続きです。
別稿のQ1ヴァージョン。
解説によれば(p147)、こちらが最初に世に出たらしい(1603年)。
Q2が1604-5年、一般的に知られているFが1623年だそうです。
読んでみると、意外に芯をくったダイジェスト版です。
ただシェイクスピア独特な「言葉、言葉、言葉」な感じがない。
普通によく出来た劇という感じです。
それから普及版(?)で圧倒された性的暗示と卑猥な表現の氾濫はほぼありません。
後で述べるガートルートの位置の変化と関連して、性的テーマはだいぶ後退しています。
Q1とFの差違は、Q1の分量が1/3以上少ないだけでなく、人物描写が大きく異なる点が重要だと思います。
前のヴログで書いた謎な部分が、Q1ではクリアになっているのです。
シェイクスピアは、Q1からFへと物語を膨らませていく過程で、かえって人物像を曖昧にしていったということになります。
これは、敢えての改訂としか思えません。
相変わらず悪筆ですが、左の最終版ではハムレットの母親への憎悪が非常に強く、ハムレットは最後にオフィーリアを「愛していた」と言うのですが、オフィーリア本人の気持ちがまったくわからない。
またガートルードは、夫を義弟に殺されたと分かっていたかもはっきりしない。
考えようによってはすべてハムレットの主観です。
だからこそ読者(観劇者)はハムレットの苦悩や猜疑心に感情移入しやすいのかもしれません。
一方のQ1。
ポローニアスは、オフィーリアに「お前の恋の成就する手立てになるかもしれない」と言っています(p53)。
これはFではカットされている。
Q1では、オフィーリアとハムレットは相思相愛という設定だったらしい。
特にガートルードは全く印象が違います。
彼女がハムレットに詰問されると、ただやめてくれと懇願するだけで、Fの時にあった自身の罪を自覚するセリフ(黒い染み)はありません(p97-100)。
それどころか先王がクローディアスに殺されたことを「知らなかった」と告白し(p103)、ハムレットがクローディアスに謀殺されそうになると、クロ―ディアスの謀議に怒りをあらわにし、ハムレットを匿おうとします(p117-119)。
Q1ではガートルードも被害者で、ハムレットに母親らしい愛情をかける味方になっています。
Q1では女性たちの性格や感情がクリア。
逆にいうと、Q1を読むことでFの陰鬱な雰囲気が、”周囲の状況が判然としない五里霧中さ、それによる不安”に起因していたのだと改めて気付きました。
またQ1ではハムレットは決して孤立無援でなく、読んでいて彼の苦悩感がこちらの胸に迫ってこない。
解説では、「生きるべきか死ぬべきか」の順番がQ1では理にかなった流れで、Fだと構成的に不自然だと指摘されています(p175-176)。
しかし、ハムレットの主観的視線にしぼり、他者が何を考えているのか読めないという孤立感や孤独感は、やはりFが上だと思います。
前のブログで「登場人物の考えを追えない」と書きました。
しかし、むしろそれがシェイクスピアの狙いだったのかもしれません。
なーるほど。
己の読解力の無さにがっかりです。
しかし、読み比べでわかることもあるものですね。
それにしても、しばしば指摘されるシェイクスピアのミソジニー。
「ハムレット」F版にも潜んでいると思います。
何を考えているのか主体性を感じさせない女性たち。
「ハムレット」における母性性(女性性)。
どなたか研究なさっているかなあ。
とにかく面白かったです。
「ハムレットQ1」 安西徹雄訳
533円+税
光文社古典新訳文庫
ISBN 978-4-334-75201-9