観た作品

 

 

 地球最後の男
1964年

 

ひとこと感想

コロナ禍においてはじめてこの作品にふれた。いろいろと別な意味で考えさせられた。結局は他者との向き合い方が問われている。

 

この作品のポイントは、以下のようにまとめられる。

・新種ウイルスの感染によって主人公を除く全人類が死滅
・ただし、感染者は死亡後、「ゾンビ」となる
・そのため、埋葬はせずに直ちに火葬に付す
 (死体からの感染を防ぐためという説明があるが、他方で、「ゾンビ」として活動するのを防ぐためとも考えられている)
・主人公はかつて蝙蝠に噛まれたことがあり、それにより抗体がある

本作における「ゾンビ」は、以下のようなものとして描かれている。

・ニンニクが苦手
・鏡が苦手
・日の光が苦手(夜しか活動ができない)
・絶命させるには心臓に杭を打たねばならない
・十字架も苦手(ややあいまいに描かれている)

以上の性質は、「吸血鬼」と共通しているため、本作の「ゾンビ」は、「吸血鬼」の一種と言える。

言い換えれば、「人が死んで、また、生き返る」という「吸血鬼」を科学的、20世紀的に説明しようとすると、「新種ウイルス」のせい、ということになるのだろうか。

ロメロの「ゾンビ」との大きな違いは、「放射線による突然変異」ではなく「ウイルス感染」によって生み出される点である。
情報通信環境としても、本作では、回想シーンで新聞やテレビで世界の異変について知らされていることと、「国際周波数」を使った無線通信で、全世界に呼び掛ける設定になっている。

ラジオや電話は登場しない。

それはさておき、本作における「ゾンビ」は、微妙に「知性」もしくは「認識能力」と「言語活用能力」がある。

・相手を名前で呼ぶ
・遠くから自分が住んでいた家まで戻ってくることができる
・「家に入れてくれ」とか「いるんだろう?」と訴えることができる
・道具を使って車や窓ガラスを割ることができる
・車の座席シートを運ぶなど、それなりの力仕事もできる

新型コロナウイルスによる感染が拡がる今であれば、むしろ、本作のほうが、示唆に富む。

・ヨーロッパ由来で風に運ばれて拡散
・当初、化学者である主人公は、世界に蔓延するとは考えていなかった
・このウイルスは新種で、どんな方法でも死滅させられない
・周囲に感染者が出た場合、早急に保健所に連絡し、外出は控え、"密"にならない様に
・症状として、失明がある
・突然死に至る

作品のなかで、注意を引くのは、「お願いだから、ちゃんと埋葬させて」というセリフである。

もちろんこの映画作品を手掛けている文化圏では、慣習として今でも埋葬が多いことは承知しているが、ここまでこだわりがあるということに驚かされる。

少なくとも、この点においては、私が暮らしている文化圏との違いがある。

感染者の拡散を増やさないようにするためにも、埋葬よりも火葬のほうが安全性が高いことは、攻守衛生上の常識であるだろう。

にもかかわらず埋葬にこだわるのは、むしろ「復活」や「審判」を前提としているからであることは、わかるが、それでもやはり解せなくはある。

また、本作において、物語に深みがあるのは、主人公が「地球最後の人間」であるとしても、同時に、感染したにもかかわらず、ワクチン接種によって生き延びている人間もいることである。
そちら側からみると、主人公は、自分たちの仲間を毎日杭を打って殺戮する存在である。

なお、原作は、以下のとおり。

I Am Legend
Richard Burton Matheson
1954

本作以外にも、上記原作をもとにした映画が作成されている。

The Omega Man 地球最後の男オメガマン
1971年(アメリカ)

I Am Legend アイ・アム・レジェンド
2007年(アメリカ)