おだわらぐらし

おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

では 金色堂へ_。

しかし その前にまず 宝物殿である「讃衡蔵」を見ましょう。(金色堂と讃衡蔵は拝観チケットが共通券になっておりました。)



↑チケットに「この券は金色堂入場の際、回収されます。」と印字されています。(つまり 先に讃衡蔵を見なくちゃいけない、んですね?)
↓(半券をもいだ後)手元に残った券と MAP。

↓リーフレット。



↓館内にあった撮影スポット。/ あら、「中尊寺九百年」ですって。(中尊寺は、今年2026年「落慶900年」というお目出度い年ですが、更に「平泉が世界文化遺産に登録されて15周年」 という節目の年でもあるそうな。)

↑本当の堂内は撮影禁止。ですので平面のパネルとはいえ ブログに貼れる絵が貰えた事は嬉しい。

_この他の絵はありませんが、
展示されていた寺宝は 国宝や重文が一杯~ で それらをガラス越しとはいえ間近に拝見でき 勿体ない程有難い気持ちになりました。

さて、続いて 金色堂へ。

↑金色堂の覆い屋はこの坂の上、ですが 柵で道が止められているので_
↓少し上のブースでチケットを提示して柵の内へ入れてもらいます。


柵内に入って 少し参道からそれたところに 金色堂建立850年を記念して昭和34年にたてられた~という 宮沢賢治の「中尊寺」の詩碑がありました。


↓脇に立っていた説明板。

詩にある「大盗」は 奥州藤原氏を滅ぼした頼朝をイメージしているのではないか という説があるそうです。/ まだ覆い堂を持たず (もしかするとすでに簡素な屋根は立てかけられていたかもしれませんが) 緑の中に輝いていたかつての金色堂を見た簒奪者(イメージ頼朝)は 畏怖の念にかられて「手触れ得」ず 「礼」して去った。 そして(頼朝は)鎌倉に帰って 中尊寺の塔頭の内 もっとも大きく立派だった大長寿院を模した「永福寺(ヨウフクジ)」を建てて 奥州藤原氏と弟義経の供養をした_。/ なんとなく すとん と納得がいきますね?

↓改めて向かう金色堂。


入口前に「藤原四代公 六親眷属 阿耨多羅三藐三菩提(アノクトラサンミャクサンボダイ) 也」と書かれた柱を背にしたお地蔵様。

ここより奥は撮影禁止。

という訳で 絵はありませんが_
金色堂は 「美しかった!」 です。
天治元年(1124)造立。経典に書かれた「皆金色」の極楽浄土をこの世に再現した~ といわれる金色堂は、 2020年から 経年によりはげた金箔や漆 螺鈿に修復の手が入り、「創建当時の輝きが蘇った」と言われる程の復元具合。テレビなどで見て ある程度知っているつもり、でしたが 実物は想像以上でした~。
そして 大変「ありがたい場所」に感じられました。
_これには 少し前にNHKで放送されていた番組で、「奥羽俘囚の長」を名乗ってこの地方の統治をしていた藤原氏が、 (前九年の役 後三年の役で あっちについたりこっちについたりした事 またそれに関係して婚姻による部族間の結びつきも複雑になり 敵と味方が何度も入れ替わる事を経験して) 敵味方なく すべての死者の魂の安寧のために中尊寺を建立した~ という感動的な話を聞いていた事も あったかったかもしれません。

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金色堂退出後は 順路に従って「経蔵」を見ました。/ これは創建時の古材を用いて再建された物で 保安三年(1122←国内最古)の棟札が伝わる~ 「国の重文」だそうです。

↓扁額の文字「御経蔵」。

↓木材にはかすかに平安時代の彩色文様が残っています。

ここに安置されていた獅子に乗る文殊菩薩像とその眷属 その他諸々~ は今は讃衡蔵に移されており、そちらで見る事ができました。

次いで (先代の金色堂の覆い屋)「旧覆堂」。/ 鎌倉幕府が 正応元年(1288)に金色堂に覆い屋を建てた~という記録がありますが、それは簡素な物だったらしく 今見るような形になったのは室町中期では?との事。 ともあれ、現在はこちらも 国の重文です。

「昭和の大修理」まで この覆い屋が「現役」で金色堂を守っていたんですねー。(現地に移築されたのは昭和38年、との事)


堂内中央には支えの柱が入ってました。


(↑「昭和六十一年」の文字が読めますね。丁度新しい覆い屋の建造が始まった頃、かな?)

旧覆堂の手前に 芭蕉の像と碑が立っていました。


↑にゃーん、全く読めません^^;)))
↓が、ともあれ 芭蕉はここ中尊寺を訪ねた折 (この旧覆堂の中に金色堂があった時_) 「五月雨の 降りのこしてや 光堂」という 有名な句を残しているんですね。 


芭蕉像の更に手前になりますが_
根がそのまま階段になっているような 不思議な参道を持つ小社がありました。

「関山(カンザン)天満宮」ですって。(尚、関山は中尊寺の山号です。)

↑写します。
「この天満宮は鎌倉時代、菅原道真公第14世孫五条為視(タメヨシ)公が勅令により奥州平泉へ下向逗留の時、出生した乙王丸(後の中尊寺経蔵別当第13世行栄和尚)に京都北野天満宮より勧請して授けた天満大自在天神の御真影と観世音菩薩をお祀りしている
またこの霊地は平安時代、陸奥守源頼清が衣の関を守護し世の平安を祈願するために鎮守府の弓矢を納めて天神地祇を祀り関の神社を造営した地でもある。
天神様の名で親しまれている菅原道真公は、学問、文学、書道の神様として世に広く崇敬され、御縁日は毎月25日となっている。
      別當敬白
菅公御詠 東風ふかば にほいおこせよ梅の花
  あるじなしとて 春なわすれそ 」

小さなお参り処ですが 思いのほかに深い物語を背負っていて「あら」、でした。
(余談ながら、神道の管轄~という事でか、ここ「関山天満宮」は 配布されていた「中尊寺」の境内図には載っていませんでしたー)

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この後も境内のお堂を見て回っておりますが、長くなったので 頁を変えたいと思います。