このDRさんとは、ちょうど2008年の節分のころでしたでしょうか。
前回の L えくすとらさん 同様、当時すっかりはまっていた、
「YAH○◎おーくしょん」 なるテレクラにて、懇ろな仲と相成ったのです。
寒中に遠方から出向かれたにも拘らず、
わたくしの前に現れたそのいでたちは、
驚くべきことに薄いビニールのプチプチ1枚に、
くるまっただけでございました。
少々呆気にとられながらも、はやる心を抑えきれず、
早々にその旅装を解いてみると、
はたして素肌に幾つもの、傷の跡が生々しく、
それまでの贔屓筋に、どんなあしらいを受けたのだろうか、
はたまた自虐的な嗜好のほうを、あるいはお持ちのかたかしら? などと、
正直に申しまして、このときばかりは少々、
滅入る気持ちを隠せなかったのです。
でもそれは、わたくしの、
思い過ごしに過ぎなかったのです。
全体の芸風を見てとれば、それは正しく607えくすとら さんの、
延長線上にございました。
されど、ひたすら折り目正しいえくすとらさんと、
このひとの振舞いぶりを比べてみると、
調べの作り手が込めた想いとともに、演者の息吹と申せましょうか、
「営み」とでも呼びたい佇まいまでもが、
わたくしには確かに、感じて取れたのです。
それは同時に、看板に「あるふぁ~」の文字を掲げる以前の、
古き良き山水さんの芸風をも、忍ばせるものでございました。
そしていくらか 「気恥ずかしい」 物言いを、お許し戴けるのであれば、
わたくしが山水さんに求めてやまなかった、
表現美におけるひとつの到達点を、
具見化したもののように、思われたのです。
実はその後、この人の姉さん筋であれば、
さらに良くはなかろうか? という浅はか極まりない動機から、
907DRさん をお招きして、しばらくわたくしの戯れに、
お付き合い頂いたことがございます。
このときのお話は、機会を改めたいとは存じますが、
結論を申せば、907DRさんの歌声は、
「姉」としてのゆとりや風格を、感じさせるものでございました。
しかし、それでもなお、
このひとの魅力が色褪せてしまうことは、
いささかほども、なかったのです。
正直な話、このお~でぃおの世界にありて、
山水さんのご本家筋でも、世間様の覚えめでたきとはいえ、
残念ながら607流さんは、格下のそしりを免れぬ、
お家柄ではございましょう。
されど、こと芸の道に関する限り、
実はお家の格式なぞ、寸分ほどにも関係ないと、
志を高く持ちて、おのれに妥協を許さぬ限り、
いつかは「真実」の二文字に、まみえることがかなうはず、という、
諦めににまみれた現し世を生き抜くための心得について、
出会いのエピソードも含め、確かにこのひとの歌声が、
教えてくれたように思われるのです。