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子供達が京都に戻ってきてからしばらくして、
放射線照射による治療が始まった。

抗がん剤の投与、
広汎摘出手術、
そしてこの放射線照射が、
私の治療の3つ目の大きな山だった。

先生は、抗がん剤と手術で治療は
とても順調に進んでいるので、
放射線治療は必要ないほどではとおっしゃった。
しばらく様子をみましょうか?
どうしても必要な時はまた改めて検討してみては?
と、仰ったのだけど、
私は 
「出来る限りの治療をお願いします!」と、
お願いしたのだった。

二度と子供達と離れたくなかった。
二度とガン細胞が現れないよう
万全を期するようにしたかった。

これを乗り切れば家に帰れる‼︎

その強い思いで放射線治療に臨んだ。

放射線の治療室は病院の地下にあり、
なんとなく暗い廊下を通り、
巨大な分厚い金属の扉が二枚もあり、
中はまるで体育館のように広い部屋だった。

真ん中には宇宙戦争の映画にでも
出てきそうな厳つい照射する機械と
硬くて無機質なベットが置かれていた。

事前に私のお腹の前と横には
消えないインクのようなもので、
❌のマークが書き込まれていた。

このマークの位置が放射線を正確な位置に
照射する場所なのだそうだ。

ベットに横になり、
先生もスタッフも室外へ出ていかれ
私一人がポツンと取り残され、
先生は外からマイクで
「もう少し右に。もう少し横向いて。」と
指示される。

そして巨大な機械がグーンと動き、
厳密な位置が決まり照射がされた。

放射線というと、やはり今は原発を
思い出されるが、
身体への影響が出るレントゲンよりも
もっともっと強いもので、
悪い細胞も勿論やっつけてくれるけれど、
周りの良い細胞にも影響が出るとのこと。

使い方次第ではとても怖いものだけれど、
先生達はわたしの癌の種類や性格、
そして私の体質なども考慮して、
色々な波長の中から 一番合うものを
選択してくださった。

その上、照射量や時間も綿密に計算し
ちゃんと癌細胞まで浸透するように
治療してくださった。

正確な時間はわからないけれど、
照射していた時間はほんの数十秒だったように思う。痛みも何も感じない。
これでホントに癌細胞が消えるのかしら、、、と
思う程だった。

放射線治療室では次々と治療を受けに来る
患者さんと顔を合わせることもしばしばあった。

喉に❌の付いている方は、
首が太く腫れ上がっていた。

また脳に腫瘍があったのであろうか。
頭に❌の印が付いていて、
髪の毛と眉毛ごなくなっていた方もいた。

皆それぞれ重い病魔と闘っていたのだ。

それを目の当たりにして
私などまだ軽い方なのでは…と、感じていた。

私一人が病魔を背負い、
闘っているわけではないのだ。

なんで私ばかり、、、と、思っていたのだけれど、
もっともっと長くて辛い闘いを
している方々がいるのだ。

身体についた❌の印は、病気と闘う
そんな戦士達の印のような気がした。

私は放射線照射に行く度に
そうした戦士の方々に、
静かにに黙礼をしてお互いを
励まし合う気待ちであいさつをかわした。

放射線治療そして嬉しい一時帰宅③に続きます……おねがい



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