれていること、そして、著者の専門である年代測定が詳しい。しかしあくまでも簡潔な入門書であるため、非常に淡白な内容となっている。

チュニスは、イタリア出身の放射線による年代測定の専門家。1974年に物理学の博士号。アブダス・サラム国際物理学センター前副所長。

***

「放射能にはさまざまな側面がある。光の部分もあれば、闇の部分もある。」(7ページ)

しかしたとえば、核実験に関する記述は、4行しかない。

原子炉については、チェルノブイリ原発事故が12行、東電福島第一原発事故が9行である。

しかも、以下のような、当時の暫定的な状況の説明が4行である。

「福島県産の野菜中のセシウム-137は、1kgあたり8万Bqを超えた。これは当時の食品基準の160倍であった。東京の水道水からは、当時の基準の2倍となる、1Lあたり200Bqのヨウ素-131が検出された。」(38-39ページ)

これでは、ほとんど何も説明できていない。

実際、放射線量の健康への影響についても、非常に大雑把で、以下のような説明しかない。

「1Svよりも低い線量では、ただちに体への影響は現れないが、長期的に細胞の増殖を制御する遺伝子に影響をもたらして、がんになる確率が増加する。」(43ページ)

いちおうICRPの確率的影響の説明をふまえて書いているのだが、これでは、いたずらに不安を煽る恐れもあるように思われる。

いちおう、ネガティブな問題についてもふれてはいるが、著者の気持はほとんどそこには向いていないことは、読んでいるうちに、明らかになってゆく。

原水爆の破壊力と放射線被害、そして、原発(事故)による放射線の影響と、放射性廃棄物に対する処分の問題、これらについてもふれてはいるものの、むしろ、放射線の利用によって切り拓かれてきたもの、すなわちポジティブな側面にたいして、かなりていねいな説明を行っていることが、本書の大きな特徴である。

地球の起源や進化のプロセスを探るのに、放射線測定は欠かせない。また、人類の起源や歴史をたどるのにも、とても役にたっている。

それは、分かるのだが、そうした放射線利用と、原爆と原発による放射線は、大きく意味合いが異なるということに、もう少し注意を向けてほしい。

***

なお、興味深いことに、自然放射能とかかわりのある地熱についても言及されている。

特に、「高温岩体発電」(EGS)というのがヨーロッパでは注目されており、今後、地熱発電の開発は進むと思われる。

他方、原発に対しては、どういうまなざしを向けているだろうか。

「原子炉を平和目的のエネルギー生産に利用するかどうかについては、いまだに意見が一致していない。安全性、核不拡散、環境そして放射性廃棄物などの懸案事項が一般市民と意思決定者を悩ませており、発電目的の原子力の展開の阻害要因となっている。」(53ページ)

また、原発事故が起こると、世界的に、原発への風当たりは強くなる。

それでも、次のように専門家は言い続けていることも、事実である。

「エネルギーの専門家は、原子力は世界的なエネルギーミックスの一部として、近い将来特筆されるべき役割を果たすと予測している。」(55-56ページ)

ただ、こういう場合、よく指摘されているように、ウランの確認可採埋蔵量というものにも言及するべきであろう。

いろいろな手法でもっと長いとする場合もあるが、ざっくりと言えば、85年と、言われている。

他の確認可採埋蔵量と比べるなら、石油や天然ガスに続いて、有限な資源なのである。

すなわち、何も原子力が恒久的な救世主となるのではなく、単なる「中継ぎ」にすぎないということを。

ほか、エピソード的な話題であるが、きわめて興味深い内容が含まれている。

例の、ラジウムを夜光塗料として時計の文字盤に塗る仕事をしていた女性たちが、がんを発症させるなどの事件があったが、他方では、放射線を売り物にした商品も数多く出回ったようだ。

「古きよき時代には、何も知らない大衆が放射能は無限のエネルギーを生み出すだけでなく、治療効果や美容によい効果があると信じこまされており、さまざまな放射性製品が市場に登場した。」(105ページ)

これについては、いずれ、別稿にてまとめることにしよう。


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読んだ本
汚染水との闘い 福島第一原発・危機の深層
空本誠喜
ちくま新書
2014年8月

ひとこと感想
事故当初からの汚染水をめぐる対応の経緯が、簡潔にまとめられている。事故当時著者をはじめとしたチームは裏方として、さまざまな助言を政府に行っていたようである。本書によれば汚染水対策の遅れの原因の第一は東電の経営上の問題であると指摘され、第二は政府が国費を投じようとしなかったからだ、と著者は民主党議員でありながら、当時の民主党政権(菅首相)を批判している。

***

著者は、広島(現呉市)出身の民主党政治家。選挙区も広島で、中川秀直グループと議席を争う仲のようだ。

そのためなのか、2009年の選挙で勝利したものの、それ以外は、ことごとく敗退している。

とはいえ、「3.11」のときは、「官邸助言チーム」の事務局長であった。

というのも彼は、小佐古敏荘の弟子にあたり、東大大学院工学系研究科原子力工学を専攻しているのである。

しかも、東芝に勤務し、原子力技術者だったという過去がある。

さらに言えば事故当時の国土交通省の大臣(大畠章宏)もまた、日立製作所の原子力技術者だったという。

ということは、当時、菅直人の近傍には、二人の原子力技術者がいたことになる。

その彼が、本書で何を主張したかったのか、それは気になるところである。

***

事故発生から数日後、空本を中心に集まったメンバーは「影の助言チーム」として構成された。

近藤駿介 原子力委員会委員長
小佐古敏荘 東大教授
尾本彰 原子力委員会委員(かつて東電の技術顧問)
平岡英治、安井正也
(原子力安全・保安委員
明野吉成(文科省原子力安全課長)
中山義浩(経産省政務官)
大島敦(全内閣府副大臣)
長島昭久(全防衛大臣政務官)
細野豪志 (補佐官
空本誠喜

彼らは汚染水対策については、かなり早い時期から緊急助言をしていたにもかかわらず、抜本的な対策は先送りされた、と空本は指摘する。

それが、誰のせいなのか、どういった理由でそうなったのか、本書では、明記されていない。

ただ、こう書かれている。

しかし、何故か、汚染水に対する抜本的な対策は先送りされてしまった。」(16ページ)

当時の模様を整理してゆくと、またもや「東電」の都合問題の可能性が指摘されている。

政府側は対応、とくに遮水壁の設置などを急ぐべきだとしていたが、東電側は収支の関係で発表を後送りしたい意向があったようである。

また、もう一点、空本は、重要な指摘をしている。

単に東電の都合だけではなく、「政府」の都合もあったようで、こうした対策をすべて東電に任せて、国費を投じるという方向性をつくらなかったことが、問題だと考えているのである。

「振り返ってみれば、東京電力の責任はもちろんであるが、当時、国費投入を見送った政府の責任は非常に重い。」(105ページ)

さらにまた、空本は、次のようにも、ぼやいている。

「官僚機構は、自分たちに直接責任がないことには、他人事で、目を逸らしたり、瞑ったりする、逆に責任を問われかねないことには、とても慎重で、躊躇してしまう。」(137ページ)

***

安倍晋三の「アンダーコントロール」発言に対して

これは「事実に反して」(22ページ)いると空本はまず説明する。

東京オリンピック誘致のたたかいのなか、他の立候補都市のネガティブキャンペーンに打ち克つために、こうした発言をしたことは、誰が見ても明らかだった。

しかも大見栄をきって「完全にコントロールされている」と国際社会に向けて言ってしまった。

当時ヤツコが述べていたように、「地下水の影響を最小限にする」(24ページ)ことが可能だ、と述べるのが、本来の、正しい説明であったはずだ。

もちろん、こうした「宣言」が、作業の士気や緊張感を高め、良い方向に進むこともあるかもしれない。

だが逆に、この宣伝に反するような事態になったときに、どういった釈明をするのか、とても気になるところであるし、もっと言えば、場合によっては、事実関係の隠蔽が行われるのではないかという危惧も抱かざるをえない。

空本の意見は、とにかく「全力投球」(24ページ)するしかない、というものであり、東電に任せるのではなく、政府主導となって進められていることを支持している。

***

当時のことをふりかえると、確かに当初は、「水棺」という構想があったことが思い出される。

チェルノブイリが「石棺」であったのに対して、格納容器内を水で満たそうというものである。

ところが格納容器のどこかが破損しており、汚染水が外側に漏れることが判明し、「水棺」方式は断念され、5月には、代わって、「循環注水冷却」方式に切り替えた。

そこで登場したのが、以下のシステムである。

除染装置 アレバ(仏)
セシウム吸着装置 キュリオン(米)
セシウム吸着装置 サリー(日、東芝)
多核種除去設備 ALPS(米、エナジー・ソリューションズ、日本、東芝)

なお、汚染水と一言でまとめてしまっているが、流入源は、3つあった。

当初の津波による海水の流入、そして、冷却のためにまかれた淡水、さらに地下から入ってきた淡水、である。

特に地下水の流入は予想外であったようだ。この地下水は、要するに、雨水と近辺の水田からやってきたものである。

それゆえ、「増え続ける大量の汚染水を完璧に封じ込めるのは至難の業」(54ページ)なのである。

当時、「汚染水」を海洋に流す、というだけで、反対された。

確かに、これだけ不安要因が多いなか、一言「汚染水を海洋に流す」と聞けば、それは「やめろ!」ということになるだろう。

だが「汚染」といっても、さまざまなレベルがある。

大気中への「ベント」と同じように、汚染水にしても、増大化する一方であったなか、低レベルの汚染水(当然環境への影響は著しく小さくなければならないが)を放出することは、不可避であった。

しかも厄介なことに、この問題が浮上しているときに、高レベルの汚染水がコントロールできないままに海洋に放出されており、こちらの対応もしっかりと行わねばならない状態にあった。

結果、6日間ものあいだ垂れ流されてしまった。

そして、その結果については、致命的な影響は出ていないと、空本は指摘している。

とはいえ、この問題も、単に風評被害としてまとめることはできず、むしろ私たちが、原発事故の影響をどのように理解し、どのように受けとめてゆくのか、問われている事案である。

今後も汚染水処理の問題は、続く。

***

なお空本は、こうした汚染水問題を、構造や管理体制の問題とだけみるのではなく、今後特に、熟練作業員の不足が深刻になると考えている。

当ブログでは、実際に現場で働いている人が描いている漫画「いちえふ」の内容を毎回おさえているが、空本からみると、確かに厳格な放射線管理が行われてはいるかもしれないものの、事故後は線量がすぐに達してしまうことにより、長いあいだ働くことができなくなっている。

そのため、仕事を変えて除染に移る人もいるとされている。これはまさに前回の「いちえふ」でも指摘されていたことである。

 未知との遭遇――いちえふ 第18話(竜田一人)を読む|その ...
 ameblo.jp/ohjing/entry-12027034647.html

長期的にみると、「人手不足」が問題となるのである。

***

なお、本書には、それなりの細かな事故後の汚染水処理のプロセスや、各装置の説明などもあるが、ここでは割愛させていただく。



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ネコは、箱や狭いところが好きである。

我が家の「ゆいた」もまた、ご多分にもれず、大好きである。

彼のマイブームは、今、カバンの中。




自分の身体がまだ、小さいと思っているのか、無謀なのか、それほど大きくないカバンに無理やり入り、しばらくのあいだ眠っている。


狭いものだから、眠っているあいだに次第に身体が外にはみ出てゆく。

あ、写真をとっているのに、気づいて、目覚めてしまった。




まだ、寝ぼけているようだ。ここはどこ?という感じだろうか。




床においてあるカバンは、彼の特設ベッドルームなのだった。

そして、もちろん、小さな段ボール箱にも、すぐに収まろうとする。


どう考えても、自分の大きさに自覚が足りないように思われる。


何がなんでも無理やり入ろうとする。



また、これは、箱ものではないが、相変らず「手先」が器用で、猫じゃらしと戯れるの図。



両手でしっかりとはさむことができる、ゆいた、であった。


このあと、猫じゃらしは、がち、がち、と噛まれるのであった。



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観た作品
ウルトラセブン (第12話 遊星より愛をこめて) 
円谷英二 監修
末安昌美 プロデューサー
佐々木守 脚本
実相寺昭雄 監督
円谷プロダクション
TVドラマ、TBS系
1967年12月

*いつまで掲載されているか分からないが、今のところYouTubeで観ることができる
https://www.youtube.com/watch?v=_SuBQ5UogxA


ひとこと感想
「ひばく星人」と後に言われ本作が欠番扱いとなった「スペル星人」が登場する。当時の状況において本作品がどういった位置にあったかは別として、現在の視点からみた場合、原爆被害者への無理解や差別よりも、「共感」を目指す言説が構成されているように思われた。

***

初回放送時(1967年12月)には特に問題になるようなことはなかったが、1970 年、何回目かの再放送時に出版された小学生低学年向けの雑誌の付録で「ひばく星人」と記載されたことで、それをみた原爆被害者関連団体に所属する人物が円 谷プロに抗議文を送ったところ、新聞などでとりあげられたことで問題になり1970年10月に円谷プロはこの作品を以後公開しないことを決定するとともに謝罪した。

***


本作に登場する「スペル星人」は、ふだんは人間と同じ格好でいるが、実は巨大で、体長が、40メートルもある。

そうした物理的な操作がどのように可能なのかは、特に説明がない。

そもそも本作の主人公である「ウルトラセブン」そのものが、同じように、ふだんはモロボシ・ダンとして人間に紛れており、「変身」すると巨大化、すなわち、元の姿を現す存在であるから、あらためて、その都度登場する「怪獣」についても、いちいち解説はつけられていないのであろう。

なぜ、スペル星人は、地球にやってきたのか。

それは、彼らが「血液」を求めていたからである。

「スペル星」では、「スペリウム爆弾」というものが開発されていたのだが、実験の失敗により放射線被曝を起こし、汚染されていない血液が必要となった。

「純度の高い血液」を求めて、わざわざ、地球にまでやってきたのだ。

やり方は、身につけると体内の血液を吸収し、小さく結晶化させて採集できる腕時計を使うのだが、わざわざ女性と交際をし、プレゼントをするという手の込んだもの。

冷静に考えると、それなりの時間をかけて(円盤によって)地球に移住し、しかも、やはり、それなりの時間をかけて地味に血液採集を行うスペル星人は、不思議な感性をもっている。

暴力的に人間から血を抜き取っていったほうが、効率がよいと思うのだが、そういう手荒なことはしない。

だいたい、女性を口説き落とせるくらいであるから、非常に、魅力的なのである。

遠いところからわざわざ地球までやってきて、腕時計で採血できる装置を開発でき、異星人の女性の心を揺さぶることまでできるのであれば、ほかにもできることがあったように思われる。

二点、妙な箇所がある。

血を奪われた女性たちの症状が「白血球の急激な減少」で、それに対して「原爆病と似た症状だ」というセリフがある。

また、スペル星人たちの血液が汚染されていた、という。

骨髄などの造血臓器が放射線障害を起こすと、最初に、リンパ球や好中球が減少する。

リンパ球や好中球の減少は、言い換えれば白血球の減少であるから、「原爆病」の症状として白血球の数が少なくなるのは分かるとしても、被害にあった女性たちは、血液を奪われただけであり、放射線障害を起こしているわけではない。

また、スペル星人たちは「純度の高い血液」を欲しているというが、それは、おかしい。

問題なのは、臓器のほうである。いくら血液を補給したとしても、造血機能が戻らなければ、スペル星人に、未来はない。

そして臓器の細胞を回復させるには、バイオテクノロジー系の研究が不可欠である。

話は戻るが、巨大な存在である自分たちのからだを、人間と同じ大きさにし、しかも外見も換えられるほどのバイオテクノロジー系の技術が彼らにあるのであれば、この問題は、とっくに解決していそうな気もする。

スペル星人たちほどの知性や技術力があるのであれば、放射線障害に関する知識や対策ももっとあってよいはずだが、そうではない理由はなにか。

また、最後にもう一点、スペル星人の「外見」について。

女性よりも子どものほうが、より純度の高い血液だということに気づいたスペル星人たちは、子どもを自分たちのアジトに集めようとするが、ウルトラ警備隊に阻止される。

そこでスペル星人はアジトを爆破し巨大化し(なぜ?)、本当の姿を現す。

映像がそれほど鮮明ではないので、ディテールはよく分からないが、いわゆる「怪獣」とは異なり、「人間型」にかぎりなく近い。

ただし、からだの一部が赤(オレンジ?)色に光っている。

また、顔は、真っ白で、能面のような感じ。鼻はなく、切れ長の目、同じく真一文字に細長い口びる。

からだも、全体は白い。ところどころに、黒っぽい斑がある(これが「ケロイド」のようだと言われればそうかもしれない)。

こうした造形は、被爆者に対する差別や偏見を増長させるものだろうか。

もちろん、これではたして、良かったのか、と尋ねられれば、全面肯定はできない。

だが、それほど問題にすることかどうか、悩むところである。

それに、作品全体を通してみると、むしろ、スペル星人のこうした活動には、同情的に扱われていると思える。

スペル星人と交際していた女性(ウルトラ警備隊のアンヌ隊員の友人)は、それなりに彼のことを愛していた。

彼が異星人であり、しかも女性や子どもの血を奪おうとしていたことを知ったあとも、次のように語る。

まず、アンヌが「そう、夢だったのよ」と言うと、彼女は次のように答える。

「ううん、現実だったわ。あたし忘れない、決して。地球人もほかの星の人も、おんなじように信じあえる日が来るまで」

これを受けて、アンヌは、一呼吸おき、うなずきながら

「来るわ! きっと、いつかそんな日が」

この二人の会話に対して、ダンもまた、頷きつつ

「そうだ、そんな日は、もう遠くない。だってM78星雲の人間である僕が、こうして君たちと一緒に戦っているじゃないか」

と語って終わる。

つまり、スペル星人は、「不幸」だったのであり、彼らの存在が「忌まわしい」ものとしても、「汚らわしい」ものとしても、受けとめられていない。

むしろ、そうした「不幸」を受けとめ、いつかは「わかりあえる」ことが目指されている。

これがもし、「スペル星人」が「ひばく星人」であり、「原爆被害者」たちのメタファーだとしても、作品のなかでは、決して抗議をされるような扱いがなされているわけではない。

唯一、問題があるとすれば、スペル星人の「造形」であるのだろうか。


もしそうだとしても、この造形は、あまり力を入れていない結果であるように思えてならない。

少なくとも、原爆被害者を馬鹿にしたり、茶化してはいない。


実相寺テイストのせいもあるが、全体的に、考えさせられる内容になっていると思われる。


ただ、原爆被害者自身やその関係者が、不快に思ったり、差別や偏見が増長されるおそれがあると感じられるのであれば、その結果、作品が陽の目を見なくなたことは、やむをえないのかもしれない。


だが、私にとっては、こうして、YouTubeで、やや非合法なかたちであれ、作品にふれられたことは、大変良かったと思っているし、当初感じとっていたイメージとは、かなりかけ離れたものだった。


あえて積極的に言えば、こうした作品こそ、私たちは観るべきもののように思われる。


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読んだ本
原発の正しい「やめさせ方」
石川和男
PHP新書
2013年8月

ひとこと感想
本書をよみ終えて思ったことは、
タイトルが逆で、「原発の正しい「再稼働のさせ方」」ということである。本当は今すぐにでも原発のない社会になってほしいが、このままでは日本経済が破綻するから、動かせる原発は動かすべきだ、というのが著者の主張である。とにかく当面なんとか凌げればそれでよい、という「超」のつく現実路線。

***

主な論点は、以下のようにまとめられる。

・原発を再稼働させないと、日本経済は破綻する
・原発を再稼働させないと、中国や韓国に漁夫の利をもってゆかれる
・原子力規制委員会による活断層の指摘は、無理難題の押しつけ
・電力自由化は、問題点が多すぎる

確かに、原発に対して極端に「賛成」「反対」を訴える人のなかには、相手の意見を一切聞き入れない人もいる。

それでは駄目だ。としても、本書によって、それが打開できるか、というと、答えは「ノー」である。

元資源エネルギー庁にいた著者が本書で訴える「原発安楽死論」は、あまりにも現実主義というか、現実妥協主義的であった。

ここに、「思想」の類を探そうとしてはならない。

「私自身、原発を使わずに原発並の安定的なエネルギーを得ることができ、日本の国富を国外へ流出させずに済むのなら、原発は廃炉にすればいいと考えています。そして将来的には日本は、脱原発する運命にあるとも信じています。」(6ページ)

冒頭の文章で、さっそく躓く。

前半の文章は、「原発は廃炉にすればいい」という「考え」を述べているのではない。

原発は、安定的なエネルギーを得ることができ、国富を国外に流出させないから、廃炉にすべきではない、と著者は言っているのである。

再稼働できる原発を動かすことで、当面は凌ごう、と述べたうえで、「しかし」、にもかかわらず、
後半では、将来的な見通しとして、日本は「脱原発」国となるだろうと語る

(前半)原発の再稼働 → (後半)脱原発

であるならば、ここでの接続詞は、
「そして」ではなく、「しかし」すなわち、「逆接」でなければならない。

これを「そして」でつなげる著者の真意がよく分からない。

「そして」であれば、一般的には、次のようになるのではないだろうか。

(前半)原発の再稼働 →(そして)→ (後半)しばらくのあいだは原発に依存

(前半)原発の再稼働 →(だが)→ (後半)脱原発

この両者は似ているようで、大きく異なる。

著者が「そして」という理由は単純で、上記の引用には含まれていない、隠された前提があるからである。

国内では今後、新たな原発建造はないと考えられるから、現在動かせる原発がすべて廃炉になった時点で、必然的に「脱原発」の状態になる、と言いたいだけなのであり、彼が言う「信じています」は、「思想」としてではなく、事態の推移として、そうなるであろうという予測を述べているだけなのだ。

もっと簡単に著者の主張をまとめれば、今、原発を再稼働しなければ、日本経済は危機に陥るから、使えるものは使おう、ということにすぎない。

「きちんと利用して、すべての原発に無事臨終を迎えさせること、つまり「原発安楽死」こそが、結局は傷が最も浅くて済むことになると、私は確信しています。日本国内のどこにも、もはや新しい原発をつくることはできないのですから。」(221ページ)

将来のビジョンも具体的なエネルギー政策もなく、目の前の応急処置の話に焦点を当てているだけなのである。

いや、「応急処置」が悪い、と言いたいのではない。

著者がこうした考えを「正しい」やめさせ方、として本を書いている以上、その「正しさ」の根拠を探りたいのだ。

そう、この書名も、なかなか、一筋縄ではない。

「原発のやめさせ方」とは、一体、何を意味し、誰に向かって主張しているのか。

当然、原発をやめたくない人たちに対してではないはずだ。

脱原発派の人たちに対して、頑なに再稼働反対を主張するのは「まちがい」で、「正しい」のは、当面、再稼働させることだ、と言っている、それが、私の理解である。

であるならば、本書の「趣旨」の核にあるのは、「脱原発」の将来ではなく、「再稼働」の推進であろう。

それは「やめさせ方」ではない。

むしろ「やめさせないやり方」ではないのか。

もしくは、原発の正しい「使い方」ではないのか。

細かいことを言えばかぎりなく出てきそうなので、あと一点だけ、指摘してやめにする。

「私も含めて日本人のDNAには核アレルギーが刷り込まれてしまったかのように、原子力大嫌いになってしまったのかもしれません。それは確かに私のなかにも感じられます。」(168ページ)

ここで「核アレルギー」という言葉が用いられている。

まるで、核に対して「冷静」な判断ができなくなっている、と言いたげだ。

そして著者は、これが「まちがい」だという前提をもっている。

「正しい」のは、現状をしっかりと見据えて、そうした過去の「記憶」にとらわれずに、原発を再稼働する、ということだ、ということになる。

こうした「核アレルギー」の根強さを、侮ってはならない。

それを「無知蒙昧」「非科学的」「感情的」という言葉でまとめてはならない。

丹念な歴史的、文化的、社会的な分析が必要である。



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大学生約170名ほどに「インターネットの未来」について、自由に書いていただいた。

以下、その文章に登場したキーワード(コンセプト)を、1)理想像や可能性、2)課題、に分けて列挙してみる。

似たような見解は一つの項目にまとめているので、総数がそのまま回答数というわけではない。

また、特に整理していないので、若干重複しているものもあるかもしれないが、その点はご容赦いただきたい。

***

インターネットの未来への感想

1)理想像や可能性

・電波の質の向上
・完全無料化
・通信制限の撤廃
・法規制の増大
・翻訳の精度の向上
・生活の中心に
・学校は不要に?
・リアル店舗がなくなる
・役所業務がネット上で
・新たなSNS
・脳波でスマホを操作
・非匿名化
・老人のライフスタイル
・車をネットで操作
・検閲はほどほどに
・体感オンラインゲーム
・ドラえもんのような世界
・全世界への普及が先
・海外でも楽にネット接続
・通話相手が目の前に見える
・テレビの双方向化の進化
・ARの進化
・個人が組織に勝る
・所有物が減る
・死ねなくなる
・インターネットと他の技術や機械との融合
・ロボットの普及
・検索の国際化
・互換性の向上
・フリーWi-Fi
・車の自動運転
・メガネでネット
・予防治療の自動化
・募金や支援の拡大
・人命救助
・布教活動
・宇宙との交信
・体内埋込みケータイ
・恋愛の活発化
・子供のスマホ所持の義務化
・3Dプリンターでなんでも出力
・機器やOSその他に依存せずにつながる
・においのデータ化
・触覚のデータのやりとり
・サイバー攻撃の増大
・国際的なサイバー攻撃対策体制
・電子カルテなど医療での利用
・速度とポータブル性の向上
・アナログ派の復活
・ネット通販の需要の増大

2)課題

・どこまで進むのか、怖い
・翻訳は文化の問題だから完全なものはできない
・情報格差の拡大
・管理体制の強化
・メディアリテラシー向上
・情報の信憑性
・ガセネタの増加
・乗っ取り、スパム、デマ
・犯罪の増加
・自由がなくなる
・自由になると同時に束縛される
・私的領域が公的領域と変わらなくなる
・個人情報の保護
・セキュリティ
・国の介入の怖れ
・対人コミュニケーション能力の低下
・使用者の注意力を高めるべき
・電力不足
・無法状態の拡大
・災害時の回線パンク
・インターネットが原因で起こる戦争
・子供には制限されたネットワークが良い
・マナーを守ることが大事
・インターネット内での戦争
・ネット上の言葉の壁がなくなっても現実の壁はなくならない




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読んだ本
放射線防護の基礎 第3版
辻元忠、草間朋子
日刊工業新聞社
2001年3月
(1989年4月初版、1992年4月第2版)

ひとこと感想
とても中立的に書かれていて、良い教科書だと思う。欲を言えば、もう少し社会文化的な背景や意味づけについてもふれてほしかった。

***

本書の「第3版」は、国内で、ICRPの1999年勧告を受けて法令が改正されたのを受けて内容を「全面的に改訂」したものである。

目次構成も少し変更が加えられている。

目次構成は、以下のとおり。

1 放射線防護の歴史
 そのまま

2 放射線利用の歴史
 新たに追加された

3 放射線防護の基本的考え方
 第2版では第2章だった
 第2版の「3 放射線防護に関連した組織」は削除

4 放射線防護に用いられる線量
 
第2版では「放射線防護に用いられる線量と単位」だった

5 放射線防護のための測定
 
新たに追加された

6 放射線の健康影響
 第2版では「
6 放射線影響に関する基礎」だった
 第2版の「
7 放射線被ばくの形式」もここに含まれる

7 
放射線防護の基準
 
第2版では「5 放射線防護基準」だった

8 放射線防護の手段
 そのまま

 放射線作業者に対する健康管理
 第2版では第9章だった

10 原子力・放射線施設の事故と緊急時対応
 第2版では「
12 放射線事故時の措置」だった
 第2版「9 放射線の管理計測」「10 放射線防護のためのモニタリング」を含む

11 
放射性廃棄物の処理・処分
 第2版では第13章だった

12 放射線防護に関連した法令
 新たに追加された

13 放射線に関する教育・訓練
 新たに追加された

 (第2版「
14 放射線リスクに対する受容の判断」は削除)

***

まず目につくのが、新たに加わった「
放射線利用の歴史」で、さまざまな分野で放射線が利用されていることを示したあと、「原子力エネルギーの利用」という項目がある。

ここでの記述表現が興味深い。

まず、戦後冷戦下における米ソの核競争を次のように書いている。

「核実験による環境破壊を引き起こし世界的な関心事となった。」(20ページ)

また、平和的利用としての原発については、次のように表現されている。

「核兵器より転換した技術で危険がつきまとうものと考えられ、そのためはじめから安全第一で進められ、二重、三重の安全装置が施され、たとえミスを起こしても大事故とならないように、技術の開発が行われている。」(同)

上記は、いわば、通常の「無難」な説明であるが、このあと、各国が盛んに運転を行ってきたため、次々と原発が増えて行ったあとについては、次のように述べられている。

「あまりにも急激に増設されるようになったので、最近では市民との共生が難しくなり、原子力発電に対する反対運動が生じ、世界的に原子力発電所の停止の動きまで生じ始めている。」(同)

確かに米国などでは、NIMBYとまで揶揄され、各地で反対運動があったことはよく知られている。

しかし、近隣住民との「共生」が困難になっていた「原因」を、急激な建造とみなすのは、はたして正しいであろうか。

急増したことよりも、チェルノブイリ原発やTMI、JCOなどの事故、ならびに、情報公開の不透明性によって、不信感が増したからではないのか。

少なくとも、国内においては、増えた原発はほとんど同じ場所で建てられているので、少なくともこの説明だけでは不十分であろう。

***

3章にある、「放射線防護」の大前提について述べられている箇所は、やはり、ピックアップしておきたい。

まず、低線量被曝の害は、医学的にも生物学的にも判然とはしてない。

一方、自然放射線を含め、私たちは日常的に低線量の放射線被曝をし続けている。

「低線量の放射線被ばくでも人体に有害な影響があるものと仮定して、放射線防護の基本的な考え方を組み立てることにしている。」(25ページ)

人工的な放射線は、マイナス面があることを前提としているが、同時に、プラス面もあると考えているので、利用されている。

なお、以前より気になっていたのだが、人間以外の生物に対する影響については、これまでは(ICRPは)、人間が安全であれば他の生物も安全であるという前提をとってきたという。

「この点についての科学的な検討が、現在ICRPで行われている。」(26ページ)

この件、今後も注目してみたい。

***

第6章の「放射線の健康被害」について、その歴史的変遷がまとめられている。

1 ~20世紀前半
・放射線取扱者
・鉱山労働者
・女工(時計盤の蛍光塗料塗り)

2 20世紀中頃
・放射線取扱者
・放射線治療患者

3 20世紀中頃~
・放射線取扱者
・トロトラスト投与患者
・放射線診断、治療患者
・原爆被爆者

なぜ「3」に、原発事故(特にチェルノブイリ)被害者が含まれていないのだろうか。

この点、十分に「改訂」されていないように思われる。

なお。同じ章の後半である、「放射線誘発ガンに関する疫学調査」の一覧には「原子力施設の作業者」が「職業被ばく」の例として挙げられているし、また、、「チェルノブイリ原子力発電所の事故」ならびに「マーシャル諸島フォールアウト」は「環境汚染による被ばく」として、「テチャ河汚染」と並んで記載されている。

***

低線量被曝に対しては、三つの仮説があると、まとめられている。

1)閾線量は存在しない
2)統計的な閾線量を参考にし、それ以下の線量では影響が発生しない
3)適応応答があり、低い線量の場合は、ホルミシス効果がある

前述したように、放射線防護の立場は、あくまでも1)を採用する。

2)と3)については、次のように述べている。

放射線によって損傷を受けた細胞のすべてが修復、回復されるという保障がなければ放射線誘発ガン、および遺伝的影響に対してしきい線量の存在、あるいは、適応の応答があるという仮定を採ることはできない。」(109-110ページ)

さまざまな調査や研究は行われているが。、2001年の段階では、次のように結論づけられている。

「いずれの調査・研究の場合も低線量・低線量率被ばくによるヒトの放射線影響について、科学的な信憑性をもって結論を出すまでには至っていない。」(110ページ)

問題は、2001年以降の研究調査結果であるが、これも、いずれは、確認しておきたい。

こうした「教科書」的な書籍による記述は、一定程度以上に、その学問界の共通見解をふまえていると考えるのが妥当である。

それゆえ、できることなら、本書の「第4版」の刊行を望みたいところである。



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読んだ作品
さよならクリストファー・ロビン
高橋源一郎
新潮社
2012年4月

ひとこと感想

ここに収められている作品は、「3.11」前後に書かれたものである。基本は、「物語」の世界における「現実」を描いているという連続性がある。そして、「物語」の世界においても、「3.11」が大きな影響を与えたという「現実」を描いているように感じた。

***

高橋源一郎の「恋する原発」は、たとえ「実験」的作品だとしても、私には、とても辛かった。

 恋する原発(高橋源一郎)、何がしたいのか?
 http://ameblo.jp/ohjing/entry-11377058334.html
 
本作は、それと比べると、「作品」として成立しており、いろいろと考えさせられた。

いや、逆だ、「3.14」の前後で、「作品」の成立が困難だったさなかで、きわどく「物語」の内部世界の「現実」が「リアルさ」を獲得していったのだ。

***

さよならクリストファー・ロビン
初出
新潮 2010年1月号

「ずっとむかし、ぼくたちはみんな、誰かが書いたお話の中に住んでいて、ほんとうは存在しないのだ、といううわさが流れた。」(5ページ)

これを語る人が、永井均であれば、独我論の話なのかと思うかもしれないが、高橋源一郎が書いており、しかもそのあと、子どもたちのいじめられていた亀を助けて竜宮城に行った「元漁師」が登場するので、これは「うわさ」でもなんでもない、ということが分かる。

むしろ、物語世界の住人たちが、その後何を感じ、何を考えているのか、そこに「想像力」を働かせようとした作品であるという意味では、本作は、物語世界の再解釈のようなものであり、純然たる「物語」ではないものの、従来の「物語」と密接なつながりがあるものである。

浦島太郎のほか、登場するのは、オオカミである。彼は「三匹の子豚」のオオカミであったが、懊悩の果てに、「赤ずきんちゃん」の物語を生み出す。

しかしこれは、前触れであり、「世界」もしくは「宇宙」が突如、「拡張」ではなく、「縮小」もしくは「消失」を開始する。

「不思議な国のアリス」においても、うさぎとは出会うものの、それ以外は誰にも会わない。

「世界が、どんどん「虚無」に侵されてゆく」(20ページ)

クリストファー。ロビン。

確かに私はこの名前が何であるのか、忘れていた。

ミルンの小熊のプーさんの登場人物である。

こうした「忘却」の連続が、おそらく、物語世界を消し去っていったのかもしれない。

こうした「破局」の物語は、ある意味では「3.11」以後の「世界」の物語でもあるのだが、本作は、その前の年に書かれたものである。

***

峠の我が家
初出
新潮 2011年1月号

本作もまた「物語」の世界の話であるが、少し異なる。

こちらは、作家が生み出した、多くの人に共有された登場人物ではなく、ふつうの人たちが生み出した人たち、これを「IF」すなわち「イマジナリーフレンド」の住む「ハウス」の話である。

一瞬「IF」と書くと「いちえふ」を思い出してしまうが、本作もまた、「3.14」よりも前に発表されたものである。

もちろん、こうした存在もまた、成長するにつれ、忘れてゆくものである。

「忘却」されたその「想像の産物」が行き着く先、それが「ハウス」である。

しかし、しばらくの間「ハウス」にいても、元の「創造主」である人間が死ぬと、その存在も消えてしまう。

***

星降る夜に
初出
新潮 2011年4月号

本作は「さよならクリストファー・ロビン」とは逆で、売れない小説家が自らの小説を書くのではなく、すなわち、自らの「物語」を紡ぐのではなく、別の人が書いた本を、命の短い人たちが入院している施設で読み聞かせるというものである。

実際に本作には、ケストラーの「飛ぶ教室」など、いくつかの他人の作品の引用が含まれており、その意味では、物語内物語が挿入されていることになり、それが本作の「実験」なのかもしれない。

「私がやりたかったのは「これ」だったのではないか」(82ページ)

***

お伽草子
初出
新潮 2011年6月号

前半は、「パパ」と「ぼく」との対話であり、後半は、「パパ」のつくった「お話」である。

この父親はよく息子の話を聞いている。

子ども独特の不思議な言い回しにも、一つひとつ丁寧に質問し、理解しながら、話を進めている。

途中で、奇妙な光景が現れる。

場所は学校なのだろうか。子どもたちの携帯の警報が次々と鳴りだすのである。

これに対して「先生」は「いつものように授業を中断して」(113ページ)、「避難」を促す。

どうやら1週間に1度は「避難」があるようだ。

みなは「退避室」というところに入る。

しかし「ぼく」は急に怖くなり、そこから逃げ出し家へと帰る。

「ぼく」はさまざまなことを疑問に思い、次々と父親にぶつけてゆくが、父親は、常に真剣に話をきいている。

そのあとに、父親のつくった「話」になる。

なぜかそこに登場する人物は、やはり、他人のつくった物語、もっと具体的に言うなら、手塚治虫の「鉄腕アトム」の登場人物たちが現れる。

天馬博士の生い立ちと、「トビオ」誕生の物語。

そう、この作品は、「3.11」以降につくられた可能性がきわめて高い。

「トビオ」の死と「アトム」の誕生。さらに、クローンとしての「トビオ」の誕生。そして「アトム」がお茶の水博士のところに預けられたこと。

これは、あくまでも、原作で活躍する人物たちの「誕生秘話」にような話であり、たまたま「アトム」が登場するだけであろうか。

いや、違うだろう。

これまでの書かれたものと、「物語」世界とのかかわりにおいては、共通点をもっているものの、本作では、より具体的に、天馬博士による、世界への憎悪、世界に対する破壊願望などが、述べられている。

***

ダウンタウンへ繰り出そう
初出
新潮 2011年12月号

「死んだひと」が突然、次々とこの世に現るという物語。

「死んだひと」は、ここではきわめて「知性」的かつ「理性」的である。

しばらくすると、結局「死んだひと」はいなくなるのだが、大事なのは、そのことではない。

「死んだひと」と接するにあたって、決められた約束事がある。

「死んだひと」たちにかかわることは、すべて、「ウソ」をつくことにしたのだ。

要するに、私たちは、「ほんとう」のことが、判らない。

確かめるすべもない。

これは、ひっくり返せば、ウソをつくことこそ、生きている証であり、「死者」ではない証拠なのだ。

だが判らない。なぜ、私たちはウソにまみれて生きてゆかねばならないのか。

常に「ウソ」が渦巻いていた時代に本作が書かれたからなのだろうか。

***

アトム
初出
新潮 2011年8月号

なぜかこの単行本では、この作品と前作とが発表順になっていない。

しかも、内容的には、「さよなら、クリストファー・ロビン」と「お伽草子」の続編的なものである。

まず、「ゆめ」と「現実」との区別がつきにくくなっている。

いくつかの「ぼく」が登場するが、いずれもが同じ「ぼく」なのか、それとも異なるのか、まったくわからない。

しかしこのなかの「ぼく」に対して、「トビオ」が現れる。

その「トビオ」は「ぼく」を「アトム」と呼ぶ。

さらには、冒頭の「さよなら、クリストファー・ロビン」のように、「世界」が次第に消失しかかっている。

「いや、もう実在する世界など一つもなくて、ただ夢に似た物質が、一様に、この空間を埋め尽くしているだけなのかもしれない。」(211ページ)

これは、すなわち、現実世界の「不安」が、物語の世界にも浸食し、「夢」や「ファンタジー」のようなものが失われる、ということであり、しかもそれは「3.11」において、顕著に現れた、ということなのかもしれない。

***

以上のように、どの作品も正面から「3.11」もしくは「原発事故」に言及をしていないし、主題として選ばれているわけでもない。

にもかかわらず、非常に密接にそうした「出来事」(もしくはそうした「出来事」が生まれた経緯)とかかわってるのではないだろうか。

高橋源一郎については、「嫌い」ではないが「好き」でもない。

純粋に、「3.11」や原発事故を受けて、どういった表現をしようとしているのかに着目してみた。

率直な感想としては、もう少し、彼の思索のあとを追ってみたい。


さよならクリストファー・ロビン/新潮社
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読んだ作品
さいはての二人
鷺沢萌
角川文庫
2005年4月(単行本は1999年12月)

ひとこと感想
米国人の父をもつハーフで美貌の女性が主人公。しかし彼女にには平凡な家庭の幸せが分からず心に大きな穴が開いていた。売れない劇団で女優をしていたが、それにも見切りをつけ居酒屋でバイトをはじめて間もなく、その傷を癒したのは、
在日韓国人2世で胎内被爆をした50歳近くの男との出会いだった。というような話の小説である。特に言うべきことが見つからない。

***

鷺沢萌(SAGISAWA Megumu, 1968-2004)は「めぐむ」と読むことを、はじめて知った。

***

主人公は女性で、ハーフ。小さな劇団で女優をしていたが、潰れて、新橋の飲み屋の仕事を中心とした暮らしをしている。

この居酒屋は、女優の「卵」が多いことを売りにしている。

だが多くのバイトの女性は、自分が「卵」と呼ばれることが気に入らない。

それは、そうだ。彼女たちは、「女優」なのだから。

実は私は、1990年代初頭、新橋でななく銀座だが、そうしたお店があったことを記憶しているので、なんとなく本作の「雰囲気」が、リアルなものとして感じる。

主人公は「日本人離れ」しているが、なぜそうなのかは、冒頭では明かされない。

まわりからは「キレイ」と言われるが、演技の才能はなく、半ば、流されるように、このバイトを行っている。

酒が好きでもないのに、接客のために、痛飲する。

名前は「美亜」という。名前の由来は、後ほど、登場してくる。

彼女が引きつけられる男性は、この飲み屋の常連客である「朴さん」(「宮本さん」)である。

彼は最初から、「朴さん」であり、「宮本さん」であることが告げられているので、読者には、おおよそどういう人なのかは理解できるようになっている。

美亜は、そうしたことへの「理解」がないようで、単刀直入に本人に尋ね、「本名」はどれなの?という質問までする。

ちょっとしたきっかけで、彼女は朴さんの一人暮らしのマンションに出入りするようになる。

美亜は、朴さんに自分と同じものを感じ、人にはあまり話したことのない身の上話をする。

「なぜって、この男はあたしなのだ。だからあたしはこの男なのだ。言ってほしい、やってほしいと願っていることなど、何でもすぐに伝わってしまうのだ。」(57ページ)

のちに、なぜ二人が「同じ」なのか、美亜は知ることになる。

8月6日、たまたまテレビのニュースで「広場みたいなところに大勢の人が集まっている映像」をみる。

美亜は、何も知らない。

「今日は長崎のほうだっけ? それとも廣島?」(79ページ)

朴は、語る。

原爆につけられた「ニックネーム」のこと、そして、開発過程においては情報管理が行われ、さまざまな暗号が使われたこと。

さらに、長崎に落とされた原爆がプルトニウムを使ったものであったこと。そしてそれが、ある種の「実験」であったのではないか、ということ。

美亜にとっては、ベトナム戦争は、「いま生きている「私」にとって濃密なつんがりを持っている」(86ページ)が、「原爆投下」は、教科書で写真をみた記憶程度のものである。

つまり、美亜の父はベトナム戦争で日本に滞在していた米軍人であり、彼女の名前は「美しい亜米利加」という意味合いがこめられているのだ。

美亜が朴から原爆の話を聞いた後の感想は、「人間って、馬鹿」(87ページ)である。

「人間は馬鹿の上に、毎日生きていかなければならない。」(87ページ)

このことがあって少ししてから朴の姿が消える。

あとから知ったことだが、入院をしていたのである。

ようやくの思いで美亜が朴と再会したとき、朴はかなり具合が悪そうだった。

それから三日後に、彼は亡くなる。

病名は、慢性骨髄性白血病。長崎で被爆した母から、戦後に生まれる。

すなわち、朴は、40代後半あたりであることが、判る。

「長崎で被爆したのは朴さんの母親のほうだった。父親が被曝を免れたのは、ちょうどそのころ、福岡県の炭鉱に朝鮮人労働者として徴用されていたかららしい。戦後の混乱の中で、日本人被爆者と同等の援助も受けられないまま、朴さんの両親は朴さんの兄にあたる最初の子を生後すぐに亡くす。」(99ページ)

作中、必要だからと思って書いているのであろうけれども、当時、「日本人被爆者」であっても、それほどの「援助」はなかったので、「
日本人被爆者と同等の援助も受けられないまま」と書くのは、あまり意味のないことである。

それ以上に、美亜が、「自分と同じ」ような存在として相手を認識していたにもかかわらず、自身の生い立ちや境遇について相手が受け入れてくれることを快く思っているにもかかわらず、相手のことを死後に至るまで「何も知らなかった」と言って済ませるところは、少々、理解に苦しむところがある。

言うなれば、美亜は、結局のところ、自分のことを受けとめてくれる相手を求めていただけで、相手を受けとめることには無頓着だったのである。

できることなら、美亜もまた、朴の心にもっと寄り添うべきであったように、私には思われる。

結局は、何も理解できなかった、とこの小説は、冒頭と末尾に二度も、繰り返し書いている。

物語とは言え、それが、良いことだとは、あまり思えない。

おそらく、彼女が産むであろう彼とのあいだにできる子どもに対しても、自身の「分身」としてしか接しないような怖れを抱く。

その「子ども」を通じて、朴の心のなかにあった哀しみや苦しみを救いとる日が来ることを、願わずにはいられない。


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きちんと手入れをしておらず、恥ずかしいばかりではあるが、先日は、我が家の植物のうちの、シクラメンについてご紹介させていただいた。


他の植物たちは、どうなのか。

まず、ミニバラが、咲きはじめた。


続いて、本当は白っぽい色の斑点のある葉になるはずなのだが、ふつうに緑色の葉がふさふさとしているハツユキキカズラ


そして、ガクが花が咲いたようになるクリスマスローズ。少しのあいだ、少しやつれていたのだが、また、立ち直りはじめている。

これは、なんだっけ? 花が咲かず、ほとんど放置していたのだが、枯れることなく、生き延びている不思議な植物。


続いて、なでしこ。一時は壊滅しそうになったのだが、再び蘇ってきた。とても、たくましい。



どれも「華麗」ではないところが、ご愛嬌。


***

おまけ

我が家の「ゆいた」



ハツユキキカズラは、こんな感じにならなければならない。
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