好色五人之PL (その1) Pioneer(パイオニア) PL-70 | B級お~でぃお色ざんげ (旧 B級お~でぃお珍道中)

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わたくしを通り過ぎた、お~でぃお機材(中古ばっかり)たち(笑)

このひとは2008年の10月に、板橋は高島平 のはずれにあった

大手リサイクルチェーンの店舗 内で、「食器棚」のレンジ台の上に、

参萬圓の値札をつけて、鎮座ましましておられたのです。

※、ちなみに、あんとれ~EC-10 と、さえくCX5006たいぷB付き!


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若輩者のわたくしは、このひとが1979年という、

あなろぐれこーどの嗜みかたが、極まった頃のお生まれで、

ぱいおにあ様のご本家 (えくすくるーしぶ一族を除く) でも、

別格だったことなどは、このときは知る由もなかったのです。

されど、場の違いなど何処吹く風と、周囲を薙ぎ払うかの如きオーラに、

わたくしはすっかり当てられてしまい、次に正気にかえったときは、


23キロのこのひとを抱え、家路へ向かう 「バス」 の中、だったのです。


当時の(いまも)わたくしは、あなろぐれこーどの奏で手に、

数奇な縁で手に入れた、けんうっど様のKP-1100 を、召し抱えてはいたものの、

率直に申しますれば少々、神経の細い歌声が、耳につき始めておりました。


はたして、そんなKPさんを尻目に、

このひとはすべてに余裕を見せて、


朗々と、

堂々と、

滔々と、


歌い上げたものだから、

このときばかりはKPさんも、長年勤めた主役の座を、

開け渡さざるを得なかったのです。


そして、お堅い一辺倒のKPさんとは異なって、

どこから見ても艶福家と、察せられたこのおかたには、


れこーどを 「鳴かせる」針細工には、「こんぷらいあんす」 があることも、

そいつをうまく手なづけて、柔いお肌を撫でまわすための、

「おいるだんぷ」 と銘打った、からくり仕掛けがあることも、

なにより 「ろんぐあーむ」 という、仕込みの 「竿」 が決め手なことも、

そしてそれらが満遍なく、絡み合わさったお楽しみには、

真鍮の材でしつらえた、「床」と「褥」が要るなことも、


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あなろぐれこーどのあしらい方に、とんと初心だったわたくしは、

「そちらの道の習わし」 の、手ほどきさえも受けたのです。


でも、わたくしは、このとき既に、

気がついてしまっていたのです。


ラックの上から、はみ出してるし。。。


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狭く安普請なわたくしの家に、豊満なこのひとが住まわれるのは、

困難なばかりか危険をも、伴うものでございました。

加えて風雅で威厳に満ちた、このひとの姿と並べてみるに、

わたくしの家の誰もかれもが、ただみすぼらしく、いじけてしまい、


やはり、教養も財産もないわたくしは、

往年のぱいおにあ様の、栄光を背負われたこの方とは、

所詮は釣り合わなかったのです。


しかも、ひとたびこのひとの奏でる音色を、

知ってしまったわたくしは、このひとの面影を湛えてなお、

わたくしの器にも収まるような、「別のお方」を求めることが、


あれほど長く困難な、いばらの道になろうとは、

そのときは到底、思いもよらなかったのです。