B級お~でぃお色ざんげ (旧 B級お~でぃお珍道中) -2ページ目

B級お~でぃお色ざんげ (旧 B級お~でぃお珍道中)

わたくしを通り過ぎた、お~でぃお機材(中古ばっかり)たち(笑)

先回書いたE-305様 の、奏でる世界に浸りながらも、
わたくしの胸にはとある思いが、去来してやまなかったのです。


山水さんの907ってば、どんな雰囲気なのだろう。。。


そもそも山水さんのあんぷに、激しい興味を持ったのは、
それは自宅リフォーム直後の、2007年暮れのこと。
新装成ったお部屋の具合を、確かめようとするついでに、
知人の607MRさん に、聞き惚れたのが始まりで、
でもその当時は懐具合も、寒風吹きすさぶ有様で、
だから乏しい小遣いの、範囲でぎりぎりやりくりできる、
「あるふぁ607しりーず」 の、聞き比べで 我慢する中で、
ひときわ印象深かった、607DRさん の歌声に、
「いつかこのひとの姉さまをも」 という、思いを募らせていたのです。


タイミング良く2009年の、正月に 「福袋せっと」 と称して、
ほかの機材と抱き合わせられた、特売品を見つけてしまい、
見た目も遠き南国の、甲虫の如く艶々として、
リリース時期もE-305様と、ほとんど同じだというに、
トラディショナルな雰囲気と違う、近未来的な精悍さを見て、


矢も盾もたまらなく、なってしまったのです。


B級お~でぃお珍道中

その体内には圧倒的な、”巨大とらんす” が鎮座ましまし、
支える脚もなんと 「純銅」 で、まぁ大物量投入系の、
アンプについては苦い印象も
、まったくないではなかったけれど、
でも妹さんが聞かせてくれた、豊かで厚い情感と、
腰の粘りを十分利かせた、ぐるーぶ感など期待したところ、


思ったよりも泥臭くない、洗練された印象に、
「上位機種」 の所以たるものを、見せ付けられた気がしたのです。



そう、「泥臭さ」 やら 「野趣」 なんか、

むしろ607DRさんのほうが、うまく表現したようで、

だから単純に音色の、好みで言ったら妹に、

軍配を上げなかったとは、言い切ることができなかったけど、


でも 「姉」 としての体面上、ワンパターンでは済まないのでしょう。

思いに任せて歌を紡ぐも、それはそれなりに大事だけれど、
独りよがりにならないようにと、深い経験を重ねたが故の、
節度にも似た抑揚を、随所に感じて取れたのです。

無論やんちゃな面影もあり、かつては随分 「ぶいぶい」 鳴らした、

されども今は荒ぶる力を、内なる大人の 「座った腹」 に、

見事に育てた 「女傑」 のような、そんな印象を持ったのです。


そして607DRさんと、決定的に違っていたのは、
中高域の 「伸び」 というのか、まるで全身に浸透するような、
「えなじぃ」 感の表現であり、それは 「ばらんす」 接続にすれば、
その印象を一段高めて、姿形鮮やかな音像が醸す、
整然とした音の波紋が、広々とした空間内に、
広がるさまが見えるようでした。


ただ、「はいえんど・ぶらんど」 の、香りというのか?心くすぐる、
「気品」 だったり 「リッチな感じ」 を、このひとから嗅ぎ取ることは、
やや難しい注文のようで、その部分だけは時代を下って、
リリースされた一連の、907のシリーズでさえ、
正直申せば乏しいように、わたくしの耳には聞こえたのです。
※ いくつか あったりみてっどもでるは、少々事情が違うようだけど。


そうは言っても説得力は、十分に過ぎるものがあり、
昭和歌謡の女帝 だったり、男装したる麗人が、

集い舞いたる 舞台のように、華やかでかつ開放的な、

ステージ感を目の当たりにして、その場から動けなくなることも、

往々にしてあった程だし、

それが、かの 「あきゅふぇーず」 様と、その方向こそ違って聞こえど、

「信号波形」 を忠実に、再生せんと命を懸けた、

その心意気の結果であれば、


取って付けられた 「雰囲気」 なんざぁ、邪道なんだよ!!!

と、目を吊り上げて、口角泡を飛ばす人たちの、

気持ちもようやく分かってやれたと、


そんな気さえも、したのです。



あっきゅふぇーずが¥8・9・8 ?



「あっ」きゅドキドキぇ~~~

はちきゅっぱっひらめき電球ぱっ ぱっ ぱっ ぱっ。。。)

※ 段々と買い物自慢の様相を呈してきましたなぁ。。、



先回書いた窮余(給与)の危機 を、乗り越え一段落ち着いた、はず、

なのに2008年十五夜のころ、Webしょっぷ上でまたしても、
このひとに付いた値を見てしまった、わたくしのはしゃぎっぷりったら!!!


でも、この、シンメトリカルなパネルフェイス!!!、
そして今の機種には望むべくもない、

重厚極まりない サイドウッド!!!

※ 現行機種のウッドキャビも、板厚を増して欲しいですなぁ。。、


B級お~でぃお珍道中


往年の銘機 C-280様 に、端を発するこの意匠こそ、
あきゅふぇーず様の「正装」であると、信じて疑わぬわたくしは、
「財政」ではなく「理性」のほうを、緊縮することを選んだのです。

※ やはり死にでもしなければ、直らない 「馬鹿」 なんでしょうなぁ。。。



でも、E-210様 の印象と、それまでこちらの御家に抱いてた、
イメージギャップの真相を、確かめたいと思ったことこそ、
苦難の時期を乗り越えた、わたくしの 「原動力」 だったわけだし

そもそもかつておーでぃおしょっぷで、聞いたこのひとの音こそが、

あきゅふぇーず様のイメージとして、わたくしの脳裏に刻まれたわけだし、


そこのあたりの 「責任」 とやらも、

取って欲しかったわけなんですよ!!!
※ と、今に至る出費の言い訳を逆切れ気味に主張してみました。



さておき、

リリース当時のこの人は、E-210様と同じく、

あきゅふぇーず様のラインナップでは、一番格下だったはず。
それでもしょっぷで聞いた限りは、弐十飛んで伍萬¥也の、

定価に見合った貫禄を見せ、こちらの御家の血脈に、

恥じないものと聞こえたのです。


それはすなわち一つ一つが、硬質なれどあまりに細い、
繊毛が綴れ重なるが如き、耳障りの良い隈取であり、
対照的に低域の、その量感はそこそこだけれど、
鋼のように筋の通った、確かな構築美だったり、
雪降る夜の静寂に似て、底深い場を背景に、
キラキラきんきんきらら!!!キラキラ と乱れ舞う、

まこと独特の華やかさであり、


どこを取っても 「金物 ¥」 系。

にもかかわらず喧しさなど、微塵も感じぬ折り目正しさ。


そうして自宅で鳴らした音と、以前店頭で聞いた記憶との、
あまりの 「ぶれ」 の少なさにもまた、感嘆の声を上げたのです。

。。、いえ正確に申すなら、印象以上の 「端正さ」 でした。



先のE-210様のご紹介では、それまで私が持っていた、

あきゅふぇーず様の印象を 「堅気な人」 に例えたのです。

されど動きや気配をつぶさに、細大漏らさず描き分けるあたり、
改めて耳を澄ましたときに、「細密画」やら、「精密模型」、

それをも超えて「図面」だったり、「金型」 という印象さえも、

覚える始末だったのです。

それはある意味 「めいど in じゃぱん」 の、権化の如きイメージであり、
でもロボットのような味気なさでなく、技を極めた職人さんが、
精度を追求してたどり着いた 「美学」 にも似た世界でしょうか。


実はそれまで、この手の音を、あまり好みでないとして、

遠ざける向きもあったのです。

されど改めて 「おのれの道」 を、貫き通すその執念を、

垣間見たとき現れ出でたる、説得力と芸術性に、


異文化の如き存在感を、

認めないわけには、いかなかったのです。

あっきゅふぇ~~ずが¥7・9・8!

あっきゅふぇ~~ずが¥なな・きゅっ・ぱっドキドキドキドキドキドキ


あの日わたくしは朝っぱらから、

浮かれっぱなしだったのです。


ときは2007年の、卯月の中ごろ某店の、
Webリスト上でこのメーカーの、最廉価機種の中古とはいえ、
そんな値段を見つけた日には、


"あの、「憧れ」 の「あきゅふぇ~~ず」"

"いつかはわしも、「あきゅふぇ~~ず」"


とまぁ、

家事も仕事も手につかず、溜まる残業もうっちゃって、
夕方には手に入れたのです。
※ 他に色んなローンもたまってるっちゅーのに。。。



B級お~でぃお珍道中


さておき、
このときまでに持っていた、あきゅふぇーず様の印象は、
それはしょっぷで聞いただけだけど、おおむね堅気な職業の人を、
思い起こさせるものでした。
だから文字通り 「エンジニア」 やら 「銀行員」 やら 「税務署の人」、
品格のある言葉を使えば、「精緻」 でなければならぬ!人たちの、
そんなイメージと重なったのです。


されどそれがゆえ胃の痛い、思いもきっとされていないか?と、
そこのあたりが山水様 とは、ちょっと趣が違って聞こえて、
山水様ならお休みの日は、カジュアルな服のひとつも着ると、
思えた部分があきゅふぇーず様は、休みの日でも笑顔も見せず、
家にいるのに髪を七三に、分けてるようにすら思えたのです。

※ あるいはストレス溜め込みすぎて分ける髪の毛もないような。。。



そんな、謹厳実直さに触れることを、思い描いたわたくしが、
耳にしたのはびっくり仰天!


肌理細やかで大らかな、優しい優しい音でしたニコニコ



「肌理細かい」 といっても、「つるつるつる」 とはしてなくて、
「大らか」 といっても、ピントまでぼけてしまうこともなく、
「優しい」 といっても、そこにはちゃんと芯もあり、


所謂 「うぉーむとーん」 とも違い、ちゃんと解像度もキープしておる、
そこのあたりはあきゅふぇーず様の、面目躍如なのでしょう。
でも 「カリカリ」 と細かい線を、なぞる様子とはだいぶ違って、
その空気感と密度感とは、まことビロードの手触りに似た、
あきゅふぇーず様のらいんなっぷでは、いっとう格下のはずなのに、
細かい 「上司」 を差し置いた、大人の対応を見せたのです。


それで気に入り、しばらくは、そのまま使っていたけれど、
日を重ねるうち、ちょっとずつ、気になり始めてしまったのです。



なんか音楽に 「乗れない」 のぉ。。。
※ 手に入れたときの自分はこれ以上なく 「ノリノリ」 だったけど。



その落ち着いた物腰に、血筋の良さは感じたけれど、
やはり躾は厳しいらしく、表情に出たら 「負け」 なのか? 
妙なる調べを流してみても、歓ぶ素振りが乏しかったり、
ここぞ!というとき羽目をはずすのは、慣れてなかったようなのです。


それまで逢瀬の契りを交わした、アンプたちとの記憶がなければ、
さしたる不満はなかったのでしょう。
でも音色が気に入ったとて、ずばり 「音楽」 に浸れるか?という、
疑念がわずかに涌いたそのとき、


それに呼応するかのごとく、わたくしはこれまで生きてきたなかで、
最大級の危機 を迎えたのです。



それは以前から書いている

「シロアリによる自宅倒壊」 の危機であり、
これは初めて書くけれど、実はそこに

「勤め先の存亡」 の危機が重なったのです。



出費もかさみ、身入りも削られる。
窮乏に落ちたわたくしは、さすが背に腹は変えられず、
せっかく手にしたこのひとを、一も二もなく売り払い、
当座のしのぎに変えてしまったけど、



もうちょっとだけ 「ノリ」 がよかったら、かなりいい線いったのになぁ。。と、

未練はやっぱり 「たらたら」 であり、またこの御家に持っていた
音のイメージとのギャップについても、それは恐らくこのひとが、

一番安い (といっても17万円) だからなのだろうと、

いつかピンチを切り抜けた日には、それも確かめてくれようぞ!!! という、


尻に火が点く状況のなか、よく分からない気合 (?) とともに、
捲土重来を誓ったのです。

このひととの出会いは確か、2004年の秋のこと。
その昔AU-α607の、えくすとらさんを 捕まえた、
ハッピーロード大山 の、古道具屋の軒先に、
6000円の値段をつけて、埃をかぶっていたのです。


先月ここでご紹介した、LS-11ES様 と、
価格帯やら大きさなんかは、さほど違いはないようでいて、
11ES様はと言えば、音も姿も 「めいどいんじゃぱん」 の
代表格の如きいでたちで、それと比べてこのひとの、
少なくともその見た目については、 「欧州」 かぶれの仕上げと思われ、
※ 当時出ていた本場伊太利亜で、仕込んだ奴との見分けは、少々苦労しそうっす(しないって)。



B級お~でぃお珍道中

このわたくしはまたしても、11ES様との音の

違いは幾許ほどだろう?という、好奇の心に負けたのです。



はたして、その音は見た目のとおり、
11ES様とは対照的なものでした。


どちらかといえば陽性で、だけど繊細な11ES様の音は、
先日は乾き物系の、歯ごたえに例えて見たのです。
されどこのひとは、食物で言えば、

「ババロア」? もしくは 「水羊羹」?


最高域を程よく丸め、おっとりとした低域は、
甘い、けれども甘すぎず、程よい粘りと湿度を保ち、
さほど眩しくならない程度に、渋めの艶も加わって、
三時のお茶を優雅に楽しむ、そんなひとときの 「お茶請け」 に、
うってつけだと思われたのです。


けれども、よくよく聞き込むうちに、

昼の食事を満喫し終えて、しばらく後に忍び寄る、
まどろみの如き脱力的な、音にも聞こえてきたのです。



すなわち、
「頑張ってるのに、瞼が上らないよぉ。。。。。(絶)」



それは 「ゆにっと」 が決定的に、低能率であるが故かと。
だから手持ちのどんなアンプを、差し向けてみても普段使いの、
スピーカーでのボリューム位置だと、半分程度の音量と聞こえ、
だからといってボリュームノブを、右に回せば音の大きさこそ、
増してはいれど振動板を、充分震わせるには一体
どんだけ電気がいるものかしら?と、


そう思ったくほど、「鳴り切った」 という、

様子が伺えなかったのです。


それを良く言えば優雅にたゆたう、シャボン玉の如き風情なのでしょう。
でも悪く言えば出そうで出ない、「鼻ちょうちん」 のもどかしさ。

なる程これが欧州調!と、本場の音も聞かずして、
ひととき納得しては見たけれど、それが自分の好みのツボには、
決して嵌っていたわけではなく、蒐集家気取りで数年ほどは、
手元に置くも出番は薄くて、そのうちやはり自宅リフォームの、

資金に消えてしまったのです。



とはいえ、

巷に出回るこのひとの、改造記事を目にする限りは、
潜在的な能力は、なかなか高く思えたし、、
件の 「脱力系」 そのものも、他には類がないとのことで、


11ES様でも書いたけど、手当ての術をまるきり持たない、

文系おーでぃお野郎の悲哀を、噛み締めずにはいられないのです。

このひとがそのデビューを飾った、80年代終わりのころは、

「すぴーかー」 といったらそれは、「3うぇい」 のが大半だったけど、

だからと言って小柄なぼでぃーに、ゆにっと3つを押し込んだのは、

いくらなんでもやり過ぎだろうと、正直思っていたのです。


B級お~でぃお珍道中

でもその当時の雑誌の評価は、ほぼ 「ぶっちぎり」 の大絶賛で、

何だかんだでわたくしも、その風評には染まりきっており、

おまけに後から聞いた話では、三代続いたこのシリーズの、

系譜のなかでもこのひとに、使われていたゆにっとが、

いっとう金が掛かってたとか。

だから2002年の晩秋、柿生 の奥の 「はーど◎ふ」 にて、

8000円のを見つけたときの、「ときめき」 には勝てなかったのです。


さっそく試したその音は、それは今でも 「ぽてち」 やら、

「柿の種」 など口にする度、わたくしの脳に甦るのです。


すなわち、


「パリッ」

「カリッ」

「サクッ」


と、いった、

お口の中での歯応えを、強く思い起こさせるものだから、

これで例えば本麦酒系の


「しゅわしゅわわ~~やら 「ごきゅごきゅごきゅごきゅ


なんぞ、

鳴らしてみたらば涎の一つも、垂らすに違いないのです。

※ そんな音源として??? のものを、あえて選ぶことは、たぶんあり得ないっすけど。。



そういった音をもうちょっと、「お~でぃお」 らしく表現するなら、

撥音系の楽器だったり、女御の 「はすきーヴぉいす」 なんかが、

ひときわ得意と聞こえたのです。

でもそのようなすぴーかーに、ありがちである 「煩さ」 を、

ほとんど感じず済んだのは、半端ないまですっきり伸ばした、

高域の質が故かと思われ、だから衣擦れや吐息の如き、

甘い色香もときには醸し、そこにおいては現役当時の、

評価に合点も行ったのです。


その一方で低域は、やはりぼでぃの限界か、

「えんくろーじゃ」 の薄身の板が、風呂場のごとくボンついて、

ここはコストを考えたとき、仕方がなかろうと納得したけど、



でも本当に惜しまれたのは、引っ込み思案の中域でした。



これを、なんと申せばよいやら、輪郭なんかははっきりしていて、

そこそこ密度もあるようなのに、なんだか前に出てこないのです。

ここ一息の 「物怖じ」 のなさが、あれば低域の弱点も、

ある種の魅力に変わったのでは?と、その点少々残念で、

現役時の評価には、試聴に使っ た「あんぷ」 の質が、

その弱点を補ったのか?と、だからわたくしは手持ちの 「あんぷ」 を、

いろいろあてがっては見たけれど、やはり望んだ方向へとは、

振り向られずに終わったのです。



でも一方で告白すれば、その中域の感想は、

わたくしが常に 「3うぇい」 の、すぴーかー達に感じていたのと、

おおむね同じもの、だったのです。



恐らくは各帯域の、発音体の位置関係が、

複雑になってしまったが故に、各ゆにっとが受け持つパートの、

音圧としては揃っても、つながりを持って溶け合ったように、

感じられないが故でないかと。

例えば大きさはほぼ同じ、でも 「2うぇい」 のDS-500様 は、

そんな違和感をそれほど大きく、感じたことはなかったし、

えんくろーじゃを傾けて、「りにあふぇいず」 を気取ってみたら、

さらに密度を高めたように、この両耳には聞こえたのです。



その後はしばらく手元に置くも、2006年文月のころに、

人手に渡してしまったものの、でもこの中域さえ高域の、

充実感につながったなら、それなら差し詰め当世の、

B&WはCM1様 に、よく似た響きもつややかで、

歯切れの良さも併せ持つ、ハンサムくんに聞こえたのに!!!と。

あるいはネットワークなど、工夫をしたらば改善も、

叶ったものやも知れない、などと、


そのゆにっとの素性の良さを、生かし切れない文系くんの、

知識のなさを毎度ながらに、悔やまずにいられないのです。

はなから告白してしまうなら、このひとを手に入れるつもりなど、

実は毛頭なかったのです。

2009年は文月のころ、 「やふ◎く」 の園を徘徊中に、

アームの先にくっついていた AT-150E様 と、

LT-LH15様 目的で、札入れしちゃったものなのです。


だから詳しい生い立ちなどを、知ったのは手に入れた後であり、

先日書いた2つの機種 より、年式も古く格も落ち、

おまけにこの手に収めたときは、尋常ならざる 「ヤニ」 にまみれて、

どんだけ煙たい所にいたのか、音まで気息奄々かしら?と、

期待も持たず鳴らしたところ、


その汚れっぷりと見事なまでの、対照を見せる清澄な、

音を広げて聞かせたのです。


B級お~でぃお珍道中


こちらの御家の音の作りを、わたくしなりに解釈すれば、

それは基調に 「透明感」 を、置いたものだと思うのです。

このひともその例には漏れず、でもただそこに留まらず、

硬めの調子に仕上げた光画の、被写体の如き音像が、

だから粒子は荒めのようでも、不思議なことにそれまで試した、

どのぷれーやより優れて思える、聴感上の 「静けさ」 の中に、

点在しているようでした。


この硬質な感覚は、やはりボディ を 「はーどぼいるど」 に、

固めたが故に得られたものか。

このひともその 「きゃびねっと」 裏に、ほとんど防弾装甲の如き、

鋼の板を仕込んでたのです。

筐体自体の剛性や、デビュー当時の上位機 も超える、

重さへの寄与はもちろんのこと、これがあるいは 「もーたー」 からの、

ノイズなんかをシールドしたから、先にも書いた 「静けさ」に、

一役買ったものではないか?と。


もっとも、それらの好印象は、「たーんてーぶるしーと」 のほうを、

ぱいおにあ様の 「JP-501」 に、変えた場合のものなのです。

元からついてる、「へるむほるつ」 の、原理とやらを用いたという、

裏が穴ぼこだらけのシートは、予想に反して音の滲みを、

増しているよう思われたのです。


B級お~でぃお珍道中

※ 汚いなぁ。。。(マジックリン(原液)にて洗浄前)



などと、素性の良さは端々に、

感じてもやはりその価格なりの、粗もあちこち垣間見え、

「硬調」 と書いたその裏を、返せば奏者のエッジだったり、

ファルセットなどがやや雑と、思えることも多かったのです。

大方それは 「スパイス」 として、働くものの気にはなり、

KP-1100様 に倣って、色々手当てを施したものの、

このひとの場合それはかえって、魅力をば削いだようでした。



あるいはじっくり詰めていったら、より良い音も得られたろうけど、
特にあーむの各種鳴き止めは、もそっと試してよかったけれど、

すでに狩り集めた 「ぷれーや」 達で、足の踏み場も事欠く中で、

傾向が被るKP-1100様と、共にとどめ置く理由も薄く、



ひとしきり弄んだ後は、人手に渡してしまったのです。



そんな、薄情極まる付き合いなのに、忘れられないその訳は、

やはりこのひとの見せた 「静けさ」 が、格別だったからなのでしょう。

決して高価と言えぬこのひとに、でもその点では何にも負けぬ、

「取り柄」 を持たせることを許した、当時のお~でぃお業界の、

充実ぶりはもちろんのこと、


斯界の名門 「とりお」 様の、製品に込めた矜持のほども、

そこに感じてやまないのです。

KP-1100様に、新たな音を見出した のと、

発端となった 「ぱいおにあ」 様の、製品群との歌合わせを 経て、

「あなろぐでぃすく」 の音を聞くのに、針はもとよ り 「ぷれーや」 の持つ

個性もずいぶん影響すると、知ったわたくしはそれからしばらく、

目に付いた 「あなろぐぷれーや」 ばを、手当たり次第に狩り集め、
そんな中でもこのひとは、気を引くネタも満載でした。


B級お~でぃお珍道中


「けんうっど」 様の元々の、御家の名前は 「とりお」 であって、

確かこのひとは、「とりお」 名義での、最後を飾ったぷれーやのはず。

80年代中盤の、ぶらんど名の一新の後に、

意匠違いをデビューさせるも、それは単なる 「お色直し」 で、

実質的な 「けんうっど」 名義の、初物は1100様のはず、と。


ついでに申せばCDの、台頭期とも重なっており、

さまざまな意味で過渡期に生まれた、この両人の個性についての、

興味は深まるばかりであって、それは例えば1100様の、

「超合金」 とはアプローチこそ、異なるものの思想はよく似た 、

「樹脂こんくりーと」 仕込みのぼでぃや、同じ 「DSとーんあーむ」 の、

されど 「J字」 と 「すとれーと」 という、形状差が生む音の違いなど、

どうしても知りたかったのです。


B級お~でぃお珍道中


2009年の皐月のころに、自宅に招き寄せたとき、

初手合わせを務めたものは、もちろんKP-1100様で、

ほかにもPL-50様 や、DP-57M様 と、比べた瞬間去来したのは、



もしもわたくしが最初に触れた、「あなろぐぷれーや」 の奏でる音が、

このひとのものであったなら、あるいは他のぷれーやになど、

見向きもしなかったのでは?などと。

音の傾向は1100様に、やはりよく似たいでたちで、

中域付近の温かみやら、充実感というよりは、

涼やかに冴えた雰囲気を醸す、怜悧な気質と思えたのです。

されどあれほど1100様で、抑え込むのに苦労した、

金物くさい雰囲気を、このひとからは殆ど感じず、


「秀才」めいた分析感とも、異なる次元で落ち着き払い、

淡々とした鳴りの中にも、しみじみとした抑揚を、

聞かせてよこすようでした。


「こりゃ、なかかな」 と、わたくしは、

さらに追い込みを掛けようと、1100様に施した、

各種の手当をすべて等しく、このひとにも試みたのです。

されど意外やその音調には、期待したほどの大きな変化は、

望めなかったようでした。



大した苦も無くこれだけの音を、得られてしまう素晴らしさ!!!

それは一つの製品としての、高い完成度が故でしょう。



でも、「手当て」 を施し自分の音へと、追い込んで行く喜びの面は、

幾分さびしくなりそうだったし、

「へっどしぇる」 には専用のものを、使うというのが 「お約束」なのも、

もとの持ち主様の計らいで、2セットも付けてもらえたけれど、

「とっかえひっかえ」 針を試すには、やっぱり不便だったのです。

※ おーくしょんとかで買ったら1個5000円くらいするんだもん!!!


B級お~でぃお珍道中

そんなことから、その年のうちに、里子に出してしまったけれど、

価格の垣根も高くないのに、これほどまでに完結している、

製品もまた稀ではないかと。

DP-7060様 の、紹介記事でも用いたけれど、

それにもまして 「中庸」 という、表現がまずは頭に浮かび、

なんでも一時は某業界誌の、「りふぁれんす」 の座を務めたらしいと、

そんな話も納得の、


悟りに至った禅僧の如き、深く静かな落ち着きを、

忘れることはないのです。

けんうっど様のおーでぃお機器の、一部は何故だか好みのツボに、

どっぷり嵌るようでして、2012年現在の、

このわたくしめの手元の機材に、先のDP-7060 様と、

このひとが並び居るのです。



出会いはPD-T07 様の、お話をご覧いただくとして、

最初のころは、これもPL-70 様の、ご紹介でもちょっと書いたけど、

実はそんなに気に入って、使ってたわけじゃないのです。


その大人気のもとだろう、黒く無愛想な 「きゃびねっと」 裏の、

超合金 (←勝手な思い入れ) の躯体には、もちろん大きくときめいたのです。

でも肝心のその音は、中高域を突出させて、

これ見よがしな「解像感」 を、醸し出そうとしていないか?と。


そんな 「聞こえ」 を払拭しようと、あちこちのWebを読み漁り、

付属の 「たーんてーぶるしーと」 を、「ぶちるごむ 」 のに交換したり、

その足元に 「そるぼせいん」 を、噛ませてみたりもしたけれど、

神経の細い印象は、大して変えられなかったのです。



だから、告白すればその頃は、 市場の人気につけ込んで、

来る日も来る日も 「相場」 を睨み、売り飛ばす時期を狙ってたのです。

そして PL-50 様 を、手に入れようやくその時を得たと、

「今生の別れ」 を惜しむ振りをして、動作確認のでぃすくの上に、

このひとのあーむを乗っけたその時、



「偶然」っつーのは、まこと恐ろしいもの、ですなぁ。。。



たまたま自分の足元の、目障りな位置に放ってあった、

700ぐらむの真鍮製の 「いんしゅれーた」 を、このひとの、

きゃびねっと上は 「あーむ」 の根元に、何の気もなく退けたのです。

その瞬間は気が付かねども、数分を経てわたくしは、



な~~んか、いつもより随分と、

ええ見通しじゃのぉ。。。と。



文字には斯様にあらわしたものの、実際のところ劇的に、

変わったというわけでもなくて、でもその僅かな変化こそが、

このひとが持つ本質的な、美質を突いたようでした。


B級お~でぃお色ざんげ (旧 B級お~でぃお珍道中)

感度が命の 「とーんあーむ」 を、金属製のフレームなんぞに、

直植えしたから余計な響きの、一つも拾っていたものか。

そこにたまたま効かせた重石が、いい塩梅に要らない「鳴き」を、

整理してくれたようなのです。

それだけでなく今までは、軽目と感じた低音域にも、

重心を下げて贅肉を削いだ、ボクサーの如き 「凄み」 が加わり、

まこと独特の静謐な、空間の中にある種の 「覚悟」 を、

決めて毅然と対峙する、姿まで見えるようでした。



「こりゃあ面白い」 とわたくしは、「いんしゅれーた」 を積み増ししたり、

きゃびねっと上を埋め尽くしたりと、色々試してみたものの、

いっとう最初の場所と重さが、一番しっくりくるようで、


当初の目論見はどこへやら、そのまま今に至るのです。



もっとも基本の性格は、 「あなろぐれこーど」 の音に、

多くの人が期待を寄せる、「温かみ」 やら 「柔らかさ」 など、

お門違いと申せましょう。

従いまして普段リラックスして、聞きたいときは別のぷれーやの

出番のほうが多いけど、


しかしこのときの体験が、その後わたくしが 「あなろぐ」 に狂う、

呼び水となってしまったようで、

今となっては落ち着くまでの、泥沼のようなはまり具合と、

疲弊しきった財政事情に、「売り飛ばしときゃよかった」 という、


僅かばかりの後悔を、持たないわけでもないのです。

先回書いたDPF-7002様 に、過剰に抱いた期待のもとは、

たまたま秋葉で耳にした、このひとの音にも、あったのです。


99年の年末に、この両耳に聞こえたものは、

「598」 の機器らしからぬ、音を鳴らしてる 「もの」 の気配と、

その背景にある空間との、溶け込み具合の自然さで、

そそられまくったわたくしは、店員に問えばDACには、

欧州製の 「DAC7」 と、 「どらいぶ」 とかいう波形補完の

からくり細工を組み合わせたとか。


この、「波形補完」 という代物は、各社揃って独自のものを

出してた (る) けれど、いずれもどこかに、薬臭さを感じておって、

「DAC7」 の印象も、例えば開発元さま の、ビロードの如くも柔に過ぎたり、

その一方で国産各社は、躾の度合いが峻厳苛烈で、

好みのツボに嵌めるには、やや振れ幅が大きかったから、


記憶にあったけんうっど様の、音作りとの違いも含めて、

わたくしにとってその聞こえ方は、少々意外な印象で、

激しく食指が動いたものの、当時わたくしは所得のすべてを、

結婚準備に向けていたのです。


※ 今だからこそ言えるけど、金の使い道 (=相手) を間違えたっす。。。



B級お~でぃお色ざんげ (旧 B級お~でぃお珍道中)


だから、価格帯やら歌い文句から、その進化形と認識していた

DPF-7002様が、実は自分の趣向に合わないのだと、

悟った時点でわたくしは、激しい焦りを覚えたのです。


だって、DPF-7002様は、確かにろくに聞かずして、

雑誌の評価を鵜呑みにしたまま、買い求めたるものなれど、

買った動機はこのひとの、音の記憶があったわけだし、

そんな自分の頼りない耳に、うろたえきったわたくしは、

藁にも縋る思いをもって、2005年の年の瀬の頃、

中古の品を買い求め、



而して、

自信を回復できたのです。



自宅で聞いたこのひとは、電源を入れた直後の音こそ、

やや陰鬱と聞こえたものの、ヒートアップが進むにつれて、

確かにあの時店頭で聞いた、その印象が甦り、

そこに加えてごく内面の、情感めいて奥ゆかしげに、

空気を揺らす描写こそ、自分にとってのツボでした。


無論、不満もないとは言えず、

例えば 「1びっと」DAC ゆえの、柔目仕立ての低域だったり、

曲によってはもう少し、明るく鳴ってもよろしいぞな?と、

思う瞬間も無きには非じ。

されどこの、 まず中庸な表現と、さりげない中に見え隠れする、

しみじみとした抑揚は、これ見よがしな 「こぶし」 を廃した、

結果がゆえに得られたものかと。



なお余談ながら、それから程なくして、

手持ちのCDぷれーや達を、「えす・えー・しー・でぃー」 と銘打った、

装い新たな規格の機材と、比べる機会に恵まれたのです。

その 「えす・えー・しー・でぃー」 ぷれーやは、決して高価にあらねども、

奏でる音を前にして、手持ちのCDぷれーやの多くは、

どこかを無理した鳴りかたと、認めざるを得なかったなかで、

このひとだけは、ほかで感じた萎縮感やら窮屈さなど、

さほど感じずに済んだのです。


だからこのひとは今もって、メインのぷれーやであり続け、

であるが故にわたくしは、このひとがデビューする前に、

けんうっど様の旗艦であった、「L-D1」様 の心臓部に、

「どらいぶ」とやらを乗っけたものを、一度味わってみたかったなぁ。。。と。


かつてわたくしめが一目置いた、「PD-T07 」様と、

さまざまな意味で似た構成に、けんうっど様の血肉を、

注いだ音はいかばかりか?と、思いを巡らさずには、いられないのです。

※ 拡張ユニットとしての単体DACでも、出してくれれば良かったのに!なぁ。。。

この前書いたCDP-338ESD様に、わたくしが感じた印象 は、

実際のところ、このひとにこそ、期待していたものなのです。


だって、手元に残した発売当時の雑誌やMOOKを紐解けば、

定価も五萬八千円の、 「はいこんぽ」 のぷれーや風情に、


「九千円のDACちっぷを、8個も腹に収めている」 とか、

「”32倍さんぷりんぐ” と、”どらいぶ” とかいう波形補完で、

滑らか極まりない音」 だそうで、

「その解像度は100マソ越えの、機器をも越える」など 、
極め付けには、その成果をば単体「DAこんばーた」として

外部のでじたる信号さえも、受け入れてしまう懐深さ!

それに見た目も 「虚飾は不要」 と言わんばかりのカッコよさ!!


B級お~でぃお珍道中


当時二十路のわたくしは、奏でる音も聞かずして、

「進歩っつーのはありがてぇなぁ!」と、ただ目を細めるばかり、だったのです。



ひょんなことから中古の品を、手に入れ聞いたは2004年。

その印象は「けんうっど」 様の、表現世界の美意識を、

充分感じて取れるものでした。

すなわち、つるりと滑らかで、決して雰囲気に流れない、

ガラスのような質感ながら、キラキラ眩しい印象よりは、

それは例えばビー玉や、おはじきのような軟質の、

親しみやすさも感じたのです。


でも、「100マソ越え」っつーのは、その宣伝に費やした、

原稿料ではなかったかしら?


あまたの音が幾重にも、交錯している音源なぞは、

細部のエッッジはよく捉えても、やっぱりどこかが雑然とした、

突き詰めて言えば、「598」機器 の、基礎体力の限界だろうと。



でも、その素直な印象を、そのまま吐露してしまうのは、

当時の純真極まりなくて、また若さゆえに不誠実な、

わたくしにとってあまりにも、困難な所業だったのです。



すなわち、

「偉いセンセがほめていたのだ! 使いこなせぬ自分が悪い!!」と、

「教養やセンスがないから、この音に対し理解がないのだ」、などと、

必要以上にへりくだり、


だから、わたくしは、頑張ったのです。


例えば足場を固めてみたり、いろんな重石を乗っけてみたり、

それに数多の「でじたるあうと」も、このひとに注いでみたのです。

中でも PD-T07様 と、同軸ラインで結んだときの、

どっしりとした安定感や、いきいきとした表情に、

「これならいける」 と光明を得て、追い込みを掛けてみたものの、


このわたくしができる範囲では、中高域の「充実感」やら、

全帯域での整いかたなど、結局のところ納得を、

得られず仕舞いに終わってしまい、

2008年の年明けに、質草へと変わり果てたのです。


でも、巷に出回るこのひとの、改造記事を目にするたび、

「ああ、わたくしにちゃんとした、電気の知識があったなら、

さすればこのひとの特色を、保ったままで色彩豊かな、

音の世界を得られたのに!!!」 と、


文系おーでぃおまにあとして、生まれてしまった身の不遇をば、

嘆かずにいられないのです。