『生物の変遷と進化』第33回 原人類の出現 | 奈良の鹿たち

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『生物の変遷と進化』第33回

<258~10万年前>

(新生代/第四紀)

「原人類の出現」 

 

 

 

(ジャワ原人)

 

 

東アフリカでの大地溝帯で、240万~140万年前の高度な石器製造技術を持っていた化石人類が発見されました。現人類の祖先ではないかということでホモ・ハビリスと名付けられました。石器をつくっていて、脳容積が500~700ccとアウストラロピテクス(猿人)より少し大きい。身長は高くても135cmと低く、不釣り合なほどに長い腕を持っていました。アウストラロピテクス(猿人)と、ホモ・エレクトス(原人)の中間的な位置にあると思われています。しかし、現在では、名前は「ホモ」と冠していても、アウストラロピテクス(猿人)に近い化石人類で、ホモ属ではなく現生人類とは繋がりがないという説が有力です。


     (霊長類ー真猿類ー類人猿ー猿人⇒原人類)

 

(一直線上に人類の進化を並べているが、系統的に繋がっていたということではない)

ホモ・エレクトス(原人)は250万~180万年前頃にアフリカで誕生しました。これが真正のホモ属です。その起源はよく分かりませんが、アウストラロピテクス・アファレンシス(猿人)から出てきたという説が有力です。初期のホモ・エレクトス(原人)の脳容量は750~800cc程度ですが、後期には1,100~1,200ccにまで大きくなっていました。

250万~180万年前、彼らはアフリカを出て(最初の出アフリカ)アジアで繁栄しました。175万年前の化石が、黒海東岸の国ジョージア(旧名グルジア)で見つかっています。150万~130万年前にホモ・エレクトス・エレクトス(ジャワ原人)、50万年前にホモ・エレクトス・ペキネンシス(北京原人)が生まれました。脳の容量も930㏄まで大きくなりました。彼らが現在のインドネシア人、中国人の祖先というわけではありません。

30万年前の化石が南アフリカで発見され、ホモ・ナレディと名付けられました。身長は146㎝、体重は39~55㎏で、脳容量は460~610㏄でした。猿人とホモ属の特徴を合わせ持っていました。

彼らは火や石器を取り扱うことができました。原人類は猿人に比べて脳の容量が倍ほども大きくなり、毛皮を身に着け言語を使い始めたといわれています。

 

ホモ・エレクトス(原人)が200万~150万年前にアフリカの外に広がった後(第1回目の出アフリカ)、アフリカに新たに出現した人類がハイデルベルク人(ホモ・ハイデルベルゲンシス)です。はっきりした系統関係はわかりませんが、おそらくアフリカでホモ・エレクトス(原人)の一部から進化し、60万年前に登場し30万年前まで存続していたと考えられています。

ハイデルベルク人の化石は、ドイツのハイデルベルク郊外で発見された50万年前の下顎骨が最初で、その後ヨーロッパ各地でいくつか見つかっています。彼らの文化は、狩りをし住居を建て、火を使い、組合せ道具も作ることができるというレベルに達していました。脳容量も1,170㏄にまで増大していました。ネアンデルタール人の平均脳容量は1,450㏄で、ホモ・サピエンスは1,490㏄です。がっしりした体型や高い眼窩上隆起などの特徴は、30万~4万年前まで生存していたネアンデルタール人に似ていました。しかし、骨格的にネアンデルタール人よりは原始的な種と見なされています。

この人類は、原人であるのか、原初的な旧人であるのかが議論されましたが、巨大な下顎骨の形質や伴出した動物化石との比較などから、時代的に見て原人であろうと考えるのが一般的です。

原人から旧人への橋渡し的存在で、かつてはホモ・ハイデルベルゲンシス系統からネアンデルタール人とホモ・サピエンスが分かれて進化したと考えられていました。しかし、最近の研究で

76万5000~55万年前に、ホモ・サピエンスとネアンデルタール・デニソワ人の祖先が分かれたが、ホモ・ハイデルベルゲンシスは60万〜25万年前に生存していたことがわかり、共通祖先ではないことになりました。

 

 

 

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次回は 第34回「旧人類の出現」

 

 

(担当B)

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