今日もいのち煌めいて更新致しますつながる花1つながる花1つながるうさぎ
昨日の記事の続きですおねがい
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仁美は、私が薬を飲もうとすると
コップにお水を注いでこぼさないように
ソロソロと両手で握りしめ持ってきてくれる。

「ハイ、お水。」

まるで、小さなナイチンゲール!
可愛い優しい声で色々と世話をしてくれた。

二人の子供達の嬉しそうな姿を見ているだけで
私は本当に幸せだった。

それまで健気に耐えていた子供達が
はしゃいでいるのを見ているだけで、
幸せで涙が出てきた。

夕食のテーブルを子供達と囲み、
二人の安らかな可愛い寝顔を眺めながら、
また、涙が出てきた。

なんか、涙もろくなってしまったみたいだった。

抗ガン剤、手術、放射線治療に加え
免疫力を高める為のとてつもなく痛い注射など
あらゆる事をやって癌と闘った日々。

私の子宮頚がんの治療では、
まさにフルコースのメニュー!

当時としては、最新の治療をしていただきました。

目覚ましい医学の発達、お薬の開発などで、
ガンは直ぐ死に繋がる病ではなくなったと
言えると思います。

早期であれば退治する事も可能になったの
ではないでしょうか。

でも、ガンに伴う苦しみはそれで
終わりではありません。

後遺症という次の新たな試練が立ちはだかります。

しかも、それは一生背負っていかなくては
ならないもの。

38歳で発病した私には癌との闘いの時間よりも、
その試練の方がずっと長く、苦しい事が多い。

その後遺症は、手術を終えてすぐ襲いかかりました。

お腹をおへその上から20センチほども開腹し、
5時間半もの手術を終えて、
3日間はまさに激しい痛みとの格闘でした。

早く動いて、腸が動いて、ガスが出て…
1日でも早く次のステップに進み、
1日でも早く子供達の元へ帰りたい、、、
その一心で痛みに耐え、リハビリも頑張りました。

その成果もあって、予定より少し早く3日目には
ガスが出て、4日目にはお腹の左右に入っていた
ドレンと言われる、術後、お腹に溜まる
汚い体液を排出する二本の管もとれました。

薄紙を剥がすように、痛みも少しずつ
和らいでいっている!

私は、自分の身体が回復に向かって
いることを実感していました。

ところが、ドレンのとれた日の夕方、
私の身体に突如異変が起きたのです。
季節は真夏。京都の夏は、とても暑い。

それなのに、総毛立つような悪寒が全身を走り、
身体は寒さで硬直し、しまいにはガタガタと
震えが止まらなくなったのです。

「えっ、なんなの⁈   
どうなっちゃったの?私の身体、、、」

慌てて、布団の中に潜り込み、
膝を抱えてしばらくすると震えは収まってきました。

ホッとしたのも束の間、
今度は灼熱の太陽を浴びたように
全身が火照りだしたのです。

そして、毛穴という毛穴からブワーッと
汗が吹き出てきます。

あまりの暑さに、急いで布団を払いのけると
一気に吹き出した汗で、まるで全身、
水を浴びたようになり、
パジャマはびっしょりになってしまったのです。

その汗をタオルでぬぐって暫くすると、
また、全身を巡る血液が凍ってしまうかのような
寒さが襲いかかる。

震える身体に、布団を引き上げ、
かけて暫くすると、また汗が吹き出す。
そんな状態をどれだけ繰り返したか、、、。

勝手気ままに動くセンサーの切れた機械のように
私の身体の体温調節の大切な部分が
機能不全に陥ってしまったかのようでした。

実はこれこそが、最初に現れた後遺症でした。


帰宅後の幸せな日々と後遺症に苦しんで…②に続きます……カナヘイきらきら





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癌の闘病記録を書いています。何かの参考にしていただければ幸いです。
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