市川、 | ざっかん記

市川、




ネコ・ケン氏の棒、千葉フィルで、シベリウス《春の歌》、マーラー《夜歌》、済む、

高名なるネコ・ケン氏も、っはや70代も半ばでいられる、っご登壇はみじかい歩幅でややよたよたとされており、高めの指揮台への昇降も愼重にゆっくりとというところ、振り姿はじつに静かに拍を示しつづけられ、っときおりアゴーギクにおいて分割を行なう程度、個別声部へのキューは滅多に出されない、

っしかし、千葉フィルというオケは元気いっぱい、テクニークとしてもまずまずで、昭和のスポ根奏楽といったところだ、っぼくは恆頃よりそうした楽音をじっさいの会場で聴きたいとしんから希っているので、っきょうシベリウスが鳴り始めた瞬間から、っもううれしくてしかたがなかった、

っそれでもマーラーはさすがに煩瑣な書法に応接し切れないかと危ぶむのも杞憂、絹漉し豆腐よりは木綿豆腐という肌理の粗いごつごつごわごわとしたすばらしい歯応えの音塊が全曲を一貫し、っひたすらにたのしかった、

っこの曲はちかぢか井上キーミツと新日本フィルとの演奏を聴くこととなるが、っそれがぼくにとってはプロフェッショナルの演奏では初めての機会ではないか、っちがうかな、っどこかで聴いたかな、アマチュアでは数度聴いており、10年以上前、ったしか上野小器の佐藤久成氏リサイタルから梯子したサントリーにおく慶應のヴァグネル・ソサエティのもの、っそして坂入健司郎氏と東京ユヴェントス・フィルとのものと、奇しくも慶應閥が揃っているが、っざんねんながら、っそれらはオケのひびきが薄く、1音1音をもっとスルメみたように噛み締めに噛み締めて味を出してこようという執念に乏しく、っぜんぜん印象に遺らない凡演であった、

っその点できょうは、ネコ・ケン氏の棒はここでも淡々としたものだが、オケの面々の気骨が縦横に発散せられ、痛快の極みであった、市川市文化会館の容積、アコースティックとしても、っそうした汗臭いオーケストラの音を受け止める器としてむしろ最適といえ、っすべての時間をこころゆくまで堪能することが叶った、



っさて、ギロッポンへ移動中、



みずの自作アルヒーフ

 

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