読んだ本
新しい人間、新しい社会 復興の物語を再創造する 災害対応の地域研究
清水展、木村周平 編著
京都大学学術出版会
2015.12
ひとこと感想
災害後の建て直しは常套句で「復興」と呼ぶが、本書のタイトルが物語るように、単なる「原状回復」ではなく「再創造」が求められている。事例が幅広く各国から選ばれているのが本書の持ち味。国内では神戸、阪神淡路大震災、男鹿半島、東日本大震災、復興ツーリズムがとりあげられている。
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いずれも興味深い論考が並んでいるが、以下、本書の第10章 復興ツーリズム(山下晋司)のみをとりあげる。
福島県への観光客は「3.11」を境に大きく減少した。
「とくに福島県の場合、原発事故の影響で修学旅行客が戻ってきておらず、とりわけ原発事故避難地域を含む浜通りは依然として厳しい状況にある。」(330-331)
観光(ツーリズム」という観点から東日本大震災からの「復興」を考える場合、以下の点がキーワードとなる。
・ボランティア → ボランティアツーリズム
・まなび → スタディツーリズム
・つながり → ソーシャルツーリズム
観「光」とはいうが、これらのツーリズムは「影」の部分にも光をあてることにほかならない。それゆえ「ダークツーリズム」という言葉も嫌がられながらも使われている。特に井出明はダークツーリズムのことを「悼む旅」(井出2013:145)とみなしている。
ただし、こうした大枠は、基本的に「東日本大震災」に対して向けられており、「フクシマ」にはそれほど比重がおかれていない。
それどころか、どこまで現実味があるのかわからない東浩紀たちの観光化「計画」を次のように書いたりしている。
「福島においては、事故から25年後の2036年に向けて福島第一原発を観光地にしようという計画もある」(344ページ)
いや、今のところ、ない(何らかの「観光地化」が目指されるのは必然だと思うが、これを安直に全面に打ち出すことは、かえって反発があることは想像に難くない)。
また、楽観的に次のようにも書いている。
「ヒロシマが平和観光のシンボルになったように、フクシマが原発事故の記憶とそこからの復活のシンボルとなる日もくるだろう。」(344ページ)
いや、今のところこれも、少し違う。果たして本当に「記憶」のシンボルになるだろうか。「復活のシンボル」となるだろうか。このあたり、ある種の「匙加減」が難しい。
ただし、次の一文はきわめて重要である。
「東日本大震災における震災・津波、原発事故というネガティブな経験は、新しい観光(ツーリズム)概念を生み出すきっかけになるかもしれない。」(344ページ)
この指摘は、きわめて重要である。そして、必要なことだ。
だが、実際はどうか。
ふくしま観光復興支援センター(現ホープツーリズム推進課)では「来て見て知ってふくしま」という冊子を刊行している。
第1号 2013年7月 特集=福島を語る人に出会う旅
第2号 2013年10月 特集=ふくしま復興ツーリズムガイドブック
第3号 2014年8月 特集=県内での視察やお話のコンテンツを紹介します
第4号 http://ふくしま観光復興支援センター.jp/file/plan/574b86b253aa0.pdf)
本論考は、こうした「フクシマ」における「復興ツーリズム」にのみ焦点をあてていればよかったように思われる。他の事例とともに語られると、今ひとつ「フクシマ」の問題が見えにくくなるからである。
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公的制度に規定された日本の復興事業は被災者の創造力を奪っていないか?国内外の被災地を見てきた研究者が災害対策を現場から捉え直す。災害を生みの苦しみに転換する。
目次
第1部 紡ぎ出す、読み替える
先住民アエタの誕生と脱米軍基地の実現―大噴火が生んだ新しい人間、新しい社会 清水展
現場で組み上げられる再生のガバナンス―既定復興を乗り越える実践例から 大矢根淳
復興の物語を読み替える―スマトラの「標準の復興」に学ぶ 山本博之
第2部 忘れる、伝える
神戸という記憶の“場”―公的、集合的、個的記憶の相克とすみわけ 寺田匡宏
プーケットにおける原形復旧の一〇年―津波を忘却した楽園観光地 市野澤潤平
制度の充実と被災者の主体化―生活再建をめぐるせめぎあいの二〇年 重川希志依
トルコ・コジャエリ地震の経験の継承―私の声が聞こえる人はいるか? 木村周平
第3部 作り出す、立ち上がる
小さな浜のレジリエンス―東日本大震災・牡鹿半島小渕浜の経験から 大矢根淳
アートによる創造的復興の企て―保険に支えられた移動/再建 大谷順子
復興ツーリズム―震災後の新しい観光スタイル 山下晋司
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