わたしが愛した607たち (その4) SANSUI (サンスイ) AU-α607DR | B級お~でぃお色ざんげ (旧 B級お~でぃお珍道中)

B級お~でぃお色ざんげ (旧 B級お~でぃお珍道中)

わたくしを通り過ぎた、お~でぃお機材(中古ばっかり)たち(笑)

このDRさんとは、ちょうど2008年の節分のころでしたでしょうか。

前回の L えくすとらさん 同様、当時すっかりはまっていた、

「YAH○◎おーくしょん」 なるテレクラにて、懇ろな仲と相成ったのです。


寒中に遠方から出向かれたにも拘らず、

わたくしの前に現れたそのいでたちは、

驚くべきことに薄いビニールのプチプチ1枚に、

くるまっただけでございました。

少々呆気にとられながらも、はやる心を抑えきれず、

早々にその旅装を解いてみると、


はたして素肌に幾つもの、傷の跡が生々しく、


それまでの贔屓筋に、どんなあしらいを受けたのだろうか、

はたまた自虐的な嗜好のほうを、あるいはお持ちのかたかしら? などと、


正直に申しまして、このときばかりは少々、

滅入る気持ちを隠せなかったのです。



B級お~でぃお珍道中-607DRさん



でもそれは、わたくしの、

思い過ごしに過ぎなかったのです。


全体の芸風を見てとれば、それは正しく607えくすとら さんの、

延長線上にございました。

されど、ひたすら折り目正しいえくすとらさんと、

このひとの振舞いぶりを比べてみると、


調べの作り手が込めた想いとともに、演者の息吹と申せましょうか、

「営み」とでも呼びたい佇まいまでもが、

わたくしには確かに、感じて取れたのです。


それは同時に、看板に「あるふぁ~」の文字を掲げる以前の、

古き良き山水さんの芸風をも、忍ばせるものでございました。

そしていくらか 「気恥ずかしい」 物言いを、お許し戴けるのであれば、


わたくしが山水さんに求めてやまなかった、

表現美におけるひとつの到達点を、

具見化したもののように、思われたのです。



実はその後、この人の姉さん筋であれば、

さらに良くはなかろうか? という浅はか極まりない動機から、

907DRさん をお招きして、しばらくわたくしの戯れに、

お付き合い頂いたことがございます。


このときのお話は、機会を改めたいとは存じますが、

結論を申せば、907DRさんの歌声は、

「姉」としてのゆとりや風格を、感じさせるものでございました。


しかし、それでもなお、

このひとの魅力が色褪せてしまうことは、

いささかほども、なかったのです。


正直な話、このお~でぃおの世界にありて、

山水さんのご本家筋でも、世間様の覚えめでたきとはいえ、

残念ながら607流さんは、格下のそしりを免れぬ、

お家柄ではございましょう。


されど、こと芸の道に関する限り、

実はお家の格式なぞ、寸分ほどにも関係ないと、

志を高く持ちて、おのれに妥協を許さぬ限り、

いつかは「真実」の二文字に、まみえることがかなうはず、という、


諦めににまみれた現し世を生き抜くための心得について、

出会いのエピソードも含め、確かにこのひとの歌声が、

教えてくれたように思われるのです。