いま、年末年始の休みで里帰りしています。と言っても都内からそう遠くない茨城県南東部、地図で見ると利根川の河口にあたる尖ったところ、日本でほぼ一番早く日の出が見える場所です。
私の家族は、私のもう片方の顔を知りません。再来月で自覚歴5年、無自覚歴を合わせると通算17年間、TI (=Targeted Individual)として生活してきたことになりますが、私から高齢の両親にこのことを話すことはないと思います。恐ろしい思いは私一人が引き受ければ充分でしょう。
TIになって改めて考える
「集団ストーカー」のターゲットになると、長期間にわたる被害と、誰にも信じてもらえない苦痛の二つの痛みを伴います。改めて自分にとって、「集団ストーカー」の被害者になることがどういうことなのか、生活者としてどんな不便があるのかメモ書きにしてみました。
①時間を奪われること。
②目標の達成を妨げられること。
③愛情を注ぐものを奪われること。
④絶えず生命と財産の危機を憂いて緊張を強いられること。
⑤二つの顔をもたざるを得なくさせられ精神的な孤立を強いられること。
⑥集中を妨げられること。
⑦感謝を述べたい人に感謝を述べることができなくなること。
「集団ストーカー」の被害者になってみて自分についてわかったこと。
①パニックを起こしたが開き直りも早かったこと。
②それでもなお信じることができること。
③捨てることができること。
百人いれば百通りの苦しみがあるはずですが、いまの私は「集団ストーカー」という持病を抱えながらいかに自分らしく生きるかです。「集団ストーカー」問題はいつか解決できてもあいかわらず「人間」は続く。しかしこれと闘うのが目下の課題です。私の夢、呑気に暮らすために。
フィクション小説のご紹介
防 犯 利 権 。
「集団ストーカー・テクノロジー犯罪」をテーマにしたフィクション小説のご紹介です。当事者ではない大学生が執筆しました。まずはこちらをご覧下さい。
無字右衛門のレビュー↓
「集団ストーカー」における本丸の一つ、警察組織の城内で、世渡りベタな若い刑事が不正に与することを拒絶したためにターゲットになります。自分に嘘がつけず、権力に立てつくタイプのTIです。主人公は、職場で陰湿なモビングを受けながら上司に心の中で唾を吐きます。そして警察を辞職しますが、その後“ハイテク”系の加害が始まり被害が悪化していきます。友人や身内に現実を打ち明けても孤立するだけ…。やがて気持ちの安らぐ場所を完全に失い鉄道に飛び込みます。小説の主人公を通して、TIなら誰もが経験する心情が網羅されています。
一方、“本来は一般人”であるはずの、無意識に加担させられるはめになった人物の心情も綴られています。小説の中では、「集団ストーカー」をまだ知らない状態で“嵌(は)められ”、家族の生活のために工作員として生きることを強いられたスーパーの店長という設定で登場します。この登場人物もまた孤立しています。これは、売春でわが子を育てざるを得ない極限状態の母親を、世間は本当に責める資格があるか…という議論にも繋がるのではないでしょうか。「集団ストーカー」で利益を得るのは上位の一握りの者のみであり、上から指示を受けて実行する下っ端はそのための道具に過ぎません。生きた心地のしないまま「集団ストーカー」に協力し、ミスを犯して用無しになれば、加害者に生活を握られているうえ、なまじこのような裏の世界が実在することを知っているだけに都合の悪い存在であることは間違いありません。真っ先に始末(粛清)されるのではないでしょうか。そんな“仕方なく”加担させられる人物の悲哀も描かれています。私自身、つきまといや待ち伏せ要員の中に、憂鬱な顔つきの工作員を見るのですが、その表情の裏にはこういった背景があるのではないかとも想像しました。
そんな中で、「集団ストーカー」の周知チラシで防犯活動をする人がチラッと出てきますが、この部分だけが小さくポワッと、ほのぼのとしたものを感じ、一緒に活動する仲間の顔が頭に浮かびました。そしてこの被害で自ら命を絶つことは不正に対する“負け”であることも。もし主人公が実在したなら最後まで一緒に闘いたかったと思います。主人公はこのストーリーの中では「集団ストーカー・テクノロジー犯罪」によって命を絶たれますが、他のTIたちが主人公の無念を受け継いでこつこつと解決に向けて動き始めているのを暗示しているようにもみえました。
著者はこの当事者ではないそうですが、「集団ストーカー・テクノロジー犯罪」についてよく理解されています。あえてフィクションを用いることは、当事者以外の方々に知っていただくための糸口になるような試みだと思います。
続編が刊行されています。
↑続編の表紙のイラスト。手前女性のまつ毛が左右非対称ですが、車両の片目ランプの人間版?(笑)さて、本当に滑稽な「ど変態」は被害者か加害者か?!まだ拝読していませんが、楽しみです。
▶︎著者HP
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各地に散在する被害者の方へ
遠方の被害者の方から、近隣の被害者さんと繋がりを求める声を複数頂いております。ほぼアメブロ繋がりで恐縮ですが、僭越ながら各地で継続的に活動中の方(グループ活動中含む)をリストアップさせて頂きました。ブログで活動の様子をご覧頂けますので手掛かりとしてみて下さい。
【東北】rosehip2812のブログ(ローズヒップさん)
【近畿】クレアのブログ(クレアさん)
【北陸】目覚めよ日本!(リラックスさん)
【四国】マリンの日記(マリンさん)
【九州】コスモスのブログ(コスモスさん)
【関東】(群馬県)STOP集団ストーカーガスライティング(ミケロさん)
【関東】(千葉県)希望の彼方(集団ストーカー撲滅ブログ)(PICO2さん)
2019年もますます周知が進むよう頑張ります。日本人の被害者はたくさんいらっしゃいます。一人にできることは小さく思えてもその一人が行動に移せば必ず変わると信じています。今年はポスティング活動を変わらず継続しながら、議員の方への周知や、マスコミにも少しずつ変化を与えられればいいなと思います。すでに行動に移されている方々もいらっしゃるようです。
警察への通報は、通報できるような事があればよいのですが、私はそのような被害が現在ありません。私一人のためにオーダーメイドされた工作員(おそらく兼業は困難)がいますが、むしろ関係者の方々とその文化自体に悪影響が及ぶ工作であるため慎重にならざるをえません。いずれにせよあすあさってに解決できる問題ではありませんので、今を耐えて全体的な解決を目指そうと思います。幾人かの友人との付き合いも何年も絶っていますが、私からこれ以上この問題に触れることはありません。いつかマスメディアを通じて友人に伝わることを目指しています。その友人にまで到達して初めて、「集団ストーカー」の周知が本当に進んだのだというバロメーターにしようと決めています。
私はいつも数種類のチラシを重ねて折りたたんで持ち歩いています。駅前でたすき掛け姿で挨拶される都議の方にこちらから声をかけてチラシをお渡ししたり、地域の不動産屋さんにチラシをお渡ししてお話しさせて頂くことがあります。多くの場合、自分たちの地域に関係することですので快く耳を傾けて下さいます。もし相手の様子から、押し付けがましいと思われているな…と感じたら、「いますぐ何かをして頂かなくても構いません。ただ知っていただきたいのです。」と付け加えると、関心をもってチラシを受け取って下さいます。静かに一人ずつ、深く伝える、こんなやり方も悪くないと思っています。
ご挨拶と抱負
無字右衛門のブログをご覧頂き有難うございます。昨年後半より、いただくメールやメッセージへのご返信が叶わない場合があり心よりお詫び申し上げます。当分の間、時間を確保したい事情がございますため大変ご無礼を致しております。お力になれず申し訳ございません。しかしながら被害を受けておられる方々が、本来の生活を送れる日が来るのを待ち望む気持ちに変わりはありません。
私はTIとして生活を送る一方で、TIでない側の自分も大切にしたいと考えています。むしろTIでない側の自分を優勢にしたいと思います。それが「集団ストーカー」に自分のすべてを奪われることを断固拒絶するための私なりの抵抗であり、TIである自分から一歩引いた場所に立つことが、「集団ストーカー」を知らない人たちの立場になって、どうしたらうまく伝わるだろうかと想像力を働かせるときの助けになると思っています。
反対に、挑発に乗って自分を変えられてしまうのは相手にポイントを与えることになります。また、嫉妬、憎しみ、怒りは、どれも「集団ストーカー」を招き寄せる因子だと感じています。海中でうっかり出血し、血のにおいに誘われてやって来るサメに身をさらすようなものです。そのようなものからは距離を置いてひたすら前進していきたいという気持ちは、スタート地点に立った当時と変わりありません。自分とのたたかいは今年も続きます。
全国の被害者の皆さん、どうか負けないで解決させましょう。
-人間は負けたら終わりなのではない。やめたら終わりなのだ。-
-至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり-
目に見えない他者による干渉から私たちが一日も早く解放されることを願って。
平成31年1月2日
無字右衛門
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参考情報のご紹介に添えて
アメブロばかりで恐縮ですが、TIの方々の年始の記事です。一般の皆様にも目を通して頂きたいエントリーをご紹介します。↓
↑mmsさんの元旦のブログ記事です。こういうのをNHKためしてガッテンなんかで食品の成分の変化を実験して証明してくれる……わけないか。
↑嫌な予感をさせる新聞記事を紹介されています。これが現実になったら究極の干渉ではないでしょうか。これで人が幸せになれるとは到底思えません。私の身体も心も人生も、自分で自分をコントロールする自由が他人の所有物になりかねません。私はこうなる前に一自然物として寿命を迎えたいと思います。それもすでに難しい時代なのでしょうが。将来、人間の死後にまで干渉や操作が及ぶテクノロジーが出始めたら…。逆説的ですが死は究極の自由ともとれます。いつも思うことですが、人間はままならないとがあるからこそ心やすらかに生きることが出来るのだと。つまり自分は誰のものでもなく、人間を越えた自然に属しているという安堵感です。(この辺、教養のある方にきちんと言い表していただけると有り難いのですが。無理矢理私が言うと「自然」は「おのずとしかるべく」と書きますが、こういうものに身をゆだねていられる安心感のようなものです。)どこかに、最期には放っておいてもらえるという自由さがあるから、他でもない固有の自分でいられるのかもしれません。そうでなくなることを考えるとぞっとします。TIの方々にはその足音が実感として聞こえていると思います。
↑TI Day様のブログ。私も同じ疑問をもっています。しかし確実に前進していると思います。決して小さな問題ではありません。
◆https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12430206119.html
↑少しマニアックな話題になりますが、ぜひここで紹介させて下さい。この記事の中で紹介されている精神科医の末田耕一さんの本、読んでみたいです。アマゾンのレビューにも共感しました。つまり「精神疾患」があるのではない。「精神疾患とされる」きっかけとなった原因(経験、環境、社会等)があるのだというような考え、腑に落ちます。誰だって過酷な体験をすれば恐怖ですよね?それを思い出して落ち込んだり心拍数が上がるって、人として正常だと思いませんか?身近な家族から愛情を受けなかったり残酷な扱いを受ければ、他人に対して敏感になりませんか?うつ病やパーソナリティ障害があるのではない。体験があり養育者がいたのです。本当にスポットを当てるべき対象は、人をそうさせた「原因(経験、環境、社会等)」です。レビュアーの一人も言うように、いくら投薬されても発症した原因はどこかに残されたままだと。また、それっぽい診断名がつくだけ…だとも。症状を引き起こす原因から目をそらさせ、今日会ったばかりの人に「あなたは◯◯病です。お薬を出しましょう」というのではあまりにも単純過ぎます。この最たるものが「集団ストーカー・テクノロジー犯罪」の被害者におけるケースです。診察する相手の人生も知らない「医者」が、DSMだかICDだか知りませんが、そこに書いてある「基準」に合わせて「初診で(‼︎)」診断を「下し」、目の前にいる人間の何を知ったつもりでいるんだか…という気持ちです。極端な話、診断マニュアルがあればこの私にだって診断を下して投薬できることになります。TIの皆さん、ちゃんとした精神科医はいます!精神科医全般に敵意を向けるのは得策ではありません。私たちについて誤解を招きかねません。慎重に的確に、多数派に負けず、人間の内側で何が起こっているのかを知ろうとする精神科医はいます。そんなまともな精神科医にも、周知する余地はあると思います。
「うつ」という医学の「言葉」は存在しない ヒロシマで見つけた「無意識の病」PTSDの薬物療法 1,512円 Amazon |
みんとさんのチラシが
2018年12月19日に改定されました。
こちらからダウンロードできます。(両面あります)↓
[警察に相談をバージョン]
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