とろろ汁の丁子屋(チョウジヤ) の開店を待ってる間に見た お店周辺~ の絵を貼ります。

川のそばにマップがありました。

ああ、ここは宿の西のはずれ、なんですね。

(↑下が北の地図。とわかるまで時間がかかった。北を示すマークを入れて頂きたいなあー)
↓その向こうに 丸子宿(マリコシュク)についての説明板。

「 「東海道宿村大概帳」天保十四年(1843)より
江戸時代の丸子宿
駿河国有度郡(ウドノコオリ)丸子宿
駿府町奉行支配所
一、丸子宿の成立
慶長六年(1601)徳川家康公により東海道の伝馬(テンマ)駅として指定される。
一、位置
江戸へ四十六里四町四十間(約180粁)
府中へ一里十六町 岡部へ二里
一、宿内家並 東西長さ三百五十間(630米)
一、宿内人口 総数795人
内 男366人 女429人
一、宿内家数211軒
一、宿泊施設
本陣 一軒 縦坪280坪
脇本陣 二軒
旅籠屋 大 二軒、中 十六軒、小 六軒
一、問屋場
一ヶ所 忍足百人 馬百疋
一、高札場
一ヶ所 宿西入口に立つ 」
では 旧東海道を東(江戸方向/上の地図では左)へ歩いてみます。

丁子屋の駐車場入り口に もうちょっと詳しい絵地図が貼られていました。

その横の掲示板。


↑へー、「丸子宿場まつり」。2月にはこんなイベントもあったのね?
街道沿いを行くと風情ある本陣や脇本陣が見られるのかな?

と 期待したのですがー、道脇に 本陣跡、 問屋場跡、 などと記した石柱や札が立つばかりでした・・・。

(↑「お七里役所」/ 七里毎に置かれた 紀州徳川家の飛脚の詰所)

(↑「丸子宿脇本陣跡」「明治天皇御小休所址」)

(↑「丸子宿本陣跡」)

(↑「丸子宿問屋場跡」)

↑表に格子戸を巡らせた宿場町らしい建屋も多くは残っていないよう・・・。
↓通りからひっこんだ所には まだ「蔵」が見られたりしましたけれども。

(こんなのは ただの「立ち寄り観光客」の勝手な感想でございますが_)
↓という訳で (時間も限られてましたし) 藤枝市の「たちあおい」のマンホールと、


↑消火栓の蓋の絵を撮って ひきかえしました。

丁子屋さんまで戻ってきました。

今度は丁子屋さんから 少し西へ歩きます。


↓小さな祠に馬頭観音。


↑首から上が新しい。 すげ替え をしたようですね?
↓その横は 道標?

↑「■是三町(約300メートル)余 栄屋(?)」
↓道の向かいには 黄色い花をつけた木。

↓携帯の「グーグルレンズ」で調べてみると「コガネノウゼン」と出ました。(なるほど、ノウゼンカズラの仲間か。そういわれてみると ちょっと似てますね?)


↓コガネノウゼンは この西にも 川に沿って数本植えられていました。(丸子ではポピュラーな木なのかしら?)

↓木の下には 川を背にする歌碑。


↓脇に立つ説明板。(1590年、細川幽斎が 小田原征伐に向かう秀吉軍の先陣として宇津(ウツ)の峠を越えて丸子に入った時の 陣中日記『東国陣道記』の一節が書かれていました。

細川幽斎の歌 としては
「ゆめならて 思いかけきやうつの山 うつつにこゆる蔦の下道」部分じゃないかと思うのですが、「歌碑」として石に刻まれているのは_ 「人数には たれをするかのまりこ川 けわたす波は 音はかりして (猶ゆきゆきて駿府につきぬ)」部分なんですね? (当時は難所であった宇都の峠は 明治に入ってトンネルが掘られ、通行が容易になっております。この後 見に行きましたので 次の頁に絵を貼りますね。)
歌碑の横には「たなばた災害復旧記念 丸子川の碑」と記された石も置かれていました。これは「たなばた災害」として記憶されている 昭和49年(1974)7月7日の 川の決壊と被害を記憶し 更にそこからの復旧を記念する碑、だったんですね。
お、11時になりました。
整理券番号1番から 順番に呼ばれます。

お客さん達も入口付近に集まってきてます。/ 私達ももうすぐ呼ばれるはずです。
(前の頁に つづく)