『人類の起源と進化』第2回 原人 | 奈良の鹿たち

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『人類の起源と進化』

第2回「原人」

(サルからヒトへ)

(200~100万年前)

ホモ属は私たちサピエンス種(猿人のサルに対してのヒト)が属するグループになります。

ヒトとサルの違いは何でしょう。かつては道具を使うことがヒトであると考えられてきましたが、チンパンジーは棒を使って食べ物をほじくり出します。近年、石器を使うことがひとつの基準となりました。しかし、確実な判断基準は脳容量です。実際に、およそ200万年前になると、それまでのアウストラロピテクス属よりも大きな脳容量を持つ種が現れます。サルからヒトへの進化はこのころに起こったと考えられています。

その中で、形態的な特徴から、のちのホモ属につながると考えられているのが、前回の猿人のところで述べたホモ・ハビリスとホモ・ルドフェンシス、さらに南アフリカで出土した195万年前のアウストラロピテクス・セディバです。しかし、これらの種は、ホモという名を冠しているものもありますが、脳容量からヒトよりもサルに属するとされています。

およそ190万~150万年前に、体型や大きさが私たちに近い化石が、アフリカや西アジア、中国やインドネシアなどから発見されました。いわゆる「原人」と呼ばれるグループです。一般にはこれらを総称してホモ・エレクトスと呼んでいます。

ホモ・エレクトスはホモ・ハビリスの系統のホモ属に属し、アウストラロピテクス属(猿人ともいう)と比較して脳容積を増大(約900cc)させており、自由に直立二足歩行し、走る能力も身につけて狩猟技術を向上させ、より高度な打製石器、火の使用などを開始していました。

約700万年前にアフリカで直立歩行を始めた最初の人類は、約200万年前に原人ホモ・エレクトスを誕生させ、約190万年前にユーラシア大陸に移動し(第1次 出アフリカ)、約160万年前にジャワ原人や北京原人という地域集団として姿を現したと考えられます。彼らの化石は、アウストラロピテクスがアフリカだけに限定されるのと異なり、世界各地で見つかっています。それは彼らが、アフリカから出てヨーロッパからアジアまでの旧大陸にに広く移住したことを意味しています。ホモ・エレクトスは、大きなエネルギーを消費する脳を維持するために肉食が必要であり、石器を使ってより効果的に食べられるようになりました。

二足歩行は四足歩行の4分の1しかエネルギーを使いません。つまりスピードや瞬発力では負けますが、長距離には二足の方が適しているのです。人類は武器を持って獲物をどこまでも追いかけることが可能になりました。おそらくホモ・エレクトスが、初めて走った人類だったと考えられます。

●北京原人

中国北京郊外50kmにある周口店で発掘されたのが北京原人の化石です。学名はホモ・エレクトス・ペキネンシス。ホモ・エレクトスの亜種として扱われています。最近の研究では約55万~25万年前の化石人骨とされています。北京原人はアフリカ大陸に起源を持つ原人のひとつですが、現生人類の祖先ではなく、何らかの理由で絶滅したと考えられています。石器や炉の跡が同時に発見されていることから、石器や火を利用していたとも考えられていますが、火の使用については疑問が出されています。

額が現代人に比べ、なだらかに傾斜し後頭部の骨は突き出していました。

ホモ・ナレディ

アフリカに生存していた原人の化石が、南アフリカのヨハネスブルグ近郊の洞窟で発見されました。ホモ・ナレディと呼ばれています。約33万5千年前のものとされ、成人身長146㎝、体重39~55㎏、脳容量460~610㏄で、猿人と原人の特徴をあわせ持っています。脳が小さく、肩と胴は類人猿のようで、別の部分は人間とほぼ変わりない特徴を持つ未知の初期人類の骨であることがわかりました。

 

ジャワ原人

インドネシア・ジャワ島などでは、約20万年前のジャワ原人と呼ばれる化石が発見されています。このことで、ホモ・エレクトスは種として180万年間も生存していたことになります。成人の平均身長は140~180㎝、体重は41~55㎏程度、脳容量は550~1250㏄と推定されます。

ホモ・フロレシエンシ

同じくインドネシアのフローレンス島では、6万年前まで生存していたと考えられるホモ・フロレシエンシスが発見されています。70万年前の化石と100万年前の石器がフローレス島で発見されており、これらの研究・分析からフローレス人はホモ・エレクトス(ジャワ原人)が100万年以上前に到来してそれから70万年前には進化(矮小化)していた、という結果が出ました。身長は1mほど、脳容量もアウストラロピテクス属と変わらない400㏄程度しかありません。これは島嶼化(とうしょか)と言われる天敵のいない孤立した島で起こる現象によって体が小型化したと考えられています。

ホモ・ハイデルベルゲンシス(ハイデルベルク人)

 

原人の中で、同じホモ属に属する化石人類としては、ホモ・エレクトスと分類を異にするのがホモハイデルベルゲンシス(ハイデルベルク人)です。

ホモ・エレクトスがアフリカを出たあと、ホモ・エレクトスの一部から進化して約70~60万年前にハイデルベルク人が登場しました。ということは、ハイデルベルク人は先祖はアフリカ系ホモ・エレクトスで、生まれ育ちはユーラシア大陸ということになります。

そして、60万~30万年前には、ユーラシア大陸とアフリカの広い地域に広がりました。その化石はアフリカの他、ヨーロッパや中国でも見つかっています。

1907年、ドイツのハイデルベルクで発見された60万年前(±4万年)の化石からこの名が付きました。脳容量は約1,100~1,400ccで、現代人の9割程度の大きさまで達していました。

フランスやドイツで発掘された彼らの時代のものと思われる住居跡からは、火の使用の痕跡が見つかっており、180cmの大型投げ槍や、剥片石器を取りつけたと思われる加工された枝なども出ています。このような枝と石器を組み合わせる革新的な技術はハイデルベルク人から始まりました。彼らの文化は、狩りをし、住居を建て、火を使い、組合せ道具も作ることができる、というレベルにまで達していました。

 

ホモ・サピエンスよりは頑丈な体型や高い眼窩上隆起などの特徴は、ネアンデルタール人に似ています。頑丈な頭蓋や目の上の大きな隆起などの原始的な特徴と、大きな脳、小さめの歯という現代的な特徴の両方が入り交じっていました。同様の化石がアフリカでも見つかっているところから、ホモ・エレクトスから派生して、30万年前に次のネアンデルタール人につながったと考えられていました。そのためハイデルベルク人は、「原人であるのか、原初的な旧人であるのか」が議論されてきており、ホモ・エレクトスに含める場合もあり、また旧人に属するとされる場合もありました。

巨大な下顎骨の形質や伴出した動物化石との比較などから、時代的に見て原人であろうと考えるのが一般的です。しかし現生人類へと繋がる系統とネアンデルタール人との分岐直前(66万~47万年前)の時期、あるいは分岐後のホモ・サピエンスへと続く系統側だったことも考えられます。彼らは、ホモ・サピエンスが誕生する約20万年前まで生存していました。

彼らが、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの共通祖先なのか、いまだに確定していません。

スペインの洞窟の43万年前の複数の化石のDNA解析によれば、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの共通の祖先からの分岐は75万~55万年前の間だということです。ハイデルベルク人が70万年前に出現したとすれば、彼らは共通祖先ではない可能性もあることになります。

ある研究チームは、先史人類から集められた小臼歯と臼歯を使って、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の共通の祖先の歯を“再生”した。その結果、共通の祖先の歯は、ホモ・ハイデルベルゲンシスの歯と一致しないことがわかった。

 

エレクトス人、ハイデルベルク人と一言で表していますが、時間的空間的には何種類ものエレクトス人、ハイデルベルク人がいたのです。人類進化は非常に複雑だったので、その意味でも、人骨の種区分や系統関係を解明するのは難しいところがあります。

 

 

 

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 次回は 第3回「旧人① ネアンデルタール人」

 

 

(担当B)

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