『人類の起源と進化』
第6回(最終回)「新人 ホモ・サピエンス②」
(われわれ現代人)
(30万前~現代)
ホモ・サピエンスは、ラテン語で知恵ある人、賢い人の意であり、「現生人類」を意味する人類学上の学名である。
かつては、人類の進化過程を単線的な猿人・原人・旧人・新人の四段階に分け、ホモ・サピエンスは新人に対応するとされていたが、化石人類学の進歩で現在はこのような単線的段階論は退けられ、人類にはいくつもの種が存在し、それらは進化や分化、絶滅を繰り返したと考えられるようになっている。当ブログでは、理解しやすいため、あえてこの分類を使っています。
後期旧石器文化をになったクロマニヨン人や日本の縄文人なども同じホモ・サピエンスの仲間に入れられる。
今日地球上に生存するのは、人種的にはホモ・サピエンス1種だけである。
そして、現在生き残っているのがホモ・サピエンスの中でも「われわれ現代人類」だけである。
(ホモ・サピエンスの特徴)
一つには額(ひたい)が垂直に近い(他の人類は角度がある)ことである。これは大脳の前頭葉が大きくなったことを反映している。また、眼窩上隆起が小さくなって消滅し、顎(あご)が小さくなって顔面が平らになり、頤(おとがい)(下あごの先端)が発達した。
(アフリカでの誕生進化)
現在ではアフリカでアウストラロピテクス系統からホモ属(ヒト属)が進化したといわれている。未確定ながら、ホモ属の最初は約250万年前のホモ・ハビリスがはじめで、次に確定的なホモ属であるホモ・エレクトスが190万年前頃に登場した。
ホモ・エレクトスは、180万~170万年前に一部がアフリカを出るが、アフリカに残ったものの中から、35万~20万年前にホモ・サピエンスに進化したというのが現在有力な考え方になっている(「アフリカ単一起源説」)。
1987年提唱された現生人類の「アフリカ単一起源説」は、残された化石人類と現生人類のDNAを比較研究し、現生人類の先祖が約16±4万年前にアフリカに生存していたと推定されアフリカの一女性にいきつくことを明らかにした。この女性は、聖書の人類創出の話に因んで“イブ”と名付けられた。このDNAは母系遺伝だけで伝えられるミトコンドリアDNAのことなので、“ミトコンドリア・イブ”などとも呼ばれている。
考古学的な証拠と遺伝子解析で、すべての人類がアフリカ由来であるということだ。
モロッコのジェバル・イルード遺跡から、議論はあるが、約30万年前の初期ホモ・サピエンスの頭蓋骨が見つかった。
南アフリカでも、不確定ではあるが26万年前とされるホモ・サピエンスとみられる化石が見つかっている。
エチオピアで出土したキビッシュ・オモ1号の化石は、アフリカ東部で最古のホモ・サピエンスの化石として知られているが、この化石人類は、少なくとも23万3000(±2万2000)年前のものと推定された。
エチオピアのヘルト地域で見つかったヘルト人の化石は、エチオピアで発見されたホモ・サピエンスの初期の化石で、16万~15万5千年前のものと報告されている。
30万~15万年前には、ホモ・サピエンスはアフリカ全土に広まっていたようだ。
また、約20万年以前のホモ・サピエンスが石刃技法で作ったと思われる石器や、果実をすりつぶすための石皿、着色用の顔料などもアフリカ各地で見つかっている。
(アフリカのホモ・サピエンス分布図)
(出アフリカ)
ホモ・エレクトスが人類としてはじめてアフリカを出た(古い出アフリカ)。遺跡や化石から、その後、初期人類の「出アフリカ」は何度か繰り返されていたことがわかる。ただ、そうした時期の化石はきわめて少ない。そのため、初期の移動では人類はアフリカ以外の地に定着できなかったと推測されている。
黒海東岸のジョージア(旧グルジア)のドマニシにホモ・エレクトスの痕跡が残っていた。
●160万年前
アフリカを出て、インドネシアのジャワ島に到達した(ジャワ原人)。
●78万年前
イスラエルのゲシャー・ヤノット・ヤーコブ遺跡で、直立原人が火を使っていた。
●60万年前
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが分岐し、その後も互いに交雑していた。
●43万年前
スペインで出土した化石のDNA鑑定で、この頃アフリカから出たヒト族の祖先がネアンデルタール人であることが判明した。
●21万年以上前
遺伝子のデータから27万年前にホモ・サピエンスの出アフリカがあったとする説がある。また、ギリシア南部のアピディマ洞窟で見つかった頭蓋骨(一部)が、21万年以上前のホモ・サピエンスのものと判明した。人類がアフリカ大陸を離れて移動したことの痕跡としては最も古い。(第1回目の出アフリカ)
つまり、ホモ・サピエンスはアフリカに起源を持つ単一種ということになる(アフリカ単一起源説)。
(アピディマ洞窟の 頭蓋骨復元)
●19万4千~17万7千年前
イスラエルのミスリヤ洞窟でホモ・サピエンスの顎の断片が発見された。
(ミスリヤ洞窟のホモ・サピエンスの顎)
●19万~12万5千年前
本格的なホモ・サピエンスの「出アフリカ」が始まった(第2回目の出アフリカ)。
19万5000年前に、地球は「海洋酸素同位体ステージ6」(MIS6)と呼ばれる長い氷期に入り,これが12万3000年前まで続いた。この時期の気候は寒冷で乾燥しており,アフリカ大陸のほとんどは,住むのに適さない土地になっただろう。地球を襲ったこの氷期の間に,人口は危機的と言えるほど急激に減少し,子どもを作ることができる年齢の人は,1万人以上から数百人になった。瓶の首が細くなるように個体数が大きく減少することを「ボトルネック現象」と呼ぶ。
人類の祖先はこの氷期をいったいどのように生き延びたのだろうか?
人々は、生きる場所を求めて移動に移動を繰り返し、まず海産物で飢えをしのぐために沿岸部に移動した。そして、大陸の北東端いわゆる「アフリカの角」からアラビア半島に入り、さらにホルムズ海峡を越えてアジアに進出したようだ(出アフリカ南ルート)。
海岸線に沿ってさらに東進し、東南アジアに達した。中国南部で発見され、ホモ・サピエンスのものと判定された歯の化石は10万年前のものだ。アラビア半島では12万5千年前のホモ・サピエンスの石器が見つかっているし、インドにも7万4千年以上前の石器がある。
●7万5千年前
トバ湖(インドネシア)で巨大噴火が起き、噴煙で地球上の気温が下がった。これら自然現象や疫病、部族争いなどが原因で移動が行われた可能性がある。
●7万年~6万年前
最も大規模なホモ・サピエンスの「出アフリカ」が始まり、6万年前にはオーストラリア大陸まで到達した。(第3回目の出アフリカ)
●4万6千年前
ホモ・サピエンスのヨーロッパへの移動は遅い。このころから、急速な勢いでバルカン半島を北上、ブルガリアで出土した歯や骨片は4万6千年前、イギリス南西部で見つかった顎骨は推定4万3千~3万4千年前のものだ。
ヨーロッパ大陸に侵入した一部はヨーロッパでクロマニヨン人として知られ、石刃技法を発達させ、洞穴絵画を残している。
そのころヨーロッパにはネアンデルタール人がすでに生活していた。その後もネアンデルタール人の文化(ムステリアン文化)はなおも存続し、両種は共存していた。しかし、ホモ・サピエンスのヨーロッパへの移住が何波かに分かれて続くうちに、ネアンデルタール人は次第に減少していき、約4万年前に絶滅した。
現生人類を地域ごとに分け、ネアンデルタール人のゲノムと比較すると、ネアンデルタール人が持つ遺伝子の変異は、現生人類のうちアフリカ人よりも、アフリカ人以外の集団に多く見られることが分かっている。そしてこのことから、ホモ・サピエンスがアフリカを出た後、世界各地に移動する前に、交雑によるネアンデルタール人からの遺伝的流入があったと考えられている。
すなわち、出アフリカ ➡ 中東あたりでネアンデルタール人と交雑 ➡ 世界に広がる。
しかし、現生人類とネアンデルタール人とが共有する遺伝子は交雑によるものではなく、両者の共通祖先(ホモ・エレクトス)が持っていた遺伝子の名残りであるという説もある。
●1万5千年前
遅くともこのころには、アメリカ大陸にも現生人類が到達した。彼らは東北アジアからベーリング地峡を越えてアメリカ大陸に渡り、1万3千年前に北米に、1万1千年前には南米の南端まで到達したものと考えられる。
この時期は最終氷期にあたっており、特に2万1千年前ごろは最寒冷期とよばれるピークで、夏の気温が10~15度下がったと考えられる。そのため氷床が発達し海水面が現在よりも100mも下がり、ユーラシア大陸と北米大陸の間のベーリング海峡は陸続きであった。
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『人類の起源と進化』(完)
(担当B)
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