Pioneer (パイオニア) PD-T07 | B級お~でぃお色ざんげ (旧 B級お~でぃお珍道中)

B級お~でぃお色ざんげ (旧 B級お~でぃお珍道中)

わたくしを通り過ぎた、お~でぃお機材(中古ばっかり)たち(笑)

このひととの出会いは、そのお声とはまた別の意味で、

恐らく生涯、忘れられないのです。


2004年の8月に、いくら傷だらけの姿とはいえ、

9,800えん (!!) の値を付けられて、町田の駅に程近い、

古道具屋の軒先に、ちょこんと並んでいたのです。



B級お~でぃお珍道中-手放すときに、写真取り忘れてたのです。


話は少々脱線しますが、

この何ともお茶目な古道具屋さんったらドキドキ


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KP-1100 with STANTON CS100 (W.O.S) @¥15,000.-

(当然、げぇ~~~~~っと!!!)


一方で、

DP-55L (不動品) @¥23,000.- (???)


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※ 2年前に立ち寄ったら、店をたたんでおいででしたわ。。。



それは、さておき、

バブルの最中に綺羅星のごとき名跡たちの向こうを張って

華々しいデビューを飾った、このひとのお作法といえば、


たーんてーぶるの上に、こんぱくとでぃすくの信号面を、

引っくり返してセットする、という、


CDの側からしてみれば、前世代の遺物たる、

「あなろぐぷれ~や~」のスタイルを真似た、

当時の常識に照らして見ては、あるまじき「暴挙」に出ていたのです。


暴挙?

黎明期のぷれいや~の、倒立型のセッティングは???


これも、さておき、

思い起こすにこのひとが、デビューを飾った1990年前後は、

CDぷれいや~という機械が一番、面白い時期ではなかったでしょううか?

でじたる技術の革新に伴う、音質向上への直接的な手続きはもちろん、

その手続きの事務的さ加減に、いささか幻滅した者が寄せる、

音楽を嗜むために執り行う、「あなろぐ」的な「儀式」への憧憬が、

見て取れように思われるのです。


例えば、

“あるぱいん/らっくすまん”(うわぁ)さんでは、

D-105u やら、D-107u (←何気に現有機) という、

レトロ嗜好のぷれいや~が、かたろぐを飾っておいででした。

はたまた”VRDS” という、TEAC (えそてりっくとも、いうの?) さんの大仕掛けも、

ようやく庶民の手に届こうとしている 、そんな時期でございました。



で、また話を戻して、

このひとの歌声と対峙してみるに、大らかな流れに身を任せつつ、

力強い逞しさに満ち溢れていながら、優しく甘いNo.1ホストにも、

「いい娘いい娘」されるかの如き、メロウで豊かな気分にさえ、

浸される思いでございました。

そして後者の印象は、かつてこのひとが型落ちする前、

店頭で「お味」を確かめた記憶と、寸分も違わぬものだったのです。


でぃすくを置くお作法自体は、お声の「溜め」や

足腰の「据わりっぷり」などに大きく関わっているのでしょう。

そしてPD-T流の創始者である、このひとが宿していた「魂」は、

「びっとすとりーむDAC」なる、欧州は「ふぃりっぷす」様の設えた

D/Aこんばーたーでございました。


翻って、このひとの名を継ぐお歴々に、「魂」として宿されていたのは、

ぱいおにあ宗家さまご自身の手による、

「はいすぴーど・ぱるすふろー」なるDAこんばーたーでした。

ぱいおにあのお家としても、もとからお家の特徴であられた

溌剌さや屈託のなさなどを、改めて世に問うたのでしょうが、

甘く優しい語り口からは、少々縁遠くなったようでございます。


ジェントルで優しさに溢れ、頼もしくもあったこのひとは、

「古今」かつ「東西」の「文化」どうしが、類まれなる融合を見せた、

その証とも、思われたのです。


しかし、程なくわたくしの心を支配したのは、

「文化」ではなく「欲望」への、憧憬でございました。


かくして、2008年の1月に、


仕入れ値 = 9800えん

売り値 = 37000えん (!)


という、

俄か商人としては上出来すぎる収益を、収めたのです。


でも、いくらその「成功」を認めようとも、

更なる出会いを求めるために、どうしてもその金が必要だったと、

今に至りて、どれだけ自分を納得させようとも、

あの時自分が売り渡したのは、「文化」の結晶だったのだ、という、

罪悪と後悔の思いは、


わたくしの心からは消えることなく、この先も在り続けるのです。