ざっかん記
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川崎、




齊藤栄一氏の棒、エセンツ・フィル公演、済む、オール・シュトラウス・プロで、《ヴィーン・フィルのためのファンファール》、《薔薇の騎士》スート、っそして《アルペン》である、

っきのうも日附が変わってから帰宅して、睡たのは2時すぎとかで、っけさは、っこんや室でうけとらねばならない荷があるため、早めに川崎へ往って開演前に食事かとおもっているも、遅く起きて、慌てて身支度をするのもいやであり、食事は終演後でもまあ大丈夫だろうとて、11時すぎにアラームを掛けて、っさらにごろごろしている、っけっきょくは起きてややせかせかと着替えているのだが、

齊藤氏の棒へは、っついせんじつ、初めて接したのであるが、っきょう《、、、ファンファール》や《薔薇、、、》のとくに開始からしばらくなどを観ていると、こんなにちょこまか振られる方だったかしら、っとおもい、1拍1拍かなりに力まれるので、っよく弾けるオケのトュッティは、っやや無理強いの感触がするほどである、

っそれでも、次第に熟れてくるようではあり、〈ワルツ〉など、齊藤氏はあいかわらずの延々たる123123だが、オケのほうでそれなりに優婉な手応えを出される、

《アルペン》は、〈登頂〉がきのうの坂入氏よりもじっくりと構えられていて立派であり、っきょうはこちらで落泪した、っほんとうに、音楽の観せてくれる世に最も雄大な景色である、

対して〈日没〉は、坂入氏に軍配、最後の〈よる〉の下降グリッサンドも、坂入氏のほうがもっと聴こえよがしの演られ方で、っぼくにはそのほうが断然うれしい、

っさて、王将王将、っただあそこの王将、っぼくのぽんこつキャリアだと、っぜんぜん電波が入らないんだよなあ、厨房もホールも極めて安定していられるので、っそこだけが玉に瑕だ、王将や電子決済のアプリケイションさえ碌に提示できやしない、



っああそれで、っお次はまた土曜、っなにも予定は入れていなかったのだが、調べてみると、日吉の入ったことのない小器にて、っこないだ、っえ、ブザンソンだったか、っそうだったとおもうが、っそこを勝たれた米田覚士氏がアマチュアを振られる公演があり、っおもしろそうなので行ってみることにした、っよる公演もないのか探すと、曳舟の、っそこも行ったことのないまた中小器にて楽聖を演る公演があり、梯子する、っこれでこんげつは全土曜ダブル・ヘッダーの、計15公演となった、っこれでも規定出勤日数は満たしているので、我ながらたいしたもんだ、っらいげつがねえ、18公演で、っとくに後半は連日のように平日にプロフェッショナルを聴くので、っそれでも出勤日数はほんの1日欠けるか欠けないかなのだが、平日公演があんまりおおいとねえ、残業ができないもんだで、っそのぶん月の前半にいつもより遅くまで仕事をしておかないとな、軍資金が減じてしまう、っただ、幸運なことに、っこないだのボーナスで購っておいた株式がわずか1月の間に30%も値上がりしたので、やったー、っと一部売却して、労せずしてかように稼げてしまうと、っまいにちの残業も徒労に感ぜられてならない、っま、辛抱辛抱、稼ぐに追い附く貧乏なし、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

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《ぶきっちょ》(全4回)

 

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《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)


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錦糸町、




坂入健司郎氏の棒、ザ・シムフォニカ公演、済む、演目は、フルトヴェングラーの改定になるというスコアによるシューマン《4番》、っそしてシュトラウス《アルペン》である、

都心の試掘はあさ5時だ4時半だに起きねばならず、っよってこの2、3日はとりわけ睡眠時間がみじかく、っきょうは午の公演もいまも、っとくに前プロ時はかなりに睡くてしまった、っそれでも、完全に睡りへ堕ちる時間はなかったとおもうが、

っいまは事後、っここでの公演時のお定まりで、浅草橋までとぼとぼと歩って、っそこの王将である、隣のおっちゃんがくちゃくちゃ食べる人で不愉快であり、早く耳をインナー・ヘッド・フォンで塞いでしまいたいが、っぼくは飲食店で、オーダーしたものが綜て揃うまではけっして両耳を塞がず、片耳を塞いでいても店員さんが商品を持って来られた際には外すようにしていて、早く出揃って不愉快サウンドをシャット・アウトしてしまいたいとおもうが、っお蔭でいま、っそれが成った、親の躾はどうなっているんだろうねえ、食事ひとつ綺麗にできないというのは、人生の一大損失だし、っなにより傍迷惑阡萬だとおもうが、っこのおっちゃんも、っぼくにこんなところで蔭口を云われているとは、夢おもわないことであろう、っざまみさらせってんだっ、メシくらい上品に喰いやがれっ、

シューマンの時点から、絃は全員が乗られる、曲趣にとって過剰な分厚さともいえるが、っそれにより、篤い浪漫が滾る、1楽章の序奏が高潮する部分など、作家の切実な思念をそっくり我が事として体験するようで、演奏もまことに所を得ていた、

主部は暗い情熱の疾驅で、っそれでもどうとか音楽的のよろこびの発見に努めた心算が、睡魔の脅威のほうが優ったようである、朧げには音を捉えていたが、所感を述べうるだけの記憶はない、

っその代わり、《アルペン》は全曲をちゃんと聴いていた、坂入氏は、っこれまでにシュトラウス作品はお振りになったことがないとのことで、下振りの代役で同作家の作をこの楽団と演奏して爾来、初めてシュトラウスを演るとしたら同団と、っと期されていたらしい、

っいまだ青いというか、腰のかるい部分もいくらかあったようにおもうが、坂入氏らしい、刻一刻と丁寧に仕上げられた快演であった、

っきょうぼくとして感泣へ噎ぶことがあったとしたら、っそれは〈登頂〉よりもむしろ〈日没〉であり、木管のあどけないばかりの無垢がすでにして胸へ迫り、絃の祈りはどこまでも果てしなく棚引き、っなんとも名状に堪えざる時間であった、

最後の〈よる〉の終局、Vnの下降ポルタメントというかグリッサンドは、っあれをちゃんと活かさないまま《アルペン》を了わらせてもらうわけにはゆかない、っしかし世のおおくの演奏は、ほうらっ、こんなにもグリッサンドっ、っというふうにしてくれないままで、素人の客のほうでしんからおもしろい音を慾しがっているというのに、っどうして肝腎の指揮者のほうがさようの血の気の薄い人ばかり澎湃としているのかと訝らずにいないが、坂入氏は直前の管を収められた後、っちゃんとそのためにたっぷりと時間をとって、つつううううう、っとそこを滑り降りてくださり、っこちとらも音とともに文字通り溜飲を下げる、



っさて、っあすも《アルペン》、齊藤栄一氏の、っあすもまた川崎での公演である、

隣のおっちゃん、追加オーダーが通っていなかったらしく、10分以上も待った上での再註文で、っよい気味である、っくちゃくちゃものを食べるというのは、大人になってからでは矯正しえないものなのだろうか、っそれをおもうと人の親は、子供にくちゃくちゃものを食べてはいけないと躾けることができただけでも、っおおきに親たるの責めの一端を果たしえているのではないか、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

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《ぶきっちょ》(全4回)

 

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《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)


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川崎、




森口真司氏の棒、っみずほフィル公演、済む、演目は、ドヴォルザーク《フス教徒》序曲と《8番》との間へチャイコフスキー《カプリッチョ・イタリエン》、

っおとついは日暮里の駅の脇、っきのうは新宿矢来町、新潮社の裏っ手の試掘で、っきょうは午前のみ仕事をし、っといっても、社用車を聖蹟別棟で洗車し、本棟へ戻したっきりでもう午であり、聖蹟へ駐輪して来る、

っこの楽団は、っやはり森口氏の棒になる先回の公演を聴いたろうか、大手行員の集まりなのでそれなりの腕かと期待したらさほどでもなかったという印象が遺っているが、っきょうもそうで、《フス教徒》が始まると、木管を享けた絃はまるでぴりっとせず、このレヴェルかあ、、、っとかなり苦々しく感ずる、

っところが、っわりとすぐに暖機が完了し、っこの序曲が済むころにはまずまずの快音が得られている、

チャイコフスキーもその余勢を驅り、曲想もあって、っさらなる生彩を加うる、

長丁場のシムフォニーではふたたび箍が弛むかと惧れるに、小品と同等の集中力が全曲を一貫し、森口氏の衒われぬ造形がよく伝わる、



っさて、錦糸町へ移動して、っこのあと坂入健司郎氏のザ・シムフォニカとの公演である、っこの団体は昨年、柴田真郁氏とマーラー《大地の歌》をなすったはずで、っその際にはソリスト、っとくにテノールがまったく曲に不適であったが、楽団自身はとても巧くていられたとおもう、っきょうはシュトラウス《アルペン》であり、っその点ではなんら心配がなかろう、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

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《ぶきっちょ》(全4回)

 

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《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)


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桜木町、




海老原光氏の棒、横浜フィル公演、済む、ロシアン・プロで、グリンカ《ルスランとリュドミラと》序曲と、ハチャトゥリアン《マスクェレイド》スートを舞台の進行順へ並べ直してと、休憩後はショスタコーヴィチ《12番》である、

年末からせんじつまで、王将が矢鱈と割引券だのスタムプ・カードだのを配りまくっていたが、っその大半の使用期限がわずかこんげつ末ときていて、使い切れやしないので、っまいにちのように王将である、っけさはまた、っせんじつ南大沢店へ寄るに、アプリケイションへ当該店舗でのみ使用可能のクーポンが附與せられており、っそれはほんの数日の期限であって、っそれを使うべくまず同店へ寄り、っほんのかるく食事を摂ってから堀之内へ駐輪して橋本、桜木町と移動す、っそれで、っいまも公演事後、東神奈川までのんびり歩って、っまた王将へいる、

海老原氏の棒へは初めて接する、っご登壇から、競歩の選手みたようにコワい速度で袖から出て来られ、演奏へ懸ける気概を秘めた顔相もまたコワい、中央まで来られて、っぼくらへ向かいてにこりとされるその笑顔もまたまたコワい、っびしっとした辞儀もまたまたまたコワい、っなんだかあれだ、冗談の通じない体育教師でもみるようだ、この人の前で下手なことをしたらただじゃ済まないぞ、っという、穏当な好漢然とした顔写真からはとてもそんな方だとは想像しえなんだので、演奏が始まらない前からやや意表を突かれる、っなんでも、初練習の際の氏は、あなたがたの本気を惹き出すべくショスタコーヴィチを撰んだ、っと意気込んでお話しになったとのことで、客席から観ていても、っさようの熱血漢でいられるのだとよくわかった、

演奏も、っその予断に違わぬまったき眞剣勝負である、っきのう神奈川フィルを聴いていて、っこの器は潤澤という点ではサントリーに優る音の濡れ方、空気の孕み方だとおもうが、っさようの音場で凛烈な楽音を客席へ届けるには、楽団は精妙を極めた奏楽を事とできなくてはならない、神奈川フィルはその優なる達成であったが、っきょうの横浜フィルは、グリンカの開始から、絃は、音量は出せているが、っみなで束になった音がもっさりしており、っぼくも年間100回超と、っしょっちゅうアマチュア楽団を聴いているので、ああ、中級以下の団体か、っとおもう、

っところが、っすぐさま本調子へ達せられるようで、っこの再現を迎えるころには、っすっかりピントの合ったアンサムブルへ更新せられている、

、、、って、っしまったっ、王将、手持ちの割引券だののうち、っこんげつ末使用期限のものはどれも餃子2枚オーダーで1枚無料のものばかりだのに、当の餃子を1枚っきり頼まなんだ、敢えなく、年度末使用期限のものを叩く、、、ったたくでなくはたくね、っこんなことをしているバヤイではないっ、っまだ10枚以上あるのだ、っこれからまいにち王将へ寄らねば、

っいまは同店の向かいのSC店舗前の喫煙スペイスで、っここへはコメダが入っているので、っこれを書き上げるまで、寄るとせむ、

閑話休題、っそう、っじきにとても快い合奏となって、っそして、海老原氏の造形がまたすばらしい、っこの曲は、っきょうの解説によると、スコアへも可能な限り速くという作家の要求が書かれているとのことだが、っともすると速度のみを目的とした奏楽へ陥り勝ちで、っしかしオーケストレイションはぞんがいおもしろい個所がいくつもあるのであり、俊速へ感けてそのことが蔑ろにされ勝ちとなるのが、っぼくとしてはいつもざんねんである、っしたところ、海老原氏のテムポは、楽団の精度に鑑みてか、っつんのめるごと疾走ではなく、抑えが効いている、っそのなかで、ティムパニや絃のピッツィがちゃんと効果的に鳴る、ったのしい、

って、コメダ、外までぞろぞろと行列、多摩センへ戻る、癪だからそちらの同店へ寄らむ、

閑話休題、世の速いばかりが取り柄で、っしっかりとした音の質量を伴なわないすっかすかの奏楽を行なって憚らない音楽人たちは抗するだろうか、可能の限り速くというのが作家の求めだ、っと、っぼくは云わむ、速いなら速いでかまわない、しかしそのなかで書法のおもしろみをちゃんと伝えろよっ、その妙味を捨ててまでテムポを上げるのが、作家の慾しい音だとでもおもうのかっ、っと、っそのおもしろさがあれもこれも脱落欠落しているのに、速さだけ速くて、っそれがいったいぜんたいなんだというのだ、っぼくにはいつもながらまったく不可思議なのだが、演奏家というものは、っさようのことをみずから気になさらないものなのだろうか、俺たちのいまのこの演奏って、速いには速いかもしれないが、それ以外のおもしろ要素皆無じゃん、っとかと、っじつに、よりおもしろく音楽を届けたいという舞台人としての気骨はないのか、っと疑らずにいない、

、、、っあ、っちがうわ、っきょうは多摩センじゃなくて堀之内へ駐輪して来たんだった、っじゃあしょうがねえ、唐木田の同店へ行かむ、

閑話休題、短小なこの楽曲でしかし、っちゃんと満足を與えてくれて開幕するというのは、っとてもうれしい、っつづくハチャトゥリアンでも、時を追う毎に楽団はますます覇気を獲得され、〈ワルツ〉が最後の曲順だったが、っそこではまさしく絢爛たる夜会が眼前へ展開するのであった、海老原氏の棒へは、彼氏の慾しがっていられる音の表情、強弱、イミッジが明確に顕われ、っそのとおり、っじつに適切かつ豊富多彩なアイディアが演奏全体を満々と充してゆく、っこちとらもおもわずに、ううんっ、まったくすばらしい指揮者だ、、、っ、っと唸ってしまう、

ショスタコーヴィチでは、開幕直後の不振からすれば見違えるほどの雄渾の響が得られており、冒頭の中低絃も、高絃も、っすでにしてただ物理音であることを止して、革命時のロシア人たちの悲愴な覚悟を吐露せる、

主部は、ムラヴィンスキーみたようなサディスティックなテムポは他の誰にも採りえず、海老原氏はここでも腰を据えた速度へ収まり、っそれでもアマチュアの楽隊にとっては気の休まらぬ変拍子を伴なうショスタコーヴィチ一流のシムフォニック・アレグロだが、やっと音を出すっきりでもうあっぷあっぷ、っなどという次元へ留まることなく、っやはりよくよく表情が附いており、定め所では、指揮者オケともども、鬼気迫る集中力がすごい、

っそしてこの稠密な仕上げは、全曲アタッカの長丁場全体を支配しつづける、っなるほど、海老原氏によって楽団はまんまとその本気を惹き出され、っご当人等もまことに会心であろう終結へと逢着したのであった、っそのフィナーレ終局の発奮など、っまことに痛快で、金管群はぞんぶんに音量を出されながらもなお音の抜けがよくていられ、絃の主張が掻き消されることなく伝わる、っそれにより、和音の色や転調の妙が鮮明に発揮せられ、音圧の凄みと音楽的經緯の明快とがふたつながら達成せられていた、

っあれだけ微に細にと音楽が剋明に意味附けられながら、っではつけいる隙がほんの猫の額ほどもなくて窮窟な悪印象を與えられたかというとさに非ず、壮年の海老原氏は、っどんな表現でも抜かりなくやり遂せてみせるというあり余る体力気力とともに、っいっぽうで泰然として音楽を拘束してしまうことがない気風というものも掌中にされており、っいま音楽人として、っまさにまさしく盛夏の時代を生きていられるのかとおもう、っまたぜひに、彼氏の棒になる公演を聴いてみたいとおもわされたことだ、



っさて、っいま堀之内の喫煙スペイスまで戻って、っこれから唐木田のコメダへ寄るが、っお次はこんどの土曜、森口真司、坂入健司郎両氏の各公演へ梯子、3週つづけてダブル・ヘッダーかよ、、、っお気楽な遊び人だね、っぼくってや、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

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《ぶきっちょ》(全4回)

 

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《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)


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川崎、




山上絋生氏の棒、オーケストラ・ネージュ公演、済む、演目は、吉松隆氏の《朱鷺によせる哀歌》と《カムイチカプ》シムフォニーとの間へコープランド《アパラチアの春》、っおそらくそうかなとおもうと、っやはり吉松氏は来場されていた、巨漢でいられるので、脚がお悪いのだろうか、杖をつかれていたが、

っぼくもいちおうは敬意を表して、インナーへ鳥のプリントせられたシャーツを着て来る、っさように着るものを撰ぶのもまたたのしい、っただ、朱鷺に関しては、以前に武田邦彦氏が、あの保護活動というのは眉唾というか欺瞞で、謂うところの補助金ビジネスにすぎず、朱鷺に対してはむしろ虐待行為だ、生存しえない環境へ無理無理放鳥して生きろ生きろというのだからかわいそうで、絶滅させてやるほうが彼等のためである、当のセンター長とも議論をしたことがあるが、苦々しそうな貌をされ、その後は疎んぜられてしまった、っとおっしゃられており、っうかがってぼくははげしく溜飲を下げたのだが、吉松氏はそうした実態をご存知であろうか、野生の動植物などを引き合いに出しながら人類の卑小猥雑におもいを致した気になるというのは、っじつに危険な陥穽である、っさようの気附きを與えてくださるという点で、現今、武田氏の右に出る者はいまい、西部邁氏が亡くなられて以後、歯応えのある言論人をなかなか見出せずに、っぼくも精神的のぐらつきを嘗めないとしないが、っそこで氏の存在はおおきいなあ、っそれも文系の人とはおよそ切り口が異なって、そんな角度から社会を論じてくんのかいなっ、っという快い知的昂奮がある、っさいきんはわりあいに射程のみじかいお話ばかりされるようで、っぼくとしてはもっと大所高所からの言説をうかがいたいとおもうが、

多摩美で教えられていたとおっしゃるんだよ、っそれも20年も、旭化成を50歳でお辞めになってそれからのアカデミー・カリアでいられるから、っぼくの在学中にも多摩美にいらしたはずなんだ、知っていたらぜったいに講義を履修したところだが、痛恨事なんてもんじゃないね、多摩美でのこともたまにお話しになることがあって、曰く、君たちのディザインというものにはおおきな力があるんだ、科学的、あるいは社会的に誤っていることでも、ディザインの感化力というもので社会をそちらの方向へ曲げようとすれば曲げられてしまう、だから君たちのディザインの中核には、なにをおいてもまず高度の倫理観というものがなければならない、誤っているとわかっている仕事をわかっているままに引き受けるということをせずに、断わる勇気と矜持とを有たねばならない、と学生によく云ったもんですよ、っと、っみなみなさまもご自身の学生時分を追憶されると、こんなことを臆面もなく云える先生は100人に1人だっていやしない、しかしほんとうに出逢いたかった先生とはじつにそういう人なのだ、っとの熱いおもいに驅られることでしょう、っぼくはその人の講義を受けられるチャンスがあったのに、っそれをみすみすふいにしたんだから、惜しいなんてもんじゃないよ、

画学生のときに受けた講義でいまでもときたま想い出すというと、っいつかにここで触れたのかな、倫理学を担当されていた樋口克己という先生だな、阪神ファンのひょろひょろしたおっちゃんで、っぜんぜん人気がないからまいかい10人くらいっきり学生は教室へいないんだが、1年を前後半に割って、前期は放送大のための東大の黒田亘氏のテキストで講義をなすって、っご専門はたぶんニーチェだから、後期はニーチェ《ディー・フレーリヒ・ヴィッセンシャフト》の㐧4書かな、っそこから主要なフラグメントをかいつまんで解説してくだすった、クラッシックのあれこれの題材やモティーフになっているからいつかニーチェをちゃんと読みたいとおもっていたが、無学なぼくでは、独力ではぜんぜん歯が立たない、っそれをこの樋口先生が、きのう阪神敗けましてねえ、自棄酒ですよ自棄酒、、、っとかぶつくさこぼしながら話されて、っそれで朧げながらにでも、ニーチェへ接近することができたとおもう、っいまでもアフォリズム番号を憶えている、っそのいちばん終わりのほう、364番かな、、、っあれ、っちがったかな、ったしかそうとおもうが、っそれが〈最大の重し〉といって、ニーチェが彼の永劫回帰説へ初めて言及した1文とされているんだ、っそんなのぼくが自分の力で読んでもなんのこっちゃさっぱりわけがわからんかったのだが、樋口先生のお蔭で霧が晴れるようにぜんぶよくわかった、っあんまりおもしろくって毎週たのしみでたのしみで仕方がなく、単位を貰ったのに、次の年も欠かさず出席したからなあ、君に単位あげませんでしたっけ、なんで来るんですか、っみたような怪訝なお貌をなすっていたものだが、や、あなたのお話がめちゃくちゃおもしろいからですよ、っという、

っなんでこんな話になったのかわからないが、オケは、先週の東大フォイヤーヴェルク管に敗けず劣らずの名楽団、メムバーの方は、っそれこそフリュートの1番はポラリス・フィルの鳥居氏だったし、っほかにも、Orchestra Canvas Tokyoなどで見たことのある顔がちらほら、っここあたりの在京の名うてのアマチュア楽団は、相互に楽員が重複していられるらしい、

っそうした楽団を得られたときの山上氏はつよい、

吉松作品は、っどちらも吉松吉松した音がしていて、っしかも、《5番》などは全体にポップな感触へ、寄りすぎとはせぬまでも、っでもだいぶん寄っており、吉松イディオムも、っそう書くことが目的化しているような気がややするが、っそれからすると、《カムイチカプ》などは、っかえってアカデミックに聴こえ、各部のオーケストレイションも、内容のために必要な形式として主張するようにおもえた、

コープランドは、曲のタイトルくらいは誰でも知っているが、っぼくもぜんぜん聴いたことがなく、っあんなに長い曲なのかよ、っけれども、精妙なオケによって、っずっと透明なひびきがしている、

アンコールなしで、済んで21:20、



っさて、っあすも桜木町、海老原光氏がショスタコーヴィチをなさる、っあすは日曜だからカレー屋は休みだね、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

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《ぶきっちょ》(全4回)

 

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《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)


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桜木町、




っもうよるのほうの公演も済んだのだが、っまず午のほう、松本宗利音氏と神奈川フィルとの公演、演目は、ビゼー《祖國》、ジュゼッペ・ジッボーニ氏を招いてパガニーニ《1番》コンチェルト、っそしてメンデルスゾーン《イタリィ》であった、

っほかにやらねばならないことというのは、っきょうはこれと同時刻にサントリーにて広上淳一氏と日本フィルとの公演があり、っその配信があるのだが、演目はカミーユ・トマ女史とのサイ《セロ・コンチェルト》とショスタコーヴィチ《15番》とで、っその視聴権を購入しておいたが、前者は権利関係からライヴ配信のみでアルヒーフ化はなされないとのことで、っこちらの開演前に動画を再生、録画を開始し、堂内は電波が遮断せられてしまうので、外のコイン・ロッカーへ放り込んでおかむとおもったのだ、

っところがこれは失敗、っぼくの契約しているiPhoneのキャリアはしょぼいので、っほんの鉄筋コンクリート造の建物へ入ったり、人集りのしている場所であるっきりで、動画などはまったく読み込めなくなってしまう、

っそれで諦めて大人しく松本氏の公演を聴き、出てきて未練がましくそのペイジへアクセスしてみるに、っまだサイ作品のほうも視聴しうる状態であった、っそこで、スマート・フォン用の保存アプリケイションで落とさむとするが、2時間超の動画でおそろしく時間が掛かり、っやっと100%まで来たとおもったら、失敗しました、っと来やがった、

っそれなら録ってしまえというので、カレー屋を出て横浜駅へ歩き始めるときに再生、録画を開始し、駅の喫煙スペイスでコンチェルトは最後まで録ったが、2楽章の了わりがけで2度ほど、っほんの一瞬、画が停まるなり音が飛ぶなりした、っその部分をあとで再生してみるに、画源自身にはさようの瑕疵はなかった、

っまだシガレットを服みつづけながら、ソリスト・アンコールにバッハが弾かれ、っこれが済むところまで録って川崎移動にちょうどよい時間かなとおもうが、っなにかもう1曲あり、っそろそろやばいなと喫煙スペイスを出て雑沓せる駅のコンコースへ歩くと、っやはりだめで、動画が停まってしまった、

コンチェルトはいちおうは録れているので、詮なくその録画はいったんそこで停め、川崎へのJR車中で2曲目のアンコールの部分のみ録り直す、

っいまよるの公演が済むと、っまだサイ作品も観られる、画飛び音飛びのところがざんねんなので、SIMなしのほうのiPhoneをテザリングし、南武線の車中で再度、録画中であるが、っやはりしょぼキャリアで、小杉や溝の口などのおおきな駅へ停車すると動画も停まってしまう、っそのたびに録画を停めて、楽員が袖から出て来られるところまで戻して何度も録画し直しである、

日附が変わるまでは同部分をカットしないままであってくれれば、帰宅してPCを使えば、優にデイタを落とせる、、、っとおもっていたらダメだ、っいまちょうど22時を回るが、っやはりいったん配信が停止せられてしまった、っま、っでも、っごくごくかすかに飛んだ個所があるが、コンチェルトもアンコールも録るには録った、録りながら耳で聴いていたが、っぜんぜん調性音楽だし、っわりとライトな、っけっこうおもしろい曲である、ライヴ配信のみと云う条、22時までは観られる状態にしておいてくれたことに感謝せむ、トマ女史はずいぶん大柄の女性で、薄い山台の上で弾かれていたが、済んでそれより2倍3倍の高さはあろう指揮台上の広上氏と手を繫いで並ばれると、っほとんどおなじ位置に頭がある、

、、、っあんなスマート・フォン・アプリなんぞへかかずらっていずにさいしょっから画面キャプチャで録っていればなあ、っもっと慌てずに保険で2回か3回かは録られて、っよいものを遺せたろうに、っまあしょうがない、

っさておき、松本氏公演だが、ビゼーが鳴り出す瞬間から、っとても好い音がする、彼氏の棒へは、アマチュア・オケのほかに、東京シティ・フィル、N響、っそしてきょうの神奈川フィルと接したが、っどの楽団を振られても、最も快いオーケストラの音というものが、っいつも難なく出ていられる、シティ・フィルや神奈川フィルは、っときによってはいまだ限界を感じさせるアンサムブルを晒されることもあるが、っさようの心配はまったく要らない、

シティ・フィルとのブラームスもそうだったが、アレグロが、っそれ以上倒れると忙しなくて落ち着かないとの悪感情を懐かせるというぎりぎりのところで踏み留まるような感触で、っいつもかすかに前へ前へと倒れているのが、っぼくはとても気に入っている、っもっとぜんぜん倒しっ放し倒してしまって、オケが上滑りを来たしてちゃんと弾けていなくとも、知らん顔で棒だけ振りつづけているという指揮者はわりに大勢いるのだが、松本氏は倒して緊張させながら、っしかもオケはしっかりとよく鳴らしていられる、

コンチェルトのジッボーニ氏はどうだろうねえ、っなにしろぼくはゆうべ佐藤久成氏を聴きましたから、っそのゆうべのきょうだと、世のふつうのヴァイオリニストというものは、あんなにも音色、音の質感の幅が狭いのか、っとおもわずにいない、っとくに1楽章が奮わず、彼氏のご登場から、附点の音の処理がずいぶんとぞんざいだし、走句では末梢の末梢まで神經が通わず、小手先へ流したような手応え、男の奏者なのに、全体に音が瘠せ細っていてみすぼらしいのも気懸かりだ、日本人の奏者はみな律儀だから、っもっと細部までちゃんと弾く人がおおい、欧州の人たちにすれば、っあれでもぜんぜん弾いた心算なのかもしれない、っでもなあ、っぼくはこの音場で神尾女史とか日フィルの千葉女史とかの同楽器のソロを聴いているけれども、っおふたりとももっと遙けく細心で、っかつゆたかな音響を発せられていたとおもうがなあ、

N響とのときには《スコッチ》を聴き、っきょうは《イタリィ》だったが、シティ・フィルとのブラームスといい、松本氏のまっすぐなスタイルには、っかかる作家がとてもよくお似合いだ、っといって、若さの突進一本槍というほど青いのでなく、っどうもあれだね、っいまどき珍しいほど、点を打たれない棒なのだ、っだから、合奏はよく解れて、硬直してしまうことがない、っときに瞑目して聴いていると、っむしろどんな大家の棒かと驚くくらいである、

っだいぶん先に、神奈川フィルの若いコン・マスのソロで《メン・コン》と、ブラームス《1番》と、っという日フィルとの荻窪での公演がおありで、っぜひ聴きたいとおもうが、平日なのに15時開演なんだよなあ、現場をやっているとしたら聴きに行けない、



記事を改めて、川崎、



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《襷  ータスキー》(全4回)

 

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《ぶきっちょ》(全4回)

 

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《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)


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っなななんとっっっ、




朝比奈さんのマーラー《5番》音盤、発売成るっっっ、

っこの演奏が為されていたというのは周知の事実で、っしかしかの同《夜歌》音盤のブックレットによると、っなんだったかな、テイプの經年劣化かなにかのために、っとても市販に堪える音源は得られないとかということだったとおもう、っそれでみな朝比奈さんの同曲ディスコグラフィは絶望視していたのだが、っどういうことなのかな、劣化したテイプを修復する技術が進展したのか、っあるいはまったく別のテイプが存在しており、っそれが発掘せられたのか、商品説明を読むかぎり、っちゃんと平澤氏の収録された音源とのことで、っしかしこちとらからすれば、っいやだからその正規音源がテイプがワカメになっちゃうかしていて再生不能なんでしょというところなのだが、っあれかなあ、っいまはもうテイプをプレイヤーで再生しなくとも、っそこから音声デイタを読み取ったりする技術があるのかしら、ワカメのテイプでも、レーザーかなにかで3次元的に読み取りしうるから大丈夫ですよみたような、っもしくは、っもっと単純に物理的にテイプのよれをまっすぐに戻したのか、っそうでなければ、平澤氏がダビングするか、演奏会当日に複数本を回すかされていたテイプのうち、っこれまでは劣悪な状態のものっきり現存を把握できておらず、っこのほど、っより良質の別テイプが出てきたのか、っま、っそのへんの委細もこんかいのブックレットへ記載せられているとのことだ、

っつい先般、ヤマカズさんの新響との同曲が音盤化せられたばかりで、っこれで往時の東西2大巨頭の競合となる、ったのしみに聴き較べるとせむ、



っいまは横浜線車中、午前のみで仕事を了えて、っこれから桜木町にて、松本宗利音氏と神奈川フィルとの公演、っそれと並行して一寸ばかし厄介なことをせねばならないので、っだいぶん緊張してきました、っま、気を揉んだって詮ないことなのではあるも、

っそのあとは、っまた例のカレー屋へ寄ってから川崎へ移動し、山上絋生氏の公演、吉松《カムイチカプ》シムフォニーを実演に聴きうる稀少な機会である、っいまだ田舎へいるころ、っぼくは名古屋フィルの定期で聴いている、っいまでもプロを憶えているな、藤岡幸夫氏の棒で、外山《ラプソディ》に開幕し、横山幸雄氏のソロで伊福部《リトミカ・オスティナータ》、っそして《カムイチカプ》の演奏前に、来場されていた作家と藤岡氏とが舞台上でトークをなすったのだった、っただ、っぼくもガキんちょだったので、曲はあまりよくわからなかった、っそれからも積極的に音盤に聴いたりはしていないが、彼氏の《5番》はわりに気に入って藤岡氏の音盤をくりかえし聴き、っまったく聴いたことのなかった同《3番》へ原田慶太楼氏が関西フィルを振られた公演で触れると、え、《5番》とまったくおんなじ曲じゃん、ってなものだったので、っきょうも音が鳴り始めれば、ああ、吉松吉松しているなあ、っという個所をいくらも認識しうるはずとおもっている、ったしか、彼氏としてはわりかし規模のおおきな、小1時間くらい掛かる曲だったかしら、5楽章制くらいかな、っちがったかな、ジャジーだったりロックっぽかったりするところもあるはずだから、っいまなら聴いてさほど取っ附きにくい曲想ではなかろう、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

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《ぶきっちょ》(全4回)

 

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《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)


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上野、




小器にて、佐藤久成氏の無伴奏リサイタル、済む、演目は、イザイ《2・3番》とバッハ《2番》とで休憩、後半はバッハ《1番》とバルトークと、

済んで御徒町の王将へ寄りたいとおもうが、アンコールは、彼氏の定番演目のアド・リビトゥムなパラフレイズで、チャイコフスキーのコンチェルトの1楽章カデンツの一部に始まり、《浜辺の歌》からボーム《カヴァティーナ》を經てマスネ《タイース》〈メディタツィオン〉へ遷り、最後は袖へ退き加減にぼくらの笑いを誘われながらのゴセック《ガヴォット》の一節にて幕、器を出るときが21:18で、1駅猛然と走り、L.O.ぎりぎりの王将へ駈け込む、っお蔭をもって晩餉を摂りえた、

っやや久方ぶりに佐藤氏の楽音を浴びるが、っきょうはピアノの相方がいられないこともあって、っいやはや、、、

っいやはやですよまったく、開幕、登壇されて、拍手も止まないうちからイザイ《2番》が鳴り出し、〈ディエス・イレー〉の鏤められたそれは、夜陰に乗じてぼくら全お客をめった刺しのめった刺しに襲撃、堂内はいきなり眞っ赫っ赫な血の海となる、音楽界の通り魔、サトウ・ヒサヤの大見参とはこのことだ、

同《3番》は、単一楽章で、バラッドとの副題を有つが、ってっきり、深甚なる思念を迸出せる冒頭へつづいて纏綿とした曲想が展開するのかとおもいきや、っぜんぜんちがって、っおよそ狂気の沙汰の連続である、っあたかも、前曲において惨殺せるぼくらお客お客の累々たる屍を睥睨されつ、舞台でたったお独り、血走る眼を剝いて呵々と大笑せるごとで、っぼくは客席で、生きて感官が機能していたのか、っはたまた死んでいたのか、っいま想い出してもまったくわからない、

っあらためて、っわずか1挺のヴァイオリンが、っなんと広大無辺の音響体を具現することであろうか、っこちとらときには、自分がいまいったい音楽を聴いているのか、っそれさえ不明となってしまう、

バッハは、抜け切った発音の1楽章に始まり、イザイでみずから手に掛けた死者へ向けて平然超然として鎭魂歌を唱えらるが、一転、2楽章の長大なフーガは絶えずぎしぎしと軋んでまたも聴く者を落ち着かせない、3楽章も、伴奏と上声とを往ったり来たりする書法が、緩徐よりはどこか悄然たる遣る瀬なさをおもわせる、無窮動のフィナーレは、っここでもコワいほどの無垢な音色が一貫して煌めき、ポリリズムのスリルもあり、え、ここドビュッシーじゃん、っという意想外の景色が過ぎったりもする、っひょっと、世に音楽はバッハっきりあればほかは要らないと宣う人士のいることも肯ける気がせる、

っこれだけでもまったくくったくただが、休憩してふたたびバッハ、っこのフーガも、追い掛け合うそのどちらをも意味深に抉り抜かむとされるため、ったどたどしいばかりの訴えである、っあんなのをヴァイオリンのセンセイへ聴かせたならば、ちょっとあなたっ、なんて汚ない音を出すのっ、っと烈火のごと怒り出してしまうこと請け合いである、

っそしてバルトークはもう、、、っあれで既成の楽曲の再現藝術であると信じられる人は、っこの世上へただの1人もいないであろう、っそれはもはや演奏でも音楽でもなく、佐藤久成なる五臓六腑のほんの一分の秘匿とてない暴露である、

演奏も演奏なら曲も曲だよ、《オケ・コン》よりまだ後、作家も最晩年の病床での筆で、棺桶へ片足を突っ込んで書いているようなものだろう、1楽章こそ、開始からしばらくしての、静かなフラジオレットの場面の裏拍で音楽を推進してゆく手応えが、っこんどはコダーイ《ガランタ舞曲》を想起せしめ、ああ、あの地域の人たちの身体へ馴染んだリズムなのね、っくらいにこちとらもわりあいに冷静だったが、っじきにまったくワケワカメとなり、っあとはただ、佐藤久成という一個の命の燃焼を呆然とみていることっきりできない、草葉の陰でバルトークもきっと、俺はこんな曲を書いた憶えはないっ、っと抗議したかったにちがいない、

、、、っいやはや、

っぼくが佐藤氏を聴くようになったずいぶん以前からすると、彼氏もわずかに中年肥りを来されるようである、無理もない、っお互いにおじさんになってきたはずだよ、っけれども、字義通り、音楽人として脂の乗り切った絶頂期を迎えられつあるのではないか、っなるほど、っこんな恐ろしい公演につづけてすぐ来月には楽聖のソナタ全曲公演などという挑戦もなさるわけだ、っぼくはいやだね、っその日が来るのが、草臥れるに定まっているんだから、



っさて、っいま聖蹟の駅の喫煙スペイスまで戻って、っあすは、午前のみ仕事をして、2週つづけて午よるとダブル・ヘッダー、っしかも奇しくもまた桜木町と川崎と、っけれどもあすは午は掃部山ではなくみなとみらいで、松本宗利音氏と神奈川フィルとの公演、っよるは山上絋生氏公演で、演目は吉松隆《カムイチカプ》シムフォニーと、滅多に聴けない珍品であり、ったのしみである、

っそれ以外にもあすはやらねばならないことがあって、っうまくゆくかどうか、っいまからはらはらしているのだが、っまあとにかく、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

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《ぶきっちょ》(全4回)

 

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《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)


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海老名、




小柳英之氏とアーベント・フィルとの公演、済む、演目は、ヴァグナー《ヴァルキューレ》〈ヴァルキューレの騎行〉、っおよびブルックナー《8番》である、後者のファッスングはハースとまこと諾なるものだが、っしかし、2・4楽章のセロの、ここはアルコだよな、っというところがピッツィであったり、3楽章冒頭の絃バスも、っぼくはすべてアルコの奏楽を聴き馴染んでいるのであるが、ピッツィとアルコとへディヴィジせられていた、ハースのなかでも複数のエディションがあるのだろう、

器裏っ手の喫煙スペイスでシガレットを2本ほど服んで19時きっかりに入口へ戻ると、ロビーへは幾人かのお客はいられた、っもう開場時間は回るも、っいまだ堂内からは〈ヴァルキューレの騎行〉のゲネプロが漏れ聞こえており、っこちとら開演までの15分間でもういちど喫煙へ出たいのになとおもうと、1、2分すぎて恆のとおり小柳氏ご自身が開錠へ来られる、入場して席へ背嚢を置き、喫煙へ退出せむとするに、っなんと新響公演のプログラムを携えた女性と往き合う、っすばらしいっ、っきょうの2本立てといえば、っあほなぼくにとりてはこの選択をおいてほかにないのだが、っまさかにもうおひとりいられたとは、醉狂な同好者の存在がうれしい、

っけれども、器裏っ手の喫煙スペイスはかんがえものだ、楽屋口へ接しているため、開演前の楽員の方々も出て来られていっしょに服む格好となる、っそうすると、指揮者のこころ楽員知らずというのか、オケ・マンというのはけっこう勝手なことを放言されるものだ、っこちとら客の一個として、そういう科白は聞きたくないなあ、っと閉口させらることもすくなくない、っさようのわけもあり、加えて、っこの楽団の公演の中途の休憩はいつもほんの10分くらいっきりないこともあって、っそのときにはぐるりと裏っ手へ回っている暇もないため、っべつの場所で服む、

っさておき、果たして、っみごと3日間5公演の掉尾を飾る、っなんとも魁夷なる大演奏の屹立であった、音場のアコースティックも彼等のアンサムブルの性格にぴったりで、っきょうはとくに、全編に亙って絃の果敢な訴えを聴く、頭っ数がすくなくていられ、管との人数差はひどくアンバランス、っそれでヴァグナーだブルックナーだとは、開演前にはどうしても心配が先へ立ったところ、杞憂、各声部が少人数であることから、束になった音量音力よりは楽器楽器に固有のソノリティのアッピールに優り、っその音色の粘着力が、演奏のグレイドをおおきく底上げしていた、

〈ヴァルキューレの騎行〉から、っひびきを全開にした金管群の豪壮さこそは無類で、痛快極まる先制打である、っしかも奏楽はこの指揮者この楽団なりに、っなんというのか落ち着いておられ、っもちろん、っそれは小器用に整えられた世間一般に謂う落ち着きある奏楽とは一線もニ線も画するものだが、っぞんぶんに哮り狂いつ、っしかも悠々と空を征くごと覇気をも具えられるのである、

ホルン群は左右2隊へ分かれ、左が主隊、ブルックナーでは右の隊がヴァグナー・テューバ持ち替えとなる、他の金管群がその後列へ固められるのはいつものとおり、

っそれにしても、午の新響といいさっきといい、っきょうという日にはなにか魔物が棲まっているのだろうか、っこちらもブルックナーの1楽章冒頭から、低絃の動機へ応えるクラリネットが落ちる、っおそらくは、奏者がテムポをよく摑めずにしまい、っどこで吹いたらよいのかおわかりでなかったのだろう、新響はともかく、事故率の異常な高さはこの楽団の代名詞とも謂えるが、っおもえらく、プロフェッショナルとアマチュアとの混合体で、練習は公演近日の数回のみなのだろう、っそうすると、っかえってプロフェッショナルの人たちほど、本番だけきっちり弾けばそれで御の字でしょ、っくらいに高を括られていて、全員アマチュアの楽団のように、長期に亙って練習を積み、っみなで十二分に身体へ馴染み切った楽曲を奏するということでないから、っふとしたときに、音の出所の判断を誤まるということが起こり勝ちなのではないか、

っさように幸先がわるかったのはざんねんだが、演奏は完全に小柳氏のペイス、テムポは遅く、1楽章のアレグロ・モデラートを叶えよ、っとのぼくのいつもの繰り言とはだいぶん乖離があるが、他の楽曲ではスマート専科みたような小器用な人たちが、っこの1楽章に限って敢えて意図してのんびりじっくり歩かむとするからこちとら反意をおぼえるのであって、小柳氏のあれはしんから彼氏の心身に発する速度にちがいなく、っぼくも不思議と抵抗はない、

㐧1テーマがトュッティへ達すると早くも全宇宙の轟きに心身を抱かれ、㐧2テーマの頂点はとうぜんながらほぼイン・テムポ、武骨な歌い口が篤い信念を告白す、

絃のみならず、管もそれぞれにすばらしいこころの通わせ方で、楽曲の魅惑が刻一刻と過ぎってゆく、っいつもながら、小柳氏の不細工な振られ方といったらなく、っとくに弱音を求める際の、っほとんど指揮台上へしゃがみ込まむばかりの勢い、腕をぴんと伸ばして制止の仕種をされるのなど、楽員諸氏も内心、うるせえよっ、っとおもわれながらの奏楽であろう、っしかも、っそうまでして弱音が要求せられても、っじっさいに鳴る音はたいしてよわくならなかったりで、っいまさらながら、指揮者とオーケストラとの関係というもののおもしろさを観ぜずにいない、

同章終局の地獄の沙汰のごと金管の咆哮には慄然、っそしてここでも〈ヴァルキューレ、、、〉と同様、轟然と悠然とが至妙に一体化している、

スケルツォは一転して快速、っだがださださで、楽器楽器の接続は絶えずぎくしゃくぎくしゃくしている、っぼくにはウェルカムなくらいで、っそれよりも、主部はしかし一筋縄ではゆかず、中途の木管が主体となるところでは急に倍ほど遅くなり、トュッティへ発展すると、ティムパニが地の底まで届けよかしと痛烈に打刻せられる、

っこのトリオやアダージョ全体はじつに素朴さの勝利で、ハープは1台のみだが、天楽を見晴るかす音粒が並ぶ、後者は、小ぢんまりとした絃群により室内楽風に情緒を塗り重ねただけに、っついにシムバル、トライアングルを交えて頂点へ達した際のカタルシスも彌増し、コーダの余情も忘れ難い、

フィナーレは、っまことに腰の据わった堂々たるテムポで開始す、絃は全員が必死で前打音のリズムを刻み、っその上へ剛毅を極めた金管が乗る、っもとより遅いこの速度は、㐧3テーマでさらに執念深く腰を落とし、っあまつさえ、っほとんど全体が小さな4つに振られつづけた展開でいっそう深く深く沈んでゆく、っしたがって、再現を經たうえでの1楽章㐧1テーマの回帰はおそろしいなどというものではなく、っそのまま地を這うようにして最後の主題欝積へと到達する、快適な速度で運んだのではまず聴こえて来ないさまざまの対位が縦横に主張を成し、聴き応え満点のフィナーレであった、



っさて、っお次は金曜、上野小器にて佐藤久成氏の、っこんかいは無伴奏のリサイタルである、昨秋にはいつもの時期に公演がなくていられ、っすこしく間が空いてしまっているので、っあの命を削って生き急がれる奏楽も恋しいが、っことしは、今週にそれ、っそして来月にはなんと1日のうちに楽聖のソナタ全曲をなさるというので、っいまから気力体力ともに整えておかねば、っとてもそのパッションを受け止め切れないだろう、望む所だ、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

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《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)


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池袋、




矢崎彦太郎氏の棒、新響公演、済む、演目は、同団のセリストでいられる坂田晃一氏の筆になる今次のための委嘱新作たる《詩篇》を演って休憩し、メインはマーラー《3番》、アルトは池田香織女史、コーラスは東京アルカイク・レディースシンガーズ、東京少年少女合唱隊である、っほんとうは、っきのうのような演目こそ矢崎氏が振られ、マーラーこそ金山氏に相応しいが、アマチュア楽団では、え、この人がそんな曲を演るんかいな、っという事態がままあり、っそれがまたたのしい、

ったっぷり2時間半弱ほどの公演時間とみられ、開演は14:30とやや遅かったので、早めに池袋へ来て先に王将で食事をす、っきょうが押印期限のスタムプ・カードがあったので、っそれがちょうど貯まるだけの金額を計算してオーダーす、

っいまは事後、新宿へ戻って小田急車中、海老名へ向かう、時間にはゆとりがあり、向こうの開演前にしばしシガレットを服んでいらりょう、

っこの3日間5公演では、予断としてはとうぜんながらきょうの最終日に最もおおきな期待が懸かるところである、っが、初日からして、っぜったいに満足を與えらることはないと侮っていた午のマーラー《4番》フィナーレで藤谷女史にがつんとやられ、空いた時間の埋め種の心算で出向いたよるの原田氏にもまたがつんとやられ、っうれしい裏切りであった、

っきょうだが、っまず坂田氏の新作は、彼氏なりの詩篇の音化とのことで、20分前後の単一楽章、戰中、42年のお生まれの氏は、っすでにして80代の半ばをお迎えだが、っいまだ幼くてご自身の戰爭の記憶はなかろうしするも、当曲の不穏な個所では、っそうしたイミッジも想定せられているやに聴こえた、曲が開始してから2個所めのジャジーな部分は、廉恥を破る人間の煩悩を表わすのだろうか、2度ほどの過酷なトュッティの山場を經て、最後は絃合奏の静謐な祈りへと消えてゆく、

池袋は、っあほヴァイアラス騒ぎ以前にはもぎりの脇の戸外へ喫煙スペイスがあったが、っあのときに閉鎖せられて爾来、騒動後も開放せられないままだ、っそうすると、休憩中に喫煙しえず、っまったく時間を持て余してしまう、っあの長大なエスカレイターを下まで降りても、器周辺ではこそこそ服める場所もない、

っさて、マーラーだが、乗っけから、ホルン群へ合わせるシムバルが打てずにしまうという不運な開始、っおそらく、奏者がもう1小節後ろだと勘違いしてしまわれたのだろう、っその後も全体に、新響ならばいますこしくよくピントの合った奏楽が可能なのではないか、っとおもわせる仕上がりではあった、

矢崎氏の棒はずいぶんおおらかで、軌道として汚ないとさえ云えるくらいだが、オケは、弾きにくそうにされる場面もあれ、点画のかちこちしないフォルムは、っぼくの希みに適う、っこの曲は、ダメな演奏だと、そもぜんぜんマーラー《3番》の音色、ひびきがしていない、っとの、悪印象というのか、っひたすらのこころ虚しさを懐かされるもので、っきょうはすくなくもその憾はせず、っどの瞬間も、そうだっ、マーラー《3番》とはかく魅惑満載なのだっ、っと実感しつづけた、件の1楽章の終結部は、っそこでも矢崎氏はずっと4つに振りつづけられるので、結果としてテムポがかなり遅めになり、っぼくとしてとてもうれしい、っあれでしかし、ホルンが最後の最後までごつごつと硬い輪廓のままでトロムペットと並び立っていてくれれば、っまったく云うことはないのだが、音価がこまかくなると、っどうしても聴こえなくなっていってしまう、



っいま音場の前まで来たが、人っ子ひとりいなく、っほんとうにこれからここで演奏会があるのかよという寂しさである、客、俺っきりいねえんじゃねえのか、、、

っそんなわけで、っこのあと、小柳英之氏公演である、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

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《ぶきっちょ》(全4回)

 

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《きりむすぶ》(執筆中・脱稿時期未定)


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