『生物の変遷と進化』第34回
<50万年~3万年前>
(新生代/第四紀)
「旧人類の出現」
(ネアンデルタール人)
旧人、新人という人類の定義は学術的には明確ではありません。
原人(ホモエレクトス)と旧人との分類基準が違うため、原人と旧人の分類も定かではありません。一応、旧人の代表的なのがハイデルベルク人とネアンデルタール人とデニソワ人となっています。
(霊長類ー真猿類ー類人猿ー猿人⇒原人類⇒旧人類)
(一直線上に人類の進化を並べているが、系統的に繋がっていたということではない)
約70万年前:ホモ・ハイデルベルケンシス(ハイデルベルク人)がアフリカで出現し、これがネアンデルタール人・デニソワ共通祖先人とホモ・サピエンスの共通祖先になりました。
約50~60万年前:ネアンデルタール・デニソワ共通祖先人とホモ・サピエンスに分離。
約50万年前:ネアンデルタール、デニソワ共通祖先人がアフリカを出る(第2回出アフリカ)。
約30~20万年前:ネアンデルタール人とデニソワ人に分岐。
ひと昔前までは、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスの祖先として扱われていましたが、現在は骨から見つかったDNAの解析結果からネアンデルタール人はホモ・サピエンスとは別系統の人類である事が分かっており、直系の祖先ではない事が明らかとなっています。
旧人といわれるホモ・エレクトスの代表格のネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)が、いつどこで登場したのかは明確ではありません。出エジプトの後、中東あたりで西(ヨーロッパ方面)に向かったホモ・エレクトスが進化したのがネアンデルタール人と一般には考えられていますが、その骨格は、ヨーロッパ、中東、アフリカ、アジア各地で見つかっています。
ネアンデルタール人はホモ・サピエンスよりも体力的にすぐれ、狩りも肉弾戦術で向かっていったようです。脳の容積がホモ・サピエンスよりも大きかったともいわれてます(ネアンデルタール人は1400㏄、ホモ・サピエンスは1350㏄)。火を日常的に利用し、手斧を作るなど石器の加工が巧妙になり、寒さから身を守るため毛皮の加工にすぐれ、また埋葬文化の痕跡も残されています。
彼らが描いたと思われる壁画がいくつか発見されています。
●ラパシエガ洞窟壁画
スペイン北部にある6万4800年以上前(放射性分析)の世界最古の洞窟壁画。
赤色の顔料を中心に黒色もところどころ使われ、動物の群れや手形、彫刻、点や円盤、幾何学模様などが描かれています。
●エル・カスティージョ洞窟壁画
スペイン北部にある4万8000年前の洞窟壁画。
人の手、シカ、ウマなどの構図を精密に描いた壁画やシカの角の彫刻などが見つかっています。
●ショーヴェ洞窟壁画
フランス南部のにある3万7000~2000年以上前の洞窟壁画。
マンモスやクマ、ヤマネコ、サイ、バイソンなどが描かれた壁画は解剖学的にも精度が高く、有史以前の人類と動物の関わりや環境を知る手がかりとなります。
これを描いたのがネアンデルタール人かどうかの根拠は薄い。
ネアンデルタール人が出現する20万年ほど前から、気温は寒冷化し14万年前には氷河期(ハインリッヒ・イベント といわれる氷山の流失による寒冷化)になりました。さらに7万年前から1万年前までにも氷河期(ハインリッヒ・イベント)がやってきて、気温はマイナス30℃程だったと思われます。ちょうど、人類が火を使い始めるのが7万年前でした。
(ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの居住地)
5万5千年前のイスラエルのマノット洞窟からホモ・サピエンスの生活跡が見つかりました。そして、そこからわずか40kmしか離れていないところに同時期にネアンデルタールが住んでいたアムッド洞窟が発見されました。アフリカを出たホモ・サピエンスはネアンデルタール人と同時期に同じ場所で生存していたのです。
どのように共存していたのか正確なところは分かりませんが、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの交配があり、DNAが現人類にも混ざっているという分析結果を、ドイツのマックスプランク研究所のスバンテ・ペーボ教授(2022年ノーベル医学生理学賞)が発表しました。(アジア・ヨーロッパ人2%、アフリカ系0%)
現代のわれわれホモ・サピエンスがネアンデルタール人との交配の恩恵のひとつとして、PGR遺伝子という流産リスクを減少させる体質を受け継いだことが上げられます。
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News!
2022年のノーベル医学生理学賞に、ネアンデルタール人、デニソワ人の研究で、ドイツマックスプランク進化人類学研究所教授のスバンテ・ペーボ博士が受賞しました。授賞理由は、「絶滅したヒトのゲノムと人類の進化に関する発見」です。
約3万年前に絶滅したネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスと共存した期間があったことが知られています。ペーボ博士は、発掘された古代の人骨などから遺伝子に当たるDNAを抽出して解析する方法を確立しました。そして、2010年に古代の骨からネアンデルタール人の遺伝子配列を、世界で初めて解読しました。その結果、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人が共存している間に交配し、ヨーロッパ系とアジア系の現代人の遺伝子は、それぞれ約1~4%がネアンデルタール人由来であることを突き止めました。
一方、2010年にはシベリアの「デニソワ」という洞窟で発見された指の骨の遺伝子を解読し、これまで知られていなかったヒト族であることを明らかにしました。新たなヒト族を「デニソワ人」と名付けました。現代人との共通の遺伝子が判明したことで、絶滅した人類から受け継いでいるということが判明しました。
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ロシア・アルタイ地方のデニソワ洞窟で発見されたデニソワ人は、チベットからインド・東南アジアあたりに住んでいて、3万~1万5千年前に滅びました。
デニソワ人とネアンデルタール人の共通祖先はアフリカで70万年前に現れ、64万年前(35万年前という説もある)に分離しました。そして50~40万年前にアフリカ大陸から出ました(第2回出アフリカ)。
デニソワ洞窟に住んでいたのは、17~11万年前までで、デニソワ人とネアンデルタール人は洞窟の中で共生し、異種交配すらしていました。2012年に見つかったデニソワ人少女の骨の破片から、DNA鑑定で少女はネアンデルタール人の母とデニソワ人の父を持つハイブリッド一世だったということが分かりました。
デニソワ人のDNAはホモ・サピエンスであるニューギニア原住民のDNAにも見つかっています。
考古学的データとDNAデータから分かるのは、3種の人類(現生人類、ネアンデルタール人、デニソワ人)すべてがさまざまな時期に、すべての種が交雑していたということです。
ネアンデルタール人が、壁画や埋葬といった文化をもっていたと同時に、考古学的な発見からは、ネアンデルタール人が実際は暴力的であったことが明らかにされています。武器を使った争いも普通に起きていたらしいことが分かっています。ネアンデルタール人の骨からはこうした骨折がたくさん発見されています。また少なくともイラクのシャニダール洞窟で発掘されたネアンデルタール人は、胸に槍の刺し傷がありました。こうした外傷は、特に若い男性に多く、彼らはそうした傷を負った状態で死亡していました。狩猟の最中に怪我をしたのかもしれませんが、遺骨に残されている傷跡のパターンは、奇襲や待ち伏せなどが多用される部族間のゲリラ的小規模戦闘で負うと予測されるものと一致しています。ネアンデルタール人がただ戦っただけでなく、戦争が得意だったという証拠は、その縄張りからもうかがい知ることができます。
なぜ我々の祖先はなかなかアフリカから旅立とうとしなかったのだろうか? それは外の自然環境が厳しかったからではなく、アジアとヨーロッパにすでにネアンデルタール人が進出していたからだといわれています。
人口が増加すれば、否が応でも食料を手に入れるための土地が必要になります。しかし、我々の祖先は何千年もネアンデルタール人に挑んでは負け続けてきました。武器・戦術・戦略の点においては、ほぼ互角だったにもかかわらずです。おそらくネアンデルタール人には戦術・戦略面での優越性があったのでしょう。数千年も中東を支配してきたために、土地や季節そこでの暮らし方といったことをよく知っていました。また筋骨たくましい彼らは、接近戦では恐るべき戦闘力を発揮したはずです。目が大きかったため、おそらくは光に乏しい状況でもよく見えたと推測されています。夜討ちや朝駆けなども得意だったに違いありません。
膠着状態が崩れた理由は定かではありません。しかし、我々の祖先が弓矢・投石機・手投げ棍棒といった強力な遠距離武器の発明が原因だった可能性はあります。あるいは、狩猟採集の技術が進歩したことで、より多くの人口を養えるようになり、数の利を得られるなったとも考えられます。直接的にホモ・サピエンスがネアンデルタール人を滅ぼしたというより、技術的に狩が優れていたホモ・サピエンスの拡大で、追い詰められ食料が獲得しにくくなり次第に人口が減り最終的に滅んだというのが最近の説です。
しかし、それでも20万年前にアフリカを出発したホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人を駆逐するために15万年を要しました。
なぜ体力的に劣るホモ・サピエンスが生き残り、ネアンデルタール人が絶滅したのか?
絶滅の理由は別種のヒト族であるクロマニョン人との戦争で滅ぼされた暴力的衝突説、獲物の競合で緩やかに滅んでいった食糧問題説、ホモ・サピエンスとの交配で滅んでいった混血説、火山の噴火で滅んだ大噴火説など様々な説がありますが、はっきりとした原因は分かっていません。
ネアンデルタール人は血縁の小集団でのみで生活していたため知識や技術の改良や拡散がなく、ホモ・サピエンスは150人くらいの集団にまで発展し、集団同士の交流もあったようです。事実、ネアンデルタール人の石器は30万年の間で、ある程度以上には改良の跡が見られませんでした。
ネアンデルタール人が「食人」をしていた証拠がベルギーの洞窟遺跡から発見され、イギリスの科学誌『ネイチャー』系列の科学誌に発表されました。
これまでネアンデルタール人は遺体を埋葬する文化があった事が分かっており、埋葬されていた遺体に花を添えて弔う文化があったと思われる跡もありました。
しかし、そんなネアンデルタール人の認識を覆す発見がされたのがベルギーのゴイエ洞窟です。
そこに居住していたネアンデルタール人が「食人」をしていた証拠が発見されました。発見された証拠とは、ネアンデルタール人の若者4人と子ども1人、新生児1人の人骨。これらの骨には骨の内部にある骨髄を取り出すために粉砕された痕がはっきりと残っており、解体されて肉を取り去った跡まで残っていました。これまでスペインやフランスなどでもネアンデルタール人の「食人」の証拠が見つかっており、この「食人」の理由や規模については、「食人」行為が日常のものだったのか、それとも何か特別な時に行われたものだったのかなどはまだ分かっていません。
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次回は 第35回「新人類の出現」
(担当B)
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