『人類の起源と進化』
第4回「旧人②」
(デニソワ人)
(40万年前~4万年前)
(デニソワ人)
2008年にロシアの西シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟からいくつかの骨が発見された。
新たに発見されたヒト族は、洞窟の名称にちなんで「デニソワ人」と名付けられた。
考古学の分類では旧人と呼ばれる人類である。ネアンデルタール人と兄弟種と言われ、彼らの直接の系統は3~4万年ほど前に歴史から消えたとされたが、最近の遺伝子研究で彼らのDNAは現生人類にまで残っていて、当然、混じりあった時期が存在したということだ。
デニソワ人の想像図。狭い額やがっしりした顎など多くの点でネアンデルタール人に似ていたようだ。彼らはコーカソイド(白人種系)に近い体系で、顔の堀が深かった。
2010年3月25日付の科学誌『ネイチャー』において、マックス・プランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ(Pääbo)教授(2022年ノーベル生理学・医学賞受賞)が率いる国際チームは、デニソワ洞窟の4万8千年~3万年前の地層から見つかった小指の先端の骨は、放射性炭素年代測定により5~7歳の少女の小指の骨であり、約4万1千年前のものと推定したと発表した。
2010年12月にもペーボ教授たちは、科学誌『ネイチャー』に論文を掲載した。
それによると、2008年にデニソワ洞窟で発見された手の小指の先端の骨からミトコンドリアDNAを取り出し、現生人類やネアンデルタール人、および類人猿と比較した。その結果驚くべきことに、この化石のミトコンドリアDNAは現生人類ともネアンデルタール人とも異なる配列を持ち新種の人類であることが分かった。ペーボは、この化石人類は新種の人類「デニソワ人」 として発表した。デニソワ人は、遺伝学的な手法で新種であることが突き止められた初めての絶滅人類だ。
続いて核DNAの復元にも成功し、核ゲノム分析では、80万4千年前に現生人類であるホモ・サピエンスとの共通祖先からネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先が分岐した後、64万年前にネアンデルタール人とデニソワ人が分岐したことがわかった。
また、デニソワ人の遺伝子は現生人類のほとんどと似ていないが、パフアニューギニアのブーゲンビル島の人々と共通する部分があることを突き止めた。
このことから、デニソワ人はユーラシア大陸の東部と南部の広い地域にまたがっていたことが推定された。
ネアンデルタール人がヨーロッパと中東に定着したのに対し、デニソワ人は東に進んでアジアまで来たようだ。途中、デニソワ人は現生人類の祖先と交雑し、その遺伝子の特徴は今でもアジア系集団に残っている。彼らは、ネアンデルタール人が絶滅に向かい始めた4万年前頃まで生きていたようだ。
また、同じデニソワ洞窟で2010年には若い成人の臼歯も見つかっている。
この臼歯の化石を分析したところ、彼らは現生人類やネアンデルタール人と数万年もの間共存していたことが、2015年11月付の科学誌の論文で明らかになった。ホモ・サピエンスの祖先が、かつて他のヒト科ヒト属(ホモ属)とユーラシア大陸を共有していたことを裏付ける研究結果である。約4万年前に姿を消したネアンデルタール人は、現生人類と数十万年もの間すぐそばで暮らしていたが、ある期間、そこにはデニソワ人の姿もあったことになる。
その後2本目のデニソワ人の歯が見つかり、ミトコンドリアDNAの分析から、先に見つかっていた指の骨の持ち主たちよりも約6万年も前に生きていたとされ、デニソワ人は単一の種として、少なくとも現生人類と同じくらいの期間、アルタイ地域に断続的に、またはネアンデルタール人より先に存在していた可能性すらある。後に交配があったとしても、デニソワ人は元々独立した種で、新たな歯の年代や分析から、これまで考えられていたほどネアンデルタール人とは近縁ではないかもしれないことが示唆された。
2018年8月、シベリアのデニソワ洞窟の骨のDNA解析をしていたマックス・プランク研究所は、この洞窟で発見された骨から検出された遺伝子の分析によって、この骨の持ち主は約9万年前の13歳前後で死亡した少女で、ネアンデルタール人の母とデニソワ人 の父を持っていたことが分かったと科学誌『ネイチャー』に発表した。
研究者らはDNA解析により、この少女の母親はそれまでデニソワ洞窟に住んでいたネアンデルタール人より、西欧のクロアチアで生活していた地域に住んでいたネアンデルタール人に遺伝的に近いと推測している。つまり、ネアンデルタール人は絶滅する数万年前から、欧州東西とアジアの間で移住を繰り返したことになる。遺伝子分析ではさらに、デニソワ人の少女の父親には少なくとも1人、以前は関係が薄いといわれたネアンデルタール人の祖先がいたことも明らかになった。この発見は、2種のヒト族の交雑によって生まれた子どもの初の決定的な証拠であり、古代のヒト族同士の関係の理解を進めるヒントとなった。
デニソワ人とネアンデルタール人両方の化石が見つかっているのは、シベリアのアルタイ山脈にあるデニソワ洞窟だけで、そこの資料の中から、両者が混血していた事が最新科学で判明された。
交雑していたのはデニソワ人とネアンデルタール人だけではないと考えられている。
DNAの解読成果を現代人と比較すると、メラネシアのパプアニューギニア人の4.8% が最も近かった。この事は、現代人の祖先、現生人類とデニソワ人の交配があったことを示している。
現在の人類に見つかるデニソワ人のDNAの痕跡は、デニソワ人がかつてアジア各地に暮らしていたことを示唆している。現生人類との交雑では、不思議なことに東アジアやヨーロッパの集団との交雑は見られず、現代のメラネシア島民とは、特別な遺伝的類縁関係を持つとみられる。メラネシア人のゲノムの4~6%がデニソワ人固有のものと一致することが示された。その後の東南アジア集団の詳細な解析で、デニソワ人のゲノムがこの地域の広範な集団に共有されていることが解ってきた。このことよりデニソワ人がシベリアから東南アジア一帯の広い地域に分布していたと考えられるという。
異種の人類祖先同士の交雑・共存は通常のことだった可能性が出てきた。ヒト族同士の交雑が以前考えられていたよりも一般的だった可能性を示唆している。
これらの結果から、現生人類とネアンデルタール人の分岐は55万年前から76万年前、ネアンデルタール人とデニソワ人の分岐は38万年前から47万年前だと報告された。
年代については、そもそもデニソワ人とは?という定義自体が定かではない。いつからデニソワ人か?ということは、遺伝子的にもおそらく数万年単位のグラデーション(段階)をもっている。また分析資料も少なく、資料によって当然分析結果が異なるため諸説紛々だ。
当然、時代が遡(さかのぼ)れば年代幅も大きくななっていく。
中国甘粛省の夏河近郊、海抜3280mの白石崖溶洞は、デニソワ人の居住が確認されている一つだ。
考古学者のチームの調査では、古代人類のデニソワ人はチベット高原で10万年以上にわたり生存、繁栄していたというのである。デニソワ人が羊、野生のヤク、マーモット、鳥を含む大小さまざまな動物を狩猟、屠殺、加工していたことが判明した。また、4万8千年~3万2千年前にさかのぼる堆積層から肋骨の断片が発見された。確認されているデニソワ人の化石としては最も新しく、科学者の従来の想定よりも後年までデニソワ人が生存していたことを示す手掛かりとなる。新たな研究からは、白石崖溶洞に住んでいたデニソワ人は、非常にたくましかったこと、過酷な環境で氷河期を生き延び、草地で手に入るさまざまな動物資源を最大限に活用していたことがうかがえる。
何故、このような生存に不適な場所に住まなければならなかったのか?という疑問も残る。
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次回は 第5回 「新人① クロマニオン人」
(担当B)
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