昨日の記事の続きです…カナヘイハートカナヘイハート
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退院して1ヶ月が過ぎる頃、、、
抗がん剤の影響で殆ど抜け落ちた髪の毛が
少しずつ生えてきた。と言っても、
まだまだ高校野球の男の子みたい。

でもその髪の毛と共に体調も少しずつ戻ってきた。

退院直後は、2度も3度も休まなければ
上がり下りできなかった階段も
日によっては 1度で2階までたどり着くことが
出来るようになった。

そうすると、ついつい台所にいる時間が長くなり
子供たちの部屋へ行き、片付けをする事が増えてる。

体力は少しずつ戻ってきつつあったけれど、
手術の後遺症は依然残っていた。

秋も深まり、京都の山々が紅葉で色付き始めるころ
手足が氷のように冷たくなってきた。

腸の働きや排尿障害なども、
辛い状態が続いていた。

そんな自分の身体の変化と
付き合うコツも時が過ぎるにしたがって
徐々に覚えてきたように思う。

年の瀬も間近に迫った12月22日、
東京六本木のあるお店で、
家族や実家岩井半四郎家の家族一同が顔を揃えた。

もともと岩井家では、毎年お正月に一同が
顔を合わせるのが慣例だったのだが、
私の退院祝いを兼ねて皆が早めに
集まってくれたというわけだ。

父母、姉夫婦、弟夫婦、妹夫婦、
私の小さい時からずっと親戚のように
お付き合いさせていただいている藤本弁護士ご夫妻、東京に暮らす前の子供たち、、、総勢17人。

皆の乾杯があり、賑やかな会食になった。

こうやって家族が一同に顔を揃えたのは
6月9日の妹の結婚式以来。

入院先の京大病院から外出許可をいただき
出席した時以来だった。

あの時は、これから病気がどうなるのか、
手術がうまくいくのか、
その後はどんな生活になるのか
私は勿論、家族全員があふれようとする
不安でいっぱいの時だった。
その不安をそれぞれの胸の奥へ抑え込んでいた。

でも、その夜は、違った!
私が癌を乗り越え、
こうして生きて元気になっている。

久しぶりの賑やかな明るい会食に
子供たちは嬉しかったのだろう。
ハシャギ回っていた。
父母も珍しく饒舌。
特に父は、上機嫌でいつに無く
お酒のペースが早く真っ赤な顔。
「本当に元気になってよかったー。」と、
つぶやくように 何度も何度も言った。
母は、涙ぐみながら「よかった、、、、」と、
静かに下を向きながらそっとハンカチで
目頭を押さえていた。

皆も同じ事を何度も繰り返していた。
心底喜びあった。
その思いは、私の心そのもの。
両親も妹も子供たちも、皆本当に
私の癌との闘いを良く支えてくれた。

こうして、楽しいひとときが
過ごせるようになったのも
皆の励ましと力があったからだった。

妹には京都へ何度も来てくれて、
病院の付き添いや子供たちのことも
色々とやってくれていた。
私の辛い時も、痛い時も、
悲しい時も見ていたので、
顔を見合わせると、
自然に笑顔がこぼれた。

見回すと 全員が満面の笑み浮かべていた。



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化粧品開発プロデューサーの第一歩として日本化粧品協会 化粧品プランナーを取得しました!
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