大船、
井﨑正浩氏の棒、戸塚区民オケ公演、済む、
っきょうは、っいま終演してすこしくお湿りもあり、っわりに涼しく、歩っていて汗だくということはない、
演目はフンパーディンク《ヘンゼル、、、》序曲、チャイコフスキー《ロメ&ジュリ》、楽聖《パストラール》で、っいわば標題楽の系譜を遡行するかたちだ、っそしてフンパーディンクはボンの生まれとのことである、
っこのオケはやや非力なので、っそれほど高い期待は有っていなんだが、楽聖の終章などは、衒わない誠実な奏楽が曲の魅惑を曇りなく伝えた、
アンサムブルとしては、フンパーディンク冒頭からホルンは澄明なハイ・トーンをびしばし定めるし、トロムペットなどもよい音を出している、絃は、セロ・バスは分厚くてよいのだが、Vn、っとりわけ1stにちゃんと弾ける人の頭っ数を確保できていないのがいかにも惜しい、っしたがって艶に乏しい、瘠せ勝ちのひびきであり、っこまかい音符でのクレッシェンドなどで風圧が出せない、
チャイコフスキーはついせんじつ森口真司氏の演奏を聴いたが、オケのテクニークとしては同等程度、っあちらが表現表現した造形を峻拒してこそ魅惑的であるのに対して、井﨑氏は、彼氏もオーケストラ・ビルダーとして辣腕にちがいないが、冒頭のクラリネット+ファゴットの楽句からもっと意志的意慾的に強弱や音価のとりかたを差配し、積極的に音楽を語る、諍いの㐧1テーマはこまごまとした動機が殺到する音構造のため、っもうひとつ迫力が出ないのは森口氏もおなじ、悲恋の㐧2テーマにこぼれるような豊麗の歌を望めないのもそう、っこればかりは致し方ない、
同団の夏の公演では恆例となっているというメイン演目前の井﨑氏によるレクチャー、オケに《パストラール》各楽章の主題を演奏してもらいながら、丁寧に全楽章についてご解説があった、っそのなかで印象的だったのは、フィナーレの最後のところで絃合奏に出る㐧1テーマを基にしたコラールのご説明で、井﨑氏は農夫たちの祈りの場面だとおっしゃり、映像のイミッジとしてミレー《晩禱》を挙げられたのだ、っそのおことばがあったあと、同部分をオケが試奏されたのだが、っあの夫婦とおぼしきふたりの麦畑でのシルエットを脳裡におもいつ聴くところ、っひとりでに目頭が熱くなるのを抑え難かった、
っそれでじっさいの演奏だが、1楽章などは、っやはり絃がたっぷりと鳴ってくれないのが喰い足らないが、井﨑氏は無理に音量を要求されず、スマートな姿態のまま名曲中の名曲を語り進む、相対的に管の動きやその潤いが際立つのも道理で、2楽章などは、主題を支えるホルンや木管のシンコープや、2本のファゴットの和音などが、快い耳の刺戟となる、
っそして3・4楽章を經てフィナーレは、音圧に不足した柔和なひびきだけに、時を追う毎に楽音が地を離れ、宙へ浮き、天へ昇るごとであった、変奏のたびに音価がみじかく、っこまかい動きとなってゆく楽聖一流の筆致はそのとめどない創意の象徴であり、絃の刻みへ木管が重なると、っおよそ神韻を聴き、天啓を浴びるここちであった、
アンコールに楽員のどなたかが目敏くみつけてこられたという同《プロメテウス、、、》より〈パストラール〉、
井﨑氏は中1日を置いてあさっても紀尾井町で公演である、
っさてあすはダブル・ヘッダー、午后に市川でネコ・ケン氏とアマチュアとのマーラー《夜歌》、夕にサントリーでやはりアマチュアの同《復活》である、っことしは興味本位では演奏会へ行かないと宣したのだったが、っこの2公演は、ったしか森口氏の公演かなにかを検索しているときに脇目へ映り、切符を衝動購いしてしまったのだった、
みずの自作アルヒーフ
《襷 ータスキー》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351779591.html(㐧1回配本)
《ぶきっちょ》(全4回)
https://ameblo.jp/marche-dt-cs4/entry-12351806009.html(㐧1回配本)