『渡来人』第3回 縄文人はどこから? | 奈良の鹿たち

奈良の鹿たち

悠々自適のシニアたちです

 

『渡来人』

第3回

縄文人はどこから来たのか?

 

(縄文人)

 

概略

縄文人は、1万6000年~3000年前まで北海道から沖縄本島にかけて縄文文化を成した。

最新の遺伝学的研究では、縄文人の起源については次のように説明されている。

縄文人は東南アジアで分岐しユーラシア大陸各地の集団によって形成された。日本列島に様々な移動ルートで渡来してきて、多様な遺伝子をもった人種から派生したとみられる。

縄文人も、もともとは渡来人だ。日本列島に来るまでは、ホモ・サピエンスの「旧石器時代人」あるいは「原縄文人」だ。そして、1万6000年前以降、列島に辿り着いて土着し混血してはじめて「縄文人」となった。1万6000年前を区切って、渡来人の人種が変わった、ということではない。ただ、受け入れ側の日本列島の時代を、人間が学術的に名付け、位置づけただけのことである。やって来た時代が縄文時代なら「縄文人」だ。

すなわち、「旧石器時代人」が、日本列島で「縄文人」になったと考えられている。

その後、1万5000年もの間、北から西から南から、何度も何度も渡来してきた。

 

形質的特徴

(縄文人と弥生人)

平均身長は男性が160cm、女性は150cmに満たない人が多かった。現代の日本人と比べると背は低いががっしりとしていた。二重まぶたで眉や髭が濃く、下顎が頑丈で彫りの深い顔立ちが特徴だった。

 

縄文人のルーツ

縄文人の祖先は、どこから日本列島にやってきたのだろうか?

身体的な特徴などから、東南アジア(インドシナ半島,マレー半島,インドネシア諸島,フィリピン諸島)、北東アジア(シベリア極東~満州)のいずれかに起源をもつ人々だと考えられてきた。こうした人々が日本列島に出現した時期は、最も氷床が拡大した2万1000年前の最終氷期の最寒冷期(世界中で海面が約120mも低下し、オホーツク海から北海道に歩いて渡れるようになった)が終わってからと見られる。

 

古代人の歴史を探る研究には、これまで人骨や土器などを発掘し観察する考古学と古人類学の手法が用いられてきたが、1980年代以降、DNAから読み解く遺伝学的研究が盛んに行なわれるようになった。

 

(日本列島内の縄文人のルーツ)

縄文人は、北東アジアと日本列島の旧石器時代人との類似を指摘されることが多い。

その中で、沖縄諸島で縄文人より古くからいたとされる(2万2000~2万年前)旧石器時代人の「港川人」については、縄文人の先祖にあたるか否か確定しなかった。

港川人は二重構造モデルでは縄文人の先祖とされたが、2021年に、男性人骨(港川1号)のミトコンドリアDNAの全塩基配列の解読が完了した結果、港川人は直系の子孫を残せず途絶えたとみられる。港川人は、縄文人とはつながらないということである。

 

頭骨測定の研究では、日本列島の縄文人は均質ではないことがわかった。縄文人の大多数は古代東アジア人の子孫だが、九州、四国、本州の「南部縄文人」は、現代の東アジア人(「モンゴロイド」)とほとんど同じだったが、「北部縄文人」は異なる遺伝的祖先を持っているようである。また、北海道縄文人と本州縄文人の間には遺伝子流動の証拠があった。

2015年に科学雑誌「ネイチャー」に掲載されたゲノム研究では、北海道や東北の縄文人は、本州や九州の縄文人とは明らかに異なっており、本州と九州の縄文人は、現代の東アジア人に似ていたとされた。

 

(古代遺伝子学から見た縄文人のルーツ)

この10年でゲノム分析が進歩し、最新式次世代シーケンサという機械でこれまでDNAのごくわずかな配列しか分析できなかった資料が、ゲノム全体を網羅的に分析することが出来るようになった。DNA配列を現代人と比較したところ、縄文人はいずれにも属さず、3万年から2万年前に東アジア人の共通祖先から分岐したあと列島内で独自の進化をとげた集団である可能性が出てきた。

 

・父系のルーツ

父系のルーツを辿ることができるY染色体ハプログループは、数万年にわたる長期的な追跡に適しており研究が急速に進展した。日本人は縄文系のY染色体ハプログループ(D1a2a)と、弥生系のハプログループ(O1b2)がある。埴原和郎らが唱えた「二重構造モデル」とも一致する結果となった。縄文系のハプログループ(D1a2a)は現代の日本列島の本土と琉球列島及び北海道の3地域に多く見られるタイプである。

縄文系のハプログループ(D1a2a)はアイヌ人の75%に見られることから、D系統はかつての縄文人(旧石器時代のシベリア)のものであると考えられている。日本列島にD系統の人々が入ってきたのは数万年前の中期旧石器時代の最終氷期と考えられている。

以上のことから、縄文人から自然進化的に弥生人が派生したという説は完全に否定された。

 

・母系のルーツ

ミトコンドリアDNAハプログループは母系のルーツを辿ることができる。ミトコンドリアDNA(母系)の分析によって縄文人のルーツの一角が解明され、日本固有のハプログループM7aや南方系と共通の遺伝子を持つハプログループBやFを持つことが知られている。東南アジアの少数民族から日本列島に位置する琉球列島人やアイヌ人までが共通の因子を持つ、とされ、形質人類学においてはこれらの人々が縄文人と最も近いとされることから、縄文人のルーツは東南アジアの旧石器時代人との見方が示された。

これらを裏付けるように、国立科学博物館館長 の篠田謙一氏らの研究では、鹿児島県大隅半島西北部にある「最古のムラ」と呼ばれる「上野原遺跡」の縄文人(2万5000年前)から同様にハプログループM7aが検出した。

 

(福島・三貫地貝塚人骨のDNA解読)

縄文人はいつ、どこから来たのかを直接知るために、1980年代から縄文人のミトコンドリアDNA解析が行なわれてきた。しかし、ミトコンドリアDNAは母系遺伝であり、ゲノムサイズも小さいので遺伝情報が限られている。そこで、核ゲノム解析が行われた。3000年前の福島県の三貫地貝塚(さんかんじかいづか)出土の縄文人骨から大臼歯を取り出し、クリーンルームでDNAを抽出した。そして「次世代シークエンサー」と呼ばれるコンピューターを駆使した解析装置を使った

結果が出された。それによると、東アジアのさまざまな人類集団のDNAと比較したところ、北京周辺の中国人や中国南部の先住民・ダイ族、ベトナム人などは、お互い遺伝的に近い関係にあったのに対し、三貫地貝塚の縄文人はこれらの集団から大きくかけ離れていた。(下図)

これまで、縄文人の起源が東南アジア、北東アジアのいずれかについての議論が長く行われてきた。形態的には東南アジア人に近いが、縄文人のミトコンドリアDNAと現代人のDNAを用いた遺伝学的研究からは北東アジア人に近いという結果も出ていたのである。

しかし、今回得た配列を現代人と比較したところ、縄文人はいずれにも属さず、東アジア人の共通祖先から分岐したという系統関係になった(下図)。

縄文人は、きわめて古い時代に他のアジア人集団から分かれ、独自に進化した集団だったことが、国立遺伝学研究所による縄文人の核DNA解析でわかった。

 

2018年に東京大学の太田博樹教授らのチームが発表した「東ユーラシアの集団と縄文人の比較」 

研究がある。(この解析は公共データベースを活用したため、アイヌ、琉球との比較は行なっていない。)

(上図)縄文人のゲノム分析で、東ユーラシアの集団にしぼって比較すると、現代の本土日本人は大陸集団と比べてより縄文人に近縁であることがわかった。現代の中国人やベトナム人などはDNAの特徴が似ており、図の中心部分に一直線に並んでいるが、現代の日本人は左上に外れている。そのさらに左上に「縄文人」が位置している。現代の日本人が、縄文人のDNAに影響されて、ほかの現代の東アジア人とは異なる遺伝的特徴を持っていることが示されている。

 

現代日本人(東京周辺)は、遺伝情報の約12%を縄文人から受け継いでいることも明らかになった。現代の日本列島人3集団(アイヌ、本土日本人、琉球)と縄文人との関係を見たところ、アイヌー琉球―本土日本人の順に縄文人の遺伝要素が強いことがわかった。その占有率は、東京人:1割、沖縄人:3割、アイヌ人:7割であった。

このように、「二重構造説」で指摘されていたことが、縄文人の核ゲノムを用いて直接的に証明された。二重構造説では、なぜ北のアイヌ人と南の沖縄人たちに縄文人のDNAが、より濃く受け継がれているのだろうかという疑問に、弥生時代に大陸からやってきた渡来人が日本列島に移住し、縄文人と混血したが、列島の両端に住むアイヌと沖縄の人たちは渡来人との混血が少なかったために縄文人の遺伝的要素を強く残した、という説明がなされていた。

 

従来、縄文DNAは日本人以外には存在しないと考えられていた。

しかし、次世代シークエンサーを利用したことで、長いあいだ土に埋まっていた骨から、保存状態のいい骨に関しては数千年前の骨であってもDNAを読み取ることが出来るようになった。

それによって、ラオスにあるファファエン遺跡で見つかった8000年前の人骨のDNA解析に成功した。タイやラオス周辺には2万数千年前から4000年前にかけて「ホアビニアン」と呼ばれる狩猟採集民が広く暮らしており、DNA解析に成功したのはこのホアビニアンの骨だ。

解析の結果、縄文人のルーツが、タイやラオスなど東南アジアにあったということがわかった。そしてタイの森の民「マニ族」(下の写真)は、このホアビニアンのDNAを現代まで色濃く受け継いだ人々で、マニ族の祖先と日本人の祖先は繋がっているということがわかった。

彼らは、外界からの接触を極度に嫌い、森の奥で何千年も変わらぬ生活をしていたのだ。

 

ホアビニアンのDNAと世界各地の古代人や現代人など計80集団以上のDNAを比較し、どのくらい似ているかを示す近縁性を調べると下図のように、東南アジアの古代人に混じって縄文人がホアビニアンとのDNAの近縁性で、80あまりの指標の内、第4位に位置したのだった。この研究成果は、「”最初の日本人”である縄文人のルーツが、東南アジアにあった」という直接的な証拠を示すものであった。

 

 

 

 

====================

次回は第4回「稲作を伝えた渡来人」

 

 

(担当H)

====================