先回書いたDPF-7002様 に、過剰に抱いた期待のもとは、
たまたま秋葉で耳にした、このひとの音にも、あったのです。
99年の年末に、この両耳に聞こえたものは、
「598」 の機器らしからぬ、音を鳴らしてる 「もの」 の気配と、
その背景にある空間との、溶け込み具合の自然さで、
そそられまくったわたくしは、店員に問えばDACには、
欧州製の 「DAC7」 と、 「どらいぶ」 とかいう波形補完の
からくり細工を組み合わせたとか。
この、「波形補完」 という代物は、各社揃って独自のものを
出してた (る) けれど、いずれもどこかに、薬臭さを感じておって、
「DAC7」 の印象も、例えば開発元さま の、ビロードの如くも柔に過ぎたり、
その一方で国産各社は、躾の度合いが峻厳苛烈で、
好みのツボに嵌めるには、やや振れ幅が大きかったから、
記憶にあったけんうっど様の、音作りとの違いも含めて、
わたくしにとってその聞こえ方は、少々意外な印象で、
激しく食指が動いたものの、当時わたくしは所得のすべてを、
結婚準備に向けていたのです。
※ 今だからこそ言えるけど、金の使い道 (=相手) を間違えたっす。。。
だから、価格帯やら歌い文句から、その進化形と認識していた
DPF-7002様が、実は自分の趣向に合わないのだと、
悟った時点でわたくしは、激しい焦りを覚えたのです。
だって、DPF-7002様は、確かにろくに聞かずして、
雑誌の評価を鵜呑みにしたまま、買い求めたるものなれど、
買った動機はこのひとの、音の記憶があったわけだし、
そんな自分の頼りない耳に、うろたえきったわたくしは、
藁にも縋る思いをもって、2005年の年の瀬の頃、
中古の品を買い求め、
而して、
自信を回復できたのです。
自宅で聞いたこのひとは、電源を入れた直後の音こそ、
やや陰鬱と聞こえたものの、ヒートアップが進むにつれて、
確かにあの時店頭で聞いた、その印象が甦り、
そこに加えてごく内面の、情感めいて奥ゆかしげに、
空気を揺らす描写こそ、自分にとってのツボでした。
無論、不満もないとは言えず、
例えば 「1びっと」DAC ゆえの、柔目仕立ての低域だったり、
曲によってはもう少し、明るく鳴ってもよろしいぞな?と、
思う瞬間も無きには非じ。
されどこの、 まず中庸な表現と、さりげない中に見え隠れする、
しみじみとした抑揚は、これ見よがしな 「こぶし」 を廃した、
結果がゆえに得られたものかと。
なお余談ながら、それから程なくして、
手持ちのCDぷれーや達を、「えす・えー・しー・でぃー」 と銘打った、
装い新たな規格の機材と、比べる機会に恵まれたのです。
その 「えす・えー・しー・でぃー」 ぷれーやは、決して高価にあらねども、
奏でる音を前にして、手持ちのCDぷれーやの多くは、
どこかを無理した鳴りかたと、認めざるを得なかったなかで、
このひとだけは、ほかで感じた萎縮感やら窮屈さなど、
さほど感じずに済んだのです。
だからこのひとは今もって、メインのぷれーやであり続け、
であるが故にわたくしは、このひとがデビューする前に、
けんうっど様の旗艦であった、「L-D1」様 の心臓部に、
「どらいぶ」とやらを乗っけたものを、一度味わってみたかったなぁ。。。と。
かつてわたくしめが一目置いた、「PD-T07 」様と、
さまざまな意味で似た構成に、けんうっど様の血肉を、
注いだ音はいかばかりか?と、思いを巡らさずには、いられないのです。
※ 拡張ユニットとしての単体DACでも、出してくれれば良かったのに!なぁ。。。