寒中お見舞い申し上げます(父親の食事) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

 リンクを らせて頂いております。紫色のブログ・タイトルをクリック(英語:click)(もしくはタップ[英語:tap])して頂きますと、過去のブログ記事に移行します。(^O^)

 

 さて、去る 昨年の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりましたので、服喪中につき 年頭の御挨拶を 失禮させて頂きます。

 

 皆々様の御健康と御多幸を心より お祈り申し上げております。門松 皇紀2679年 平成31年 己亥つちのと・い

 

 初夢や 世界平和を 祈念して 富士の 高嶺 たかね を  みな まほし

 

  ちな みに、この和歌は、約二十年前の昼間 自転車に乗っているときに  ひらめ いた歌です。

 

 ときに、去る 昨年の1月1日(月)の「謹んで新年の御祝詞を申し上げます(いぬ年・両親の食事)」のブログ そして 去る 一昨年おととしの1月1日(日)の「謹んで新年の御祝詞を申し上げます(両親の食事)」のブログの上段に、

「(前略)去る 昨年の1月1日(金)の『謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(智慧と愛)』のブログの上段に、

『(前略)去る 昨年の1月1日(木)の【謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(^O^)】のブログ の上段に、

【(前略)御承知のことであらせられますように、 一昨年おととし、富士山は世界文化遺産に登録されました。(後略)】と記させて頂きまして、2枚の富士山の写真を掲載致しました。今年は、昨日の早朝 自宅の屋上から見えた富士山の写真の中から 抜萃ばっすいして 添付させて頂きます。(中略)

 話を戻しますが、前述の 去る 昨年の1月1日(木)の【謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(^O^)】のブログ の上段やや下に、

【(前略)御承知のことであらせられますように、初夢の〖一富士、二 たか、三 茄子なすび…〗に、あやかって、と思い、添付させて頂きました。 ちなみに、小学生の頃、顔が しもぶくれで(当方の家系はそうです)、 茄子なすという 渾名あだなでしたので、同級生から当方のことを初夢で見るといいと言われたことが 御座ございます。(後略)】と記させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。(中略)

 上記と同様に、過日の早朝 自宅の屋上から見えた富士山の写真の中から 抜萃ばっすいして 掲載させて頂きます。真っ白に 雪化粧した富士山ですね。なお、去る12月7日(水)の『霊峰・富士(両親の食事)』のブログの上段などにも、『(前略) ようやく 富士山が見える季節になりました。(後略)』と記させて頂きまして、富士山の写真を掲載させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。そして、今回も、上記と同様に 自宅の屋上から見えた富士山の写真を掲載させて頂きました。

 

 

謹んで新年の御祝詞を申し上げます。

霊峰・富士

 

 

 

 ところで、去る 一昨年おととしの2月12日(日)の「建国記念の日(両親の食事)」のブログの上段に、「(前略)昨日の建国記念の日は、その手作りの 小さな日章旗ではなく 新しい日章旗を購入致し、国旗掲揚こっきけいようを行いました。(中略)なお、今回、このアクリル生地の日章旗(日本製)を注文致しました。(後略)」と記させて頂きました。そして、本日は 上記のように 祭日でありますので、国旗掲揚こっきけいようを行いました。

 

 また、前述の 去る 昨年の1月1日(月)の「謹んで新年の御祝詞を申し上げます(いぬ年・両親の食事)」のブログ そして 前述の 去る 一昨年おととしの1月1日(木)の「謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(^O^)」のブログ の上段やや下に、

「(前略)入り口の門に 門松を飾りました。(後略)」と記させて頂きました。そして、今年も、入り口の門に 門松を飾りました。

 

 

門松

 

 

門松

 

 

 

 ならびに、前述の 去る 昨年の1月1日(月)の「謹んで新年の御祝詞を申し上げます(いぬ年・両親の食事)」のブログ そして 前述の 去る 一昨年おととしの1月1日(日)の「謹んで新年の御祝詞を申し上げます(両親の食事)」のブログの上段やや下に、

「(前略)去る12月3日(土)の『 さかき (両親の食事)・3』のブログの上段などに、

『(前略)去る( 一昨年 おととし の)10月3日(土)の【 さかき 】のブログ の上段に、

【(前略) 一昨日 おととい  すなわち 10月1日の〖 一日 ついたち にすること〗のブログ を記させて頂きましたが、 勿論 もちろん 一日 ついたち に、自宅にあります  神棚 かみだな のために 4ヶ所の さかき は 新しくします。(後略)】と記させて頂きました。 一昨々日 さきおととい  は  一日 ついたち でありましたので、 さかき を新しくしました。(後略)』と記させて頂きました。同様に、今月は 本日 4ヶ所の さかき を新しくしました。なお、前述の 去る 昨年の1月1日(金)の『謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(智慧と愛)』のブログの上段に、『(前略)毎年の元旦に思うことですが、新年の さかき は 前述の松が付いて来ますね。(後略)』と記させて頂きました。母親によりますと、この松が付いているだけで、通常よりも 千円も高いのね とのことでした。お正月料金なのかもしれませんね。(後略)」と記させて頂きました。そして、本日は 6ヶ所の さかき を新しくしました。やはり 新年の さかき は 前述の松が付いて来ますね。

 

 

さかき

 

 

さかき

 

 

さかき

 

 

さかき

 

 

さかき

 

 

さかき

 

 

 

 および、2ヶ所の 神棚 かみだな に、それぞれ 新しい しめ なわ を致しました。

 

 

しめ なわ

 

 

 

 そのうえ、前述の 去る 昨年の1月1日(月)の「謹んで新年の御祝詞を申し上げます(いぬ年・両親の食事)」のブログ そして 前述の 去る 一昨年おととしの1月1日(木)の「謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(^O^)」のブログ の中段やや上に、

「(前略)去る12月4日(日)の『 仏花 ぶっか (両親の食事)・2』のブログの上段などに、

『(前略)去る( 一昨年 おととし の)10月1日の【 一日 ついたち にすること】のブログ の冒頭に、

【(前略)去る( 一昨年 おととし の)9月9日(水)の〖菊の節句〗のブログの上段に、

〖(前略)菊の花は  仏花 ぶっか 定番 ていばん であり、いつも和菊を選びます。(後略)〗と記させて頂きました。本日は  一日 ついたち ですので、 仏花 ぶっか を新しくしました。(中略) ちな みに、去る(昨年の)9月16日(水)の〖菊の花〗のブログ、そして、去る(一昨年 おととし の)9月13日(日)の〖和菊〗のブログ にも、和菊の写真を添付させて頂きました。この去る(一昨年 おととし の)9月16日(水)の〖菊の花〗のブログ の上段に、花器に差した切り花を長持ちさせるための方法を記させて頂きました。(後略)】と記させて頂きました。そして、去る(一昨年 おととし の)10月15日(木)の【仏花 ぶっか】のブログの上段 と 去る(一昨年 おととし の)10月23日(金)の【レクイエム】のブログの中段に、

【(前略)上記のように 一日 ついたち に 仏花 ぶっか を新しくしましたが、また 交換致しました。(中略)なお、今頃の季節、仏花 ぶっか は持っても 約10日間ぐらい 御座 ござ いますね。勿論 もちろん お供え物は毎日交換しています。(後略)】と記させて頂きました。やはり今頃の季節、 仏花 ぶっか は持っても 約10日間ぐらい 御座 ござ いますね。(後略)』と記させて頂きました。それから、前述の 去る 昨年の1月1日(金)の『謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(智慧と愛)』のブログの上段に、『(前略)今回は、さら に 寒くなって来たこともあり、4週間 くらい 持たせました。そして、本日は 一日 ついたち でありますので、菊の花を交換致しました。(後略)』と記させて頂きました。同様に、仏花 ぶっか の交換を致しました。(後略)」と記させて頂きました。そして、同様に、4ヶ所の仏花 ぶっか の交換を致しました。

 

 

仏花 ぶっか

 

 

仏花 ぶっか

 

 

仏花 ぶっか

 

 

仏花 ぶっか

 

 

 

 さて、父親の朝食 そして 昼食のことであります。その前日と同様に、まず、 秋刀魚 サンマ に 大根おろしです。 ちな みに、去る 4年前の12月28日(月)の「親への買い物・3」のブログ の上段に、

「(前略)母親によりますと、父親は 秋刀魚 サンマ に 大根おろしが好物です。なお、去る( 一昨々年 さきおととし の)10月4日(日)の『外付けハード・ディスク』のブログ の中段に、

『(前略) なま の大根には、ジアスターゼ(英語:diastase)という酵素が含まれています。(後略)』と記させて頂きまして、 なま の大根のことを言及させて頂きました。しかも、父親は、 秋刀魚 サンマ の内臓を好んで食べます。去る(4年前の)10月21日(火)の『バランス良くまるごと』のブログ の中段に、

『(前略)野菜は、緑色 そして 黄色(緑黄色) さら に 赤い色といった、いろいろな色の野菜を 摂取 るといいとされています。

 また、葉、茎 そして 根といったすべての部分、すなわち、まるごと  摂取 るといいとされています。 たと えば、大根でしたら、 勿論 もちろん 、根 そして 葉も 摂取 るということです。

 仮に、小魚でしたら、まるごと  摂取 るといいとされていますね。(後略)』と記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。ならびに、去る 4年前の12月4日(金)の「 占守島 しゅむしゅとう 」のブログ の中段やや上に、

「(前略)話を その 占守島 しゅむしゅとう の戦いのことに戻しますが、当初 ソ連軍は この島を 一日で占領する予定でした。ところが、日本軍の抵抗により 六日間 足止あしどめされました。冒頭に  硫黄島 いおうとう の戦いことを言及させて頂きましたが、この戦いと同様の働きの お かげ で 北海道に侵攻されることが おく れました。スターリンは、北海道を二分割して 北半分を ソ連のものにしようと考えていました。あわよくば、北海道全体以上を考えていたかもしれません。御承知のように、戦後、連合国によって 日本を四分割統治する計画があったわけでありますからね。仮に、千島列島と同様に ソ連軍に上陸されて 実効支配されていましたら、少なくても 北・北海道に 日本民主主義人民共和国が誕生していたかもしれません。実際に、 ドイツ 、朝鮮 そして ベトナムでは そうであったのですからね。(後略)」と記させて頂きました。仮に、上記のように 北海道を二分割されていましたら、秋刀魚 サンマ の缶詰、 長芋 ナガイモ のおろし そして 納豆の原料となる 北海道産の 秋刀魚 サンマ 長芋 ナガイモ  そして 大豆は、入手しにくかったかもしれません。なお、生前の母親によりますと、 二切 ふたき れのみ 食べさせるように、とのことでありました。

 

 

父親の朝食の一部(父親が 前日 寝られなくて 食欲がない と言うので、少しずつ 料理の品目を出しています)

 

 

父親の朝食の一部(その上の画像の 父親の朝食の一部から 料理の品目が増えています。食べけています)


 

 

 また、りんごりんご そして 長芋 ナガイモ を おろします。ちな みに、去る 一昨々年さきおととしの12月31日(土)の「大晦日おおみそか(両親の食事・理容店)」のブログなどに、すりおろしりんごりんごのことを記させて頂きました。なお、長芋 ナガイモ も父親の好物なのです。ついながら、2月の初めから 母親も、この長芋 ナガイモ の おろしを食べるようになっていたのでありますがね。

 

 

すりおろしりんごりんご

 

 

長芋 ナガイモ の おろし

 

 

 

  さら に、夜食には、バナナ(英語:banana) そして パン(ポルトガル 語:pão)などが加わります。 ちな みに、バナナも、父親の好物なのです。なお、誠に有り難いことに、美味 おい しく食べられている とのことでありました。

 ついながら、両親には 毎日のように、生きていてくれて とても嬉しいとのことを伝えて参りました。すると、誠に有り難いことに 両親も喜んでくれましたが、今では 父親のみになりました。そして、このことを伝え続けますと、誠に有り難いことに 父親も 喜んでくれます。

 

 ときに、去る 一昨々年 さきおととし の9月26日(月)の「母親の入院・続報3(資源回収)」ブログの上段やや下などに、

「(前略)去る 一昨年 おととし の9月23日(金)の『資源回収・続報16(母親の血圧)』のブログの中段に、『家族の洗濯物のことも致しました。』と記させて頂きました。 ちな みに、毎日 洗濯致しております。なお、昨日は、母親の洗濯物も致しました。(後略)」と記させて頂きました。毎日 家族の洗濯物を洗濯して しています。

 

 また、前述の 去る 一昨々年 さきおととし の9月23日(金)の「資源回収・続報16(母親の血圧)」のブログなどに記させて頂きましたように、平日 毎日のごみの回収(可燃物資源、不燃物資源、可燃物ごみ そして 不燃物ごみなど)がありますので、これらに対応しなければなりません。

 

 ならびに、去る 昨年の2月16日(金)の「両親の食事、洗濯 そして 入浴・48」のブログの中段などに、

「(前略)去る 一昨年おととしの11月24日(木)の『両親の食事( 新嘗祭にいなめさい)』のブログの中段やや下に、

『(前略)去る11月10日(木)の【両親の食事 そして 入浴・2】のブログの中段やや下に、

【(前略)過日から、両親の寝室にて 加湿器の運転を開始致しました。(後略)】と記させて頂きました。それで、去る3月16日(水)の【電気ポットの掃除・資源の回収】のブログの上段で 言及致しました クエン酸(英語:citric acid)を用いて、加湿器の お手入れをしました。(後略)』と記させて頂きました。今シーズンも 毎日、両親の寝室の加湿器の水を補給しております。(後略)」と記させて頂きました。そして、今シーズンも、加湿器を出して来て 運転しました。 

 

 および、お風呂、トイレ そして 部屋などの掃除、庭の植物への水 き や 外壁塗装など 自宅の維持管理のことがあります。

 

 ところで、ヘルパー(英語:helper)(日本語:家政婦)によりますと、誠に有り難いことに、 一人 ひとり で  二人 ふたり の親をみることは たいへん とのことでありました。しかも、これからも 長丁場ながちょうばだから とのことでしたが、去る 昨年の3月6日(火)の「母親の転帰」のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。 ちな みに、飲み物を頂いたり 食事をしたりするときには、母親と 共に 頂いている気持ちでおります。

 

  つぎ に、昨日、一日の食事(菜食)を 感謝の気持ちを めさせて頂いて 記させて頂きます。なお、去る 一昨々年 さきおととし の10月6日(木)の「3年目の感謝」のブログの下段などに、

「(前略)昨日も、おかずどころではありませんでした。そして、昨日も やはり 90分 睡眠でした。(後略)」と 記させて頂きました。昨日は、誠に有り難いことに、少しだけ まと まった睡眠を取ることが出来ました。ついながら、去る 一昨々年さきおととしの9月30日(金)の「母親の入院・続報7」のブログの下段やや上に、

「(前略)レム睡眠(英語: rapid eye movement sleep, REM sleep) と ノンレム睡眠の1周期が 約90分とされています。但し、個人差があり、この1周期が 80分の人もいれば 110分の人もいるようです。ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、自分は 60分とのことでした。ちな みに、去る( 一昨々年 さきおととし の)12月21日(月)の『催眠に効果的な言葉』のブログ の上段に、

『(前略)一般的に、顕在意識が5%くらい また 潜在意識が95%くらいと  われますが、個人差があります。顕在意識が2~3%くらいの場合もあります。(後略)』と記させて頂きました。こちらも、同様に 個人差があります。(後略)」と 記させて頂きました。

 

 話を戻しますが、取り えず 納豆であります。 ちな みに、前述の 去る 一昨々年さきおととしの9月30日(金)の「母親の入院・続報7」のブログの上段に、

「(前略)去る 一昨年 おととし の10月9日(木)の『笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗 しょうじょう から 大乗 だいじょう へ』のブログ の下段やや上に、

『(前略)医科学の大事典に、【穀物に大豆食品をとれば、蛋白質の量 及び 質共に、完全ではないが、大きな欠陥は無いようになる。なお、植物性食品では、カルシウム(Ca)、鉄(Fe)、ビタミンB1(チアミン) 及び B2(リボフラビン)の少ないものが多く、また、ビタミンB12(シアノコバラミン)は まったく含まれていない。したがって、菜食では、いろいろ多種の食品を 摂取 ることが大切で、・・・食事の量が多くなるので、子供や老人には適当でない】との むね が書かれてあります。(後略)』と記させて頂きました。上記のように、最低限 穀物に大豆食品と思われました。(後略)」と記させて頂きました。なお、納豆の食べ かた ですが、たれも付けずに 納豆の味を そのまま頂きます。ついながら、納豆パワーですね。

 

 去る 一昨々年さきおととしの7月17日(日)の「歯科受診・続報6(父親への贈り物)」のブログなどに、部分入れ歯をすることを勧められた と記させて頂きました。この 27ヶ月以上、この部分入れ歯を める時間の余裕もありませんでした。すると、ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、入れ歯が合わなくなる とのことでした。

 

 

鰻の蒲焼・214(父親の食事)

納豆

 

 

 

 同居している両親は、と以前  かれましたので、お伝え申し上げましたが、両親はなんでも食べます。

 

 前述の 去る 5年前の10月9日(木)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗 しょうじょう から 大乗 だいじょう へ」のブログ そして 去る 一昨々年さきおととしの1月12日(火)の「笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗 しょうじょう から 大乗 だいじょう へ ・続報」のブログ に記させて頂きました過程があり、誠に有り難いことに、母親の理解を得て、菜食にさせて頂いております。ちなみに、去る 昨年の1月8日(月)の「うなぎ蒲焼かばやき・40(両親の食事)」のブログの下段に、

「(前略)毎年 年賀状の交換をしていて、今年 来ました 東京大学医学部卒業の 90歳近い心療内科医からの年賀状によりますと、誠に有り難いことに 『【菜食療法】が ついにモノになりましたね。たいしたことです。』とのことでありました。(後略)」と記させて頂きました。

 

 玄米御飯で 御座 ござ います。玄米も、 庶民 しょみん 的に スーパー・マーケットで購入して来て参りましたが、最近では 通販を利用するようになりました。

 

 なお、去る 4年前の11月20日(金)の「 仏花 ぶっか (菊の花)」のブログ の下段に、「古事記」と「日本書紀」を引用させて頂いて、日本人の主食である お米は 誠に有り難い という話を記させて頂きました。

 

 

おかず7・10月24日(金)

玄米御飯

 

 

 

 玄米の食べ かた につきましては、去る 5年前の11月17日(月)の「黒 胡麻 ごま 」のブログで記させて頂きました。また、玄米の かた につきましては、去る 5年前の11月26日(水)の「ふき 」のブログに記させて頂きました。なお、玄米を ため の前処理につきましては、去る 一昨々年さきおととしの11月27日(日)の「両親の食事(玄米の前処理)」のブログの下段に記させて頂きました。

 

 しかも、去る 4年前の12月31日(木)の「 大晦日 おおみそか (火星か金星か)」のブログ の下段に、

「(前略) 御飯を食べましたら 当然のこと なが ら 以前から 茶碗 その他の食器を洗っております。(中略)高校生の ころ に触れた  趙州 じょうしゅう 和尚の『御飯を食べたら茶碗を洗え』の言葉を思い出しました。この『 趙州洗鉢 じょうしゅうせんぱつ 』の公案は、『 無門関 むもんかん 』(中国宋代に  無門慧開 むもんえかい によって編集された公案集)の第七則にある話です。(後略)」と記させて頂きました。なお、学部生のときに 安い学食を用いると 食器を洗うどころか 食器を下げることすらもいやとのことで、一般の食堂を利用している お坊ちゃんのような同期生がいました。このときは、当方は 自炊することもありました。それで、食器を どうしているのか と かれました。そこで、食事を しなが ら 食事中でも 片づけられる食器は 片づけなが ら 食事をしている と回答しましたら、納得してくれました。今では、食後に まと めて食器を洗っていますが、このときは 食器洗いの練習として 前述のように おこな っていました。

 

 (半角で 4万文字以内という字数制限を超えましたので、文章を削らせて頂きました)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)