片耳になってしまってから、一年と少し。
病院に入院中は、
意外にも割と不自由無く過ごしていたので、
なんとなく甘く見ていた「片耳生活」。
自分に何も障害が無かった頃は、思いもしなかったことが今、ひしひしとココロを痛めつけています。
障害の重さ?
「軽度障害者」。今の自分はおそらくそれに分類されるのでしょうが、障害の重い軽いって何でしょう?
「障害者への理解」というのがあります。
ある専門の紙面を読んだら、
重度の障害者に比べて「軽度の障害者」への理解の立ち遅れが相変わらず目立つ、とされていました。
「軽度障害者」が置き去りにされがちなのは、突き当るカベの高さとか、被る不利益の程度に、“医学的な基準による障害の程度”の理解を当てはめている、“昔ながらの障害の認識”が影響していると言われているからとか。
ちょっと分かりにくいですが、
ぶっちゃけ「医学的に軽度の障害と分類されるされる障害者は、大して困っていない。」
と思われているってことでしょうか?
ちょっと悲しいコトですね(^^;
そんな単純な理解の仕方は誤っていると、とっくにわかっているはずなのに...。
「軽度障害者」が経験する不利益は重度障害の人より小さいという感覚は、一般の人はもとより、専門家と呼ばれる人達の中にさえ、今だにあるとその筆者は書いています。
(参考「ノーマライゼーション 障害者の福祉」障害を理解するとは 倉本智明 より)
「自分が生きづらいのは社会のせいだ!!」などという、ゴーマンな気持ちはもちろんありませんが、もう少し優しくしてくれても良いのになぁと、思ってしまう、今日この頃でもあります(^^;
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