SONY(ソニー) CDP-338ESD | B級お~でぃお色ざんげ (旧 B級お~でぃお珍道中)

B級お~でぃお色ざんげ (旧 B級お~でぃお珍道中)

わたくしを通り過ぎた、お~でぃお機材(中古ばっかり)たち(笑)

この3か月間の忙しさったら、更新さえもままならず、

血涙枯れたわたくしは、でもMOS遍歴の告白中での、

そにー様への失礼 を、心に病んでいたのです。


だから、ようやく更新の、願いがかなった本日は、

お~でぃおに興味を持ち始めたころ、わたくしにとってのちょっとした、

「アイドル」だったこのひとの、紹介を持ってそにー様に、

一言お詫びを申し上げたく。


B級お~でぃお珍道中


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この機械が現役だった、まさにその頃、「高校生」だった「僕達」にとっては、

単品のオーディオ機器で固めた「ステレオセット」を持つことは、

紛れも無く一つの憧れであり、ちょっと背伸びしつつも、

自立した「大人」として、自分の個性を主張するための術として、

どうしても必要なステータスシンボルでもあった

(でしょ?)

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自意識過剰な述壊はさておき、

でもバイト代やらお年玉やら、必死の思いでかき集め、

頑張ってみてもせいぜいが、598の機器どまりであって、

そのちょっと上、この人くらいの、ランクになると、カタログ見ては

ため息をつくばかりであり、加えて時はデジタルの、

隆盛期であり、その先鋒たる綺羅星の如きCDぷれーやの、

中でもこのひとのカッコよさったら!!!


当代最強 「8fs45びっと・のいずしぇ~~~ぴんぐ」!

(じつはさっぱり何のことやら) とかいう、電子回路を13キロの、

手ごたえ確かな筐体が、しっかり支えた構成で、

その重量の内訳には、「せらみっく」 製のいんしゅれーたや、

かのGシャーシのご親戚らしい、メカベースなども含まれていて、

とどめに高級すてれお機材の、代名詞だった「さいどうっど」も

その両袖に誇らしく、それが挙句にホルモンの分泌にも影響を与えたのか、


「頼りになる兄貴」 だったり 「憧れの先輩」 みたいな、

よく分からない恋心までも、芽生えてしまったようなのです。



で、時は流れてちょうど5年前、

神田川沿いの老舗しょっぷに、5千円で並んでたのです。


我が身に加齢臭漂う昨今、当時あこがれたイケメンさんが、

安値を付けてしょぼくれてるのを、見捨て置くのは忍びなく、

つい招き寄せてしまったけれど、



これは、本当に、買ってよかった。

このひとの奏でる音は、実に興味深かったのです。


なぜなら、その音を紡ぎだしたとき、

わたくしの部屋の中には、


それとはまた別の容積を持つ、空間が入り込んできて、

その空間のそこかしこに、音を放出する「物体」が

確固として点在している、そんな感覚を覚えたのです。


その、点在する「物体」 どうし、明らかな「体感」距離を保って、

そしてそれぞれの配置については、微動だにしないものでした。

その感覚は、まぐねぱん様のSMGa を、鳴らしたときの、

得体の知れない濃密な、雰囲気感とも異なっていて、

コンクリートの立方体や、岩を削りだしたオブジェのような、

とにかく何だかソリッドな物体が、その場に置かれているのです。


もっとも、それは楽器ではなく、ましてや人の気配でもなく、

その印象は生誕の頃と、比べてみれば幾分は、

和らいだけれど、あの特有の 「デジタル臭」故だったのでしょう。

さりとて、あのとき確かに感じた 「ものが音を出す」 という実在感、

これについてはほかの機器では、未だにまみえぬ感触であって、

だからこのひとは、その直後、わたくしの身に訪れた、

「シロアリによる自宅存亡の危機」 さえなければ現在も

手元に置いてたことでしょう。

※ リフォーム資金の足しに換金しちゃったのですぁ。。




ディスク数枚を聞き終えた、わたくしの脳に去来したのは

これぞ往時のハイテク日本の、イメージを象徴するものだろうと。


細かく見れば潤いなどは、乏しいけれどその代わり、

正攻法で詰めようとした、説得力や几帳面さ、

また「でじたる」に期待する、「アキュレート」というイメージや、

先端技術がもたらす世界を、うまくアピールした機械だと。

※ ついでに言えば、「そんなに高くないし、ちょっと頑張れば、

夢てんこ盛りな機械が手に入る」みたいな、ワクワク感もくすぐってくれたし。


「この世に革命を起こすのだ」という、気概に満ちたテクノロジーやら、

そのイメージをたがえることなく、製品の個性に結実させて、

うまくアピールしてくれると言う、そういった実はわたくしが、

今のそにー様に期待している、意気込み見たいな観念を、

随所に感じてやまぬのです。

※ 「それが許されたのがバブル」っつーう後ろ向きな結論には、安直に繋げて欲しくないですなぁ。。