『人類の起源と進化』
第5回「新人 ホモ・サピエンス①」
(クロマニヨン人)
(4万5千年前~1万5千年前)
(クロマニヨン人)
クロマニヨン人とは、1868年、フランス南西部のクロマニヨン洞窟の岩陰遺跡で発見された化石人類である。その後、ヨーロッパや北アフリカ各地の洪積世地層から同様の人骨が発見された。4万5千年前から1万5千年前まで生存していたとみられる。
精密な技巧で有名な洞窟壁画を残すなど、われわれとほぼ変わらない能力をもっていて、同じホモ・サピエンスであり、現代人の直接の祖先と考えられている。
(人類史)
ネアンデルタール人を便宜上「旧人」と呼ぶのに対し、クロマニヨン人に代表される現代型ホモ・サピエンスを便宜上「新人」と呼んでいる。
クロマニヨン人は、20万年前にアフリカに出現したホモ・サピエンスの仲間で、16~15万年前にユーラシアに拡散し、4万5千年前に西ヨーロッパに現れ、後期旧石器文化を発展させ洞穴絵画を各地に残した。1万5千年前ごろ絶滅したと思われる。
15万年前は世界各地にいろんな人類がいた。当時ヨーロッパに先住していたのはネアンデルタール人だった。クロマニヨン人は、アフリカからやって来た移民だったのだ。最近の化石の発見から、少なくとも中近東では新人のクロマニヨン人が旧人のネアンデルタール人と数万年にわたって隣り合わせで暮らしていたことが分かってきた。西アジア地域には、10万年前頃の古い時代にすでにクロマニヨン人が出現していた証拠がある。イスラエルのカフゼー遺跡とスフール遺跡でのクロマニヨン人の石器文化は、ネアンデルタール人と同じ中期旧石器文化であった。
フランス南西部のヴェゼール渓谷に、ユネスコの世界遺産に指定されている先史遺跡と洞窟群がある。これらの遺跡は、かつてこの土地に二つの異なる人類が暮らしていたことを教えてくれる。はじめの先住者はネアンデルタール人で、彼らが姿を消した後、クロマニヨン人が住み着いたようだ。この新しい住人は、前の住人よりも進んだ後期旧石器時代の文化をたずさえていた。
通説では3万5千年前頃になると,ヨーロッパの東方あるいは中近東からやって来た高度な文化をもったクロマニヨン人によって、ネアンデルタール人は絶滅させられた、といわれている。原因は、直接の殺戮ではなく、クロマニヨン人によって食料となる獲物が優越的に先取りされ、ネアンデルタール人は確保できなくなったためだと考えられている。
(身体的特徴)
(クロマニヨン人の頭骨図 Wikimedia Commons)
クロマニヨン人は、現代人とほぼ変わらない外観だったとされている。
発掘された男性の頭骨から推定された身長は180cm前後で大柄だった。筋骨がよく発達し、かなり体格がよかったことが明らかになっている。
ネアンデルタール人などの旧人のような眼の上の隆起や額(ひたい)の後退は見られない。歯は小さく、顎(あご)はあまり突出していなく、新人特有の頤(おとがい)が見られる(頤:下あご。ヒトの進化において頤は分岐学上の派生的形質のひとつであり、現生人類を古生人類から分ける解剖学的な定義のひとつとなっている)。
脳の容量(約l,300cc)も現代人とほぼ同じで、以上のことから、現在の人類の直系の祖先だったと考えられている。
(道具)
クロマニヨン人(4万~1万年前)と、それ以前のネアンデルタール人(40万~3万年前)、ハイデルベルグ人(60万~30万年前)との大きな違いは何だったのだろう?
その一つはクロマニヨン人が使っていた道具にある。
旧石器時代の中でも後期旧石器文化にあたる石刃技法という高度な石器製造技術を持ち、小さくて鋭い精巧な石器や骨器などの道具を製作していた。まず円柱状の石核を作り、それを薄く割っていくことで、カミソリのような刃(石刃)を大量生産し、それをさらに加工し、彫器にしたり、穴あけ器にしたりと、いろんな用途の道具を作った。
ネアンデルタール人が尖頭器のついた槍を使うだけであったが、クロマニヨン人は1万8千年前ごろになると、投槍器(とうそうき)(動物の角を加工してフック状にし、槍をより強力に遠くに飛ばせる補助具。現在ではアトラトルと呼ばれる)を発明している。
そのうえ投槍器などに動物を彫刻し、装飾にこだわっていた。
(投槍器(アトラトル))
クロマニヨン人の食事は、主に狩猟採集によって賄われていた。彼らは、狩猟技術を高度に発達させて、1万5千年前ごろには弓矢を発明し、狩猟は一段と進歩した。
トナカイ、マンモス、バイソン、ウマ等の大動物を巧みな狩猟技術を使って次々と捕獲していった。
しかし、それらが減少や絶滅することによって、彼らも滅亡に向ったとされている。
(洞窟壁画)
クロマニヨン人が活動していた範囲で広く洞穴絵画が残されている。代表的なものは、フランスのラスコー洞窟、スペインのアルタミラ洞窟などである。躍動感あふれる動物たちの彩色画が多数発見されている。また、1994年に発見された南フランスのアルデーシュ川の渓谷のショーベ洞窟は、炭素14年代の測定の結果、3万7千年前のものという古さだった。ヨーロッパでは、ラスコー以外にも300近い壁画が残されている。
明確な洞穴絵画が現れるのはクロマニヨン人の時代になってからであり、ネアンデルタール人には今のところ見つかっていない。現生人類の芸術活動の始まりがクロマニヨン人の洞穴絵画であると考えられている。描かれているのは主にウマやシカ、バイソン(野牛)などの動物で狩猟技術の向上を示すと共に何らかの儀礼的、社会的な意味合いがあったものと考えられている。色には赤、黄色、茶がオーカー(ベンガラ)の濃淡で表され、炭や二酸化マンガンで黒、白陶土で白が彩色されて、複雑な技法が用いられている。
(彫刻)
クロマニヨン人の残した美術は洞穴絵画だけでない。象牙やトナカイの角などを利用して、動物の姿を模した彫刻作品も作っていた。バイソンが体を舐(な)める動きや、繊細な毛並みの1本1本を再現したものも見つかっていて、高度な観察眼と手先の器用さを持っていたことが分かる。
ドイツでは世界最古の彫刻と楽器(4万年前)が、チェコでは世界最古の焼土製の人形(2万8000年前)が発見されている。
自然の生産力を象徴するものと思われる女性裸像なども造られ、芸術表現や抽象化の能力を高めたことが知られる。
(装飾)
動物の歯や貝殻をビーズとして加工したアクセサリーもあり、女性用の帽子は、実際にイタリアでも見つかっている。骨製の縫い針まであり、かなり繊細な縫物も可能だったわけだ。
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次回は「新人②(現代人)」
(担当B)
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