
きりむすぶ 第5回配本
*本作は執筆中であり、不定期の投稿により、随時更新する。一定の文章量、ストーリー展開に達するまでには相当度(あるいは年単位)の期間を要する。以上をご理解の上、お見捨て置きいただければ幸甚である。各回配本の末尾には、次回配本を投稿し次第、そのURLを添付するものとする。
ホ.
英嗣は30と数年前に印刷会社へ就職した。総合職での入社だったが、その一環で工場へ出向をすると、いわゆる現場の風が心地よく、会社に無理を云ってしばらくはそこへいた。しかし、人当たりのよさは当初からの評判で、本社へ呼び戻され、それからは主に渉外を任されてきた。2度、いずれもごく短い期間、アメリカへの海外赴任があった。肩書きには興味を示さず、同期からはそのことをかえって怨めしくおもわれるほどであった。出世の鬼からすれば、恬淡としている者ほど怖ろしいからである。じじつ、長と附く立場での仕事はほとんどして来なかった。いつもどこかなにか隙間を探し、それを埋めることに無上のやり甲斐をおぼえた。一緒に仕事をした者のうち複数人が、あるプロジェクトをすっかりやり遂せてしまってから、矢内さんの働きなかりせば・・・・・・との実感に打ち震えた。そこで評価を受け、出世するのは彼等であり、人事課は、英嗣の果たす陰に陽にの貢献を知らない。英嗣には、それでよかった。それでこそよかった。聖人君子を気取るつもりはない。仕事を主導している自分自身を想い描けなかった。誰か他人を助けているときが、最も素直に動けた。意欲が湧いた。
同期入社は16人で、男性が10人、女性が6人だった。そのころとしては、女性の割がおおいといわれた。この先、いまだ背広の似合わぬ英嗣の青年期をつらつらと描写しても構わないが、それは読者の想像力逞しきに俟つとして、ここでは、その同期の女性の 1人、岡野雅美を浮き彫りにしておく。
岡野は、じっさいに活動こそはしなかったそうだが、学生時分に女性運動の類にかぶれ、その手の書籍を読み漁っている人物であった。いかにもしおらしい他の5人の女性に比して、彼女の押し出しのつよさは、入社時点から異彩を放った。新歓の酒席からして、時間の無駄、と欠席したのである。それが週末のことで、翌くる月曜に出勤するなり、彼女は課長のデスクへ呼ばれ、かるく詰られた。ぺこりと形ばかり頭を下げて自席へ戻って来る彼女と、英嗣は目が合った。
--矢内くん。
岡野は、入社からほんの数日は英嗣のことを矢内さんと云い、じきに、矢内くんでいいかな、と断わってそう呼ぶようになった。
--矢内くん。私なにかおかしなことをしたのかな。
したとは云わせないというその口調にやや気圧されながら、しかし英嗣はこう返した。
--いいや。ただ、時間の無駄と、わざわざ云わなくてもよかったんじゃないですか。ものに角が立つでしょう。
相手は即座に訊き返す。
--いけないの、角を立てちゃ。
ともかく万事これだ。わずか新歓会の前後までに、英嗣のみならず周囲の者はみな、岡野がそうして自身を極度に鎧っている人間なのだとわかってしまった。その酒席ではいちど、そこにいない岡野のことが話題となった。課長は、刺戟になるかもしれないとかで、人事がおもしろがって入れたんだろ、厄介だよ、と怨嗟を漏らした。部長はまあまあと窘めて、来る者拒まず、どんなのを寄越されようと、それと上手くやるのが我々の務めだよ、と笑った。課長は先刻承知といった渋面で、もちろん、善処しますが、と応じた。聞いていて英嗣は、岡野のふるまいはこうした寛容に救われている、そのことを岡野は知らない、とおもった。だからいま、角を立ててはいけないのかと訊き返してくる彼女へ、もうひとこと喰い下がりたい気がした。しかし、つんとつよく鼻っ柱を立てた彼女の横貌を見ていると、まるで二の句が継げなかった。本人にそう云えばきっと烈火のごとく怒り出すのにちがいないが、まず誰の目から見ても、岡野は美人だった。
彼等の課へ来客があった。そのときちょうど事務職が誰も出払っていて、英嗣が気が附いて、給湯室で茶を煎れて応接へ運んだ。茶を供すると先方は目に見えて、なんだ、男が茶を出すのか、という貌をした。彼が英嗣の方へ顔を上げたちょうどそのときに、応接の外を岡野が通り過ぎ、ガラス越しに彼の目にその姿が映った。それがなければ、彼も次の科白を口外することはなかったろう。
--あ、こりゃどうも。どうぞお構いなく。しかしなんですな、せっかくなら綺麗どころに煎れていただきたかったですな。はははは。
--むさい給仕ですみません。ちょうど事務が出払っておりまして。
英嗣は云って、応対の担当者とともに恐縮した。彼が盆を手にして退出すると、課へ戻って来たところの事務の女性が駈け寄り、
--やだ矢内さんっ。煎れてくれちゃったんですか。すみません。お手間を掛けました。
と応接の室内を気にしながら小声で詫びを云った。英嗣は快く、
--ああいえいえ。ただ、男手はお呼びでなかったみたいで、綺麗どころをご所望でしたよ。
と返した。そこへふたたび岡野が通り掛かりながら、
--え、なに、矢内くん。お茶なんか煎れたの。やめてよ恥ずかしい。
と放言した。
--(なにを云うんだっ。)
ぎょっとした英嗣が反射的に傍の事務の女性へ視線を移すと、彼女の表情は瞬時にして灰色に曇った。英嗣はやや怒気を帯びて、
--恥ずかしいとはなんですか恥ずかしいとはっ。
と抗した。そして、
--岡野さんも、気が附いたらお茶くらい煎れたらどうなんですかっ。
とつづけた。
--私が、お茶を。冗談やめてよ。それから木内さん。
え、あたし、と事務の女性、木内は咄嗟のことに驚いて岡野の方へ向き直った。
--木内さん、おいくつですか。私と矢内くん、ついこないだ入社したばかりですよ。ずっと年下なんです。矢内くんでいいじゃないですか。
岡野の勝気が木内へ飛び火した。こうした気性の女性と対した経験のない木内はしばし狼狽し、
--そういっても、女は男をさんと呼ぶものだから。
とやっとのことで返した。
--誰が決めたんですかね、そんなこと。
岡野はわざとらしく大きな溜息をついた。
--やめなよ岡野さん。
英嗣が制した。すると、木内は一呼吸遅れて反感を催したようで、云い返した。
--あたしの母は、あたしの兄が高校生になったときから、兄のことをさん附けで呼ぶようになったわ。あたしはまだちびっ子だったけれど、いい姿だって、子供ながらにおもったわよ。
それを聞いて、附き合い切れないとでもいうように大きく目を見開いたかとおもうと、岡野はぷいと向こうを向いて立ち去った。ふたり取り残されて、英嗣はつい木内に謝罪のことばを口にした。相手は、どうして矢内さんが謝るのよ、岡野さん、ああいう人だからね、と苦笑してみせた。
その日の終業時、英嗣は岡野を呼び止めた。廊下の人目に附かないところまで連れ出した。連れ出される理由を察した岡野は機先を制した。
--矢内くん。私たちの仕事はなにかってことかんがえないと。お茶なんか煎れてるばあいじゃないでしょ。
英嗣が云いたいのはそこではなかった。
--見解の相違だ。俺はやれる人がやれることをやれるときにやればいいとおもっているよ。いや、岡野さんがお茶を煎れることを恥ずかしいとおもっているのはそれはそれで構わない。それをあんな木内さんがいる前で云うなよってことだよ。
--え、矢内くんもフェミニストだったの。うれしい。
--茶化すなよ。女性だからじゃない。俺たちの仕事も事務仕事も、どちらも仕事だろ。貴賤はないって話をしているんだ。
--ご立派ね。でも、それこそ見解の相違だわ。
云い合いながら英嗣は、すでに哀しかった。
--俺のことを矢内さんと呼ぶ木内さんのことを、岡野さんは軽蔑するのか。
--そうよ。
悪びれもせず、岡野は応じた。
--そうか・・・・・・それなら、
英嗣は苦しく逡巡して、しかし意を決して云った。
--それなら俺は、そういう岡野さんのことを軽蔑するよ。
英嗣の眼光、声音の鋭さに、さしもの岡野もかすかにたじろいだ。他人を軽蔑することはあっても、他人に軽蔑されるなどとはおもいも寄らなかった。ふたりともそれ以上のことばはなく、無言で別れた。
(第5回配本 おわり)
(第6回配本 未定)
錦糸町、
出口大地氏の棒、NTTフィル公演、済む、演目は、メンデルスゾーン《夏の夜の夢》より諸曲と、マーラー《巨人》とである、
佐藤雄一氏公演の切符を入手し損ねてからやっとこちらへ乗り換えたので、っもう良席は遺存しておらず、っそれでも、器へ向かいつ電子テケツを検めてみて、自分でもよくこんな席を撰んだなと呆れたが、3階正面、中段の通路より後ろの最前列右端附近であった、視覚的にも舞台がかなりに遠く、っおまけに指揮者の上半身くらいっきり視えず、1st、Vaの表側の人たちも前方のお客お客の頭部頭部に隠れてだいぶん死角となる、音響としても、平素、主にここで公演を有っていられるフライハイト響のその公演動画は、っおそらく3階の天井桟敷みたようなところへ据えたカメラで撮っていられ、音声もそのカメラのマイクが拾ったものであろうが、っそんな位置から録った音では、ラウドネス比がひどくアンバランスで、音勢のつよい金管や打楽器はクリアなのに、絃や木管は隣室から漏れ聞こえてくる音のようになってしまっている、っそしてそこへ近い位置へきょうさっきじっさいに坐して聴いていたわけだが、録音せられた未整音のそれほどひどくはないものの、っやはりとくに絃の音が来ない憾みを拭えなんだ、っここ錦糸町は2,000席未満、大器と中器との間くらいの規模であろうが、っそれでも3階のその位置だともうあんな惨状になってしまう、
っぼくは、プロフェッショナルの切符代の高い公演でも頑張って良席を購わむとし、ったとえば上野大器では、公演にも依ろうが、2階正面がS、同両袖がAであったりして、っぼくとしてはあそこならば正面よりもどちらか袖のほうが良位置とおもうから、っそのばあいAとなるが、っだいたいどんな器でも、聴感優先で切符を購うとSだ、三十路すぎまでアルバイト暮らしだったが、っその時分、大学を出てからいくらもしないころから、っじり貧生活でも努めてそうするようになった、っきょうひさびさにかなりに悪条件の位置へ坐してみてあらためておもうが、っあのような位置でオーケストラの音を聴いても、っあまり意味がない、っあんなことなら、自室でYouTubeとかの演奏会動画をしっかり音量を上げて観ているほうがよっぽど増しなくらいだ、っいつかにいちど云ったが、っきょう日ネット上へ演奏会所感を上げる方は雲霞のごといられるが、この人たちはそれぞれどの位置で聴かれているのだろう、っとときおりおもう、っぼくは堂内で写真を撮ることは、っそれが許可せられている公演であってもいっさいしないが、ったまに、自身で手に持たれたパンフレットを写し込んで、自席からとみられる写真をupする方などもいられる、っそれを見ると、ったとえば舞台とオルガンとの間へ座席のある器で、っその舞台の後ろっ肩の、っそれも3階席らしきところから遙か下方へ舞台を望む位置でいらしたりする、音の聴こえ方は人それぞれで、っどういう条件で聴くオーケストラの音を理想とするかも人毎に区々ではあろうが、っぼくならば、っそのような位置で聴いて演奏内容についての所感を述べることには、っかなりの躊躇をおぼえる、っせめてもの誠意として、っとくにそうした偏った位置なり舞台からとても遠い位置なりで聴かれているばあいには、しかじかのかなりに悪条件の位置で聴いた、っと断わってくれたいもので、っぼくも、今次のごとイレギュラーで出向くなり、人気の集中した公演で切符争奪戦へ出遅れるなりして良位置が得られていなければ、っまずはそのことに触れてからでないと、申し訳なくて演奏に対する評価など述べられない、っで、っそんな留保を附けながら自身の所感を振り返るのも愉快ではないから、値が張ろうがなにしようが、演奏会は良席で聴かねば気が済まない、サントリーであれば、2階正面の右から左までを横断する通路より後ろの席へ坐すばあい、公演へ行かない前から、きょうの俺ははなっから敗けだな、っとすでにして気乗りがしない、
っぼくはほとんど行かないが、仮に海外オケの来日公演で¥3萬しようが¥5萬しようが、っやはりSを撰ばねばならないので、っそんな名門どころだと、悪条件のCだとかDだとかだって¥1萬以上しようけれども、っどんな名門の奏楽であろうと、悪条件の位置で聴けばやはり聴こえ方は多少なりともよくはないわけで、聴こえのよくない位置からでもヴィーン・フィルを聴いておきたいベルリン・フィルを聴いておきたい、っというのは、っおよそぼくの理解を絶する、逆だろう、名門だからこそ、途轍もない音を出してくれるからこそ、¥3萬しようが¥5萬しようが、っそれを最良の位置から聴かねばならないので、¥1萬も¥2萬も出してヴィーン・フィルの音がよく聴こえなんだとなるくらいならば、室で¥3阡の音盤を聴くほうがずっとずっと得策にちがいない、
っもっとも、っゆとりを有って全楽を見渡せることの利点も、っきょうの話だが、味わわなかったわけではない、オケはそれなりのテクニーク、惹かれたのはマーラーの3楽章のまんなかで、《さすらう、、、》の菩提樹の木蔭の件の引用だが、っその苦くせつない気分を各楽器が縦横に訴えたものだ、アンコールの〈ブルーミネ〉もその気分に通じ、トロムペットはもちろんのこと、クラリネットやVnなどもこちとらのこころの琴線へ触れてくる、
出口氏の実演へは初めて接したとおもうが、サウスポーでいられるのだろうか、棒はずっと左手へ持っていられた、造形の上でとくだん傑出した印象はどこでも與えられず、次に聴く機会は当面おとずれないであろう、っそういう指揮者もいてくれてぜんぜんよい、っぼくがただゲテモノ趣味者であるというだけのことだ、、、っま、っただ、ゲテモノ趣味者こそ、有無を云わさぬ正調の表現を待望している人じゃないかと、自分でおもうけれどね、正調の表現がわかる人というのは、っふだんから正調の擁護に余念のない人じゃないよ、ゲテモノ趣味者こそ、眞なる正調、正調のなかの正調に圧倒されたがっている人なんだ、っだからぼくは、原理原則として正調こそがただしいなどとは、っぜったいに云わない、無理をして云うまいとするのじゃなく、っほんとうにそんなことはただしくないとおもっているというか、っそんな表現にはそれこそ原理原則としてはたのしさを感じないから、っやっぱり表現者たる者、っまずは崩れよう崩れようとしてくれなきゃ、っでも結果として崩れなかったその造形に、っいちばん鋭敏に感応しうるのは、っどうしたって世にゲテモノ趣味者をおいてほかにいないでしょう、正調によがっていると、ゲテモノには嫌悪を懐くし本物の正調は見抜けないしと、っよいことなしだ、ゲテモノ趣味者でいると、ゲテモノはたのしいわ不意に眞性の正調にがあんとやられるわで、っじつによいことばかりである、っそんなわけで音楽鑑賞は、っじつにゲテモノ趣味に限る、
、、、っま、っぼくももうおじさんですので、人それぞれでよいとおもっていますがね人それぞれで、っや、っきのう、よのなかにはほんとうに、若くときの思潮とは、それを否定して掛かることで訣別せねばならない、などとかんがえる人がいるのか、っとかと云ったが、っそれこそぼくも若くときには、上に云うような自己主張とか、他者への挑発をさかんにやったことがあった、っそれを想い出し想い出し、っちょいと再現してみたまでで、っいまはほんとうに人それぞれでよいとおもっています、、、っああいや、っそうか、っもっと以前には、ゲテモノ嗜好を口外することがコワい時代も、ったしかあったような気がするなあ、っもうよく憶えがないが、っけれども、っそうさ三十路へ入るくらいのころには、誰を相手にでも、いやぼくですね、演奏といえばゲテモノがすきですよ、できるだけゲテモノであってくれるのがうれしいですね、っとかとわりあい平気で放言しうるようになった、演奏のプロフェッショナルと話をさせていただく機会もほんのときおりあるけれども、っそれでもべつにさして躊躇なくそれを云える、、、っもちろん、ったいてい相手はよい貌はされないけれども、っその躊躇のなさというのは、っべつにそれがただしいと信ずるようになったというのではない、っともかく人それぞれ、っぼくにとってはそうおもえるというただそれっきりのことだ、っだからよし誰かに否定せられたとしてもいっかな気にしない、ああ、この人にとってはちがうんだな、っとおもうのみである、
っさて、っお次は土曜、流山にて佐藤雄一氏の公演である、っきょうも彼氏を聴けなく、っこんどは聴けるが、っその次のもうひとつの流山での公演は、同日にサントリーにて金山隆夫氏の《㐧9》公演があり、っそちらを撰んでしまう、流山は遠くて出掛けてゆくっきりでも草臥れるし、、、っまあねえ、ったびたび云ってきた種々の条件から、っぼくも以前ほど熱心には佐藤氏を聴けなくなっているというのが、正直なところだ、っこんどの公演も、眞の意味で佐藤雄一というあの存在感を鋭く突き附けらる公演には、っとても成りえないとおもっている、っざんねんだ、、、聴かない前から失礼な、っしかしねえ、要は簡単な話だよ、オケがしっかり巧くなきゃ、オケがさ、
みずの自作アルヒーフ
《襷 ータスキー》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(第1回配本)
《ぶきっちょ》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(第1回配本)
《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12935343873.html(第1回配本)
ギロッポン、
森口真司氏の棒、一橋大の学生オケ公演、済む、演目は、アルヴェーン《夏至の徹夜祭》、マーラー《夜歌》である、
平日は、っなにか睡眠時間がみじかくなってしまう、っいまの狛江現場は、6時半すぎか、遅くとも7時前には室を出たいのだが、っなにをしているでもないのに、2時だ3時だまで起きていてしまう、帰途、睡気をおぼえることがままあり、運転していて怖いので、川崎街道をゴルフ場の入口のある峠の3叉路まで登り切り、っそこから聖蹟方面へ降るとすぐに側道があり、っそちらへ逸れたところのドッグ・ラン場の駐車場へ入れて、っしばしぼんやりとしている、っそれから本棟へ寄って足りない資材を積んだり、社長や誰やに進捗状況を話したりして別棟へ戻り、回収した礫槨の礫を倉庫へ放り込むと、っそれで18時半だ19時だになってしまい、ICU現場の概要報告作成は宿題のままだが、っほとんど進められていない、1日仕事をしてきた身体で、さ、もうひと仕事だ、っとなかなかならない、っそれで食事をして21時だ22時だに帰宅して、っなにをしていてそんなに遅くなってしまうのだろう、ミニマル先輩は《ヒロ・アカ》に偏執していられ、っそれを一寸以前に知ってから、っぼくもAmazon.で観ているのだが、っだいたいそれを何話か観ているうちに、深更になっている、居室の椅子で居睡りすることもおおく、っやっと明方近くになって寝室へ移動し、アラームを掛けてほんの2、3時間仮眠を取り、シャワーを浴びて身体を叩き起こし、出掛けてゆく、っきょうは、午前半日っきりでも出勤してICU仕事を進めねばならなんだのだが、っあさアラームで起きて、めんどくせえなあ、俺はいま狛江の仕事してんだよ、っと億劫であり、2度睡3度睡しているうちに出勤に間に合わない時間になってしまってくれればよいとおもっていると、何度目かに時間を検めたときにはほんとうに8:39で、よかった、これで仕事へ行かなくて済む、っとそこで初めて眞に仕合わせな3度睡だか4度睡だかへ堕ちる、仕事が嫌いなのではない、マルチ・タスクができないのである、11時半ころ起きて、11:50にアラームを掛けてさらにぎりぎりまで惰眠の床へいて、シャワーを浴びながら散髪をし、チャリンコを駐車場のハイ・エイスの荷台へ積んだままだったことに気附いてやや周章て、小走りに駐車場まで行き、チャリンコを下ろして駅まで走る、検索したものよりも1本遅い小田急で赤坂まで、っそこから歩ってサントリー、開演前に階上庭園の隅へ隠れてシガレット1本を服む、っほんとうは2本くらい服んでおけると、最もこころ穏やかに開演を迎えられる、抜かった、っしかし、1週現場へ通った週末のあさに、っやるはずの半日仕事をサボって午まで睡ている気分は、っけっしてわるくはなかった、っあの程度の宿題、狛江現場のあとどうとでも終わらせてやっから、マルチ・タスクは無理、っそこまで人間が器用に出来ていない、、、っそのくせプライヴィットで、食事のあとコメダへ移動して小説を書く気力はあるという、性質のわるい労働者である、っけれども、っほかの人はそういう残業が難なくできるのかなあ、っぼくはできないよ、っや、っあさから夕までやっていたそのおなじPC仕事を、夕以降もよるまでというならできるが、陽があるうち1日現場で働いてきて、車で戻ってさあぜんぜん別のデスク・ワークをやってくださいっつったって、いやです、こちとらもうおおきに1日分の仕事をしたんです、っという話だ、社長はまいにちのように現場でバック・ホウへ乗られるが、現場から直帰されることはまずなく、っほぼまいにち、帰社されてほかの仕事をなさるという、っそれだけでも尊敬に価する、っぼくはとても眞似できない、夕に現場が終わったら、っもう1日の仕事は了わりなのだ、っそこからもうひと仕事など、っおよそ人間の生理に反する労働形態である、っぼくは、人間にとり不自然な仕事はしたくない、
っさておき、サントリーの指揮台へ森口氏を望むことがあろうとは、っもっとも、アマチュアでもここで公演を有つ団体はいくらもあり、時間の問題であったかもしれないが、っやはり音響としても内装の格調としても、序でに賃料としても本邦の誇る天下の殿堂なのであり、っふだんからよく聴いている、プロフェッショナルはあまりお振りにならない一般には無名の方が、っその舞台へ袖からお出になると、一種の慨歎をおぼえずにいない、
っいまやアマチュアといえども、平気でマーラーがプログラムへ挙がる、森口氏にしても、っぼくが彼氏を初めて聴いた機会がほかでもない同《9番》であり、去年ことしっきりでも、《1・5・6番》、っぼくは聴きに往かなんだが、《4番》の公演がおありで、っこんどが《7番》、来年には、っいまわかっているっきりでも《3番》がある、っわずか数年の間にすでにして同作家の半数以上のシムフォニーを聴くこととなった、
っもちろん、背伸びをしてもまだぜんぜん楽曲の趣意を伝えうるだけのアンサムブルが得られないこともままあるが、っきょうの学生諸君は、っなかなかの大舞台であられた、っまずアルヴェーンは、初めて聴いても聴きよい楽想で、中途、セロのピッツィ、ハープを伴なったコール・アングレの主題など、っそれまでと雰囲気ががらりと変わり、一挙として空間の色調が塗り替わったのは、棒が曲の核心をぴたりと射当てているからにほかなるまい、森口氏ほど、衒われぬその造形がしかし、っこちとらをしてけっして守勢との悪感情を懐かしめない指揮者もまたといない、オケがちゃんと弾けさえすれば、っどんな楽曲といえども、必ずやその妙味を曇りなく伝えるにちがいあるまい、っそしてきょうの合奏はといえば、っごく沈着であり、使っている楽器自身のよしあしもあろう、Vnなど、プロフェッショナルの楽団に比して音色のゆたかさにやや遜色があるとはいえ、っいっぽう、ホルンなどは愕くほど巧く、音場のトーンのすばらしさもおおきに実感せられ、マーラーへの大なる期待を懐かしめる開幕である、
マーラーは、冒頭の絃から、16分音符をトレモロ様に誤魔化さず、っちゃんと音価通り刻んだ出方からうれしい、朝比奈さんの音盤のここはそうであり、っあれはVaなのかな、っそれが、てぃてぃてぃてぃてぃてぃてぃてぃてぃてぃてぃてぃてぃてぃてぃてぃ、っと1小節にきっかり16回聴こえずに始まるこの曲の演奏など、っそれっきりでぼくには侮りの対象だ、応ずるテノール・ホルンは張り切りすぎ、金切り声のトロムペットは緊張で音が出ない、学生らしい手抜かりだ、っしかし、全体のひびきはまことに一体であられ、っときおりそうした瑕疵があっても、っこないだのおなじここでのケント・ナガノ氏と読響との同曲よりも、っずっとずっとマーラー《夜歌》を聴いているという篤い感懐に支配せられる、
森口氏は、っいつもたいてい暗譜でいられる、っきょうも、譜面台を置かれ、スコアはそこへ存ったが、全曲ずっと開かれないままであった、フィナーレなど、面倒な変拍子がそこここへあるが、っまったくなんのそのといった調子であられた、っゆいいつ、3楽章の中途、棒に迷いはいっさいなかったとみえたが、っあれもあれで厄介な曲想であり、オケのほうで目立った乱れを来した、
っそのオケは、後半楽章となるほど辛かった、フィナーレへ至ると、っもうその時点でトロムペット連はへろへろでいられ、っさいしょの主題をぜんぜん吹けずにしまわれる、中途には1番に1楽章に劣らずの弱音での過酷なハイ・トーンが幾度もあるが、っそれも軒並みひっくり返ってしまわれ、っぼろぼろの満身創痍である、
っにも拘わらず、奏楽自身としてはそれなりにプロ並、、、っそれにしてはずいぶん瑕疵もおおかったが、っの読響を聴いていたときよりも、っともかくきょうはずっとマーラー《夜歌》というあのひびきの裡へいられた、っついに最後、ホルンが1楽章の動機を高唱する場面まで来ると、っおもわずに目頭を熱くせずにいなんだ、っその感触は、若くときに読んだニーチェの催せしめるそれとよく肖ている、誰よりも寂しがり屋の、っほんとうは折れそうに繊細なこころの有ち主が、誰も俺に構わないでくれっ、っと懸命につよがってみせる健気であり、一見するところの勝利の凱歌が、っその実、っいじらしいまでの人恋う歌であるというのが、っこの曲の結末である、っそれがきょうさっき、っしんから胸へ迫って仕方がなかった、
宇野さんは、マーラーを必ずしもこのまない方でいられ、っなかではヴァルターの音盤をもって《大地の歌》を別格とされたであろうが、っいつかどこかで、《夜歌》が同作家の最高傑作であるやに云われたことがあったように記憶する、っそれはしかしその原稿をお書きになった時点でのたまさかの瞬間風速としてという文意のようにもおもえたが、マーラーといえば幼稚なころ、、、っいまでも幼稚だが、っには《3番》、っのちにはこの《夜歌》にいたく惹かれずにいなんだぼくとして、往時、っその宇野さんの言はまことにこころづよい援護射撃であったものだ、ったしか曰く、構成のまとまりのなさを云う声もあるが、ぜんぜんそんなことはなく、最も首尾よく解決しえている、式の云い種でいらしたとおもう、っあの方が同曲にお目醒めになったのはシャイー氏の音盤によってであろうが、っいつか聴かねばとおもいつ、っぼくはきょうまでそれを購わないままだ、っあるは、朝比奈さんの音盤が出た際のレコ芸の月評では、っいまでも忘れない、たのしくてやめられなくなってしまう、っという1文がそのなかへあったはずで、っいまもむかしもぼくは宇野さんのああしたことば選びがだいすきであり、っどうしてよのなかには宇野さんの文へ極度のアレルギー反応を起こす人がいるのか、皆目わからない、っあれほど読んでいてたのしい日本語もまたとなく、っぼくは、っよしんば宇野さんのこのまれるタイプの演奏へ自分は馴染めないとしても、っそれでも文章だけは、ああ、よのなかにはかように自分の嗜好に正直な人がいるのだなあ、っと読んでたのしめるはずとおもうのだが、っさようの生き生きとした名文家を前に、彼氏が自分のこのみの音楽家を悪し様に云うからとかそれごときのことで反意をおぼえるというのは、彼彼女が読者としていかに読解力の欠如した人であるかっきり證ししていない、っなんとならば、宇野さんの文は恆に、俺がかようにみずからのこのみに正直であるように、読者諸子もまたそれぞれに正直であれよ、っという文面をされているからで、っそれを相手に、宇野は俺のこのまない演奏をあんなにも持ち上げやがって怪しからんとか、俺のこのむ演奏をあんなにも貶しやがって赦せんとかと云ってみたところが、っまったくもって意味がない、っそんなことは疾くのとうに織り込み済みのところから、宇野さんの評言は始まっている、当の論及対象にとってのトートロジーをしかし相手を挫く刃になるとでも誤信し、雑言を垂れて鬼の首を獲ったかの貌をするなぞ、っそんなものはいくらやっても正当なクリティークには成りえないし、っそれよりも、傍から見ればまさに恥ずべきふるまい以外ではない、っむかしからそうで、っまあしかしようよう宇野さんが引き合いに出される場面も減ってきているだろうが、宇野さんへのそうした雑言を見るとき、っぼくはぞんがい冷静で、ぼくのだいすきな宇野さんの威光が傷附けられた、っなどとは露おもわず、論難たりえていない便所の落書きを得々として振り翳すその人たちを、っただただ憐愍の情とともに瞥見するっきりであった、っそんなことよりも、っそれぞれがそれぞれに、我が愛する音楽と眞剣に、っより眞剣に取っ組むことのほうが、遙けく遙けく先決である、
っやっとかめで宇野さん擁護というか、上に云うように、っあの方に擁護など要らず、っただぼくがきょう現在でもあの方の不肖のエピゴーネンであるというにすぎない、っごく個別には、宇野さんのよいと云われる演奏で、っぼくにさしてひびいて来ない、っあるはよさのよくわからないものももちろんある、っしかしそれしきのことで、っぼくのあの方への慕わしさはぜんぜん霧消しないし、エピゴーネンを止す理由にもならない、
っさいきんではそういう言もあまり見ていないし、っというより、っぼくももうわざわざ宇野さんを否定的に扱う文面を探したりしないのだが、っそうした人の言説を見ていると、若くときに影響を享けたものとは、長じてからは距離を置かねばならない、その距離の置き方とは、すなわち相手を否定して掛かることだ、っとの、、、っこれみなさんどうおもわれますかね、っわるいけれど、っそんなあほな短絡ってありますかね、っそっちのほうがよっぽどか幼稚というかガキっぽいというのか、っなんでそこで否定が入用なんだろう、若い身空に熱烈に入れ上げて、っしかし年齢とともに認識の相違も自覚するようになって、っそしたら、いやお世話になりました、右も左もわからぬ音楽鑑賞において、勝れた音楽を求める飽くなきこころのなんたるかを教えていただきました、どうやらあなたとはこのみの異なるところもあるらしいとおもえてきました、しかし、お互いに感動する情熱を忘れないままでいたいというおもいに違いはないはずです、っとか、っふつうそのくらいじゃないですかね、っお世話になった人から離れるときの人の態度というものは、っそれが、宇野に拐かされたせいで人生の時間を無駄にした、っとか、っそれ式のことを吐いて恬として恥じない人が、っむかし、20年くらい前かなあ、っけっこううじゃうじゃいたからねえ、っまあ主に2chの話だけれども、っぼくも若かったから、よのなかにはこんなにも人でなしが大勢いるのかよ、、、っと絶望的の気分になったものだ、っだけれども、笑えたというのか笑止というのか、っそうしてネット上で匿名でみじめたらしく宇野さんへの雑言を擲げている輩のその文面が、っおもいっきり宇野さんの文体の超劣化コピーだったりしてね、っぼくも、そんなに影響下を逃れたいってんなら、まずはテメエ独自の文体を練り上げてからにしろや、っと唾棄というか、失笑していたものだ、っもうだいぶんすくなくなったけれども、Amazon.のレヴューとかYouTubeのコメントとかで、っいまでもごくたまにいますね、宇野さんっぽい文章の人、っだけれどもぼくからすれば、っどいつもこいつもぜんぜんものがちがうんだわ、一寸ことば遣いを眞似たくらい、っまったくなにほどのことでもない、っなかなかいませんね、ああ、羨ましいなあ、この人みたように音楽を聴けたらきっと仕合わせだろうなあ、っと読んでいてそうおもわせてくれる筆力を有った人というのは、委しいなとか、音楽を理論としてわかっているんだなとか、っそんな人はいくらでもいる、っけれども、この人は音楽に抱かれてほんとうに仕合わせなんだな、っというそういう文体の人はまずいない、っぼくからすれば、みんな専門家でなく素人として演奏会の客席へいたり自室のステレオの前へいたりするのだから、まずいなきゃいけないのはそういう人、素朴な感動屋だろ、っとおもうのだが、っじっさいには、っあほな、っそれでいて文体は個性的でもなんでもない凡庸なディレッタントばかり澎湃としていて、1にも2にもまずは感動だっ、っということを臆面もなく書けるそういうことばの勇気を有っている人がいない、っだからぼくはこんにち、っいちおう目だけ誰か彼かの文章を追ったりはするけれども、っほとんど誰の音楽評にも興味はない、読んでそこに生々しくその鑑賞主体を表象しうるだけの説得力というか、存在感が誰の評文にもないからで、っそれよりも、自分の所感をここへちゃんと云い表せるかどうかのほうが、っずっと大事だ、っおおきなお世話だろうが、誰も彼も、っあの程度の文章っきり書けない人たちは、っいったいぜんたい音楽を聴いていてたのしいのだろうか、っもちろん、っこの訝りは危険だ、人が音楽に感銘していることと、っその人がそのことを如実に云い表わすだけの表現力を具えているかは、っおのずから別事である、訥弁の人こそほかの誰よりも深い感動を味わっているかもしれない、っともかく、っどこかへいるのだというならば、っぼくは、仕合わせに音楽に包まれ、っそれを的確にことばへ表わすことのできる人の、っその文章を読みたい、っいまだと、っあてどもなくネット上を彷徨するより、押入れから宇野さんのライナーの載っているあれこれの音盤を引っ張り出してきてそれを読み返すほうが、遙けく確実に文章を読むよろこびに出逢えるだろう、
、、、っなんかすみません、っとりとめもなく、期せずして宇野さんのことを懐かしく想い出しましてね、
っそんなわけで、っあすは、例のわざわざ取手くんだりまで往って、っもう駅へ着いてしまってから整理券が捌け切っていると判明した佐藤雄一氏の《㐧9》公演の日だが、代わりに、出口大地氏の公演を選んで、錦糸町、っあすもマーラー、っあすは《巨人》だ、
みずの自作アルヒーフ
《襷 ータスキー》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(第1回配本)
《ぶきっちょ》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(第1回配本)
《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12935343873.html(第1回配本)
きりむすぶ 第4回配本
*本作は執筆中であり、不定期の投稿により、随時更新する。一定の文章量、ストーリー展開に達するまでには相当度(あるいは年単位)の期間を要する。以上をご理解の上、お見捨て置きいただければ幸甚である。各回配本の末尾には、次回配本を投稿し次第、そのURLを添付するものとする。
ニ.
英嗣はいつもの喫茶店へ坐している。そこが空いているときには、店のいちばん奥の卓を選ぶ。まだ彼が若かったころからの長年の半指定席で、通い始めて半年経つか経たないかのときに、マスターはお冷とおしぼりとを供しながら、いつもありがとうございます、と云った。それからほどなくして、ふたり音楽の趣味が共通していると知れ、店が閑なときには、その卓とカウンターの向こうとで、雑談を交わすようになった。何年かするうちには、互いにLPレコードの貸し借りをする仲にまでなり、英嗣が奮発して自室にステレオの配備をした際には、マスターからの親身な助言があった。
きょうも英嗣はそのおなじ卓へいて、しかし、向かいには晴子はいない。きょういるのは高村仁、晴子の学生時代からの交際相手だ。もちろんふたりは知り合い同士だが、こうしてふたりきりで逢うのはきょうが初めてである。
--いや高村さん。とつぜん電話してすみませんでしたね。
英嗣は高村のことを高村さんと呼ぶ。彼は会社でできた後輩も、どんなに若い人間でも何々さんと呼ぶ。高村は始め、やめてください、高村くんでいいですよ、と云ったが、英嗣は折れなかった。高村を相手のばあいとくに、晴子に悪い虫を付けさせないという、牽制というのか、お節介の意図も、彼にはややあった。連絡先を知っているのは、フレッシュ・ウーマン、フレッシュ・マンとなった晴子と高村とが、お蔭様で大人に成りました、という儀式として、ふたりしてこの店で英嗣に名刺を渡したからである。そのとき来、英嗣は初めて高村に電話をした。晴子は、3度に1度とはいわず、しかしそのくらいの頻度で高村を連れて来たし、これまでは、英嗣の方から電話をする用件などなかった。
ちなみに、楠雄はまだ高村のことを知らない。交際はもう何年にもなるのだが、その手のことにはまるで鈍感な彼だから、おそらくは勘付いてさえいない。というのは、それほど以前ではないいつかの夕餉の食卓でも、父さん、見合いの話があれば持ってきてやろうか、まあ、いまはもう見合いの時代じゃないか、と彼が晴子に冗談交じりに云うことがあったからである。英嗣には躊躇いなく高村のことを紹介できた晴子も、父にはついにきょうまで云いそびれたままで、高村を自宅へ招くこともできないでいる。母には話してあるが、父のその冗談からすると、母から父へ伝わっている様子もない。敢えて隠すつもりはないものの、結果として何年も黙ったままでいることを、晴子は心苦しくおもっているらしい。ときおりの彼女の口吻から、英嗣にはそう察せられる。
来店した高村はどきまぎしている。電話口で英嗣から、晴子には云わずに来てください、と釘を刺されていたのだ。促されて着座するなり、
--おじさん。ぼくなにかわるいことをしたんでしょうか。
が彼の第一声であった。相手が不安を抱えてやって来るとわかっていた英嗣は、なるがたけ柔和に歓待する気でいた。その第一声とて、緊張からつい口を突いて出たのにちがいない。しかし、これからしなくてはならない話のために、彼は青年の科白を敢えて聞き咎めた。
--高村さん。あなたは晴子との附き合いになんら疚しいところはないんでしょう。それをご自分から、なにかわるいことをしたか、などと訊くもんじゃありませんよ。それともあるんですか、なにか疚しいところが。
出し抜けに厳しすぎると、英嗣も自覚していた。しかし、高村にはしっかりと己を持していてもらわねばならない。それにきょうは、彼も彼で落ち着かず、躍起なのだ。高村は、おおらかな人柄の晴子の叔父が、しかし、ときおりこうした顔色を覗かせることを知っていた。その顔色は、いつも青年の胸をして慕わしさを懐かせたものだ。
--いえ、ありません。
背筋を正し、声の調子を整えて、高村は返した。彼のこころには、ないつもりです、と、ありません、のふたつのことばが浮かんだが、意を決して、ありません、を選んで発した。まっすぐに英嗣の目を見て応えた。ほんとうに疚しいところはないと、彼はおもっていた。上の第一声はまさしくことばの綾であった。
--いやなに。どうぞリラックスしてください。ホットでよろしいですか。
英嗣は、安堵と一種の羞恥心から声を明るくし、マスターへコーフィーを頼んだ。内心安堵しているのは、高村とておなじである。
高村がコーフィーをカップの半分ほど飲むまで、ふたりはとりとめのない世間話をした。英嗣は本題を切り出す頃合を見計らっており、高村は、愛想よく会話に応じながらも、やはり所在なさを隠し遂せない。先に痺れを切らしたのは高村の方で、
--ところで、ところでおじさん。きょうは晴子さんがいっしょではいけなかったんでしょうか。
とおずおずと訊ねた。高村は、ふだんは晴子の前で俺と云い、晴子のことを晴子とか晴ちゃんとかはーちゃんとか、あるいはお前とかと呼んでいるが、英嗣と同席して彼と会話をする際には晴子さんと云う。
--ああそれね。そうだろう、そうでしょうな。
英嗣はいちど、そうだろう、と云ってしまってすぐさま、そうでしょう、と云い直して、きょうの大事な話をする肚を決めた。
--高村さん、晴子とはさいきんもよく逢っているんで。
--さいきん、いえ、さいきんといえばさいきんですが、こないだ逢ってからもう1週間以上になります。なんですか、どうも、とても忙しいみたいで。電話ではおとついの晩に話しました。そのときもまだ会社にいたんです。電車があるうちには帰ると云いましたが。
英嗣は聞き逃さなかった。高村は、帰ると云いました、と云った。云っていました、ではなく。
唐突なようだが、英嗣は高村のことを大いに買っている。みどころのある男だとおもっている。数年前、まだ学生だった高村との初対面で彼が高村さんと呼ぶことを譲らなかったとき、高村は、彼がなぜ敢えてそうするのか、たちどころに理解したようであった。そのときからきょうまで、彼の前で高村は、高村さんと呼ばれるに相応わしい態度を取りつづけている。彼は自身の評価を高村本人に伝えていないが、伝えなくとも、ずっとその態度である。加えていま、高村は意図しない自然な発言のなかで、晴子の言を、本人からの伝聞としてではなく、あたかも我が事であるかのように話した。高村にとり晴子は、もはや他人ではないのだ。
それでよい。それならば話し易い。英嗣はおもった。
(第4回配本 おわり)
神戸、大倉山、
平林遼氏の棒、レイ・フィルハーモニック・オケ公演、済む、演目は、スメタナ《我が祖國》全曲である、
管絃楽曲は、っどうしても抽象的の結構を有つシムフォニーが花形なのであり、交響詩などは一段落ちるような偏見を懐き勝ちであるが、独り《我が祖國》のみは別格だ、6曲もの連作であり、全奏には80分前後と、ブルックナーやマーラーの大シムフォニーと同等の時間を要するにも拘わらず、っその80分間、退窟な個所はほんの一瞬とてなく、っずっとひたすらにたのしい、、、っもっとも、現地の人にとってみれば、っおよそたのしんでなぞいられない、切実な愛國の叙事詩であるかもしれないが、
器は、っことしでちょうど落成から50年という、っつまり旧式の多目的器であるわけで、キャパシティは2,000席余、自由席で、早めに着いて列の3番目へ並び、1,000と数百席というならば迷わず2階正面であるが、2,000席の大器となるとどうかなあ、っと開場の時点でも悩みながら、っひとまずは2階へ上がってみて、正面右寄り最前列まで行ってみるに、っそれほど舞台が遠くないので、っその端部へ背嚢を置いて、喫煙へ出る、
喫煙スペイスを求めて建物の外周を歩くが、客用のものはなく、っしかし裏っ手の搬入口の脇へそれらしき小屋が見えたので、っそこへ侵入して服んでいる、っややあって楽員の男性おふたりがみえ、っその会話から、アンコールは同《売られた花嫁》なのだと予め知れてしまう、序曲だとはおっしゃらなかったが、あれだけずっと速いパッシッジばかりだと、式の言及があったので、っまあ序曲にちがいなかろうとおもう、客席から舞台を望めば、っおそらくそのおふたりは、セロと絃バスとの、っともにプリンシパルでいらしたのではないか、っうち絃バスの方は、ぼくは大音なんで、っとおっしゃったので、大阪音大のご出身であろう、初舞台はザ・シムフォニー・ホールであられたとのこと、アンコール前のスピーチで平林氏は、っこの楽団はプロとアマとの混合体だと云われていたから、セロの方もおそらくはプロフェッショナルだ、っそういう弾き方をされていた、
っしたがって楽団は、開演からしばらくこそ硬さがみられたものの、エンジンが掛かってくると、テクニークとしてもまずまずだし、加えて、指揮者の意気に感じられた発奮がすばらしい、っなんでも、団長の所属されるこちらの別楽団へ平林氏が練習指揮で来られた際、女史はその音楽性に魅入られてしまわれ、っぜひとも彼氏のための楽団を結成したいと奔走されたとのことだ、っすごい情熱である、っしかし、っまだ旗揚げから3度目の公演で、地元のお客にも認知せられていないのだろう、広い2階へもほんの15人20人坐している程度で、見下ろす1階席も閑散としている、洋々たる前途を祈りたい、
っそんなにお客が僅少なのに、っすぐ後ろの人が絶えず手荷物をがさごそやる人で、3曲ずつで間へ休憩を入れたその前半はとくに酷く、っいささか閉口す、っここ3公演はやや不運つづきで、京都での坂入健司郎氏公演では、っおなじ列の1席置いて隣へ小児をふたり連れた母親がいて、っうちひとりのお子がかなりにノイジーだったし、初台でのおなじ坂入氏公演でも、っすぐ斜め後ろの人が楽曲に合わせて身体でリズムを取り、指の腹で椅子の木製の肘掛けを叩く音や、掌と被服との擦過音を頻繁に立てていた、っどんな愚物なのか瞥見してやらむと休憩で喫煙へ立つ際に見下してやると、初老の男性であった、っあんな歳にもなって公会堂内での周囲への福祉の意識ひとつ修身していないとは、っほんとうにいっぺん死んで人間をやり直したほうが増しであろう、っそしてきょうの御仁はといえば、っやはりおなじくらいの年嵩で、っもはや声を掛ける気も失せてしまう、っひとつにはぼくの意気地なしというか勇気の不在というのもあるが、っひとつには、大目に見て指摘するほどのことでもない、指摘してはこちとらが神經質だと煙たがられる、っというぎりぎりのレヴェルのノイズだったというのもある、っというよりも、っぼくももう若くないが、っしかし自分よりも年長者のさように社会性、周囲への配慮の欠如せる様を見たくないし、見咎めもしたくないという話だ、大の大人が静寂を保つべき場所であんなにも無神經にノイジーだというのは、っそれはぼくにとってノイジーではあっても、当人にとってはあれでもぜんぜん静かにしているうち、っほかの場では誰にも気附かれもしない生活音がしかし、演奏会場ではたちまちのうちにノイズとなるということを露おもってもみない人の音の立て方であって、老年へ至るまでそんな意識でいた人へ、他所者としていまさら諫言を垂れることのこころ虚しさといったらないのだ、
っかようのことはぼくはときおり意識して書くようにしている、Xなどでは、演奏会ビギナーの類とおぼしき人が、ハード・コンサート・ゴーアーのかかる態度を、排他性、っといった語彙で形容し、クラッシックの演奏会を近寄り難いものとする一因であるやに語られることもあるが、っそれがたとえばぼくのような者のことを指しているのだとしたら、っまったくのまったくのまったくの心外である、っこの駄ブログを読まれるのは、っふだんから演奏会へ行かれる方が大半であろうが、ったまのぼくの周囲のお客についての愚痴をどのようにお感じであろうか、っあるは、水野が神經質すぎる、少々のノイズは耐えて忍べよ、っとおおもいの方もいられるかもしれない、っもちろんぼくも、結果としてのノイズは、現に甘受している心算である、っそうでなく、事後の所感がいつも、演奏内容に対するのでなく、ノイジーな客への殺意ばかりだというのでは、演奏会へなぞ通ってはいられない、っぼくがかくして年間100回超もあれこれの公演を渉猟しえているというのは、っまいかいちゃんとノイズを我慢できているということにほかなるまい、っぼくがうかがいたいとしたら、っそうしたみずから不慮たる結果としてのノイズのことではなく、人は演奏会場でノイズをノイズだとわかってそれを立ててもよいか否か、っということである、っこの推論はけっしてありえないではない、結果としては、完全にゼロ・ノイズの演奏会など有史以来いちどたりと実現していない、っならば、っうちのひとつのノイズを、自分が立ててしまってもよい、ノイズをノイズと自覚しない者がではなく、っいまから自分が立てる音はノイズになるとちゃんとわかっている者も、っその音を立ててしまってよいと、誰かしら道端へごみを放るならば、自分も道へごみを捨ててしまってなにがいけないのか、っという論理である、っもちろんのこと、っぼくはもしそうかんがえる人がいるならば、っその人にもいっぺん死んで人間をやり直してくれたいとおもうが、
誰がどうかんがえるにせよ、っぼく自身の格率は、演奏会の客席では、っいわば修行僧のごと、功徳を積む人のごとで存りたいとおもう、っぼくがノイズと云うばあい、っそれは音ばかりでなく、っほんの姿勢を変えるとか、っそうしたことをも含むので、っいつも、楽音が鳴り出した際の姿勢を、それが止むまでなるがたけ維持する、不意に顔のどこかが痒くなったりもするが、それも掻いたりしない、っなどとぶっている、っなにもそこまでしなくとも、っと誰しもおもおうが、っこれは他人に要求したいという話ではなく、飽くまでもぼくの格率であるにすぎない、顔のどこかが痒くなっても、10秒ほど我慢していると自然に収まると知ったのは、人生のなかでじつにたのしい気附きであった、っそう、ったのしいのだ、っなにかこう書いてくると、そんなにも窮窟なおもいをせねば、人は演奏会へは行ってはいけないのか、っとの印象を有つ人もいようが、高校生来25、6年ほどコンサートへ通ってきて、っいまぼくにとってはこれが最も自然な態度であり、っむしろこうせねば落ち着かない、っこうすることがトータルではたのしいのである、っそれは、互いにより上質の環境で音楽を味わい合うために、客の一個として為しうる、っせめてもの音楽への貢献とおもうからである、
他人様が顔のどこかを掻くなりするのは、っそのために動かした腕から烈しい衣擦れの音をさせるなりというのでないかぎり、っぼくとてもちろん許容する、っけれども、っぼくが顔を掻かない、腕ばかりか、っほんの指ひとつ動かさない、首の向きも、足の位置も変えたりすまいとするのは、っつまりは、誰が音楽のどこをどうたいせつに聴きたがっているのか、っまるでわからないからである、っぼくは、楽曲によっては、っあるほんの1個所、ったったの1音といえども、指揮者、奏者がその音をどうかんがえ、っどう処理するのかを、っこの貧しい全神經をしかし集中、総動員に努め、大事に大事に聴き届けむとすることがある、自分がそうであるように、他人様も、っこのぼくではおよそおもいも寄らぬようなある楽曲のある個所の味わい方をするかもしれない、っそれが誰かの咳払いに邪魔されたとしてみよ、っそれほどの大罪もまたとないではないか、っぼくがいっぺん死んで人間をやり直せと云うのは、っそこである、っそして人は、隣り合って坐る人が不意に身体を動かしたりすると、あ、え、この人どうかしたのかな、っとついそちらへ意識を奪われることがある、っその気を取られているほんの一瞬に、っじつはその人がその楽曲のなかでたいせつに聴きたいとしんから念じていた個所が含まれているとしたらどうだろうか、他所へ気を取られてそれを聴き逃すのは、果たして自業自得であろうか、っぼくはけっしてそうはおもわない、っそれは身体を動かした人が、隣の人から音楽鑑賞のチャンスを奪うという罪を犯したことなのだ、っぼくは周囲の人にそのように邪魔だてをされたくないし、っぼくも周囲の人を邪魔だてしたくない、っだからぼくは楽音が鳴っている間は微動だにしない、誰が音楽のどこをより味わいたがっているのか、っまったく想像を絶するからだ、自分の味わいたいところを過ぎたら、顔の痒いところを掻いてもよいのか、掻こうとするそのほんの衣擦れの音や、っあるは、あ、え、なんかこの隣の人、腕を動かしたな、っという意識の振り向けにより、っその隣の人がいちばん味わいたかったかもしれない音楽のある個所を台無しにしてもよいというのか、っそんなことは、っけっしてしてはいけない、っそうおもって客席でじっとしていることがトータルではたのしいというのが、っぼくがコンサートへ出掛けてゆく理由である、何度でもくりかえすが、っこれはぼくの格率なのであり、誰に強いるものでもない、っそれを排他性などと云われるのは、っまさにまさしく心外である、
、、、っま、っその誰かさんたちも、っべつにぼくのことなど指しちゃいないだろうが、っしかし、初心の人にとりノイズに対する白眼視等々が恐かったりするというのは、っつまりそれだけその人がいまだ音楽への愛に疎いということで、っぼくはその人たちがしんから羨ましい、っこれはぜんぜん厭味ではなく、っそこも誤解されたくないが、っだって、っこれからどんどんどしどしありとある音楽のたのしいところを発見してゆける余地が、っその人たちの眼前へはひろびろと展けているのだからっっっ、っぼくは、っもちろんまだ識らない楽曲や演奏のタイプは山とあるが、っしかし、若くときからいろいろの音楽、っいろいろの演奏へ偏執して、っもうすでにしてある固定した物差しを有ってしまった、っあるは、排他性と謂うならば、っその物差しを自覚せる者が、っそのことを誇示せむとしたり、っいまだ物差しを有たざる者へ冷淡な態度を取るならば、っそれこそ排他的にちがいなかろう、っそんな人がいるならば、初心の人になり代わり、っぼくがその人たちをきびしく指弾してやる、クラッシックはどれもぱっと聴いてぱっとわかる音楽ではない、っある程度以上の予備知識や、っなにより接触量が要る、夢中でその曲を聴きまくった、っという接触量がである、っいまだその時間と經験とを有たない初心の人たちは、羨むべき対象でこそあれ、侮ったり斥けたりしてどうするというのか、
っただ、、、っただこれも初心の人にはわかっていただきたい、っさようについ侮ったり斥けたりしてしまいたくなるほど、っよのなかには極度に音楽を愛してしまった人がいるのだということを、っいまだ通い馴れない者が、っそうした人の集う演奏会場に、っある種の居心地のわるさ、所在なさをおぼえるとしても、っじつに無理からぬところであろう、、、っや、安心されたい、っよし演奏会場へ2,000人からのお客が詰め掛けていても、っそうした極度の集中力を動員しているお客は、っじつのところほんの1割いるかいないかだ、退窟している人も居睡りしている人も、っあるは、自身の愚かなステイタス意識のために、俺は私は演奏会へ来たのだ、っというただその雰囲気を味わっているのみで、っじっさいには音楽なぞまるで聴いちゃいないという人も無数にいる、奇特にもクラッシックの演奏会へ行ってみむとおもってくれた初心の人には、っせっかくならば、っただ物理的にその客席へいるにすぎないという9割の側へ甘んじないで、っぜひとも1割の仲間入りを目指されたいところだ、っあるはその過程で、初心のころに排他性という語彙で云い表してしまった感懐の正体もみえてくるかもしれない、っその形容が軽率だったことにもお気附きになるにちがいない、
っこれをしつこく云うのは、っじっさいに一寸以前にX上で、ロック・コンサートで曲に合わせて歓声を上げたりヘッド・バンキングしたりするときにこそ音楽を感じ、それができないクラッシックのコンサートは窮窟だ、そんなところに音楽はない、式のことを表白している方がいられたからで、っあるは実生活でも、醉っ拂った薩摩隼人からやはり、しんねりむっつり黙って聴いている水野くんのみたようなのは、ぜんぜん音楽じゃないよ、っなどと云われたこともある、っぼくとして、っそうした声に躍起になって反駁したいともおもわないが、っさように音楽をかんがえる者の裡には、クラッシックは高踏的のものだとの、抜き難いというのか、っそれよりも単に短絡的の偏見があるのではないかとはおもう、っほかのクラッシック・リスナーがどうかんがえるかは知らないが、っぼくはふだん音楽を聴いていて、っそこへもちろん静謐も敬虔もみるが、同時に人間の最も赫裸な卑俗もみれば、っさては猥褻をみもする、っそれへ面接して烈しく動揺したり昂奮したりすることも、っもちろん音楽鑑賞のたいせつな一部なのだ、っだからそれを全体として観たときに、高踏的、っなどという形容はまずまったく浮かまない、っこないだのでなく、2年前の就農ヴェテランさん農場からの帰途、独りノン・アルコールっきり飲んでいなく、素面で社用車のハンドルを握るぼくへ後部座席から、音楽ってのはもっとこう、、、烈しいものなんだよっ、パッションだよっ、っと酒臭い息で語り掛けてきた薩摩隼人へ、っそれほど夢中にではなくむしろ淡々と、いやまあ、俺もそうおもって音楽を聴いている心算なんだけれどね、っと返したところ、っそれ以上ことばを継げずに黙ってしまった彼氏のことが、っいま鮮やかに想い出されてならない、っそう、っこちとらだって、篤く烈しく音楽を求め、っそれに醉っているのだ、っそこはけっして侮らないでいただきたい、っそして上のXの誰かさんにも云えば、っおよそどんな環境にも、っある一定の流儀というものはあり、人はなにほどかはそれへ順応せねばならないだろう、演奏会場で、ロック・コンサートでのように曲に合わせて叫んだり頭を振ったりしたいとかんがえ、っそれができないことに窮窟をおぼえるというのは、っそうだからクラッシックは一段下なのだというのは、っやはりやはりどうしたって無理筋なので、っそれよりも、ほんのいちどでよいから、騙されたとおもって、じーーーっと黙って大人しく舞台の楽音へ耳をこころを澄ましてみないか、っと控えめに薦めたい、
、、、っもういま多摩センへ戻って、コメダも閉店で追ん出され、っまもなく日附が変わりそうで、っしかし駅の喫煙スペイスへいる、っあるは、演奏会所感を述べる際に前置きが長くなるのは、それだけ演奏自身はどうでもよかったからだろう、演奏がよかったのならばまずなにを措いてもそちらへ筆を及ぼすはずではないか、っとおかんがえになる向きもあるかもしれないが、っそれもまた誤解で、っこんなものはいつもアムプロヴィザシオンで、気の赴くままに書いてゆくので、っそれが不意にある細部が膨らんでしまうと、っなかなか閑話休題へ辿り着かなくもなってしまうのである、
演奏は、っとてもすばらしかったとおもう、云ったように、〈ヴィシェフラド〉の開始からしばらくこそ、っやや熟れなんだが、休憩を挿んで〈ボヘミアの森と草原とより〉以降など、っむしろ全楽の隈々、、、っよく見てね、すみずみ、っじゃないよ、くまぐま、っね、語義はほとんどおなじだが、っまで平林氏の霊性が乗り移り、っぼくのときどきいわゆる、オーケストラを聴いていながらオーケストラを聴いている気がしない、っさようの一個の巨大な生命体の鳴り渡る様を聴き届ける、
造形として、緩急の落差が極めて大きいが、遅い部分をより遅くじっくり、速い部分をより速く苛烈に、っというややその一辺倒であった嫌いもないではない、〈シャールカ〉の最後の殺戮の場面など、一気呵成に進まれるが、っぼくはあそこでは速さはそれほど所望でなく、っむしろトロムペットのこまかなタンギングをしっかりと聴きたいところ、っあの速度ではそれもぜんぜん叶わない、全体に端然と風のごと吹き過ぎながら、っこの場面では地を這うごと執念深い微速前進を隠し有っていられた、っあのプレトニョフ/東フィルの超弩級の変化球が、っきょう慕わしく胸裡へ去来した、
っとはいえ、誰よりもゆったりと歌う〈ヴルタヴァ〉の主題など、率直に感動的にひびくし、っその〈ボヘミアの、、、〉冒頭からの、っうんと深い呼吸で全体を満々と鳴らし切られた偉容も忘れ難い、っそしてそれ以上に〈ターボル〉、開始から音楽が進まぬほどに遅く、っそれを時を追う毎になお遅く遅く沈み込ませられ、っついにコーダの開始の絃も管も凝り盡した音色の濃厚濃密は、地獄の釜の蓋の開くごと恐ろしさであった、っそれだけに、中途のティムパニのアクセントには、っもっともっと膜面を突き破るかの烈打を期待したく、っここではこんどはマタチッチ/オーストリア放響の音盤が恋しい、
〈ブラニーク〉では、トュッティによる凱歌を、最後の再現でアッチェレランドするまでけっして速いテムポにされないのが、っそれまでの平林氏の道程からすれば少々なりとも意想外で、っそれにより、っふだんぼくの触れているのとは、っだいぶん違う楽曲に聴こえた、
っとまれ、殊に後半3曲の熱っぽいひびきは、っまことに痛快であった、アンコールは、っやはり同《売られた花嫁》序曲、っだいすきな曲想だが、っぞんがい演奏会の演目として出逢うことがなく、音盤ではケルテスの、っあれはオケはイスラエル・フィルかな、っそれがまずは好個のスタンダード・フォルムで、っほかに、っもっとどっしりとしたスヴェトラーノフ/スウェーデン放響盤などもたのしい、っまさしく全体が速いパッシッジの連続なので、奏楽の性質によってはひびきのピントも惚け勝ちとなるであろうが、《我が祖國》で頂点へ達したヴォルティッジもそのままに、っなかなかに聴かせた、
入場無料であったが、平林氏のスピーチ、プロ・アマ混合体のため、おカネが掛かっております、ほんの¥500でも、¥250でも、ご寄附をいただけますとさいわいです、っとのことで、っそれはあれだろうか、プロフェッショナルの楽員にはおひとりびとり出演料を支拂うということであろうか、っそのばあい、原資はアマチュア楽員からの参加料+ぼくらからの寄附なのか、っいずれ、っこうした任意寄附制は以前に佐藤雄一氏の公演でしばしばあり、っそのときのぼくは、大の大人が募金匣へ投ずるのに、小銭はおろか、¥1阡札だってまだぜんぜん恥ずかしい、萬札だ萬札っ、っなどと大見得を切るというか大見栄を張っていたもので、っしかしきょうは持ち合わせもなく、っなにしろこんげつっきりでも新幹線代が4往復8回分なので、っそんな大枚はご寛恕いただいて、入場料の心算の¥1阡へ、演奏への讚の心算のもう¥1阡を足して、投ずる、
っそれからそうだ、忘れちゃいけない、音場のトーンだが、内装の見た目から、っどうせぎすぎすした艶のないどんしゃりだろうと侮ると、っもちろん専門のホールのごと潤澤ではないが、っぞんがい快い間接音を伴なっていて、好感触であった、
っもうじき1時、っあすというかきょうからまた狛江古墳現場、っすこしくあさが早いからな、っいい加減、帰らむ、
っお次は、っおっ、っそうかっ、っこんどの土曜、ギロッポンにて、っいよいよ森口真司氏と一橋大の学生オケとのマーラー《夜歌》だね、っむつかしい曲を相手にアマチュアなので、過度の期待は禁物ではあろうが、っしかしあのネコケン氏と千葉フィルとのような例もあるので、少々のアンサムブル上の瑕疵などは乗り越えて、っおおきに曲趣の迫る大演奏であってくれたい、プロフェッショナルでは、っせんじつのケント・ナガノ氏と読響とのように、っなかなかそうした味は出ないのであるから、
みずの自作アルヒーフ
《襷 ータスキー》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(第1回配本)
《ぶきっちょ》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(第1回配本)
《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12935343873.html(第1回配本)
初台、
坂入健司郎氏の棒、タクティカート・オケ公演、済む、オール楽聖プロで、劈頭に《エグモント》序曲、黒岩航紀氏を迎えて《エムペラー》、っそしてシムフォニー《5番》である、
狛江の古墳現場から、終業後、っこないだとおなじ向ヶ丘遊園辺の駐車場へ移動して停め、小田急で参宮橋まで、っそこから歩って10分15分である、
ミニマル先輩は、っきのうこのおなじ小器で、っなにか現代音楽の公演があり、知己の作家の作が上演せられるので招待されたとのことで、仕事のあと来訪されている、っぼくは小器へは入ったことがなく、っいつかなにかの機会に来たいとおもう、
っお客の入りは、っかなりさびしい、ミニマル先輩から、きょうのオケはどんな団体なの、っと訊かれてその場でネットで調べて答え、音大を出てもプロの既存楽団へはなかなか入れないとなれば、そりゃ自分たちで寄り集まって1団体起ち上げてしまおうともなりますわね、まあそうだね、っなどと話す、っしかし新進の楽団では、っかように集客も厳しいようだ、
っあの19世紀来の20世紀前半から戰前戰後あたりまで、っそしてそれ以降から世紀を跨いでの、っとくにピリオド志向、っさらにそのモダン楽器オケへの適用、混淆を經験済みのこの現代に、楽聖を舞台へ掛けることは、西洋古典の演奏藝術のうちでも至難中の至難のひとつであるのにちがいなく、ミュージシャンは誰しも、畏怖の情に心身の震えを抑えられなかろう、坂入氏の同作家は、過去に《5・9番》を聴いたとおもう、っほかにもなにかあったろうか、定かに記憶しないが、っいずれも、っやはりこちとらをしてその難儀を痛感せしめる内容であった、っというよりも、隠さずに云えば、っぼく自身、っどのような性格の奏楽をもってすれば、っよろしく作品に生彩を與ええたこととなるのか、瞭然と表象しえないのである、云い逃れに聞こえるかもしれないが、っそうした煩悶を忘れさせ、眼前の音響体に夢中にさせてくれるそれを、暫定で勝れた楽聖演奏とかんがえることにしている、っいま追憶してみると、池袋で聴いたヌーノ・コエーリョ氏と往時の東京ニュー・シティ管との《7番》がまずまっさきに想い出され、っほかに杉並での安藤亮氏の《エロイカ》、武蔵野での井﨑正浩氏の《5番》などが浮かむ、っただし、音盤に聴く綺羅星のごと大巨匠たちを思慕しつ、楽聖とはもっともっと近寄り難く、もっともっと魁夷に屹立せる金字塔であるはずだ、っとの、っそれが不満であるのかもよくわからぬ、澱のごとコムプレックスな感懐が胸底へ遺るのも、っじつに佯らざるところである、楽聖が演奏さる公演へ出向くとき、っぼくは恆に、演者からのそのことへの高度の解答を求めている、
っそこできょうの坂入氏とタクティカート・オケとだが、《エグモント》も《エムペラー》も、最冒頭和音から、中規模の絃群に対してトロムペットが音場を貫くごと強奏するその音勢感から、っじつにきもちがよい、前者は、っつづく絃の慟哭へちゃんと凄愴な色が出ており、楽聖の再現に欠くべからざるヒロイックな気分を味わう、土台、現代のソフィスティケイトせられ、てしまった、っとあいかわらずぼくは云いたいのだが、楽団では、っまずこの色調からよく出せずにしまうこともしばしばなのだが、っただ、コーダでのトロムペットは、Vnが下から刻みで登ってきたその頂点でファンファール様に吹く彼等、、、っきょうはおふたりとも女流であったが、っのそのいちばんこまかな2音の音粒まで、っぼくははっきりと聴き取りたいところ、っきょうはそれが叶わなんだ、っいちど弱音へ落としてからクレッシェンドせしめるように吹かれていたのが禍いしていたようで、記譜はどうなっているのか識らないが、っぼくはあの動機はずっと聴こえるように吹いてくれたい、
《エムペラー》は、っどうもぼくがルービンシュタインの音盤で曲に親しんでいるのがいけないようで、っどんな演奏を聴いても、っこの云い種で伝わるならば、コンチェルトの演奏に聴こえてしまう、、、伝わらないか、コンチェルトなんだから、コンチェルトに聴こえてなにがわるいんだよ、っという話だが、コンチェルト然というのはつまり、ソリストが己が妙技を誇示せむと我勝ちの存在感を出すとか、っあるははんたいにオケへ譲って音量バランスを取るとか、オケも含めた演奏全体としても、曲想曲想に応じて当意即妙に、烈しい部分はより烈しく、柔和な部分はより柔和に、っという表情が附いてしまうことである、っだからそれのなにがいけないんだよというところで、っしかし、ルービンシュタイン翁のあの音盤を聴くと、っかたや強音は、叩くごと無理に打鍵する場面はほんの1個所だになく、っかたや弱音は、ムードを醸さむがために繊細なタッチを頼んだりする女々しさが露ほどもない、っそのとくに後者は、一個の音楽人の達観の然らしむるところで、1楽章の連符の楽想が象徴的だが、っそこでの彼氏の意識は、幻想境を演出することにでなく、1音たりと疎かにすることなく、っひたすらにクリスタル・クリアに弾き切ることへ向かっている、っそしてっっっ、っそうであってこそ、っぼくは同楽想をよりミステリオーソなものとして享受するのだ、っそうした鷹揚を極めたピアニズムがバレンボイム/ロンドン・フィルのぎっしりしすぎるほどぎっしりしたバックと相俟つとき、全体はすでにしてさようの一個の交響として顕現するのであり、っそのスタティックな味こそが、っいつもぼくの脳裡心裡へ鳴り止まぬ《エムペラー》なのである、
っとはいえ、っはじめの黒岩氏のカデンツが鳴り出したとき、っその虹色の架け橋に、油断していたぼくの泪腺もおもわずに弛んだ、演奏の勝利であるとともに、楽聖のおもう壺でもあったろう、
っただやはり、主部へ遷ると、っどうしてもルービンシュタインの偉容に比しての遜色をおぼえてしまう、っほんのこまかな走句まで弾き飛ばさないでくれたいし、曲想に応じて滅多に表情を変転させないでくれたいし、っそのためにテムポの伸縮や強弱の極端な対照を頼まないでくれたい、っそれはしかしぼくの偏った趣味にすぎず、っふつうコンチェルトといえば、誰しもあのように演るのであろう、
フィナーレあたり、録音の性質にも依るのか、大音量で聴くバレンボイム/ロンドン・フィルでは流石に威圧的とさえ聞こえてしまう嫌いもかすかにあり、っその点きょうのひびきにはずっとゆとりがあってかつフレッシュであり、っぼくもたのしまなかったわけではない、
シムフォニーは、想定していたよりはずっとずっと高いハードルを越えてゆかれたようにおもう、っまず最冒頭から、っみじめに予備を振ったりされず、えいやっ、っとの打突で始められる坂入氏の潔さが快い、
っその後は挙軍一丸、っこの楽団は、ラフマニノフ《シムフォニック・ダンス》、ブルックナー《9番》と、過去に2度聴いたはずだが、若い、恆日頃からいっしょに弾いているのでなく、ったまに寄り合う楽団にあり勝ちのこととして、っひびきがしゃびしゃびと水っぽく、粘り気に欠ける弊があり、っその2公演ともこちとらぜんぜん曲趣を味わいえず、っばかりかラフマニノフに至っては、っぼくが当該曲をほとんど聴いたことがなかったこともあり、っさいしょっから最後まで、っどんな曲だかまったくわからなかった、っその後、っあれはたしか冨平恭平氏がどこかの学生オケを振られた公演で同曲を聴いた際には、あっ、えっ、こんなに好い曲なのかよっ、っとの一驚を喫したものだが、っそれがきょうは、っちゃんと全体で一体の響がしていられた、っそのなかで各キャラクターがみな素敵だ、トロムペットは依然として逞しく叫んでくれるし、ホルン連もおどろくほど好い音をされている、木管は、ファゴットに手痛い吹き損じがあったが、っしかし4種それぞれに魅力的で、っその睦み合いにも聴き惚れた、ミニマル先輩と、あそこ天井が高くてひびきすぎるからねえ、っと話していたのだが、っその間接音、残響も味方へ附けられ、っいっぽう中規模編成も奏功で、分離もほどよい、ったとえば1楽章では、っぼくは再現の㐧2テーマで、Vnに応じてフリュートが吹いている際の背景の、ティムパニの弱打による運命動機をしっかりと聴き取りたいのだが、っそこも小気味よい音粒が並んでいる、楽章終結は、っすぱっと振り切られず、長く残響が遺るように振り収められているのが印象的、
2楽章の主題は、終わりのfの指示をちゃんと守ってくれたい、音高が上がって自然につよくなるんだから、そこからべつの表情を求めている記譜ではないよね、っという演奏がほとんどだが、っぼくは、っそこでとつじょ、くわっ、っと音色の豹変する弾き方をさせたってよいとおもっているくらいだ、っきょうの演奏は、っまあおなじ音色のなかで一寸つよくなったという程度、っともかく、っぼくの趣味があほなので、っそれがふつうだ、
っしかし、っというのは、楽聖の楽曲構成の妙である、1度目の変奏での同個所でもf、っが、最も音価の縮まった2度目では逆にpへ落ち、っそこから音楽はクラリネットとファゴットとの瞬く夢幻境へと微睡む、っその夢ごこちがより篤く胸裡へ迫るために、前段として、主題の原型の末尾はfです、1度変奏してもやはりfです、しかし2度目にはpとなります、っというその落差をちゃんと描いてくれたいのである、
同主題の最後の再帰では、下から上がってきてついにVnが主題へ達し、っすぐに木管たちが後を追う、っけれども、ああ、カノンなんだな、っとおもうのも束の間、っすぐ1小節後くらいには、音高が下がってひびきが混ざってしまい、っもう追い掛けっこなのだということがわからなくなってしまう、っここはどんな演奏を聴いても必ずそうで、っなにか手立てはないものか、
っこの曲にはさように音勢の相関の難儀な個所がいくつかあり、フィナーレの再現におく㐧2テーマのバトンが最後、セロ・バスへ渡る際もそうだろう、曲想に対して彼等の深い音色はまことに打って附けなのだが、っどうしても他声部へ埋没し勝ちとなる、っきょうはまあ、っよく聴こえていたほうか、
スケルツォ主部は、ホルンが運命動機を叫んだあと、Vnへ主題が渡っても、音価の長い彼等が音量を細らせずに叫びつづけていてくれたいのだが、っきょうはさように吹いてくれ、っまことに溜飲が下がる、トリオのフガートは、Vaが弾くときに重なっているファゴットの効果が、音色としてまことにたのしい、っうらぶれた再現へ向かってフリュートからファゴットまで落下する部分は、っぼくが古本屋で購ったポケット・スコアへは、なんとうつくしい、、、っとの書き込みがなされており、っつまり4種の木管がひとつづきに聴こえてくれることが理想だというわけだが、っきょうもそのことを想い出しつ、綾成す音色のスロープを滑り降りる、再現では、っほかはみなピッツィ、独りアルコのVaに、っはっきりと、うえっ、うえっ、っとえずくような音を出させた奏楽が、っぼくはすきだ、っきょうはもっとずっとお上品、ブリッジは、ティムパニの打刻をいますこしくしっかり聴きたかったか、っしかし、Vnがついに刻みになる1拍前からのファゴットは、っじつに曙光のぬくもりに相違なく、坂入氏の腕も抜かりなくそちらを指しておられ、流石である、っただどうかなあ、っじっさいに鳴った音としては、っぼくはもっとすばらしい閃きを、っあのファゴットにみたことがほかにあった気がする、
ミニマル先輩とは提示のリピートの話もして、彼氏は両端楽章ともにやってくれたいとおっしゃり、っぼくも同意、っいちばんよくないのは1楽章ではやったのにフィナーレではやらないのだというところまで意見が一致せる、坂入氏は両とも敢行せられたが、っよのなかには、っなんだかスケルツォもどこかからダル・セーニョしてそっくり冒頭からやり直す演奏がある、っきょうはそこまではしていられなんだし、っそれはぼくもしなくてよいとおもう、
フィナーレは全体に、っはち切れむばかりの熱情の放射も清しい、ホルンのあれが㐧2テーマなのかな、っそうとおもうが、曲がそこへ達すると、っぼくはいつも例の朝比奈さんの挿話を想い出さずにいない、っあの方がドイッチュのどこかの楽団へ客演された際、同テーマを支える2ndとVaとの刻みで、2ndの若い奏者が、どうせ弾いたって聴こえやしないんだから、っと等閑に弾いているのを見咎められて、君の演り方は、君たちドイッチュ人が最もたいせつにしている作曲家に対するたいへんな冒瀆だぞ、恥ずかしいとおもわないのか、っと叱責され、古参の楽員からブラヴォーの声が上がって、っその後の練習にもより熱が入ったと、っきょうの2nd、Va各位も、同部分を懸命に刻まれていた、
っこれもいつもの繰り言、っぼくのフィナーレでのまた邪な願望のひとつは、アルペン動機を順に吹くファゴットとホルンとである、前者にはf、後者にはpとある、っこれは流石に、比較的に音勢のよわいファゴットはたっぷり、つよいホルンはドルチェ気味にそれぞれ吹き、両者の音量が等しくなるようにせよ、っとの趣意であるとはおもうが、敢えて知らんぷりをして、ファゴットを大々々強奏、ホルンを融けるごとピアニッシッシッシッシモせしめたら、っどんなにかたのしいことであろうか、っきょうの演奏は、ファゴットはめいっぱいおなかいっぱいでうれしい、ホルンは、っふつうの音量だ、奏者の方はとてもとても巧くていられたので、っああした名手に溜め息のごと囁いてもらえたら、魂を抜かれてしまうのにちがいない、
コーダは、アッチェレランドしたあとの、絃バスとコントラファゴットとの運命動機を、っもっと眼に視えるようにくっきりと聴きたい、後者にばごばごいう吹奏をせしめればそれは可能のはずで、ったしか、レーグナー/読響の同曲音盤は、っそれをしてくれていたように記憶する、
最終和音では、ったまにティムパニのトレモロをもういちど打たせ直す演奏を聴き、っそれこそ朝比奈さんもそうだし、っきょうもそうであった、スコアを持っているのに、っそこの記譜がどうなっているかを検めてもみない怠惰なぼくである、
っとまれ、単に颯爽というだけでは終わらせない、っなかなかの楽聖であった、
っさて、っいままだ向ヶ丘遊園の駐車場にて社用車の中で、っもうじき日附が変わってしまう、っあすも仕事であり、疾々と帰らねば、
っあさっては、神戸日帰りにて、平林遼氏の公演である、
みずの自作アルヒーフ
《襷 ータスキー》(全4回)
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《ぶきっちょ》(全4回)
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《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)
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京都、北山、
坂入健司郎氏の棒、オーケストラ・リベルタ公演、済む、演目は、辰野翼氏を迎えてドビュッシー《ピアノと管絃楽とのためのファンタジア》、っおよびマーラー《トラギッシェ》で、っこれが有休を含む4連休というか3.5連休の掉尾である、
終演までに2時間半前後を要するだろうと踏むとそのとおりで、食事をして新幹線の時間に、っまあ余裕がないわけではなかろうとおもうも、っすこしく急いでおかむと事後の喫煙はせずに器を後にし掛かって、っしかし楽屋裏のところへもうひとつ喫煙スペイスがあるのを想い出し、っやっぱり演奏会のあとにはヤニが入用だとて、っついそちらへ足を向けるに、一張羅を脱がれた坂入氏が楽員の方と喫煙されているところであった、っけれども、っそこで客の一個として、すばらしかったですっ、っなどと声を掛けるのは、っやはり極めて愚かしいことなのであって、視線を合わさぬようにして、黙って服んでいる、
京都まで戻って、っやはりややぎりぎりだったが、無事に乗る、睡かったのと、っなんの気なしにYouTubeを起こすと、保科洋氏が岡山大の学生オケを振られたマーラー《巨人》の動画があり、再生してみると、オケはやや非力だが、歩くのに杖をつかれる大老、保科氏の造形はしかしなかなかにすばらしく、フィナーレまでじつに目が離せなんだ、っさっき新横へ着き、っいま横浜線の車内である、
ドビュッシー《、、、ファンタジア》は、音盤ではなんといっても亡くなられた遠山慶子女史のものが忘れ難いが、っそれよりもこの曲、っそしてソリスト・アンコールの同《月の光》は、MXの〈西部邁ゼミナール〉を想起させてやまない、西部氏が多摩川であのような亡くなられ方をしてから、っもう何年になるのであろうか、彼氏以降、社会に対する構造的解題を語る文体、話法を有った論者は、誰ひとりとしていなくなってしまった、各論で西部氏を論難する声は、彼氏のご生前にもあった、っけれども問題はそこではなかろう、事物事象の構造を捉え、語る力の有無である、っそれのない者、っあるはそれを有とうとしない者、っあるはそれが肝要であると露ほども想像しないような者が、個別具体的に、西部の言説のここがまちがっている、っなどと指摘したところが、本質的にはなんらクリティカルではない、構造に対する認識を述べる能力のない時点で、っその者はすでにして西部邁の足元にも及ばないのであり、っしかしさようの能力のない者は自身のその知性の不具を自覚できないわけだから、平気で西部氏へ噛み附いて恬として恥じない人もひとりやふたりではなく、一読者というか視聴者として、っぼくにはそこが歯痒かったものだ、いやいや、お前等みたような雑魚が相手にしていいお方じゃないから、西部邁は、っと、佐高信氏と朝日ニュースターでやられていた対談番組は、佐高氏がまた構造的発想が絶無で、下卑た冷やかしや茶化しを云うくらいっきり能のない方だったから、相対して西部氏の利発がよりくっきりと浮き彫りになり、っその意味ではたのしい番組で、YouTubeなどへ数多のコンテンツの出揃うきょう日でも、っああした味わい、知的刺戟のあるものはどこにもない、っきょうドビュッシーを聴きながら、っあらためて傑物たる西部邁を追想し、っじつに懐かしさと、畏敬の念とに堪えなんだ、
器は、井上キーミツもおっしゃったように、っやはり音響的にやや難があるようで、オケはまだしも、ソロの音像は拡散気味で、芯を有って客席まで届かない憾がある、中之島での小菅優女史のピアノのほうが、っずっとずっとクリアに聴こえたものである、
マーラーは、1楽章が済むあたりまでこそ、端然として衒いのないフォルムだが、辛く云えばそれ以上でも以下でもない、っという程度の印象へ留まるが、アンダンテ、スケルツォの順で中間楽章を通るうち、声部という声部のひびきがいずれも抜け切って楽器楽器の存在を忘れさせ、っいつしかホール・トーンの限界をも忘れさせ、っこちとらをしてひたすらに曲趣へ浸らせた、
観ていれば、坂入氏は個所によっては相当度に内声、低声の動きを穿ち、掘り起こしていられるが、っどれほどその手のことをなすっても、っそれらはなんら恣意性を感じさせず、っむしろ、曲それ自身の魅惑が自発するためのあるべき差配と映ずる、っちょうどこないだの平林遼氏の同《復活》が、俺こそが記譜の指定指定に忠実なのだっ、っと宣せられながら、っじっさいには㐧三者たるぼくらお客お客の耳へは恣意また恣意の連続と聴こえたのとは好対照に、坂入氏の行かれ方は、彼氏がより熱心に指揮者としての仕事をされているときほど、っその存在は楽曲の前からもお客の前からも消え失せてしまわれるのである、っいつも云うことだが、っそれが指揮道では最も成功のむつかしい方法である、坂入氏は、っしんから意識されてというよりも、彼氏の有って産まれたる稟質として、っもとよりその道を行かざるをえない方なのだろう、今後も倦まず弛まず、精励邁進されたくおもう、、、一客風情が尊大だが、
っさて、っあすからまた狛江古墳現場、っお次は金曜で、っおなじ坂入氏の初台での公演、ったしかオール楽聖プロではなかったのかとおもうが、楽聖にはそんじょそこらの正攻法はまるで通用しないので、彼氏にはわるいが、っぼくはこの公演にそれほどおおくを期待していない、っもちろん、っうれしい裏切りに遭いたくてこそ、っではあるが、
っああ、っやっと自室のベッドで睡られる、、、
みずの自作アルヒーフ
《襷 ータスキー》(全4回)
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《ぶきっちょ》(全4回)
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《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)
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大阪、福島、
斯界の泰斗、前橋汀子女史のコンチェルト・リサイタル、済む、バックはキムボー・イシイ氏の棒になる日本センチュリー響、演目は、サン=サーンス《序奏とロンド・カプリチオーソと》と、メンデルスゾーン、ブラームスの各コンチェルトとである、
デュトワ氏公演は、っあんな大会堂が2日ともけっこうな埋まりぐあいであったというのに、っこちらの客席はややさびしい、関西のお客に対し、おたくらがもっとちゃんと文化を耕してくれろよ、っとやや反意をおぼゆ、っとはいえ、発売からかなり時日が經ってから切符を購ったことになるのだろうが、位置取りとして、っまことに快適であった、っいつもここでは2階正面を撰んでいたが、っこんかいは、ソリストの音像をよりリアルに感じたくて、右翼バルコニーの後ろからふたつめのブロックの最前列前端部、舞台へ死角ができることを惧れたが、中規模編成で舞台中央へ寄ったオケの全貌を視界へ収めることができ、っすばらしい眺望と音響とであった、
キムボー氏は、っむかし有名になり出したころは、イシイ・エトウとおっしゃったように記憶するが、っいつかからエトウは脱けたようで、っその委細は知らない、
っきのうきょうの宿だが、っこないだの大阪行時のそれのすぐ隣で、十三のラヴ・ホテル街のなかへあり、っそちらはまともなビジネス・ホテルだったが、っこちらは、近くまで来て、え、、、これかよ、っとおもわせるラヴ・ホテル然たる外観、入ってみると、っまあそうねえ、半分はラヴ・ホテルというか、連れ込み宿だな、っふつうにコンドームが置いてあるし、オトナのオモチャもあり、入室するなり、おおきなお世話だよ、っとこぼす、
っしかしよい面もあって、化粧落としと化粧水と乳液とを置いてくれてあり、っぼくは、数日以上伸ばしたのならばよいのだが、っきのう剃った鬚をきょうもまた剃ると、肌ががっさがさになり、眞っ赫に腫れてしまう人で、今次のごとまいにち他所行きの格好をせねばならないときにはそれが困りものだが、っしかし荷が重くなるばかりなのでその手の商品は携行せなんだのだ、剃刀も、新品ではぜんぜん負けて血だらけになってしまうのでいけなく、3年も5年も使い古した鈍な刃のものでなければならない、世の男性は、ホテルへ泊まったら、備え附けの新品の剃刀を平気で使うのだろうか、血だらけになりゃしないのだろうか、
っそれから、朝餉はチェック・イン時に指定した時間に各室へ配膳せられ、っそこも純然たるビジネス・ホテルではない所以、情事の翌朝に知らない者同士食堂へ会してメシなんぞ喰っているバヤイでないというわけだが、和食を頼んでおいたところ、っそこらの安ビジネス・ホテルではどれもこれも冷凍食品ばかりなのに対し、っちゃんと1切1切焼いているとおぼしき塩鮭を供され、味噌汁も、インスタントではなさそうで、出汁が効いていて旨かった、
っぼんやりしていて11時ころやっと外出するが、歩って中之島まではぞんがい時間が掛かり、美術館へはほんの1時間ほどの滞在で、小出楢重を観る、っやや早足で観了えてしまったとも云えるが、っそんな巨匠を相手に不遜ながら、画の面前でおもわずにうんと唸ってしまう作はほんの数点あるかないかで、1時間でじゅうぶんであったともしうる、最後の1室へは、画家の周辺の時代を知らしむべく、当館の所蔵なのだろうか、佐伯祐三も2点展示せられていたが、画面構成、デフォルマシオン、色調、マチエール、っありとある要素で、ったった2点をもってそれまでの小出の無数点を忘れさせるほど鮮烈であり、っふたりの生年にはそれほどの差はないはずで、佐伯がやや年少であろうが、彼氏のほうがより野心的であったということか、
っしかしそこもむつかしい、佐伯がヴィヴィッドであるのも、彼が現代に、っつまりゲンダイの精神の不健康不健全に近いということであり、っよりそちらに惹かれてしまうというのは、っそれだけぼくの感性も爛れ、腐敗腐乱、堕落しているということである、っほんの数年の差で小出は、セザンヌ等の影響が窺われるという点ではまったくのクラッシックなのではないものの、っしかし比較的に健康な問題意識の人なのである、
っそれから、書簡の類の展示が数多にあったのも興味深く、後年ほど乱筆のようだが、若くときに親族へ送ったそれなど、ああ、読み書きを厳しく叩き込まれた時代の人だな、っとおもわせるなかなかの達筆ぶりで、書道の半人前師範のぼくとして、っおもわずに目を瞠ったところである、っうつくしい文字を書ける人は、っそれだけで一廉の人物である、っぼくがそうだとは謂わないが、
っさておき、っやっとかめで望む前橋女史の舞台姿、コバケンさんとのそのご共演時には、っそれがぼくがきょうまでに彼女を聴いたさいしょで最後の機会で、登壇されるや、あ、こんなに長身の方だったんだ、っとおもわせた記憶が鮮やかに遺っているのだが、っきょうさっき、っはじめに袖からお出になった際の印象は、え、こんな小柄だったっけか、っとのもので、要はすでにしてさようのご年齢になられたということであろう、脚もややお悪いものとみえて、っすこしく庇って歩かれるように見受けた、っかっては、音楽界のみならず、各方面から舞台での立ち居振る舞いの威厳を称揚せられた彼女であるが、っそのカリアも、っいま晩節を迎えるのかとおもう、っかように申して、っとくだん無礼に当たるとも感じない、人間の一生には、昇り龍の勢いと、相応する下り坂とがあるのだ、っそんなことは女史ご本人がいちばんよくおわかりだろう、、、っま、っだからこそ、他人には云われたくなくていられるかもしれないが、
肝腎の奏楽であるが、っほんの1音で聴き手の心の臓を鷲摑みに摑む抜群の存在感は、っじつに健在であられた、サン=サーンスは、っほんのすこしくも無理をされず、ヴァイオリンという楽器の魅惑を音場いっぱいに届けられる、
済んで拍手を浴びられ、っそのまま袖へ下がられることなくメンデルスゾーンが準備さる、っいちど指揮者へ向かいて頷かれたのだが、っなにか想い当たられたらしく、あっ、いけないわっ、っと左右をきょろきょろされ、っしかし時すでにして遅く、キムボー氏の棒は下り、オケは鳴り出してしまう、っわずか1小節で、彼女が主題を弾き出されねばならない、っすぐに気を入れ直されて顔相が豹変したが、っしかしやはり萬全萬端ではなかったのか、っこの1楽章の開始から提示、展開あたりまでは、っかすかな音の落ち、音程の不調などが散見せられた、海千山千の大々々ヴェテランでも、さようにこころの動揺がもろに音へ露呈するものなのか、っと、っぼくにはむしろ興味深くさえあった、っあのいったん指揮者へ頷かれてからオケが鳴り出すまでのわずかの間に、っいったいぜんたいなにが女史のこころをそんなにも掻き乱したというのであろうか、っいずれ、舞台へは恆に魔性が棲まっている、
っとまれ、客席のぼくまでひやひやしながら迎えた展開後のカデンツでは、流石に本調子を取り戻していられ、っやはり満堂を独占されるだけの無二のキャラクターがお存りだ、っといって、憑かれたごと過酷に弾かれるのでもなく、求道の涯、ヴァイオリンという楽器が最も素直に鳴る、っあたかも、っそのことを邪魔しないためにこそ奏者がいるとでもいうように、っどこまでもすんなりと楽音が流露し、っもって楽曲の美麗がまるで遺憾なく伝達せられるその味は、心技体いずれもがあり余る若きヴィルトゥオーゾたちには、っけっして望むことのできない手応えである、音楽人に引き際のみきわめを求めるファンはたまにおり、っそれもわからぬじゃないが、っぼく個人の感懐を云えば、っすくなくも、全盛をすぎたらすなわち引退せよというのは、っぜんぜん勿体ないとおもう、全盛でないからこそアッピールしうる内容というのは、っまちがいなく存るのだ、、、っこの擁護をいちばんよろこばないのは、前橋女史ご当人であられるだろうが、
ったしかに、っその後もくるしい個所は複数あった、2楽章の後半は、重音のフィンガリング、ポジショニングがよほどか難儀なのだろうか、纏綿たる楽曲の魅惑よりは、奏楽の限界のほうが聞こえてしまうようであった、フィナーレの入りは、序奏後、トロムペットのファンファールへ応ずる女史の合いの手の1度目、羽毛のごとかるやかに舞えよかしと弾かれるあまりに、掠れて上の倍音っきりが鳴ってしまうという手抜かりで、っおもわずに、だめっ、っと顰めっ面をされるのには、っこちとらとてもまこと同情を禁じえなんだ、っされどもそのフィナーレ主部は、辛うじて弾き切りうるややゆったりとしたテムポへ落とされ、っなおかつ場面によってはさらにぐっと腰が沈んで深々とした呼吸となり、っそれをぼくは、全盛を過ぎた者の妥協策と冷たく取るよりは、っよりじっくりと曲趣を味わいうるゆたかな造形と聴きたい、っじっさい、っここでのオケとの交響は、っほんとうに仕合わせそのものであった、
音場の豊麗も、何度でも壽いでおかねばなるまい、っそして、日本センチュリー響の優艶も、っである、彼等はたしか、っそれこそこないだ云った、金銭的にはいま日本で最も惨状にある楽団のひとつではないかとおもうが、10型で、セロ・バスを各2足したささやかな絃、っそして管打も、っこの音場とこのソリストとに対して最適の音量感音勢感であり、っしっとりと濡れながら、っどうして、同時に内声の奥の奥まで怜悧に見透しうる、っかようの演目にとり理想も理想の空間と楽隊とであろう、
ブラームスも、意地悪く探せば、上記と同様の瑕疵はいくらもみつかったろう、っけれども、っとくに1楽章など、ブラームスを必ずしもこのまないぼくをも、ああ、いい曲だなあ、、、っと浪漫の香気で包んでくれるし、脱力し切られて楽曲と同体の態のカデンツは、っやはりすばらしい、
アンコールにバッハ、っほとんどか弱いばかりのA線に対し、弓がG線へ及んだ際の深い胴鳴りは、っぜんぜんごしごしとされていないにも拘わらず、宇宙の彼方まで届くばかりの玄妙であり、っそれは、ヴァイオリンという楽器にでなければ発音できない音であるとともに、っとてもヴァイオリンという楽器から発せられた物理音であるとは信じ難い神韻でもあるのだった、
っさて、っきょうの夕餉は王将ではなく、っここで公演の際のたのしみのひとつ、器から東の通りへ出てすぐのカレー屋へ、っこれから寄る、16時ころ終演して、開店は17時なので、っそれまでにこれを書き了えればよいというくらいにおもったが、っいまもう19時になってしまった、食事後は、っまた歩って淀川を渡り、半分ラヴ・ホテルまで戻る、
っあすは、帰途に京都へ寄り、坂入健司郎氏の公演である、
みずの自作アルヒーフ
《襷 ータスキー》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(第1回配本)
《ぶきっちょ》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(第1回配本)
《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12935343873.html(第1回配本)
中之島2日目、
デュトワ氏の棒、大阪フィル公演、済む、演目は、小菅優女史を迎えてモーツァルト《22番》コンチェルト、っそしてコーラスを加えてラヴェル《ダフニスとクロエと》全曲である、
っきのうつい筆というか指が滑って、モーツァルトの3拍子のエピソードが2楽章にあるように書いてしまったが、っそれはフィナーレのまんなかであった、っそのモーツァルト1楽章の懸案の不協和音だが、っそれは序奏と、提示と再現とへ各1度現われる、っあれで結尾部分だとおもうが、フリュートとファゴットと、っあとその前だか後だかにVnもおなじことをやっていたか、上昇する音型で、ファゴットあたりの吹かれ方があまりよくないのだろうか、っきょうもまいかい、あれ、変な音鳴ってないか、っとおもわせた、各位がよほどか愼重に発音せねば、っああしたことが起こってしまうのだろう、
っきのうもややそうおもっていたのだが、っきょうフィナーレを聴いていて、っぼくはモーツァルトのPfコンチェルトを《何番》のどこの主題はこうこうと即座に想起しうるほどしっかり憶えてはおらず、っこの《22番》もそうなのだが、っところが、っどこかで聴いた曲のような気がして仕方がない、っなんだろうとおもっていると、っあれだ、東大の学生オケの公演へ過去2回出向き、っそのアンコールは2度とも、ドイッチュ民謡という《麗し春よ》を、客席をブロックブロックへ分けてみなで輪唱せしめるというもので、旧くからまいかい恆例なのだろうが、っぼくはああした客席参加の余興がすきではなく、周りは唄っていても自分は唄わないけれども、っそれはとにかく、っあの曲とこのフィナーレとの、主要主題もそうだし、件の3拍子のところがよりそうだとおもったが、進行がかなりよく肖ているのだとわかる、
《ダフニス、、、》は、仕上がりぐあいとしては昨夜とほぼ同等か、っまたもあの夢の時間を堪能す、
っゆうべはあれから、宿が新大阪辺だったので、1時間かそれ以上も歩き、2時ころやっと室へ戻る、3泊おなじところが取れておらず、っきょうあすは別のホテルとなるため、チェック・アウトせねばならず、睡眠時間はややみじかかった、っそれで、淀川端まで出て、っぼんやりと睡惚け勝ちに、正午ころまでシガレットを服みつづけている、っそれで、来年の、黄金週あたりだったか、山田和樹氏が水野修孝氏の《交響的変容》をお振りになり、っその切符がきょうの午から先行発売というので、安くないが、購う、
上演時間は3時間とも3時間半ともいい、っどっさりコーラスが要り、指揮者も最大で同時に7人だか8人だか、コーラスの指揮も入れると15人くらいがめいめい別のテムポ、拍子を振っていねばならないという曲で、っどんな作品だかぜんぜん識らないが、っそれを聞いたっきりで、っまあだいたいの傾向というか作風は読める、っめんどくさい曲なのに定まっているが、っまあこれを逃したら再演の機会もまたとなかろうしするから、話の根多にでも聴いておくこととした、
4部作の全曲同日上演は、っおそらく過去1度っきり、岩城氏の棒で為されており、器は幕張メッセであったというが、っそのライヴ録音の音盤はごくごくたまにヤフオク!で見掛け、っそのたびに興味を惹かれてはきたものの、っかなりの稀少盤であるためだいたい法外なプレミアが附いており、¥2、3千というならともかく、そんな¥1萬2萬も出せるかいな、っと入手を躊躇っていた、
っその公演とおなじ週かなにかには、彼氏、新ヤマカズさんは、N響で旧ヤマカズさんの作を振られるのだが、っま、っそれも聴いておかむとおもう、っぼくは新ヤマカズさんは、っもやしみたようにひょろひょろのあんちゃんだった時分に、名古屋の、っあれ、名工大の学生オケかなにかだったかしら、っそことの公演を栄の芸文センターで聴いており、っいまのぷくぷくのお姿になられてからは、ったしかライヴはいちども聴いていないはずである、音盤や動画などはたまに視聴しているが、っなにかこう、カリアだけは一丁前になられたものの、感じさせるところの乏しい方である、例のベルリン・フィルへのデビュー公演にせよ、NHKで動画を購入したが、っべつにぜんぜんふつうというか、っもっともっと才気を突き附けられたいというのか、不満大であった、YouTubeではボストン響との《幻想》も聴けるが、っそれもつまらない、っどこかやはり海外での《アルペン》は、オケにたいへんな地力があるため、っまだしも好印象ではあったが、っしかしそれしきのことだ、日本の各楽団とのあれこれの記録は、っどれもぱっとしない、っむしろ東混との音盤に、ったのしく聴けるものがある
滅多に演奏せられない特殊な作品などでは、指揮者の技倆というか、っそれ以上に特有の存在感というものはほとんど推し量れないので、っそれら2公演については、純粋に作品自身への興味ということである、
っさて、っこれから宿へ荷を置いて、っともかく王将の生の割引券を使ってしまわねばならないので、地元グルメになどは目もくれずに、っまいにち王将である、
っゆうべ中之島のあたらしい美術館の脇を歩くに、っいま小出楢重が来ているようだ、っいつかには佐伯祐三展があり、っそこでおもいもかけずカフォン・ボスと遭遇したのも懐かしいが、近年に落成した小洒落た美術館にしてはチョイスが渋い、っこんやはたっぷり睡らりょうし、っあすの公演前にでも見物へ行くとせむ、
っそのあすは、福島で前橋汀子女史のコンチェルト公演である、コバケンさんとの大宮でだったか、府中でだったかな、ブルッフのコンチェルトを聴いたのは、っもう20年くらい以前のはずで、彼女が弾き出される途端に魂をぜんぶ持ってゆかれたが、非礼ながら、っもうかなりのお歳となられたはずで、っこの間にどのような変貌を遂げられたであろうか、
みずの自作アルヒーフ
《襷 ータスキー》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(第1回配本)
《ぶきっちょ》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(第1回配本)
《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12935343873.html(第1回配本)
中之島、
デュトワ氏の棒、大阪フィル公演、済む、演目は、小菅優女史を迎えてモーツァルト《22番》コンチェルトと、コーラスを加えてラヴェル《ダフニスとクロエ》全曲とである、、、っん、っそうか、っぼくの習いでゆけば、ダフニスとクロエと、っと表記せねばならないか、ペレアス、、、にしても同様であり、っこれからはそうせむ、
っきょうから3泊4日で、っまいにちこちらで演奏会である、日曜には東京近郊で佐藤雄一氏の公演があるのだが、翌月曜は京都へおらねばならず、流石に中1日置いて往ったり来たりの新幹線代は懐に辛く、佐藤氏の方は諦めて、代わりを探すと、っなんと前橋汀子女史のコンチェルトを1日のうちにふたつも聴ける公演があり、っよろこんでそちらを撰む、っきょうは平日だが、アルバイトさんたちには詫びを云って現場は止めさせていただき、っしかし午前は聖蹟別棟で仕事をして、ハイ・エイスは別棟へ置いて、チャリンコを多摩センへ駐輪し、午から大阪へ来る、
狛江の古墳現場は、前回調査で崩落の危険があるため掘り残した個所を、公園整備の擁壁工事のためにどのみち調査せねばならないというので掘り拡げてみるに、っまたも刃渡り30cmほどの直刀が出土し、遺跡へ携わっていても、っかほどに充実した調査は一生にいちどあるかないかであろう、埋葬主体部は礫槨かつ礫床であるが、っその一部は擁壁のための墳丘の切土工の影響を受けるため、っいったん取り上げ、擁壁工事の完了後、原位置に復せしめるというので、目下、周到に3次元情報を記録しつ1点1点外している、墳丘に対して切土を行なうということは、っとうぜんながら構築土の土層断面が現われるわけで、来年度にはその断面図の記録作業があり、主体部の礫の復原工は早くても再来年度、気の長い話で、っさて遺跡公園の開園はいつのことやら、っうちの会社としては、一遺跡でまいとしのようになにかしら作業が発生してそのたびに予算が附くので、1粒で2度どころか、3度4度5度、っもっとおいしい現場ではある、っぼくが代理人を務めるだけでもこんかいで4度目で、上記のとおりすくなくもあと2度、っや、っまだほかの調査もあるので3度以上は出向くこととなり、狛江市お役人からももはや、勝手がわかっている人じゃないと無理なので、まいかい水野さんでお願いします、っとご指名をいただいている、社内にはぼくみたようなバイト上がりのただの素人でなく、っちゃんと古墳時代の専門家もいらっしゃり、なんでそこの現場が俺じゃないんだろう、っとこぼしていられ、っぼくもまったくそのとおりだとおもうが、っま、っどこの現場の配属になるかは、偏にそのときそのときの身体が空いている空いていないに依存しており、っひとくちに云えば、巡り合わせだ、美術大学を出た考古学のまったくの門外漢が、専門家がしんから望んでも生涯できないかもしれない調査を、現にかくして行なっている、人生とは世間とは、っまことに不可思議である、
っはてさて、っそんな、っふだんの調査とは数段異なる緊張を強いらる現場のまいにちながら、ミニマル先輩ほかから、たのしんで来てねっ、っと送られて、4日間の遊興の、っこんやが嚆矢であったところ、、、っいやあ、っこちとらぐうの音も出ない先制打でしたねえ、
っまず音場の勝利、渋谷ほどではないにせよ、っここ中之島も2,000席をおおきく超脱する大会堂のはずであるが、中規模編成で臨むモーツァルトでも音は瘠せず、っむしろ潤いたっぷり、ソロのニュアンスも細大漏らさず伝わる、《ダフニス、、、》については、トュッティが定まってぎすぎすし、音楽ではなくその無味乾燥の設計図の提示と変じてしまう彼地でのN響の感触とは、っまさしく雲泥の差であり、っこちらは全曲ずっとずっと音楽の塊である、っしかも大フィルは、ホルンの1番などにときおりかすかかすかなエラーこそあれ、絃も管も打もすべてのパートが好個のキャラクターたちであられ、っかつ全体として高度高級に一体なのであり、音楽たることが極まって、っもはやさようの一個の夢幻、魔術魔法、非現実である、各楽器のソノリティをよりリアルに感ずるときほどその観は高まるのだから、っこちとらはひたすらに時間を忘れらる、
っとはいえまずモーツァルト、オケのみによるイントロダクションから、筆はずいぶん込み入り、和音も、調の微妙な移り方も、自在なリズムの変転も、ポリフォニックな複雑さも、っじつに入魂である、っそしてもちろん、っそれらがほんの秋の夜風のごとささやかに吹き過ぎてゆくなかでしかし十全に行なわれるというのが、モーツァルトのモーツァルトたるところである、っあたらしい主題で顕われる小菅女史のソロにも危うい色合いの音が含まれ、っじつに萬感を隠した爽快清冽である、
っそうした無上の繊細を要求する譜面であるだけに、序奏でも主部でも、大フィルは複数度、っわずかに不協和音を鳴らされてしまい、っほんのほんの手抜かりからそれは起こるのだろうが、っきっとあすのゲネ・プロでのデュトワ氏は、っそれについて厳しい叱咤を飛ばされるだろうと思量せられる、
作家の自筆の遺らないソロのカデンツは、リヒテルの依頼によるブリテンの作とのこと、モーツァルトを逸脱しない範囲で、っしかしかなりに現代的の要素も含んでおり、っほどよいスパイスだ、
2楽章は3拍子の中間部がことのほか印象的、木管も各位、ソリストに敗けず劣らずの大看板大看板であられ、っこちとらうっとりと陶醉へ浸る、
フィナーレは、ソロといいオケといい演奏はあれで、っむしろ浪漫派以降の各コンチェルトなどよりよほどか難儀なのではないかとおもわれるが、っそれがよろしく達せらると、客席ではそのまま最後まで醉いごこちの裡へいられる、デュトワ氏は以前よりかように、モーツァルトやハイドンなどと近現代の精妙なオーケストレイションの楽曲とを同日に組むということをされているが、っかたや古典美、っかたや機能美により、っしかしいずれも幽玄境を現出させられ、っじつにご自慢のレパートリーであるのに相違ない、
ミニマル先輩に云わせると《ダフニス、、、》は、正直、㐧2スートだけでいいよね、っとのことで、ったしかにぼくも、先週N響を聴いたまでは同意であったが、っそれはあんな渋谷みたような貧しい音場で聴くからさようの所感となるのであって、っきょう聴くと、一見、冗長な時間も含む気がする㐧1部も、不穏な㐧2部も、っすべて㐧3部への存るべき膳立てと映る、っともかく、っありとある瞬間が音楽音楽また音楽で、っついに㐧3部へ到達した際の感懐には、曰く名状に堪えぬものがある、
デュトワ氏に老境の衰えは欠片ほどもない、㐧2部のコーラスによる導入が済み、オケが俄かに勢い附くと、苛烈なテムポによる追い込みは、気力あり余る青年指揮者さながら、っもちろん勇み足はどこにもなく、っばかりか、メロウな場面へ来たときの遊び戯れ、っすでにしてエロティックでさえあるゆとりの構えは、青年指揮者では逆立ちしても眞似のできぬ所業にちがいない、スコアと一心同体、血肉とされた楽曲を夢中で振り進まれる自在感こそは、っまさしくフレンチの大シェフの勇姿だ、
コーラスの音勢感も、先週のN響公演よりもずっとずっと上質的確である、㐧3部は、絃バスに始まるあさぼらけの主題と並行して、彼等が全曲冒頭の動機を鳴らしているのだとよくよく諒解しえた、
っところで、㐧2スートを単独でコーラス入りで演るばあい、声楽は女声のみではなかったかと記憶するのだが、先週の公演で男声陣も入場して来られるので、あれ、混声合唱なのか、っと少々意想外であった、
っそのあさの情景は、っかってないほど各楽器の音彩が活き、感動的どころの騒ぎではない、っその後はパンのフリュートもアルト・フリュートも、っその他木管もみなすばらしくていられ、っとうとう、っなんとも謂えぬ落ち着きと熾烈の熱狂との同居した全員の踊りが、字義通りの大団円を迎える、設計図を見せられているっきりのN響公演は1回聴けばじゅうぶんだが、っこの仕合わせは、っぜひに2日とも味わわねばならぬ、掛け値なしの耳とこころとのご馳走である、
月の始めから王将で生の割引券を何枚も貰ったが、現場通いでは、帰りに寄っても使えやしないので、っこんなときに消化せねばならず、公演事後は、器からまっすぐに南へ何ブロックか歩き、寄る、関東の店舗にはない得手勝手なメニューがたくさんあり、目移りしつたのしく晩餉を摂る、っいまは、っそこから一寸取って返したおおきな公園の片隅にて、シガレットを服んでいる、っもう日附が変わった、っまだ電車はあるだろうか、疾々と宿へ帰らねば、
、、、っおっと、検索したが、っもうはや終電が済んでしまったらしい、詮方ない、歩って戻らむ、っそれとても、好い気分である、
みずの自作アルヒーフ
《襷 ータスキー》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(第1回配本)
《ぶきっちょ》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(第1回配本)
《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12935343873.html(第1回配本)