ハイデガーのリルケ論が読みたくて大学の図書館に行ったが、詩人の講義はヘルダーリンが対象のものばかりで、ようやく探し出したのが「杣道」。

 

 この題名、読み方が分からなかった。

 今まで「せんどう(仙ぽいから)」と適当に読んでいたが、改めて調べると「そま」と読むのだという。木材のこと。

 原題はHolzweg。

 確かに辞書ではHolz:材木とある。

 

 しかし<材木の道>って変な題名ではないか?

 ハイデガーは序文で、Holzは森の古い言い方で・・・と書いているので、なるほどと素直な私は思ったが、素直でない私が辞書でHolzwegを調べると<森の道>という記載はなく、"auf dem Holzweg sein”<勘違いをしている>という慣用句が載っていた。 

 <誤解しているかもねぇー>と(分かりにくい)言い訳を含んだ題名ではないか。

 本当に喰えない人である。

 

 

 本題。

 リルケは、愛、痛み、死を忘れてだらだら生活する嘆かわしい状況(ハイデガー語で「乏しい時代」)と戦っているだろうか(p303-304)

 リルケの詩から(ハイデガーが考える)重要な語を拾いながら議論は進む。

 以下。

自然:生、ありのままにある全て、根元 p308

 

冒険:ものがありのままにあろうとすること(心理的な意欲のことではない p309 たぶんショーペンハウアー的な意味) 自然はものを「冒険にゆだねる」 p309

 

連繋:ものがありのままにあること(関わりの意味ではない) 

   空け開かれたものdas Offeneともリルケはいっている p313-314

 

別離:連繋の逆。 p325

 

天使:リルケは「目に見えないものの中に(ブログ主注=死)、優先して実在性を認める(略)者」と書いている p346

 あと詩や書簡も断片的に引用。たとえば

書簡

「動物は世界の中にいます。我々は(略)世界の前に立っているのです」(p316)

 

「我々は、植物や動物よりもいっそう多く、この冒険を共にあゆみ・・・」(p318)

 

詩(?)

「我々が庇護なきものであり、庇護なきものであることの差し迫りを見て、空け開かれたものの中へとそれを転じることだ」(p332)

 

 概要。

 

 私達は自然(以下の”自然”はリルケ的な意味)とのつながりを失い、自然を前に立てvor-Stellen=イメージVorsellung、対象にして関わるようになった(p321)。言い換えると、私達は、ものがありのままである中で生きる、冒険して生きるのではなく、冒険と共に生きる、あるいは、自然の中にいるのではなく、相対している。

 

 要は自然と隙間ができてしまった。

 動植物は、自然、ありのまま、空け開かれたものの中で、あるべきところにあり、冒険する。しかし、人間は、自然から別離し、より一層冒険しようとする。意志以上に意欲する(p327-328 私の言葉なら、自然に手を加えようとする)。

 ありのままにあることで動植物は特別に庇護されるわけではないが、人間は端的に庇護がない(p324-325)。では、どうすれば人間は安全sine cura(懸念なく)に過ごせるか(p330)。リルケは空け開かれたもの、自然、全き連繋の中へ転じることと書いたが、それをハイデガーは庇護なきものであることを肯定するしかないと読み替える(p335、336)

 リルケが書簡に「死は我々によって光をあてられていない生の側面」と書いたことを受けて(p335)、ハイデガーは死を<別の>連繋であると主張する。死は確実なものであり(p336 誰でも確実に死ぬ)、否定的だがこれほど肯定的(確実)なものはない。

 さらにリルケは「死という言葉を否定なしに読む」ことを指摘し、仲介者としての天使について何度も歌った。

 つまり自分の死を意識することが重要なのだ・・・・

 ここまではよく知られた考え。

 中期ハイデガーはさらに進む。

 

 私達は、自然、空け開かれたものと離れてしまったことで、本質的に(不安を)鎮めることができない(p347)。であれば、自然の中ではなく、意識の中で(疑似的な?一時的な?)連繋を探すしかない。それは何か。

 歌(詩)である(p350)

  リルケ「歌とは現にあることである」

 

 自然について歌う。

 そうすることで、私達は自然の中にあることの<一部>になれる(戻れる)(p350)

 それは一層冒険的(人間的)であり(p350)、同時にとても困難である。

 

 

 約60頁の短い論文。

 リルケの詩についてというより、詩に託して自説を展開しているように思った。

 正直、少々、強引さを感じた。

 とはいえ、難しかったので確実に誤読していると思う。

 

 

 死ではなくて、詩によって、私達が失った自然とのつながりを一瞬あるいは一部でも取り戻せるかもしれないという主張は、なんだか美しいと思う。

 

 

 

茅野良男、ハンス・ブロッカルト訳:ハイデガー全集第5巻 杣道 創文社、東京、1987

Heidegger, M: Gesamtaugabe Band 5 Holzweg, Vittorio, Frankfurt a. M., 1977