はなから告白してしまうなら、このひとを手に入れるつもりなど、
実は毛頭なかったのです。
2009年は文月のころ、 「やふ◎く」 の園を徘徊中に、
アームの先にくっついていた AT-150E様 と、
LT-LH15様 目的で、札入れしちゃったものなのです。
だから詳しい生い立ちなどを、知ったのは手に入れた後であり、
先日書いた2つの機種 より、年式も古く格も落ち、
おまけにこの手に収めたときは、尋常ならざる 「ヤニ」 にまみれて、
どんだけ煙たい所にいたのか、音まで気息奄々かしら?と、
期待も持たず鳴らしたところ、
その汚れっぷりと見事なまでの、対照を見せる清澄な、
音を広げて聞かせたのです。
こちらの御家の音の作りを、わたくしなりに解釈すれば、
それは基調に 「透明感」 を、置いたものだと思うのです。
このひともその例には漏れず、でもただそこに留まらず、
硬めの調子に仕上げた光画の、被写体の如き音像が、
だから粒子は荒めのようでも、不思議なことにそれまで試した、
どのぷれーやより優れて思える、聴感上の 「静けさ」 の中に、
点在しているようでした。
この硬質な感覚は、やはりボディ を 「はーどぼいるど」 に、
固めたが故に得られたものか。
このひともその 「きゃびねっと」 裏に、ほとんど防弾装甲の如き、
鋼の板を仕込んでたのです。
筐体自体の剛性や、デビュー当時の上位機 も超える、
重さへの寄与はもちろんのこと、これがあるいは 「もーたー」 からの、
ノイズなんかをシールドしたから、先にも書いた 「静けさ」に、
一役買ったものではないか?と。
もっとも、それらの好印象は、「たーんてーぶるしーと」 のほうを、
ぱいおにあ様の 「JP-501」 に、変えた場合のものなのです。
元からついてる、「へるむほるつ」 の、原理とやらを用いたという、
裏が穴ぼこだらけのシートは、予想に反して音の滲みを、
増しているよう思われたのです。
※ 汚いなぁ。。。(マジックリン(原液)にて洗浄前)
などと、素性の良さは端々に、
感じてもやはりその価格なりの、粗もあちこち垣間見え、
「硬調」 と書いたその裏を、返せば奏者のエッジだったり、
ファルセットなどがやや雑と、思えることも多かったのです。
大方それは 「スパイス」 として、働くものの気にはなり、
KP-1100様 に倣って、色々手当てを施したものの、
このひとの場合それはかえって、魅力をば削いだようでした。
あるいはじっくり詰めていったら、より良い音も得られたろうけど、
特にあーむの各種鳴き止めは、もそっと試してよかったけれど、
すでに狩り集めた 「ぷれーや」 達で、足の踏み場も事欠く中で、
傾向が被るKP-1100様と、共にとどめ置く理由も薄く、
ひとしきり弄んだ後は、人手に渡してしまったのです。
そんな、薄情極まる付き合いなのに、忘れられないその訳は、
やはりこのひとの見せた 「静けさ」 が、格別だったからなのでしょう。
決して高価と言えぬこのひとに、でもその点では何にも負けぬ、
「取り柄」 を持たせることを許した、当時のお~でぃお業界の、
充実ぶりはもちろんのこと、
斯界の名門 「とりお」 様の、製品に込めた矜持のほども、
そこに感じてやまないのです。