サダオ、生まれて初めてシーフードカレー作りに挑戦
近頃やけに自炊にハマっているオレがいるんだが、つい先日彼女様
が実家に顔を出した際に、到底2人暮らしの家庭では消費し切れないほどの蛤を押し付けられてきた。
ちょっぴり頭の弱い彼女様は大量の蛤を見て 「まずボンゴレ作ってー、酒蒸しをつまみながらお酒呑んで~」 と夢ひろがりんぐだったようなのだが、そんな呑気なやり方では蛤が死滅する方が早いわけでございまして。
だって半分の量でコレなんだぜ?(これと同じ量の蛤を別の容器でも砂抜き中……)
どこの魚屋の仕入れなんだよアホ!
これを2人でボンゴレだ酒蒸しだで食べ尽くすのに、いったいどれだけの時間がかかるというのか!貝なんて気を抜くと速攻で死んじまうんだから、一気にドカンと調理してしまわないとイカンだろ!
とりあえずご近所仲間のロザリー に4分の1ほど押し付けてみたんだが、それでも途方に暮れる量の貝、貝、そして貝。
何かいい策はないものかと思案したオレは、ふと 「そういえばシーフードカレーって作ったことなかったな」 と思いつく。
カレーならば食材を掃除するのに最適ではないか!どんな材料でもあの魔法のルーで煮込んでしまえばどうにかなる!
というわけで、サダオは人生初のシーフードカレー作りにチャレンジすることと相成りました。
<1>
まずは適当な量の蛤をフライパンに乗せ、そこに水と酒を入れて火にかける。貝の口が開いたら取り出し、汁は必ず残しておく。
<2>
海老の殻を剥いて背ワタを取る。殻は使うので捨てずに取っておく。
海老の殻を香ばしさが充満してくるまで炒る。
そこに<1>の蛤の煮汁を投入して少し煮込む。
海老の風味が移ったかな~と思ったら、ざるなどに空けてスープを確保。これが本日のカレーのスープのベースになります。
<3>
イカを捌く。目の上に指を入れて開き、くっ付いてる部分を丁寧に剥がしていく。後は足を持ってゆっくり引っこ抜けば、上の写真のように上手に分離させられるはず。たぶん。
目玉や口なんかを外して、ワタや墨袋は大事に取っておく。ゲソの部分は悩んだ挙句細かく刻んでしまうことに。
個人的になんでもかんでもスープに溶け込んだカレーが好きなのでこうしたけど、具の形が残ってる方が好きな場合は足を2本ずつくらいに切り分けるのがベター。
また、皮を剥かずに輪切りにする場合もあるが、今回はなんとなくキレイに皮も剥いてみた。
適当に食べやすいサイズにカットして完了。ワタや墨袋はスープに使うので、破かないように注意。
<4>
タマネギを炒める。細かく刻んでもいいけど、どうせ溶けるまで煮込むので、カットのしかたは適当でいいと思う。
うっすら色がついてしんなりしてきたら、すりおろしたショウガとニンニクを加えてさらに炒める。
さらに細かく刻んだニンジン(これもスープに溶かす用) を投入して炒め、程よいタイミングで鍋に移して白ワインを投入。今回は水を殆ど使わず、酒と貝の煮汁と野菜の水分だけで頑張ってみた。
ブーケガルニだのローリエだのを追加して煮込み、市販のカレールーを投入。オレはルーで作るカレーが大好きなのでこういう作り方になるけれども、当然スパイスやカレー粉から作ってもOK。
<5>
フライパンにオリーブオイルを敷き、海老とイカとザク切りにしたトマトを軽く炒める。海老に色が付く程度のタイミングで<1>~<2>で作った煮汁を追加する。
さらに酒(白ワイン推奨) を入れ、取っておいたイカのワタや墨袋をそのままぶち込み、潰すようにしながら他の具材と混ぜ合わせる。
ふたを閉めて2~3分煮ると、このように何とも美味そうなスープが出来上がる。ぶっちゃけこれに塩味を付けてブイヤベースとして食べてしまいたい。
これを先ほどのカレースープの中に入れてほぼ完成。
で、ここがちょっとしたポイントなんだが、カレースープに海鮮スープ(および具材) を入れたら火を止めて、冷ましながら味を馴染ませた方がいいと思う。
これはもうオレの勘でしかないんだけれども、カレーってグツグツ煮込むより、具材に火が通ったらそのまま放置する方がいいような気がするのよねー。
そのために今回は海鮮スープとカレー自体とを別行程で作ってみたんだが、美味しく出来上がってるといいなぁ。
というわけで、生まれて初めて作ったシーフードカレーの完成!
イカのワタの風味が効いてて濃厚でうめー!
しかも今回はカイエンペッパーだのガラムマサラだのを追加してかなり辛口にしてみたんだけど、それがまた素晴らしくマッチしていらっしゃる!
こんだけ濃厚なシーフードカレーを店で食べたらいくらするんだろうとか考えてしまう所が、我ながらCP絶対の板橋区民的だなと思った。
しかしイカって1杯丸々買って来ても100~200円程度だし、蛤がなけりゃアサリなんかでもいいわけだし、海老も立派なのを使う必要ないし、意外と安上がりに作れるもんなんだなあ……。
ちょっぴり頭の弱い彼女様は大量の蛤を見て 「まずボンゴレ作ってー、酒蒸しをつまみながらお酒呑んで~」 と夢ひろがりんぐだったようなのだが、そんな呑気なやり方では蛤が死滅する方が早いわけでございまして。
だって半分の量でコレなんだぜ?(これと同じ量の蛤を別の容器でも砂抜き中……)
どこの魚屋の仕入れなんだよアホ!
これを2人でボンゴレだ酒蒸しだで食べ尽くすのに、いったいどれだけの時間がかかるというのか!貝なんて気を抜くと速攻で死んじまうんだから、一気にドカンと調理してしまわないとイカンだろ!
とりあえずご近所仲間のロザリー に4分の1ほど押し付けてみたんだが、それでも途方に暮れる量の貝、貝、そして貝。
何かいい策はないものかと思案したオレは、ふと 「そういえばシーフードカレーって作ったことなかったな」 と思いつく。
カレーならば食材を掃除するのに最適ではないか!どんな材料でもあの魔法のルーで煮込んでしまえばどうにかなる!
というわけで、サダオは人生初のシーフードカレー作りにチャレンジすることと相成りました。
<1>
まずは適当な量の蛤をフライパンに乗せ、そこに水と酒を入れて火にかける。貝の口が開いたら取り出し、汁は必ず残しておく。
<2>
海老の殻を剥いて背ワタを取る。殻は使うので捨てずに取っておく。
海老の殻を香ばしさが充満してくるまで炒る。
そこに<1>の蛤の煮汁を投入して少し煮込む。
海老の風味が移ったかな~と思ったら、ざるなどに空けてスープを確保。これが本日のカレーのスープのベースになります。
<3>
イカを捌く。目の上に指を入れて開き、くっ付いてる部分を丁寧に剥がしていく。後は足を持ってゆっくり引っこ抜けば、上の写真のように上手に分離させられるはず。たぶん。
目玉や口なんかを外して、ワタや墨袋は大事に取っておく。ゲソの部分は悩んだ挙句細かく刻んでしまうことに。
個人的になんでもかんでもスープに溶け込んだカレーが好きなのでこうしたけど、具の形が残ってる方が好きな場合は足を2本ずつくらいに切り分けるのがベター。
また、皮を剥かずに輪切りにする場合もあるが、今回はなんとなくキレイに皮も剥いてみた。
適当に食べやすいサイズにカットして完了。ワタや墨袋はスープに使うので、破かないように注意。
<4>
タマネギを炒める。細かく刻んでもいいけど、どうせ溶けるまで煮込むので、カットのしかたは適当でいいと思う。
うっすら色がついてしんなりしてきたら、すりおろしたショウガとニンニクを加えてさらに炒める。
さらに細かく刻んだニンジン(これもスープに溶かす用) を投入して炒め、程よいタイミングで鍋に移して白ワインを投入。今回は水を殆ど使わず、酒と貝の煮汁と野菜の水分だけで頑張ってみた。
ブーケガルニだのローリエだのを追加して煮込み、市販のカレールーを投入。オレはルーで作るカレーが大好きなのでこういう作り方になるけれども、当然スパイスやカレー粉から作ってもOK。
<5>
フライパンにオリーブオイルを敷き、海老とイカとザク切りにしたトマトを軽く炒める。海老に色が付く程度のタイミングで<1>~<2>で作った煮汁を追加する。
さらに酒(白ワイン推奨) を入れ、取っておいたイカのワタや墨袋をそのままぶち込み、潰すようにしながら他の具材と混ぜ合わせる。
ふたを閉めて2~3分煮ると、このように何とも美味そうなスープが出来上がる。ぶっちゃけこれに塩味を付けてブイヤベースとして食べてしまいたい。
これを先ほどのカレースープの中に入れてほぼ完成。
で、ここがちょっとしたポイントなんだが、カレースープに海鮮スープ(および具材) を入れたら火を止めて、冷ましながら味を馴染ませた方がいいと思う。
これはもうオレの勘でしかないんだけれども、カレーってグツグツ煮込むより、具材に火が通ったらそのまま放置する方がいいような気がするのよねー。
そのために今回は海鮮スープとカレー自体とを別行程で作ってみたんだが、美味しく出来上がってるといいなぁ。
というわけで、生まれて初めて作ったシーフードカレーの完成!
イカのワタの風味が効いてて濃厚でうめー!
しかも今回はカイエンペッパーだのガラムマサラだのを追加してかなり辛口にしてみたんだけど、それがまた素晴らしくマッチしていらっしゃる!
こんだけ濃厚なシーフードカレーを店で食べたらいくらするんだろうとか考えてしまう所が、我ながらCP絶対の板橋区民的だなと思った。
しかしイカって1杯丸々買って来ても100~200円程度だし、蛤がなけりゃアサリなんかでもいいわけだし、海老も立派なのを使う必要ないし、意外と安上がりに作れるもんなんだなあ……。
完全独学レシピの納豆パスタ
近頃オレ様は料理にハマっているのだが、性格的な問題なのか 「これ!」 というメニューを少しずつレシピを変えて甲子園球児もビックリなペースで作るという酷い展開になってしまう。
気付けば週に2~3回くらいその時ハマっている料理を作るという、同居人 泣かせな流れに陥るのだ。「中1日でまた先発登板かよ!」 みたいな。
で、今現在なににハマっているかというと、"ハヤシライス" と "納豆パスタ" というよくわからない取り合わせである。
その内ハヤシライスの方は無難っちゃ無難なレシピなので、今回は納豆パスタの方をご紹介しようと思う。
今回使う材料はこんな感じ。
<2人前>
■ニンニク(2~3かけ)
・長ネギ(具材用と薬味用で1本)
・えりんぎ(3本くらいをスライス)
・豚肉(たまたま余ってた肩ロースを50gくらい)
※仕上げ用
■納豆(ひき割りを2パック)
■海苔
■バター
■白ワイン
この中で、絶対に必要な材料は■印の物だけ。それ以外はその時冷蔵庫の中にある物でどうにでもなるので、あまり深く考えなくても大丈夫。
後で説明するけど、致命的に合わない具材ってのが実は意外と少なかったりする。
まずはペペロンチーノを作る要領で、フライパンにサラダ油を敷き、火をかける前からニンニクを投入する。油はオリーブオイルでもごま油でも構わないが、風味がかなり変わるので、一度クセのないサラダ油で作ってみて、気に入ったら他の油に変える方が無難。
また、ペペロンチーノの要領でと言いつつも、最初は鷹の爪は入れないで作った方がいい。これも一度食べてみて、ピリっとした味が入っても平気だと思った場合のみ入れるようにすべきかと。
ニンニクに色が付いてきたら、入れたい具材を適当にぶち込んで炒める。この時に軽く塩胡椒で下味を付けておく。
頃合を見てパスタを茹で始め、4~5分経った所で茹で湯を入れて乳化させる。
基本的にシンプルな塩味パスタを作る感じなので、直接塩を振るよりは、茹で湯の量で塩加減を調整した方が安全。したがって、茹で湯にはある程度しっかりと塩を入れておきたい。
完全に独学なのでプロの人がどう言うかわからないが、個人的に塩味ベースのパスタを作る場合は、繰り返しになるけれども茹で湯で塩加減を調整する方が簡単だと思う。ソースっぽくなって麺に絡め易くなるし、直接塩を振るよりも失敗が格段に減る気がする。
そして最後の仕上げに登場するのが白ワイン様とバター様。塩味パスタの場合は、致命的に塩加減を失敗しさえしなければ、この2つさえあればどうにでもなる。
パスタが茹で上がったら、具材を炒めているフライパンに麺を投入し、バターを落とし、白ワインを振りかけて全体的に味を馴染ませる。
程よい所で皿に盛り付けて本日の主役の登場。
THE納豆!
コツとしては、パックに付いているタレやカラシを全部入れてしまうこと。普通に白いご飯で食べる時と同様に、タレとカラシを入れてかき混ぜてしまうのだ。
それを盛り付けたパスタの上に乗せ、その上から薬味用の長ネギ(青い部分) を散らす。絵的にはこれだけでも美しいが、でもまだまだ未完成。
絶対に忘れちゃならないのが海苔である。これがあるとないとじゃ大違いなので、絶対に海苔だけは忘れないように。
<コツ>
・茹で湯には塩をたっぷりと
・塩加減の調整は茹で湯で
・納豆には絶対に火を通さない
・タレとカラシは入れちゃった方がいい
・海苔+白ワイン+バターが肝
納豆が前面に出てくるメニューなので、納豆嫌いの人には間違っても薦められないが、納豆が大好きという人ならば覚えておいた方がいいと思う。
ぶっちゃけてしまうと、たったこれだけの材料で店で出しても通用するレベルの納豆パスタが家庭で作れてしまうのである。
今回は冷蔵庫の中に余ってた豚肉やエリンギなどを使ったけれども、なければ他のある物で構わないし、極端に言えばニンニクさえあれば他の具材はどうでもいい。(強いて言うなら、普通の肉よりはベーコンをカリカリに焼いた方が合うと思う)
ネギも今回は長ネギを使ったが、タマネギに変えてもいいし、なければ入れなくてもいい。納豆パスタというと合う合わないが極端そうだけど、このレシピならかなり汎用性があるので、その時ある物をとりあえず入れちゃっていいんじゃないかと。(ただしシンプルに作った方が安全ではある)
店で食べる納豆パスタにいまいち納得できないとか、納豆が好きでたまらないという方は、騙されたと思ってぜひお試しあれ。
気付けば週に2~3回くらいその時ハマっている料理を作るという、同居人 泣かせな流れに陥るのだ。「中1日でまた先発登板かよ!」 みたいな。
で、今現在なににハマっているかというと、"ハヤシライス" と "納豆パスタ" というよくわからない取り合わせである。
その内ハヤシライスの方は無難っちゃ無難なレシピなので、今回は納豆パスタの方をご紹介しようと思う。
今回使う材料はこんな感じ。
<2人前>
■ニンニク(2~3かけ)
・長ネギ(具材用と薬味用で1本)
・えりんぎ(3本くらいをスライス)
・豚肉(たまたま余ってた肩ロースを50gくらい)
※仕上げ用
■納豆(ひき割りを2パック)
■海苔
■バター
■白ワイン
この中で、絶対に必要な材料は■印の物だけ。それ以外はその時冷蔵庫の中にある物でどうにでもなるので、あまり深く考えなくても大丈夫。
後で説明するけど、致命的に合わない具材ってのが実は意外と少なかったりする。
まずはペペロンチーノを作る要領で、フライパンにサラダ油を敷き、火をかける前からニンニクを投入する。油はオリーブオイルでもごま油でも構わないが、風味がかなり変わるので、一度クセのないサラダ油で作ってみて、気に入ったら他の油に変える方が無難。
また、ペペロンチーノの要領でと言いつつも、最初は鷹の爪は入れないで作った方がいい。これも一度食べてみて、ピリっとした味が入っても平気だと思った場合のみ入れるようにすべきかと。
ニンニクに色が付いてきたら、入れたい具材を適当にぶち込んで炒める。この時に軽く塩胡椒で下味を付けておく。
頃合を見てパスタを茹で始め、4~5分経った所で茹で湯を入れて乳化させる。
基本的にシンプルな塩味パスタを作る感じなので、直接塩を振るよりは、茹で湯の量で塩加減を調整した方が安全。したがって、茹で湯にはある程度しっかりと塩を入れておきたい。
完全に独学なのでプロの人がどう言うかわからないが、個人的に塩味ベースのパスタを作る場合は、繰り返しになるけれども茹で湯で塩加減を調整する方が簡単だと思う。ソースっぽくなって麺に絡め易くなるし、直接塩を振るよりも失敗が格段に減る気がする。
そして最後の仕上げに登場するのが白ワイン様とバター様。塩味パスタの場合は、致命的に塩加減を失敗しさえしなければ、この2つさえあればどうにでもなる。
パスタが茹で上がったら、具材を炒めているフライパンに麺を投入し、バターを落とし、白ワインを振りかけて全体的に味を馴染ませる。
程よい所で皿に盛り付けて本日の主役の登場。
THE納豆!
コツとしては、パックに付いているタレやカラシを全部入れてしまうこと。普通に白いご飯で食べる時と同様に、タレとカラシを入れてかき混ぜてしまうのだ。
それを盛り付けたパスタの上に乗せ、その上から薬味用の長ネギ(青い部分) を散らす。絵的にはこれだけでも美しいが、でもまだまだ未完成。
絶対に忘れちゃならないのが海苔である。これがあるとないとじゃ大違いなので、絶対に海苔だけは忘れないように。
<コツ>
・茹で湯には塩をたっぷりと
・塩加減の調整は茹で湯で
・納豆には絶対に火を通さない
・タレとカラシは入れちゃった方がいい
・海苔+白ワイン+バターが肝
納豆が前面に出てくるメニューなので、納豆嫌いの人には間違っても薦められないが、納豆が大好きという人ならば覚えておいた方がいいと思う。
ぶっちゃけてしまうと、たったこれだけの材料で店で出しても通用するレベルの納豆パスタが家庭で作れてしまうのである。
今回は冷蔵庫の中に余ってた豚肉やエリンギなどを使ったけれども、なければ他のある物で構わないし、極端に言えばニンニクさえあれば他の具材はどうでもいい。(強いて言うなら、普通の肉よりはベーコンをカリカリに焼いた方が合うと思う)
ネギも今回は長ネギを使ったが、タマネギに変えてもいいし、なければ入れなくてもいい。納豆パスタというと合う合わないが極端そうだけど、このレシピならかなり汎用性があるので、その時ある物をとりあえず入れちゃっていいんじゃないかと。(ただしシンプルに作った方が安全ではある)
店で食べる納豆パスタにいまいち納得できないとか、納豆が好きでたまらないという方は、騙されたと思ってぜひお試しあれ。
関東屈指のマイナー武将 小田氏治タン こそ戦国最強の萌えキャラ
常陸小田氏の15代当主に氏治という人物がいる。彼の父小田政治は堀越公方と呼ばれた足利政知の子であり、名君と呼んで差し支えない功績を挙げた人物だった。
この小田氏は源頼朝に従って戦功を挙げた八田知家(はったともいえ) を祖としており、南北朝時代には南朝方に属し関東の有力家として君臨。代々常陸に基盤を置いていた名家といえる家柄である。
しかし時は流れて戦国時代。
小田家の15代当主となった氏治様は、その血筋の良さをぶち壊しにするくらい (負の方向に) 凄かった……。
<説明の前にKOEIの能力値を並べておきますねー>
(以下能力値は火間虫入道さんより)
・天翔記 政114B 戦110C 智76B
※天翔記は他のシリーズと異なり、能力値は成長したり衰えたりと大きく変動する。この数値は限界値であり、数字の隣のアルファベットが成長しやすさを現している。ちなみに数値の上限は200で、成長力はA・B・Cの順に伸びやすい。
・将星録 政56 戦50 智41
※思えばこれが氏治タンの最盛期だった。
・烈風伝 政47 戦39 采42 智27
※シリーズを追うごとに微妙に劣化していく氏治タン。
・蒼天録 政37 統36 知34
※この辺りになると日本でも有数の凡将のポジションに。
・嵐世記 政36 采32 智22
※もはやこのレベルになると、今川氏真タンや一条兼定タン辺りに匹敵するボンクラである。
・蒼天録 政37 統36 知34
※何が起きたのか、急に知略の評価が上昇する。
・天下創世 政38 統37 知35
※なんと全パラメータが上昇している!1ずつだけど!
・革新 統40 武19 知38 政42
※武力だけがガコンと下がり、他は全体的に上昇。
・天道 統40 武19 知38 政42
※「もうこんなマイナー武将なんかどうでもいいよ」という神の声が聞こえてきそう。前作と全く能力値が変わらないという金字塔を打ち立てた氏治タンに乾杯。
KOEI評価というのはかなりアテにならないので、こんな数字を並べたところでなんだという話なんだが、それにしても氏治タンに対する低評価っぷりは凄い。ここまで来ると小田家に恨みを持つ人間による誹謗中傷なんじゃないかとすら思う。
しかも同じシリーズ通しての凡将代表である氏真や兼定などは、もはや恒例のネタと化しており、ある意味でキャラが立っているという面白味がある。
それと比較すると、氏治タンはオリジナリティの欠片もなく、単に使えないザコなのだ。
試しに彼らと氏治タンの最新作天道でのパラメータを並べてみよう。
小田氏治 統40 武19 知38 政42
一条兼定 統7 武3 知4 政29
今川氏真 統10 武6 知8 政70(!!!!!)
え、70?政治70?
なにそれびっくりした!
最近の氏真タンはこんなに優秀なのか!?
氏真先輩すいません、ちょっと手違いでこんなザコどもと並べてしまいました!
蒼天録だと 【政33 統4 知7】 なのに、氏真さんに一体なにが!?
さて、あまりの衝撃に話が氏真さんに持って行かれそうなので、慌てて氏治タンに戻す。
ノブヤボってのは基本的に "イメージ" で能力を決めているため、講談やマンガで人気のある武将の能力はインフレを起こしている反面、有名武将に功績を奪われて酷い評価がされている武将もいたりする。
インフレ組でいうと、謙信の戦闘力が異常に高かったり、花の慶次効果で前田利益が謎の軍神と化してたりってのがいい例。
かと思うとオレが真田家で最も優秀だと思っている真田信之は、弟の幸村に功績を奪われていまいちピンと来ない可哀想な能力値にされてしまっている。(真田の家を守ったのは誰なんだって話だ!戦功だって幸村以上にあるのに理不尽だ!)
で、近頃のノブヤボシリーズは、過去に日の目を見なかったマイナー武将でも史実を評価して能力が上がったりする傾向にあるんだが、氏治タンにはそんな流れは関係ない。
むしろただでさえ低い能力を、さらに下げられている有り様である。
ではその小田氏治という人物はどういう経歴の持ち主なのか、オレが常駐している2ちゃんの某スレを参考にご紹介しよう。
-----
「天才的な戦下手」小田氏治
■小田氏治■■
264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 00:59:06 ID:/Ynn8Ghp
戦国の常陸といえば、大抵真っ先に鬼佐竹が出る人が多いと思うんだが
今回はそんな佐竹を背後からつついては殴られ続ける生涯をおくったとある名族の話
常陸の小田氏は、関東八屋形にも名を連ねる鎌倉時代から続く名門中の名門だった
ただ名門というだけではなく、室町時代末期までは、
370年の長きに渡り、常陸国筑波郡とその周辺を支配した大豪族であったのだ
ところが例によって関東の名族にありがちな没落フラグが、
小田氏最後の名君、小田政治の晩年に立ってしまう
河越夜戦で古河公方に加勢してしまうのだ
河越で討ち死にこそしなかったが、政治はその後程なくして死去した
そして嫡男の氏治が14歳で家督を継ぐことになったわけなのだが
これで氏治が佐竹義重のような名将だったら歴史が変わっていただろう
氏治は一言で言うと「天才的な戦下手」であった
どんなに動員数が勝っていようが、どんなに外交の状況が有利だろうが
氏治が指揮を取っている、というそれだけで大潰走を引き起こす
上杉謙信とは別方向の意味で天才であった
結城氏に攻められて敗北し、主城を落とされ落ち延びる
多賀谷氏を攻めるも敗北し、逆に主城を落とされる
佐竹配下の太田資正と戦い敗北し、主城を落とされる
氏治にはカッとすると冷静に行動せずに最悪の場所に突っ込む癖や
一つの目的があるとそれだけに固執し果たすまで諦めないきらいがあり
そんな性格を利用されては策にはめられてしまうという一軍の大将としては致命的な欠点があった
ところが奇妙なもので、こんな氏治には命を懸けて忠誠を誓う優秀な家臣達が少なくなく
400年近くに渡って小田氏に支配されてきた領民は、小田氏をよく慕っていた
譜代の家臣であった菅谷一族は、菅谷政貞・範治親子を始めとして
敵からも賞賛されるほどに優秀な武将達であったが、
氏治が何度敗北しようと、主城を落とされようと、敵に降伏しようと、
嫡男が討ち死にしようと、変わらぬ忠誠で氏治を支え続けた
領民達も、自分たちの屋形は小田のお屋形様を除いてはいない!と
氏治を退けてやってくる他国の武将にはなかなか頭を垂れなかった
彼らは新しい領主に年貢を納めるのを拒否し、氏治の元にだけ年貢を納め続けた
265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 00:59:55 ID:/Ynn8Ghp
1558年、越後の上杉景虎が関東の戦国世界に介入を開始する
佐竹・多賀谷といった小田氏の敵対勢力は早速その助力を仰いでいた
氏治は数回小田城を落とされ、それを取り返し、また奪われと
彼にしては十分すぎるほど善戦したが、軍神と負け戦の天才の戦いである
結局最後には大敗北し、小田氏は上杉に降伏、後の鬼佐竹義重の父、義昭と講和した
その後はしばらく軍神率いる上杉軍の下で佐竹氏や宇都宮氏と共に
結城氏を攻めたり、小田原を囲んだりしていた氏治だったが
暴れ疲れた軍神が越後に帰るとすぐに、佐竹氏からじわじわと圧力をかけられ始める
1563年、佐竹の圧力に耐えられなくなった氏治は謙信を裏切り北条に鞍替えをした
この行動は当然上杉を怒らせ、早速小田は佐竹・宇都宮・上杉から攻められる
氏治はまた負けて主城を追われ、土浦城に逃げ込んだ
この時奪われた土地は大半が佐竹のものとなった
がしかし、しばらくして領地奪還のチャンスがやってきた
佐竹義昭が死に、息子の義重が家督を継いだのだ
「当主の代替わりがあった時に攻め込むのは関東じゃご祝儀みたいなもんだよね」
とばかりに氏治は佐竹に取られた旧領に攻め込み、小田城を取り返した
ところが、これが再び軍神をブチ切れさせることになる
「喪も明けてない内から、代替わりがあったばかりの家に攻め込む不義、捨ておけぬ!」
義人謙信に関東の常識など通用しない
小田城は怒りの総攻撃を受けまた落城、氏治はまた土浦城に逃れた
捕らえられた小田の人間は人身売買にかけられたという
謙信はそれほど怒っていたのだ
氏治は結局また、城を二度と修復しないことを条件に上杉に降伏した
しかし上杉に降伏しても佐竹が攻めてこないわけではない
佐竹は徐々に小田の領土を浸食し、たびたび焼き討ちにも現れた
こんな状況では他に方法も無いと謙信に頼み込んで佐竹討伐を願ったが
上杉にとって関東では大事な同盟国である佐竹を謙信は攻めてはくれなかった
小田はこの後、太田資正・梶原景国・真壁氏幹といった佐竹配下の猛将に、
何度もフルボッコにされながら、なんとか小田城を死守していたが
戦に勝てない大将が指揮しているわけだからそれも続かない
266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 01:01:55 ID:/Ynn8Ghp
1573年、佐竹の猛攻の前に小田城が最後の落城をする。
以降氏治は小田城を奪還できなかった
ここにきても氏治のどうしようもない運の悪さと戦下手は治らなかった
氏治は小田城の奪還にこだわって、それを知る太田資正の采配に踊らされ続けた
負け戦に続く負け戦で、いよいよ残る拠点は藤沢城と土浦城のみになってしまう
小田氏の家臣達は小勢ながらここが死にどころであると奮起し、最期の戦いに討って出た
まず、藤沢城が落ちる
主将・由良憲綱、戸崎長俊等多くの家臣がここに討ち死にした
更に最後の城、土浦城が佐竹軍に完全包囲される
そんな中でも裏切りは少なく、家臣達は沼尻播摩守を屋形の身代わりとし
氏治とその子守治を城から脱出させると城に火を放ち、
16騎の侍大将が佐竹軍に切りかかり討ち死にした
身代わりとなった沼尻播摩守は城内で切腹した
脱出した氏治にもう他に手はない
一路小田原を目指し、北条氏に息子を人質として差し出すと必死に懇願し助けを乞うた
氏治の懇願を北条は聞き届け、北条氏房が土浦城を攻めた
ところがこの土浦城には、佐竹に捕縛され降伏していた旧小田家臣、菅谷範政が入っていた
範政は喜んで再び小田に降り、城をそのまま明け渡した
彼はいまだに小田への忠義に生きていたのだ
なんとか滅亡を免れたものの、隣の佐竹は相変わらず強大だった
ある程度旧領を回復した氏治は、佐竹と相変わらず小さな衝突を繰り返しながら、
協調してみたり、逆らってみたりと、喉元の小骨のような小さな嫌がらせをしていく
この頃になると、佐竹は伊達氏の南下の動きの前に北部へ兵を集中させねばならなくなった
こういうチャンスを狙って、また氏治は旧領奪還を狙う
彼は未だに小田城を取り返すことにこだわっていた
そして今度こそは奪還できるかと思われた
が、しかしここで関東の戦国が突如終了する
267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 01:03:49 ID:/Ynn8Ghp
秀吉がやってきたのである
親豊臣の佐竹と敵対していた上に北条の勢力下にいて、
しかも秀吉の元に参じなかった小田氏はあっさりと改易された
小田氏治の生涯をかけた戦いはそれですっぱり終わってしまった
全てを失った氏治は娘が結城秀康の側室であったことから秀康の元で客分として迎えられ、
宿敵であった佐竹が関ヶ原で負けた西軍について大騒ぎになっているのを知ってか知らずか
1601年、越前で死んだ
戦国時代の最後の最後まで、弱小ながら戦国大名であり続けたとある主君のお話
小田氏補足・氏治様の鮮やかすぎる戦歴
326 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/19(木) 19:30:16 ID:Y60o4/wH
余計なもの書いた感もあるが、時間掛けてしまったので投下させて下され。
『小田氏補足・氏治様の鮮やかすぎる戦歴』
wikipediaで『名君』と書かれても問題無いほどの、名君・小田政治の跡を継いだ
氏治だが、先に投下された様に連戦連敗。
軍神・上杉謙信の襲来や、鬼義重こと佐竹義重が登場と、随分積んだ状況になって
いたが、家臣と領民の助けによりなかなか滅びない。
小田の所領は、それほど小さくなかった。
常陸=佐竹のイメージを付けられているが、政治全盛期では佐竹に継ぐほど
(超すほどかは不明)の所領を持っていた。
正確な石高の対比などの資料が手元に無いが、大雑把に言って、佐竹領は常陸東北、
小田領は南西といった所で、佐竹領と言われがちな中央、水戸の周辺は江戸氏(佐竹には
臣従しきっていない)が、他の常陸各地では大掾氏の一族が広く分布していた。後に佐竹
にて謀殺される鹿島三十三館(霞ヶ浦・北浦の隣)もこの大掾氏で、バリバリの現役。
※一部の真壁氏幹らの様に、早くに佐竹へ臣従した大掾氏もおり、必ずしも大掾氏が
一族団結して勢力を張っていた訳では無い。
取りあえず小田領は、氏治が継いだ頃はそこそこ広く、居城は小田城だけど、持ってる
城は土浦以外にも結構あったという事を軽く覚えておきつつ、以下を御読み下さいな。
勢力説明はこの辺で、氏治様の鮮やかすぎる戦歴へ(長いよ)
1556年 北条・古河公方・結城以下諸氏に攻められる。
氏治救援に行く→負け。海老名城を取られる。
おまけで小田城も取られ、土浦城に逃げる。
氏治体勢を立て直し、小田城奪還。次いで海老名城も奪還し、旧領回復。
→が、城以外の失地は回復不足。
1557年 氏治、多賀谷氏の下妻城攻め→佐竹援軍により大敗。土浦城へ。
1558年 長尾(景虎時代)・佐竹・多賀谷氏に攻められる。
小田城→3~4回攻められ、氏治も3~4回土浦城へ。
1559年 土浦城主・菅谷政貞により小田城を奪還してもらう。
氏治も旧領奪還の為、結城城を攻める→落とせず撤退
→氏治の撤退に乗じて、北條城,海老名城がそれぞれ結城・佐竹に奪われる。
また、他家(小高氏)の内紛に加勢してたら、
大掾氏に所領を攻められて、どっか2城ほど落城してたでござるの巻。
→加勢しに行った自分も、退陣中を追撃されて敗北したでござるの巻。
→色々ともう無理なので、長尾景虎に降参するでござるの巻。
1560年 (和睦した)佐竹らと結城攻め。古河公方の調停で海老名城が小田へ返却に。
1561年 長尾景虎の小田原攻めに、関東諸侯と共に参加。特に何も無く無事帰還。
1563年 長尾景虎との約束破って北条に付く。
1564年 軍神襲来警報につき、海老名城落城。
小田勢・信田頼範、岩槻(茨城の?)坂戸城を落とすがすぐ取り返される。
氏治、山王堂で上杉・佐竹・宇都宮と戦う→負け。
→小田城捨て、藤沢城捨て、また土浦城へ逃げ延びる。
一時、小田城を奪還するも佐竹の攻撃にまたry。領地を30余ヵ所程奪われる。
1565年 佐竹当主・義昭死去。それに乗じ小田城を夜襲し奪還。更に木田余城も奪還。
→…しかし、佐竹を継いだのは鬼・義重。
→そして、この報を聞いた上杉謙信は大変怒り、本気になってしまった。
→ここからが本当の地獄だぜ。
327 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/19(木) 19:31:55 ID:Y60o4/wH
続き。
1567年 佐竹と上杉、鬼と軍神による小田城総攻撃始まる。
(>>265,297とかなり被ってきてるので、以下は城・所領の動きのみ)
小田城落城。片野城、柿岡城も策略?により佐竹側へ。
1568年 上杉謙信への降伏により小田城・海老名城返還?
1569年 海老名城が佐竹に降伏。小田城は落城せず→だが、城下・近隣は火の海に。
手這坂の戦いにより、佐竹の柿岡城は落ちずに、小田方の小田城が落城。
1570年 佐竹、筑波の小田領を占領。
1572年 小田城奪還
1573年 >>297の新年祝いにより小田城落城。が、その後1月20日までに小田が奪還し、
4月11日までに再び佐竹に奪われるという異次元の動きを見せる。
その後、小田方の戸崎城降伏→甲山城は放棄→藤沢城落城
1574年 佐竹により土浦城,宍倉城落城。戸崎城も降伏。
が、>>266の菅谷範政により土浦城が氏治の手に戻る。
1577年 氏治、手子生城を奪還。所領も一部回復。
1578年 佐竹により、木田余城落城。小田方が一時取り返すも、いつも通りまた落城。
1583~89年 氏治、佐竹に臣従するが、勝手に旧領奪還の軍を起こしたりDQNぷり。
この頃、我等が愛するDQN政宗が常陸に手を伸ばし初めており、
義重もいつまでも氏治にかまっていられなくなる。
→氏治に関する苦情・相談は、太田・梶原までお願いします。
1590年 太田資正らの強固なガードにより小田城落城せず。
→小田原征伐終了につきゲームオーバー。『氏治 ~そして改易へ~』
以前調べた記憶じゃ自信がなかったので、こちら↓のサイトを見せて頂きながら書きましたよ。
http://www.rekishi.sagami.in/tukuba.html
おまけ:氏治様における、自分と友人の基本認識。
氏治「菅えもんー助けてよー、ジャイアンに小田城取られちゃったよー」
菅谷以下家臣団「仕方ないなあ、氏治様は」
領民「放っとけないもの」
小田氏治、その特徴の発揮
297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 03:52:14 ID:YtbKjVbz
永禄12年(1569年)11月、
常陸統一を狙う佐竹義重は、いい加減にしぶといっつーかうざい小田氏を滅ぼそうと
ちょうど佐竹に転がり込んでいた客将・太田資正に命じて小田氏治を挑発させた
早速資正が配下の上曽と小幡が逆心を抱いているという流言を流すと
単純な氏治は信じて両者を討伐するため兵を出す
まず氏治の特徴がここで発揮される
あまりものを深く考えないのだ
実は資正、佐竹に転がり込む前は半年ほど小田の世話になっていたことがあり
小田氏治の考え方ややりそうなことを大体把握していた
氏治は手勢3770騎を率いて手這坂を越え、小幡に向かった
この間、上曽・小幡の両名より弁明の便りが届くが、
氏治は思い込んだら基本的に考え直さない男であるから黙殺した
同時に佐竹側も太田資正が同じ上曽・小幡を攻め始める
更に敵に真壁久幹の援軍がここにやってくるという情報が小田軍に入る
「もしかして、は……謀られた!」
氏治はここで敵に乗せられたことに気がついた。そしてキレた
一旦は手這坂を下り退却しかけたが、このまま退却などカッコ悪いと思ったのか
小田軍はいきなり引き返すとそのまま太田軍を迎撃し始めた
いやもうgdgdである……が、これがもっと酷くなるのが小田クオリティ
佐竹軍は三丁の当時はまだ珍しかった鉄砲を小田軍に撃ちかけた
ジリ貧田舎侍な小田の兵は誰もそんなもの見たことがなかったから、
その鉄砲に将が一人討ち取られると一斉に恐慌をきたして混乱した
そこを更に坂の上から太田資正、小田軍の背後から真壁久幹が挟撃したのだからたまらない
そのまま総崩れになり300騎以上が討ち死にすることとなった
真壁軍はそのまま小田城に向かうと城に残った将兵に
「お屋形様が無事帰ったよー!」と偽の連絡をしたのだが
守将達はそれを聞くと氏治の帰還だと喜んで城を開けてしまい
小田城もあっさりと落ちる
潰走した氏治は例によって菅谷氏の勧めを受けて藤沢城に逃亡し、
再び小田城奪還を固く心に誓うのだった
……数年後1573年元旦、色々あって氏治は小田城奪還には成功していたのだが
毎年恒例のものとして開いていた新年祝いの宴会中にまたまた資正に攻められ
祝い酒に酔っていた所、再び小田城を攻め取られてしまう
以降彼は小田城奪還を固く心に誓い……
果たせずに終わるのだった
小田氏治の小田城奪還物語最終章
306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 13:23:55 ID:QKDDGCHs
面白いって程でもないが、
小田氏治の小田城奪還物語最終章。
文字通り不屈の闘志で小田城奪還を試みた小田氏治。
寄せては返す波の如く落城→奪還を繰り返したが、
ついに精魂尽き果てた1583年、人質を差し出し佐竹義重に降伏した。
名門ということもあってかそのまま仕えることを許されるも、
すでに家督を嫡男・守治に譲っていた氏治は、
義重より与えられた藤沢城にてご隠居生活を送った。
時は流れて…。
九州を平定した豊臣秀吉は、
北条氏政を討伐すべく大軍を集結させ、今まさに関東へ向かおうとしていた。
天下の耳目がことごとくこの戦いに向いている最中、一人の男が立ち上がった。
小田氏治その人である。
突如藤沢城で挙兵した氏治は息子の守治と共に、
梶原政景が守る故郷・小田城へ猛進した。
「げぇっ、氏治!」
と言ったかは定かではないが、小田父子はそれなりに奮戦し政景を困らせた。
が、そこはやっぱり小田氏治。
お約束通り敗走し、さらには藤沢城までも追い出されてしまった。
放浪の身となった小田父子は、
関東にやってきた秀吉に旧領復帰を嘆願するも、
惣無事令違反とみなされたのかいともあっさり却下。
浅野長政のとりなしにより、結城秀康の食客となりなんとか一命は取りとめた。
結城秀康移封の際、彼はどのような心持ちで越前へ向かったのだろうか…。
小田氏治、家臣の言葉を聞き入れず
408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 22:09:41 ID:+Q7cUxT+
小田氏治、家臣の言葉を聞き入れず
一、手這山の戦直前
佐竹義重は小田氏討伐のため真壁道無を派兵した。そして佐竹勢は
「片野に旗を揚げれば氏治は出る」と考えて氏治を挑発した。小田の重臣、
菅谷政貞は怒る氏治を諌めた。
「出陣はいけません!どうかご再考を!」
「駄目だ」
かくして出陣した氏治は見事に惨敗した。家臣の信太伊勢守は
「強も捨てる処あり、弱も用いる処あり。若鳶天狗にならず」と絶望し
出仕しなくなったため逆心を疑われて氏治に成敗された。
二、手這山の戦
戦いのさなか、真壁勢を発見した氏治はこれを叩くため坂を登ろうとした。
しかし、家臣たちは何かがおかしいと感じていたのである。
「真壁勢があまりにも少なすぎます。おそらく本隊は筑波山をまわって
挟み撃ちにするつもりです。早く引き上げるとしましょう」
「駄目だ」
具申を退けた氏治であったが、真壁の鉄砲のために敗北し、筑波山をまわり
こんだ敵本隊と合流した部隊によって小田城を落とされてしまうのだった。
三、手子丸の戦
天正になると小田家の命運も尽き始めていた。そんな時に小田家の智将、
天羽源鉄斎が氏治に遺言を残して死去した。
「よろしいか殿、絶対に野戦はいけませぬぞ。篭城して後詰を待つのです。
考えてもみて下さい、我ら小国が大国とまともに戦えるはずがありません。
国力に差があるのに一人が一人と戦って勝てますか?しかし篭城なら一人で
二十人と戦えるのです。ですから常に守勢にお立ちになることが重要なのです」
天羽の死を見た佐竹は手子生城に出兵した。
「ついに佐竹が攻めてきました。ここは亡き源鉄斎殿に従い篭…」
「駄目だ」
天羽の遺言を無視して出陣した氏治であったが、佐竹に挟撃されて敗北。
氏治はほうほうの体で逃げ戻った。
-----
戦国時代には数多くのナイスキャラが存在していたとはいえ、ここまで何度も本拠を落とされては奪還し、また落とされては奪還を繰り返した人間はそうはいない。
つうか本拠を落とされたら普通はそこで終わりのはずである。
しかし氏治タンは他にはない人徳があったのか、はたまたドジっ娘萌え美少女だったのか、何故か領民や家臣に愛され、忠誠を尽くしてもらい、最終的には天寿を全うしているのだ。
言ってみれば劉備というより劉邦に近い。
単なる無能な殿様というだけでは、絶対に家臣が分裂したり、去って行ったり、謀反を起こされたり、領民に愛想を尽かされて兵すら集められなくなって滅亡一直線ってのが当たり前なので、きっと何か特殊なスキルがあったに違いないのだ。
しかし史実にはそのような記述は一切なく、なぜ小田氏治がここまで不屈の戦いを続けられたのか不明なのである。いくら家柄がいいと言っても、当時はそんな価値観は大して意味を持たない時代だったろうし、本当にこの底力はどこから湧いてきたものなんだろう?
まさに "歴史のミステリー" と言える不思議さだ。
ここまで家臣が忠誠を尽くし、領民に愛されたならば、絶対にその理由がどこかに残っているはずなのに……。
まあしかし、氏治タンが敵に回した相手は軍神だの鬼義重だの関東の隠れた名将太田三楽斎だのトンデモ級の連中ばかりなので、14歳で家督を継いでそんな奴らと何十年も渡り合った功績だけは讃えてあげたい。
むしろそんな連中に何度も喧嘩売って、負けて、寿命で死ねたという点は凄すぎる。
世間に注目されない関東で、厄介な武闘派連中と必死に戦い続けた小田氏治という人間を、おまえらもよく覚えておくといいよ。
踏まれてもめげずに何度でも立ち上がる。明らかに勝てなさそうな相手にも果敢に立ち向かう。これぞ未曾有の大不況に晒された現代の日本人が見習うべき男の生き様である。
たぶん……。
この小田氏は源頼朝に従って戦功を挙げた八田知家(はったともいえ) を祖としており、南北朝時代には南朝方に属し関東の有力家として君臨。代々常陸に基盤を置いていた名家といえる家柄である。
しかし時は流れて戦国時代。
小田家の15代当主となった氏治様は、その血筋の良さをぶち壊しにするくらい (負の方向に) 凄かった……。
<説明の前にKOEIの能力値を並べておきますねー>
(以下能力値は火間虫入道さんより)
・天翔記 政114B 戦110C 智76B
※天翔記は他のシリーズと異なり、能力値は成長したり衰えたりと大きく変動する。この数値は限界値であり、数字の隣のアルファベットが成長しやすさを現している。ちなみに数値の上限は200で、成長力はA・B・Cの順に伸びやすい。
・将星録 政56 戦50 智41
※思えばこれが氏治タンの最盛期だった。
・烈風伝 政47 戦39 采42 智27
※シリーズを追うごとに微妙に劣化していく氏治タン。
・蒼天録 政37 統36 知34
※この辺りになると日本でも有数の凡将のポジションに。
・嵐世記 政36 采32 智22
※もはやこのレベルになると、今川氏真タンや一条兼定タン辺りに匹敵するボンクラである。
・蒼天録 政37 統36 知34
※何が起きたのか、急に知略の評価が上昇する。
・天下創世 政38 統37 知35
※なんと全パラメータが上昇している!1ずつだけど!
・革新 統40 武19 知38 政42
※武力だけがガコンと下がり、他は全体的に上昇。
・天道 統40 武19 知38 政42
※「もうこんなマイナー武将なんかどうでもいいよ」という神の声が聞こえてきそう。前作と全く能力値が変わらないという金字塔を打ち立てた氏治タンに乾杯。
KOEI評価というのはかなりアテにならないので、こんな数字を並べたところでなんだという話なんだが、それにしても氏治タンに対する低評価っぷりは凄い。ここまで来ると小田家に恨みを持つ人間による誹謗中傷なんじゃないかとすら思う。
しかも同じシリーズ通しての凡将代表である氏真や兼定などは、もはや恒例のネタと化しており、ある意味でキャラが立っているという面白味がある。
それと比較すると、氏治タンはオリジナリティの欠片もなく、単に使えないザコなのだ。
試しに彼らと氏治タンの最新作天道でのパラメータを並べてみよう。
小田氏治 統40 武19 知38 政42
一条兼定 統7 武3 知4 政29
今川氏真 統10 武6 知8 政70(!!!!!)
え、70?政治70?
なにそれびっくりした!
最近の氏真タンはこんなに優秀なのか!?
氏真先輩すいません、ちょっと手違いでこんなザコどもと並べてしまいました!
蒼天録だと 【政33 統4 知7】 なのに、氏真さんに一体なにが!?
さて、あまりの衝撃に話が氏真さんに持って行かれそうなので、慌てて氏治タンに戻す。
ノブヤボってのは基本的に "イメージ" で能力を決めているため、講談やマンガで人気のある武将の能力はインフレを起こしている反面、有名武将に功績を奪われて酷い評価がされている武将もいたりする。
インフレ組でいうと、謙信の戦闘力が異常に高かったり、花の慶次効果で前田利益が謎の軍神と化してたりってのがいい例。
かと思うとオレが真田家で最も優秀だと思っている真田信之は、弟の幸村に功績を奪われていまいちピンと来ない可哀想な能力値にされてしまっている。(真田の家を守ったのは誰なんだって話だ!戦功だって幸村以上にあるのに理不尽だ!)
で、近頃のノブヤボシリーズは、過去に日の目を見なかったマイナー武将でも史実を評価して能力が上がったりする傾向にあるんだが、氏治タンにはそんな流れは関係ない。
むしろただでさえ低い能力を、さらに下げられている有り様である。
ではその小田氏治という人物はどういう経歴の持ち主なのか、オレが常駐している2ちゃんの某スレを参考にご紹介しよう。
-----
「天才的な戦下手」小田氏治
■小田氏治■■
264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 00:59:06 ID:/Ynn8Ghp
戦国の常陸といえば、大抵真っ先に鬼佐竹が出る人が多いと思うんだが
今回はそんな佐竹を背後からつついては殴られ続ける生涯をおくったとある名族の話
常陸の小田氏は、関東八屋形にも名を連ねる鎌倉時代から続く名門中の名門だった
ただ名門というだけではなく、室町時代末期までは、
370年の長きに渡り、常陸国筑波郡とその周辺を支配した大豪族であったのだ
ところが例によって関東の名族にありがちな没落フラグが、
小田氏最後の名君、小田政治の晩年に立ってしまう
河越夜戦で古河公方に加勢してしまうのだ
河越で討ち死にこそしなかったが、政治はその後程なくして死去した
そして嫡男の氏治が14歳で家督を継ぐことになったわけなのだが
これで氏治が佐竹義重のような名将だったら歴史が変わっていただろう
氏治は一言で言うと「天才的な戦下手」であった
どんなに動員数が勝っていようが、どんなに外交の状況が有利だろうが
氏治が指揮を取っている、というそれだけで大潰走を引き起こす
上杉謙信とは別方向の意味で天才であった
結城氏に攻められて敗北し、主城を落とされ落ち延びる
多賀谷氏を攻めるも敗北し、逆に主城を落とされる
佐竹配下の太田資正と戦い敗北し、主城を落とされる
氏治にはカッとすると冷静に行動せずに最悪の場所に突っ込む癖や
一つの目的があるとそれだけに固執し果たすまで諦めないきらいがあり
そんな性格を利用されては策にはめられてしまうという一軍の大将としては致命的な欠点があった
ところが奇妙なもので、こんな氏治には命を懸けて忠誠を誓う優秀な家臣達が少なくなく
400年近くに渡って小田氏に支配されてきた領民は、小田氏をよく慕っていた
譜代の家臣であった菅谷一族は、菅谷政貞・範治親子を始めとして
敵からも賞賛されるほどに優秀な武将達であったが、
氏治が何度敗北しようと、主城を落とされようと、敵に降伏しようと、
嫡男が討ち死にしようと、変わらぬ忠誠で氏治を支え続けた
領民達も、自分たちの屋形は小田のお屋形様を除いてはいない!と
氏治を退けてやってくる他国の武将にはなかなか頭を垂れなかった
彼らは新しい領主に年貢を納めるのを拒否し、氏治の元にだけ年貢を納め続けた
265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 00:59:55 ID:/Ynn8Ghp
1558年、越後の上杉景虎が関東の戦国世界に介入を開始する
佐竹・多賀谷といった小田氏の敵対勢力は早速その助力を仰いでいた
氏治は数回小田城を落とされ、それを取り返し、また奪われと
彼にしては十分すぎるほど善戦したが、軍神と負け戦の天才の戦いである
結局最後には大敗北し、小田氏は上杉に降伏、後の鬼佐竹義重の父、義昭と講和した
その後はしばらく軍神率いる上杉軍の下で佐竹氏や宇都宮氏と共に
結城氏を攻めたり、小田原を囲んだりしていた氏治だったが
暴れ疲れた軍神が越後に帰るとすぐに、佐竹氏からじわじわと圧力をかけられ始める
1563年、佐竹の圧力に耐えられなくなった氏治は謙信を裏切り北条に鞍替えをした
この行動は当然上杉を怒らせ、早速小田は佐竹・宇都宮・上杉から攻められる
氏治はまた負けて主城を追われ、土浦城に逃げ込んだ
この時奪われた土地は大半が佐竹のものとなった
がしかし、しばらくして領地奪還のチャンスがやってきた
佐竹義昭が死に、息子の義重が家督を継いだのだ
「当主の代替わりがあった時に攻め込むのは関東じゃご祝儀みたいなもんだよね」
とばかりに氏治は佐竹に取られた旧領に攻め込み、小田城を取り返した
ところが、これが再び軍神をブチ切れさせることになる
「喪も明けてない内から、代替わりがあったばかりの家に攻め込む不義、捨ておけぬ!」
義人謙信に関東の常識など通用しない
小田城は怒りの総攻撃を受けまた落城、氏治はまた土浦城に逃れた
捕らえられた小田の人間は人身売買にかけられたという
謙信はそれほど怒っていたのだ
氏治は結局また、城を二度と修復しないことを条件に上杉に降伏した
しかし上杉に降伏しても佐竹が攻めてこないわけではない
佐竹は徐々に小田の領土を浸食し、たびたび焼き討ちにも現れた
こんな状況では他に方法も無いと謙信に頼み込んで佐竹討伐を願ったが
上杉にとって関東では大事な同盟国である佐竹を謙信は攻めてはくれなかった
小田はこの後、太田資正・梶原景国・真壁氏幹といった佐竹配下の猛将に、
何度もフルボッコにされながら、なんとか小田城を死守していたが
戦に勝てない大将が指揮しているわけだからそれも続かない
266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 01:01:55 ID:/Ynn8Ghp
1573年、佐竹の猛攻の前に小田城が最後の落城をする。
以降氏治は小田城を奪還できなかった
ここにきても氏治のどうしようもない運の悪さと戦下手は治らなかった
氏治は小田城の奪還にこだわって、それを知る太田資正の采配に踊らされ続けた
負け戦に続く負け戦で、いよいよ残る拠点は藤沢城と土浦城のみになってしまう
小田氏の家臣達は小勢ながらここが死にどころであると奮起し、最期の戦いに討って出た
まず、藤沢城が落ちる
主将・由良憲綱、戸崎長俊等多くの家臣がここに討ち死にした
更に最後の城、土浦城が佐竹軍に完全包囲される
そんな中でも裏切りは少なく、家臣達は沼尻播摩守を屋形の身代わりとし
氏治とその子守治を城から脱出させると城に火を放ち、
16騎の侍大将が佐竹軍に切りかかり討ち死にした
身代わりとなった沼尻播摩守は城内で切腹した
脱出した氏治にもう他に手はない
一路小田原を目指し、北条氏に息子を人質として差し出すと必死に懇願し助けを乞うた
氏治の懇願を北条は聞き届け、北条氏房が土浦城を攻めた
ところがこの土浦城には、佐竹に捕縛され降伏していた旧小田家臣、菅谷範政が入っていた
範政は喜んで再び小田に降り、城をそのまま明け渡した
彼はいまだに小田への忠義に生きていたのだ
なんとか滅亡を免れたものの、隣の佐竹は相変わらず強大だった
ある程度旧領を回復した氏治は、佐竹と相変わらず小さな衝突を繰り返しながら、
協調してみたり、逆らってみたりと、喉元の小骨のような小さな嫌がらせをしていく
この頃になると、佐竹は伊達氏の南下の動きの前に北部へ兵を集中させねばならなくなった
こういうチャンスを狙って、また氏治は旧領奪還を狙う
彼は未だに小田城を取り返すことにこだわっていた
そして今度こそは奪還できるかと思われた
が、しかしここで関東の戦国が突如終了する
267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/18(水) 01:03:49 ID:/Ynn8Ghp
秀吉がやってきたのである
親豊臣の佐竹と敵対していた上に北条の勢力下にいて、
しかも秀吉の元に参じなかった小田氏はあっさりと改易された
小田氏治の生涯をかけた戦いはそれですっぱり終わってしまった
全てを失った氏治は娘が結城秀康の側室であったことから秀康の元で客分として迎えられ、
宿敵であった佐竹が関ヶ原で負けた西軍について大騒ぎになっているのを知ってか知らずか
1601年、越前で死んだ
戦国時代の最後の最後まで、弱小ながら戦国大名であり続けたとある主君のお話
小田氏補足・氏治様の鮮やかすぎる戦歴
326 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/19(木) 19:30:16 ID:Y60o4/wH
余計なもの書いた感もあるが、時間掛けてしまったので投下させて下され。
『小田氏補足・氏治様の鮮やかすぎる戦歴』
wikipediaで『名君』と書かれても問題無いほどの、名君・小田政治の跡を継いだ
氏治だが、先に投下された様に連戦連敗。
軍神・上杉謙信の襲来や、鬼義重こと佐竹義重が登場と、随分積んだ状況になって
いたが、家臣と領民の助けによりなかなか滅びない。
小田の所領は、それほど小さくなかった。
常陸=佐竹のイメージを付けられているが、政治全盛期では佐竹に継ぐほど
(超すほどかは不明)の所領を持っていた。
正確な石高の対比などの資料が手元に無いが、大雑把に言って、佐竹領は常陸東北、
小田領は南西といった所で、佐竹領と言われがちな中央、水戸の周辺は江戸氏(佐竹には
臣従しきっていない)が、他の常陸各地では大掾氏の一族が広く分布していた。後に佐竹
にて謀殺される鹿島三十三館(霞ヶ浦・北浦の隣)もこの大掾氏で、バリバリの現役。
※一部の真壁氏幹らの様に、早くに佐竹へ臣従した大掾氏もおり、必ずしも大掾氏が
一族団結して勢力を張っていた訳では無い。
取りあえず小田領は、氏治が継いだ頃はそこそこ広く、居城は小田城だけど、持ってる
城は土浦以外にも結構あったという事を軽く覚えておきつつ、以下を御読み下さいな。
勢力説明はこの辺で、氏治様の鮮やかすぎる戦歴へ(長いよ)
1556年 北条・古河公方・結城以下諸氏に攻められる。
氏治救援に行く→負け。海老名城を取られる。
おまけで小田城も取られ、土浦城に逃げる。
氏治体勢を立て直し、小田城奪還。次いで海老名城も奪還し、旧領回復。
→が、城以外の失地は回復不足。
1557年 氏治、多賀谷氏の下妻城攻め→佐竹援軍により大敗。土浦城へ。
1558年 長尾(景虎時代)・佐竹・多賀谷氏に攻められる。
小田城→3~4回攻められ、氏治も3~4回土浦城へ。
1559年 土浦城主・菅谷政貞により小田城を奪還してもらう。
氏治も旧領奪還の為、結城城を攻める→落とせず撤退
→氏治の撤退に乗じて、北條城,海老名城がそれぞれ結城・佐竹に奪われる。
また、他家(小高氏)の内紛に加勢してたら、
大掾氏に所領を攻められて、どっか2城ほど落城してたでござるの巻。
→加勢しに行った自分も、退陣中を追撃されて敗北したでござるの巻。
→色々ともう無理なので、長尾景虎に降参するでござるの巻。
1560年 (和睦した)佐竹らと結城攻め。古河公方の調停で海老名城が小田へ返却に。
1561年 長尾景虎の小田原攻めに、関東諸侯と共に参加。特に何も無く無事帰還。
1563年 長尾景虎との約束破って北条に付く。
1564年 軍神襲来警報につき、海老名城落城。
小田勢・信田頼範、岩槻(茨城の?)坂戸城を落とすがすぐ取り返される。
氏治、山王堂で上杉・佐竹・宇都宮と戦う→負け。
→小田城捨て、藤沢城捨て、また土浦城へ逃げ延びる。
一時、小田城を奪還するも佐竹の攻撃にまたry。領地を30余ヵ所程奪われる。
1565年 佐竹当主・義昭死去。それに乗じ小田城を夜襲し奪還。更に木田余城も奪還。
→…しかし、佐竹を継いだのは鬼・義重。
→そして、この報を聞いた上杉謙信は大変怒り、本気になってしまった。
→ここからが本当の地獄だぜ。
327 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/19(木) 19:31:55 ID:Y60o4/wH
続き。
1567年 佐竹と上杉、鬼と軍神による小田城総攻撃始まる。
(>>265,297とかなり被ってきてるので、以下は城・所領の動きのみ)
小田城落城。片野城、柿岡城も策略?により佐竹側へ。
1568年 上杉謙信への降伏により小田城・海老名城返還?
1569年 海老名城が佐竹に降伏。小田城は落城せず→だが、城下・近隣は火の海に。
手這坂の戦いにより、佐竹の柿岡城は落ちずに、小田方の小田城が落城。
1570年 佐竹、筑波の小田領を占領。
1572年 小田城奪還
1573年 >>297の新年祝いにより小田城落城。が、その後1月20日までに小田が奪還し、
4月11日までに再び佐竹に奪われるという異次元の動きを見せる。
その後、小田方の戸崎城降伏→甲山城は放棄→藤沢城落城
1574年 佐竹により土浦城,宍倉城落城。戸崎城も降伏。
が、>>266の菅谷範政により土浦城が氏治の手に戻る。
1577年 氏治、手子生城を奪還。所領も一部回復。
1578年 佐竹により、木田余城落城。小田方が一時取り返すも、いつも通りまた落城。
1583~89年 氏治、佐竹に臣従するが、勝手に旧領奪還の軍を起こしたりDQNぷり。
この頃、我等が愛するDQN政宗が常陸に手を伸ばし初めており、
義重もいつまでも氏治にかまっていられなくなる。
→氏治に関する苦情・相談は、太田・梶原までお願いします。
1590年 太田資正らの強固なガードにより小田城落城せず。
→小田原征伐終了につきゲームオーバー。『氏治 ~そして改易へ~』
以前調べた記憶じゃ自信がなかったので、こちら↓のサイトを見せて頂きながら書きましたよ。
http://www.rekishi.sagami.in/tukuba.html
おまけ:氏治様における、自分と友人の基本認識。
氏治「菅えもんー助けてよー、ジャイアンに小田城取られちゃったよー」
菅谷以下家臣団「仕方ないなあ、氏治様は」
領民「放っとけないもの」
小田氏治、その特徴の発揮
297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 03:52:14 ID:YtbKjVbz
永禄12年(1569年)11月、
常陸統一を狙う佐竹義重は、いい加減にしぶといっつーかうざい小田氏を滅ぼそうと
ちょうど佐竹に転がり込んでいた客将・太田資正に命じて小田氏治を挑発させた
早速資正が配下の上曽と小幡が逆心を抱いているという流言を流すと
単純な氏治は信じて両者を討伐するため兵を出す
まず氏治の特徴がここで発揮される
あまりものを深く考えないのだ
実は資正、佐竹に転がり込む前は半年ほど小田の世話になっていたことがあり
小田氏治の考え方ややりそうなことを大体把握していた
氏治は手勢3770騎を率いて手這坂を越え、小幡に向かった
この間、上曽・小幡の両名より弁明の便りが届くが、
氏治は思い込んだら基本的に考え直さない男であるから黙殺した
同時に佐竹側も太田資正が同じ上曽・小幡を攻め始める
更に敵に真壁久幹の援軍がここにやってくるという情報が小田軍に入る
「もしかして、は……謀られた!」
氏治はここで敵に乗せられたことに気がついた。そしてキレた
一旦は手這坂を下り退却しかけたが、このまま退却などカッコ悪いと思ったのか
小田軍はいきなり引き返すとそのまま太田軍を迎撃し始めた
いやもうgdgdである……が、これがもっと酷くなるのが小田クオリティ
佐竹軍は三丁の当時はまだ珍しかった鉄砲を小田軍に撃ちかけた
ジリ貧田舎侍な小田の兵は誰もそんなもの見たことがなかったから、
その鉄砲に将が一人討ち取られると一斉に恐慌をきたして混乱した
そこを更に坂の上から太田資正、小田軍の背後から真壁久幹が挟撃したのだからたまらない
そのまま総崩れになり300騎以上が討ち死にすることとなった
真壁軍はそのまま小田城に向かうと城に残った将兵に
「お屋形様が無事帰ったよー!」と偽の連絡をしたのだが
守将達はそれを聞くと氏治の帰還だと喜んで城を開けてしまい
小田城もあっさりと落ちる
潰走した氏治は例によって菅谷氏の勧めを受けて藤沢城に逃亡し、
再び小田城奪還を固く心に誓うのだった
……数年後1573年元旦、色々あって氏治は小田城奪還には成功していたのだが
毎年恒例のものとして開いていた新年祝いの宴会中にまたまた資正に攻められ
祝い酒に酔っていた所、再び小田城を攻め取られてしまう
以降彼は小田城奪還を固く心に誓い……
果たせずに終わるのだった
小田氏治の小田城奪還物語最終章
306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 13:23:55 ID:QKDDGCHs
面白いって程でもないが、
小田氏治の小田城奪還物語最終章。
文字通り不屈の闘志で小田城奪還を試みた小田氏治。
寄せては返す波の如く落城→奪還を繰り返したが、
ついに精魂尽き果てた1583年、人質を差し出し佐竹義重に降伏した。
名門ということもあってかそのまま仕えることを許されるも、
すでに家督を嫡男・守治に譲っていた氏治は、
義重より与えられた藤沢城にてご隠居生活を送った。
時は流れて…。
九州を平定した豊臣秀吉は、
北条氏政を討伐すべく大軍を集結させ、今まさに関東へ向かおうとしていた。
天下の耳目がことごとくこの戦いに向いている最中、一人の男が立ち上がった。
小田氏治その人である。
突如藤沢城で挙兵した氏治は息子の守治と共に、
梶原政景が守る故郷・小田城へ猛進した。
「げぇっ、氏治!」
と言ったかは定かではないが、小田父子はそれなりに奮戦し政景を困らせた。
が、そこはやっぱり小田氏治。
お約束通り敗走し、さらには藤沢城までも追い出されてしまった。
放浪の身となった小田父子は、
関東にやってきた秀吉に旧領復帰を嘆願するも、
惣無事令違反とみなされたのかいともあっさり却下。
浅野長政のとりなしにより、結城秀康の食客となりなんとか一命は取りとめた。
結城秀康移封の際、彼はどのような心持ちで越前へ向かったのだろうか…。
小田氏治、家臣の言葉を聞き入れず
408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 22:09:41 ID:+Q7cUxT+
小田氏治、家臣の言葉を聞き入れず
一、手這山の戦直前
佐竹義重は小田氏討伐のため真壁道無を派兵した。そして佐竹勢は
「片野に旗を揚げれば氏治は出る」と考えて氏治を挑発した。小田の重臣、
菅谷政貞は怒る氏治を諌めた。
「出陣はいけません!どうかご再考を!」
「駄目だ」
かくして出陣した氏治は見事に惨敗した。家臣の信太伊勢守は
「強も捨てる処あり、弱も用いる処あり。若鳶天狗にならず」と絶望し
出仕しなくなったため逆心を疑われて氏治に成敗された。
二、手這山の戦
戦いのさなか、真壁勢を発見した氏治はこれを叩くため坂を登ろうとした。
しかし、家臣たちは何かがおかしいと感じていたのである。
「真壁勢があまりにも少なすぎます。おそらく本隊は筑波山をまわって
挟み撃ちにするつもりです。早く引き上げるとしましょう」
「駄目だ」
具申を退けた氏治であったが、真壁の鉄砲のために敗北し、筑波山をまわり
こんだ敵本隊と合流した部隊によって小田城を落とされてしまうのだった。
三、手子丸の戦
天正になると小田家の命運も尽き始めていた。そんな時に小田家の智将、
天羽源鉄斎が氏治に遺言を残して死去した。
「よろしいか殿、絶対に野戦はいけませぬぞ。篭城して後詰を待つのです。
考えてもみて下さい、我ら小国が大国とまともに戦えるはずがありません。
国力に差があるのに一人が一人と戦って勝てますか?しかし篭城なら一人で
二十人と戦えるのです。ですから常に守勢にお立ちになることが重要なのです」
天羽の死を見た佐竹は手子生城に出兵した。
「ついに佐竹が攻めてきました。ここは亡き源鉄斎殿に従い篭…」
「駄目だ」
天羽の遺言を無視して出陣した氏治であったが、佐竹に挟撃されて敗北。
氏治はほうほうの体で逃げ戻った。
-----
戦国時代には数多くのナイスキャラが存在していたとはいえ、ここまで何度も本拠を落とされては奪還し、また落とされては奪還を繰り返した人間はそうはいない。
つうか本拠を落とされたら普通はそこで終わりのはずである。
しかし氏治タンは他にはない人徳があったのか、はたまたドジっ娘萌え美少女だったのか、何故か領民や家臣に愛され、忠誠を尽くしてもらい、最終的には天寿を全うしているのだ。
言ってみれば劉備というより劉邦に近い。
単なる無能な殿様というだけでは、絶対に家臣が分裂したり、去って行ったり、謀反を起こされたり、領民に愛想を尽かされて兵すら集められなくなって滅亡一直線ってのが当たり前なので、きっと何か特殊なスキルがあったに違いないのだ。
しかし史実にはそのような記述は一切なく、なぜ小田氏治がここまで不屈の戦いを続けられたのか不明なのである。いくら家柄がいいと言っても、当時はそんな価値観は大して意味を持たない時代だったろうし、本当にこの底力はどこから湧いてきたものなんだろう?
まさに "歴史のミステリー" と言える不思議さだ。
ここまで家臣が忠誠を尽くし、領民に愛されたならば、絶対にその理由がどこかに残っているはずなのに……。
まあしかし、氏治タンが敵に回した相手は軍神だの鬼義重だの関東の隠れた名将太田三楽斎だのトンデモ級の連中ばかりなので、14歳で家督を継いでそんな奴らと何十年も渡り合った功績だけは讃えてあげたい。
むしろそんな連中に何度も喧嘩売って、負けて、寿命で死ねたという点は凄すぎる。
世間に注目されない関東で、厄介な武闘派連中と必死に戦い続けた小田氏治という人間を、おまえらもよく覚えておくといいよ。
踏まれてもめげずに何度でも立ち上がる。明らかに勝てなさそうな相手にも果敢に立ち向かう。これぞ未曾有の大不況に晒された現代の日本人が見習うべき男の生き様である。
たぶん……。
ブラジリアンレストラン・コパ(シュラスコ・成増)
ほんの何年か前まで、神宮前に 「コパ東京」 というシュラスコのお店があったんだが、なんだかんだで閉店してしまった。
あちこちで良い評判を聞いていた人気店だったんだが、家賃の問題なのか、ブラジル人のノリが日本に合わなかったのか、原因はわからんが繁盛していた割にクローズしてしまったのである。(一説には立ち退きを強要されたなんて話も)
それが今 「ブラジリアンレストラン・コパ」 として、なぜか成増に復活しているのである!
地下鉄の成増駅から徒歩1分、東上線の成増駅からは3分くらいの川越街道沿いという立地で、近くには道頓堀という有名なラーメン屋がある。
店内は席数が多く、駐車場もあるため、大人数にも対応してくれる嬉しいお店だ。
今回は板橋グルメブロガーQT の誕生日祝いという名目で、うちの奥さま が幹事を務めたのだが、それはそれは超適当な仕切りっぷりであり、単に酒を呑む言い訳欲しさにQTの誕生日を持ち出してきた感をヒシヒシと感じなくもない。
それはそうと、テーブルに置かれた部位の説明などを書いた紙が超気になる。牛の他にも鳥だの豚だのパイナップルだのまで揃っており、これが問答無用で全部出て来るそうな。
ほほう!
肉の到着を待つまで、とりあえずビールをピッチャーで注文。グラスで何杯も取れるのに2,000円という不思議なお得価格。おそらく1杯辺りの単価にしたら300円くらいじゃないか?
さらに、この店は基本的にメニューがシュラスコの食べ放題コースしかなく、席に付いたら肉もビュッフェの野菜類も全て食べたいだけ食べてヨシというステキなシステムになっている。
しかもそれが3,000円程度という 「算数が出来ない系」 の価格設定なんだからたまらない。さらに言うと、人数がある程度揃えば、飲み放題をつけても2時間4,000円ぽっきりというさらに不可解な金額になったりする。
やはりこの店の経営者は小学校で習う算数レベルの問題すら解けないらしい。
そういう食べ放題系のお店って、色々と残念な物が出てきがちなんだけれども、この店はちょっと違う。
ビュッフェが部屋になっていて、野菜・フルーツ類だけで何十種類も用意されており、それらが "ちゃんと美味しい" のだ。
さらにさらに、スープだのビーフシチューだの牛スジのコーヒー煮込みだの、ブラジル人のソウルフードことフェイジョアーダまであったりする。
これらが全て食べ放題!
まあなんて板橋的!
さっそく貧乏性を発症し、取り皿が大変な事になるオレ。
この後 "地獄のお肉祭り" が控えているというのに!
とかなんとか言いつつ、取ってきたサラダ等でビールをガバガバ呑んでいるところに、第一弾のチキンとソーセージが到着。
さりげなくさらに盛られたフライドポテトが憎らしい。これが美味しくなけりゃまだ食べないという選択肢もあるのに、味がビタっと決まったマックのポテトみたいなノリでジャンクで美味いから困る。
ビールとポテトで腹が膨れて、さだお名人早くも敗北の悪寒。
それはそうと、このチキンもソーセージもちょっとイイ!ソーセージは皮がしっかりしてて、噛むとパキっと感じ、次にジュワっと肉汁が出て来る。
そんでチキンの方はとにかく焼き具合が素晴らしい。香ばしさとジューシーさが程よく、どことなくジャンクな旨味もあって気に入った。
こちらコパの一番人気らしいイチボ肉。いわゆるローストビーフ的な食べ方になるんだけど、こいつが牛肉特有の旨味がぎゅ~~っと詰まってる感じで、さらに外側が意外とパリパリに焼いてあって、それでも赤身の部分はジューシーという素晴らしい完成度。
オレが前に別の店で食べたシュラスコでは、こんなミディアムレアなジューシーな肉は出て来なかった。もっとウェルダンというか、塩漬け肉かと思うようなパサパサな塩辛い肉を食わされた記憶が。
しかもここはレアなだけじゃなく、普通にお肉自体が美味い。
すげえなコパ。
そして隠れたMVPなんじゃないかと思うハツ。ガーリックが効いていて、これまたプリン♪と柔らかく焼き上げており、非常にうめえ。マジうめえ。
こちらは豚のバラ肉。
豚バラというと、いわゆるラーメン屋のチャーシュー的な物を想像しがちだが、ここのは香ばしさと脂身のトロトロさが見事に調和してて美味しい。
すげえな、食べ放題なのに牛だろうと鶏だろうと豚だろうと何でも美味いぞ。
続いて牛フィレとシシトウ。
この時点ですでにお腹の限界を感じており、せっかくの牛フィレだというのに表情がなくなるオレ。頑張れオレ。能面状態で食うなよオレ。
お次はトップサーロインさん。イチボ肉なんかと似ているローストビーフっぽさなんだけど、こっちの方がより肉々しいと感じた。
いわゆる 「赤身の肉をガツガツ食いてえ!」 という時は、イチボよりもこっちの方がいいかもしれん。
お店の人が 「コラーゲンたっぷりですよ!」 と言っていたスペアリブ。確かにトロットロで美味いんだが、試合終盤でこれを出されるとかなり腹にこたえる……。
もっと空腹だったら 「うめー!」 と喜んでたはずなのに、今となってはこのトロトロさが口の動きをかえって遅くするわけで……。
かと思ったら、ニンニクを効かせて焼いた肉の塊であるところの、ガーリックサーロインさんが到着。すでにMAX警報が頭の中で鳴り響いているというのに、ここで肉塊を持ってくるのか!殺す気か!
でもうめえ!なんかこう、野生に戻った感じでついついグニグニと喰らってしまう!
ニンニクだ!悪いのはニンニクの風味だ!
トドメに肩ロース。
もう記憶が残っておりません……。
これで全種類だというので頑張って食べましたが、味を感じる余裕がございませんでした。
この店は本当に悪い店だと思いました。
整腸剤くらいは用意して来た方がいいと思います。
かなりケミカルな事になります。
しかし!
この食後の焼きパイナップルでオレは蘇生した!
甘くて酸っぱくてちょうどいいデザートだ!
これが酵素パワーか!
というわけで、好評だったイチボ肉をお替り。
この店は全種類お肉が回ったらパイナップルで一休みして、それでもまだ食べたいお肉があったらホールの人にお願いして焼いてきてもらうというシステムらしい。
だが全種類食べる事自体が苦行なわけで、オレ様は全制覇+お替りしてみせたという喜びから即座にギブアップ。
ちなみにお腹一杯になったら、テーブルに置かれたカードを裏返して、「もう持ってくるな!」 と意思表示しないといけないらしい。
わんこそばのようなスタイルである。
お腹一杯なはずなのに、ソフトクリームとコーヒーが目の前にある不思議。ちなみにコレは食べ放題には含まれておらず別料金。(といっても100円とかなんだけどね)
今回は6人で思う存分飲み食いして、お会計が合計で2万4千円という不思議な金額であり、最低でもひとり5杯ずつくらいは酒を呑んでいた事を考えると異常な安さだ……。
■総評
味:☆☆☆(食べ放題とは思えぬクオリティ)
値段:☆☆☆(これは間違いなく安い)
品揃え:☆☆
店の雰囲気:☆☆
接客:☆☆☆
遠征:☆☆☆(コパ東京が好きだった人なんかはぜひ)
デート:☆☆☆
DQN率:?
備考:神宮前にあった時は一度も行けずじまいだったんだけど、なぜか成増に来てくれたお陰で随分と通いやすくなった。今となっては年齢的な問題で肉だけ食べるのが辛いんだが、ここならビュッフェに肉以外も色々と置いてあるし、どれもちゃんと美味しいし、アレコレと楽しめるお得すぎるお店である。これから忘年会シーズンに突入するし、幹事を押し付けられた可哀想な人は、騙されたと思ってここを頭に入れておくといいかもしれん。
店内は小奇麗で、トイレなんかもホテルのトイレのようにキレイなので、女性客でも安心できると思われる。狭くて汚くて和式が当たり前の板橋にあって、これは非常にレアだw
また、僻地板橋といっても成増は東上線の快速に乗れば池袋から1駅だし、副都心線・有楽町線でも来れるので、「板橋なんかそもそもどこにあるかしらねえよ!」 という人でも意外と来やすかったりする。おいでませ板橋。
■ブラジリアンレストラン・コパ(シュラスコ)
住所:東京都板橋区成増2-17-10
TEL:03-5383-8683
営業時間:11:30~13:30(ランチ) 17:00~22:00(LO)
定休日:無休
URL:ぐるなび
※色々とお得なコースなんかがあるみたいなので、幹事をやらされがちな人はチェックしとくといいかも。
オートモッドのジュネ兄さんを力いっぱい応援中
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あちこちで良い評判を聞いていた人気店だったんだが、家賃の問題なのか、ブラジル人のノリが日本に合わなかったのか、原因はわからんが繁盛していた割にクローズしてしまったのである。(一説には立ち退きを強要されたなんて話も)
それが今 「ブラジリアンレストラン・コパ」 として、なぜか成増に復活しているのである!
地下鉄の成増駅から徒歩1分、東上線の成増駅からは3分くらいの川越街道沿いという立地で、近くには道頓堀という有名なラーメン屋がある。
店内は席数が多く、駐車場もあるため、大人数にも対応してくれる嬉しいお店だ。
今回は板橋グルメブロガーQT の誕生日祝いという名目で、うちの奥さま が幹事を務めたのだが、それはそれは超適当な仕切りっぷりであり、単に酒を呑む言い訳欲しさにQTの誕生日を持ち出してきた感をヒシヒシと感じなくもない。
それはそうと、テーブルに置かれた部位の説明などを書いた紙が超気になる。牛の他にも鳥だの豚だのパイナップルだのまで揃っており、これが問答無用で全部出て来るそうな。
ほほう!
肉の到着を待つまで、とりあえずビールをピッチャーで注文。グラスで何杯も取れるのに2,000円という不思議なお得価格。おそらく1杯辺りの単価にしたら300円くらいじゃないか?
さらに、この店は基本的にメニューがシュラスコの食べ放題コースしかなく、席に付いたら肉もビュッフェの野菜類も全て食べたいだけ食べてヨシというステキなシステムになっている。
しかもそれが3,000円程度という 「算数が出来ない系」 の価格設定なんだからたまらない。さらに言うと、人数がある程度揃えば、飲み放題をつけても2時間4,000円ぽっきりというさらに不可解な金額になったりする。
やはりこの店の経営者は小学校で習う算数レベルの問題すら解けないらしい。
そういう食べ放題系のお店って、色々と残念な物が出てきがちなんだけれども、この店はちょっと違う。
ビュッフェが部屋になっていて、野菜・フルーツ類だけで何十種類も用意されており、それらが "ちゃんと美味しい" のだ。
さらにさらに、スープだのビーフシチューだの牛スジのコーヒー煮込みだの、ブラジル人のソウルフードことフェイジョアーダまであったりする。
これらが全て食べ放題!
まあなんて板橋的!
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この後 "地獄のお肉祭り" が控えているというのに!
とかなんとか言いつつ、取ってきたサラダ等でビールをガバガバ呑んでいるところに、第一弾のチキンとソーセージが到着。
さりげなくさらに盛られたフライドポテトが憎らしい。これが美味しくなけりゃまだ食べないという選択肢もあるのに、味がビタっと決まったマックのポテトみたいなノリでジャンクで美味いから困る。
ビールとポテトで腹が膨れて、さだお名人早くも敗北の悪寒。
それはそうと、このチキンもソーセージもちょっとイイ!ソーセージは皮がしっかりしてて、噛むとパキっと感じ、次にジュワっと肉汁が出て来る。
そんでチキンの方はとにかく焼き具合が素晴らしい。香ばしさとジューシーさが程よく、どことなくジャンクな旨味もあって気に入った。
こちらコパの一番人気らしいイチボ肉。いわゆるローストビーフ的な食べ方になるんだけど、こいつが牛肉特有の旨味がぎゅ~~っと詰まってる感じで、さらに外側が意外とパリパリに焼いてあって、それでも赤身の部分はジューシーという素晴らしい完成度。
オレが前に別の店で食べたシュラスコでは、こんなミディアムレアなジューシーな肉は出て来なかった。もっとウェルダンというか、塩漬け肉かと思うようなパサパサな塩辛い肉を食わされた記憶が。
しかもここはレアなだけじゃなく、普通にお肉自体が美味い。
すげえなコパ。
そして隠れたMVPなんじゃないかと思うハツ。ガーリックが効いていて、これまたプリン♪と柔らかく焼き上げており、非常にうめえ。マジうめえ。
こちらは豚のバラ肉。
豚バラというと、いわゆるラーメン屋のチャーシュー的な物を想像しがちだが、ここのは香ばしさと脂身のトロトロさが見事に調和してて美味しい。
すげえな、食べ放題なのに牛だろうと鶏だろうと豚だろうと何でも美味いぞ。
続いて牛フィレとシシトウ。
この時点ですでにお腹の限界を感じており、せっかくの牛フィレだというのに表情がなくなるオレ。頑張れオレ。能面状態で食うなよオレ。
お次はトップサーロインさん。イチボ肉なんかと似ているローストビーフっぽさなんだけど、こっちの方がより肉々しいと感じた。
いわゆる 「赤身の肉をガツガツ食いてえ!」 という時は、イチボよりもこっちの方がいいかもしれん。
お店の人が 「コラーゲンたっぷりですよ!」 と言っていたスペアリブ。確かにトロットロで美味いんだが、試合終盤でこれを出されるとかなり腹にこたえる……。
もっと空腹だったら 「うめー!」 と喜んでたはずなのに、今となってはこのトロトロさが口の動きをかえって遅くするわけで……。
かと思ったら、ニンニクを効かせて焼いた肉の塊であるところの、ガーリックサーロインさんが到着。すでにMAX警報が頭の中で鳴り響いているというのに、ここで肉塊を持ってくるのか!殺す気か!
でもうめえ!なんかこう、野生に戻った感じでついついグニグニと喰らってしまう!
ニンニクだ!悪いのはニンニクの風味だ!
トドメに肩ロース。
もう記憶が残っておりません……。
これで全種類だというので頑張って食べましたが、味を感じる余裕がございませんでした。
この店は本当に悪い店だと思いました。
整腸剤くらいは用意して来た方がいいと思います。
かなりケミカルな事になります。
しかし!
この食後の焼きパイナップルでオレは蘇生した!
甘くて酸っぱくてちょうどいいデザートだ!
これが酵素パワーか!
というわけで、好評だったイチボ肉をお替り。
この店は全種類お肉が回ったらパイナップルで一休みして、それでもまだ食べたいお肉があったらホールの人にお願いして焼いてきてもらうというシステムらしい。
だが全種類食べる事自体が苦行なわけで、オレ様は全制覇+お替りしてみせたという喜びから即座にギブアップ。
ちなみにお腹一杯になったら、テーブルに置かれたカードを裏返して、「もう持ってくるな!」 と意思表示しないといけないらしい。
わんこそばのようなスタイルである。
お腹一杯なはずなのに、ソフトクリームとコーヒーが目の前にある不思議。ちなみにコレは食べ放題には含まれておらず別料金。(といっても100円とかなんだけどね)
今回は6人で思う存分飲み食いして、お会計が合計で2万4千円という不思議な金額であり、最低でもひとり5杯ずつくらいは酒を呑んでいた事を考えると異常な安さだ……。
■総評
味:☆☆☆(食べ放題とは思えぬクオリティ)
値段:☆☆☆(これは間違いなく安い)
品揃え:☆☆
店の雰囲気:☆☆
接客:☆☆☆
遠征:☆☆☆(コパ東京が好きだった人なんかはぜひ)
デート:☆☆☆
DQN率:?
備考:神宮前にあった時は一度も行けずじまいだったんだけど、なぜか成増に来てくれたお陰で随分と通いやすくなった。今となっては年齢的な問題で肉だけ食べるのが辛いんだが、ここならビュッフェに肉以外も色々と置いてあるし、どれもちゃんと美味しいし、アレコレと楽しめるお得すぎるお店である。これから忘年会シーズンに突入するし、幹事を押し付けられた可哀想な人は、騙されたと思ってここを頭に入れておくといいかもしれん。
店内は小奇麗で、トイレなんかもホテルのトイレのようにキレイなので、女性客でも安心できると思われる。狭くて汚くて和式が当たり前の板橋にあって、これは非常にレアだw
また、僻地板橋といっても成増は東上線の快速に乗れば池袋から1駅だし、副都心線・有楽町線でも来れるので、「板橋なんかそもそもどこにあるかしらねえよ!」 という人でも意外と来やすかったりする。おいでませ板橋。
■ブラジリアンレストラン・コパ(シュラスコ)
住所:東京都板橋区成増2-17-10
TEL:03-5383-8683
営業時間:11:30~13:30(ランチ) 17:00~22:00(LO)
定休日:無休
URL:ぐるなび
※色々とお得なコースなんかがあるみたいなので、幹事をやらされがちな人はチェックしとくといいかも。
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創価と後藤組の暗殺密会テープが今の流行らしい!※一部修正&追記
というわけで、実にひさしぶりの東村山ネタである。
なんかもう訴訟連発で、どれもこれも自称愛国者どもの満額敗訴確定コースで、正直言うと他のお金になる事をやりたい気持ちで一杯だったんだが、瀬戸弘幸も矢野穂積も断末魔の叫びをあげているので、面白いから乗っかってみる。
-----
<瀬戸弘幸の記事 より引用>
公明党・創価学会の真実 平野貞夫 講談社(※リンク切れ)
-の部分における暴力団と創価学会の「密会ビデオ」
記事2(※リンク切れ)
村上正邦の元側近が語る。 『騒ぎの発端は、藤井さんと後藤組長の密会ビデオでした。 ... 藤井富雄公明党都議と後藤組長とされる人物の「密会ビデオ」があり、その中で藤井氏は反創価学会の立場にある人物らに対する襲撃依頼ともとれる発言をしていると報じている。 ...
創価学会と暴力団の関連についてはこちらを参照
創価学会の暗い闇創価学会を批判すると殺される?
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52279606.html
創価学会は暴力団と深い関係にありました。 かつては「反創価学会」の市民運動家に対して、山口組の後藤組の組員が自宅にブルドーザーで突っ込み、日本刀で男性をメッタ斬りする事件を起こしています。
-----
さらに、瀬戸らエセウヨク新風一味と足並みを揃えている現役市議こと矢野穂積もこのように煽っている。
-----
<東村山市民アジビラ より引用>
これが、「暗殺依頼密会ビデオ」の根拠報道だ!
なぜ「フォーラム21」記事を提訴しないか!関係者が震撼し、必死に存在を隠匿する事件究明の決定打!近日、詳細アップロード、乞うご期待!
※アジビラは相変わらずデザインセンスのかけらもない電波仕様なので、三羽の雀氏の記事 を読んだ方が気が楽です。
-----
はい、というわけで相変わらずの暗殺密会ビデオネタです。これがどういう代物なのかという点については、ネットゲリラさんの記事 を読んでみてください。
実は矢野穂積らがいうこのビデオテープ自体は、現物が手元にないとはいえ実在している物と考えられる。
しかし問題は、この密会ビデオの中で、本当に矢野や瀬戸が言うように、朝木明代の暗殺を依頼しているのかどうかなのだ。
これは公明と新進党時代の小沢との離間策のために用いられた物で、この後に自公連立へ向けての流れが加速したという背景がある。
自公体制のきっかけとなった一本のビデオテープ
「藤井は港区内のとある事務所で後藤租の後藤忠政組長に会い、反学会活動を続けている政治家など5人の名前をあげて、『どうにかならないか』という内容の相談をもちかけた。」
しかしだ、この中で 「反創価活動を続けている政治家など5人」 という文章が出て来るが、これがおかしい。
ちょっとこの記事を読んでみて欲しい。(東村山市民アジビラ )
①「月刊現代」平成旭年2月号「野中広務と創価学会」 魚住昭
『騒ぎの発端は、藤井さんと後藤組長の密会ビデオでした。亀井さんが入手したそのビデオのなかで、藤井さんは反学会活動をしている亀井さんら四人の名前を挙げ「この人たちはためにならない」という意味のことを言ったというんです。』
↓
↓
↓
②「国会タイムズ」平成9年5月5日号「噂のコラム」
「とんでもない情報が飛び込んで来た。名称は敢えて伏せるが、某団体幹部のF氏と"親密な関係"にあるA組組長との密会であった。 その内容とは、某団体を漂傍(誹謗の誤記か=引用者注)する『五人の暗殺計画」を、この組長に依頼していたとのことである。」
なんで一人増えてるんだよwww
その3ヶ月の間に何があったんだwww
しかも元ネタは 「ためにならない」 とか 「どうにかならないか」 という表現だったのに、いつの間にか 「暗殺依頼」 で確定しちゃってるし、しかも国会タイムズの方は最後に 「真偽不明」 って逃げを打ってるんだぜ?
ようはこういう流れになる。
・新進党落とし+自公連立のための策略に使われた、公明党と後藤組の密会ビデオがある
→その中で公明党側は後藤組に対し、反対勢力にいる人間の名前を挙げた
→これを知った人物(恐らく出典は乙骨) が 「創価と後藤組による暗殺依頼ビデオだ!」 と大騒ぎし、ついでに朝木明代に絡ませるために4人を5人に増やす。
→ブラックジャーナル(※) が(乙骨経由の情報を) 面白おかしく書き立てる
→乙骨経由で情報を回してもらった矢野穂積が、朝木明代は創価の依頼を受けた後藤組に暗殺されたかのように喧伝する
※国会タイムス=ブラックジャーナルの根拠
前にブラックジャーナルがいかなる物か説明した けど、こんな事件を起こして逮捕されてちゃブラック呼ばわりされても仕方ないよね。相手を脅して暴れて威力業務妨害でしょっぴかれるなんて、まともなジャーナリストのやり方じゃない。しかし五味武(故人) って人がちょっと好きな自分がいるのもまた事実w
このように、ここでも矢野穂積のいつもの手口である "デマにデマを重ねる手法" が使われ、また瀬戸らと同じような輩が "臭いを嗅ぎ付けて食い付いている" と。
それにしても瀬戸にしろ矢野にしろ、本当に浅はかというか、バカだよなあ。なんでよりによって平野先生の名前を出すかね。だからこの問題に触れ始めた当初に、相手の素性や背景をよく調べてから物を言えと忠告してたのに。(参考リンク)
こんなアホな連中と絡ませるのは絶対に嫌だけど、最悪の場合は平野先生の公設秘書だったぽよ橋本先生 に土下座して、平野先生に取材させてもらうわ。それで解決しそうな気がしないでもないんだが、なんせこんな連中のために平野先生に時間を割いてもらうなんて考えられない。
てかなんで乙骨・矢野・瀬戸の一派って、ブラックジャーナリストとしてその界隈では超有名な五味武に乗っかっちゃうのかねえ。自称人権派(アムネスティだ市川房枝だ) の矢野穂積が、「真実を突き止めるためには暴力すら辞さない!」 という五味武の記事を拠り所にするという面白さがたまらない。
なんにせよ、後藤組と創価が近いってのも、公明と新進との間でひと悶着あったのも事実だけど、その2つを賭け合わせてデマを作っちゃダメよ。
言ってみれば、こいつらの失敗は 他人の戦略に乗っかって、自分達の浅はかな戦術を勝手にくっ付けちゃった 事にある。
自民党幹部連中の 「公明党と自民党をくっ付けたい」 という戦略があって、そのために野中・亀井なんかが引っ張り出してきたのが 「後藤・公明の密会ビデオ」 だったわけだ。
そこに朝木明代が創価に殺された事にして食い繋ぎたいという思惑を秘めた人間が、そもそも4人だった名前に1人(朝木明代) を勝手に付け足して、「ほら!朝木明代が創価に暗殺された証拠だ!」 と騒ぎ立てたと。
それが矢野穂積が散々口にしている 「創価による暗殺密会ビデオ」 とやらの真相だろうと考える。
結局まるで無関係だった連中が後乗りしたってだけの話で、矢野穂積にしろ乙骨にしろ、密会ビデオの現物は世の中に出回らないだろうという目算があったんだろう。(逆に現物が出て困るのは連中の方じゃないの?)
それにこの話って、自民が仕掛けたとされる 「密会ビデオを使った脅迫」 までは隙がないのよ。
なのに東村山に舞台が移って 「朝木明代が暗殺された!」 という話になると、急に信憑性がなくなるし、一切証拠がなく、むしろ否定材料しか出て来ないという酷い状態になってしまう。
これがどうしてなのか考えるのが知性ってもんじゃないか?
オレが実際に何度も現地に赴くなどして追い続けてきた東村山問題を振り返ると、今まで一度も 「朝木明代が創価に殺された」 と看做せる証拠は出て来なかった。むしろ矢野穂積らが騒げば騒ぐほど、「朝木明代は創価に相手にされてなかった」 という話になって行ってしまう。
今回の密会ビデオなんかまさにそれ。
もしこの密会ビデオの現物が出て来て、そこに間違いなく朝木明代の名前が挙げられているというのであれば、オレも考えを改めて、もしかしたら 「朝木明代暗殺派」 に回るかもしれない。
それはオレだけじゃなく、例えば松沢呉一 さんなんかも前に言ってたでしょう?
他の創価学会員の連中が何を考えているのかは知らんけど、オレらからすると 「現状ある情報を元に冷静に考えると、矢野穂積だの瀬戸弘幸だのの言い分がおかしいと感じる」 というだけなんだよ。
オレは創価に味方したいと参戦したわけじゃなく、単に矢野穂積の言動がおかしすぎるから、そこに対してツッコミを入れただけ。それを理解できなかったから、矢野穂積・瀬戸弘幸ら一派はここまでボロカスになったんだな。
この 「創価憎し」 という感情と、「事実はどうだったのか?」 という点を切り離して冷静に脳味噌を動かすというのが、情報と向き合う基本姿勢である。これが出来ないと、甘い言葉(情報) にコロっとヤラれて洗脳されるバカに成り果てる。カルトを叩いてたはずが別のカルトに取り込まれる というヤツだ。
矢野穂積は未だにこの 「密会ビデオ」 が起死回生の一発になると思ってるようだけど、現物のビデオテープを公表して、その中に 「朝木明代」 の名前が出て来ない限りは、「やっぱ矢野のデマじゃんwww」 という結論にしかなりませんので。
国会タイムスの記事とかを引っ張り出してきても意味ないっすよ?
矢野先生が何かやりたがっているようなので、先に注意しておきますねーー。
■追記
結局さ、矢野穂積だ瀬戸弘幸だって連中は、対創価・対公明戦線にいた先達にぶら下がってる下っ端なんだよな。だから簡単に切り捨てられるように見えても意外としぶといと。何故なら勝手に先達の名を騙って自己弁護しやがるから。
お陰さまで、この構図が見えてますます怒りが増幅しております。
■東村山問題リンク一覧
「矢野穂積問題」 「エセ保守・新風問題」 「最後のパレード盗作問題」 これら東村山問題に関するソース&リンク集です。
■まとめ系記事、wikiなど「矢野・朝木市議+維新政党新風+最後のパレード中村氏に関するまとめ」
・前編
・中編
・後編
・番外編
これまでの経緯と、登場人物の繋がりなどの総まとめ
・朝木市議万引き事件・転落死事件 まとめWiki P2C氏 作、朝木明代問題に関するまとめ
・矢野穂積wiki 東村山問題の最重要人物こと矢野穂積に関するまとめ
・最後のパレード盗作疑惑まとめwiki 新たな東村山問題として脚光を浴びる「ディズニー本盗作問題」のまとめ
・新風連 まとめwiki 瀬戸弘幸ら新風一派のまとめ
・維新政党・新風 副代表 瀬戸弘幸氏の資金は何処から? 倉庫 瀬戸弘幸の資金源はどこか?という疑問に対する情報蓄積所
■一次ソース(主要判決文まとめ)
主要裁判の経緯・論点・判決結果
主要判決文とその論点と各裁判所の判断 その1
主要判決文とその論点と各裁判所の判断 その2
※協力者が時系列ごとに個別URLを作ってくださいました(外部ブログ)
■創価陰謀説派(通称:草の根一派)
東村山市民新聞
中村克
せと弘幸
西村修平(主権回復を目指す会)
黒田大輔
以上自称右派とエセ人権派市議と盗作作家の強烈チーム。
■陰謀説否定派(通称:秘密結社AMUS)
宇留嶋氏ブログ
議席譲渡事件の当時から矢野穂積らを追い続けているジャーナリスト。矢野穂積らが何をして来たかについては、この人が日本で一番詳しい。
松沢呉一氏ブログ
豊富なキャリアと知識から多角的に矢野穂積らの問題点を指摘している。
三羽の雀氏ブログ
情報処理能力が高いのか、矢野穂積の膨大な裁判量とその判決文を的確に引っ張り出してくる人。
■主な矢野穂積の被害者
薄井政美市議のブログ
矢野穂積や朝木直子に散々いやがらせを受けている東村山市議。(矢野と係争中)佐藤まさたか市議のブログ
薄井市議と同様に矢野穂積に散々嫌がらせをされ続けて来た東村山市議。(矢野と係争中)
■東村山問題関連サイト
・職業差別を許しません!
・請願ブログ
・魑魅魍魎ブログ
■東村山問題を取り上げている個人サイト
・ミハルちっく
・凪論
・Mauii.jp
・孫と東村山Rhapsody
・橋本玉泉氏
・柳原滋雄氏
・或る浪人の手記
・瀬戸先生!グーの根も出ません!
・ワールドワイドウェブ的左顧右眄
・Autocrat Watcher
・めくるめく集団ストーカー被害者の世界にようこそ(本家wiki)
・めくるめく集団ストーカー被害者の世界にようこそ(ブログ)
・日護会(笑)
・くしくしこねこね
・XENON氏
・清風匝地
・小さな正義を信じて
・小さな正義を信じて(出張所)
・デブちんのデータ工房
・コメントは何処へ?
なんかもう訴訟連発で、どれもこれも自称愛国者どもの満額敗訴確定コースで、正直言うと他のお金になる事をやりたい気持ちで一杯だったんだが、瀬戸弘幸も矢野穂積も断末魔の叫びをあげているので、面白いから乗っかってみる。
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<瀬戸弘幸の記事 より引用>
公明党・創価学会の真実 平野貞夫 講談社(※リンク切れ)
-の部分における暴力団と創価学会の「密会ビデオ」
記事2(※リンク切れ)
村上正邦の元側近が語る。 『騒ぎの発端は、藤井さんと後藤組長の密会ビデオでした。 ... 藤井富雄公明党都議と後藤組長とされる人物の「密会ビデオ」があり、その中で藤井氏は反創価学会の立場にある人物らに対する襲撃依頼ともとれる発言をしていると報じている。 ...
創価学会と暴力団の関連についてはこちらを参照
創価学会の暗い闇創価学会を批判すると殺される?
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52279606.html
創価学会は暴力団と深い関係にありました。 かつては「反創価学会」の市民運動家に対して、山口組の後藤組の組員が自宅にブルドーザーで突っ込み、日本刀で男性をメッタ斬りする事件を起こしています。
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さらに、瀬戸らエセウヨク新風一味と足並みを揃えている現役市議こと矢野穂積もこのように煽っている。
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<東村山市民アジビラ より引用>
これが、「暗殺依頼密会ビデオ」の根拠報道だ!
なぜ「フォーラム21」記事を提訴しないか!関係者が震撼し、必死に存在を隠匿する事件究明の決定打!近日、詳細アップロード、乞うご期待!
※アジビラは相変わらずデザインセンスのかけらもない電波仕様なので、三羽の雀氏の記事 を読んだ方が気が楽です。
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はい、というわけで相変わらずの暗殺密会ビデオネタです。これがどういう代物なのかという点については、ネットゲリラさんの記事 を読んでみてください。
実は矢野穂積らがいうこのビデオテープ自体は、現物が手元にないとはいえ実在している物と考えられる。
しかし問題は、この密会ビデオの中で、本当に矢野や瀬戸が言うように、朝木明代の暗殺を依頼しているのかどうかなのだ。
これは公明と新進党時代の小沢との離間策のために用いられた物で、この後に自公連立へ向けての流れが加速したという背景がある。
自公体制のきっかけとなった一本のビデオテープ
「藤井は港区内のとある事務所で後藤租の後藤忠政組長に会い、反学会活動を続けている政治家など5人の名前をあげて、『どうにかならないか』という内容の相談をもちかけた。」
しかしだ、この中で 「反創価活動を続けている政治家など5人」 という文章が出て来るが、これがおかしい。
ちょっとこの記事を読んでみて欲しい。(東村山市民アジビラ )
①「月刊現代」平成旭年2月号「野中広務と創価学会」 魚住昭
『騒ぎの発端は、藤井さんと後藤組長の密会ビデオでした。亀井さんが入手したそのビデオのなかで、藤井さんは反学会活動をしている亀井さんら四人の名前を挙げ「この人たちはためにならない」という意味のことを言ったというんです。』
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②「国会タイムズ」平成9年5月5日号「噂のコラム」
「とんでもない情報が飛び込んで来た。名称は敢えて伏せるが、某団体幹部のF氏と"親密な関係"にあるA組組長との密会であった。 その内容とは、某団体を漂傍(誹謗の誤記か=引用者注)する『五人の暗殺計画」を、この組長に依頼していたとのことである。」
なんで一人増えてるんだよwww
その3ヶ月の間に何があったんだwww
しかも元ネタは 「ためにならない」 とか 「どうにかならないか」 という表現だったのに、いつの間にか 「暗殺依頼」 で確定しちゃってるし、しかも国会タイムズの方は最後に 「真偽不明」 って逃げを打ってるんだぜ?
ようはこういう流れになる。
・新進党落とし+自公連立のための策略に使われた、公明党と後藤組の密会ビデオがある
→その中で公明党側は後藤組に対し、反対勢力にいる人間の名前を挙げた
→これを知った人物(恐らく出典は乙骨) が 「創価と後藤組による暗殺依頼ビデオだ!」 と大騒ぎし、ついでに朝木明代に絡ませるために4人を5人に増やす。
→ブラックジャーナル(※) が(乙骨経由の情報を) 面白おかしく書き立てる
→乙骨経由で情報を回してもらった矢野穂積が、朝木明代は創価の依頼を受けた後藤組に暗殺されたかのように喧伝する
※国会タイムス=ブラックジャーナルの根拠
前にブラックジャーナルがいかなる物か説明した けど、こんな事件を起こして逮捕されてちゃブラック呼ばわりされても仕方ないよね。相手を脅して暴れて威力業務妨害でしょっぴかれるなんて、まともなジャーナリストのやり方じゃない。しかし五味武(故人) って人がちょっと好きな自分がいるのもまた事実w
このように、ここでも矢野穂積のいつもの手口である "デマにデマを重ねる手法" が使われ、また瀬戸らと同じような輩が "臭いを嗅ぎ付けて食い付いている" と。
それにしても瀬戸にしろ矢野にしろ、本当に浅はかというか、バカだよなあ。なんでよりによって平野先生の名前を出すかね。だからこの問題に触れ始めた当初に、相手の素性や背景をよく調べてから物を言えと忠告してたのに。(参考リンク)
こんなアホな連中と絡ませるのは絶対に嫌だけど、最悪の場合は平野先生の公設秘書だったぽよ橋本先生 に土下座して、平野先生に取材させてもらうわ。それで解決しそうな気がしないでもないんだが、なんせこんな連中のために平野先生に時間を割いてもらうなんて考えられない。
てかなんで乙骨・矢野・瀬戸の一派って、ブラックジャーナリストとしてその界隈では超有名な五味武に乗っかっちゃうのかねえ。自称人権派(アムネスティだ市川房枝だ) の矢野穂積が、「真実を突き止めるためには暴力すら辞さない!」 という五味武の記事を拠り所にするという面白さがたまらない。
なんにせよ、後藤組と創価が近いってのも、公明と新進との間でひと悶着あったのも事実だけど、その2つを賭け合わせてデマを作っちゃダメよ。
言ってみれば、こいつらの失敗は 他人の戦略に乗っかって、自分達の浅はかな戦術を勝手にくっ付けちゃった 事にある。
自民党幹部連中の 「公明党と自民党をくっ付けたい」 という戦略があって、そのために野中・亀井なんかが引っ張り出してきたのが 「後藤・公明の密会ビデオ」 だったわけだ。
そこに朝木明代が創価に殺された事にして食い繋ぎたいという思惑を秘めた人間が、そもそも4人だった名前に1人(朝木明代) を勝手に付け足して、「ほら!朝木明代が創価に暗殺された証拠だ!」 と騒ぎ立てたと。
それが矢野穂積が散々口にしている 「創価による暗殺密会ビデオ」 とやらの真相だろうと考える。
結局まるで無関係だった連中が後乗りしたってだけの話で、矢野穂積にしろ乙骨にしろ、密会ビデオの現物は世の中に出回らないだろうという目算があったんだろう。(逆に現物が出て困るのは連中の方じゃないの?)
それにこの話って、自民が仕掛けたとされる 「密会ビデオを使った脅迫」 までは隙がないのよ。
なのに東村山に舞台が移って 「朝木明代が暗殺された!」 という話になると、急に信憑性がなくなるし、一切証拠がなく、むしろ否定材料しか出て来ないという酷い状態になってしまう。
これがどうしてなのか考えるのが知性ってもんじゃないか?
オレが実際に何度も現地に赴くなどして追い続けてきた東村山問題を振り返ると、今まで一度も 「朝木明代が創価に殺された」 と看做せる証拠は出て来なかった。むしろ矢野穂積らが騒げば騒ぐほど、「朝木明代は創価に相手にされてなかった」 という話になって行ってしまう。
今回の密会ビデオなんかまさにそれ。
もしこの密会ビデオの現物が出て来て、そこに間違いなく朝木明代の名前が挙げられているというのであれば、オレも考えを改めて、もしかしたら 「朝木明代暗殺派」 に回るかもしれない。
それはオレだけじゃなく、例えば松沢呉一 さんなんかも前に言ってたでしょう?
他の創価学会員の連中が何を考えているのかは知らんけど、オレらからすると 「現状ある情報を元に冷静に考えると、矢野穂積だの瀬戸弘幸だのの言い分がおかしいと感じる」 というだけなんだよ。
オレは創価に味方したいと参戦したわけじゃなく、単に矢野穂積の言動がおかしすぎるから、そこに対してツッコミを入れただけ。それを理解できなかったから、矢野穂積・瀬戸弘幸ら一派はここまでボロカスになったんだな。
この 「創価憎し」 という感情と、「事実はどうだったのか?」 という点を切り離して冷静に脳味噌を動かすというのが、情報と向き合う基本姿勢である。これが出来ないと、甘い言葉(情報) にコロっとヤラれて洗脳されるバカに成り果てる。カルトを叩いてたはずが別のカルトに取り込まれる というヤツだ。
矢野穂積は未だにこの 「密会ビデオ」 が起死回生の一発になると思ってるようだけど、現物のビデオテープを公表して、その中に 「朝木明代」 の名前が出て来ない限りは、「やっぱ矢野のデマじゃんwww」 という結論にしかなりませんので。
国会タイムスの記事とかを引っ張り出してきても意味ないっすよ?
矢野先生が何かやりたがっているようなので、先に注意しておきますねーー。
■追記
結局さ、矢野穂積だ瀬戸弘幸だって連中は、対創価・対公明戦線にいた先達にぶら下がってる下っ端なんだよな。だから簡単に切り捨てられるように見えても意外としぶといと。何故なら勝手に先達の名を騙って自己弁護しやがるから。
お陰さまで、この構図が見えてますます怒りが増幅しております。
■東村山問題リンク一覧
「矢野穂積問題」 「エセ保守・新風問題」 「最後のパレード盗作問題」 これら東村山問題に関するソース&リンク集です。
■まとめ系記事、wikiなど「矢野・朝木市議+維新政党新風+最後のパレード中村氏に関するまとめ」
・前編
・中編
・後編
・番外編
これまでの経緯と、登場人物の繋がりなどの総まとめ
・朝木市議万引き事件・転落死事件 まとめWiki P2C氏 作、朝木明代問題に関するまとめ
・矢野穂積wiki 東村山問題の最重要人物こと矢野穂積に関するまとめ
・最後のパレード盗作疑惑まとめwiki 新たな東村山問題として脚光を浴びる「ディズニー本盗作問題」のまとめ
・新風連 まとめwiki 瀬戸弘幸ら新風一派のまとめ
・維新政党・新風 副代表 瀬戸弘幸氏の資金は何処から? 倉庫 瀬戸弘幸の資金源はどこか?という疑問に対する情報蓄積所
■一次ソース(主要判決文まとめ)
主要裁判の経緯・論点・判決結果
主要判決文とその論点と各裁判所の判断 その1
主要判決文とその論点と各裁判所の判断 その2
※協力者が時系列ごとに個別URLを作ってくださいました(外部ブログ)
■創価陰謀説派(通称:草の根一派)
東村山市民新聞
中村克
せと弘幸
西村修平(主権回復を目指す会)
黒田大輔
以上自称右派とエセ人権派市議と盗作作家の強烈チーム。
■陰謀説否定派(通称:秘密結社AMUS)
宇留嶋氏ブログ
議席譲渡事件の当時から矢野穂積らを追い続けているジャーナリスト。矢野穂積らが何をして来たかについては、この人が日本で一番詳しい。
松沢呉一氏ブログ
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三羽の雀氏ブログ
情報処理能力が高いのか、矢野穂積の膨大な裁判量とその判決文を的確に引っ張り出してくる人。
■主な矢野穂積の被害者
薄井政美市議のブログ
矢野穂積や朝木直子に散々いやがらせを受けている東村山市議。(矢野と係争中)佐藤まさたか市議のブログ
薄井市議と同様に矢野穂積に散々嫌がらせをされ続けて来た東村山市議。(矢野と係争中)
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