そのたびごとにただ一つ、世界のはじまり~瀧本往人のブログ

いのちと世界のかけがえのなさに向けて、語り続けます。(タイトルは、ジャック・デリダ『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉』より。)

核の言説史 公開中 
私たちは、原爆と原発という二つの巨大な存在を前にして戦後がはじまり、今に至る世界を生きている。哲学、物理学、評論はもとより、文学、芸術、映画、コミック、楽曲、芝居など、さまざまな表現において「核」の歴史は刻まれている。この厚みを解き明かすことによって、これから私たちが「核」とどうかかわって生きてゆくのかを探るべく、言説史をまとめている。

 前史

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2011年3月~7月  2011年8月~12月  2012年1月~2月 2012年3月


【新訂版】
1945年  1946年  


核の言説データベース~原爆と原発と


はてなブログにて、1記事1文献でデータベースを作成中。

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今日は、最近1か月くらいに外(主に大学近辺)で食べたものを並べてお茶を濁したい。

まず、本日の昼食、巣鴨のとげぬき地蔵のある商店街のおさかながおいしいお店「ときわ食堂」の目鯛の煮付け定食。


お値段は少々しますが、なんというのか、おさかなを食べた、という実感。

そして、以下は、少しさかのぼります。



開けると…



↑これは確か学生たちと一緒に食べたお弁当。上品な味付けで、満足度が高かったです。おそらく事務のTさんかSさんかどなたかが選んでくださったものと推測されます。ただし学生には少し物足りなかったようです。

続きまして、これも学生とのお昼第二弾と思われます。こちらは油ものが多かったのですが、それでも、なかなかの内容でした。こちらは学生も、ボリュームでも納得感があったようです。




↓こちらは、先生の集まりのお昼ごはんだったように思われます(もしかしたら逆かもしれません)。こちらも、ていねいにつくられていておいしかったです。




さらに、続きまして、いよいよ「学食」の世界です。これは「T定食」という名前だったような。日替わりでいろいろなものが出ます。この日は、チャーハンと鳥の唐揚げと豚肉の生姜焼きみたいなもの。



別な日の「Tランチ」はコロッケと鳥の焼いたものと、ごはんには麻婆豆腐がかかっています。この「Tランチ」は430円か410円です。学生向けなので、全体的にカロリー高め、油を使ったものが多いです。



次は番外編。山形から戻られたF先生のお土産。卵が殻ごとスモークされており、香りがすごいいいい感じです。



・・・というわけで、一部ではありますが、ここのところ(西)巣鴨界隈で食べたものを並べてみました。


それでは最後に、我が家でお留守番の「ゆいた」君で締めたいと思います。


寝姿も、やんちゃ…

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昨年、場所をかえて巣づくりをしていたが、今年はまた、例年通りの場所に戻った。

といっても、昨年の鳥と同じかどうか、わからない。

相変わらず、鳥の名前はよくわかっていない。

だが、ひなのために巣をつくり、ひなのために何度も往復する鳥の姿には、
いつも妙な感動を覚えてしまう。

去年の記事

ツバメ?セグロセキレイ?の巣づくり、目撃
http://ameblo.jp/ohjing/entry-12016313352.html


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原発事故のことを、決して忘れない。

あのとき、保安検査官たちが、まっさきに現場から逃げ出した。

以下は、いくつかの書籍において書かれていたものの、いわば正式な「証言」ではなかったこともあり、うやむやになっていたことである。

引用は、中野洋一「世界の原発産業と日本の原発輸出」(明石書店、2015年11月)より。

2014年11月12日、政府事故調査委員会が関係者から当時の様子をヒアリングした内容のなかから、最初に公表した19人に続いて、追加で「56人」分を公にした。

「旧経済産業省原子力安全・保安院の現地事務所副所長(匿名)の調書によると、事故翌日に福島第一原発から逃げ出した保安検査官4人は「放射線量が上昇し、身の危険を感じた」と逃げた理由を述べた。」(178ページ)

ちなみに、東京新聞の記事を引用すると、以下のようになっている。

「政府は十二日、東京電力福島第一原発事故で、政府事故調査・検証委員会が政治家や東電関係者ら五十六人と一団 体に聴取した記録(調書)を新たに公開した。故吉田昌郎(まさお)元福島第一所長ら十九人に続き、二回目の公開。調書からは、政府や東電のちぐはぐな事故 対応があらためて浮かんだ。

旧経済産業省原子力安全・保安院の現地事務所副所長(匿名)の調書によると、事故翌日に福島第一から逃げ出した保安検査官四人は「放射線量が上昇 し、身の危険を感じた」と逃げた理由を述べた。四人は福島第一に戻されたが、この際、一人は「現地に行ってもどうにもならない。なぜ行かなければならないのか」と拒んだ。所長が説得し原発内に戻したという。

だが、福島第一に戻っても、積極的に情報を集めようとしなかったと、政府事故調の報告書でも批判されている。四人は戻った翌日、無断で再び撤退した。」(東京新聞、2014年11月13日

この本、ネット新聞記事をつぎはぎしているようである。いちおう注記はされているとはいえ、「引用」している風には書かれていない。

だいたい、この新聞記事もまた調書からの引用(政府事故調査委員会ヒアリング記録、氏名:不開示、著書上の所属:原子力安全・保安院______安全審査官(___部分は不開示) 聴収日時:2011/10/17     内容:オフサイトセンターの状況等について)であるから、この本が引用するとしたら、調書の方から行わなければならない(こちら)。

これはこれで、どうかと思うが、今ここではこれ以上このことにはふれない。

話を戻して、「逃げ出した」ということに、もう一度、注目してみよう。

所長とは、もちろん故・吉田昌郎である。

経済産業省原子力安全・保安院の現地事務所副所長が誰であるのか、また、塔の逃げ出した4人が誰であるのかは、今のところ分からない。

しかしこの4人は、「原発を監視・監督する立場」にあり、事故直後に逃げ出したことについては、もう少し詳しく事情を聴くべきである。

なお、元の調書では、彼ら4人を引き戻すきっかけとなったのは、海江田の「現地に保安院関係者が誰もいないというのは考えられない」という意向である。

このときには4人のうち、3人は吉田からの依頼を受けて納得したが、一人は現地に行くことをためらった。

この一人の声はもう少し、ていねいに拾ってほしかった。

こうした緊急事態においては、「逃げ出した」ことは、許しがたい、という感情がまっさきにやってくる。

私だってそうだ。

だが、本当のところは、まだよくわらからない。

とりわけ本人も言い分があるかもしれない。

それは、聞いておきたい。


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読んだ本
東日本大震災からの地域経済復興 雇用問題と人口減少解決への道
本田豊、中澤純治
ミネルヴァ書房
2016.02

ひとこと感想
各地域の人口減少に歯止めをかけるためには雇用保障がもっとも重要であるとする。つまりは移輸出産業(基盤産業)の力を高めることに尽きる。もちろんその産業の中身は各地によって異なり本書は産業連関分析の手法を用いてその中身を明確にしている。つまり、各地域の強みは何か、ということが、
基盤産業において明らかにしたのが本書である。

本田は1951年熊本県生まれ。81年神戸商科大学大学院経済学研究科博士後期課程満期退学。現在、立命館大学政策科学部教授。主著「高齢化社会と財政再建の政策シミュレーション」「グローバル化時代の日本経済」ほか。

中澤は1975年京都府生まれ。2002年立命館大学大学院政策科学研究科博士後期課程修了。現在、高知大学教育研究部総合科学系地域協働教育学部門准教授。主著「過疎地における地域復興」ほか。

本書でとりあげられているのは以下の5つの「市」である。

宮古市
釜石市
塩釜市
多賀城市
南相馬市

これらが選ばれたのは、いずれも被災自治体であるからである、だが、どうしてこの5つの自治体が、数多くある自治体のなかから選ばれたのか。理由が知りたい。

ところで、のちにふれるが、本書でもっとも重要なのは「産業連関表」のデータである。

このデータに基づいて地域経済を分析しようとしている。

しかし実際には「政令指定都市や一部の市町村を除けば産業連関表は整備されておらず、分析を行うためにはまず産業連関表そのものを推計する必要がある」(5ページ)ため、この推計するという作業が大変であり、本書はこうした作業を行ったことに、まず、意味がある。

それで、話は戻るが、ここからわかるのは、少なくとも、5つの自治体以外であったとしても、データがないのだから、そのなかからあえて「推計」するには、それらしい理由が必要であると思うのだ。が、本書はそれを明示しない。

そこで私が勝手に想像してみる。

これは、ある程度の「市」としての「規模」に基づき、岩手、宮城、福島各県から選ばれたのではないか。

産業構造から5市の特徴をまとめているその表の「総需要」(=総供給)をみると、いずれも3,000~6,000億円台となっており、GRP(域内総生産)も、1,400~2,400億円台とほぼ似たような数値になっている。

とりあえず、そうした前提で本書を読んだ。

ちなみに、域内総生産は、以下のように示されている。

域内総生産 
= 民間消費支出+政府支出(外生変数)+移輸出(外生変数)-移輸入

民間消費支出は域内総生産に依存すると仮定され、基礎的消費に限界消費性向を加えたものとしている。

この域内総生産は、基盤産業と非基盤産業との和としている。また、移輸出と基盤産業の生産に線形関係を仮定している。また、移輸入は域内の需要項目に依存すると仮定されている。

***

なお本書は、「経済」復興に焦点をあて、やや長期的な視点から「経済」復興のあり方を再考している。

その理由は、多くの被災地は被災前から地域経済の空洞化が進んでいたのであり、長期的にみて人口減少に歯止めがからなければ、新たな(本当の?)発展はない、と著者たちはとらえているからである。

そして、この、人口減少への歯止めは、結局は、地域での雇用保障ができるかどうかにかかっている、と著者たちは考えている。

「被災自治体の長期的な労働市場の動向を分析し、雇用保障によって人口減少に歯止めをかけるため、経済復興政策のあり方を明らかにする」(iiページ)

分析の特徴としては、以下の3点が挙げられている(分析に必要なデータは決定的に不足しているという前提のもとで)。


2009年の地域産業連関表をもとにし、その市町村レベルのものを作成した。手法はNon-Wuevey。


計量可能な労働市場モデルを構築し、長期的な労働市場の需給状況を数値的に把握し、経済復興の基本的方向性を具体的な数値的根拠のもとに展開。


比較を行った。

その結果、得られたものは、以下の3点が特に印象的だった。


持続可能な地域社会に必要な人口

宮古 24,000人台
釜石 14,000人台
塩釜 20,000人台
多賀城 45,000人台
南相馬市 全員帰還 38,000人台、50%帰還 28,000人台


65歳雇用延長は、労働市場の超過供給を招く

3 
基盤産業の再生、育成が肝心
(移輸出」の重要性)

細かい分析が主な本なので、あまりきちんとした読解はできていないが、経済分析で得られるものの概要は見えた。

***

目次        
第1章 地域経済の分析手法としての産業連関分析
第2章 将来推計人口と持続可能な定常的人口
第3章 震災前の産業と雇用
第4章 被災自治体における産業の被害実態と経済復興政策の課題
第5章 経済復興と労働市場の長期的見通し
第6章 持続可能な地域社会構築のための政策シミュレーション
終章 実証分析のまとめと政策評価及び政策提言



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読んだ本

環境の哲学 日本の思想を現代に活かす
桑子敏雄
講談社学術文庫
1999.12

ひとこと感想
現代社会における「環境」問題への思索書。西行、慈円、熊沢蕃山らを介しつつも著者独特の視点として、言語化、価値化、経済化されにくい「空間」(空間の履歴」「身体の配置」)を前面に押し出した議論を展開。私たちが見失ったもの、それは無垢な自然ではなく、人類の文化社会的遺産なのだ。

***

哲学と土木工学、経済学に橋を架けている本書は、かなり独特の立ち位置にある。

「土木工学や経済学が前提としているさまざまな価値について、その根本から問おうとするならば、その問いは哲学的な問いにならざるをえない」(263-264ページ)


「日本思想には、天台や華厳、密教や禅、さらには、陰陽五行説と関係する道教、あるいは仏教、とくに朱子学など多様な思想が見出される。…これらには西欧にはない独特な自然観、人間観を含んでいる」(127ページ)

本書ではそのなかで、西行、慈円、熊沢蕃山に焦点をあてている。しかも、単にそれらを「環境倫理思想」としてとりあげるのではない。

「そのような思想を環境倫理のなかに生かそうとする努力が重要な意味をもってくる。」(127ページ)

こうした、「伝統的な思想」について、「現代の価値」の問題と関係づけて議論するような視点こそ、本書の特徴となっている。

すなわち、本書は「空間」の哲学であるが、現代の価値の問題として言えば、「環境」の哲学なのである。

桑子のまなざしは、常に時空において「グローバル」のみならず、「ローカル」を意識し続ける。

「ローカル」とは空間においては「文化的な意味」といも言い換えられる。

「空間がもっていた文化的な意味を評価する意識が低かった」(77ページ)ことが、起因である。

そのうえで、グローバルとローカルとの対比のみならず、ある種の調節ということを考える。

ローカルは特殊であるが、グローバルは普遍ではない。普遍はユニバーサルである。

ローカルの基礎は身体の位置にあり、その位置を含む空間。

神仏融合の「融合」とは両者が消えてしまう、または、いずれかがもう一方に溶け込むというゆうということではない

「それぞれが独自なものを維持しながら共存している」(78ページ)

この考えは、西行にさかのぼる。

「禅宗という外来の宗教の導入に対しては、西行は日本伝来の宗教との融合を推し進め、信仰の内面化という方向に対しては、むしろその外向化、すなわち身体を含む空間全体の問題として仏教をとらえる方向をとったのである。」(72ページ)

慈円の場合、ローカルとグローバルの関係は言語観に表れている。

「真理の探究はどこで行われるべきなのかといえば、それぞれのひとびとの語ることばを離れてはできないのだ、というのが慈円の主張である。…慈円は、仏教の普遍性と日本語のローカリティを統合する視点をもとめた。」(124ページ)

戦後日本が目指した方向性を概略化して、以下のように示している(1945、1950年代は私が加えた)。

1945年 敗戦、GHQ統治
 ↓
1950年代 独立、国力の増強(非軍事) →電力‐原発
 ↓
1960年代 高度経済成長
 ↓
1970年代 日本列島改造
 ↓
1980年代 バブル経済
 ↓
1990年代 バブル崩壊

こうしてみると、戦後は長らく「社会資本の整備」の時代であったと言える。それは一見ポジティブに響くが、言い換えれば「山河崩壊」の時代でもあった。

人間と自然の連続性の崩壊というが、これは、西欧の自然観、人間観をそのままもちこむと混乱が起こる。

たとえば欧米における自然保護の基本は「原生的自然」すなわち、人間の手が加えられていない自然はそのままの形で保護すべきだという見解となるが、日本おける「手つかずの自然」は決して「人間」と無関係ではない。

「日本では、ほとんどの空間、たとえ自然が手つかずのまま残されている空間もまた、宗教的な意味づけを与えられ、神聖なるがゆえに手をつけてはならないとされてきた」(197ページ)

こうした空間は「手つかず」といっても、人間から意味づけされ、価値化されている。ここに焦点をあてるために桑子は「空間の履歴」という言葉を用いる。

これが和辻の「風土」と異なるのは前述したように「ローカリティ」にこだわる点である。

「「空間の履歴」は、よる限定された意味で空間と時間とを明確に結びつけることで、空間に対する人間の行為の理論をより堅固にするものとsぢて構成することを可能にする」(201ページ)

こうした「空間」へのまなざしは、同時に、都市計画などでしばしば起こりがちな「物神化」の回避を可能にする。すなわち、箱物をはじめ、とにかく、何かモノを加えることが「計画」であるという迷妄を解く方向を描いているのである。

「モノではないものをモノの価値によってしか考えることのできない私たちの思考構造こそが問題なのである。空間と風景を貧しくしていったのは、この論争(=物神代理戦争)の構造そのものである」(208ページ)

ローカリティにある価値をしっかりと受け止めようとしても、それを国や世界につなげるとき、たえずモノすなわち「普遍」に転換させざるをえないというジレンマがある。

「いままでの自然保護の論争のなかで、ひとびとが陥っていたのは、空間の価値を議論しているのに、モノの価値を神格化し、対立するモノどうしの価値を戦わせていたということ、物神どうしの戦いを展開して、空間の価値について決着をつけようとしていたことであった。」(219ページ)

桑子の論点が重要なのは、こうしたことは誰でもある程度うすうす感じ取っていたにもかかわらず、十分な反省が行われてこなかったなかで、桑子はじっくりと、この問題の本当の「問題点」を明確にしている点である。

確かに、20世紀においては、経済的発展と環境の維持との両立が困難であることを私たちは思い知った。

これは、誰にでも共有される問題点である。だが、その割には、この二つの価値、すなわち「経済的発展」と「環境の維持」とを簡単に「両立」させられるかのような言説が繰り返されているのは、いったいどういうことだろうか。

その典型例は「持続的発展」であり、呪文のようにこの言葉を使えば、あたかも経済的発展と環境の維持が「両立」するかのように思われてしまっている。

本当に大事なのは、この両立の困難さを引き受けたうえで、その対立を調停する努力を行うことである。

一つの示唆として桑子は、我欲への固執を挙げる。我欲は「モノ」に向かう。そうではなく、「空間」という、他者と共有する「場所」に向かうべきではないのか、ということを暗にほのめかしている。つまり、「私」を豊かにするのではなく「空間」を豊かにするということである。

***

これは、シンガーらの動物解放論にも通じるが、元来「人間」に適用させていたこれまでの「権利」や「人格」といった概念を動物や自然に敷衍させる動きは環境論においてもある。

その代表格はアルド・レオポルドやナッシュだが、桑子はこうした動きに対しては批判的である。

近代的な概念を拡張させているこうした動きは、決して近代的な概念を否定しているわけではない。

「近代的な概念の安易な拡張は、その概念そのものの価値を崩壊へ導く可能性がある」(189ページ)

***

原発について

原発に依存して生活している人が原発を否定するような発言をすると、多くの場合、そうした発言が非難される。だが、これは間違っている。

人は「理念」「理想」「価値」という、「モノ」とは異なる、形のない、目に見えない、この世に存在していない「もの」を駆使して生きている。

また、一朝一夕では実現できないことも願望し、夢想し、想像することで、これまでとはことなる発明や発見、意識の変化というものを歴史的に蓄積してきた。

逆に「原発」をつくる、ということは、単に稼働させるということではなく、その後始末、廃炉や廃棄物、事故の可能性などをもふまえなければならない。

「つくるということは、こわす、解体するということも含む行為でなければならない。」(276ページ)



戦後半世紀、国土の相貌は激変した。在りし日の豊かな空間が急速に失われつつある今、わたしたちは環境の問題をいかに考えればよいのか。西行・慈円・熊沢蕃山の思想に改めて評価を与え、「空間の豊かさ」の本質を問い直すとともにそこから導き出されるアイデアを現代に活かす道を探る。混迷深い環境問題への示唆に富んだ提言の書。

目次       
第1章 「空間の豊かさ」
第2章 空間の解釈と風景の創造―西行
第3章 闇と静寂の風景
第4章 「ローカルであること」と「グローバルであること」―慈円
第5章 環境土木の哲学―熊沢蕃山
第6章 山川草木国土論
第7章 原生自然と空間の履歴
第8章 空間を貧しくするもの―物神化と概念化
第9章 ソフトな社会資本としての地名・住居表示
第10章 社会資本の整備と空間の思想


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すみません。当面ブログは不定期に更新させていただきます。

4月より、より実践的な仕事を行うことになり、毎日、本は読んでいるのですが、書いてまとめる時間が思うようにとれません。

楽しみにしてくださっている方には、本当に申し訳なく思います。

しかしまだまだ、原発、原爆、放射線のテーマも引き続き、考え続けてまいりたいと思います。

よろしくお願い申し上げます。

 瀧本往人



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子安台自治会の看板は老朽化していて「地震だ!を消せ!」の「」の文字が消えていた。


(以下は、以前、学生と一緒に作ったブログに書いた文章の再録です)

私が大学生のときは、実家から離れて一人暮らしをしていました。

今のようにケータイ、スマホといったものはなく、固定電話か公衆電話でした。

学生のなかで固定電話をもっているのは半分もいなかったように記憶しています。
私も持っていませんでした。

アパートやマンションではなく、大家さんが住む大きな家の離れの倉庫を改良したようなところの部屋を借りていたので、いちおう大家さんの電話番号を緊急連絡先として使わせてもらっていました。

つまり、ふだんの友人どうしの連絡は、電話ではなく、もっぱら直接訪問です。

友人の多くは大学から半径2キロ以内に住んでいましたから、徒歩もしくは自転車で行き来をしていました。

また、相手が電話がある場合は、公衆電話から電話をしていました。

今と違って公衆電話がたくさんありました。

近くのコンビニにも公衆電話があり、そこでデートの約束とか、実家への連絡とかをした記憶があります。

あと、テレカ(テレホンカード)が普及していたはずなのですが、あまり使った記憶がありません。

いつも10円や100円硬貨をたくさん用意していました。

今思うと、電話をもたずに生活が成り立っていたことに驚きます。

ですが、それほど困ることはなかったように思います。

ただ、人との待ち合わせでどちらかが時間に遅れるような場合、なかなか連絡がつかなくて、待ちぼうけを食らうということが、しばしばありました。

もっともすごかったのは、沖縄の大学生が遊びに来たときのことで、待ち合わせ時間から大幅に遅れて、6時間後くらいしてから、ようやく会えました。

いや、これは沖縄ではふつうのことだと言われて、大変なカルチャーショックを受けました。

私が固定電話をもったのは働きはじめてからです。

携帯電話をもった(仕事用として会社から支給)のは2つ目の職場に移ってからです。トランシーバーのような大きさで、アンテナをピーっつと引っ張り出すタイプのものでした。

もちろん、電話の機能だけで、ネットも画像や動画もSNSもありませんでした。


あれから30年。

今やスマホは、学生生活の中心にあります。

しかし興味深いのは、スマホ=電話とはかぎらないということです。

スマホで連絡をとりあう場合、必ずしも「通話」するとはかぎらず、むしろLINEなどのSNSが主流となっている点が大きな変化だと言えそうです。

つまり、極端に言えば、学生生活のなかで「電話」の役割は終りを告げていたのです。

***

2015年11月6日、NTTは「固定電話の今後について」という公式発表を行った。それによれば固定電話は当面のあいだ維持はするが、インフラは2025年頃よりIP網に移行するとした。2000年度末には6,200万台の固定電話契約が、2014年度末には2,400万台にまで下降している。一方、モバイルは2000年度末には6,700万台だったのが、2014年度末には1億5700万台へと上昇している。



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これも1年前のゆいた君です。手を器用に使います。


読んだ本
実践!コミュニティデザイン 地域を元気にする
林まゆみ 編 
彰国社
2013.10

ひとこと感想

「地域を元気にする」というテーマで豊富な事例が挙げられ、体験に基づく成功事例集となっている。
私の知っている「まちおこし」は10年以上のスパンでみると、本当に持続することの大変さを痛感する。これらに問われているのは、一時的な盛り上がりではなく、3世代くらいは続く「まちおこし」であるように思われる。

林は、兵庫県立大学大学院緑環境景観マネジメント研究科准教授。京都府生まれ。京都大学農学部卒。同大学院農学研究科博士課程退学。専門、環境計画、地域づくり、歴史・原論。著書「生物多様性をめざすまちづくり」等。

***

地域の元気を引き出そうと、長年活動する「11人の語り部による記録」(3ページ)。

自ら実践してきたコミュニティデザインや地域活性化、そしてその仕組みづくりなどを紹介。

「地域の資源を活用しながら、地域や自らを元気にする」(3ページ)。

つまり、本書は「事例集」ということになる。

目次        
第1章 地域の資源を有効活用

森に寄り添い、自然と共に生きる地域社会を実現―兵庫・丹波地域の森構想
中瀬勲

タイトルでほぼ言い尽くしている。「丹後の森」構想について。

1988年ころからはじまったもので。、新たな「田園都市」の試み。

多自然居住地域、と言うようだ。

***

“自然”に暮らす。丹後からはじまるもうひとつの生き方―京都・丹後半島
豊田玲子

こちらも「丹後」。

「都市へ一極集中し、農村が疲弊するという問題においては先進国も途上国も同じ」(35ページ)

これは、農村のみならず都市もまた疲弊しているということでもある。

「NPO法人地球デザインスクール」というものが登場する。もともとは京都府の事業として開始され、「手づくりエコトピア」をキャッチフレーズにしたもの。ハイテクではなく「身の丈技術」で地域社会をつろうという意欲がある。

小規模な地域社会であれば、そのなかで電力を自活するということは可能ではないか、という提起がある。

***

農村文化と地方のアイデンティティを、生活と教育に根付かせる―台湾・安坑三城

張聖琳(岸野俊介訳・協力)

台北の郊外「三城」のまちづくり。都会型農村。ここに学生を引き込んだ。

買い物をする、おしゃれをする、お金を使う、モノを買う、といtった「消費」とは異なる「楽しいこと」として、「つくりこと」とりわけ、農作業を強調している。

***

「農」からのまちづくり。直売の場が持つ底力―四国地方・公的価値の高い直売事例

佐藤亮子

21世紀に入って、従来型の「市」とは少し異なる「市」が生まれてきた。それは、行政、自治会、JAなどを介さずに、住民が自発的に行っているもので、比較的年齢が若い人たちが参加している。

黒潮町における「庭先集荷サービス」では、農業と福祉とを結びつける試み。

高松市のデイサービスセンター「侶」(とも)の空き地では朝市を開催している。

今治市の「さいさいきて屋」はJAおちいまばりが経営する農産物直売所。

高知市のオーガニックマーケットは数多くの出展者の寄り合い的な市。

「市」(または米のファーマーズマーケット)のまちづく効果を以下のようにまとめている。

・小さな経済圏の生成
・新たな関係、地域の絆をの再構成
・住民自治の促進
・農村の遊休地の有効活用
・にぎわいと安全な場所の形成
・仕事の創出
・地域文化、伝統の継承に貢献
・地域の個性の創造
・生産者の尊厳(フェアトレード)

***

第2章 空間づくりから人づくりへ

都市空間に息づくコミュニティガーデン―アメリカ・シアトル

ジェフ・ホー(松岡綾子訳・協力)

ダニー・ウー・ガーデンインターナショナル地区の事例。

***

スロースペースが人とまちをそだてる―童話『モモ』から宮城・南三陸町まで

木下勇

都市のなかにゆっくりと過ごせる場所がない。公園以外に、なかなか見当たらない。

公道は道路交通法によって縛られ、簡単に利用できないようになっている。逆に「歩行者天国」のように警察に届ければ、ある程度自由度のある空間となる。

また、子どもたちが「道路で遊ぶ」ということについては、現行では幹線道路も路地も無関係に規制されている。

近年「歩車共存道路」のような試みは一部で行われている。(そういう道を猛スピードで走る車がいるのが実情)

事例としては、飯田市のりんご並木がとりあげられている。

また、
ファストフードではなく、「カフェ」つまり、人と出会い、語らい、のんびりできる空間を多様な形で展開することが、求められている。これについては、事例として、南三陸町の中高生のワークショップでの議論が事例として挙げられている。

***

スローライフとスローフードの島づくり―兵庫・淡路島

林まゆみ

***

第3章 みんなで共有する仕組みづくり
復興を願い、都心に芽生えた多世代コミュニティ―兵庫・みなとのもり公園(神戸震災復興記念公園)

田中充

地域力・市民力・場所力が結集 21世紀の市民活動社会に向けて自律連帯都市を―兵庫・神戸市長田区野田北部地区
小林郁雄

住民力で編み上げるコミュニティの再生 復興事業方式の代案提起―岩手・陸前高田市長洞元気村と東京・世田谷区

林泰義

物語りアプローチによるコミュニティデザイン―愛知・名古屋市錦二丁目長者町・都心地区
延藤安弘


地域を元気にする実践!コミュニティデザイン/彰国社
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1年前のゆいた君。まだ幼い感じがします。最近、少し大人になっています。


読んだ本

スマートシティはどうつくる?

山村真司 監修・著

工作舎 NSRI選書
2014.12

ひとこと感想

都市計画関連書。コンパクトにまとまったノウハウ本。ただし「スマート」の定義などいくぶんあいまいな表現が多く、本のつくりも、図の文字が小さくて読みにくい。工作舎の本の割には読者への意識が薄い印象。

1962年山口県生まれ。東京大学大学院建築学専攻修士課程修了。89年日建設計入社。2006年から日建設計総合研究所理事、上席研究員。各種建築の環境計画、都市の環境配慮・低炭素計画及び評価を専門とし、国内外のプロジェクトで実績を積む。技術士、中小企業診断士等。

NSRI選書の「NSRI」とは日建設計総合研究所のことである。

***

スマートシティ(スマートコミュニティ)とは何か。

エネルギー、水資源、情報通信、交通、廃棄物、緑など私たちのくらしを構成するすべての機能がつながり、循環する都市、コミュニティのことである。

だが、それはなぜ「すべての機能がつながり」あっているのか、本書ではうまく説明しきれていない。

肝心の「スマート」の意味があいまいなのである。

「スマート化について汎用的な定義はとくにありません」(12ページ)

嘘である。「スマート化」とは、端的に、IoTもしくはM2Mをインフラとする情報のネットワーク化、ということにほかならない。

事例的に「スマート」の意味をたどると、1992年にはじまった米国のスマートグリッドに端を発することになる。送電のネットワークのことをスマートグリッドと呼び、そして、その端末がスマートメーターである。

スマートシティについては、経産省の定義をひいている。

「ICT技術を有効活用して、基盤インフラ、生活インフラ等の都市関連インフラを効率的に運営し、生活を快適かつ利便性を向上させることが可能となる都市」(経産省)

確かに「スマートシティ」「スマートコミュニティ」という構想のなかには、
省エネルギーや創エネルギーを主体とした環境配慮・低炭素を旨とする「エコシティ」「環境都市」といった側面との重複などがみられ、混乱しやすいものであるが、「スマート」という概念は、これまで常に変わらずにきていることを、本書はうまく伝えていない。

事例紹介はとても参考になる。

スマートシティの先行事例は、米コロラド州のボルダー市で、スマートグリッドを2007年以降進めてきた(これはスマートシティ)。

2006年UAE、アブダビのマスダール・シティは、低炭素型都市として世界にアピールした(これはスマートシティ?)。

「欧州では省エネ、低炭素を目的とするいわゆる「エコシティ」という名前で推進されているケースがこれまで多く、「スマートシティ」は、エコシティの次のステップにあたるコンセプトとして捉えられています。」(61ページ)

こうしたまとめかた本質的ではなく、文脈依存的なものである。

事例
1 既存都市改修型

スマートシティ
 アムステルダム
 
マラガス
 日本橋

スマートグリッドシティ
 ボルダ―

離島型スマートグリッド
 宮古島ほか(日本)

スマートコミュニティ4大実証地域
 北九州、横浜、豊田、けいはんな(日本)

2 都市開発型

リヨン・コンフルエンス
ハマルビー・ショースタッド(ストックホルム) *
ロイヤル・シーボート(ストックホルム)
ピーカンストリート(テキサス州オースティン)
マスダール・シティ(UAE) *
天津生態城市(中国)
柏の葉スマートシティ
藤沢スマートサステイナブルタウン

*を付けたのは非スマートシティ

また、「スマート」で大事なのは、電力インフラに再生可能エネルギーを組み込む際に不可避的にスマートグリッドを必要とするということである。よって、必然的に低炭素化が目指されるため、混乱しやすいことがよくわかる。

***

「スマート」に対して「シティ」についても、本書は説明を加えている。

具体的には「コミュニティ」の説明となる。

「スマート化という新たなコンセプトに基づいて誕生するまちやコミュニティが、どのような変化を見せるのか」(108ページ)

これは大切な指摘である。

しかし本書は、定義などを辞書に頼っている。

「人々が共同体意識を持って共同生活を営む一定の地域、およびその人々の集団」(大辞林)

こうした共同生活を営む場は、「古くは宗教施設がその中心となり、近年では小学校を単位とした小学校区などが対象」(109ページ)とされる。

そのうえで「都市」はこうした「コミュニティ」の集合体である、としている。

こうした記述をしておきながら、続いて、次のように述べられている。

「日本では、地域の神社・寺などの宗教関連施設を中心とした集落が一つのコミュニティとして捉えられてきました」(109ページ)

こうした「コミュニティ」と、都市における「コミュニティ」は一緒だろうか。社会学では伝統的な共同体と、機能や目的によって形成される都市とは、明確に区別されるが、ここではそうした観点はない。

ここから一気に「近代」のコミュニティ計画の話にうつる。

 1898年 田園都市構想(E・ハワード)

これはすなわち、近代都市の弊害を克服すべく、伝統的共同体のよさを都市に融合させたもの、とみなすことができる。

 1920年代 近隣住区理論(C・A・ペリー)

多摩ニュータウンに影響を与えた。

 1990年代 ニューアーバニズム(P・カルソープ)

公共交通を中心(TOD)

***

もう少し付け足したいことがあるが、今日は時間切れ。


目次        
第1章 都市の現況―膨張し続ける都市・成熟を超えた都市
 世界的な都市人口の集中
 加速するエネルギー消費
 高齢化する都市;課題解決に向けて期待されるスマート化
第2章 スマート化とは何か?
 スマート化の概念整理;スマート化に関する施策
 都市・コミュニティにおけるスマート化
 スマート化の標準化の動きについて
第3章 スマートシティ検討のプロセス
 スマートシティ開発の現況
 スマートシティ実現のための統合的検討プロセス
 スマート化を実現するための事業の進め方
第4章 スマートシティ技術の導入計画1
 コミュニティづくりと都市計画の方法
 建物の低炭素化の推進
 エネルギー供給系インフラ計画
第5章 スマートシティ技術の導入計画2
 上下水道系インフラ
 廃棄物処理系インフラ
 インフラとしての緑・水環境
 交通系インフラ(道路、公共交通、自動車)
 ICT系インフラ



スマートシティはどうつくる? (NSRI選書)/工作舎
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読んだ本
series田園回帰 1 田園回帰1%戦略
大森彌、小田切徳美、沼尾波子、藤山浩、松永桂子
農山漁村文化協会
2015.06

ひとこと感想
日本における「地域開発」をテーマとしている。「消滅可能性のある」市町村がある、という論に影響されたものの一つ。

大森は、東京大学名誉教授、小田切は、明治大学農学部教授。

ところが「過疎」発祥の地とされる島根県では、正反対のデータがあらわれはじめているという。

県の大半を占める中山間地域のうち、3割以上のエリアでは、この5年の間に4歳以下の子供が増えている。

しかも、特に離島や山間部といった「田舎の田舎」で、若い世代のUターンやIターンが目立っている。

こうした「田園回帰」こそ、全国に広げていくべきではないか、というのが本書の主張。

具体的な戦略としては、毎年人口の1%を取り戻す、ということ。そうすれば地域は安定的に持続できると主張。

きめの細かい人口動態データ分析を行っている。

島根県での小学校区・公民館区単位の人口分析をベースに、定住増に対応した地域内循環の強化による所得の取戻し戦略を提案している。

***

日本創成会議におけるこの「地方消滅」論に対する本書の疑問点は以下の4点。

・データ時期が古い
・2000年代後半の定住実績評価が低い
・データ単位が現在の市町村となっている
・東京への一極集中の持続を前提としている

さらに言えば、これからの時代をどう切り拓いてゆくのか、そのビジョンに、本書の著者たちと日本創成会議とのあいだでは大きな溝がある。

それは「成長」の維持が見直しか、ということになる。大規模・集中化による「成長第一主義」で本当によいのだろうか、というのが本書の主張である。

もっと端的に言えば、人口が減らなければそれでよい、というわけではないということになる。


目次       
序章 「市町村消滅論」は本当か
第1章 「2015年危機」と「大規模・集中化」の半世紀―田園回帰という希望
第2章 田園回帰が始まった―島根からの報告
第3章 人口の1%取戻しビジョン
第4章 所得の1%取戻し戦略
第5章 田園回帰を支える社会システムと総合戦略
第6章 求められる田園回帰に向けた条件整備



田園回帰1%戦略: 地元に人と仕事を取り戻す (シリーズ田園回帰)/農山漁村文化協会
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