『渡来人』
第2回
<旧石器時代人はどこから来たのか?>
(旧石器時代人)
今、「旧石器時代」が熱い。
少し前まで、邪馬台国の弥生時代や三内丸山遺跡の縄文時代が注目されていたが、この最近「われわれ日本人はどこから来たのか?」それを教えてくれる旧石器時代が注目されている。
旧石器時代は3つの期間に区分される。
① 前期(200万~20万年前)②中期(20万~4万年前)③後期(4万~1.5万年前)
一般的には、「旧石器時代人」が、日本列島で「縄文人」になったと考えられている。
旧石器時代、日本列島に到達するまでは、ホモ・サピエンスの「旧石器時代人」あるいは「原縄文人」だ。そして、1万6000年以降列島に辿り着いて、土着し混血してはじめて「縄文人」となった。1万6000年前を区切って、渡来人の人種が変わったということではない。ただ受け入れ側の日本列島の時代を名付けただけのことである。渡来して来た時代が旧石器時代時代なら「旧石器時代人」、縄文時代なら「縄文人」となった。
日本列島で確実視されている最も古い遺跡は、3万8000年前に出現している。また、3万8000年前に位置づけられる遺跡が、東北から琉球半島までの広い範囲に分布している。
日本での旧石器時代の遺跡では、10万年ほど前ともいわれる遺跡が発掘されているが、少なくとも現状では、4万年以前とされる遺跡で確実視されているものはないとされている。
ところが、2025年4月、広島県廿日市市の冠(かんむり)遺跡から4万2000年前の「中期旧石器時代の石器」が発見された。(後述)
<アフリカからの経路>
30~20万年前にアフリカで誕生したホモ・サピエンスは、7~5万年前にアフリカを出た。
ヨーロッパ方面へと向かった西グループや、ユーラシア大陸を東進した東グループもいた。東グループはさらに南北二つに分かれ、”最初の日本人”のルーツになったのはインド⇒東南アジ⇒東アジアへと向かった「南まわり」のグループだった。(下図)
5~4万年前に東南アジアにたどりついたグループは、そこで旧石器時代人(原縄文人)と共有の遺伝子をもつ「ホアビニアン」集団とさらに海岸沿いを北上した集団に分かれた。(下図)
東南アジアから日本列島の間で、他民族と交雑した痕跡は見られないので、彼らの進路に人間がほとんどいなかったか、長く停滞することなく短い年月でやってきた可能性がある。
7万年前~1万5千年前に、インドネシア、マレーシア一帯に現在は海底に沈んでいる「スンダランド」という大陸があった。
1万8000年前に最後の氷河期が終わって気温が上昇し始めると、海面が120m以上上昇して遠浅の大陸棚に囲まれたスンダランドは急速に水没し始め、1万5千年前には姿を消した。陸地の面積が減り続け、温暖化によって食料となる動植物もとれなくなると、多くの人々は新天地を求め船で太平洋にこぎ出した。スンダランドを脱出した人々は、持ち前の遠洋航海術を駆使しフィリピンや台湾へ、さらに黒潮に乗って沖縄、南西諸島へと航海を繰り返した。一部は南九州にも到達したとみられる。(下図)
日本列島に4万年前、たどりついた人数は、DNAゲノム分析で1000人程度だとされている。
遺伝子情報から、彼らが原縄文人であったことはほぼ間違いがない。
日本列島は酸性土壌が多く化石骨が残りにくいため、ホモ・サピエンスの旧石器時代人(原縄文人)の渡来について確証は得られていない。(下図)
これで、人類誕生のアフリカ~日本列島までのルーツがつながった。
東南アジアで放散した東アジア人全体の祖先の中から日本列島に到達した集団は複数存在した。
年代時期の差はあるが列島への流入ルートとして考えられる可能性は、(1)朝鮮半島から対馬を経て北部九州へ至るルート、(2)台湾~琉球列島を島伝いに北上するルート、(3)大陸の北側からサハリンを通って北海道へと南下するルートの3つが考えられているが、諸説ある。
<中期旧石器時代>
日本列島は酸性の土壌が多いため、骨などが残りにくく前期・中期旧石器時代の遺跡とされるものは発見が難しい。日本国内には、20万年前までさかのぼる遺跡が60ヶ所ほど見つかっている。
中期旧石器時代に列島に人類(旧人か新人)がいたことは間違いない。
(NEWS)2025年4月、広島県廿日市市の冠(かんむり)遺跡から「中期旧石器時代の石器」が
発見された。発掘調査でおよそ370点がまとまって出土した石器群が、出土した地層から見
つかった木炭を放射性炭素で年代測定した結果から、4万2300年前のものであることが、日
本考古学協会の研究発表会で報告された。これまで最も古いと考えている3万7000年余り前
(後期旧石器時代)のものを5000年ほどさかのぼるとしている。これで、日本にも中期旧石
器時代に人がいたことが実証された。
今回発見で、これまでの通説が見直される可能性がある。
見つかった石器の一部は、縁が削り取られてノコギリの歯のようになっていて、中国大陸や
朝鮮半島で見つかっている4万年以上前の中期旧石器時代の石器と特徴が似ているというこ
とです。
現生人類(ホモ・サピエンス)は7~5万年前にアフリカを出た。それ以前には現生人類は、アフリカ以外には存在していなかった。従って、日本列島で中期旧石器時代の石器を遺(のこ)したのは、旧人(ネアンデルタール人・デニソワ人)ということになる。
(NEWS)2025年4月、中国雲南省(ベトナム、ミャンマーと接する中国南西部)でネアンデ
ルタール人が使っていた旧石器時代中期のキナ型技術体系の石器が発見された。ネアンデル
タール人が中国まで移住、拡散していた可能性を示唆している。
近年の考古学調査により、島根県出雲市の砂原(すなはら)遺跡で12万年前の前期旧石器とされる石器、岩手県遠野市の金取(かねどり)遺跡で9〜8万年前とされる石器や、長野県飯田市の竹佐中原(たけさなかはら)遺跡で5万年前〜3万数千年前の石器であること推測されている。
ただ、その確実性については議論が続いている。
(砂原遺跡)(すなはらいせき)
島根県出雲市の砂原遺跡の学術発掘調査団が、2013年出土した石器36点について見解を再修正し、12万~11万年前の「国内最古」と結論づけた。ただ問題は、ほんとうに人間が作った石器であるかどうかについて、学界での合意がなされていない。
<後期旧石器時代>
日本列島は火山列島とも呼ばれるように火山活動が活発であり、更新世の火山噴火による火山灰が瀬戸内、近畿地方を除く列島の大部分に降り注いだため、骨を分解する酸性土壌の占める地域が多く、旧石器時代の遺跡に人骨・獣骨化石が残る例がほとんどない。しかし、C14年代測定法などの結果、静岡県の浜北人や沖縄県の港川人等の数例が旧石器時代人類とされている。
(山下洞人)(やましたどうじん)
山下洞人は、1968年に沖縄県那覇市山下町の山下町第一洞穴遺跡から発見された8歳ぐらいの女児の骨だ。周辺の炭化物などから測定した放射性炭素年代測定では、3万2000年前(較正年代では3万6000年前)の旧石器時代の化石人骨で、日本国内では最も古い化石人骨である。山下洞人は縄文人とは大きな違いはなかったため、ホモ・サピエンスとして矛盾はないと考えられている。
(白保人)(しらほじん)
白保人は、2010年、白保竿根田原洞穴(しらほさおねたばるどうけつ)から発見された19体分の人骨。放射性炭素年代測定で2万7000千年前(較正年代)のものと分かったと発表された。全身骨格がほぼ残った人骨としては国内最古である。
(港川人)(みなとがわじん)
港川人は、1970年(昭和45年)に沖縄県島尻郡具志頭村の港川採石場で発見された2万2000年~2万年前の旧石器時代後期ものとされる全身骨格化石。二重構造モデルでは、港川人は縄文人の祖先とされたが、近年では現代日本人に繋がらずに絶滅したと見られるようになった。
(浜北人)(はまきたじん)
浜北人は、静岡県浜名郡浜北町の石灰石採石場で、1962年に発見された人骨化石である。上・下2つの土層から出土し、それぞれの層から出た獣骨の年代を加速器質量分析法(AMS)による炭素年代測定での結果は、上層が1万4000年前、下層出土の脛骨が1万8000年前の旧石器時代後期~縄文時代の過渡期のものであることを示した。本州唯一の旧石器時代の人骨化石で、骨の形態から新人(ホモ・サピエンス)に属するという。
●旧石器時代遺跡
(井出丸山遺跡)(いでまるやまいせき)
富士山南東にある静岡県・愛鷹山麓の沼津市井出にある遺跡で、3万8000年前のもの。日本列島に唯一旧石器時代人が渡来したとされる痕跡。黒曜石を遠くから広く求めていた。
(中道遺跡)(なかみちいせき)
埼玉県の中道遺跡から、市内最古で国内でも最古級の3万6000年前の石器群が出土した。
(香坂山遺跡)(こうさかやま)
長野県佐久市の香坂山遺跡からは、後期旧石器時代初頭を特徴づける石器製作技術である石刃(せきじん)技法でつくった石器などが見つかった。同時に出土した炭化物の放射性炭素年代測定によって、遺跡の年代は3万6000年~3万5000年前とわかった。この年代は、石刃が出土した遺跡として国内最古とされている。
(岩宿遺跡)(いわじゅくいせき)
群馬県の岩宿遺跡は、関東ローム層の中から石器が出土し、日本で初めて発見された旧石器時代の遺跡。日本では終戦まで、日本列島には縄文時代以前の旧石器時代に相当する文化はないと考えられていた。発掘によって二つの石器文化が確認された。下層のものは、局部磨製石斧を含む石器群で、3万5000年前のもの。上層のものは切出形ナイフ形石器などを含む2万5000年前の石器群である。
(福井洞窟)(ふくいどうくつ)
福井洞窟は、長崎県佐世保市にある岩陰遺跡。1万9000年から1万年前という旧石器時代後期から縄文時代への過渡期の文化層が認められた。多種多様な日本全土で旧石器時代末期に流行した細石核が出土した日本で初めて発掘された旧石器時代の土器も出土した。
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次回は第3回「日本人の成立」
(担当H)
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