昨日の夜から朝まで、水道の水が茶色くて困る。
水道管の工事をしてたんか。
今日はボンフィン教会前の広場で行われる、ムラーリャのグループ、ジデーのホーダに参加する。
前にも書いたけど、ムラーリャは20年前にお互いアソシアサォン ジ カポエィラ メストゥレ ビンバに所属していた時、仲良くしていた。
だけど俺の3回目のブラジルの時には団体を抜けてアバダに移籍していた。
少なくとも、当時こっちではアバダとは交流を持てなかったので共にカポエィラする事はなかった。
もちろん団体的に疎遠になるので会おうぜともならない。当時はSNSでつながるとかなかったし。
それが去年のブラジル最終日にヴェフメーリョが俺の空港見送りの写真をFacebookに載せたのをムラーリャが見つけ、
「リュウタかこれ!?」と。
そこからFacebookで繋がり、しかも今年彼がアバダを抜けて自分のグループを作った。
だったらうちのバチザードに呼べるよね?って事でトニーに許可を取りバチザードに来てもらったのです。
カポエィラを続けていればいつかまた一緒にジョーゴできるんだ。
…そして今度はお前の所に行きたいと言ったら今日のホーダに誘ってくれた。
これが今回のブラジル滞在最後のカポエィラだ。
Uberでかなり遅刻して向かう。
こっち側来るのは今回初だなー。
どこもかしこも道路工事で、ボンフィン教会へ続く道も通行止めだった。
マジかよ。教会見えるのに…。
ぐるっと周って教会到着。
なんか周りも垢抜けたなあ。
そしてホーダは…
まだ始まっていなかった。おいー。
開始したのは予定時間より1時間ぐらい後。
やっぱりブラジルですよ。
ホーダに参加していたのはジデー、バーホ ネグロ、ベテウ カポエィラ、デンデー ジ アロ アマレーロ、そしてグルーポ テンポ。
そしてなんとアバダ カポエィラ。
詳しくムラーリャの独立話は聞いてないけどアバダの人、呼べるんだ。
って言うかアバダに残った嫁のモエマもおるやん!!!
彼女も20年ぶりの再会。
おむつしてた頃を知ってる娘のアンドリーニャも2人の子持ちで体がムラーリャみたいにデカイし。
当時ムラーリャはアソシアサォン系列のヒベイラにあるプロフェソール ザンビの生徒だったので、このボンフィン教会あたりには彼と良く来ていたり。
なかなか頭が混乱するね。
ホーダは木陰で。
地面はもちろん石畳。
念の為靴で来た。
まずは楽器演奏しながら、一人ひとりが名乗っていた。
面白かった。
ホーダの中を一周しながら、楽器の前で「ムラーリャ!」とか叫ぶの。
なんとなく和風な気がした。
ホーダの途中でムラーリャはちょいちょい止めてスピーチを挟むんだけど、
「一緒にホーダを囲んだ同士が名前も知らずに終わるのは悲しいじゃないか」
とか言っていた。
いいかも。
最初はビンゲーラ。ビリンバウはもちろん3本。
この国でこのスタイルでやるのは俺、はじめてかも。
本当にカポエィラ ヘジォナウしかやっていないので。
みんな笑顔で、実力者が揃っている感じで良い。
ここにはマウダージ(悪意)はなかった。
油断はまだしてはいけないけどね。
それよりもこの久しぶりの石畳と微妙な坂、きつい。
靴なので少し滑るし。
膝の事を考える余裕もないよ。
しばらくしたらフラカォンが家族で現れた。
あ、来てくれたのか~~~。
最初から最後までヨソ者は俺だけだと思っていたのでちょっと安心。
久しぶりのアウェー感を楽しんでたのはあるけど。
やがてサォン ベント グランジ ジ ヘジォナウになり、展開が速くなる。
キタキター。
誰も相手を思い切り倒そうとはしない。
ムラーリャが途中スピーチでそう言うのは無しねと言っていたのもあり。
誰も100%は出していないけど、要所要所で倒し技をマークしたりして、駆け引きを楽しんでいる。
夫婦対決。
伝説のおしりアウーしかしない子がいたり。
途中、爆竹ならしたり太鼓叩いたりしながら行進している人達が。
爆竹うるせーなーとか思ってたら、その中にカポエィリスタがいたのでホーダに入れたり。
って言うかその人達のTシャツ見て爆笑。
酒飲みながら行進しようぜ~~って意味。アホすぎ。
どんなイベントじゃ。
その中に凄い強い女がいたりして、アホ達侮れないなとも思ったり。
あと、俺が出したかったアウー シバータを先にフラカォンに出されてちくしょ~。
こいつとはやりたい!って思ってた上手いヤツともやれて良かった。
いい顔してるんだよコレが。
強かった。
そしてモエマともやれた!
ムラーリャとももちろん。
バチザードの時は気にならなかったけど
こ、この匂いは…
ムラーリャ独特の体臭!!!(臭いと言うわけではありません)
ジョーゴしながら軽く意識が飛んだ。(臭いと言うわけではありません)
匂いの記憶って強いよね。
お互いの歳もユニフォームも帯の色も20年前とは全然違うけど、俺はどうかわからんけどこいつの匂いはこのままだったか~。
一気に懐かしくなった。そのジョーゴは数十秒だったし、大した事してなかったけど濃かったな。
バチザードだけじゃなくてこのホーダでもやれて良かった。
ホーダはまだ続くけど、ウーゴのレストラン、カマフェウ ジ オショッスィにみんなで集まるので早退。
ピンタはなんとこの教会が開いてる時にはじめて来たのに、フィッタ(ミサンガって言った方がイメージ湧くのかな)を教会の柵に結ばなかった。
そんな日本人いるんかと思った。
まあこの場でフィッタ買うのウザいからな。フィッタ売りがウザい。
「日本人か?名古屋か?」
と言われたのがウケたけど。なぜ名古屋。
メルカド モデーロに到着。
1階のウーゴのジュースバーの店員、クレイトンとお別れ。テンションがヤバい。
うちの青帯でバイトしているサペッカはいなかった。
フラカォン一家にメシカーノ一家もプラスされる。
ヴェフメーリョの息子のマテウスは店員としてここにいる。
キャプテンアメリカ
おもろい。
ウーゴは仕事しながらちょいちょい座って飲んだり食べたり。
「うちが一番うまいから、俺は昼飯はここでしか食わないぜ!」
と言ってた。
みんなと楽しく話したりしようと思ってたんだけど、急に力が抜けてしまった。
ビール飲んでるのもあるけど。
今朝のホーダで今回のブラジルでのカポエィラは終了。
思えば練習でもホーダでも、毎回すごく緊張していた。
前十字靭帯再建から11ヶ月なので、完全ではない。医者は2年かかると言っていた。
ごついサポーターをしているからある程度の接触は大丈夫だとは思うけど、90度以上膝曲げた状態だと全然力が入らないのは克服間に合わなかった。
毎回緊張と言うか、毎回怖かった。
毎回カポエィラが終わるたび、「今日も生き延びた」と思っていた。ほんと。
特に今日のムラーリャのホーダは、ほぼ完全アウェーで、外だってのもあるし最後の最後にデカイ壁来たな~と。
まあムラーリャって「壁」って意味だけど。
ムラーリャの生徒や他団体のヤツは俺を歓迎してくれるとは限らないしね。
特に言っちゃなんだけどアバダは怖い。
でも実際に始まってみると悪意はなくて良かった。
ほどほどに出て早めに帰れば良いかなとか考えていたんだけど、雰囲気いいしうまいヤツ多いしで予定よりもたくさんジョーゴしてしまった。
どうしてもやりたくなってしまう。
途中、日本のみんなや家族の事を思い出して、もう一歩前に踏み込むのをやめたりしてたけど。
まあとにかく、色んな事が重なり、一気に呆けてしまった。
これ、日本だったら風邪引くな。
やばいな帰国したらみんなとやらないとだから。
しっかりしなきゃ。
来年は全力でやれるように、リハビリ更に頑張る。
間もなく42歳で、歳のことは気にしていたけどこっちのみんなを見てたらそれまだあんまり関係ないな。
まあまずは帰国後のMRIの結果次第だけど…。
あ、俺の診察してくれたダニエウ石川先生に会えなかったな…お母さん(日本人)に会いたかった。
日曜はメルカド モデーロは早く閉まるのかな。毎週かどうかしらんけどいつの間にかこうなっていた。
もちろんテカにも会わず。
強めのオカマいた。
…帰国後の日曜、女装誕生日ホーダなのよね〜。
ハードだわ。
夕飯はウーゴに連れて行かれたガソリンスタンドの串焼き屋に行ってみた。
握り寿司あったから米食いたくて頼んでみたけどこれはクソまずかったよ!
米が!
なんなの!
今日も眠くて超早く寝る。結局これはどうにもならなかったな…。