『人類の起源と進化』
第3回「旧人①」
(ネアンデルタール人)
(30万~4万年前)
(ネアンデルタール人)
今日では、「猿人・原人・旧人・新人」という分類はほとんど否定されています。とくに「旧人」という名称は意味をもたなくなりました。それは、近年の科学分析で、ホモ・サピエンス(いわゆる「新人」)とネアンデルタール人(いわゆる「旧人」)が独立並行して生存ししてきた、ということがわかってきたからです。
すなわち、両者の間に新旧はない、ということなのです。
しかし、ここでは理解しやすいため従来観念の「旧人」をあえて使っています。
前回、猿人のところでハイデルベク人を紹介しましたが、彼らが旧人に属するという説も有力です。
旧人が絶滅したとされる4万年前までは、私たちはこの地球上で唯一の人類というわけではありませんでした。ヨーロッパの大草原地帯ではネアンデルタール人が歩き回り、デニソワ人はアジア中に広がっていました。インドネシアには小型の人類「ホビット」が、アフリカには他に少なくとも3種のヒト族が存在していたのです。これらの初期人類は多くの点で現代人と似ていたことがわかっています。彼らは比較的大きな脳を持ち、狩猟採集社会に住み、火を使うことができました。その後、現生人類が地球全体に広がったのと時を同じくして、他の人類種はほぼ一斉に姿を消しました。
●ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルタレンシス)
<年代>
旧人の代表格は、何と言ってもネアンデルタール人です。1856年にドイツのネアンデル渓谷で骨の化石を発見され、名前は、その渓谷名にちなむ。その後、世界各地でその人骨が発見され、現在ではヨーロッパから西アジア、シベリア西部にわたる地域まで分布していました。
(近年、中国でもネアンデルタール人の骨が発見されたという報告がありました。)
原人のなかから数十万年前のアフリカで枝分かれしたハイデルベルク人(ホモ・ハイデルベルゲンシス)が現れ、アフリカからヨーロッパ、中国まで分布を広げ、その一部が中東・ヨーロッパでネアンデルタール人となったと考えられていますが、現在、この説を覆す研究も複数発表されています。
確実なネアンデルタール人の化石はおよそ20万年以降のものであり、約4万年前までユーラシアに住んでいたとされています。しかし、定説では、およそ30万年前に出現したとされていて、さらにハイデルベルク人と区別のつかないのを含めると、40万年前に出現したことになります。
1976年にスペイン北部のシマ・デ・ロス・ウエソス洞窟で43万年前の人骨が発見されました。今のところ、DNA分析上もっとも古い人類化石になります。この人骨は、形態からネアンデルタール人の特徴を多く持っているとされていますが、確定はされていません。
典型的なネアンデルタール人の形質を備えた化石は、今のところ20万年前以降となっています。
1993年、イタリア南部、アルタムラの町にあるラマルンガ洞窟の内部で、完璧に化石化した人骨が岩壁の中に埋め込まれているのが見つかりました。のちに「アルタムラの男」と名付けられるたこの人骨は、その後の調べで12万8千年前から18万7千年前の間に生きていたネアンデルタール人であることが判明しました。この男性は陥没穴に落ちて動けなくなり、そのまま亡くなった可能性が高いと考えられています。
約12万年前の温暖期に急増し、約7万年前の寒冷期には遺跡数も減少し地中海岸に南下したと考えられます。約6万年前の温暖化で再び増加しヨーロッパ北部に広がりました。しかし、4万8千年前の寒冷化で人口が減少し始め、4万7千年前にはホモ=サピエンスがヨーロッパに侵入してきたためか、約4万年前までには絶滅しました。
現在、DNAの解読が進んだ結果、ネアンデルタール人など旧人と現代人類はつながりがないことが判明しています。
<身体的特徴>
典型的なネアンデルタール人と考えられる化石は、およそ14万~13万年前のものと考えられています。それによると、成人の平均的な男性の身長は165cm、女性の身長は153cm。、現生人類に比べて、より頑丈な体格で64~82㎏と見積もられています。いわゆる「胴長短脚」の体型で、それは彼らの生きていた時代の厳しい寒冷気候への適応であったとされています。
ネアンデルタール人の特徴は脳容積が大きいことであり、現生人類より大きく、ハイデルベルク人の1250ccを上回り、男性の平均が約1,600cc、女性は1,300ccでした。
頭骨は上下につぶれた形状をし前後に長く、額は後方に向かって傾斜していました。眉の部分がひさしのように飛び出し、顔が大きく目と歯も大きい。鼻は鼻根部・先端部共に高く、かつ幅広く立体的(顔の彫が深い)でした。
DNAの解析結果より、ネアンデルタール人は白い肌で赤い髪だったといわれています。
<遺伝子解析>
これまで放射性炭素測定で多くの化石や遺跡を割り出してきていますが、この方法では5万年前よりも古い時代の測定は難しいとされています。しかし、近年はコンピューターの発達で、ゲノム解析が可能になったことで、その系統がかなり明確になってきました。
2022年、ノーベル医学生理学賞が、ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ教授に贈られると発表されました。業績は「絶滅した古代人のゲノムと人類の進化に関する発見」とされた。それはネアンデルタール人のDNA配列を解読し、現代人との関係を明らかにしたことでした。
ペーボ教授は、1856年にドイツのフェルトホッファー洞窟で見つかった最初のネアンデルタール人の骨の一部からミトコンドリアDNAを抽出して1997年に解読に成功し、ホモ・サピエンスとの関係を検討した研究を発表しました。この研究では、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの配列は、ホモ・サピエンスの変異の幅から大きく外れており、彼らは現生人類とおよそ70万~50万年前に分かれたグループであると結論されました。すなわち、「ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は、進化において同じ系統群に属しているが、ネアンデルタール人は我々の直系先祖ではなく別系統の人類である」とする見方が示されました。
今世紀初頭まで、両者が交雑したミトコンドリアDNAがないことがわかってきたので、両者は交雑することもなく独立並行して生存してきたと考えられてきました。
ところが、次世代シークエンサーによる核ゲノム解析によってこの概念は覆されることになりました。2010年、クロアチアで発掘された女性のネアンデルタール人の人骨から採取された核DNAを、同時に大量に読み取ることのできる次世代シークエンサー装置で解読した結果、アフリカ人を除くユーラシア人、オーストラロイド人、ネイティブアメリカン、北アフリカ人の全DNAの1~4%がネアンデルタール人から受け継がれていることが明らかになりました。
私たちの祖先はアフリカから旅立ち、ヨーロッパや東アジアなど、新天地でネアンデルタール人と出会いました。その出会いがどのようなものだったのか不明ですが、遺伝子流動の発生が8万6000~3万7000年前であり、特に6万5千~4万7千年前の可能性が高いことが明らかになりました。フランスのレンヌ洞窟から、4万5千年前の、これまで知られていなかったホモ・サピエンスの初期系統と考えられる赤ん坊の骨が発見されました。この洞窟からはネアンデルタール人が生存していた証拠となる骨や遺物が数々発見されていました。この研究チームによると、この骨は、おそらくは4万1千年~4万5千年前に、ユーラシア大陸で生息していたネアンデルタール人とアフリカから移住してきた現生人類が同じ場所で暮らし、その間にできた子供である可能性が高いということです。
ペーボ教授は、ロシアのシベリア南部のデニソワ洞窟で見つかった3~5万年前の人骨のデノム解析を行い、ネアンデルタール人とは異なる人類を「デニソワ人」と名付け、彼らも現生人類やネアンデルタール人と交雑しながら絶滅した、と発表しました。これらから、アフリカから移動したホモ・サピエンスがユーラシア大陸の西側ではネアンデルタール人と、東側ではデニソワ人と交雑し、ネアンデルタール人とデニソワ人は絶滅したが、現代のわれわれのDNAにも一部痕跡を残している、と考えられるようになりました。ネアンデルタール人の遺伝子の約20%は今日でも現生人類に残っていて、ヒトの免疫系に影響を与え、他のいくつかの生物学的機能や構造にも関与していると考えられています。
さらにペーボ教授は、ネアンデルタール人の「OAS」という遺伝子の特徴を受け継いだ人は、新型コロナウィルスに感染しても重症化しにくいという研究結果を発表。ネアンデルタール人の遺伝子が現代人の免疫反応に影響を及ぼしていると唱えています。
アフリカ人のDNAにはネアンデルタール人の遺伝子は含まれていないとされてきましたが、2020年、米プリンストン大学の研究者たちは、アフリカの現生人類のDNAにもネアンデルタール人の痕跡がわずかに残っているとする研究論文を発表しました。これで地球上のすべての地域の現生人類からネアンデルタール人のDNAが見つかったこととなりました。「出アフリカ」と呼ばれるこの移動は、6〜8万年前に起きたとされていますが、研究者たちは、それよりもずっと以前の20万年近く前にもアフリカを離れた現生人類がいて、約12万〜5万年前の中東や欧州でネアンデルタール人と交わったのちに、このグループがアフリカに帰ったことで、ネアンデルタール人の痕跡がアフリカ人にもたらされたのではないかとの見解を示しました。
<生活・文化>
彼らの文化はムステリアン文化と呼ばれ、旧石器時代に属しています。
石器は打製石器である剥片石器の技術を使っていました。彼らの石器は60種類ぐらいに分類されていますが、実際の用途は非常に限られていて狩猟用と動物解体用のみでした。石を削って武器やスクレーパー(削ったりこすったりするためのヘラ状の道具)、斧を作り、狩猟でも家庭でも道具を使っていました。また、木工も日常的におこなっていて、掘るためや槍に使う棒を切ったり削ったりしていました。
左右対称になるよう加工されたハンドアックス(握斧)や、木の棒の先に石器をアスファルトで接着させ穂先とし、25万年前からは槍として使い始めていました。
中期旧石器時代のネアンデルタール人が火を使っていたことについては確かなようです。フランスのドルドーニュ県XVI洞窟からは、乾燥した地衣類を燃料に使った6万年前の炉の跡が見つかっています。また、ブリュニケル洞窟からは少なくとも4万7600年前の炉の跡が見つかっています。
ヨーロッパのネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスがこの地にやってくる前、およそ4万年前には、動物の皮や毛皮から服を作っていたといわれています。この説を裏付ける証拠として、フランス南西部の洞窟で、リゾワールと呼ばれる皮をなめす特殊な道具が発見されています。この洞窟には、かつてネアンデルタール人が住んでいたとされ、この道具はおよそ紀元前5万年頃に作られたものと思われます。古代人はすでに歯で噛むことで動物の皮をなめしてものを作り出す方法をマスターしていました。これは単に服を身に着けるようになったことに留まらず、防水性があり、体にフィットし、動きやすい服だったのではないかと想像されます。
エルシドロン洞窟で発見された4万2千~5万年前の顎骨には、歯の膿瘍が確認されています。
彼にはさらに腸内寄生虫もいた。おそらく彼がポプラを食べていた理由はこれだろうかんがえられます。ポプラには鎮痛効果のあるサリチル酸(アスピリンの有効成分)が含まれている。さらに天然の抗生物質であるアオカビも口にしていた。
以前の調査からは、シドロンのネアンデルタール人が収斂剤であるノコギリソウと天然の抗炎症剤であるカモミールを使用していたらしきことが判明している
ネアンデルタール人は、主に有蹄哺乳類を中心に、マンモスやゾウ、ケブカサイなどの巨大動物を狩猟していました。ドイツ中部のハレ近郊で発見された直牙ゾウのパレオロクソドンの骨に石器で傷つけられた跡がみられ、ネアンデルタール人が主要な食料源として象を定期的に狩り、加工していたことが明らかにされました。パレオロクソドンは、現存するアジアゾウの約3倍、アフリカゾウの約2倍もありました。最大肩高は3~4.2m、体重はメスで4.5~13t、オスで13tもあったといわれています。
最も古い洞窟壁画は、スペインのラ・パシエガ洞窟、マルトラビエソ洞窟、アルタレス洞窟の壁画で、約6万4千年前のものとされています。さらに、スペインのエル・カスティージョ洞窟(約4万800年前)、インドネシアのマロス洞窟の壁画(約4万年前)、フランスのショーヴェ洞窟の壁画(約3万7千年前)があります。
6万~4万年前は、ヨーロッパ大陸では依然としてネアンデルタール人が優勢であり、この時期のスペインにはホモ・サピエンスはまだいなかったとされています。そのため、ヨーロッパにおける洞窟壁画の幾つか、少なくともスペインのエル・カスティーヨ洞窟の壁画については、ネアンデルタール人によって作成された可能性があるといわれています。
動物を描いた壁画のうち、まだ年代が特定されていないものがいくつかあり、それらがネアンデルタール人によって描かれたかどうかの確定はしていなません。
イラク北部のシャニダール洞窟の調査で、家族生活を営み、仲間を屈葬の形で手厚く葬っていたり、障がいをもつ者が死ぬまでずっと仲間から面倒をみてもらっていた痕跡も見つかっています。ここでは、少なくとも10人分の遺骨が見つかっています。そこでは、ネアンデルタール人の化石とともに、数種類の花粉が大量に発見されました。量の多さとこれらの花が薬草として扱われていることから、「ネアンデルタール人には死者を悼む心があり、副葬品として花を遺体に添えて埋葬する習慣があった」との説が唱えられましたが、疑問点もいくつか出されています。
この洞窟から21世紀になってから発見された、7万5千年前のネアンデルタール人女性(40代半ば)の骨から顔が復元されました。
ベルギー、ゴイエの洞窟のネアンデルタール人にはカニバリズム(食人)の習慣があったという痕跡が見つかりました。発掘された遺骨は放射性炭素分析からおよそ40,500~45,500年前のものと推定されました。このネアンデタール人は仲間を解体をしたうえで、その骨を道具として使用していたようです。骨には切った跡や刻み目状の跡があり、遺体が人間の手によって解体されていたことを示唆しているのだということです。これらは表面を傷つけられたり、切り分けられているほか、骨髄も取り除かれていました。これはヨーロッパ北部でネアンデルタール人がカニバリズムを行っていたことを示す初めての証拠であるとされています。人間の遺体は他の動物と同じように使用されていたようで、1本の大腿骨と3本の脛骨は、石の形を整える道具として使用されていたと考えられています。
一方、埋葬に当たっての儀礼的な肉剥ぎではないかとする説もあります。
総人口は欧州大陸での多くても6千人ほどで、地球全体でも人口が2万人を超えることはほとんどなかったと思われます。彼らは、外傷率の高いストレスの多い環境で生活しており、約80%が40歳前に死亡していると思われます。
<他の化石人類との関係>
シベリアのアルタイ地方で発見されたデニソワ人(次回のテーマ)はネアンデルタール人の兄弟種である可能性が高いといわれています。約9万年前の骨片のDNA分析から、ネアンデルタール人のDNAとデニソワ人のDNAを、ほぼ等量持っていることが判明しました。その骨片は、10代の少女のもので、母はネアンデルタール人、父はデニソワ人でした。
<絶滅>
ネアンデルタール人の生存は約2万数千年前を最後に確認できませんが、絶滅の原因ははっきりとは分かってはいません。クロマニョン人との暴力的衝突によって次第にその居住地域を譲っていき絶滅したとする説、獲物が競合したことによって段階的に絶滅へ追いやられたとする説、身体的・生理的な能力で差をつけられ、衰退していったという説、混血を重ねたことで急速に吸収されてしまったとする説、あるいはそれらの説の複合的要因とする説など、様々な学説が唱えられています。
約4万年前、ネアンデルタール人が絶滅した頃に、中央ヨーロッパで1000年にわたる急激な寒冷化が起こったことがわかっています。コーカサス山脈や現在のイタリアにあたる地域で約4万年前に起きた複数の噴火が、絶滅の要因となったという説も出されています。環境的要因は以前より指摘されていましたが、複数の火山の噴火が続いたうえに、ヨーロッパでは過去20万年間で最悪とされるフレグレイ平野(現在のナポリの近く)での大噴火が起きたことから、その多くがヨーロッパ大陸にいたネアンデルタール人は食糧不足に見舞われるなど、壊滅的打撃を被ったといわれています。
さらに、最近唱えられているのが、4万2千年前に起こった地磁気イベント(ラシャンプ地磁気エクスカーション)といわれる地磁気の乱れ現象です。地磁気が7回、地球各地を500年間さ迷い磁力が弱まりました。これにより、寒冷化と同時に宇宙線が大量に地球に侵入してきました。ネアンデルタール人は、肌の色素が薄かったといわれ、ガンなどの紫外線の害を大きく受けた考えられています。
旧来、約3万年前に姿を消したと考えられていたネアンデルタール人ですが、2005年、最も新しいネアンデルタール人類の人骨がイベリア半島南端のサファイラ洞窟から見つかっています。ここでは、ネアンデルタール人が使っていた特徴のある石器類や、火を利用していた痕跡が見つかりました。この遺跡は、放射性炭素による年代分析で約2万8千~2万4千年前のものと推定されました。このことから、他の地域から姿を消した後も、少なくともイベリア半島においては、ネアンデルタール人は生き残っていたと考えられていますが、ジブラルタル海峡を越えた気配はありませんでした。
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次回は「旧人② デニソワ人」
(担当B)
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