(約1週間前)

 

私たち夫婦の「宝もの」愛猫ゆいたくんが、息をひきとった

原因は、FIP(猫のウイルス性腹膜炎)

 

コロナウイルスの変異したもの

 

2年と9ヶ月くらい、生きた

保護猫として我が家にやってきたのは、生まれて2ヶ月くらいだから、実質、2年半ほど、一緒に暮らしたことになる

(生まれて2ヶ月少し)

大半は元気だったが、この2ヶ月はかなり急激に体調を落としていった

体重は、最初が1キロ台で、最大で5.25キロのときがあったが、大体4キロ台前半、この2ヶ月は2.9キロまで落ちた

はじめに気づいたのは、お腹のふくらみである

食べすぎではなく、FIPのウェットタイプの症状だった

 

これはインターフェロンなどの投与によって、なんとか改善はできた

 

しかしその後、食欲不振が続き、嘔吐、下痢が起こり、身体の消耗が次第に激しくなっていった

 

それでも数日前までは歩けた

のに

 

・・・最期は、意識が混濁し、呼吸が小刻みになったあと、断続的に痙攣を起こし、果てた


 

 

ゆいたくん

 

耳が大きく、ダヤンと少し似ていた

 

賢い子で、私が帰宅すると、必ず、迎えに出た

ご飯のとき、人間の食べ物にはほとんど興味を示さないのに、一緒に食卓の椅子に乗って、食べ終わると一緒に寝室にやってきた

ゆいた、と呼ぶと、遠くからでも必ずやってきた

 

かくれんぼをすると、勇んで見つけては、飛び込んできた

シーツ交換が大好きで、ベッドにあがって、シーツに身を潜めた

性格は猪突猛進型でワイルドだが、なき方は短く「にゃ」でキューティだった


ふだんはクールだが、明け方になると、私たちに甘えてきた

ゆいたくんは、本当に良い子だった


(1年後)

結果としては、短い一生だったが、一緒にいた時間は幸せだった

ありがとう



でも、本当は、もっと一緒にいたかった・・・

 

 


ネコに名をつけるということ~ゆいた~
2014-12-23 21:04:00
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11968057775.html

病院へ、はじめて行く、ゆいた(ネコ、生後約3ヶ月)
2014-12-27 21:42:00
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11969813713.html

仔猫から、食べ物をもらう――ゆいた(生後約4カ月)の生態記録
2015-01-27 22:01:00

http://ameblo.jp/ohjing/entry-11982413263.html

 

動画
https://www.youtube.com/watch?v=VHtZMKdyp4k

仔猫が我が家にやってきて、もうすぐ50日(ゆいた のこと)
2015-02-08 22:00:00
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11987417679.html

歯磨きをするネコ、ゆいた(推定約6カ月、オス)
2015-03-28 21:57:00
http://ameblo.jp/ohjing/entry-12007212241.html

我が家の猫の近況~ゆいた(2014年10月生まれ)
2015-05-10 22:08:00
http://ameblo.jp/ohjing/entry-12025067687.html

我が家の仔猫、生後10ヶ月にして5キロ目前
2015-07-20 21:24:00
http://ameblo.jp/ohjing/entry-12052691537.html

猫の去勢手術、ゆいた(10ヶ月)、ついに。
2015-07-26 21:24:00
http://ameblo.jp/ohjing/entry-12054866999.html

去勢から1週間、その後の「ゆいた」(生後約10ヶ月の猫)
2015-08-02 22:04:00

http://ameblo.jp/ohjing/entry-12057464068.html

 

 

 

 

 

 

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前回、宮城県の被災地について、少し書いたが、福島県の場合、原発事故による避難区域となった地域とその周辺、とりわけ浪江町は、今なお(2017年2月の時点で)復興には程遠いという印象を強く持った。もちろん福島県内全体的では、宮城県と同じように復旧が進んでいることは疑いない。だが、被災地といっても原発事故の影響の強い帰還困難区域にあっては、大きく様相を異にする。すっかり線量は低くなっていたとしても、そして、除染や解体、そして新築といった土建業の作業ならびに輸送においては賑やかに行われているとしても、その土地の生活の根が絶たれたままとなっている。

福島県(特に原発事故の影響を受けたところ)においては、放射線量という数値の変化を基準として復興への足がかりを作らざるをえなかったのであるが、逆説的に、こうした数値の回復だけでは元住民の意識は大きくは変わらず、土建業と行政や警察などの業務者を除けば、あえてこの言葉を使うが「ゴーストタウン」のままのところが少なくなかった。

国道6号線という幹線道路も通行が可能であり、鉄道と代行バスも動いているという意味では、原発事故地をはさんだ南北のラインの復旧は進んでいるが、、結局は「箱モノ行政」の延長線上のことがまず行われているのみで、元の生活空間に戻せるという意味での復興は、その契機が十分に作れていないのが現状である。

 

 

私は、2017年2月某日の夜に福島県南相馬市にある原ノ町駅まで仙台駅からJRで南下し、ビジネスホテル高見に宿泊、翌日に福島県の浜通りを縦断する常磐線のなかでもJR代行バスの走る区間を移動した。具体的には、原ノ町駅から竜田駅の間であり、その間、バスは小高と浪江にも停車(ただし浪江は駅前ではなく町役場前)した。以下、各地域に分けて、所感を述べる。

 

 

原ノ町駅
朝6時少し前にホテルを出発し、徒歩で、原ノ町駅まで行く。およそ20分。まだ朝が早いせいもあり、人影は少ない。国道6号線沿いはコンビニやファストフード、郊外レストラン、そして、眼鏡やスーツなどの郊外店が断続的に並んでいる。車であれば、選択するうえでちょうど良い間隔なのかもしれないが、徒歩の人間には、次の店まで少し離れているように感じる。

 


6時55分にJRの代行バスに乗る。駅で切符を買ってからバスに乗り込む。運転手と、女性の補助の2人体制。女性が、これからの停車駅やトイレなどの説明を行う。あくまでも簡単だが、浪江駅とは言わずに浪江町役場前と言い、そこから竜田駅のあいだを「帰還困難区域」と呼んでいた。乗客は少なく、自分を入れても10人に満たない。

 

 

バスが動き出す。出発して数分後には、停車はしないが、磐城太田駅を通過する(6号線を通るので、駅は近くにはない)。

 

 

原ノ町は南相馬市に含まれ、現在では「原町区」にあたる。ここの2017年1月現在の旧避難指示解除準備区域の居住率は96.31%である。ところが続く、小高駅のある小高区の同居住率は27.85%である(駅には若干の人が行き来しているが、駅近辺であっても、住民の数はきわめて少ない)。

 

 

小高駅
国道6号線のところまで、小高駅近く、交差点、津波浸水のマークがあった。バスは小高駅(のバス停留所)に立ち寄る。乗降者は誰もいないが、係員が停留所におり、一言二言会話を交わしたかと思うと、まもなく出発する。近隣の家は、人気がほとんどない。シーツで覆っているところ、車のあるところ、新築しているところ、解体をしているところ、いろいろであり、何らかの「動き」があることはわかる。

 

 

浪江までの道のりは、やや山林に入る。朝日が入らず、暗い。また、田圃が広がるが、多くは休耕地のように見える。道路はトラックを中心にそれなりに走行しており、そういう意味では、人の気配はある。突如、フレコンの集積場が2か所、窓から見える。2つめは規模が大きい。数多くの除染作業が行われたことを伝えている。

 

ナミエボウルの建物を通過、黄色い看板がとても目立つ。もちろん今は閉鎖されている。

 

 

浪江駅
この時期はまだ、浪江町は全面的に避難区域となっており、基本的に人がいなかった。被災前人口の約4割を占める沿岸部は津波被災地でもあり、その復旧工事が行われている。この地域については、4月に避難指示解除されたので、すでに様子が異なりはじめていることだろう。また、あらためて、訪れてみたい。実際、バスのなかのシンチレーションカウンターの数値は、0.1マイクロシーベルト毎時あたりで、かなり低い数値となっていた。

 

役場や警察、そして、土木や運送にかかわる人たちが活動を行っている。ほかにも商売を再開した人たちも徐々に増えている。しかし、まちなかはひっそりとしており、生活の匂いが希薄である。

 

 

 

そんな浪江町役場前に到着、自分1人だけが降りる。役場の隣は、よく知られた仮設店舗がある。

 

 

生活用品を売っていたり、喫茶店があったり、食堂があったりする。少し時間が早いが、B級グルメで知られる浪江やきそばをいただいた。役場の職員らしき人と土木作業を行っている人たちが客としてあとから入ってきた。

 

 

役場に入ってみると、住民が帰還するための窓口がたくさんつくられているが、ここにも「住民」はいない。

 

 

少し駅前に向かって歩いてみる。数々の商業店舗はいずれも「廃墟」化が進んでいる。さらにその先の駅のある地点まで進もうとするが、工事中のため、駅までは立ち入ることができなかった。

 

 

(正確に記すと、浪江駅に降りたのは、竜田駅まで行って、それから帰路においてである。記述上、経路を省略している)

 

竜田駅まで
浪江からこの先、帰還困難区域の看板が続く。浪江を越えると、シンチレーションカウンターの数値が上昇する。今、0.28マイクロシーベルトになったかと思えば、0.33、056、0.63、…とめまぐるしく変化し、ついには3.5まで上がる。バスのなかでこの数値ということであれば、車外であれば平時の100倍ほどの数値となっている可能性もあると推測される。

 

 

双葉町に近づく。双葉体育館をすぎると、線量は落ち着き、0.2から0.3くらいになる。原子力運送の看板を過ぎるとまた、2.46あたりまで上がる。

 

 

6号線は通過することはできるが、そこから枝道には入れない、というのがこの時期の状況である。枝道は封鎖され、検問が各所に置かれている。

ここで、ちょうど福島第一原発からほぼ西にあたるところを通過する。すると、線量は9マイクロシーベルトにまで上がる。通常の数値の100倍以上である。バスの中でこの高い数値では、とても外を長時間歩くのはためらわれる。

 


その後、1マイクロシーベルトあたりに落ち着く。これでもかなり数値であることを次第に忘れそうになる。もうすぐ富岡町。そのあたりで、また線量が上昇しはじめる。2マイクロシーベルトを超えるところもある。双葉警察署前は線量が低く、0.47くらい。除染した結果なのかもしれない。

8時、竜田にかなり近づいて、一時期少し上がった線量も再び、04くらいに落ち着く。


福島第二に近い道を通過。広野火力が見える。「売地」の看板が目立つ。

樽葉に入ると、0.16くらいに、さらに下がってゆく。

 

 

竜田駅
東京方面からみると常磐線でいわきの方から北上することによって、竜田駅までは行くことができる。そのため、竜田駅はもう少しにぎわいのある場所だと思っていたのだが、予想は裏切られる。まだ9時前後だということもあるが、駅前に開いている店は何もない。あるのは、客を待つタクシーと、駅の自販機だけである。竜田駅から海岸に近い方面に歩いてみたが、こちらは津波被害の復旧が進められており、各所が工事中で、ダンプカーに怯えながら歩く格好になる。

 

 

線量はこのあたりは低いにもかかわらず、一軒の家のガレージには「ホットスポット」という看板が掲げられていた。もちろん人は住んでいない。

 


竜田駅のある楢葉町はすでに2015年9月に避難指示は解除されている。しかし8,000人くらい登録されている住民のうち帰還しているのは、その1割程度、781人(2017年2月3日現在)である。

 

 

浪江駅から小高駅まで歩いてみる
帰路は浪江まではバスで行き、浪江町役場前から徒歩で6号線を北上し小高駅まで行ってみた。およそ10kmあるが2時間弱で目的地までたどりついた。

 


もちろん、道路を歩いている者は私以外いない。また、道路から見える範囲に、車に乗っている人以外、見かける率はきわめて低く、2時間弱のあいだで、わずか数名にすぎなかった。一方、ダンプやトラックの数は異様に多く、歩行していて身の危険を感じるほどであった。



徒歩でなければ発見できなかったこととして、低木の街路樹に短冊のようなものが付けられており、そこに、未来の南相馬市について、小中学生や関係者が書いたものが等間隔に、延々と並んでいた。そこを歩く者がほとんどいない今は、この「復興の願い」は誰も受けとめることができない。

 

 

また、除染が各地で行われており、一度行われたところにはピンクの蛍光色のテープがその区画に貼られている。また、目下除染中の場合には、「除染中」と書かれた同じく蛍光色の旗がはためいており、遠くからでもよくわかるようになっている。線量計をみると、この区域の線量はすでに十分に低い。

 

 

途中、小さなアクセントが生じた。身の危険を案じてくれたのか、4キロほど歩いたところでパトロールカーに乗った警官が話しかけてきた。彼ら2名は広島県警より応援に来ており、盗難や不審なことがないか警備にあたっているという。この時期になってもこのあたりを歩いている人はめったにいないため、念のために声をかけたのだそうだ。この地区はまだまだ一が戻るには時間がかかりそうではないか、と私見を述べられていた。

 

 

竜田駅のある楢葉町や原ノ町駅のある南相馬市は、除染、解体、新築といった土木工事にかかわる人たちとその生活を支える商売に従事している人たちで、ある程度の活況があった。しかし、今、避難区域解除を目指す浪江町もそうだが、「住民」と「生活」が戻るには、まだまだ相当の時間を要するか、場合によっては「消滅」もしくは「空洞化」のおそれもあると考えられる。しかもこれは、すでに、現在の放射線量が下がったから安心して戻る、といった類の単純な行動や意志ではないということが、非常に大きな問題であるように思われる。もちろん、行政の側からなしうることを考えれば、どうしても生活インフラ(社会資本)の整備ということになることは、ある程度やむをえない。しかし、それだけで「まち」が再生するのかどうか、それは、非常に難しい。今後も被災地、とりわけ原発事故の影響を受けた帰還困難区域の様子を見守っていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年2月に、宮城県南部から福島県北部にかけて、JRに乗って各駅の近辺の状況を見て回った。そのときの様子を以下、簡単に記しておく。

およそ6年間の時間が過ぎて、津波被害による各駅周辺の復興は、まだまだ遅々たる歩みではあるものの、それぞれのやり方で着実に進められている。

 

仙石線、石巻線を通ってみて実感したのは、景観としては、堤防の高さ、ならびに、その建造の進捗というものが、各地域の比較の尺度とならざるをえなくなっていることであった。宮城県では特に、仙台市から南方、山本町に至る部分については堤防の建造が順調に進んでいるが、北部についてはまだまだこれからである。一方で、そのなかでも女川町のように堤防に依存しない復興計画を提示している地域もある。複雑な地形をもち、歴史や風土、文化も異なる各地域において、単純に同じ尺度で復興状況を把握することは、あまり意味を持たず、むしろ、それぞれの独自性がどこにあるのかを見極めていくことが今後も必要であると痛感した。

 

 

1 宮城県の被災地と防潮堤
 

仙台駅~福田町駅
仙台市は、仙台駅および中心市街地はかなり海岸から離れているため、大きな影響はなかったとはいえ海岸から内陸にかけて広範にわたって平野が広がっていることもあり、津波の被害は、浸水範囲内の人口が約3万人、死者691名・行方不明者180名を数え、宮城県内でも被害の大きな地域の一つである。

仙石線は仙台市を東に進む。仙台駅から陸前原ノ町駅までは地下を走り、その後地上に出て高架となる。
 

梅田川を渡って小鶴新田駅あたりまでは仙台への新規の通勤・通学圏であり、乗客の乗り降りが多い。海岸側は遠方まで浸水した地域が広がっているが、路線上からはかなり離れており、状況を伺うことはできない。
 

福田町駅~陸前浜田駅
福田町駅から七北田川駅を渡って、陸前高砂駅へとさらに東進する。このあたりは古くからの住宅街である。内陸に入っていることもあり、物的被害は比較的軽微である。

ここから線路は北東に進む。中野栄駅からは駅付近が浸水区域となる。もちろん現在の駅は完全に復旧されている。中野栄駅を過ぎると砂押川を渡って多賀城駅だが、こちらも浸水区域に含まれているが、同様に駅は何事もなかったかのようである。多賀城市は遡ると貞観(869年)に津波被害があっただけで明治も昭和も被害がなかったが、今回は、名前の由来がそこにありそうな砂押川から水が登ってきて市の海側では大きな被害(津波4m、死者220名)があった。

ここから線路は北に向かい、浸水していない下馬駅に至る。さらに西塩釜駅に入ると再び津波のよる浸水エリアに入る。海岸に近い本塩釜駅は大半の商店街の1階部分が浸水したところである。東塩釜駅もほぼ同様で、駅近辺に浸水があった。右手の海岸沿いには新しい白い防潮堤が延々と続きはじめる。

ここから線路は再び北上し、海岸から離れたところを通る。そのため、被害の多い場所からは遠ざかる。続く、陸前浜田駅は海岸に近いが、大きな被害はなかった。
 

観光地としての松島
更に北上すると松島海岸駅に至る。松島市は最大5m以上の津波があり、浸水深も2メートル以上となり、その後の沈下も60センチメートルほどあった場所さえある。にもかかわらず人的被害は少なかった。また、景観の美しさも大半は損なわれずに済み、実際、この日も平日であったにもかかわらず多くの外国人観光客で賑わっていた。他方で、海岸沿いには新たに1メートル程度の防潮堤がつくられていた。
続いて、高城町駅、手樽駅もかなり海岸に近い駅であるが、このあたりの被害は比較的軽微であった。さらに本当に海岸線に近い駅、陸前富山駅、陸前大塚駅が続く。同時に、防潮堤も延々と続く。

 

東松島市
ここから先は、震災後に高台に線路が移転しているところを通る。東名駅、野蒜駅、そして成瀬川を渡って、陸前小野駅までがそうである。

 

野蒜駅は海岸から500m以上離れているが、津波の高さは10m、この地区の犠牲者は300人以上にのぼる。当時、走行していた電車は緊急停止し乗客が避難した後、水に飲まれ、車両はねじ曲がって押し流された。駅も新たにつくられた。
 

仙石線移設計画の概要
(http://www.kajima.co.jp/tech/c_great_east_japan_earthquake/deconstruction/deconstruction04/index.htmlより)


このあたりには災害後に建てられた公営住宅が並んでいる。このあたりからは東松島市で、鹿妻も含めて、内路を進み、石巻駅に至る。
 

石巻と石ノ森章太郎
石巻市では過去の津波被害がなかったこともあり、防潮堤は低くつくられており、6-7mの津波が襲った結果、死者・行方不明者数は3,972名にのぼった。

駅から石ノ森漫画館よりも南方にある門脇町、さらに南の南浜町に被害が集中した。石ノ森の生誕地は石巻よりも危殆にある登米市であるが、少年の頃に石巻の中瀬地区にあった映画館に足繁く通った縁から、ここに記念館を建てるとともに、キャラクターを全面的に使用することを認めた。そのため、駅に降りると、アニメキャラクターがあちこちに使用されている。ちらしも英語版、中国語版も用意されており、インバウンド効果も期待されているようであるが、この日は(私も含めて)1人の中年男性の姿はあったものの、特に外国人旅行者は目立たなかった。

 

石巻線
ここから先は石巻線に乗換、旧北上川を越える。陸前稲井駅、渡波駅、万石浦駅、沢田駅、浦宿駅、女川駅と続く。石巻線は「3.11」後、全線不通となった。このうち、小牛田駅から前谷地駅については、2011年4月に運転再開、前谷地駅から石巻駅については、2011年5月に運転再開。2012年3月には石巻駅から渡波駅まで運転再開、2013年3月、渡波駅から浦宿駅間が運転再開している。

 

女川
女川駅は「3.11」で駅舎が流され、4年経って2015年3月に再開した。温泉を併設しており、奇妙な空間となっている。裏手は小高くなっているが、途中まで、津波の傷跡があったことが伺える。そして、そこから海岸まではゆるやかな下りで、津波で大半が流されたあと、再開発が行われている。駅からすぐのところは仮設ではなく、しっかりとしたショッピングモールのようになっており、住民のためのふれあいホールのような施設もある。しかも建物の外側には軽やかなジャズがBGMで流れる一方、施設内の食堂等に入ると演歌がこぶしをあげているといったサウンドスケープ的にはあまり配慮がなされていない点が気になった。また、この施設のさらに海岸線に近いところはまだ工事中であり、ダンプなどの大型車が次々と走っており、煙が舞い、決して快適な観光空間ではなかった。しかしこれも復旧時の宿命である。以前はさまざまな建物があり、住居もあったようであるが、このあたり一帯は商用空間として完全に位置づけを変えている。

 

女川は過去に日本を襲った津波の被害はそれほど大きくなかった(例えば明治や昭和の多津波はいずれも死者1名のみ)にもかかわらず(というか、そうした歴史もあったこともあり)、「3.11」では非常に大きな被害を受けた。死者・行方不明者数は873人で人口の8.7%と、自治体のなかでもっとも高い比率となっている。ここは他の自治体とは大きく異なり、防潮堤をつくらないことを決め(ただし、海面から4メートルの防波堤や、商用空間と水産空間とのあいだに、4メートルの高さで国道を通す)、「3.11」で女川に押し寄せた津波の高さ18メートル以上のところを居住空間とする一方で、役場、学校、商用施設などを中間地帯に配置し、さらに海岸に近い低地は水産加工工場や漁業関連施設が置かれる。正直に言えば施設や商業空間の「箱モノ」としての作り方は特に工夫が見られるとは言い難い。だが、駅から海岸に広がる緩やかな下り坂は、空間としては情緒あるものとなっていると言える。少なくとも高い防潮堤によって海へのルートが遮られていないという点については、単なる美的観点のみならず、「まち」としての津波被害に対する強い決意や意志を感じずにはおれない。いくら高い防潮堤をつくったとしても50年に1度くらいは防ぎようがない被害がこれまでの歴史では起こりえたことを受け止めつつも、起こったときは、人命を尊重するものの、商業・工業などの経済関連の施設については半ばあきらめるという態度は、女川が今後歴史を刻む中で次第に大きな価値を生み出してゆくように思われる。

名取から以北
(今回は省略)

 

 

 

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読んだ本

物語を旅するひとびと コンテンツ・ツーリズムとは何か

増淵敏之

彩流社
2010.04

1957年北海道生まれ。札幌旭丘高校卒業。東京大学大学院総合文化研究科修了。テレビ、ラジオ番組、音楽コンテンツ制作等に従事した後、研究活動を開始。法政大学大学院政策創造研究科教授。北海道マンガ研究会代表。

 

ひとこと感想
コンテンツツーリズムは、アニメや漫画作品に登場する舞台や光景、お店、神社仏閣などをその愛読者が現地に赴いてその物語を追体験する行動様式を代表例とするが、本書では、テレビドラマや小説、楽曲を多くとりあげているところに特徴がある。

いろいろな切り口があるなかで、重要なのは、「目的」である。本作では海外からの観光客の呼び込みよりも、「地域内でのアイデンティティ共有のシステム構築」(200ページ)を大前提として考えている。

 

このことはもちろん、大切なことだ。

 

だが、するとどうしても「ツーリズム」という概念が足かせになってくるように思う。すなわち、単に人の出入りや出会いというだけではなく、その地域や都市の活性化、再生、復興といった視点があくまでも基本であることを見失わないようにしなければならず、そのなかで「ツーリズム」がどういった意味をもつのかを考察することは、本格的な地域創生論を展開することになるからだ。

 

もちろん、観光客が増え、経済活動が活発になることは、その大事な指標となるものであるが、それが長期的に継続され(サステイナブル)、地域にとっての意味(いわゆる「内発的発展」)が実現されてはじめて、コンテンツツーリズムは意味あるものとなるとすれば、どういったコミュニティが理想であるのか、どういったコミュニティを志向するのか、といった議論がどうしても必要になってくるだろう。
 

 

 

目次      
第1章 コンテンツ・ツーリズムとは何か?

第2章 コンテンツ・ツーリズムの歴史
第3章 『北の国から』の魅力

第4章 大河ドラマの魅力

第5章 韓流ドラマ『冬のソナタ』の魅力

第6章 「水木しげるロード」ができた理由

第7章 『らき☆すた』の魅力

第8章 司馬遼太郎と藤沢周平

第9章 コンテンツがつくるイメージ

第10章 ご当地ソングのツーリズム

第11章 吉田修一を歩く
     

「聖地巡礼」―映画やドラマのロケ地、マンガやアニメの原作地には観光客が集まる。コンテンツを通して醸成された地域固有の“物語性”“テーマ性”を観光資源として活用すること。それがコンテンツ・ツーリズムの根幹なのだ。新たな「観光資源」の創出。

 

 

 

 

浪江やきそばと、由利本荘(秋田)のハムフライ

読んだ本
世界はゴ冗談
筒井康隆
新潮社
2015.04

 

***


ペニスに命中

初出 新潮

2014年1月号

 

「さっきから何度も何度も『廃炉にせよ』『廃炉にせよ』とスローガンめいたことをわめき続けておる」(26ページ)

 

不在

新潮

2012年3月号

 

「災害時の事故以来、病院のベッドで寝たきりになっていた・・・」(73ページ)

 

教授の戦利品
アニメ的リアリズム
小説に関する夢十一夜
三字熟語の奇
世界はゴ冗談

 

奔馬菌

新潮

2014年6月号

 

「そもそも日本という国は今、福島の原発事故によって大きな胃の病に冒されている。…いかに真剣に原発事故のことを考えようとしたところで、ともすれば荒唐無稽なファンタジイに逃避してしまうのが落ちであろう。…この事故はあと何十年も何百年も、それどころか何万年も何十万年も尾を引いて後世に及ぶ。」(172-173ページ)

 

メタパラの七・五人

新潮 112
2015年3月号
 

附・ウクライナ幻想

文學界

2014年11月号

 

「しかし今思えば、ぼくはどうやらチェルノブイリのすぐ近くまで来ていたようだ。チェルノブイリはこのときまだ着工されたばかりで・・・」(231ページ)

 

 

世界はゴ冗談 世界はゴ冗談
 
Amazon

 

 

石巻駅

読んだ本

アニメ・マンガで地域振興 まちのファンを生むコンテンツツーリズム開発法
山村高淑
東京法令出版
2011.04
 

東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。北海道大学観光学高等研究センター准教授。第7回文化遺産保護に関する欧州委員会会議国際学術委員、観光庁「アニメコンテンツを活用したインバウンド振興等に関する意見交換会」座長、埼玉県アニメツーリズム検討委員会座長等を歴任。

 

本書によれば「コンテンツ」とは「その地域に付与されている物語性」(1ページ)である。

 

そして「アニメツーリズム」とは「アニメやマンガ等がコンテンツを付与し、こうした作品と地域がコンテンツを共有することによって生み出される観光のこと」(6ページ)としている。特に埼玉県が精力的に進めており、早いものでは「2009年6月に埼玉県産業労働観光課地域資源。フィルムコミッション担当が事務となって組織された「埼玉県アニメツーリズム検討委員会」」(6ページ)がある。

 

なお「ツーリズム」は本書では、「観光」が「光を観たり、見せたり」に対して、「新たな、より広い意義と価値を、人の移動と交流に込めたいという意図」(6ページ)で用いるとしている。

長期的な成功事例として鳥取県境港市の「水木しげるロード」をとりあげている。

 

端的に、神社や寺、遺跡といったようなものをめぐることよりも、自分たちになじみのある作品の背景や舞台がある場所に訪れる、というほうがより楽しみがあるに違いない。

 

かつては役場や商工会、商店街の人たちなどがそうした世代ではなかったものの、そろそろ抵抗感なくサブカルとかかわっているから、こうした取り組みが可能となっているのであろう。

 

そしてこうした取り組みを行うことを「デザイン」と呼ぶとすれば、以下のことが実際的な行いということになる。

 

「様々な主体が、自己実現を目指したり、持っている資源をより豊かにしたりすることができる仕組みを作っていくこと」(60ページ)

 

具体的には、主体とは、大きく3つに分かれ、地域、製作者、ファン(旅行者)である。

 

この三者にはそれぞれ別のニーズと課題がある。地域はその土地の固有性を生かしつつも、新たな客を招き入れる努力をしなければならないし、製作者はこれまでのマスメディアだけを使うのではなく、多角的なビジネス展開をしなければならない。また、ファンはインターネットの情報に飽き足らず、直接的な体験を求め始めている。

 

もし実際に、行政や民間などがアニメツーリズムを実施していくにあたっては、以下のようなステップをふむことが望ましいようだ。

 

1 ファンの動向をつかむ

2 ファンと良好な関係を築く

3 製作者と連携する

4 地域・組織内の調整を行う

5 グッズ製作やイベントの企画を行う

 

「コンテンツ」とは上記のように「物語性」という言い方がなされている。逆にこれまでの「ツーリズム」が「モノ」(文化遺産、景観)に焦点をあてていたが、これを「コト」へと拡張しようという動きがコンテンツツーリズムである、という言い方もできる。

 

しかし本書ではここにとどめずに、次のように定義を行っている。

 

「コンテンツは、人と人の間、あるいは人とある対象の間で共有され、感情的な繋がり(emotional linkage)を生む」(172ページ)

 

「「感情的な繋がり」を創り出すことこそがツーリズムの本義である」(172ページ)

 

ここから「コンテンツツーリズム」の定義をつくりだしている。

 

「地域やある場所がメディアになり、そこに付与されたコンテンツ(物語性)を、人々が現地で五感を通して感じること。そして人と人の間、人とある対象の間でコンテンツを共有することで、感情的繋がりを創り出すこと」(172-173ページ)

 

 

 


第1部 理論編―アニメ・マンガでまちおこしができるのか?
アニメ関連まちおこしの現状

21世紀の観光コンテンツを考える―観光をめぐる新たな潮流

観光まちづくりとしてのアニメツーリズム―その考え方と戦略

 

第2部 実践編―アニメツーリズムのはじめ方

ファンの動向をつかむ―関係性構築の第一歩はファンの動向把握から

ファンと良好な関係を築く―ファンの心理を知る

製作者との連携―製作者とのコンタクト、共同作業の開始

地域・組織内の調整―「民」の力を大きく活かそう

グッズ製作・イベント企画―グッズは「よりしろ」、イベントは「まつり」

 

第3部 展望編―作品ファンからまちのファンへ

改めてコンテンツツーリズム、アニメツーリズムとは

「コンテンツのファン」から「地域のファン」にする方法

著作権との付き合い方



内容      
アニメ・マンガでまちおこしができるのか。なぜ今アニメツーリズムなのかといった理論と、事例から学ぶ実践の両面をカバー。ファンや商店主、アニメ会社、自治体担当者、商工会など関係者の生の声を多数掲載。

 

 

 

 

 

読んだ本
反原子力の自然哲学
ポイエーシス叢書
佐々木力
未來社
2016.06

 

ひとこと感想

正直に言うと、あまり良い本とは言えない。科学史家というものを誤解していた。佐々木力を神聖視していた。本書は「半原子力の政治哲学」としてなら、とてもよく理解できるが、「自然哲学」もしくは「科学史」ではない。率直に言って、心情的な反原発論にすぎない。尊敬している著者であるがゆえに、とても残念である。

 

著者は1947年宮城県生まれ。東北大学理学部および同大学院で数学者になるための修練を積んだあと、プリンストン大学大学院でトーマス・S・クーンらに科学史・科学哲学を学び、Ph.D.(歴史学)取得。1980年から東京大学教養学部講師、助教授を経て、1991年から2010年まで教授。定年退職後、2012年から北京の中国科学院大学人文学院教授。中部大学中部高等学術研究所客員教授。東アジアを代表する科学史家・科学哲学者。著書に、『科学革命の歴史構造』ほか、日本獨秀研究会会長、環境社会主義研究会会長。

 

内容については次のように書かれている。

 

「近代科学思想が誕生した17世紀ヨーロッパ科学史を専門とする著者が、恩師トーマス・S・クーンの「歴史的科学哲学」を発展深化させ、新規に「文化相関的科学哲学」の学問的プログラムを構想。2011年春のフクシマ原子力発電所事故の悲劇を受け、荘子と司馬遷を先蹤として、近代西洋の機械論的自然観に代わる自然哲学構築に挑戦しようとする。原子論自然哲学をとらえ直す一方で、原子核科学についての厳密な科学的検討を経て、危険きわまりない原子力神話の虚妄を撃つ!」

 

気持ちはわかるが、それでは「原子力神話」の虚妄は撃てないのではないか。

 

目次      
序論 「ヨーロッパ諸学の危機」認識からの出発
第1章 文化相関的科学哲学のイデーン
第2章 ベイコン主義自然哲学の黄昏
第3章 近代ヨーロッパ機械論自然哲学への懐疑―数学的自然学と原子論哲学
第4章 東アジア伝統自然哲学の可能性―エコロジカルな自然観と伝統中国医学
第5章 東アジアにおける環境社会主義―ブータン的文明と
現代日本資本主義の破局的未来
結論 東アジア科学技術文明の在り方の大転換を!

 

 

 

 

父の死に際して

テーマ:

昨秋に父が庭で育てた小さな玉ねぎ。最後の収穫。ハンバーグ、カレーに使用した。

 

***

 

昨年末に入院を繰り返し、年初には次第に病状が悪化、あっという間に、父は亡くなった。

 

定年退職後、おだやかな日が続いていたが、末期がんが見つかった。
 

手術はできず、抗がん剤と、放射線による治療を行ってきた。

 

それから5年、そろそろうまく行けば「完治」の可能性もあるのでは、と期待もされたが、むしろ逆で、転移がみられるとともに、脳梗塞も併発。記憶や発語も混濁しはじめた。

 

それでもまだ、通院で済んでいたうちはよかったが、一度入院し、処置のための手術を行い、歩行に難が現れてからは、わずか3か月くらいしかもたなかった。

 

私はと言えば、今住んでいるところと実家とは大きく離れており、飛行機を使って、週末に移動して見舞うのが精いっぱいだった。

 

最期に顔を見たのは、死亡の数日前。そのとき父は、何かを言おうとしていた。しかし、聞き取れなかった。

 

だが、聞き取れずとも、聞こえた。

 

……いろいろすまなかった、あとはよろしく頼む。

 

きっと、そういうことだったのだろう。

 

ある意味父は、「自死」を選んだのではないかと思う。別の言葉を使えば、自らの引き際を自らの力でつくりあげたのではないか。

 

もちろん点滴は続けられていたが、食事をとることを拒み、歩行することを拒み、語ることも拒みつつあるなか、息を引き取っていった。

 

その散り際は、とても潔いものだった。

 

子どものときから、一切強制することなく、少し距離をとって私のことを見守ってくれた父は、最後まで、直接ではなく、背中で語った人であり続けた。

 

いろいろな思いが今でもあるが、あの、死に顔の穏やかさを見てしまうと、すべてが浄化されていくようだ。

 

父には直接言うことができなかった言葉。それをここに書き連ねることで、せめてもの、供養としたい。

 

 

お父さん、今まで、ありがとう。

 

あなたの息子として、生まれて、本当に良かった。

 

感謝です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



読んだ論考
東日本大震災における災害廃棄物の受け入れに関する影響要因分析

石村雄一、竹内憲司

廃棄物資源循環学会論文誌 Vol.27, pp7-15

2016.05

 

「3.11」の災害廃棄物。それは、巨大地震と大津波によってもたらされたものである。

 

そのなかでも、岩手県と宮城県の災害廃棄物の一部については、他の都道府県で処理するという方針を、環境省が決めた。

 

しかしその後、受け入れ態勢は難航を極めた。

 

「多くの自治体が広域処理に対して消極的であった一方で、受け入れへの意向を示したり、実際に受け入れを行った自治体が存在する。」(8ページ)

 

災害廃棄物の受け入れた自治体が、どうして受け入れたのか、また、受けれなかった自治体は、どうして受け入れなかったのか、その「理由」を本論考は探っている。

この受け入れは、近隣区域ではないため「広域処理」という言葉が用いられている。つまり、広域処理が進んだ理由、広域処理が進まなかった理由を探っているのである。

 

・広域処理を促進した要因

・広域処理の妨げとなった要因

 

言い方を変えれば、東日本大震災において発生した災害廃棄物の処理について、各地がどのように受け入れていったのか、その濃淡が発生した理由(影響)を分析しているということになる。

 

なお、「東日本大震災によって発生した災害廃棄物受け入れ自治体におけるリスクコミュニケーションに焦点を当てた研究」(9ページ)や風評被害に関する研究はいくつかあるが、「自治体による災害廃棄物の受け入れに焦点を当てた実証研究はほとんどない」(同)のが現状のようである。その意味では本論考は貴重な内容を含んでいることになる。

 

具体的には、2つの分析を行っている。
 

1)マスコミ報道内容などの調査
2)統計分析

 

1)については、2011年3月から2014年3月までの「主要新聞各紙」に掲載された記事のうち、「広域処理」「災害廃棄物」「がれき」「受入れ」「賛成」「反対」といったキーワードをもとに検索して、自治体や住民の反応が記載されている記事を探し出している。

 

2)の統計分析の方は、被災地(岩手県、宮城県、福島県)と東京23区を除いた全国1,592の市町村の横断面データ(ある時点における場所や集団別などを記録した複数の項目を集めたデータ)を作成している。また、当時において受け入れに積極的であった市町村は167あったが、そのうちの多数、すなわち120市町村は東日本に集中していたため、東日本に限定したモデルも検討を行っている。

 

分析の方法論としては、「ロジットモデル」(順序プロビットモデル)が使用されており、1)ロジットモデルによる分析結果、と、2)順序ロジットモデルによる分析結果、の2通りが示されている。

 

2つの説明変数がある。
 

1 被説明変数y(災害廃棄物について)
・受入れを検討している
・受け入れを表明している
・受け入れに関する試験処理を行っている
・受け入れを実施している

これらについては「1」を、それ以外には「0」

 

2 説明変数X(自治体の広域処理受け入れを促す要因として)

 

・住民理解

 ・利他的動機(被災地復興に対する) → 受け入れに積極的

   ・1人あたりの義援金額(1,000円単位)

     →東日本の自治体を扱ったモデルでは1%水準で有意

   ・ボランティア活動への参加率(パーセント)
     → すべてのモデルにおいて1%水準で有意
 

 ・放射性物質に対する不安 → 受け入れに消極的

   ・農業従事者の人口割合(パーセント)

     → 全てのモデルにおいて1%水準で負の有意

   ・15歳以下の人口割合(パーセント)

     → 全てのモデルにおいて有意ではない

   ・人口密度(人/100km2)

     → 全てのモデルにおいて有意ではないが、係数の符号は負

   ・福島第一原発からの距離(100km)
     → 日本全体のモデルで負の有意

 

・政策的要因

 ・防災対策 → 受け入れに積極的

 ・行政間の連携 → 受け入れに積極的

   ・原発の立地(立地=1、それ以外=0)

     → 全てのモデルにおいて1%水準で有意**

   ・広域処理に対する当道府県の意向(受入=1、それ以外=0)

     → 全てのモデルにおいて負の影響***

   ・一般廃棄物の焼却処理における広域処理の実施(実施=1、それ以外=0)

     → 全てのモデルにおいて有意ではないが、係数の符号は正

 

・設備的要因

 ・焼却処理施設

  ・残余能力(10トン/年)

   ・日本全体のモデルにおいて1%水準で有意(符号は正)、東日本では有意ではない

 ・最終処分場
  ・残余容量(10トン)

   ・全てのモデルにおいて有意ではないが、係数の符号は正

 

 → 「福島第一原子力発電所から遠い自治体ほど受け入れに消極的であることがわかった。被災地から遠い自治体ほど、事態の深刻さに関する認識の不足や放射性物質のリスクに関する理解の不足があると解釈できる。」(13ページ)

 

** → 「原子力発電所が立地している自治体は、自らの自治体で将来類似した事態が発生した際に、他の自治体に災害廃棄物を受け入れてもらいやすくするために、今回の地震で派生した災害廃棄物の受け入れに積極的になる可能性がある。」(13ページ)

 

*** → 都道府県と市町村とでは、意向が反転する傾向にある。「主に制具との調整を行う都道府県と、住民に近い立場である市町村自治体との間の連携不足が原因の一つと考えられる。」(13ページ)

 

以上の分析のまとめとして、利他的動機や互恵的動機は受け入れを促進している一方で、「災害廃棄物の汚染可能性に関する懸念が受け入れを阻害している」(14ページ)とする。

 

「住民による被災地への支援が大きい自治体ほど災害廃棄物の受け入れに積極的であることや、放射性物質のリスクに対する懸念が広域処理にとって大きな障害となっている可能性を示唆する結果が得られた。」(14ページ)

 

***

 

私なりのこの問題に対する見解は、すでに当ブログで書いた。
 

 原発事故とフーコー

 http://ameblo.jp/ohjing/entry-10970444609.html

 

しかしその後、実際の「広域処理」は困難をきわめた。その理由は、おおよそ、誰もが漠然とは考えていたが、本研究のように、いくつかの可能性を定量化しつつ同じ尺度で比較検討し、とりわけどこに要因があったのかをつかみだそうとする手法は、とても貴重なものである。

 

この問題は、どうしても心情的、感情的な議論にしかならないなかで、「現実」をしっかりと多くの人に示してくれるという意味でも、意味のある研究であるように思われる。

 

「被災地から遠い距離の自治体への要請にあたっては、住民に対するより積極的な情報公開と丁寧なリスクコミュニケーションが重要である。」(14ページ)

 

そう本論考は結論づけている。

 

 

 

 

 

読んだ本

元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ
小倉志郎
彩流社
2014.07

 

ひとこと感想

著者は福島第一のポンプ部の設計などもしたことがある技術者。彼をしても、一体何が起こったのか説明ができないのが原発事故、という言葉に説得力がある。本書は事故のことをふりかえりつつ、原発の危険性を心情的に問う内容。巻末の資料には、原発が武力攻撃を受けたらどうなるのかを検証した過去の論考がある。ここでは特に使用済み核燃料の危険性が強調されている。

 

著者は1941年東京生まれ。慶応義塾大学工学部卒、同大学院修士課程機械工学専攻修了。日本原子力事業(株)入社。2002年定年退職。2011年に東電福島第一原発大震災が発生して以後、原発の基本的な構造や本質的危険性についての講演会等を行っている。原子力市民委員会等メンバー。

 

***

 

著者は日本原子力事業株式会社に入社し、35年間原発の仕事に携わった。福島第一原発については、1,2,3,5,6号機の建設にかかわっており、「3.11」の事故については、さまざまな理由で、大きな衝撃を受けている。

 

もう少し細かく言えば、1,2,6号機は米GEの購入仕様書に基づき、各種ポンプの「購入技術」(単に購入するのではなく、内容をチェックしたり実際に使えるものとして確認するという意味か?)を担当している。また、3.5号機のポンプも2号機のコピーとなっているというから、少なくともポンプまわりについては、4号機以外は、彼が担当し、しかもほぼ同じ仕様だったことがわかる。

 

世間では「冷却用ポンプ」と呼ばれたが、これは正確には「非常用炉心冷却系ポンプ」だそうだが著者としてみれば自分が担当したこのポンプが動かなかったことにたいして、何らかのはっきりとした原因を解明したいところだが、原発(の事故)とはそれを許さないものだ、とみなす。

 

「原発のほんとうの怖さとは、原発の建設に携わった私自身にとっても複雑過ぎて全貌がわからないこと」(7ページ)

 

これは著者のみならず「世界中をさがしても」こうした技術者はいない、と著者は断言している。

ましてや、現場に携わっていない「研究者」に何がわかるのか、という気持ちが著者にはあるようだ。

 

原発にかぎらず、また、科学技術によって設計されたものだけでなく、現代の「メガマシン」というものは、「誰か」一人によってどうにかなるものではないことは自明である。はたしてこれは原発のみにかぎったことなのかどうか、著者はもう一歩その先を問うてもよいよかったのではないか。

 

もちろん、「原発の複雑さ」にかぎって言えば、著者の技術者の「限界」論は、十分に説得力がある。

 

ただしその一方で著者は、「放射能」についても本書のもう一つの主題としている。

 

正直言うと、原発の技術者だからといって、必ずしも「放射能」のことをよくわかっているわけではないということが痛感させられた。ただし、そもそも「放射能」のことを「よくわかる」ということが、現時点ではきわめて困難なことである以上、著者自身の問題ではないこともまた、強調しておかなければならないが。

 

実際、著者は次のように告白している。

 

「私がその放射性の高い物質(これを単に「放射能」と世間では呼んでいる)の存在こそが原発の危険性の源だと気がついたのは恥ずかしいことに、原子力産業に就職してから15-16年経って自らが放射能汚染管理区域内で日常業務に携わるようになってからだ」(32-33ページ)

 

さらに低線量被曝の健康被害については次の文献の影響を強く受けていると述べている。

 

死に至る虚構――国家による低線量放射線の隠蔽 Jay M. Gould & Benjamin A. Goldman、肥田舜太郎、齋藤紀訳、PKO法「雑則」を広める会、1994年

 

放射線の衝撃――低線量放射線の人間への影響 Donnell W. Boardman 肥田舜太郎訳、PKO法「雑則」を広める会、1994年

 

この二つの論文は、原爆症認定申請却下処分取消への訴訟において「証拠」として提出されたものである。

 

以下の二点について公に認められたために、上記の論文は画期的なものだと著者はみなしている。

 

1)内部被曝の健康への影響が認められた
2)低線量被曝の健康への影響が認められた

 

ほか、著者は崎山比早子の説明を直接受けている。

 

「1年間に自分の身体の約60兆個の細胞の核を平均的に1本ずつ放射線が通る」のが「1ミリシーベルト/1年」のイメージと考えている。そのうえで「無視できない量」ととらえている。

 

問題は「無視できる」かどうかではなく、「健康」への影響があるかどうかである。

 

残念ながら著者はこの考察をこれ以上先には進めない。

 

端的に(言うなれば「感覚的に」)「1ミリシーベルト/年」以下でも「怖い」と述べるにとどめている。

 

このあたり、著者が「元原発技術者」であるのであれば、もう一歩踏み込んだ検証と記述を期待してしまう。

 

なお著者は35年間働いたすえに「原発をやめる100の理由」という本を読むことも勧めている。そこから著者は以下の5点が「とくに重要」と考えピックアップしている。

 

ほか、著者は崎山比早子から直接説明を受けている。

 

「1年間に自分の身体の約60兆個の細胞の核を平均的に1本ずつ放射線が通る」のが「1ミリシーベルト/年」のイメージと考えている。そのうえで「無視できない」量ととらえている。

 

問題は「無視できる:かどうかではなく、「健康」への影響があるかどうかである。残念ながら著者はこの考察をこれ以上先に進めていない。

 

端的に(要するに感覚的に)「1ミリシーベルト/年」以下でも「怖い」と言っているにすぎなくなってしまう。

 

なお著者は35年間働いたその結果として、「原発をやめる100の理由」という本を読むことを勧めている。そこから著者は以下の5点が「とくに重要」と考えピックアップしている。

 

1)重大事故の可能性

2)運転中の低レベル放射線の放出

3)運転にかかわる作業員の被曝

4)使用済核燃料(高レベル放射性物質)の生成

5)原発から出た放射性物質の安全な保管、処分技術の不確定

 

もう一点。

 

著者は2007年に「山田太郎」のペンネームで同人誌「リプレーザ」No.3に「原発を並べて自衛戦争はできない」という論考を書いている。

 

この中で武力攻撃(戦争など)が起こったときのことをいろいろと想定している。たとえば「崩壊した炉心が原子炉内に残る水と反応して、水蒸気爆発をすれば、原子炉の破裂という事態にもなりかねない」(178ページ)といった具合にである。

 

そうでなくても冷却については大半の設備が建屋の外に(しかも剥き出しで)置かれている。

 

これに対して著者は「武力攻撃を受けたら、ほぼ確実に原発の原子炉の冷却ができなくなる」(179ページ)とみなし「どういう事態に発展するかは未知の世界」と述べる。

 

しかもまた、使用済核燃料がプールにあることも指摘している。こちらも深刻で最終処分の流れがつくれないまま、使用済核燃料が増えてゆくため、当初の設計から少しずつ間隔を縮めてゆき、収納量を増やすという苦肉の策をとったという。

 

こちらも攻撃を受けたら何が起こるかわからない。

 

なお、内部被曝について基礎的な参考分として挙げているのは、以下である(人物表記だけなのをお許しください)。

 

肥田&鎌仲(2005)

グロイブ&スターングラス(2011)

中川保雄(2011)

矢ケ崎&守田(2012)

市民と科学者の内部被曝問題研究会(2012)

西尾正道(2012)

核戦争防止国際医師会議ドイツ支部(2012)

チェルノブイリ被害の全貌(2013)

ゴフマン(2011)

名取春彦(2013)

ほか

 

 

 

 

目次      
1 元原発技術者が言える原発の危険性
 3・11事故発生時、なにを思ったか?
 自分の過去の仕事
 私の認識の変化 ほか


2 事故のあとだからこそ言えること
 科学・技術を超えた問題
 事故の原因―天災か人災か?
 同じ事故が柏崎で起きていたら? ほか


資料
 「原発を並べて自衛戦争はできない」
 紙芝居『ちいさなせかいのおはなし』
 内部被ばくについて基礎知識を得るための参考書の紹介)

 

原発は、ほんとうにとんでもない怪物だ。あの複雑怪奇な原発の構造を理解しているエンジニアは世界にひとりもいない…。複雑過ぎて危険すぎる「原発の仕組み」を元原発技術者が全告白。