今から随分前の話である。まだ十代のころ、ある日突然、見知らぬ人から電話があった。

 

「あなただけに特別に、価値ある英語教材を紹介したいので、お会いできないか」というものである。

 

翌日、そのオフィスに行ってみると、優しそうな若い男性が待っていた。

 

話を聞くと、しっかりとした内容の教材のようであり、しかも月に1回、ネイティブの人と会話を楽しむサロンが開かれるという。

 

少々高額であるが、月払いにすれば払えないことはない。

 

何よりもそれで実力がつくのであれば、充分元はとれるはず、と思い、即決で契約書にサインをして意気揚々と帰路についた。

 

しかし、帰ってから冷静になってみると、とにかく高い。

 

しかも4年間も支払が続く。

 

――次の日、電話でおそるおそるキャンセルをした。

 

あれこれと文句を言われたが、頑なに断ったところで「クリーンオフ」となった。

 

ほっとした。

 

しかし、あのとき、そこでキャンセルしなかったらどうであろうか。

 

中身の良し悪しはさておき、自分がお金を出して使っている以上、人から聞かれれば「よい教材」と主張することだろうし、下手をすると別の人に勧めて買ってくれれば自分にもリベートが入ってくるかもしれない…というように、良くない方向に進んだに違いない。

 

自分が買ってしまったことはもう仕方のないことだとしても、それを他人に「よい」と言ったりしてしまっては、「詐欺」商法の片棒を担ぐことになるのではないだろうか。

 

万が一、その教材の中身がよかったとしても、そういう教材を肯定的に評価することはできないのではないか。

 

場合によっては、「評価」するという土俵にあげないほうがよいのではないか。

 

世の中には、こういった事例と似たようなことが無数にある。

 

さまざまな商売においても、一見純粋そうにみれる学術世界においても、そして、信仰の世界においても。