三方(ミカタ) 石観世音(イシカンゼオン) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

レインボーラインを下りた後は_
三方湖(ミカタコ)の東の山の中にある「大悲山・三方石観世音堂」を訪ねました。

麓の駐車場に車を置いて_

てくてく

てくてく

てくてく

えー? まだー?

なんとなく 近づきつつあるのは感じられるのだが・・・

右手に・・・弘法さん?

曹洞宗のお寺ですが
開基は弘法大師だそうです。

_布教のため行脚していた弘法さんがこの地方に寄られた折の事_、 弘法さんはこの山の岩に一夜で観音像を彫ろうとなさった。が 夜明けを告げる鶏の鳴き音に 右手が未完のまま下山なさった~。/ のだそうです。

左手の階段を上ります。

ニワトリ?

ニワトリだ_

_石の上に石の。

弘法さんに朝が来た事を教えた鶏にちなんで?(お前さえ鳴かなければ観音像は完成していたかもしれないのにー^^;)

鶏の視線の先にはお地蔵様。


地蔵尊についての説明書。

(北斜面に仮安置されてきた120体のお地蔵さん達を これよりここに安置します。今までと同じようにこれからも お地蔵さん達が参詣者の祈りを聞いてくれますように~ という内容)

こっちの札にはお寺の縁起と共に 鶏の載った石について書かれている。

「石観世音菩薩 妙法石 由来記 」
御本尊は弘法大師一夜の御作による 一大花崗岩に刻まれた石観世音菩薩。桓武天皇延暦年間の草創というから 大師入唐以前の作であろう。 若狭遍歴の折 大師はこの山で霊像を彫っておられたが 彫刻中に鶏の声が聞こえたので 僅かに右手首より先を残して山を下りられた。 故に(霊像は)片手観音となった。手足のさわりはもちろん諸病に霊験あらたか。
参道途中の石は 正徳年間(1711~1716)の元旦に参詣した村人が「鶏鳴を発するを聞きたり」。 というので鶏鳴石 又は妙法石という、そうです。
(つまり 上のニワトリは 最近置かれた と考えてよろしいのか?)

こちらは妙法の瀧、ですって。


石の火炎を纏ったお不動様がいらした。


お堂の方へ参りましょう。



左手の石垣(かなー?)の上には岡寺の白書院を思わせる建屋が。


最後の階段を上ると、

やっと本堂前に出ました。

左に寺務所、手水舎。

手を清めます。

(風呂釜?煮炊き用の釜? 不思議な「生活感」があります)



では改めてお堂へ。

唐破風のついた軒の下には「石観世音菩薩」と書かれた大きな提灯。

紋は三つ巴。





↑入口上の扁額の文字「石観世音」。

堂内_ 天井にびっしり提灯。



↑あ、五木さん(←三方出身)も奉納してるー。

祭壇奥にいらっしゃる御本尊様 弘法さんが岩に刻んだという(右手が未完の)石の観世音菩薩は御開帳が33年に一度という秘仏だそう。(次に拝めるのは2026年10月との事)

お堂の裏へ回ってみます。

観音堂が「覆い屋」である事がよくわかりますね?




お堂裏の傾斜地には 地蔵像が沢山据えられていました。


下で見た沢山のお地蔵様も 元はこの辺りにあったのでしょうか?

鐘撞堂があった。

古そうですね? どんな音がするのだろう。


観音堂の横に「御手足堂」という小堂がありました。

わわわっ (格子からのぞく木の手型に驚いた!)

しかし よく見ると味わい深い。まるで傀儡師の工房のよう・・・。

(手形足形の借り受けと奉納のシステム(?)については 公式HPの「お手足堂」の頁をご覧下さい)
でこの 手形 足形を 仕事として作ってる方がいらっしゃる、んだねー?(脳内でNarutoのカンクロウが「じゃんじゃん」作り始めた))) すごいぞニッポン。

ありがとうございました。

すごく あれこれ豊かなお参り処でした。

(ただ もうちょっと駐車場が近くにあったらありがたかったかもー)

この後は 一気に滋賀県は長浜の木之本へ。/つづく