『人類の起源と進化』第1回 人類の起源から猿人まで | 奈良の鹿たち

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『人類の起源と進化』

第1回「人類の起源から猿人まで」

(700~200万年前)

 

(猿人)

人類の起源は、現在ではおよそ700万年前とされるようになりました。

チンパンジーの祖先とヒトの祖先が分かれたのがおよそ760~700万年前ということが、化石やDNA分析によって示されました。チンパンジーと分岐したのは、ヒトが地上に降りて直立二足歩行を始めたことを契機にしていると考えられています。ヒトとチンパンジーの遺伝子の98.7%は共通しています。

今のところ、もっとも古い人類化石は、2001年に北アフリカのチャド・ジュラブ砂漠で発見されたおよそ700万年前のサヘラントロプス属ヘラントロプス・チャデンシス(トゥーマイ猿人)です。脳容量は360~380ccで、直立二足歩行をしていました。見かけはほぼチンパンジーです。

(サヘラントロプス・チャデンシス)

以前の学説では、最古の人類は440万年前の後述のアウストラロピテクスとされていましたが、チャデンシスが発見されて分析が確定してからは、「700万年前のサヘラントロプス・チャデンシスが人類の起源」とされています。

 

2000年に北ケニアで、およそ610~580万年前のオロリン属オロリン・トゥゲネンシスという種の化石が発見されていますが、頭骨のほとんどを欠いているため詳しい分析は出来ませ。

次に古い時期の化石は、アルディピテクス属で、エチオピアからおよそ580~520万前のアルディピテクス・カダッパと、およそ450~440万年前のアルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人)の化石が出土しています。ラミダスの化石の中で「アルディ」と名付けられた成人女性は身長1.2m、体重50㎏で、全身骨格がかなり残っており、脳容量は300~350ccとチンパンジーとほぼ同じでした。しかし、その手足はヒトにもチンパンジーに似ておらず、その中間でもないという人類進化の分析の困難さを示すものでした。アルディの骨格から、彼らが樹上での生活に適応していた特徴が見られました。しかし、森林の中で果実と草を食していたゴリラとチンパンジーは生き延び、乾燥化が進む森林と草原の境目に住んでいたカダッパやラミダスなどのアルディビテクス属はおよそ439万年前に絶滅しました。

サヘラントロプス属、オロリン属、アルディピテクス属を総称して「初期猿人」と呼んでいます。

これら初期猿人を人類進化のどこに置くべきなのか、この属系統は途切れてしまったのではないか、などこの三つの属についてはほとんど定義されていません。700万年前にチンパンジーから分岐した後100万年間のの化石証拠は乏しく、進化の過程が空白となっているため、「ミッシングリンク(失われた環)」と呼ばれています。

初期猿人に続いて発見されたのが、およそ420万~200万年前のアウストラロピテクス属です。この属種の化石は、東アフリカと南アフリカでも発券されていて、アフリカの広い範囲で生存していたと考えられます。

最近の新発見で、猿人のアウストラロピテクス属がアルディピテクス属から急速に進化した可能性が高まりました。平地でほぼ完全な直立二足歩行をしていましたが、ゴリラのように腕を使った四足歩行もしていたのではないかとか、地上生活と樹上生活が混じっていたとも考えられます。自由になった手で道具を使うようになり、原始的な打製石器を使用していたようで、もしかしたら火も使っていたのではないかともいわれています。

アウストラロピテクス属の中でも、最も原始的な系統として知られるアウストラロピテクス・アナメンシスの化石は1995年にケニア・トゥルカナ湖で発見されました。およそ420~390万年前のもので、主に顎と歯の化石でした。後期のアウストラロピテクス属については、およそ350~200万年前の複数の頭蓋骨が知られています。アウストラロピテクス属は、実に200万年もの間生存していたのです。

もっとも有名なアウストラロピテクスは、1974年にエチオピアで発見された「ルーシー」と呼ばれる25~30歳の女性の全身骨格(身長1.1m、体重29kg)です。彼女はおよそ322~318万年前のアウストラロピテクス・アファレンシスの一人で、水に溺れたか木から落ちて亡くなったとみられます。

アファレンシスは、脳容量が380~430ccで、性による体格差も大きく、木に登ったり、枝にぶら下がったりしていたことがわかっています。

アナメンシスとアファレンシスは、両者がおよそ10万年のあいだ、同じ地域で共存していた可能性が指摘されています。

300万年前より新しいアウストラロピテクス属の化石としては、1924年に南アフリカで発見されたアウストラロピテクス・アフリカヌスがいます。身長は115~138cmで直立二足歩行をしており、脳は現代人の半分以下でしたが、405~625ccと初期猿人よりは増大していました。アウストラロピテクス属は、エチオピアで発見されたおよそ270~250万年前のアウストラロピテクス・ガルヒを最後に絶滅しました。

アウストラロピテクス属と同時期に、パラントロプス属が生存していました。パラントロプス属はおよそ260万年前には出現し、最初はアウストラロピテクス属と、のちにはホモ属と共存することになりました。

(パラントロプス)

南アフリカで180~120万年前のパラントロプス・ロブストスと、タンザニアで230~125万年前のパラントロプス・ボイセイが発見されました。

特徴のある頭骨と巨大な臼歯を持っていました。頭蓋骨が左右方向に広がって顔面も広くなり、噛む力が強くなりました。アウストラロピテクス属が肉食傾向を強めていったのに対し、パラントロプス属は栄養価の少ない固い根菜類植物を食べていたと考えられています。このことが、パラントロプス属がアウストラロピテクス属よりも長く生存できた要因だと考えられています。しかし、およそ130万年前よりも新しい時代に絶滅したと考えられます。

 

そして、アウストラロピテクス属からホモ属への移行期が始まります。このことは、アウストラロピテクス属がホモ属の祖先だったということにはなりません。

形態的な特徴から、のちのホモ属につながると考えられているのが、東アフリカの大地溝帯でおよそ240~140万年前の地層から出土したホモ・ハビリスです。

(ホモ・ハビリス)

高度な石器製造技術を持っていて、脳容量が500~700ccとアウストラロピテクス属よりも少し大きく、身長は135㎝と低く、不釣り合いなほどの長い腕を持っていました。猿人のアウストラロピテクス属と原人のホモ・エレクトスの中間的な位置にあると思われています。しかし、現在では、名前は「ホモ」と冠していても、アウストラロピテクス属近い化石人類で、ホモ属ではなく現生人類とは繋がりはないという説が有力です。

1972年にケニアのトゥルカナ湖東岸で発見されたホモ・ルドルフェンシスの化石は、およそ250~178万年前のものだと推定されています。頭蓋の形はかなりサルに近く、推定される脳の容積も790ccとホモ・ハビリスと同程度でした。多くの科学者は大きな脳と二足歩行を除いては、サルに近かったと考えています。

さらに、南アフリカから出土したおよそ195~178万年前のアウストラロピクテス・セディバにもホモ属の特徴である前頭葉が大きく、手先が器用で道具を使っていたと見られましたが、脳容量が420~450ccと小さく猿人の域を出ないといわれています。ホモ・エレクトスにつながるヒトの直接の祖先なのか、それともヒトの形質を少しだけ持った猿人なのか。200万年以上続いたアウストラロピクテス世代の最期の猿人です。

猿人から原人にいたるルーツも不確定で、「ミッシングリンク」です。

(アウストラロピクテス・セディバ)

 

 

 

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 次回は 第2回「原人」

 

 

(担当B)

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