『生物の変遷と進化』第32回 猿人の出現 | 奈良の鹿たち

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『生物の変遷と進化』第32回

<700万~250万年年前>

(新生代/新第三紀後期)

「猿人の出現」

 

(アファレンシス)

 

 

720万年前に、アフリカで類人猿の系統からヒトが完全に分岐し、初期の人類である直立二足歩行をする猿人が誕生しました。(チンパンジーとヒトの分岐が700万年前といわれています)名前はサヘラントロプス・チャデンシス(トゥーマイ猿人)。現在、世界最古の人類化石とされていて、アフリカ中部のチャド共和国ジュラブ砂漠で発見されました。

この後、600万年前までの100万年間は、現在のところ人骨が出ておらず、謎の期間となっています。

次いで、610万年前のオロリン・トゥゲネンシス(北ケニア)、580万~520万年前のアルディピテクス・カダッバ(エチオピア)が発見されました。アルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人)は、エチオピアで発見された440万年前の大型類人猿です。発掘されたラミダス猿人の女性の骨格は、アルディと名付けられました。身長1.2m、体重51kgで、脳容量は300~350ccとチンパンジーとほぼ同じでした。

けれども、森林の中で果実と草に依存したゴリラとチンパンジーは生き延びたが、乾燥化が進む森林と草原の境に居を構えたカダッバやラミダスなどのアルディピテクス属は439万年前に絶滅してしまいました。

サヘラントロプス属から アルディピテクス属までを初期猿人ともよばれます。

      <霊長類ー真猿類ー類人猿ー猿人>

 

(一直線上に人類の進化を並べているが、系統的に繋がっていたということではない)

 

420万~200万年前の間、アウストラロピテクス属が次々と現れました。アフリカに猿人は、現在判明しているだけでも6種類いました。しかし、アウストラロピテクス・アファレンシスだけが後の原人へと進化していきました。

420万~200万年前アウストラロピテクス・アナメンシスが生存していました。

390~290万年前の100万年間、アウストラロピテクス・アファレンシスがアフリカに生息していました。脳容積は現代人の半分以下でしたが、類猿人よりは増大していました(900㏄)。

平地でほぼ完全な直立二足歩行をしていましたが、指や爪先の骨の湾曲具合からは、ゴリラのように腕を使った4足歩行もしていたのではないか、また、木を掴み登るのに適していたことが分かっていて、地上生活と樹上生活が混じっていたのではないかと考えられています。

自由になった手で道具を使うようになり、原始的な打製石器を使用していたようで、火も使用していたのではないかといわれています。

ルーシー という愛称でよばれた人骨は、322万~318万年前のアウストラロピテクス・アファレンシスの化石です。脳の容積はチンパンジー並みで二足歩行をしていたことになります。身長は1.1m、体重は29kg。25~30歳の女性と見られています。保存状態から、死後すぐに泥に埋まったと考えられています。(水に溺れたか、木から落ちたのが死因と見られます)

アウストラロピテクス属は、エチオピアで発見されたアウストラロピテクス・ガルヒを最後に、270~250万年前に絶滅しました。

260万~130万年前に、パラントロプス属のロブストス(南アフリカ)やボイセイ(東アフリカ)が生存していました。アウストラロピテクス属とは異なった頭骨と巨大な臼歯を持っていました。アウストラロピテクス属が肉食系だったのに対し、パラントロプス属は植物食系でした。このことが、アウストラロピテクス属よりもパラントロプス属が、長く生存できた要因だと考えられています。また、このパラントロプス属が、猿人のアウストラロピテクス属からヒトのホモ属への移行の役割を果たしたともいわれています。

パラントロプス

 

 

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次回は 第33回「原人類の出現」

 

 

(担当B)

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