いささか後味の悪いKXさんとの別れ をもって、
607流の歌い手さんとの濃密なお付き合いは、
心情的にも、予算的にも、ついに途絶えてしまったのです。
されど、わたくしの中にあった、最初の疑問はなおくすぶり続け、
あちらこちらのお~でぃおしょっぷで、MRさん の前後に出られた
607流の歌い手さんと、うたかたのひとときを過ごしながら、
その蟠りの解消を、引き続き試みておりました。
XRさんなど、声自体は大変朗々としておいででしが、
身なりはともかく、肝心の歌唱の技法が、
MRさんに繋がるお姿とは、お見受けできずじまいでした。
一方でNRAさんは、気難しさはし影を潜めても、
やっぱり相方さんへは厳しい手合いかしら ? などと、
MRさんの面影を色濃く留めるお姿と、思われたものでした。
また、「MOS ぷれみあむ」なる、これまた趣深い簪をお召しの、
607流でも特別な歌い手さんにも、まみえることができたのです。
そしてこのとき、あれほど眉をひそめたKXさんの歌声が、
そう設えられた理由についても、少しだけ理解できた気も、したのです。
しかし、わたくしに許された「あがき」は、
残念ながらそこまででした。
607流最後のお師匠となられた、NRAⅡさんとMOS りみてっどさんは、
世に出回られた頭数の少なさもあり、今もって高嶺の花でございます。
逆にえくすとらさん より前の歌い手さんは、残念ながらわたくしの目には、
あまりに年月を重ね過ぎたた姿として、もはや食指の伸ばしようが、なかったのです。
607流の変遷に対するわたくしの追求は、こうして幕を閉じたのでした。
そして、その結論は、
”MRさんは、「特異点」とでもいうべき存在” に、落ち着いたのです。
そして、この遍歴を経る中で、繰り返された変遷の理由について
わたくしなりに腑に落とした、ある答えがございます。
ここからは一時、堅苦しい物言いを、お許し戴けるなら。。。
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経営環境の変容に振り回されるサンスイ社の苦悩と、
退潮著しきオーディオブームの中、
いかにマーケットを繋ぎとめようかという苦闘、
そしてもうひとつ、そんな状況にあっても、
NM-LAPTが持つ、表現の可能性についての、
純粋な追求と、試行錯誤の歴史が、
歴代の607の個性を通して、
垣間見てとれるように、思えてならないのです。
AU-α607EXTRA は、従来素子の枠での完成形として、
端正な音像および音場の表現に加え、
ソースや接続機器の相性を問わないアンプと映りました。
AU-α607L EXTRA は、EXTRAを 「ブレークスルー」するにあたり、
まずは中高域の肌触りに重点を置いて、
新しい素子の特性をアピールしたものと映りました。
AU-α607DR は、その新しい素子の特性を、
中高域のスピード感や切れに活かし、
サンスイ伝統のサウンドに結び付けて、
新しい次元に昇華させたものと映りました。
AU-α607KX は、その新しい素子を用いて、
どれだけMOSFETの持つ繊細さに迫れるか? という
実験的性格を帯びたものと映りました。
そうして培い続けた数々のノウハウの投入ばかりでなく、
もうひとつ別の変容を、AU-α607MR 以降のモデルで、遂げたのでしょうか。
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でも、ごめんなさい。
ここまで書いておきながら、手のひらを返す物言いを。
607DRさんを除いた、えくすとらさん以降の 「山水宗家」の皆様には、
経年変化もあるにせよ、なぜかお声に生気が感じられないことに、
特性のよさは感じても、なぜか 「音楽」を感じにくいことに、
わたくしはいつか、気がついてしまったのです。