カウンセラーやセラピスト、先生に必要な別角度の視点
今日は大事なお話しです。最近遭遇した事、それは「恥ずかしい」がないです。これらは全ては先生、カウンセラーやセラピスト、の視点が間違っていたり、見方が一方的で狭いと大変な事になります。ピアノのレッスンで、例えば「来週までにこの曲を覚えてきてね」と言っても、全然覚えてこず、平気で「覚えられなかった」とか「忘れてた」という生徒さんが最近はよくいます。そして増えてきています。昔とは環境が変わった、とも言えますが、何より以前は先生に指示されたことができないと「恥ずかしい」がありました。また同時に「責任感」も問われました。「言われたことはやる」です。最近はこの「恥ずかしい」が退化しつつあると思います。もちろんその分、脳のどこかが発達しているのかもしれません。しかし以前お送りした感情は育ち、使わないと退化すると同じで、使わない能力は退化し、「育てない能力は勝手に育たない」と思います。「わ~そんな事も出来ないと恥ずかしいよ」「一人だけできてなかったら恥ずかしいよ」圧迫感のある言葉かもしれませんが、これで育つのは「問題意識」。出来ないと恥ずかしい。恥ずかしいから考える。問題意識がないから何事も、本人は「問題化しない」。「恥ずかしい」は重要です。そのきっかけ、スイッチになる言葉だからです。子供に「恥ずかしい」の感情を育てましょう。人と比べているのではないです。危機意識、問題意識がないと、向上心や注意力が育たないからです。さらに「問題意識」も育ち、問題を解決しようとする能力が育つと思います。そしてこの点について勘違いしてはいけないのが、「この能力が育っていない」という点に先生やカウンセラーが気づかない事。「なぜやってこないの?」何度聞いても、本人には恥ずかしいも、問題意識もないうちは常に「平気」です。そして先生は腹が立ってきます。言っていることが通じないから。しかし今時の生徒側は、「この先生うるさい」となります。「うるさいからやめる」となる場合があります。そんな場合怒るより、先生やカウンセラー、セラピストさんんも「恥ずかしい」を育ててあげましょう。又は気づかせてあげましょう。相手が大人で「恥ずかしい」が言いにくい、伝えられないなら、「問題意識を持ちましょう」と、その心を育ててあげましょう。大切な事は「育てる」という視点です。そして恥ずかしい=問題意識という能力が「育っていない」という現実を理解する事です。本当に育っていないのです。どうしても自分と同じで「できる」「わかるだろう」と無意識に先生側は判断し、これが前提で話してしまいます。だから自然と、「なぜやってこないの?」が出てしまいます。いかがでしょうか。恥ずかしいは退化しつつあります。本人を尊重する、個性育てるとは別の問題です。恥ずかしいが分からないと、裸の王様になっている「自分だけの世界」の子供に育ってしまいます。