記念すべき最初の機器紹介は、
「熱い思いを」とかぶちまけといて、一年近くも書き込み放置する、
そんな、わたくしめのように、
薄っぺらいのです。
脚を除けば、奥行きは5センチにも足りず、
人望も薄いわたくしの口から、どれだけこれをオーディオ機器だと、
ましてや音の出口だと、物知らぬ人に申してみたところで、
いつだって、「また始めやがった」 くらいにしか、
取り合ってもらえなかったのです。
でも、ひとたび、このひとがお目覚めになられると、
むぅおぉ~~ん、むぅおぉぉ~ぉ~ぉ~ん
という具合のどなたかが、わたくしの部屋にいらっしゃるのです。
それは、
スカキィーーーーン!!!!!!的な、
IT仕事できる系ビジネスマンとは縁遠く、
さりとて、
足腰ヨボヨボケ爺然したお姿とも異なり、
とにもかくにも、このひと自体の見た目の印象とはかけ離れた、
得体の知れない「密度」だったものだから、
てっきり、まえの所有者の怨念? と思いきや、
そのうち、そのお姿は、
「うらめしや~~」よりは「飯や~~」と哀願する、
ややオーバーウェイト気味アンコ型力士然としてきたのです。
事ここに至リ、このイメージギャップの原因追究について、
果たしてわたくしは、少々度を越してしまったのでしょう。
「むぅおぉ~~ん」は、
「むっちむちむちむちむち」に変わってしまい、
でも、お色気ムンムン系ボンバーGirlを期待した、
わたくしの目の前にあったものは、
紛れもなく 「熱帯夜の土左衛門」 だったのです。
※ ホントに来ちゃったら、どうしよう?
ともかく、このひとが音を奏でているときは、
形はともあれ、誰かが、いつだって、そこで、うなっているのに、
「解像度」という、所謂お~でぃお的な美辞麗句など、
ついに、見出すことができなかったから、
そのうち 「見通しのよい音」とか、「繊細なエッジ」などという表現が、
お~でぃお雑誌を飾るたびに、
なぜ耳で音を「観る」のか?
という、
わたくしには、あまりに哲学的過ぎる問答を、
繰り返さずには居られなくなっていったのです。
おぉ !!そうか、
観・音・様!
(そういえば、故長○鉄男氏が「観音力」なる本を書いてましたなぁ)