Kenwood (ケンウッド) KP-1100 | B級お~でぃお色ざんげ (旧 B級お~でぃお珍道中)

B級お~でぃお色ざんげ (旧 B級お~でぃお珍道中)

わたくしを通り過ぎた、お~でぃお機材(中古ばっかり)たち(笑)

けんうっど様のおーでぃお機器の、一部は何故だか好みのツボに、

どっぷり嵌るようでして、2012年現在の、

このわたくしめの手元の機材に、先のDP-7060 様と、

このひとが並び居るのです。



出会いはPD-T07 様の、お話をご覧いただくとして、

最初のころは、これもPL-70 様の、ご紹介でもちょっと書いたけど、

実はそんなに気に入って、使ってたわけじゃないのです。


その大人気のもとだろう、黒く無愛想な 「きゃびねっと」 裏の、

超合金 (←勝手な思い入れ) の躯体には、もちろん大きくときめいたのです。

でも肝心のその音は、中高域を突出させて、

これ見よがしな「解像感」 を、醸し出そうとしていないか?と。


そんな 「聞こえ」 を払拭しようと、あちこちのWebを読み漁り、

付属の 「たーんてーぶるしーと」 を、「ぶちるごむ 」 のに交換したり、

その足元に 「そるぼせいん」 を、噛ませてみたりもしたけれど、

神経の細い印象は、大して変えられなかったのです。



だから、告白すればその頃は、 市場の人気につけ込んで、

来る日も来る日も 「相場」 を睨み、売り飛ばす時期を狙ってたのです。

そして PL-50 様 を、手に入れようやくその時を得たと、

「今生の別れ」 を惜しむ振りをして、動作確認のでぃすくの上に、

このひとのあーむを乗っけたその時、



「偶然」っつーのは、まこと恐ろしいもの、ですなぁ。。。



たまたま自分の足元の、目障りな位置に放ってあった、

700ぐらむの真鍮製の 「いんしゅれーた」 を、このひとの、

きゃびねっと上は 「あーむ」 の根元に、何の気もなく退けたのです。

その瞬間は気が付かねども、数分を経てわたくしは、



な~~んか、いつもより随分と、

ええ見通しじゃのぉ。。。と。



文字には斯様にあらわしたものの、実際のところ劇的に、

変わったというわけでもなくて、でもその僅かな変化こそが、

このひとが持つ本質的な、美質を突いたようでした。


B級お~でぃお色ざんげ (旧 B級お~でぃお珍道中)

感度が命の 「とーんあーむ」 を、金属製のフレームなんぞに、

直植えしたから余計な響きの、一つも拾っていたものか。

そこにたまたま効かせた重石が、いい塩梅に要らない「鳴き」を、

整理してくれたようなのです。

それだけでなく今までは、軽目と感じた低音域にも、

重心を下げて贅肉を削いだ、ボクサーの如き 「凄み」 が加わり、

まこと独特の静謐な、空間の中にある種の 「覚悟」 を、

決めて毅然と対峙する、姿まで見えるようでした。



「こりゃあ面白い」 とわたくしは、「いんしゅれーた」 を積み増ししたり、

きゃびねっと上を埋め尽くしたりと、色々試してみたものの、

いっとう最初の場所と重さが、一番しっくりくるようで、


当初の目論見はどこへやら、そのまま今に至るのです。



もっとも基本の性格は、 「あなろぐれこーど」 の音に、

多くの人が期待を寄せる、「温かみ」 やら 「柔らかさ」 など、

お門違いと申せましょう。

従いまして普段リラックスして、聞きたいときは別のぷれーやの

出番のほうが多いけど、


しかしこのときの体験が、その後わたくしが 「あなろぐ」 に狂う、

呼び水となってしまったようで、

今となっては落ち着くまでの、泥沼のようなはまり具合と、

疲弊しきった財政事情に、「売り飛ばしときゃよかった」 という、


僅かばかりの後悔を、持たないわけでもないのです。