桜木町、 | ざっかん記

桜木町、




っみなとみらいではなく掃部山公園のほうで、沼尻竜典氏の棒、神奈川フィル公演、済む、っきょうは絃メムバーのみによるプロで、三善晃《絃の星たち》、チャイコフスキー《絃セレ》、っそしてシェーンベルク《浄夜》絃合奏版である、三善はVnのソロがあり、同フィルの石田氏、コン・マスはゲストで佐久間氏、シェーンベルクでは佐久間氏が次席へ下がられて石田氏がコン・マス、

っこの公演は、井上キーミツと同フィルとの最期の共演の切符を1日も早く求めたく、っその優先販売にありつかむとして3公演のセット券を購ったうちのひとつである、演目をみるかぎりではキーミツ以外の公演にはさして魅力的のものがなかったような記憶があるが、っまあ消去法で、っあと1公演はやはり沼尻氏との来年のショスタコーヴィチ《10番》を購ったようにおもう、

っきょうは午前のみ仕事をする心算であったが、っゆうべ、会社の暑気払いで日附が変わるころまで調布へおり、2時ころやっと室へ帰った、っあさ7時すぎに起きるは起きられたのだが、億劫で休んでしまう、っで午までごろごろしていて出掛く、

中器ではあるが、前売完売とのことで、ったしかに大入りであった、っそれほど集客を望めるプロとはおもわないのだが、っなんだろう、石田氏などが相当数の固定客を有っていたりされるのだろうか、

《浄夜》は有名な曲ながらまったく聴いたことがなく、っぜんぜん楽想を識らなくて、演奏時間も長く、前2曲はばっちり目覚めていられたので油断していたところ、半分弱くらいは夢のなかで聴いていてしまった、了わりの部分には踊るような楽想が現われ、洒落ているとおもった、

三善、チャイコフスキーはおおきにたのしんだ、っどころか、チャイコフスキーは4つの楽章すべてで目頭が熱く、っじっさいに泪を落としもした、倹しい容積の音場は絃合奏のみでも優に満たされ、っときに烈しいアタックはこちとらの身もこころも揺すぶるよう、っその音量、っひびきの充実感はちょうどこないだの箕面におく坂入健司郎氏と大阪響との公演と同様、聴き古したはずのチャイコフスキー《絃セレ》をまったく甦らせ、っあらためて、なんとうつくしい音楽だろうっ、っとの感激に堪えなんだ、三善も、開幕から神奈川フィルの絃合奏の密度は出色で、曲は、リズムといい和声といい声部の拮抗といい特殊奏法といい、っごく緊迫した構成の快作で、っおよそ息を吐く間もなく惹き込まる、



事後は井伊直弼の掃部山公園で喫煙して音場とは反対の方へ下山し、横浜駅方面へ向かう、前回か前々回かにここへ訪れた際にみつけた大衆食堂然たるカレー屋へ寄り、ビーフ・カツ・カレーを食すと、っその肉はゆうべの調布の鉄板焼き屋のそれに劣らない上等の品のようで、っそれがしかし近年の料理屋のようにディザインフルなみたくれをしていないで、っいかにもぞんざいな盛り附けの大衆食堂のカレー・ライスというふうなのが快い、演奏藝術にも同様に、音楽の本髓のみをしかと見据えて、体裁を繕わないで、音の表面自身はぎざぎざとささくれだっているというそういう音を鳴らして憚らないプロフェッショナルがいてくれたら、っというのは、っさいきんはやや忘れていたが、っいつもぼくの胸底で騒いでいる邪な願望である、っみんなきれいなんだよ、音がさ、っいいじゃん、一寸くらい汚れたりしていたって、



っさて、っあすは大阪日帰り、福島にてキーミツと大阪フィルとのブルックナー《7番》、彼氏と読響とのサントリー最終公演の演目が大幅に変更になったとおもっていたら、元プロの楽聖《6・5番》は、大フィルとのおそらく最期の共演なのだろう11月へもってこられたようだ、流石にこれで引退までの未発表公演も打ち止めかな、っあとまだこれから切符を購わねばならないのはOEK、っこの大フィル、っそして読響ラストか、ったぶんぜんぶさほどの難、発売からものの数分で売り切れるみたようなことはなく購えるとおもう、っま、抜かりなくそれら発売日発売日へ望むとせむ、



みずの自作アルヒーフ

 

《襷  ータスキー》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)

 

《ぶきっちょ》(全4回)

 

https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)