「幻の原稿」といった文言に弱いので、書店で見つけてすぐに購入。
正直、ジュネの本を読むのは初めてなので、本作にジュネらしさがあるかはわからない。
端的に戯曲として楽しめた。
とはいえ、やはり劇として見てみたい。いつかどこかの劇団が公演なさるだろう。
台本を読むのと実際に劇として見るのではまったく印象が変わることは、しばしば経験してきた。
解説ではジュネがアルトーの影響を受けているかが論じられていたが、個人的には当然受けていたのではないかと思う。
「石」が意図的に出されていたり、秘密が保持できないという意味で使われているが、「こだま」が重要なモチーフだったり、本作の基本構造が祖母とへリオガバルスの二人劇といってもよいあたり、アルトー本へのオマージュを感じる。
本作のへリオガバルスは、単に淫蕩で暴虐なだけの皇帝ではない。
自身の出自を疑い(p26)、祖母や母から信じるように”植え付けられた”神性(p31-32)を受け入れることはできなくなっている(p27、58)。そして周囲の淫蕩ぶりにも嫌悪感を抱いてる(第二~三幕)。
彼が帝国を破壊し無秩序な状態にしている背景には、皇帝としての自分を
「私は闇の息子なのです。ユダヤの豚飼いの怪物じみた一物の孕まされた闇から出てきたのだ(略)、取るに足らぬ者の股から出てきた名もなき私」(p104)
としか考えられないでいることが何回か示唆される。
一方、彼は、
「私は自分の人間性を信じる」(p27)
「あまりに眩い皇帝のイメージを破壊することで、ある優雅な青年のイメージを(略)、私は手に入れたのだ」(p54)
とも述べる。
自分は誰から生を受けたのか、自分が何者なのか、何をすべくしてこの世に生まれ出たのかを見失っている痛ましさ。
オイディプス王のようでもあり、ハムレットのようでもあり、中勘助の「提婆達多」に出てくるアジャセ王のようでもある。
まさにギリシャ悲劇のような作品。
Genet, J:Héliogabale, Drame en quatre actes.Gallimard, Paris, 2024.
宇野邦一、鈴木創士訳:へリオバルガス. 河出書房新社、東京、2025