このひとは2008年の10月に、板橋は高島平 のはずれにあった
大手リサイクルチェーンの店舗 内で、「食器棚」のレンジ台の上に、
参萬圓の値札をつけて、鎮座ましましておられたのです。
※、ちなみに、あんとれ~EC-10 と、さえくCX5006たいぷB付き!
若輩者のわたくしは、このひとが1979年という、
あなろぐれこーどの嗜みかたが、極まった頃のお生まれで、
ぱいおにあ様のご本家 (えくすくるーしぶ一族を除く) でも、
別格だったことなどは、このときは知る由もなかったのです。
されど、場の違いなど何処吹く風と、周囲を薙ぎ払うかの如きオーラに、
わたくしはすっかり当てられてしまい、次に正気にかえったときは、
23キロのこのひとを抱え、家路へ向かう 「バス」 の中、だったのです。
当時の(いまも)わたくしは、あなろぐれこーどの奏で手に、
数奇な縁で手に入れた、けんうっど様のKP-1100 を、召し抱えてはいたものの、
率直に申しますれば少々、神経の細い歌声が、耳につき始めておりました。
はたして、そんなKPさんを尻目に、
このひとはすべてに余裕を見せて、
朗々と、
堂々と、
滔々と、
歌い上げたものだから、
このときばかりはKPさんも、長年勤めた主役の座を、
開け渡さざるを得なかったのです。
そして、お堅い一辺倒のKPさんとは異なって、
どこから見ても艶福家と、察せられたこのおかたには、
れこーどを 「鳴かせる」針細工には、「こんぷらいあんす」 があることも、
そいつをうまく手なづけて、柔いお肌を撫でまわすための、
「おいるだんぷ」 と銘打った、からくり仕掛けがあることも、
なにより 「ろんぐあーむ」 という、仕込みの 「竿」 が決め手なことも、
そしてそれらが満遍なく、絡み合わさったお楽しみには、
真鍮の材でしつらえた、「床」と「褥」が要るなことも、
あなろぐれこーどのあしらい方に、とんと初心だったわたくしは、
「そちらの道の習わし」 の、手ほどきさえも受けたのです。
でも、わたくしは、このとき既に、
気がついてしまっていたのです。
ラックの上から、はみ出してるし。。。
狭く安普請なわたくしの家に、豊満なこのひとが住まわれるのは、
困難なばかりか危険をも、伴うものでございました。
加えて風雅で威厳に満ちた、このひとの姿と並べてみるに、
わたくしの家の誰もかれもが、ただみすぼらしく、いじけてしまい、
やはり、教養も財産もないわたくしは、
往年のぱいおにあ様の、栄光を背負われたこの方とは、
所詮は釣り合わなかったのです。
しかも、ひとたびこのひとの奏でる音色を、
知ってしまったわたくしは、このひとの面影を湛えてなお、
わたくしの器にも収まるような、「別のお方」を求めることが、
あれほど長く困難な、いばらの道になろうとは、
そのときは到底、思いもよらなかったのです。