おだわらぐらし -2ページ目

おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

東京駅を目指しております。(新幹線で小田原へ帰るため)
↓八重洲一丁目交差点を西へ超えたところ。(地下鉄日本橋駅への階段脇)

↓あら、「Tokyo Torch」の西隣のビル「Torch Tower」が もう形を見せてますね?

_街はどんどん変わる。

↓八重洲の新ビル「TOFROM YAESU(トフロムヤエス)」もいつのまにか(?)完成していた。

↓あら、 このお店 どんどん人が入っていくよ?

↓IMADEYA KAKU-UCHI TOKYO だって。

(↑みるみる行列がー)
↓ほー なかなか雰囲気ヨサゲー。



↓ここがビルの入口、ね?

↓ドアのそばに置かれた動くオブジェ「Tides of time(井口皓太-作)」。(いや 個体的には不動なんですが球体の表面を色や形が変化しながら動いていく モーショングラフィック の作品。)

亭主が動画で撮ろうとしていましたがー

REC.ボタンのON-OFFを間違えて 失敗ー(苦笑)。


さて、ここには_


↓こんな物が展示されていました。

日本橋檜物町(ヒモノチョウ)のお神輿です。永田町の山王日枝神社(サンノウヒエジンジャ)のお祭りで町内の氏子さんが担いできたもの、とか。

↑でね、お神輿の 屋根に 台に、三つ巴の紋がついているんです。(小田原の山王神社と同じだー⇒*)/ 因みに江戸の山王社の公式な神紋は 比叡山の麓の日枝大社と同じく双葉葵、(と 天皇家の祖神を祀っているところから 菊の紋も用いられています)、ですが お神輿や境内の手水舎 神猿の台などに左三つ巴が見られる~ と聞いていました。(山王日枝神社を江戸に勧請した江戸氏の家紋が由来、とか)
が 見るのは初めて!

「へー へー へー」
と眺めた事でございます。
(ちょっと余談/ 「三つ巴 と 山王社(日枝神社)」の組合せは 小田原の他 同じ足柄エリアの大井町の新宿山王社、 又 横浜の矢向山王社(現-矢向日枝神社)などにも見られるのです。/ AIが言うには_ 比叡山の鎮守社-山王権現(日枝神社)から山王信仰が全国に広まる過程で 山王二十一社の一つ大行事社(現在は大物忌神社)の紋である三つ巴が伝わったのでは?という説があるらしい_。/これから山王社や日枝神社へお参りする時は御紋もしっかり拝見するようにいたしましょう。)

↓横にあった説明板も読んでみます。

「わが街の御神輿
 この神輿は 明治四十三年に発注し二ケ年半かけて制作された物です。台枠三尺五寸(1.09M)高さ五尺七寸(1.74M)あります。
重量は三五〇貫(約1トン)神輿を担ぐ台棒の長さは二十尺(6.6M)渡御には最低八十人が必要です。
 大正三年、大正天皇の御即位の筋 初めて担ぎ出されて以後山王日枝神社の御祭礼に渡御致して参りました。
 大正十二年九月一日の関東大震災にも奇跡的に焼失をまぬがれ、また 昭和二十年三月十日の米軍機による東京大空襲でわが街が焼け野原になりました時も 疎開して災害をまぬがれました。実に、災難除けの御神輿と言われる由縁です。
昭和三年十一月、昭和天王の御即位の節はその御大典を奉祝して皇居二重橋前まで渡御しました。その当時 各町内会より多数参加いたしました神輿の中で現存しております神輿はわが街の神輿だけと存じます。
 (中略)
 制作してより今日まで八十余年となり 傷みもひどくなり処々に破損も致しておりましたので 平成四年六月の御祭礼後に行徳の中台神輿店に修復を依頼致しました。本年六月に解体修復を完了し見事な御姿で戻って参りました。
 神輿調整当時の委員十二名の内、現在当町会に居住しております方は一名で当時の方より数えて三代目となります。
 山王日枝神社の御祭礼と共に街の貴重な財産であり歴史もあるこの神輿を末永く保存し構成に残したいと存じます
  平成六年六月吉日
   中央区八重洲一丁目東町会
   (旧町名 日本橋檜物町) 」

変わっていく街の中の 変わらない物_。
良い展示 ですね?

時間がなく 今回は「通り抜け」しただけのトフロム。

又 改めて来てみましょうー。(いつ?)

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これにて今回の東京散策編、おしまい。