『渡来人』第1回「渡来人」とは? | 奈良の鹿たち

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『渡来人』

第1回

<「渡来人」とは?>

 

 

「渡来人」とは、字の如く「渡って来た人」である。日本列島まで、海や島を渡ってたどりついた人々です。

まさか日本列島でホモ・サピエンスが誕生したということはないので、日本人は100%、 渡来人から生まれたのです。

でも何故、彼らはわざわざ困難な渡海をしてまで日本列島に来たのでしょうか?

4万年前の旧石器時代~縄文時代において、大陸の人々が日本列島について事前に知識を持っていたとは思えません。「住みやすい、豊かだ」などということは分からなかったはずです。

一般的に言われているのが、「人間の本能的好奇心から、徐々に日本列島に近づいてきた」「気候変動や自然災害による食料危機、疫病による恐怖心、他の種族との争いによる逃避」です。

物的証拠など全くないので、専門家でも推定の域を出ていません。

 

「渡来人」という日本語定義でも議論があります。

①  どこ(いつ)からどこ(いつ)までを「渡来人」と呼ぶのか?

②  「帰化人」と「渡来人」はその内容は違うのか? 

 

①  初期段階に渡ってきた原人的ホモ・サピエンスを「渡来人」と呼ぶのか? 

確かに、学術的にも沖縄の2万2千年前の港川人(みなとがわじん)や2万7千年前の白保人(しらほじん)、北海道のアイヌ人の祖先は、あまり「渡来人」とは呼ばれていません。

 

稲作をもたらした縄文・弥生時代からを「渡来人」と呼んでいるようです。となると、文化を携えた人々だけを「渡来人」と呼び、ただ流れ着いた人々は「渡来人」ではないということになります。「渡来人」という文字からは、そのような内容は読み取れません。後々に「渡来人」と呼ばれる人々でも、文化を運んだ人ばかりではないだろう。逃避して着の身着のままやってきた人たちもいたはずです。

では、いつの時代までを「渡来人」と呼ぶのでしょう? 

江戸時代の三浦 按針(みうら あんじん):ウィリアム・アダムス(William Adams)を「渡来人」とは呼ばないだろう。西洋人だから?

豊臣秀吉の朝鮮出兵で強制的に連れてこられた李参平(りさんぺい)たち陶工は「渡来人」か?

とても自らすすんで来たわけでもない悲劇の物語だ。

まあ、4世紀末から8世紀後半の飛鳥奈良時代に活躍した秦氏(はたし)などの渡来系氏族までを「渡来人」と呼んでいるようです。

    

鑑真和尚を、畏れ多くも「渡来人」と言うかどうか? この辺りが境い目のようです。

正確に「渡来人」を時代的、文化的にきっちり定義することは出来ないようです。

 

②「帰化人」と「渡来人」は違うのか? 

「帰化人」と呼ぶのは、受け入れ側の優越的地位を示すもので「日本人にさせてやる」という感情が込められていると言われています。

『Wikipedia』では、<帰化(Naturalization)とは、ある国家の国籍を有しない外国人が、国籍の取得を申請して、ある国家がその外国人に対して新たに国籍を認めること。本人の希望により他国の国籍を取得しその国の国民となることをいう。

古代における語義・用法では「帰化」という語句の本来の意味は、「君主の徳に教化・感化されて、そのもとに服して従うこと」> となっています。

 

弥生から奈良時代にかけても、むしろ来た人たちの方が文化水準は高く、受入国日本はもともと稲作もしておらず、鉄もなく、文字もなく、建築技術もなく、律令も無かった。

彼らが渡来してきてくれたことで、古代日本の文化水準が引き上げられました。

渡来人が来なかったら、倭国―日本は無かったと言っても過言ではありません。

とても「帰化した」という状況ではなかった。

 

 

 

 

(担当H)

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次回は第2回「日本人はどこから来たのか」