観た映像作品

セルゲイ・ロズニツァ《戦争と正義》 シリーズ

破壊の自然史

キエフ裁判


The Natural History of Destraction

The Kiev Trial

by Sergei Loznitsa

2022

 

セルゲイ・ロズニツァは、ベラルーシで生まれ、ウクライナで育った映画監督。元々は人工知能の研究をしていた。

 

2作いずれも「アーカイヴァル・ドキュメンタリー」、すなわち、過去に撮影された映像をもとに編集・構成した作品。

 

2022年に公開されているということは、要するに、ロシアがウクライナに侵攻しているさなかであり、2つの作品は、この現在進行形の状況と深くかかわっていることは想像に難くない。だが、どういうふうに私たちはこの2作と向き合えばよいのだろうか。

 

「破壊の自然史」は1940年代に行われた、英米がドイツに対して行った都市への空爆攻撃の模様を中心としつつ、その前後のイギリス、ドイツの様子を、さまざまな映像が組み合わされて描かれている。

 

「キエフ裁判」は1946年にソ連(ウクライナ)で行われたドイツ軍人たちを被告とした、戦争裁判の記録映像をもとにしている。

 

いずれも「重たい」作品である。

 

「破壊の自然史」は途中にチャーチルの演説など、明確な発話のシーンがいくつか差し挟まれてはいるものの、大半は爆撃音などが中心で「セリフ」がほとんどない。

 

ワーグナーの「ジークフリート・マイスター」がフルトベングラ―の指揮によって演奏されているシーンもあるが、全体は、ともかく「破壊」のさまを「自然史=博物誌」のように、映像と音声によってひたすら語りつくそうとしている。

 

一方「キエフ裁判」は裁判のあいだ、ロシア語がドイツ語に通訳され、また、ドイツ語がロシア語に通訳されるさまが、くどいくらいに繰り返され、「発話」にまみれている。

 

被告の発言の大半は、原稿が用意されており、それを杓子定規に読んでいるが、時折発露される戸惑い、怒り、悲しみの感情、そして、一瞬言葉につまるさまなどが、むしろ、この作品が強調したいところであるだろう。

 

ハンナ・アレントが「凡庸な悪」として論じた「ニュルンベルク裁判」と同じように、この裁判でも「罪を認める」者たちは、その者たちだけが戦争の責任をとっているかのように、その供犠の生贄にされているかのように本作をとらえることが可能であるだろうけれども、はたして、それでよいのかどうか。もう少し検討する必要があり、それは後日の課題としたい。

 

以下では、「破壊の自然史」について、少しだけ、これから考えるべき文脈をつくっておくにとどめておきたい。特に「自然史=博物誌」という言葉を手掛かりとして。

 

この作品のタイトルの由来は、ドイツのW.G.ゼ―バルト 「歴史と自然史のはざまで─文学による壊滅の描写について」 にあると言われている。

 

ゼ―バルト「新版 空襲と文学」の解説 「破壊に抗する博物誌的な記述」 を書いている細見は、アドルノが初期の作品「自然史の理念」から晩年の「啓蒙の弁証法」に至るまで、生涯追求してきた思考の核が「自然史」であることをベースに、本作を読み解くことができるだろう。また、類似した論点の論文はいくつかある(例えば、鈴木賢子「歴史と自然史のはざまで─文学による壊滅の描写について」 実践美学美術史学会(25) 2011.3)。

 

さらに、この「自然ー歴史」(NzturーGeschichte)はアドルノと同時期に生きたウィトゲンシュタインにとっても大きな課題であったとされている。もちろんベンヤミンにおいても「自然史」概念は抜き差しならぬものであった(例えば、山口裕之「ベンヤミンの自然史の概念 : 『ドイツ悲劇の根源』におけ. る「内在性」をめぐる概念連関」大阪市立大学 人文研究. 51 巻 8 号, p.181-203.)。

 

さらに言えば、これはフランス語文化圏に顕著だが、「自然史」は同時に「博物誌」といったほうが通りやすい学問の一分野としてビュフォンを中心に17世紀、すなわちデカルト以降の当時の学問状況において興隆したものでもある。

 

「破壊の自然史」における「自然史」は、上記のような思想的背景と無縁ではなく、とりわけ、本作をとらえる際に、「自然史=博物誌」と読み替えることは、きわめて重要なポイントであると思われる。

 

ここでフーコーの一節を引用したい。

 

「古典主義時代は、記述(イストワール)にまったく別の意味を賦与する。すなわち、物それ自体にはじめて細心な視線をそそぎ、ついで視線の採集したものを、滑らかな、中性化された、忠実な語で書き写すという意味である。この「純化」の過程で最初に成立した記述(イストワール)の形式が、自然の記述(イストワール)であったことは頷けるであろう。」(ミシェル・フーコー『言葉と物』154ページ)

 

この文章を通して「破壊の自然史」をとらえるならば、「破壊の自然史」とは、「破壊」というものを「物」としてとらえ、この「物」に細心な視線をそそぎ、採集し、滑らかな、中性化された、忠実な語で書き写す試みである、と言えるだろう。

 

戦争というあまりにも人間の感情が渦巻いている対象を「物」として取り扱い、昆虫採集がそうであるように、いろいろな意図で撮られたはずの映像をそれぞれ順番に配列して「標本」とするさま、それが「自然史=博物誌」である。

 

「(標本という)そこでは、いっさいの注釈や附属的な言語(ランガージュ)から解放された諸存在が、その可視的な表面をこちらに向けて一列にならび、その共通の特質にしたがって比較されそのことによってすでに潜在的に分析され、もつべき唯一の名を提示しているのだ。」(同、154ページ)

 

その「名」が「破壊」であるのだろう。