前回の記事でご報告の通り、リラックスさんこと押越清悦さんが今年7月の都知事選に立候補され、最後の応援演説が新宿で行われました。そこに私も参加させて頂いたのですが、そのときある出来事がありました。通りがかりの一般男性から「集団ストーカー」(≒ガスライティング)についていくつか質問を受け、被害者の印象についてお話を聞くことができたのです。この男性との会話から、私が考えさせられたことを今回ご紹介したいと思います。私に話しかけて下さったその男性はよく新宿の街を歩くことがあるとのことで、「集団ストーカー」(≒ガスライティング)の街宣もご存知でした。
その男性からは、被害者の人たちは自分で証拠をとって警察に届け出ないのか、なぜそうせずに街宣するのか、との質問を受けました。それと「集団ストーカー」(≒ガスライティング)は、ストーキングがメインの嫌がらせであり、ラスボスは創価学会であるという解釈をお持ちでした。
私からはごく初歩的な例をあげて被害をご説明しました。それに対する対処の仕方についての男性の考え方は常識に沿っており、あえて私からは反論せず、もっぱらこの方のお話に耳を傾けることにしました。「集団ストーカー」(≒ガスライティング)とその「被害者」が客観的にどう見えるのか、とても関心があったからです。みずから証拠をとる努力が足りないのでは…というご指摘に対して、「救急車との遭遇を縷々記録しています」などと反論する勇気はありませんし、その構図も「正義の警察」と「悪者の創価学会」のようにシンプルであれば苦労はしないのです。
たとえば、深夜トイレに起きると近所のどこかで風鈴が鳴る。朝も帰りもこの通りをどの時間帯に歩いても、同じ人とすれ違う。バッグを新調するとその二、三日後に同じバッグを持つ人に肩をぶつけられる…。「何々すると何々が起こる」という「規則的な偶然」を、どう説明すればよいのでしょうか。これらの出来事を何かおかしいと意識し始めたら、医師に相談すべきでしょうか。「集団ストーカー」(≒ガスライティング)は、つきまといや待ち伏せ、日常生活のタイミングに合わせて何かが起こるということが問題のミソではありません。これらはどれも監視していることをターゲットに知らせることで、恐怖心や羞恥心、怒りの感情を起こさせるための合図に過ぎません。
一般の方には、つきまといや待ち伏せの事実はそれでも理解されやすいようですが、「監視されている」と告げたとたんに悲しげな目に変わり、態度を優しくされることがあります。「個人的な思い入れもなしに大勢であなたを監視することに何の意味があるのか」とは、私が被害者でなかったとしてももつ疑問です。「集団ストーカー」(≒ガスライティング)は自分が当事者にならない限り信じることはできません。私は被害を自覚した時、それまでの世界観を打ち砕かれました。犯人にとって絶対にバレたくないことを実行するには大き過ぎる嘘をつくことが隠れ蓑になるため、知らされずにいる人々と知らされた人たちとの間には巨大な壁が立ちはだかります。
さらに、男性はこんなことも仰っていました。街宣のどのようなシーンを耳にしたことがあるのか、私たちが小沢一郎議員に関連する団体ではないのかとも指摘され、この時は私自身も小沢一郎議員を支持する人物とみなされました。
しばらくの間この男性と話をさせていただいたのですが、このように一般の方々の中には、被害者がどこかの団体の関係者なのではないかと勘違いされるケースがあることを知り、誤ったイメージを与える可能性を念頭において、周知の仕方を慎重に考える必要があると考えさせられたひと幕でした。
私はこの男性との会話のあと、あらためて自分たちがどんなイメージで受け止められる可能性があるのか考えてみました。周知活動の中で特定の政党や国会議員の名前を引用した場合、権威あるそれらの固有名詞の響きが耳に残り、「集団ストーカー(≒ガスライティング)被害者」である「名もないわたしたち」の存在が差し置かれてしまうのではないか。結果として、街宣から断片的に耳に入ってくる被害者の声は、とくにこの問題に関心のない人々にとっては、たまたまその時引き合いに出された有名人の名前と「集団ストーカー」(≒ガスライティング)という特殊な言葉の組み合わせなのかもしれないと。
本当なら、この問題を訴える主人公は権威のない庶民である私たちなのに、インパクトのある名詞の陰に主役である私たち被害者の存在が埋没してしまうのかもしれません。既成の権威に便乗したほうが楽だからという誘惑に抗いきれない気持ちも理解できますし、名前の知れた方々に協賛していただくことは集団ストーカー(≒ガスライティング)被害者にとって強い支えになるのは間違いありません。だからこそ注意しなければいけないのだと自戒を込めて思い直しました。人は、何か未知のものごとに遭遇した時、既知のものごとにあてはめて理解しようとするそうです。「集団ストーカー?どこかで聞いたことあるけど、結局こういう人たちなんじゃないの?」と自分なりに解釈を落ち着かせると、あとは関心が薄れて自分たちの日常に追われていき、私たちは放置され忘れ去られていきます。
あらためて「集団ストーカー」(≒ガスライティング)が未知のものだったとしたら…と仮定してみると、アピールの仕方によって次のような印象が私の中に残るかもしれないと想像しました。例えば、
●「アンチ創価学会の」人たちが訴えている「集団ストーカー」
●「アンチ公安警察の」人たちが訴えている「集団ストーカー」
●「愛国者の」人たちが訴えている「集団ストーカー」
●「在日朝鮮人を非難する」人たちが訴えている「集団ストーカー」
●「人口削減計画に反対する」人たちが訴えている「集団ストーカー」
●「5Gに反対する」人たちが訴えている「集団ストーカー」
●「山本太郎さんを支持する」人たちが訴えている「集団ストーカー」(*個人名を出して申し訳ありませんm(__)m)
etc.
他にもあると思いますが、上の例では「○○の」という修飾語の方がインパクトが強く、“「ごく普通の主婦の」人たち…”や“「ごく一般の」人たち…”と修飾されるべき存在がかき消されてしまうおそれがあるのではないかと思いました。かく言う私こそ、“「デイビッド・アイクに賛同する」人が訴えている「集団ストーカー」(≒ガスライティング)”にならないように注意が必要なのと同じように。
この被害者になると強い孤立感に陥りますので心のよりどころがほしくなります。とくに被害初期は発狂せずにいられるかどうか試されるような境地です。そのため自分の身の回りで起こる恐ろしい現象がなんなのかインターネットで必死に調べる過程で、何を敵と考え、何に与すればよいのか、まるで医師から診断結果を告げてもらうことで気持ちを落ち着かせようとする患者のように自分の所属先を探し求めます。けれども注意したいのは、被害者がごく普通の一般市民として映らなければ世の中に対して正確なメッセージを送るのは難しいのではないかということです。「何か特別な人たちが訴えている」というイメージをもたれるよりも、一般の方々からみて、「わたしたちと同じような人たちが何か訴えている」と感じていただくほうが受け入れられやすいのではないか…そう思いました。
もう一点、この男性の発言から醸し出される様子から考えさせられたことがあります。「問題を解決すること」と「恨みを晴らすこと」、「周知活動」と「怒りの発散」の、それぞれどちらにウエイトを置くかによって、人々から見える被害者の印象は異なるのではないかという点です。
「周知することで解決したい」
「恨みを晴らすことが解決より重要だ」
「解決を先送りにしてでも今の怒りを発散させたい」
「解決もするし恨みも晴らしたい」
皆さんはいかがでしょうか。
いずれにしても、どうしたら誤解を避けつつ最短距離で前進できるのか、具体的には、「集団ストーカー」(≒ガスライティング)という呼称自体が恐ろしく、かすかに滑稽な語感をもつため、私たち被害者までもが人々から奇異に思われたり怖がられる存在になってしまわないか、細心の注意を払いながらやっていく必要があるのではないかと考えさせられました。
以上が、私が新宿で男性との会話を通して考えたことです。静かに暮らせる日が実現するのを本気で考えればこそ、真剣に向き合わなければならない課題だと思いました。
↑さて、こちらは2018年7月9日に公開されて以来、もっとも多く使用されているチラシですが、このチラシが広く支持される理由のひとつとして、作者である一主婦が主語になっているからではないかと思います。だからこそこのチラシは、商店街にも、警察・消防署にも、法務局にも、学校にも、県庁・都庁にも、加害者たち本人にも、そして警視庁にまでも、無邪気に潜り込むことができたのではないでしょうか。このチラシが言っているのは人としてやっていいことと悪いことの区別です。
このチラシを使いながら日中の周知活動が可能なのは、おもに専業主婦の方が多いと思いますが、そういった全国の方々の地道な貢献があっていまがあると思います。店舗や行政の方々との対話のチャンスをもてるのも、日の暮れる前の営業時間内で活動のできる方々の努力に頼らざるを得ない部分があります。ご苦労も多いかわりに良心的な方々とのふれあいの報告も多く、周知活動の昼の顔として、被害者の健全なイメージを売り込む重要な役割りを果たしてくださっています。
一方で自分は何ができるだろうと考えてみると、「集団ストーカー」(≒ガスライティング)を普通のサラリーマンの一人として、一歩引いた視線でみることだと思いました。会社という組織の中で働く人々の平均的なものの考え方から、どんなふうに受け止められる可能性があるのか、それと、これまで私が幾人かの同僚たちと「集団ストーカー」(≒ガスライティング)について話をしたときの感触から、何をどこまでどう話せば完全に扉を閉ざされずに聴いてもらえるかを探り続けることだと思います。悪人でもなければ特別に善人でもない、いつも自分のことで精一杯の人たちに少しずつでも関心を示してもらうには、どんな工夫が必要かなどです。私が「集団ストーカー」(≒ガスライティング)について語ることができた同僚は、私を信じてくれていたからこそ耳を傾けてくれた人たちでした。うまく伝えることができない自分に悔しい思いもしますが、聴いてくれた同僚たちには心から感謝しています。
集団ストーカー(≒ガスライティング)・テクノロジー犯罪被害者のもつ強みは「ふつう力」ではないかと私は常々感じています。まさしく「重要人物でもなんでもない普通の市民」であることが被害者の「特徴」です。「集団ストーカー」に関する世の中の認識度が未熟な現時点では、被害者が「ふつうの人たち」であるという条件にはりっぱな利用価値があると思うのです。
「集団ストーカー(≒ガスライティング)・テクノロジー犯罪」を正しく知ってもらうために一般の方々と対話することで、今後どのようにアプローチしていけばよいのかヒントを探る機会はもっともっと必要だと感じました。そして「知っていただく」のと同時に「知りたいと思わせる」ことも必要だと思います。理解を得るのがとりわけ難しい問題だからこそ、社会に受け入れられやすくするための機微を感じ取るセンサーを、被害者ひとりひとりが研ぎ澄ませながら行動していくことも重要だと考えました。
しばらくお休みをいただきます。
ブログを始めてちょうど四年が経ちました。昨年の工作員と思われるスタッフの退職以来、仕事が多忙なことと、「集団ストーカー」(≒ガスライティング)が始まった当時の衝撃で奪われた数年間を、妨害を承知の上ではありますが取り戻したい考えから、しばらくブログをお休みすることを決めました。落ち着いたらまた再開する予定です。そこでこれを機に、少し自分のことを書いてみようと思います。ご興味のない方は以下読み飛ばしてください。
現在の私の状況は、救急車をのぞけば(笑)細かい被害はほぼ消失したものの、私を苦しめるための「肝」を加害側は的確に掴んでおり、大切なものを台無しにするための努力を惜しみません。おそらく私が死ぬまでそこに居座るために、その人物は自分の生涯をささげるようです。つまり私というターゲットのために誂えられた特注の工作員です。それを知ったときから、「集団ストーカー」(≒ガスライティング)は利権を超えた使命のようなものがシステムをしっかりと支えているような、独特の執拗さを感じるようになりました。いまの私は傍目にはどこにでもいる一般市民に見えるはずですが、そんな事情を抱えながら、まったく異なる二つの世界を生きさせられています。ですが私は、狂気ではない方の世界に軸足を置いて前を向いて暮らしていこうと思います。
ところで、以前私はこの記事で、チラシを掲示してもらうのが苦手だとお伝えしました。そこで、その言い訳をご紹介したいと思います(^◇^;)
その記事の中で、「内向型」か「外向型」かを診断するための20問をご紹介しましたが、私は高得点で「内向型」だと分かりました。誰かと一対一で、静かに本気で話すのは好きですが、万人向けにメッセージを送ろうとすると、いったい誰に、何を話せばよいのかわからず居心地が良くありません。子供の頃の家庭環境も大きく影響していると思います。
私は若い頃に自殺を考えたことがあります。幼い頃から絶えず漠然としたつらさがあったことが理由ですが、だいぶ大人になってから、親から心理的虐待を受けていたことが生きづらさの原因だとわかりました。家族という小さな箱の内側が世界のすべてである子供にとって、養育者は絶対的な存在です。
私が小学校に上がってまもない頃だったと記憶しますが、こんなことがありました。親戚が集まって宴会をしていたときのことです。母が忙しそうに台所と宴会の場所を行ったり来たりしていました。幼い私も何か力になれないかと、思い切って母に話しかけました。「何か手伝えることある?」母は答えました。「うん、ある。いなくなること。」私は顔から火が噴くほど自分の存在を恥じました。薄ら笑いを浮かべながら私を見下ろす母を、横にいた叔母が「そういうこと言うのやめなよ」とたしなめたのを覚えています。若い母は、私が近づくと嘲り、遠ざかると誘惑してくるような人でした。結果、私は甘えることも自立することも難しいままで年齢的には成人しましたが、いまでは母自身も理由があってそのような人になったのだろうと理解しています。何より私が、母を苦しめるために自分を不幸にしようとしていることや、死にたいと思う人間など一人もいないことを自覚して、苦しみの原因である母を自分から切り離す代わりに、私自身が幼いころの自分自身の母親になれたことで、いまの自分があると思っています。家族の中で自分を抑え、恥じ、たった独りで耐え忍ぶ、滋養の乏しい小さないのちを私自身が育て直すという過程で、多くを学ぶことができました。自分と同じように、いま目の前にいる人は様々な過去の堆積なのだから、今のその人に対する評価を保留にしておくことを。なによりも自分自身を護ることを学びました。
ただし、そんな自分が他人に対して冷淡だと思うことがあります。母を切り離したときの厳しさを、他人にも使ってしまう時です。母に対する「わたしは先にいきます。あなたはあなたでしあわせになってほしい。わたしにはあなたのことをどうすることもできない」というやり方を、他人にも使ってしまうわけです。
実は私は、これと同じやり方で被害を自分から切り離してきました。被害に心を囚われていては、有限で一回きりの人生を奪われてしまうという思いからです。たとえ24時間監視下にあろうが、知ったこっちゃないのです。幼い子供が家族から尊厳を奪われる孤立感と理解されないことによる孤独感は、大人になって「集団ストーカー」(≒ガスライティング)被害者になるそれらとで大差はありませんでした。その意味で「集団ストーカー」(≒ガスライティング)は私にとって、人生で二つめの「集団ストーカー」(≒ガスライティング)と言えるかもしれません。
そんな子供の頃の私が、自分の感じていることを身近な大人に耳を傾けてもらえるのは簡単ではありませんでした。口に出して話す前に、「本当に分かってもらえるだろうか」「また自分を拒絶されるのではないか」と警戒する癖がついてしまったのです。反対に、過不足ない愛情を自然に与えられた子供は、大人の方から歩み寄って自分を理解しようとしてくれるため、言葉を尽くす前に受け入れてもらえるという感覚が身につきます。そういう幼少期を過ごした人は、わざわざ「理解してほしい」と力むことなく、素直に他者に入り込んでいけるのではないかと思うのです。そのような人には、掲示の得意な方が多いような気がします。そうでない自分は無理をせず、生涯をかけてゆっくり成長していこうと思います。
そんな私ですが、周知のささやかな一環として、フリマサイトにグッズを出品しています。購入して下さる方に、グッズと一緒にチラシを同封して発送させて頂いているのですが、ご購入者の中には「これをコピーして近所に配ってみます」と言って下さる方が何人かいらっしゃいました。被害者はごく普通の主婦の方などが多く、チラシを印刷会社へ発注することすらハードルが高く、ポスティング活動も家族やご近所の目があって思うように実行に移せないような方がおそらく大多数を占めるのではないかと想像します。小さいお子さんを育てながら誰にも打ち明けられず、たった一人で全部抱え込んでおられるのではないでしょうか。そのような方々をこそ、「内向型」の私は応援したいと思います。
さきにもお伝えした通りしばらく新しい記事でのブログの更新をおやすみしますが、皆さまのブログへは変わらずお邪魔致します。
最後になりますが、「集団ストーカー(≒ガスライティング)被害者」という条件は私の一部に過ぎません。被害との共存ではあっても、日常を大切にしていきたいと思います。
2020年11月24日夜追記
残業で少し遅くなってしまいましたが、私もみんポスに参加しました。
2020年11月24日(火)20時06分、なんか冷たいものがおでこに当たってきましたよ(´ω`)
小雨降る夜の谷中三丁目、ひっそりやってます。
住人の皆様ご在宅が多く、おどかさぬようにそっとドアポケットに投函。
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2020年2月4日リリース!
【お願い】改変等のご使用はご遠慮下さい。このチラシを連想させる形態で内容を差し替えるなどの行為は慎んで下さい。
この文章にあるような人たちが日本中に紛れ込んでいると考えられ、日本全国に点在する「集団ストーカー」(≒ガスライティング)被害者一人を担当するために、家族ぐるみで、もしくは地域単位で取り囲んでいる可能性があります。「集団ストーカー(≒ガスライティング)システム」の中では彼ら自身がもっとも下層辺のところで利用されている人たちだと考えられます。「集団ストーカー」のやり方は、末端の加害者には真意を知らせない代わりに小遣いを与えながら、末端と、私のようなつまらない一般市民の間で諍いを起こさせて高みの見物をするような、そんなやり方に思えます。改めて観るとなかなかにショッキングな動画です。被害者様、動画ご紹介させて頂きましたm(__)m
■ツァイトガイスト・アデンダム2008日本語字幕とてもわかりやすい版Zeitgeist
↑菊澤多門様のブログより。同感ですのでご紹介です。街中や電車の中で人々を見ていて感じるのは、なんて弱々しい姿をした人が多いんだろうと。これじゃ日本人は集ストのターゲットにし放題じゃないか(笑)とはわりといつも思っていることです。かく言う私自身ターゲットなんですが…(^^; (2020年11月21日追記)
↑newcham様のブログより。
《以下、抜粋です↓(下線は無字右衛門が付けました)》
……君の人生は劇的に変わってしまった。もう二度と、人々やアメリカ国旗を、以前と同じようには見られないだろう。君は、君が聞いたことのある歴史上の人物が出くわした原始的で未解決の集団精神病の結果を直接体験している。多分そろそろ君は、殺されてきた人々が、歴史を通してこの犯罪に気づいて抗って来た者たちであり、本質はこれ(この犯罪)と同じであると結論づけている。その名称はあちこちで時々変化し、被害は異なる方法で表れる。しかしこれはいつだって同じだ。大々的で強力で、ほとんど人間の意志が入っている。君は組織ストーキングというものに直面している。君に集中して注意が注がれ、止まらない。この期に及んでいつ、なぜ始まったのか、グループや団体の名称が何なのかは問題じゃない。どっちみち起きたことだろう。……
■mmsさんが興味深い動画を紹介して下さいましたのでシェアさせていただきますm(_ _)m ↓
◉紹介させていただきますm(_ _)m↓
被害初期の頃、通勤しながら内心ガチガチの自分に、「きょろきょろするな、歩幅を大きく歩け」と元気づけながら聴いていた曲です。↓
当時はほんと怖かった…T^T
「集団ストーカー」とかなんとか言われているようですが、罪深いですぞ。
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2021年4月1日(木) 東洋経済ニュース
2021年4月1日(木)コスモスさんのブログより。一歩一歩着実に…。
2021年4月17日(土)いのちをいただく
2021年4月25日(日)ma-wind様のブログご紹介させて頂きますm(_ _)m
同感です。↓
https://mobile.twitter.com/RonielYamato/status/1435579204263809031
2021年11月3日追記↓