この前書いたCDP-338ESD様に、わたくしが感じた印象 は、
実際のところ、このひとにこそ、期待していたものなのです。
だって、手元に残した発売当時の雑誌やMOOKを紐解けば、
定価も五萬八千円の、 「はいこんぽ」 のぷれーや風情に、
「九千円のDACちっぷを、8個も腹に収めている」 とか、
「”32倍さんぷりんぐ” と、”どらいぶ” とかいう波形補完で、
滑らか極まりない音」 だそうで、
「その解像度は100マソ越えの、機器をも越える」など 、
極め付けには、その成果をば単体「DAこんばーた」として
外部のでじたる信号さえも、受け入れてしまう懐深さ!
それに見た目も 「虚飾は不要」 と言わんばかりのカッコよさ!!
当時二十路のわたくしは、奏でる音も聞かずして、
「進歩っつーのはありがてぇなぁ!」と、ただ目を細めるばかり、だったのです。
ひょんなことから中古の品を、手に入れ聞いたは2004年。
その印象は「けんうっど」 様の、表現世界の美意識を、
充分感じて取れるものでした。
すなわち、つるりと滑らかで、決して雰囲気に流れない、
ガラスのような質感ながら、キラキラ眩しい印象よりは、
それは例えばビー玉や、おはじきのような軟質の、
親しみやすさも感じたのです。
でも、「100マソ越え」っつーのは、その宣伝に費やした、
原稿料ではなかったかしら?
あまたの音が幾重にも、交錯している音源なぞは、
細部のエッッジはよく捉えても、やっぱりどこかが雑然とした、
突き詰めて言えば、「598」機器 の、基礎体力の限界だろうと。
でも、その素直な印象を、そのまま吐露してしまうのは、
当時の純真極まりなくて、また若さゆえに不誠実な、
わたくしにとってあまりにも、困難な所業だったのです。
すなわち、
「偉いセンセがほめていたのだ! 使いこなせぬ自分が悪い!!」と、
「教養やセンスがないから、この音に対し理解がないのだ」、などと、
必要以上にへりくだり、
だから、わたくしは、頑張ったのです。
例えば足場を固めてみたり、いろんな重石を乗っけてみたり、
それに数多の「でじたるあうと」も、このひとに注いでみたのです。
中でも PD-T07様 と、同軸ラインで結んだときの、
どっしりとした安定感や、いきいきとした表情に、
「これならいける」 と光明を得て、追い込みを掛けてみたものの、
このわたくしができる範囲では、中高域の「充実感」やら、
全帯域での整いかたなど、結局のところ納得を、
得られず仕舞いに終わってしまい、
2008年の年明けに、質草へと変わり果てたのです。
でも、巷に出回るこのひとの、改造記事を目にするたび、
「ああ、わたくしにちゃんとした、電気の知識があったなら、
さすればこのひとの特色を、保ったままで色彩豊かな、
音の世界を得られたのに!!!」 と、
文系おーでぃおまにあとして、生まれてしまった身の不遇をば、
嘆かずにいられないのです。