『渡来人』第8回 日本人の成立 | 奈良の鹿たち

奈良の鹿たち

悠々自適のシニアたちです

 

『渡来人』

第8回

日本人の成立

 

 

今、「旧石器時代」が熱い。

少し前まで、邪馬台国の弥生時代や三内丸山遺跡の縄文時代が注目されていましたが、この最近「われわれ日本人はどこから来たのか?」それを教えてくれる旧石器時代が注目されています。

日本人の成立

●1991年 埴原和郎が混血説―「二重構造モデル」を提唱。

後期旧石器時代から縄文時代までの間、どのように現在の日本列島人になっていったのかについて現在最も支持されているのが混血説―「二重構造モデル」である。

埴原は現代日本人に至るまでの形成過程を、「旧石器時代に移動してきた東南アジア起源の縄文人(原アジア人)を基層集団とし(一重)、そこに弥生時代から古墳時代にかけて移動してきた北東アジア起源の渡来人が覆い被さるように分布した(二重)としたうえで、やがて二つの集団は混血していくがその進行度には地域差があり、形質的な差異を生み出していった」と推測した。

別の説明をすると、「縄文文化の担い手と弥生文化の担い手とは人種的に異なっており、現在の日本人は縄文人と弥生人の混血であり、日本の地域による文化的な差異は両集団の混血の比率の違いによること、弥生文化の担い手は渡来人たちであり、近畿地方に朝廷をつくったのは彼らである」、という仮説である。

渡来系の遺伝子はこのようにして徐々に拡散したが、縄文系と渡来系との混血は近畿から離れるにつれて薄くなる。現代にもみられる日本人の地域性は、両集団の混血の濃淡によって説明される。

混血がほとんど、あるいはわずかしか起こらなかった北海道と南西諸島に縄文系の特長を濃厚に残す集団が住んでいることも、同じ論理によって説明することができる。

日本人に多層性を認め、その中でも弥生時代以降の渡来人が日本人形成に大きな影響を与えた点はほぼ学会でも受入れられている。

 

ところが、近年、日本人のゲノム(全遺伝情報)を解析する技術を駆使した研究が盛んになり、長年ほぼ定説となっていた「二重構造モデル」が修正されつつある。1991年という未だ遺伝子解析技術も未熟であったという事情からすると、やむを得ない評価の低減であろう。

 

●2021年 金沢大学 研究グループ「三重構造モデル」を発表。

縄文、弥生、古墳時代の遺跡から出土した人骨のゲノム解析した結果、現代の日本人は大陸から渡ってきた3つの集団を祖先に持つことが分かったとしている。

研究グループの覚張氏らは、6つの遺跡で出土した人骨から計12人分のゲノムを取得し解析した。

その結果、①縄文人の祖先集団は、2万~1万5000年前に大陸の集団(基層集団)から分かれて渡来して1000人ほどの小集団を形成していたことが分かった。

そして②弥生時代には北東アジアに起源をもつ集団が、また③古墳時代には東アジアの集団がそれぞれ渡来してその度に混血があったと推定できたという。

すなわち、①大陸の集団から分かれた縄文人が暮らしている日本に②弥生時代と③古墳時代に2段階にわたって大陸から遺伝的に異なる集団が流入したことを示唆しているという。そして研究グループは、従来の「二重構造モデル」に対して、新たに「三重構造モデル」を提唱した。

縄文時代から現代に至るまでの日本人ゲノムの変遷を示すグラフ。本州での現代日本人集団は古墳時代に形成された3つの祖先から成る三重構造を維持している(金沢大学などの研究グループ提供)

 

●2023年 東京大学 研究グループ「縄文人度合」を発表

大橋順教授らは、遺伝子検査サービスに集まったデータを解析した。

それによると、沖縄県で縄文人由来のゲノム成分比率が非常に高く、逆に「渡来人」由来のゲノム成分が最も高かったのは滋賀県だった。沖縄県の次に縄文人由来のゲノム成分が高かったのは九州や東北だ。一方、「渡来人」由来のゲノム成分が高かったのは近畿と北陸、四国だった。特に四国は島全体で「渡来人」由来の比率が高かった。以上の結果は、「渡来人」が朝鮮半島経由で九州北部に上陸したとする一般的な考え方とは一見食い違うように思える。上陸地点である九州北部よりも、列島中央部の近畿などの方が「渡来人」由来の成分が高いからだ。大橋教授は「九州北部では上陸後も「渡来人」の人口があまり増えず、むしろ四国や近畿などの地域で人口が拡大したのではないか」と話す。

近年の遺伝学や考古学の成果から、縄文人の子孫と「渡来人」の混血は数百~1000年ほどかけてゆっくりと進んだとみられている。それによって地域間で縄文人と渡来人の混血の程度の違いが起こったとしている。(「縄文人度合」)

 

(北海道アイヌ人は含まれていない。また、縄文人由来のゲノム比率が他県と比べて極めて高い沖縄県は地図に含まれていない。)

 

●2024年 理化学研究所 研究グループ 「3つの祖先系統」発表

そによると、日本人の祖先は3つの系統に分けられる可能性が高いことが分かった。

この研究グループは、日本人3256人分のDNAの全配列を詳細に分析してゲノムの特徴を明らかにする膨大な作業を続けた。

その結果、日本人の祖先は主に、沖縄県に多い「縄文系」、関西に多い「関西系」、そして東北に多い「東北系」の3つに分けられることが分かった。さらに調べると縄文系の遺伝情報の割合(祖先比率)は沖縄県が一番高く28.5%、次いで東北で18.9%、関西では最も低く13.4%だった。

この祖先比率は縄文人と沖縄の人々の間に高い遺伝的親和性があるとの以前の研究とも一致し、関西地方は漢民族と遺伝的親和性が高いことが明らかになった。また、東北系も縄文人との遺伝的親和性が高く、沖縄県・宮古島の古代日本人や韓国三国時代(4~5世紀)ごろの古代韓国人に近かったという。

 

理研グループの「3つの祖先系統」説は大規模な現代日本人ゲノム情報に基づいてこの「三重構造モデル」を裏付けた形だ。従来唱えられてきた「日本人の祖先は縄文人と弥生人の2系統」という仮説に疑問を投げかける内容となった。

 

日本人の祖先はDNA解析、ゲノム解析の技術という有力手段を手にして、大陸からさまざまな人々が渡来して現代の日本人につながった複雑な過程が見えてきた。

 

 

====================

次回は第9回「飛鳥時代の渡来人」

 

 

(担当H)

====================