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核の言説史 公開中 
私たちは、原爆と原発という二つの巨大な存在を前にして戦後がはじまり、今に至る世界を生きている。哲学、物理学、評論はもとより、文学、芸術、映画、コミック、楽曲、芝居など、さまざまな表現において「核」の歴史は刻まれている。この厚みを解き明かすことによって、これから私たちが「核」とどうかかわって生きてゆくのかを探るべく、言説史をまとめている。

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1945年  1946年  


核の言説データベース~原爆と原発と


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2014-07-31 21:35:00

人体への放射線の影響は「疫学」研究なのか――日本の医療と疫学の役割、を読む

テーマ:原発・原爆・放射線・3.11
読んだ本
日本の医療と疫学の役割 歴史的俯瞰
盛岡聖次、重松逸造
克誠堂出版
2009年2月

ひとこと感想
著者の一人が放影研の理事長をつとめたことがある人だったので、期待して読んだが、それほどでもなかった。

***

盛岡聖次(MORIOKA Seiji, 1957-   )は、和歌山出身の公衆衛生医学を専攻し保健所勤務を勤めた専門家。

重松逸造
(SHIGEMATSU Itsuzo, 1917-20112)は、大阪出身の公衆衛生医学を専攻し金沢大学教授などを歴任した専門家。

***

題名にあるように、本書は、あくまでも「日本の医療と疫学の役割」を「歴史的」に「俯瞰」したものである。

目次
1 疫学事始
2 日本の疫学誕生期(後期)
3 成長期の疫学
4 発展期の疫学(その1)
5 発展期の疫学(その2)
6 拡大期の疫学(その1)
7 拡大期の疫学(その2)
8 疫学のこれから

冒頭では、江戸時代の疫学の知見にふれられている。

橋本伯寿(1758-1811)が、断毒論(1810)にて、痘瘡、麻疹、梅毒、疥癬などが伝染病であるとし、患者の隔離を予防手段として訴えたのに端を発する。

すなわち、もう、200年以上もの歴史がある。

もちろんそのなかで、放射線がかかわるのは、1945年以降である。

原子力関連で本書に登場するのは、以下である。

・1950年よりABCCと国立予防衛生研究所支所とによって、被爆者を対象とした癌コホート研究(計画調査)が開始された。その後ABCCは開祖され放影研となるが、そのままコホート研究が継続され、癌以外の疾患にまで範囲が広げられている。

・がんの疫学に関して、1957年より広島、長崎においては、ABCCが腫瘍登録委員会を設け、登録を開始した。これは、どこの県よりもはやい。

・放射線被曝の疫学については、ABCC、放影研という本拠地についてふれられたあと、T65 D、DS86 、DS02といった被曝線量の推定値が提起されてきた経緯を簡単に説明する。

「原爆被曝者の追跡調査では、各人の被曝線量の推定に多大の努力がはらわれてきたことに注目したい。」(53ページ)

・発がんリスクについて、1Gyあたり白血病で5.2倍。

・がん死亡については、被曝後5-6年がピークとなり、その後緩やかに減少している。

・白血病以外のがんでは、被曝後数年を経たあと現在に至るまで上昇し続けている。

・1999年から
発などにおける放射線作業者の健康影響について科技庁が調査を開始した。

本書では放影研が「疫学研究施設」として整理されている。1981年に著者の一人である重松が理事長となり、放射線影響のみならず、広範囲の疫学研究をも行った。

・チェルノブイリ原発事故については、「世界がパニックに陥った」(86ページ)ことと、1991年にソ連が崩壊し、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアに分割したことが混乱を増長させたとし、その後、WHOやIAEAが先導し混乱を収めた。WHOの協力センターが被爆者の追跡調査を長期にわたって行うことになり、放影年も支援している。

・1999年のJCO臨界事故に対する簡単な説明があり、そのなかで、当地を管轄している保健所と東海村とが協力し、健康影響調査を行い、住民の不安解消の努力を行った。

・次世代の疫学者養成についても、放影研がとりあげられている。疫学研究については、臨床研究部と疫学部からなる。

参考文献のなかに、著者のものが含まれている。

日本の疫学 放射線の健康影響の研究の歴史と教訓 重松逸造 医療科学社
2006年

***

本書を読もうと思ったきっかけは、タイトルの「疫学」において、ヒロシマ、ナガサキにおける被曝患者がどのように説明されているのかを知りたかったからであるが、そういうことではなく、著者がたまたま放影研の理事長となり、疫学の研究としての位置づけが重くなった、というような印象しかもてなかった。

そもそも「疫学的調査」とは、個人の疾病ではなく、社会集団に蔓延する「疾患」を全体(population)すなわち、総体からとらえ、撲滅や予防、対策などを試みるものである。

しかし、ヒロシマ、ナガサキにおいては、一人ひとりの生存や疾病を追いかけるのが「主」であり、その総計値が「従」である。

逆に言えば、放射線障害とは、「全体的かつ個別的に」分析しなければ、何ら意味のないものだということになる。


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2014-07-30 22:00:00

確かに「世紀末的」な本だった。世紀末のエネルギー問題(竹内均)、を読む

テーマ:原発・原爆・放射線・3.11
読んだ本
世紀末のエネルギー問題 原子力発電とその周辺
竹内均 監修
近藤駿介、鈴木篤之、近藤宗平、中村政雄、掘米孝、萩原宏康、編集部
日本総合出版 発行
自由社 発売 (中央公論事業出版 編集協力)
1991年10月

ひとこと感想

「反対派」すなわち、広瀬隆らを非難する
専門家による反論は、一定程度理解や納得はできる。ただし、本のつくりかたが総じてよくない。もっとていねいに本をつくってほしかった。

***

久しぶりに、驚いた。

まず、中身よりもレイアウトと印刷である。

印刷がすべて曲がっている。

レイアウトは余裕がなく詰め込んでいる。

奥付には、西暦がない。

「監修者」が著名人であるが、私にはこの人がこの本を「監修」したとは思えない。


ほか、著者名(聞き取りを書き起こし?)に著名人の名前が並んでいるが、
「書物」としての「質」に疑問符がつく。

***

本書の監修者である竹内は1ページの「はじめに」という文章を書いている。わずか、42字×13行、である。

ここにまず、こだわってみよう。

書名にもある「エネルギー問題」について、日本において重要なテーマである、というのは誰もが否定しないであろう。

では、このエネルギー問題というものを竹内はどのように理解しているのか。

・電力需要が高まっている(電力会社が困っている)

・環境汚染が問題となっている

・原子力は危険だ、と不安を抱く人がいる

この三点は、まあ、分かる。

しかし次の言い方は、微妙に変である。

「これから生活レベルを高めようとする開発途上国の人たちに対する思いやりの心も高まっている。」(1ページ)

「開発途上国」が今後エネルギーをこれまでよりも多く使うようになるであろうことは理解できるとして、そこになぜ、「思いやりの心」という奇妙な言葉を挿みこむのだろうか。

まるで、「後進」の国にもエネルギーを使わせてやる、と言わんばかり。

何か、高いところから見下ろしているような言い方に聞こえるのは、私だけだろうか。

気持ちが悪い。

「エネルギー問題や原子力問題は、これらのすべての問題とかかわりをもっているのである。」(同)

これらのすべての問題」というが、「すべて」というほど、挙げていない。

たとえば、原油を考えてみよう。原油は、火力発電の燃料に使うだけではなく、さまざまな工業製品の製造にも使用されるし、車などにも使われている。それゆえエネルギー問題は、エネルギー問題だけで完結せずに、工業化社会、自動車社会において非常に重要な問題となる。

また、原子力だって、単純に平和利用ということで分けてしまうことができない。プルトニウムの扱いなど、各国に厳しい目が光っているし、国内の一部の政治家や評論家、科学者、官僚のなかにも、平然と、一つの可能性として原子力を軍事的に使いうる「ポテンシャル」をもっているべきだ、と指摘する者もいる。

それに、当然のことながら、国際政治的に、米国との安保体制などとも密接に結びついている以上、原子力問題を、単純にエネルギー問題だけにとどめることはできないのである。

こうした視点も指摘せずに「すべて」と言って何か包括的に論じたかのような印象をもたせるのは、いささかいただけない。

なぜ、竹内が「監修」なのか、理由がよく分からない。

しかもそのあと、「この困難な問題にあえて挑戦してみた」(同)と、はりきった言いまわしがあるが、「あえて」というほど、この「はじめに」では問題がしっかりと描かれていない。

さらに、この「挑戦」にあたって、「形式的」には、本書を二つに分けた、という。

つまり、監修者としての竹内が、本書の構成を考えたという。

・編集部
・専門家

前者に対しては「念入りな取材をした」と書いている。また、後者に対しては「さまざまな方面の専門家にご執筆を願った」と書いている。

そして、「編集部」が「こういう問題であれこれと思い悩む市民の立場を代表する」としている。

これは、嘘である。

あとでもう少し具体的に説明するが、これはどうみても「市民」の悩み方ではない。

ただ、私がある程度納得できるのは、後者に対する説明である。

こちらは、さすがに著名人を集めただけあって、「それぞれの問題に対する、現在の時点で答えうるベストの答え」であろうとは、思う。

ただし、これも「科学者」としてではなく、「専門家」としての「信念」が語られていると考えるべきであろうし、「科学」以上のことを「科学」であるかのように語る人たちではある。

竹内の、「東京大学名誉教授」という肩書は、少なくともこの本においては、まったく意味がないどころか、こけおどしとして機能させている分、きわめて悪質である。

***

実際に本書は、奇妙な、二部構成になっている。

1 原発論争は、実を結んだか
2 人間とエネルギー資源
3 原子力発電について
4 放射線の人体への影響
5 エネルギー供給と原子力発電の近未来

このうちに1、2と3の1節までが「編集部」作である。

そしてそれ以降が、以下のようになっている。

3-2 原子力発電の安全確保について 近藤駿介
3-3 原子力発電の放射性廃棄物 鈴木篤之
4 放射線障害の実際と「常識」に対する事実 近藤宗平
5-1 チェルノブイリ以後の世界の原子力発電 中村政雄
5-2 石油、石炭、原子力に代わるエネルギーは 掘米孝
5-3 科学の悪意と技術の善意 萩原宏康
コラム記事 山崎魏

堀米孝(HORIGOME Takashi, 1931-  )は、通産省工業技術院電気試験所、NEDOで働く。エネルギー、特に太陽光の研究開発にかかわる。東京農工大学教授。

萩原宏康(OGIWARA Hiroyasu, 1934-  )は、東芝の研究所で働く。東芝総合研究所技監。

山崎魏(YAMAZAKI Takashi, 1935-1995)は、中部電力顧問。

***

さて、話を戻すが、編集部の「綿密な取材」とやらを見てみよう。

たとえば第1章、28ページほどのなかでは、以下の「ソース」が用いられている。

毎日新聞、朝日新聞、読売新聞 
1991年2月10日朝刊
週刊読売 1991年2月15日号
日本経済新聞 1991年2月14日
1989年 末 原子力白書 平成元年版
1990年 原子力白書
1990年3月21日 日本経済新聞ほか、新聞各紙
1989年11月 朝日新聞社説
? 日経新聞(ここだけ「日本経済新聞」ではない)
1990年2月23日 日経(ここは「日経」となっている)
1990年6月28日夕刊 毎日新聞
1988年 エネルギーと原子力を考える(フォーラム) 日本エネルギー経済研究所主催
1990年 ブックレット「喧喧諤諤」11号

要するに、白書と新聞、そして1つのフォーラムの内容を「取材」したということになる。

これはこれは「立派」な取材である。

***

各人の発言(執筆)内容について。

近藤駿介(おそらくインタビュー起こし)

近藤からみると、世間の議論は「原子力」という名によって左右されており、「とにかく原子力は不安だ」という考えにとりつかれている。

それは、マスコミによるところもあるし、一部の政党(社会党)にもある。

「われわれが物事を考える基本は、結局。、憲法のいう生存権と財産権でしょう。安全に生きる権利ととこれを増進する国の責任、そして、他人に迷惑をけない限り自らの財産を自由に運用する権利。それをイデオロギー、つまり原子力はイヤだとか太陽はいいとかいう条件で制約し、そういう世論を作るのはどこかおかしい。」(122ページ)

前半はJ・S・ミルが展開した「自由論」であり、資本主義社会の基本理念となっていることは誰もが知るところであろう。

しかしそれがなぜ、原子力に反対したり、それを支持するような内容をマスメディアが主張することに問題がある、ということになるのであろうか。

この議論はすでに加藤尚武が行っているが、「他人に迷惑をかけない」ということの中身が、人によって大きく異なる。

私なりの整理で言えば、まず、社会をできるだけミニマムな原理で統一させるべきだと考える人と、できるだけ多様化、分散化させるべきだと考える人に大きく分かれる。

「統一」系の場合、それ以外の原理を認めようとしないがために対立が起こるのは不可避であろうし、「分散」系の場合、前提が一つではないために、それぞれが主張しあるため、必然的に紛争が起こるであろう。

近藤は、「自動車」の例も出し、まるで誰もが自動車を許容しているかのような前提をもっているが、そんなことはない。

受動喫煙に対する受忍度が日増しに低くなり、公共の場所などでは禁止される場合も多くなっているように、原発や放射能に対しても、政治的な議論をすべき対象であると私は思うが、いかがだろうか。

ただ、以下のような彼のスタンスはシンプルで納得がゆくものである。

「人類は、原子力をエネルギー源として使うべく、運命づけられているわけではありません。・・・原子力を使わないと世の中がうまく立ち行かないという議論は、太陽エネルギーを使わないとうまくいかないという主張と同じく、いいすぎだと考えます。」(129-130ページ)

***

近藤宗平

チェルノブイリ原発事故のあと、汚染地区の住民の健康調査の結果について、「35レム以下の被曝なら安全」に近藤は賛成するという。

実際に異常症状は出たが、これは数値と相関関係が確かめられず、「放射能への恐怖心」によるものが多い、と推測している。

また、原爆と原発を同じものと考えるべきではない、と言う。

「破壊と殺人を目的とした原爆による人身傷害と、原子力発電所の偶発的事故による人身傷害が同じわけがない。」(152ページ)

その理由を、これまでの死傷者数の違いにみる。

また、低線量被曝がいかに恐ろしくないかを理解されれば、原発への信頼が高まるだろう、と考えている。

近藤(宗助)自身が、かつては微量であっても危険だと考えていたのだが、さまざまな実験や調査結果を知るなかで、考えを変えたという。

その一例として、中国の広東省高バックグラウンド放射線研究班の調査結果がある。

しかしこれも国際的な科学的同意を得ているものではない。

にもかかわらず、これを「証拠」としてつきつけるやり方は、すでに「科学的」ではない。

さらに近藤は、長崎の被曝に関する調査の結果から、「原爆をあびた人は長生きである」と言い切る。

あれこれ述べているのだが、きわめてあやふやである。

近藤は、第一に、次のように述べる。

「以上に紹介したように、「低レベル放射線の健康影響」の資料によれば、放射線を少し被曝した場合は、障害の心配はいらない。それどころか、かえって健康によい場合が少なくない、という思いがけない結果がえられた。」(177ページ)

そのうえで、第二段階として、次のように述べる。

「ただし、この結論はがんを除いた場合のことえある。」(177ページ)

だが、結局、ガンについても、次のように、あいまいに答える。

「以上のように考えてみると、放射線の量が細胞社会の秩序体制を揺さぶる「閾値」以下なら、被曝でガンが増える心配をする必要はない――と思って私は暮らしている。」(180ページ)

なんだそりゃ?

「~と思って私は暮らしている」という言明は、単なる一個人の生活信条であろう。

科学者によるこうした「科学的事実」と自らの「信念」とを近藤させるやり方、違った、混同させるやり方をするのであれば、あくまでも、一個人の「思い」として書けばよいのだ。

近藤が間違っているのは、そのあとにも、こう書いている点である。

「放射線はどんなに微量であっても毒である」という考えが、世間一般の常識になってしまっている・・・これは、放射線防護専門家が信奉してきた基本的信念であるが、科学的証拠によっていない。」(183ページ)

違うのだ。

放射線防護専門家は、あくまでも、科学的証拠がはっきりとしないうちは、できるだけ危険が避けられると思われている方向で厳しく防護しようという取り決めをしているだけであろう。

それを「信念」にすりかえてはならないのである。

*173ページにある「図13」は「図7」の誤りであろう。

中村政雄、については、以下を参照。

原子力と報道 中村政雄 を読む
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11205562306.html

原子力と環境(中村政雄)、を読む
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11585662856.html

***

掘米孝

さまざまなエネルギーの活用可能性について述べており、特に「太陽エネルギー」に期待をかけているようであるが、本書の前後の連関性がよくわからない。

いちおう「世紀末のエネルギー問題」と銘打っているので、とりあげたのであろうか。

であるならば、この内容をもって本書は閉じられてよいはずであるが、なぜか、蛇足のように、もう一人が書いている。

***

萩原宏康

非常に情動的な文章。「技術者」というものを理解してほしい、ということと、科学技術、もしくはその一つである「原発」を非難、批判する人たちの言動に対する不満が述べられている。

***

編集部(?)が書いたと思われる「あとがき」も不思議な言い方をしている。

「賛否のどちらにも偏らずに、読者が知りたい情報を集めたいと思った。」(263ページ)

いやいや、最初から、「反対」派には懐疑的であったし、人選もそのようになされているであろう。

どこからどうみても、そうした公平感、中立感は、見当たらない。

「ぼう大な資料を選別する段階でどちらかといえば一般になじみのないものを、優先して採った」(同)結果だと、言い訳をする。

「ぼう大な資料」というのが何を意味するのか、まったく分からない。

このあとがきの前にある「参考文献」には、60冊近くの本や白書などが並んでおり、そこには安斎郁郎編の本や高木仁三郎、広瀬隆の本も含まれているが、同時に、竹村健一や飯高季雄のようなここでとりあげる必要のない本も含まれている。

というより、広瀬の本をなぜ5冊もとりあげるのか、理解に苦しむ。

いや、理解できる。

本書は、広瀬の本への批判書なのだろう。

「一部の読者は本書を、反原子力派に対抗するものと考えるだろう。」(同)

いや、書いている編集部が、そのつもりであるのだろう。

残念な本である。

***

ちなみに、この本は、「日本総合出版株式会社」から発行されているが、こうした出版社が存在している形跡が、ネット上にはない。

なお、この住所にあるビルはレンタルオフィスも運営している。

発売元である「株式会社自由社」は、ネット検索で出現するのは、ここである。

住所で言うと、このビルのようである。

それ以上は、ここでは分からない。

最後に、本書は、編集協力、というクレジットがある。

中央公論事業出版」が、編集協力となっている。

中央公論の関連会社であることは社名から容易に想像がつく。

しかしこの出版社は、「自費出版」専門の会社なのである。

要するに本書は、出版物としても、きわめてあいまいな存在なのである。



世紀末のエネルギー問題―原子力発電とその周辺/日本総合出版
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参考文献として挙げられている本:
(注 発行年順に組み替えた)


1979年
図説原子力読本 安斎育郎 合同出版 1979.02

1981年

私も原子力が怖かった 竹村健一 サイマル出版 1981.03

ここまで来た日本の原子力発電 松田博雄 経済往来社 1981.11

1984年
エネルギー最前線 加納時男 NHKブックス 1984.10

1985年
原子力の燃料サイクル 鈴木篤之 電力新報社 1985.02

核廃棄物 高榎堯 岩波ブックレット 1985.05

1986年
東京に原発を! 広瀬隆 集英社文庫 1986.08
東京電力企画室 田原総一郎 文春文庫 1986.09
原発への警鐘 内橋克人 講談社文庫 1986.09
原子力は、いま(上下) 日本原子力産業会議編 丸の内出版 1986.11

原発事故 高木仁三郎 岩波ブックレット 1986.12

1987年
先端技術のゆくえ 坂本賢三 岩波新書 1987.01
危険な話 広瀬隆 八月書館  1987.04
21世紀の地球環境 高橋浩一郎、岡本和人編 NHKブックス 1987.04
地球被曝 原発問題取材班 朝日新聞社 1987.04
技術社会の未来 D・J・ブーアスティン サイマル出版 1987.05


1988年
チェルノブイリの少年たち 広瀬隆 太郎次郎社 1988.02
地球白書 88-89 L・R・ブラウン ダイヤモンド社 1988.02

ジキル博士のハイドを探せ 広瀬隆 ダイヤモンド社 1988.04
地球環境報告 石弘之 岩波新書 1988.08
原発大論争 別冊宝島81 JICC出版 1988.09
原発銀座・若狭から 中嶌哲演 光雲社 1988.10
眠れない話 広瀬隆 八月書館 1988.10
人は放射能になぜ弱いか 近藤宗平 ブルーバックス 1988.12
チェルノブイリ(上下) R・P・ゲイル、T・ハウザー 岩波新書 1988.12
THE WORLD IN 1989 英誌「エコノミスト」大予測 中央公論社 1988.12

1989年
原子力は悪魔の手先か 福間知之 テレメディア 1989.01
NUKES MANUAL 石川栄他 大和書房 1989.01
地球白書 89-90 L・R・ブラウン ダイヤモンド社 1989.02
なぜ「原発」か 加納時男 祥伝社 1989.03
世界紛争地図 A・ボイド 創元社 1989.04
歪められた原発 鶴蒔靖夫 IN通信社 1989.05
原発大情報 メディア・インターフェイス編 三一書房 1989.06

原子力の社会学 飯高季雄 日刊工業新聞社 1989.10
THE WORLD IN 1990 英誌「エコノミスト」大予測 中央公論社
 1989.12
超ウルトラ原発子ども 伊藤書佳 ジャパンマシニスト 1989.12

1990年
自然の終焉 B・マッキベン 河出書房新社 1990.01
地球白書 90-91 L・R・ブラウン ダイヤモンド社 1990.02
地球温暖化の時代 S・H・シュナイダー ダイヤモンド社 1990.03
いま、原子力発電の是非を問う 松本州弘 秀麗社 1990.05

原発暴走事故 伊東良徳 三一書房 1990.05
汚染大地 「原発問題」取材班 朝日新聞社 1990.12
THE WORLD IN 1991 英誌「エコノミスト」大予測 中央公論社 1990.12

1991年
地球白書2000年
 L・R・ブラウン ダイヤモンド社 1991.02

人間と放射線 J・W・ゴフマン 社会思想社 1991.02
チェルノブイリ報告 広河隆一 岩波新書 1991.04



*毎年刊行されているものだが、発行年が記載されていない
あなたの知りたいこと 日本電気協会 
原子力ポケットブック 科学技術庁原子力局監修 日本原子力産業会議 
国際連合・世界統計年鑑 原書房
世界の原子力発電所の動向 各年次報告 日本原子力産業会議 

***

ニューエナジー NEDO (非売品)

異常気象レポート 気象庁
科学技術白書 科学技術庁
環境白書 環境庁
原子力安全白書 原子力安全委員会
原子力白書 原子力委員会
国際統計要覧 総務庁統計局
総合エネルギー統計 資源エネルギー庁
石油代替エネルギー便覧 資源エネルギー庁

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2014-07-29 21:43:00

疑似科学的に信念を語る本が多いが、これは良書――放射線と人間のからだ(山口彦之)

テーマ:原発・原爆・放射線・3.11
読んだ本
放射線と人間のからだ――基礎放射線生物学――
山口彦之
啓学出版
1990年4月

ひとくち感想
推進や反対といったイデオロギーにまみれた本が多いなか、きわめてニュートラルに放射線関連のことを一通り学べる良書。ただし少し古くなっているので、次はこうした本の最新版を読みたい。

註 このブログ記事は上記書籍に関する解釈であって、著者個人の信念や信仰などには一切言及しておりませんので、ご注意ください。

***

山口彦之(YAMAGUCHI Hikoyuki, 1929-  )は、山形出身の農学者。東京大学農学部放射線遺伝学教授ほか。

***

目次
1 放射線生物学
2 原子・放射線
3 線量とその測定
4 放射線化学反応
5 細胞小器官に対する作用
6 突然変異の誘発
7 細胞に対する作用
8 放射線感受性
9 生体に対する作用
10 放射線障害の修飾
11 放射線の防護
12 放射線による治療

***

本書全体の構成はよくできており、入門書として、適切なものだ。

そういう前提のうえで読んでいただきたいのだが、以下の二つのことが併記されることが、ある種の矛盾でありながら、実際に、そうした矛盾を現実が内包しているということを思い出させる。

「被曝者の体細胞に生じた染色体異常は被曝者に対していろいろな影響(代謝障害、細胞死、悪性腫瘍の発生、寿命短縮、免疫欠損)をもたらすと考えられている。」
(113ページ)

「原爆被曝者の子どものあいだの染色体異常の頻度は、被曝しない親の子どもとくらべて、統計学的に有意な差は認められていない。」(同)

これは矛盾しているが、簡単に言い換えることもできる。

すなわち、低線量被曝は、何らかの影響を生体にもたらす可能性があるが、かといって、はっきりと何らかの病気との相関関係が明らかになっているわけではない、ということである。

これをもって影響がない、もしくは、ある、と言い切ることは、科学的ではない、と私は考える。

しかし多くの科学者は、いずれかの主張を行っている場合が多い。

彼らが自らの「信念」を表明するのは自由であるが、それが「科学的事実」ではないということに無頓着すぎる。

この本は、そういうところがほとんどないのが、よい。

科学的な事実を中心に整理されており、迷うことがないのである。

***

別な例を挙げよう。

ショウジョウバエの精子、ムラサキツユクサの雄蕊の毛に放射線を照射した場合の突然変異の発症率の実験では、低線量であっても比例関係を維持していた。

これは、マウスのオスにX線またはガンマ線を照射した場合も基本は同様であった。

しかし、新たに気づかれたのが、以下の点である。

・放射線照射量が同じでも、短時間か長時間か、または、断続的か連続的かによって、影響が異なる。

ここから、突然変異には「回復」というものがありうることが導き出される。

また、ショウジョウバエ、ムラサキツユクサがいずれも細胞としては特殊な状態にあることを考えれば、その他の細胞においては、連続か断続か、長期間か短期間か、といった違いは、大きく影響するということになる。

また、生殖細胞においても、時期によって影響が異なっている。

精細胞期が、著しく影響を受けやすい。

これらのことを、妙に、「信念」を中心に語られると、「安全」「危険」という二分法のいずれかに私たち読者が追い込まれることになる。

***

さらに、形質的な影響だけではなく、知能などへの影響についての実験も紹介している。

ラットが迷路を覚える能力に対する被曝の影響について、12代にわたってX線を照射し続けると、人間の知能指数換算でいえば、100から94.65に低下したという。

85以下が70%増加し、115以上が30%減少した。

「このことが人類にもあてはまるとすれば重大な意義をもつはずである。」(123ページ)

本書は1990年刊行であり、その後このテーマに関する研究は続けられていのかどうか、現時点ではよく分からない。

いずれ確認しておきたい。

***

細胞の次元への影響においては、照射によって、細胞分裂が遅延したり、死ぬといった現象に着目されている。

そのうち、細胞の死、というのが、がん治療に使われているわけである。

つまり、健康な細胞を殺してしまっては困るわけだが、癌細胞を局所的に殺せる、ということで放射線治療というものが実用化されたわけだ。

ただしこの場合の細胞の死は、2種類あり、弱い細胞が分裂を起こさずに死んでしまう場合(=間期死)と、分裂しているあいだ、または、分裂後に死ぬ(=増殖死)とがある。

細胞の場合も、障害細胞は回復することもあるのである。

こうした記述を読むと、ただ一言、(低線量の)放射線は体に悪い、良い、という説明が、いかに「悪」しきものであるかが分かる。

放射線は細胞を殺すこともある。しかし、回復することもある。

これが科学的事実である。

これを「放射線は体に悪い」とか「放射線は体に良い」と言う科学者は、信用してはならない。

***

放射線の感受性という点からは、以下のことが言われる。

・低線量であっても生物には何らかの影響が及びやすい

・ただし、すべての生物が同じように影響を受けるわけではない

・組織によって反応も異なる――これを「感受性」と呼ぶ

・DNAの抵抗力は高等生物になるほど増す

・細胞あたりのDNA含量が多いものほど放射線致死の感受性が高い


***

生体に対する作用としては、大別して2つあり、1)病的状態、2)個体の死、ととらえられている。

また、時期によって、ただちに影響がでる、1)早期、と、期間があいてから影響があらわれる、2)晩期、とに分けられる。

後者には、白血病を含む癌、白内障、不妊といった組織に対する局所的影響、そして、寿命の短縮が挙げられている。

しかし晩発性については、「正確な性質や機構はほとんど知られていない」(157ページ)と書かれている。

急性の場合、三段階に分けられている。

線量が上がるにしたがって、1)骨髄死、2)腸死、3)中枢神経死、へと至る。

ただし、長崎の原爆被曝のデータによれば、順番が変わり、

1)腸死 7-21日 平均12日
2)骨髄し 17ー23日 平均22日

これは3-5Gyという線量に影響していると書かれている。

なお、中枢神経死は、即死もしくはごく短時間による死亡が多いこともあり、「~」日と示されていない。

ここでは、急性障害にたいする対応として、以下の3点を挙げている。

1)安静
2)細菌感染の防止
3)造血機能再生の促進

続いて、発がんに関してであるが、種類として、以下のように分類している。

1)白血病 1/3
2)甲状腺がん 1/3
3)その他 1/3

たとえば、米国における1948-61年の調査で、X線を扱う医者の白血病発生率は他の医者と比べてはるかに多かった(当時の設備環境が悪かったので、今はそれほどの差が生まれない)。

広島における調査でも、爆心に近いほど発症率は高く、それは、数日後に入市した場合も、直近のほうが発症率が高い。

こうした原爆による被曝は、アルミニウム28(半減期2.24分)、マンガン56(半減期2.579時間)、ナトリウム24(半減期15.02時間)が主で、2週間後あたりにはスカンジウム46(半減期83.80日)が線源であると推測されている。

すなわち、原爆による被曝の線源は、原発事故や医療上の被曝とは大きく異なるのである。

なお、ここでは一般論的に、放射線が老化を促進する、としているが、「原爆被爆背温存者の調査では、腫瘍以外の疾患による死亡率の上昇は見い出されず、放射線による老化促進は認め難い」(171ページ)とも書いている。

***

放射線障害の「修飾」要因、という章があるが、「修飾」という言葉は、門外漢には分からなかった。

何かをすると、障害が低減される、ということのようだ。

たとえば、断続的であったり長期的であったりすることによって同量であっても影響が異なる場合、すなわち「線調率効果」もその一つ、である。

また、酸素効果といって、無酸素や低酸素の環境ではより放射線のダメージを受ける。

被曝する前にある化合物(たとえばシステイン、システアミンなど)を投与すると放射線の影響を抑えるという研究も進められており、これは「化学防護」と呼ばれている。

逆に効果が高まる化合物もある。

***

放射線の防護において、本書では、閾値なしとして、発がん、遺伝的影響を挙げ、閾値ありとして、皮膚の紅斑、不妊、白内障を挙げている。

至ってシンプルに結論づけられている。

放射線を用いるときの放射線防護の目標は、非確率的影響の発生を完全に防止し、確率的影響の発生を社会に容認されるレベルに制限することである。」(185-186ページ)

科学者たちが「~ミリシーベルトまでは安全」といった言明を行ってきたおかげで、私たちはてっきり最初からそうした数値が科学的に導き出されていたとばかり思っていたわけだが、これらは社会が決めた数値であったのだ。

最初にそういう説明があれば、妙な混乱もなかったのではなかろうか。

***

最後に、最初の章の部分に戻るが、以下のような内容が書かれている。


・レントゲンがX線を発見するきっかけは、気体放電の研究であり、彼自身は医学者ではなかった。だが、X線が外科学に有用であると見抜き、ヴュルツブルクの医学協会で論文を発表した。

・X線が生物に強く影響を与えることを最初に確かめたのは、1896年ダニエルであり、彼の頭髪が5センチにわたって抜けたことから気づかれた。

・その後多くの研究者がただちに放射線が生体に与える影響を調べはじめた。

1896 クラウゼン X線透視の見世物、1900年にがんにより死亡
1897 キュリー夫人 放射性物質を命名
1897 フロインド X線による脱毛治療を実施
1898 キュリー夫妻 ボロニウム、ラジウムの分離
1899 X線がガン治療に用いられる
1901 ケーラー 骨疾患のX線診断についての論文
1901 ベクレル 胸ぽkジェットにラジウム塩を入れていたら火傷
1901 ド・フリース 突然変異を命名
1904 ペルデス X線感受性が細胞分裂中は高くなることを観察
1904 ラジウム治療が普及開始
1906 ベルゴニエとトリボンドーの法則 放射線に対する細胞の感受性は、細胞の増殖能力に比例
1923 デッサウアー 点熱性(放射線が局所的に作用するという説)を提起
1925 国際放射線懐疑(ICR)設立
1927 マラー X線照射による突然変異の増加の発見
1928 ICRP発足
1945 広島に原爆が投下される

・光子=X線、γ線
・荷電量子=電子、陽電子
・中間子=πメゾン
・核子=陽子、中性子
・重荷電粒子=α粒子


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2014-07-28 22:16:00

原発事故の起きる日――緊急避難はできるだろうか(山本定明・淡川典子)、を読む

テーマ:原発・原爆・放射線・3.11
読んだ本
原発事故の起きる日――緊急避難はできるだろうか
山本定明、淡川典子
技術と人間
1992年5月

ひとこと感想

原発事故における対応について、地域住民の視点から検証している。当時の原発の避難時パンプについて、日米加で比較しているのが本書の最大の長所である。

すでに「原発事故」が起こってからこの本を読んでいる。結論は、緊急避難はしたが、うまくいったとは言えない、である、だが、だからといってこの本を読んだからといってうまくできたとは思えない。そこが難しい。

山本定明(YAMAMOTO Sadaaki,  1937-2003)は、当時、名古屋大学アイソ トープ総合センターで研究に従事。

淡川典子
(AIKAWA Michiko, 1939-  )は、当時、富山大学教育学部教員。

***

富士山は確かに大きく、美しい。

だが、いつか噴火を起こすのではないかと考えると、たまらなく恐ろしい。

とはいっても、今住んでいるところから簡単には離れられないし、それではいったいどこへ行けば安心なのかと考えれば、結局逃げ場がないことに気づく。

ただ、せめて、噴火が起こったとき、自分はどのように対応すべきなのか、ある程度のシミュレーションをしておくことで、ようやく、それまでの毎日を生きるうえでの「安心」となることは疑いない。

大事なのは、それまでの時間を大切に生きることであり、起こってしまったら、それはもう、別の次元の問題となってゆく。

これは以前から言われていたことであるが、「3.11」以降は、加えて、地震、津波、原発事故などへの「心の準備」も要求されるようになった。

関東大震災のことを思い出せば、同程度の地震があった場合、現在の建築物であれば、かなりの確率で、致命的なことにはならないと考えられる。

住んでいるところは標高がかなり高いので、津波も心配するものでもない。

しかし、原子力関連施設の事故による放射線の影響は、常に意識しておかねばならない。

幸い線量計を日に何度か見る習慣ができ、その数値の変化で、正常なのか、異常なのかは、おそらく判別できるという経験を経てきた。

これだけでも、ずいぶん、かつての無知だった頃くらべて、精神的に安定したと思う。

本書は、こうした「地域住民」の視点から、原発事故が起こったとき、どうやって避難をするのかを考察したものである。

チェルノブイリ原発事故を経て、じわじわと日常に不安感が浸透した1992年に発行された。

1-3章で、緊急時の避難計画について、日米加、それぞれの内容を比較し、4章で安全協定、5章で防災計画、避難訓練、をとりあげ、6章でいざというときにどのような対応をするのかアンケート調査の結果をまとめ、最終章の「まとめ」では、原発設置のプロセスをひととおりたどる。

まとめると、こうなる。

・避難計画 1-3章
・安全協定 4章
・防災計画 5章
・避難訓練 5章
・原発設置プロセス 終章

***

防災計画とは、一体何か。

地域住民として、その土地で暮らしていながら、何らかの事態によって、避難しなければならないときのための、対応のための準備である。

しかし国内の原発に対する防災計画では、近辺10キロ範囲だけが対象となっており、その周囲はまったく無関係という扱いである。

もちろん電力会社が責任を負うのは、自らの敷地内のみであることが非難されている。

線量計をもった者としては、正直、国や電力会社などの指示は、二の次であり。まず、自分たちの身は自分たちで守る、という姿勢をもっと私たちはうちだすべきであろう。

いや、それはあくまでも首都圏の話、つまり、原発から200キロ以上離れているところのことであるが。

むしろ健常者以外の人たちへの対策を真剣に考えねばならないのは、原発事故によって引き起こされた死者の大半が、そういう人たちだったからである。

***

本書の本文に、TMI原発の緊急時計画、という内容が含まれている。

特に気づいた点は、以下のことである。

・原発以外にも竜巻、洪水に対していもサイレンを鳴らす
・非健常者に対する意識が高い
・ペットや家畜などにも意識が向いている(避難センターにはペットは入れないが)
・レベルが4段階に設定されている

1)異常事態
2)警告
3)発電所サイト内緊急事態
4)緊急事態

このうち、2)からサイレンが鳴る場合がある。

***

続いて、カナダのピカリング原発の計画パンフも翻訳されている。

ここにも明記されているが、すぐさま命に別条があるかどうかではなく、少しでも被曝量を減らすために避難があるのである。

TMIも同様に、緊急時はラジオやテレビの情報に注意せよとされているが、現在であれば、ネットを活用することになる。

特に、風向きについては、SPEEDIのような大層なシステムは置いておいて、常に原発からの風向きをネットで伝えればよいのである。

いざというときはそれをみて、各自が判断し行動する。

もちろん、モニタリングポストの情報もリアルタイムで見られるから、それらを組み合わせて、緊急時用のサイトとしておいておけばよいのだ。

問題は、どのくらいの次元のことが起こっているかである。

屋内退避と避難は大きく矛盾する。

ベターなのは、一時的であれ、危険な方向から移動することであり、屋内退避は、最悪の場合または、軽微であろうと確信のあるときにかぎられる。

こわいのは交通規制である。

また、自動車やバイク、自転車も殺到するかもしれず、それらによる事故等も、きわめて危険である。

カナダの場合は、ペットは屋内にとどめ、水とご飯を2日間分ほど置いておけとなっている。

また、家畜については、米国と同様、覆いなどをしておけ、と書かれている。

この説明で特に良いのは、風向きと放射性物質の拡散の関係にふれられていることである。

また、除染や甲状腺の防護、水や食べ物の規制など、何が起こるのかが、具体的に書いてある。

***

これに対して、泊原発の「原発・原子力防災対策のしおり」も載せられている。

屋内退避を前提に書かれ、
避難はありえない、という論調が、すでに「防災対策」として不十分である。

***

続いて、「安全協定」について検討している。

ここでは泊原発を例にしている。

安全協定は、電力会社と北海道、そして泊村、共和町、岩内町、神恵内村とのあいだで締結されている。

このこと自体が問題ではないのだが、この安全協定があることによって広域にわたる避難が必要になった場合の対策が練られていないことを問題にする。

また、これと石川県の安全協定とを比較している。

***

防災計画や避難訓練については、事故状況への対応対策が基本となり、避難時のことをあまり真剣に考えているように見えない。

また、避難については、場合によっては長期にわたる場合もありうるわけであり、防災計画においても、加味すべきである。

一般的な防災訓練だけでは十分とは言えない。

***

原発設置のプロセスを大雑把にたどっている。

また、カナダのようなライセンス制を評価している。

他方、日本の場合、通産省の一元的支配の体制となってしまっている。

1)立地
・用地の確保 (電力)
・環境審査 (通産省)
 → 電源開発調整審議会
 (本来ならば火力発電等とのバランスを考慮すべきだが、原子力ありき)
・後悔ヒアリング 
 (形骸化)
・電源開発基本計画
 (電力の需要予測のみで、しかも高めに設定している)
 (安全性の確保と廃棄物の問題をもっと検討すべき)

2)設計
・設置許可申請書 (電力)
・審査 (通産省)
 (原子力委と安全委とのダブルチェックも形骸化)
 (安全委は、実務機関として機能していない)
・工事計画の許可

3)建設
・安全審査 (通産省)
 (非公開で中身が見えない)
 (安全委がかかわらない)

「設置許可以後の過程に、チェックをかける機関は存在しない」(205ページ)

 (地方自治体もチェックができない)

4)運転
・保安規定
 (防災計画と密接にかかわらせるべき)
 (自治体が緊急委の情報をどう受け取るのか不鮮明)
 (サイト内に限定されいる)
・試運転
・営業運転 (以下、通産省の管轄)
・定期検査
・立ち入り検査

もし、事故が起こった場合には、「事故調査委」が立ち上がる。

この時点で、2件

・1989 福島第二3号機
・1991 美浜2号機

事故調査委は非公開で問題あり。

本書では、事故防止の見地から、日常の運転に対する市民の「監視」やモニターチェックを提案している。

要するに、情報公開である。

また、異常事態が発生した場合は、とにかく停めて原因究明を行い、問題が解決されたら再稼働を行う、という流れを遵守してほしいと願っている。

ほか、核燃料輸送の危険性(防災計画に含まれていない)、使用済み核燃料処分、廃炉など、問題が山積みであるとする。

***

本書のように、いくつかのデータの比較検討を行う場合、だらだらと文章で書き連ねるのではなく、シンプルに表や項目化して記してほしい。

非常に読みにくい。

また、全面的に「行政」や「電力会社」批判となっているが、本当にすべきことは、よりふさわしい緊急時のハンドブックの作成であり、広域における安全協定締結の実現であるように思われる。

***

以上のように、本書が問題にしているのは、以下のような構図である。

地域の安全 < 国内の産業・家庭への電力安定供給

要するに、地域の安全を軽視しすぎているということである。

航空事故調査委員会をモデルにすべきだと述べている。

私たちが本書を読んで学べるのは、自分や家族のことは、自分たちで日々対応するしかない、ということである。

誰かに頼りきるのではなく、自ら線量計を所持し、自らインターネットでモニター情報を知り、自らSNSで近隣の動向を伺うことで、守るしかないのである。

原発事故の起きる日―緊急避難はできるだろうか/技術と人間
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2014-07-27 21:07:00

阪神淡路大震災と3.11を繋ぐ――NØ NUKES JAZZ ORCHESTRA を聴く

テーマ:原発・原爆・放射線・3.11
聴いたアルバム
NØ NUKES JAZZ ORCHESTRA
NØ NUKES JAZZ ORCHESTRA
2012年 7月11日

ひとこと感想
バンド名、タイトルがストレートで少し躊躇するが、曲は
曲として丁寧につくられている。硬質で、一音一音を大事にした形跡がみられ佳曲が多く、じっくりと聴きこみたい。初見では、やはり、歌声と歌詞のある曲「満月の夕」に心を奪われた。

***

曲目
01 Azzurro-prologue 沢田穣治 曲・編曲
02 Theme of N>N>J>O 沢田穣治 曲・編曲
03 Changeable Weather 沢田穣治 曲・編曲
04 StrangeToy 沢田穣治 曲・編曲
05 三月のうた 谷川俊太郎:詞、武満徹:曲、沢田穣治:編曲
06 New Song Of March 沢田穣治 曲・編曲
07 Azzurro - re-birth 沢田穣治 曲・編曲
08 Night Rush Hour 沢田穣治 曲・編曲
09 満月の夕 中川敬・
山口洋:詞・曲、沢田穣治:編曲
10 Gray-zone Gray-zone:編曲
11 Circle Line 沢田穣治 曲・編曲
12 Blue March 沢田穣治 曲・編曲
13 Smile J.Turner,G.Parsons:詞、C.Chaplin:曲、秋岡欧:編曲
14 promise 沢田穣治:曲、ヘナート・モタ & パトリシア・ロバート:編曲
15 Azzurro - epilogue 沢田穣治 曲・編曲

バンドメンバーも数が多いので、大変申し訳ないが省略(彼らのホームページを参照してください。)。

「3.11」から1年後に、あのときの「思い」を楽曲に託したという。

2012年3月11日に、新宿PIT INNでライブを開催。

おそらく、何かせねば、という気持ちで、立ち上がったのであろう。

その気持ちをふみにじるつもりは、まったくないが、こういう「コンセプト」のアルバムやバンドは、非常に受け止め方が、難しい。

いや、語るのが、難しい。

たとえば、近藤等則には、「神戸」という震災ときの思いを作品にしたアルバムがある。

とても、素晴らしく、ときどき、聴くたびごとに、その音のふるえが胸に突き刺さってくる。

だが、このアルバムを毎日、聴くことはできない。

「コンセプト」アルバムは、聴く側も、それなりの心構えを必要とする。

かしこまって、その音、そのリズムを、その息遣いを、何を感じて、何を吐き出そうとしているのか、何を考えて、何を形にしようとしているのか、そして、それがいったい、どういう意味なのか、考えながら聴かざるを得ない。

しかし「音楽」は、やはり「楽しむ」ものだ。もしくは、エモーショナルなものだ。

できれば、かしこまって聞きたくはない。

できるだけ、気「楽」に表現してほしい。

そして、メッセージは、その深奥に刻んでほしい。

・・・と、身勝手で恐縮だが、リスナーの側に立つと、「コンセプト」が前面に出ると、どうしても、きつい。

***

そういうわけで、どうしても、このなかでは、歌詞と歌のある曲のみをとりあげることにする。

***

1)三月のうた

「八月の濡れた砂」をご存じの方は、同列の曲と感じるのではないだろうか。

翼 武満徹ポップ・ソングス/日本コロムビア
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作詞も作曲も異なるのだが、同じ人、すなわち、石川セリが歌っている(1995年、阪神淡路大震災の後に発売された)ので、その印象が強くなってしまう、といっても、当アルバムでは歌も違う人が歌っている。

「三月のうた」は谷川俊太郎の詩であるが、谷川と言えば、テレビアニメ「鉄腕アトム」の主題歌の作詞を思い出す。

鉄腕アトム・ソング・コレクション/キングレコード
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「ららら~」という奴である。

「アトム」がかなり能天気な詞であったのと比べると、「三月のうた」は途方もなく沈鬱な詞である。

この詞は、決して「3.11」のためにつくられたのではない。

だが、そのまま、あまりにもそのまま、「3.11」をうたっているように、読める。

「花」を捨て、「道」を捨てる。

「愛」だけを、という箇所は、一種の「希望」「未来」を示唆はしているものの、武満徹のメロディーのせいもあると思うが、底なしに暗い。

だから、だろうか。

阪神淡路大震災よりも、フクシマに、最初から向けられた詞、曲、歌であるように聞こえてならない。

***

2)
 満月の夕(ゆうべ)


この曲も、1995年の阪神淡路大震災のあと、作られた曲であり、他の作品とは出自を異にする。

しかもこの曲、もともと歌詞や楽曲が2バージョンある。

1)ソウル・フラワー・ユニオン
 キューン・レコード
 1995年10月

 こちらが、言わば「現地」の視点で詞が書かれている。

2)ヒートウェイヴ
 エピック・レコード
 1995年10月

 そして、こちらが、言わば被災地から離れた視点で詞が書かれている。

ここで歌われているのは、後者の2)ヒートウェイヴ版の歌詞となっている。

いずれの歌詞においても、サビの「いのちで笑う」という独特の表現が、悲しみや苦悩をこえて、笑いや喜びにつなげてゆく「力」をわきあがらせている。

つらいときだからこそ、歌おう、笑おう、としており、それが、あまり無理がない。

とりわけソウル・フラワー・ユニオン版は、沖縄民謡風であることもあり、救いようのない方向に陥ることはない。

・・・ただし、フクシマにより重ねられるのは
、こちらより「三月のうた」の方である。

「フクシマ」は、こうした「いのちで笑う」ことさえ、難しい。



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2014-07-26 21:10:00

二人で泳いだ海は、何によって汚染されたのか――僕と彼女と週末に(浜田省吾)を聴く

テーマ:原発・原爆・放射線・3.11
聴いた曲
僕と彼女と週末に (IN THE WEEKEND)
浜田省吾 詞・曲・歌 HAMADA Shogo
水谷公生 編曲
1982年11月

ひとこと感想
歌詞は直接的に何かを明示しているわけではないが、ただならぬことが起こる、というメッセージが含まれており、核兵器と原発事故という二つの「核」をめぐる恐怖をにじませた作品と言うことができる。かなり悲観的であるが、かすかな希望として「愛」に可能性を託しているようにも読める。

***

本曲は、アルバム「PROMISED LAND ~約束の地」(The Gate of the Promised Land)の11曲目に収められており、最後を飾っている。

このアルバムのジャケットには、浜田省吾がいつものようにサングラスをかけて両腕を腰にあてて立っている姿が映っている。

その背景には青い空、そして、大きなミサイル

ウィキペディアなどには、この「ミサイル」が「核弾頭」と記されているがここに写っているのは、「核弾頭」ではない。

もちろん、「核弾頭」は「ミサイル」の一部であり、この「ミサイル」が「核弾頭ミサイル」である、と主張する人もいるかもしれない。

しかし、違う、と断言しよう。

なぜならば、もしこれが「核弾頭」「ミサイル」であるならば、そこには「放射線管理区域」によく貼られている、例のマークがついているはずだからである。


ただし、北朝鮮のミサイルには付されていないかもしれないではないか・・・とか、いろいろと異論のある方もおられるかもしれない。

ただ、このミサイルには、一方で「FLAMMABLE 3」というマークが記されている。


これは米国で使われているもので、「可燃性」「液体」を意味し、場合によっては「LIQUID」という語も併せて書かれることもある。

まったく、放射線とは関係なく、
ガソリンやエタノール、メタノールなどがあり、危険だということである。

そして大事なのはこれが、米国で使用されているマークである以上、これが貼られていて、放射能マークが貼られていない、ということは、核ミサイルではない、ということになるのではないだろうか。

もしくは、少なくとも本体はミサイルであり、液体燃料を使っているということを示してはいるが、このミサイルに「核弾頭」がついているかどうかは、この画像からは判別できない、ということにならないだろうか。

――浜田が、このあたりを、あえて意図的に、こうした、混乱した内容にしているのか、ただ、適当なのか、私にはよく分からない。

が、少なくとも、ただちに「核弾頭」と言い切ることは、できないはずである。

***

それはさておき、この曲で歌われている「歌詞」は、かなり難しい。

以下、一つ一つ、解き明かしてみよう。

まず、冒頭に登場する「権力」どうしのシーソーゲームとは、
単純に言って、戦略核兵器による米ソの冷戦体制の不安定さを述べているのであろう。

これは、それほど理解に困らない。

その均衡は危うく、いつか地球は滅亡するかもしれない、とこの歌が登場した1980年頃は本気で思われたものだ。

言いかえれば、もう、希望のあふれる未来など描くことができなくなっていた時期である。

当時の「バブル期」とは、単に、経済の飽和状態だけを指すのではなく、私たちの意識の状態を指す。

あの頃、私たちは「刹那的」にならざるをえなかった。

当時、「ノストラダムスの大予言」も、オウム真理教も、存在感があった。

そうしたなかで、結果的に求める方向は、ジョン・レノンらが訴え続けた「ラブ&ピース」である。

ただ、「平和」については一人の力ではどうにもならない、だが、せめて愛する者を守るという「愛」だけは、貫きたい、という思いが、この曲にも、強くにじみ出ている、と考えられる。

もしくは、「愛」が起点にあることによって、この世界は、かろうじて、明日や希望をイメージすることができる。

しかし、それも、かなりきわどく、危うく、脆い。

この曲には、そうした意識が根底にあるように思われる。

浜田は「バブル期」をある種「憎悪」していたのではないだろうか。

それは、別の曲「MONEY」などからも、そうした意識が感じられる。

ご多分にもれず私も、「フドンペリ」という言葉を、この曲で知った口である。

・・・ここまでは、ある程度、まとまって考えることができる。

続く、この曲の2番の歌詞は、かなり理解が難しい。

「絵具(えのぐ)」と「画布(カンヴァス)」の比喩が用いられている。

「絵具」は「昨日」のもの、すなわち、旧態依然としたもの、だという。

これを使って「画布」に「明日」を描こうとするのだが、「画布」は破れてしまっている。

どういうことだろう。

いくら素晴らしい「未来」を描こうとしても、絵具が古く、しかも、画布が破れている以上、なにをやってもどうにもならない、愚行にしかならない、ということか。

何か似たような言い回しがあったような気がするが、今は思い出せない。

いずれにせよ、そういう試みをするのは「愚かな人」なのであろう。

ただ、これが、国際政治の話をしているのか、私たちの日常意識を問うているのか、はっきりとしない。

国際政治の話であるとすれば、これまでのような資本主義対社会主義という対立からは何ら未来の社会像が描けない、ということになる。

また、日常的意識であるとすれば、いくら個人であがいても、社会や体制が変わらず、下手をすると綻びだらけである以上、ほとんど絶望的だということになる。


続いて、そのあとの歌詞は、「バブル期」に限定されることなく、「資本主義社会」への揶揄のようであり、つきはてぬ「欲望」にそそのかされて「商売」に励む姿を批判し、その結果が、悲劇を生む、ということを表しているようだ。

浜田の意識の根底に、やはり「バブル期」に象徴される「金儲け主義」的な意識への嫌悪感があることが、ここからも伺える。

しかも、こうした悲劇が、「宇宙の力」を「悪魔」に変えたことによって起こっている、と歌われている。

「悪魔」に変える、ということは、よくないものに変えた、ということである。

この場合「宇宙の力」と言っているので、すぐに「原子力」が
思い浮かぶ。

また、1番の歌詞の延長線上で考えれば、ここで言う原子力は「原発」や「放射線治療」などのことではなく、「核兵器」のことを指していると考えるのが妥当である。

そうすると、ここまでで、浜田は、「バブル」「金儲け」「資本主義」を批判的にとらえ、その延長線上に「核兵器」による世界の均衡があるとらえ、そんな時代や社会に生きることは、かなり息苦しい、と訴えているように思う。

統一感のある言葉や意味が連なるのではなく、イメージの連鎖から、ぼんやりとした全体像がかすかに浮かび上がってくるように綴られている。

守りたい「君」
信じたい「愛」

「愛」が強く歌われるが、重要なのは、「いつの日か」という言葉が付加されていることである。

もうありえない「いつの日か」を夢見ているが、それはあくまでも、もう「夢」にすぎない。

すでに、絶望の先の物語、なのである。

「いつの日か」というのは、もうその可能性がなくなってはじめて、「願い」として、「後悔」として、語られているということなのだ。


そこで、ここで、衝撃的なナレーションが、さしはさまれる。

タイトルにある「僕と彼女と週末に」にかかわるものだ。


二人は週末に、ふだん住んでいるところから車で遠く離れ、海辺にまで赴く。

そこで彼女の手作りサンドを食べながら、ビールを飲んで、いろいろな話をして楽しいひとときを過ごす。

「楽しいひととき」なのである。

その夜、二人は、静かな海辺で泳ぐ。

ここでまでは、「楽しいひととき」の描写である。

ところが次の朝、彼は吐き気を催して目覚める。

しかも彼女も、体調が悪い。

食欲もわかず、気分転換に海辺を散歩する。

すると、海岸線には、たくさんの死んだ魚の姿があった。

…というのだ。


これは、何を表しているのであろうか。


先ほど「宇宙の力」を「核兵器」と重ねてみたが、ここで考えられるのは、以下の三つである。


1)この海岸に近いところには原子力関連施設があり、何らかの異変があり、海水が汚染された。

2)この海岸に近いところに化学工場があり、排水が海に垂れ流され、海水が汚染された。

3)核実験による放射性降下物が集中してこの海岸に降り注ぎ、海水が汚染された。

そう、ここでは「核兵器」にも、「原発事故」にも限定されない。

いずれであっても、そんなことが「起こりうる世界」に私たちは生きているのである。

はたして、未来はあるのか。

どうやって、希望を見出すのか。

未来に生きる子どもたちに、どのようにこの時代のありあさまを伝えうるのか。

唯一残された希望、可能性、それは、人を愛することだった、ということであろうか。

でも、もう手遅れなのかもしれない、それでも・・・



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なお、浜田は広島出身である。

彼の父は特高警察で、原爆投下の後、救護隊として(おそらく低線量の)被曝をしている。

このことは、いちおう、忘れないでおいたほうがよい。

また、その生まれ育った広島に対して、浜田は、「マイホームタウン」や「MONEY」「DADDY'S TOWN」などにおいては、いずれも、「出てゆく」ところとしてとらえられている。

そのあと、神奈川大学に入学したという点で、何となく「出てゆく」場所を間違えたのではないかとも思ってしまう。

それにしても、曲を聴くたびに思うのだが、ハマショーのこの「力み」は何であろうか。

それを「力強さ」とも言うのかもしれないが、実は私、ちょっと苦手である。

嫌い、というのとは少し違う。

共感はするが、肌に合わないのである。

2014-07-25 21:18:00

さし迫る原発の危険(日本科学者会議編)、を読む

テーマ:原発・原爆・放射線・3.11
読んだ本
さし迫る原発の危機
日本科学者会議編
リベルタ出版
1992年3月

ひとこと感想
11人の執筆者が登場し、当時続発した原発事故を中心テーマとしつつ、志賀原発 (BWR)の問題点を挙げ、かつ、TMIとチェルノブイリ事故の見直し、そして国内の電力体制と原子力政策への批判と盛りだくさん。やや論点が拡散気味であり、もう少し焦点を絞ってもよかったのでは。

*本書は、1991年8月に日本科学者会議によって開催された「第17回原子力発電問題全国シンポジウム」(金沢市)におヶる講演・報告をもとに編集された。

***

チェルノブイリ原発事故が起きたあと、当然のように、国内の原発への関心が高まった。

そこに、当時からみて「重大事故」と思われる出来事が立て続けに起こった。

特に注目されているのは、以下である。

1989年1月 福島第二3号機、再循環ポンプ事故
1990年7月 浜岡1号機
1991年2月 美浜2号機、蒸気発生器細管ギロチン破断事故
1991年5月 泊1号機


***

「続発する事故をどうみるか」(中島篤之助)は、チェルノブイリ視察記と、国内における事故の多発に関する概観的な説明を行っている。

ここではすでに、以下のようなトピックが語られている。

・リクヴィダータル
・フィルター・ベント
・水蒸気爆発と水素爆発
・事故と事象

***

続いて、「検証・美浜原発事故」(庄野義之)であるがここでもやはり、チェルノブイリ、さらにはTMIの事故をふまえた国内の原発の安全性への見直しが十分におこなわれず「安全神話」にあぐらをかいたことを批判し、その結果、1990年前後に事故が多発しているのだ、という論調になっている。

特に庄野は、美浜2号機事故(1991年2月)が、緊急炉心冷却装置が作動したことを根拠に、これまえの事故や故障とは異なるものという認識をとっている。

2月9日の13時50分過ぎにスクラム発生、ECCSが作動。

59分には通産省の資源エネルギー庁、運転管理専門官に連絡が行っている。

そして14時10分には国へ報告、19分には福井県に連絡。

美浜町には、14時44分に連絡。

これをもって庄野は住民の安全が「後回し」にされたと述べる。

***

「ギロチン破断はなぜ起こったのか」(田辺晃生)も同様の事故をとりあつかっている。

まず、「ギロチン破断」という言葉づかいであるが、この言葉がマスコミによって使われたことを肯定的にとらえている。

本来「金属疲労」によるものであるが、金属が簡単に破断しないはずなのに、スパッと切れていることから、事の重大さを考えるべきだと田辺は述べる。

また、通産省によれば、「振り止め金具」をうまくつければ事故は起こらなかったというが、そういう次元で問題は片付かないと批判する。

***

次に、能登原発に焦点があてられる。

「建設経過にみる能登原発の問題点」(飯田克平)であるが、最初に違和感をもったのは、「能登原発」という言葉である。

1988年12月までは「能登原発」という呼称だったのが、「志賀原発」に変更になった。

ここでも、過去に、意味の分からないことが起こっている。

1972年 赤住地区住民の自主的住民投票が行われる
 投票は実施されたにもかかわらず、石川県は開票中止に同意させ、開票せずに破棄を行う

1973年 追加買収予定地を含む土地について、架空の換地総会を捏造する

1984年 環境への影響を確かめるための海洋調査を、北陸電力に代わって石川県が強硬実施

こうした地域住民との確執が続いてゆくなか、結果的に十分な敷地を確保できず、かなり縮小される。

Googleマップなどでみると分かるが、南部には、原発のすぐそばに田畑や人家がある。

しかも、県道36号線が、敷地と港とのあいだをまっすぐに走っており、ふつうに車だけでなく、ジョギングする人もいる。

炉心までわずか300メートル程度である。

そのため、事故対応として、近隣への影響が心配されるにもかかわらず、なんと、原発で最初の、グッドデザイン賞を受けている。

***

「能登原発(BWR)の技術的問題点」(出井義男)では、まず、4点、特徴が述べられている。

・1967年の建設計画発表から着工まで20年を超えている (1993年稼働)
・認可出力が小さい (54万キロワット)
・旧いMark-1改良型
・狭く、県道が走っている特異な敷地 

さらには、原発設置の認可に関して、なぜ、国内の原発はすべて、アメリカ機械学会(ASME)の規格に適応していないといけないのか、と疑問を投げかけている。

ここでも、浜岡1号機の事故が例として検討されている。

他のところで、田辺は「金属疲労」が原因としたが、ここでは、「溶接にともなう材料の鋭敏化等が重畳した応力腐食割れによるもの」(73ページ)とされている。

これを、桜井淳の指摘と重ね合わせてみる。

桜井は「亀裂の位置からして溶接の影響、それも溶接時の"入熱時間に関することが容易に推定できる」(111ページ)とし、一般的には容易に応力腐食割れすることはなく、経年変化によるものと考えられるとしている(「原発事故学」112ページ)

また、福島第二3号機も例示されているが、これは省略。

***

「「石川県原子力防災計画」の問題点」(児玉一八)では、能登半島の中ほどに原発があることによって、北側の住民の避難が考えられねばならないはずなのに、なんら考慮されいないことを批判している。

また、冬の積雪、観光客の多さなども計画に組み込まれていない。

ここの防災計画は、約半径10キロメートル圏内にある
志賀町、富来町、中島町、田鶴浜町にかぎられているのだ。

この編者たちの集まりは、原発のある各地域でシンポジウムを開催し、そのたびに原発の視察も行ってきたが、志賀原発だけは、視察を拒否される。

その他、細かくチェルノブイリ事故を想定しながら防災計画の中身を吟味している。

***

ここから、過去の重大事故の見直しが行われる。

「TMI事故報告書から何を学ぶべきか」(鈴木光弘)は、事故当初は調査委員会が立ち上がったのにもかかわらず、その後は教訓がいかされないでいることを批判する。

安全規制を率先して行うはずの原子力安全委員会が、TMI事故から2日後には、国内の原発がTMIのような事故を起こさない、と安全宣言をした。

しかしその後、事故の原因の解明が進むなかで、この、1990年前後に起こった事故が、一歩間違えれば国内でもTMI事故が起こりうるということが明らかになった。

一言でいえば、こういうロジックである。

「プラント設計等の差異を強調して現状の安全確保策で十分とする現状肯定型の論理」(102ページ)

ちなみに、TMI事故の場合の、経年による確認事項は、以下のようになっている。

事故発生後、確認されたこと
3年4カ月 炉心が大規模に損傷し上部に空洞ができていた
6年近く 燃料が溶融していた
8年 溶融炉心が外周部を貫通して原子炉容器底部に流化した
10年 原子炉容器底部の内壁面に亀裂が発見された

また、TMIの所有者であるGPUN社による、事故後に得られた技術的教訓は、以下のとおりである。

・格納容器が放射性物質放出を防ぐ機能を果たした
・放射性ヨウ素の放出は予想を大幅に下回った
・水が残っていたところでは燃料は損傷しなかった
・何トンもの非常に高温な溶融燃料が落下しても原子炉容器は壊れなかった

このことを、しっかりとふまえておけば、フクシマにおいても、私たちも、もう少し冷静でいられたかもしれない。

しかし当時、原発事故に関心をもつ人は、とりわけ1980年代と比べると急激に減衰していた。

一体なぜ、そのようなことが起こったのか。

私たちは、単に推進側のPRに乗せられて原発(事故)に対して「無関心」となっていったのではなかろう。

たとえば、鈴木が述べているように、TMI事故への反省が風化したことも挙げられるであろう。

しかも、1986年に起こったチェルノブイリ原発事故によって、「日本の原発は安全」という幻想が世間を包み込んでいったように思われる。

しかも、時代は平成に移行したあたり。経済は「バブル」と言われ、「日本」は「ナンバーワン」気分に浮かれていた。

「反省」「改善」「対策」といったことに目を向けず、根拠のない自信に依存していたのかもしれない。

ともあれ、1990年代、そして2000年代の関心の薄さは、今後、検討すべきテーマである。

***

「IAEAチェルノブイリ事故影響調査報告書批判」(野口邦和)は、1991年に発表された報告書の検討が行われている。

この調査が、旧ソ連の要望で行われ、しかも、自分たちの対応の正当性を国際機関の名を借りて証明しようとしたものにすぎず、およそ「科学的」とは言い難い、と野口は手厳しい。

先日みたように、ソ連という国は「社会主義」を標榜し、レーニンによって建国され、エネルギー政策の重要性を意識していたし、当時ナンバー2のトロツキーも「原子力」が欠かせない動力源えあることを1920年代において喝破していた。

にもかかわらず、こうして「原発事故」を起こし、その余波を受けて、「国家」がつぶれてしまった。

これもまた「原子力」のもつ魔力なのだろうか。

しかしそういった「国家」の都合とは無関係に、原発事故の影響を受けた人たちの健康を長期間にわたって守るような対応は不可欠であるはずだ。

***

「放射線の影響評価はどこまで可能か」(角田道生)は、低線量被曝に対する推進側の過小評価を批判している。

少なくとも「照射線量率制限値」は、1902年にロリンズが1日10レントゲンとしたのを皮切りに、その後幾度も見直され、基本的に安全に配慮する方向、すなわち、低い数値へと改定されてきた。

また、人類集団全体の総被曝量の計算や考慮も角田は要請しているが、この点については、また別の機会に検討してみたい。

***

「九電力体制と原発推進」(斎藤雅通)は、原発推進を前提とする電力会社のあり方を歴史的に見直している。

発端は、戦後GHQによる民営化、分割化に端を発している。

また、東電は、国内トップの企業として君臨し、経団連を通じて他の企業への影響力をもっている。

関西電力ほか、いくつかの電力会社の大株主、社外重役などの紹介を行っていることや、三菱、日立-丸紅、東芝-三井、住友、富士-伊藤忠・日商岩井など国内には5つの原子力産業グループがあること、さらに、他のエリアに原発を設置する広域運営体制などに言及している。

***

「原子力政策の転換を」(市川富士夫)は、六ケ所村の核燃料サイクル構想が、当時の原発政策を議論するうえで、要になるものだという認識を提示している。

2018年7月に満期を迎える日米原子力協定に、日本は大きく縛られている。

***

以上、11人の執筆者が登場し、当時続発した原発事故を中心テーマとしつつ、志賀原発(BWR)の問題点を挙げ、かつ、TMIとチェルノブイリ事故の見直し、そして国内の電力体制と原子力政策への批判と盛りだくさんな内容で、やや論点が拡散気味であり、もう少し、焦点を絞ってもよかったように思う。


さし迫る原発の危険/リベルタ出版
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2014-07-24 20:20:00

安易に事故対応する電力側も、感情的な原発反対論、いずれをも批判する、原発事故学(桜井淳)、を読む

テーマ:原発・原爆・放射線・3.11
読んだ本
原発事故学 岐路に立つ目がテクノロジーの解読
東洋経済新報社
1990年7月

ひとこと感想

熱い、というか気合いが入っているというか、とにかく、容赦のない言葉で語られる、内部からの原発「批判」である。矛先は、推進、反対両方である。桜井のような骨のある人が保安院にいたりすれば、もう少し事態は変わったのかもしれないが、桜井が言うとおり、政府、役人、電力会社の言うことが何よりも信頼できない以上、こうした危うい巨大技術とわざわざ隣り合わせで生きる必然性はないはずである。

***

桜井淳(SAKURAI Kiyoshi, 1946-  )は、群馬生まれ、原子力安全解析を専門とした
技術者。現在は評論家。

***

桜井に言わせれば、軽水炉の仕組みには必ず「機密情報」が含まれており、簡単に
「軽水炉を理解」できない。

「"緊急炉心冷却装置"の注入特性などは絶対にオープンにしたはならないデータである。」(3ページ)

つまり、どうしても「内部」の「専門家」でなければ、その安全性や特性について、十分にふれることができないのである。

桜井の信念は、ただ一つ、「事実は何か」(4ページ)である。

そのために、「推進」だろうと「反対」だろうと関係なく、指摘すべきときにはする、という姿勢を崩さない。

あっぱれである。

***

原発の技術について、まず、日米の比較が行われる。

「アメリカの技術のすごさが肌に伝わってくる」(22ページ)

これは、ふつうに考えて、原爆開発や原爆投下の成果、というものであろう。

にもかかわらず、運転に関しては「雲泥の差」(23ページ)があり、スクラムの回数をみても、1ケタほど米国のほうが多い。

日独は、米国から原発を輸入し、改良を重ねて、平均的にかなり安全性の高い状態となっているが、米国の場合は、個々のばらつきが大きい。

なによりも、原発の「心臓部」である「圧力容器」の製造能力について、日本製の技術力の高さ、すなわち、安全性の高さについては、比較的よく知られている。

いろいろと数値を出して比較しているが、それはさておき、むしろ私たちが、驚くのは、技術力の高さそのものではない。

こうした技術力によって、3.11は、かろうじて、最小限の被害で食い止めた、と言えばよいのか、それもと、これどの技術力をもってしても、被害を出さずにおれなかった、と表現すればよいのか、そこで私たちは戸惑うのだ。

桜井の言うように、素直に、まず、技術力の高さによって、一定程度の事故被害が食い止められたということを、讃えるべきではないか。

ただし、であるからといって、それで、「安全神話」に与するのは、あまりにも楽観的であり、あくまでも「技術屋」の発想である。

しかし桜井は、注意深く、次のように書いているところが、なかなか渋い。

「日本には一つだけアメリカから完成品を輸入したものがあるが、その圧力容器は他のものと違うことに注意を向けなければならないし、また日本で製造したものでも初期のものはいまほどよくないことにも留意しなければならない。」(26-27ページ)

圧力容器の次に注目されるのが、溶接技術と、トータルなプラント製造技術、である。

これらの技術力に支えられて、欧米よりもトラブルが少なく、少なくとも数十倍は信頼度が高い、と桜井は考えている。

また、品質管理も徹底している。

***

続いて桜井は、「老朽化」についても警告を発している。

しかも、「通産省」と「電力会社」に、もっと真剣に考えるべきだ、とはっぱをかけている。

***

TMI事故については、桜井の主張は別著において展開されており、ここでは省略されている。

以下のものは、すぐれた報告であるという。

佐藤一男
久米三四郎
能澤正雄

桜井のTMI事故への評価は、以下である。

「溶融した炉心が20トンも圧力容器の底に落下したにもかかわらず、圧力容器が"メルトスル―”を起こさなかったのは、まさに"奇跡的"という以外に言葉がない。…TMI-2の事故は、これまで原発推進派が考えていた以上に深刻な事象であったことを、ここでは強調しておきたい。」(50-51ページ)

そう、桜井は、かなりしっかりと「技術」の見地から事故をとらえている。

「推進側はこの事故を特殊化せずに、これからの安全を守るための教科書にすべきである。」(51ページ)

さて、はたしてTMI事故の教訓は、日本において生きたのかどうか、それはすでに「3.11」で答えが出ているので、それ以上、問わないが、むしろ大事なのは、「事故」が起きないことであるが、人はなぜか、原発事故も起こりうる、ということに、あまりにも寛容である。

しかし、桜井は言う。

「安全系とオペレーターの絶対的信頼でしか安全を保てないシステムは巨大技術には向いていない。」(53-54ページ)

桜井は、米国の原発稼働が、あまりにも組織管理の面において杜撰すぎると、厳しく非難している。

しかも、日本においても、そうした風潮が感染しはじめていると警鐘を鳴らしている。

「日本の電力会社は、まだアメリカのように原発をなめきってはいないかもしれないが、なめ始めている。これが危険なのである。」(54ページ)

実際の例として、1988年に起こった大飯原発2号機の水漏れ事故について、怒りをあらわにしている。

「異常が発生したら、すぐに停めるのが安全を守るイロハであることを忘れないでほしい。日本の原発も、これから無理して動かそうとすれば、必ずTMI-2なみの事故に陥るだろう。このことをわれわれは覚悟しておかねばならない。」(55ページ)

こうして読んでいると、比較的「推進派」的言説の問題点を指摘しているようにみえるが、そうではない。

反対派であろうとなんであろうと、厳しいのが桜井の長所だ。

「88年から89年にかけての原発論議は、十分に実証性のあるものは少なく、その八割から九割は信用し難い内容である。」(81ページ)

もちろんそのなかには、広瀬隆も含まれるが、一見科学的、技術論的な指摘をしているかのような論文でも、専門家からみると、広瀬と五十歩百歩というものもあるという。

***

さらに後半、桜井は、もっと問題発言を行っている。

通産省資源エネルギー庁の資料から、日本の原発が1988年までに155,413人・レムの被曝をしている、ということをもとにして桜井は、以下のように見積もる。

「これに従来のリスク評価値を当てはめれば19.4人の致死的ガンを、また新しい評価値を使えば58.2~77.6人の致死的ガンが算出されることになる。」(150-151ページ)

これくらは、たいしたことがない、というのが、今までの「推進」派の論調であったが、桜井は、まったく違うことを言う。

「これだけの致死的ガンを誘発する技術を、このまま継続するか否かは意見の分かれるところであろう。いまのリスク評価値が保守的すぎるのか、それとも現実的なのか・・・もし現実的であるならば、いまの致死的ガンの発生数はとても社会的に許容できるレベルではない。」(151ページ)

いや、逆に桜井は、もし、被曝リスクに閾値があるのなら、確かにこの問題はクリアされると考えるが、現実的には、まだはっきりしていないにもかかわらず開発と稼働を続ける意味がわからないと嘆いている。

また、ピーク時の電力需要を中心に、電力の大切さを訴えるやり方も、桜井からみれば、あまりにも稚拙で、「政策的なコントロール」(153ページ)で凌ぐことは可能、と断定している。

こうしたところは、なるほど、と思うのだが、一方で、次のような困惑も示している。

これは、誰だって困惑する。

1990年頃の調査で、原発事故の起こる心配をしている人が多いなかで、それでも原発は必要だと考える人の数もとても多い。

桜井は、決して、国内の原発で致命的な事故が起こるとは思っていない。

にもかかわらず、誰もが「原発は危険」と思っているのであれば、後半の「それでも原発は必要だ」という部分はあくまでも「情緒」であって、前者こそが大事であると考える。

国民の意識が調査どおりだとすれば、やはりその意思を最優先した政治がなされるべきであろう。」(155ページ)

これも、なかなか「推進派」には言い出せない言葉である。

さらに桜井は、1990年当時において、次のように認識している。

いまの電力の予備供給力は十分にあり、また電力の供給手段は現実的にいくつかあるので、何が何でも原発に依存しなければならないような社会的要因はなにもないはず」(155ページ)

もちろんそこには、いくつかの理由があって、「依存」しているのである。

・金儲けとして原発産業はうまみがある
・地球温暖化も陰謀めいた側面が多い

私たちは、いかにも他の発電が二酸化炭素をむやむに放出していると考えているが、桜井によれば、おかしい。

「いま放出されている7割の炭酸ガスは、主として産業活動(約33%)、自動車(約21%)、日常生活(約14%)の中から出ており、火力発電所からはわずか三割(約28%)に過ぎない。」(158ページ)

つまり、火力発電をとめても、のこりまだ七割もの考えねばならない部分が残っているということである。

たとえば、簡単にいえば、自家用車の利用をやめる、ということも選択肢にあげてもよいことになる。

タクシー、および、公共交通機関、そして、電気自動車だけを利用するというやり方もある。

だが、そういった議論がまったく起きない。

また、問題点として、「役人」をも桜井は挙げている。

私たちが現状を把握できるデータを公開せず、ただ、「信じてください」と言っているようなやり方には、桜井も愛想を尽かしている。

いやはや、おもしろかった。

この人、タダモノではない。

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***

「原発技術というのは、これまでの産業技術としての"旨味"があありすぎる。」(184ページ)

とし、コスト面や地球環境問題、エネルギー安全保障といった、これまで、積極的に推進派が口にしていた原発のメリットを全否定している。

"地球危機"というが、これはノーマルな状態の議論から生じたものではなく、いうならば脱原発にストップをかけるために打ち出された政治スローガンである。表面的にはまともな議論のように見えるが、きわめてアブノーマルな議論である。」(185ページ)

また、過去の事故について、チェルノブイリに言及している。

「チェルノブイリ原発事故は、絶対に起こしてはならない事故であった。あのような事故を直視したならば、誰でも原発には対するか慎重にならざるを得ない。」(186ページ)

また、社会主義国における産業技術のレベルの低さを強調し、知識人たちが称賛してきたことへの反省がなさすぎる点に憤っている。

原発をはじめ、どのような「技術」であれ、各国それぞれのものが純粋に同一といえるものはない。各国のさまざまな要素が含みこまれている、というのが、桜井の技術観である。

「大部分は技術論を表面的に装っているが、技術論ではなく、推進あるいは反原発のための"運動論"にすぎない。」(186ページ)

結果的に、事故に対する「言説」は、大きく二分されてしまう。すなわち、

・推進派 事故を過小評価
・反対派 事故を過大評価

いずれも、間違っており、もっとしっかりとした事故分析とその結果の現場へのフィードバックを重視すべきである。

なお、最後に桜井は、今後の展望として、以下のことを指摘している。

・軽水炉時代はしばらくは続く
・増殖炉や核融合の開発は、文明の選択の問題
・ひとつの技術に大幅に依存してはならない
・石炭のガス化と太陽エネルギー利用が今後期待される


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2014-07-23 22:18:00

トロツキーと原子力――文化革命論を読む

テーマ:原発・原爆・放射線・3.11
読んだ本
文化革命論 第二次トロツキー選集 16
トロツキー
和田あき子訳
現代思潮社
1970年11月

Культура переходного периода.
Kulʹtura perekhodnogo perioda.

Лев Давидович Троцкий
Lev Davidovich Trotsky(1879-1940)
1927

ひとこと感想
1926年頃の時点で、原子力エネルギーの将来的活用を期待し、それが社会主義社会に大きく貢献すると信じて疑わなかったトロツキー。チェルノブイリ事故によってソ連が消滅したことを知ったらどう思ったことだろう。

***

ロシア語版は、「トロツキー著作集」の第21巻にあたり、日本語訳すれば「過渡期の文化」ということになる。

ここには、1923~26年に書かれたもの、論説したものが含まれている。

すなわち、レーニンが発作に倒れ、
実質上公務から離れた頃からその死の期間、そしてトロツキーが次第にナンバー2の座から脇へと追いやられる期間と重なっている。


レーニンが社会主義とは、ソヴェト権力と電化、と言い切ったことはよく知られているが、トロツキーもまた、そうしたレーニンの思考を継承しているようである。

「レーニンの、社会主義はソヴェト権力プラス電化であるということばが再び思い出されます」(71ページ)

その頃次第に人気が高まりはじめた映画に着目し、教会や酒場と競合しているととらえ、将来の可能性に言及したり、言語の重要性を説いたり、子どもにイリイッチやウラジミール、ローザなどが付けられはじめていることを興味深く語ってもいる。

そこには「レム」(革命・電化・平和)という名前もつけられているという(60ページ)。

「発電所」の話題も登場する。

「昨日、モスクワから130キロのところに発電所――シャトゥーラ発電所が開設されました。これは、最大の技術的成果です。・・・それは、規模からしても世界で唯一つの泥炭発電所です。」(70ページ)

そうなのである、「泥炭」もまた、「炭」であり、燃やすことで火力発電に使用できるのである。

たとえば国内でもかつては、北海道の石狩から札幌近辺には、広範囲にわたって泥炭地が広がっていた。

今はニッカウィスキーが香り付けにこの泥炭を使っている程度のようであるが、もしかしたら、この泥炭も将来にはエネルギー源として利用できるのかもしれない。

それはさておき、本書では、中間あたりは、家族、家庭、図書館、ビアホールなどが論じられている。

そのあとに、「科学と革命」という章のなかで、次のような記述がある。

「人間同士の諸関係もやはり、ニッケルめっきの鉛の塊、ダイナマイト爆発、毒ガスの波によって解決されていくということは恥辱である、三倍の恥辱である。」(「科学活動家第一回全ロシア大会に向けて」250ページ)

つまり、戦争において、科学技術が利用され、それによって闘争が終了することをトロツキーは「恥辱」と言っている。

そんなトロツキーが「原爆」のことを知ったとしたら、どんな言葉を残しただろう。

ここではまだ「原爆」のイメージがないどころか、戦争の終結にこうした科学技術を使うことを「是」としていないことから考え、少なくとも、レーニンやトロツキーらは、「原子力」を「武器」に使うということは考えもしなかったと思われる。

一方、メンデレエフの業績をたたえている論考では、唯物論的な考えによってあらたな元素が発見されたことなどを称賛し、次のように「放射性物質」について述べている。

「元素相互間の同系関係とそれらの相互転化性は、放射性物質の助けをかりて、原子を破壊させることができるようになったその瞬間から、経験的に証明されたものとみなすことができる。メンデレーエフの周期律表を通して、放射性物質化学を通して、弁証法は、そのもっともめざましい勝利を祝うのだ!」(267ページ)

放射性物質化学とは、言いかえれば、ウランやラドン、ラジウムなどのもつ「力」を探究することであり、レントゲン、ベクレルやキュリー夫妻らの発見を起点にしつつも、なんといっても、放射線と原子構造との関係を解明したラザフォードの研究がここではふまえられている。

そして、最後のほうに、「無線、科学、技術、社会」と題した報告がある。これは1926年のものである。

タイトルにあるとおり、科学技術の進展のなかでも、社会にとって、「無線」(と電話)が重要な意味をもつと指摘されている。

自動車、蓄音器、飛行機、映画などが、この四半世紀のうちに登場したことに驚きをもって語る。

しかしそのなかで、一部の誤った「哲学」は、次のような誤った闘争を引き起こした。

「二、三の哲学者、それに自然科学者でさえ、諸放射能現象を唯物論との闘争に利用しようとした。…だが実際には放射能の「不可思議な」諸現象も、それに劣らず「不可思議な」電磁波無線通信の諸現象も、唯物論にはいかなる損失ももたらしてはいない。」(341ページ)

つまり、放射線や無線通信(電磁波)は、唯物論にとっては、少々厄介な「存在」であったのである。

メンデレーエフの元素や周期律表は、まさしく唯物論的であったのに対して、核物理学や無線通信技術は、うまく説明できないものであった。

「唯物論」が一部では「タダモノ」論となり、見える物質のみで説明しようとし、「不可視」の領域を拒否したのである。

トロツキーは勇敢にも、この困難さを乗り越え、次のように述べている。

「放射能は、唯物論にとって危険なものでは決してなく、同時に弁証法のもっともみごとな勝利なのだ。」(342ページ)

つまり、偏狭な唯物論者にとって「物質」とは常に安定してなくてはならず、その最小単位である「元素」も他の元素に転化することはあってはなtらないのだ。

トロツキーはこの「偏見」には与せずに、「不可視性」の唯物論こそ、新の唯物論であると考えていたことが、ここから伺える。

そしてこの「不可視性」は、無線通信もしかり――「波と渦」(343ページ)なのである。

何よりも、核物理学が行おうとしていることは、「内部から」物質の構造を認識しようとしているのだ、とトロツキーは説明する。

「放射能の諸現象は、原子内のエネルギーの解放という問題」(344ページ)ととらえ、この隠されたエネルギーがきわめて強大であることも述べられている。

「物理学の最大の課題は、このエネルギーを汲み出し、隠されているエネルギーが泉のように噴出するように、栓を開くことにある。そのとき石炭や石油を原子エネルギーに取り換え、それを基本的動力とする可能性が開かれるのだ。」(344ページ)

この転換が可能になることこそ、人類の歴史の「進歩」である、という強い信念が伺える。

そう、トロツキーの最大のスローガンは、こうである。

「おくれるな!」(345ページ)

無線通信の進展に対しても、トロツキーは、その拡充が社会主義にとって大きなものとなることを確信している。

そう、ある意味では、インターネットは、インフラとしてはじめて、「世界」と直接つながることを可能にしたという意味で、最大の革命的技術であり、これからも革命的でありえることだろう。

だが、原子力はどうなのだろうか。

原水爆、そして原発。

これらは、どうだろうか。

少なくとも、スターリンに移るまでは、ソ連においては、武器として原子力を使うことは考えられなかった。

スターリンについては今の時点では私にはよく解らないが、もし彼がトロツキーと同じような思考をしていたとすれば、すでに、原発の可能性を追求していたかもしれないが、おそらく二人は「科学技術」に対してまったく異なる見解をもっていたであろう。

また、トルーマンから最初の原爆実験に成功したことを告げられたときに、スターリンは意味が解っているのかどうか定かではないような「相槌」をうった言われており、むしろ、原子力が武器にもなるという発想をしていなかった自分に腹をたてた可能性のほうが大きいようである。

戦後、左翼のなかでは、原爆のばかり目を向けた米国に対して、ソ連は平和利用のために原発を優先して開発したという神話が残されているが、その後狂気のように米国と競い合って核実験と開発を進め、精神的に世界を追い詰めていったことの罪は消えないし、発電所についても、なにをもって「最初」というのかで、米国とのあいだで「本家争い」が起こっている。

つまり、1)史上初、とすれば、高速増殖炉EBR-I(
米国、1951年)、であろうし、2)実用、とすれば、オブニンスク原子力発電(ソ連、1954年)であろうし、3)商用、とすれば、セラフィールド原子力発電所(英国、1956年)、となるが、4)本当の意味で「平和利用」のためにつくられた、とすれば、シッピングポート原子力発電所(米国、1957年)、となる。

どこが先か、という意味では、「事故」においても同様のことが言える。

セラフィールド(1957年)、TMI(1979年)、チェルノブイリ(1986年)、フクシマ(2011年)、と並べてみるならば、やはり、チェルノブイリがもっとも世界を巻き込んだという意味で、歴史的に大きな転換点になると思われる。

もっとも影響を与えた原発事故は、ソ連において起こったということも、やはりトロツキーには悲しむべき出来事であるだろう。

しかも、チェルノブイリ原発事故が起こってから、わずか5年後の1991年、ソ連自体が

原子力(発電による事故)は、世界最大であった社会主義国家を歴史から消し去ったのである。


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2014-07-22 21:10:00

「この商品は缶切りが必要です」というお詫びとお知らせ

テーマ:原発・原爆・放射線・3.11
買った商品
赤飯用あずき水煮
井村屋株式会社(津市)
消費期限 2014年7月13日
おそらく2011年秋か冬頃に購入


2011年の秋か冬に某スーパーで買って、そのまま使うのを忘れていた缶。

その上部に「この商品は缶切りが必要です」というお詫びとお知らせがある。

お詫びとお知らせ

東北地方太平洋沖地震の影響でイージーオープン蓋の製造工場が大きな被害を受けたため、缶切りが必要な蓋を使用しております。

この商品は缶切りが必要です

誠に申し訳ございませんが、しばらくの間ご迷惑をおかけいたします。


そうなのだ、「3.11」の被害で、蓋がつくれなくなっていたのだ。



見てのとおり、井村屋は津市にある、と書いているが、イージーオープン蓋の製造は主に、東北もしくは関東でおこなわれている。


久しぶりに缶切りを使ったせいか、見事にへたくそな開け方。

ちなみに、先日スーパーで確認してみたら、今ではすでに元のまま、缶切り不要、イージーオープン蓋に戻っていた。

おそらくこの缶は、株式会社アルトップ(いわき市)の工場で、この蓋はつくられていたと推測される。

 株式会社アルトップ
 http://www11.ocn.ne.jp/~canaltop/kaisya_altop.htm

 (アジア金属工業が営業担当)


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